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2018年10月26日 イイね!

零がダメでもP-2のかたちで市販化出来れていれば…ね

零がダメでもP-2のかたちで市販化出来れていれば…ね市販化は幻に! 惜しまれつつもお蔵入りとなった国産スーパーカー4選

 販売されていれば日本車の歴史が変わった可能性も

 スポーツカーの中でもひときわハイパフォーマンスで、エレガントかつスタイリッシュなボディを持ち、けっこう高価なクルマたち。スーパーカーの定理はざっとこんなものではないだろうか。

 この分野は長年、イタリアやイギリス、そしてドイツなどのヨーロッパ系のメーカーに半ば独占されてきたが、どっこい、わずかながら日本製のスーパーカーも存在する。そんなジャパニーズ・スーパーカーをピックアップしてみよう。

 1)童夢-零

 ジャパニーズ・スーパーカーの代表格といえば、なんといっても童夢-零。レーシングコンストラクターの童夢が、市販化を目指して開発した渾身の一台。童夢の御大、林みのるがデザインしたボディは、ウェッジシェイプ+リトラクタブルライトという、「Theスーパーカー」のスタイリングだ。

「世界一全高が低いクルマ」という触れ込みで、全高は980mm。シャシーはスチールモノコック、ボディはFRPのセミモノコックという仕様だった。パワーユニットは国産にこだわり、日産の2.8リッター直列6気筒エンジン(L28型 145馬力)をミッドシップに搭載。

 1978年の第48回ジュネーブモーターショーに出展し、世界的にも大反響となったが、当時の運輸省(現 国交省)と車両認定に関しての交渉が門前払い同然で進まず、市販化は幻に……。プラモデルなど模型・玩具類は大ヒットし、スーパーカー少年たちを魅了した。

 2)日産 MID4

 1985年のフランクフルトモーターショー、そして同年の第26回東京モーターショーにも出展された日産のMID4。開発を託されたのは、”スカイラインの父”として有名な故・櫻井眞一郎。V型6気筒SOHC(VG30型)をDOHC化したVG30DE型(最高出力は230馬力)を横置きに搭載し、シュタイヤープフ社(オーストリア)が供給するプラネタリーギアのセンターデフ+ビスカスを組み合わせた4WDシステムと4WS(HICAS)まで備えた、最先端のクルマだった。

 一方でマーチなど、量産車の部品を多数流用し、コストを抑えることも検討されたが、量産化を目指したMID4IIは、いろいろ盛り込み予価2000万円と高価なクルマになった。ゆえに、プロジェクトは消滅。のちにGT-RのアテーサE-TSにつながるようなスポーツカーの4WD化、ハイキャス、ツインターボ、マルチリンクサスなどは、MID4にルーツがあっただけに残念な一台だった。

 3)マツダRX500

 元祖ジャパニーズ・スーパーカーといえるのは、1970年の東京モーターショーに登場したマツダのRX500。マツダ創立50周年を記念に開発されたこのクルマは、カウンタックよりも早くガルウイングドア(正式には「バタフライウィングドア」)を採用した画期的な一台。エンジンはレース用にチューニングされた、10Aロータリー(250馬力)で、それをミッドシップに搭載。

 コスモスポーツの後継モデルという計画で、風洞実験を繰り返し、マツダ社内デザイナーの福田成徳さんが担当。ブレーキも4ポットキャリパー&4輪ベンチレーテッド・ディスクというハイスペックで、本気で高性能車を追求していたが、この一台の試作車だけで終わってしまった。

 4)ヤマハOX99-11

 1991年に発表されたヤマハ初の四輪車になる予定だったクルマ。ヤマハは1989年からF1にエンジンを供給しており、「OX99」はブラバムBT59Yが搭載していた3.5リッターV型12気筒DOHC60バルブエンジンの名称だ。そのOX99を公道向けにデチューン(それでも450馬力!)し、ミッドシップに搭載。「ロードゴーイングF1」という触れ込みで登場した。

 ムーンクラフトの由良拓也がデザインを担当し、車体センターに運転席、その真後ろに後部座席というタンデムの二人乗りで、シャシーはCFRPモノコック。販売価格は、100万ドル(約1億3000万円)と言われていたが、バブルが崩壊こともあり、1993年に計画は消滅してしまった。



そういう意味で言えばスーパーGTにも出ていたガライヤの流れでムーンクラフトの紫電を市販化に出来ても面白かったんだけどなぁ




【旧車・童夢】市販が期待された幻のスーパーカー-日本のスーパーカー 第5回

欧州のスーパーカーがスゴいのは誰でも知っている。だが日本のメーカーも、日本人のためのスーパーカーを作るべく努力をしてきた。そんな歴史を振りかえる企画、今回は、日本のカロッツェリアが生み出したスーパーカー「童夢」だ。(ホリデーオート2018年11月号より)

レーシングコンストラクターが世に問う寸前まで行ったが…。

レース界で名を馳せていた日本のコンストラクター、童夢が1978年のジュネーブ・ショーで「童夢 零」(タイトル写真奥のシルバーのクルマ)を発表した。

ミッドに搭載されたエンジンは日産のL28型 直6SOHC。スーパーカーのエンジンとしてはスーパーとは言い難かったが、当時の国産エンジンとしては最強と言えるものだった。フレームはスチールモノコックでFRP製のボディを架装するという、当時では先進的な構造と言えた。

翌年の1979年、童夢 P-2が発表される。このモデルは零をベースに北米の保安基準に合わせて改良されたもので、バンパーの大型化やヘッドランプの高さ変更が行われた。

だが、童夢はル・マン24時間レース参戦のためレーシングカー製作に傾注することになり、P-2の市販化計画は立ち消えになってしまった。
(解説:飯嶋洋治)

■童夢 P-2主要諸元 
●全長×全幅×全高:4235×1775×990mm ●ホイールベース:2450mm ●重量:950kg ●エンジン型式・種類・排気量:L28E・直6 SOHC・2753cc ●最高出力:145ps/5200rpm ●最大トルク:23.0kgm/4000rpm ●トランスミッション:5速MT ●タイヤサイズ(前・後):185/60HR13・225/60HR14
Posted at 2018/10/26 23:14:29 | コメント(0) | トラックバック(0) | 自動車業界あれこれ | 日記
2018年10月26日 イイね!

終わりがあれば…そのまま消滅しなければね

終わりがあれば…そのまま消滅しなければね自動車史で最後を飾ったクルマ 前編 MTのフェラーリ、空冷ポルシェ ほか

われわれが目にする数多くのクルマは、舞台裏で改良を重ねモデルチェンジを行い、少しでも多くの支持を得られるように奮闘した結果だといえる。例えば7代目フォルクスワーゲン・ゴルフは、いずれ8代目に交代するだろう。レンジローバーも、モデルを増やしながら連綿と進化を続けている。

その一方で、自動車の歴史の中に刻まれつつ、生産を終えるモデルも少なくない。どんなものでも生き残れるほど、自動車はシンプルなものではないのだ。今回はそんな、生産終了に追い込まれたクルマや技術などを紹介してみたい。どんなに忘れられなくても、もう新品では手に入れることができない、愛すべきものたち。

インターナショナル・ハーベスター・パッセンジャー・ビークル(IH):スカウトII(1980年)

財政難と、不景気による雇用者との闘争で悩まされたインターナショナル・ハーベスター社。1980年にはトラクターなどの農業用機械とバスに生産を絞る目的で、ピックアップやSUVなど、乗用車の製造部門を廃止してしまう。

経営者は業績が急速に悪化することを想定しておらず、3代目スカウトを含む、SUVなどの乗用車の計画を立てていたほど。スカウトIIIを目指して、1979年にひっそりと登場したSSVコンセプトは、スカウトIIのオフロード性能を向上させつつ、1980年代の流行に合わせて、ボクシーなエクステリアデザインをまとっていた。

インターナショナル・ハーベスター社は、テネコ・ナビスター社の一部として現在も残っている。

写真は、スカウトII

米国で販売されたキャブレター車:いすゞ・ピックアップ(1994年)

1990年前後にかけて、米国で販売されていたクルマの殆どが、キャブレターからフュエルインジェクション(燃料噴射)に切り替えられた。新しい環境規制に対応させるためには、変更が不可欠だったといえる。ジープ・グランドワゴニアとフォード・クラウン・ビクトリアは1991年までキャブレター式のV8エンジンを積んでいたが、いすゞはさらに粘った。

エントリーグレードのピックアップトラックにフュエルインジェクションを採用したのは、1995年になってからだった。

V型4気筒を搭載したクルマ:ZAZ 968M(1994年)

V型4気筒エンジンを積んだモデルを生産していたメーカーは数少ない。ランチアとフォード、サーブ、ZAZ、そしてAMCだけだと思う。

サーブはフォードが設計したV4をサーブ96に搭載し、1980年まで生産していたが、ウクライナのメーカーZAZ(ザポリージャ自動車工場)は、さらに長く生産を続けていた。V4エンジンを搭載した968Mは、1994年まで生産されていた。ドイツのNSUプリンスにも似たこのモデルは、とうの昔に賞味期限切れになっていたが、安価で丈夫、修理もしやすかったこともあり、最後まで人気は高かったようだ。

2018年現在では、V4エンジンはバイクと、レーシングカーで見ることができる。ポルシェはルマン24時間レースで優勝した919ハイブリッドに、V4エンジンを搭載。レース専用のプロトタイプ・カテゴリーだが、後にニュルブルクリンクでも驚異的なラップタイムを出している。しかしポルシェは、量産車にV4エンジンを採用する予定はないようだ。

空冷式ポルシェ:993(1998年)

993型のポルシェ911は、ポルシェフリークにとっては夢のクルマかもしれない。空冷式の水平対向6気筒エンジンを搭載したモデルだからだ。丸いヘッドライトと、テールが下がったシルエットは、ポルシェ911の家系に属することが一目瞭然。1960年代、エンジンの位置が間違い(ロング・エンド)と批評されたクルマは、今でもポルシェファンに愛されている。

1997年に登場した996型の911は、水冷式の水平対向6気筒になったうえ、自動車評論家からも市場からも批判を受けることになった、ボクスターに似たフロント周りのデザインをまとっていた。最後の空冷モデルとなった993型は、2018年の今ではコレクター・アイテムになっている。

AUTOCAR JAPANの編集部にも、すっかり空冷ポルシェの虜になったひとがいることは、熱心な読者ならご存知だろう。

米国でカセットデッキを搭載していたクルマ:レクサスSC(2010年)

米国で販売されていた中で、最後までカセットテープ・デッキが選べたクルマは、プラスチック製のホイールキャップに布製のシートが付くような、安価なモデルではなかった。 それは、2010年のレクサスSC430。日本のメーカーがメルセデス・ベンツSLに対抗するために生み出した、高価で堂々としたコンバーチブルだ。

レクサスは2010年以降、カセットテープ・デッキの供給も止めている。ニューヨーク・タイムズは2011年に、もはやカセットテープ・デッキを搭載するクルマが、オプションとしてもなくなったと、報じたほど。

サーブ:9-4X(2010年)

サーブは生き残ろうと、限られた環境の中で最後まで奮闘していた。2010年、ロサンゼルス・モーターショーで、新しいモデル9-4Xを発表したのだ。生産は翌年、ジェネラル・モータースのメキシコにあるラモス・アリスペ工場で開始されたものの、同2011年末に、サーブは倒産してしまう。サーブの博物館によれば、800台以上がすでに生産されていたそうだ。

ポンティアック:G6(2010年)

深刻な経営難に堕ちいていたジェネラル・モータース(GM)は、2008年にいくつかのブランドを消滅させることを発表した。翌年、サターンをなくし、サーブは売却。ハマーも消えることとなった。しかし、当時のプレスリリースによれば、ポンティアックはニッチブランドとして生き残るとされていた。

しかしその後、ジェネラル・モータースは再生計画を立てたものの、ポンティアックは採算が合わないとされ、サターンと同様に消滅されることとなる。ポンティアックとして最後に生産されたクルマは、2010年1月、白のG6だったそうだ。

シャシーとボディが独立したアメリカ車:フォード・クラウン・ビクトリア(2011年)

1970年のはじめ、米国の自動車メーカーは、フレームとボディとが別々のセパレートフレーム構造から、軽量なモノコック構造(ユニボディ構造)へと変更をはじめる。1990年半ばには、ほとんどのモデルがモノコック構造となっていたが、フォードは粘った。可能な限り、既存モデルを活かしたかったのだろう。

最後まで残ったのはクラウン・ビクトリア。米国のパトロールカーやタクシーとして愛用されたモデルで、2011年まで生産された。

V8エンジンを積んだボルボ:XC90(2011年)

V8エンジンをボルボとヤマハが共同で開発し、XC90やS80などの大型モデルに搭載していたことをご存知だろうか。日本製の4.4ℓエンジンは、当初315psと44.1kg-m発生した。2005年に生産が開始され、ガソリン価格が安く大排気量のエンジンの人気が根強かった米国では好評だった。

中国のジーリーがボルボを買収し、小排気量化が進められる中で、V8エンジンを搭載したS80は2010年まで続いた。さらにXC90には、ヤマハが生産を終了する2011年まで搭載されていた。現在、ハイパフォーマンスモデルを生産していないボルボだが、もし社外製のV8エンジンを搭載したモデルが発表されたら、相当の衝撃が走るに違いない。

マニュアル・トランスミッションのフェラーリ:カリフォルニア(2012年)

フェラーリでマニュアル・トランスミッションを選択できたのは、エントリーグレードの2011年式カリフォルニアが最後。7速デュアルクラッチATに代わって、美しくシフトゲートが切られた6速マニュアルが選べた。しかし、実際に選択したひとは極めて少なかった。メーカーも定かではないようだが、マニュアルを搭載したカリフォルニアは3~5台のみだったらしい。

既存モデルとしては、もはやマニュアル・トランスミッションを搭載したフェラーリを注文することはできない。しかし、充分なお金があれば、話は別。開発に必要な資金を提供すれさえすれば、ペダルがみっつ並んだマニュアルモデルも、喜んで製造してくれるだろう。

後編へ続く。


自動車史で最後を飾ったクルマ 後編 FFのアルファ・ロメオ、ランエボX ほか

ボルボのコンバーチブル:C70(2013年)

ボルボは、C70が同社最後のコンバーチブルだとは明言していないが、新しいモデルを目にできる可能性は、BMW i3のフロントタイヤ並みに、薄い。2ドアクーペは、欧米での人気の陰りに加えて、中国でも盛り上がりに欠けており、ボルボとしては積極的にリリースする動きは今のところない。

この市場の動きと企業の戦略は、ひとを振り向かせる魅力的なコンセプトクーペを、スポーティでラグジュアリーなS90の対ではなく、ポールスター部門から発表したことにも表れている。

マニュアル・トランスミッションのランボルギーニ:ガヤルドLP560-2(2013年)

ランボルギーニがマニュアル・トランスミッションの搭載をやめたのは、フェラーリがやめた翌年だったが、世界中に衝撃を与えての終焉だった。ランボルギーニ50周年を記念し、余分な装備を省きシンプルな構成としたガヤルドの派生モデルは、LP560-2と呼ばれた。100台の限定生産で、V型10気筒は560psを発生し、6速マニュアルを介して後輪を駆動した。

ランボルギーニによれば、需要の大きな落ち込みが、マニュアル廃止となった理由とのこと。ランボルギーニのCEO、ステファン・ヴィンケルマンの話では、マニュアル車のオーダーがない年も何度かあったそうだ。

写真はガヤルド 570-4スクアドラ・コルセ

リアエンジンのフォルクスワーゲン:コンビ・ラストエディション(2013年)

欧米では、1970年代からリアエンジン・モデルを製造していないフォルクスワーゲン。ゴルフやシロッコ、パサートなど、現在のモデルはすべてフロントエンジン・レイアウトとなっているのは説明不要だろう。その一方で、南アフリカやメキシコ、ブラジルなどでは、何十年にも渡ってビートルやバス(タイプII)が製造され続けてきた。

フォルクスワーゲンのブラジル部門がリアエンジンのミニバン、コンビの製造を終了したのは2013年。その最後には、ラストエディションと呼ばれる、1200台の限定バージョンも登場した。

コンビは、通称レイトバスのボディに水冷エンジンを搭載したモデル。メーカーによれば、コンビの売れ行きは最後まで良かったようだが、ブラジルの新しい自動車規制に盛り込まれた、前席のエアバックとABSの義務化に沿うことができなかったことが、生産終了の理由とのこと。

シャシーとボディが独立したランドローバー:ディフェンダー(2016年)

これは、まだ確定事項ではない。

ランドローバーに詳しい内部関係者によれば、2019年に発表予定の次世代ディフェンダーは、ディスカバリーやレンジローバーと同じ、アルミニウム製のモノコックボディを採用すると見込まれている。

この情報が確かなら、2016年で製造を終えたオリジナルのディフェンダーが、英国で最後に製造されたセパレートフレーム構造のクルマとなる。

三菱ランサー・エボリューション:ファイナル・エディション(2016年)

三菱は、ランサー・エボリューションの最後を、ファイナル・エディションと呼ばれる限定仕様車で飾った。2015年に発表されたこのモデルは、2.0ℓの直列4気筒ターボエンジンにチューニングを加え、307psを発生。サスペンションとブレーキは強化品に変更され、エクステリアでは限定モデルの特徴として、ブラック・アウトされたルーフパネルを備えていた。

三菱は2016年、1600台生産されたランサー・エボリューション・ファイナル・エディションの最後の1台を、オークションに掛けて販売した。落札額は、7万6400ドル(865万円)だったという。三菱はこの売上を、飢餓で苦しむひとたちのために活動する米国の慈善団体へ寄付している。意外と知られていない事実だ。

ハイドロ・サスペンションを搭載したシトロエン:C5(2017年)

数十年に渡りハイドロニューマチック・サスペンションは、シトロエンを最も快適な乗り心地を備えたクルマとして、価格帯を超えて位置づける役目を果たしてきた。それから時代は過ぎ、電子制御サスペンションの進化に伴い、2010年代には緑色のスフェアは時代遅れの技術となってしまった。2017年のC5を最後に、シトロエンはハイドロ・サスペンションの製造をやめてしまう。

オーストラリア製のクルマ:ホールデン・コモドア(2017年)

オーストラリアの自動車製造業は、2013年にフォードが経営合理化に伴う出口戦略を立てたことを発端に、終焉へと向かう。2016年、フォードがオーストラリア工場を閉鎖したことに続き、トヨタも2017年10月にアルトナ工場の終了を決める。

そしてホールデンのエリザベス工場が、最後となるV8エンジンを搭載したコモドアをラインオフしたのは、トヨタが工場を閉鎖した数週間後。2018年現在、オーストラリアで販売されているクルマのすべては海外からの輸入車となる。フォードやホールデン、トヨタも、オーストラリアでは輸入貿易の会社なのだ。

ハイブリッド不採用のV12気筒ランボルギーニ:アヴェンタドールSVJ(2018年)

「SVJ」は、ランボルギーニ・アヴェンタドールSのサーキットにフォーカスした仕様。ランボルギーニの研究開発部門のボス、マウリツィオ・レッジャーニによれば、このモデルが最後の、ハイブリッドを組み合わせない、自然吸気のV型12気筒エンジンを搭載したランボルギーニになるという。

2020年代に登場するであろうアヴェンタドールの後継モデルは、燃費を向上させるためにも、ハイブリッド化させる必要があるのだろう。SVJの12気筒は770psと73.2kg-mを発生させる。AUTOCARのテスター、マット・プライヤーは試乗後に「スピードとドラマ性、柔軟性とサウンドは、他のモデルでは得られないもの」だとまとめている。

前輪駆動のアルファ・ロメオ:ジュリエッタ(2019年)

伝統のブランド、アルファ・ロメオが生み出した前輪駆動モデルは、概して高い評価を得ていない。アルファ・ロメオの経営者は、イタリア版BMWとしての地位を確立し、富裕層向けとしてブランドを立て直すためにも、運転がしやすい後輪駆動モデルの必要性を理解していた。この決定は何度か見送られてきたが、ジュリアの仕上がりを見る限り、われわれは待った甲斐があったといえる。

アルファ・ロメオの攻めの姿勢はまだ終わっていない。詳細は明らかなっていないが、2020年に発表予定の次期ジュリエッタは、ジュリアやステルヴィオと共通の、ジョルジオ・アーキテクチャを採用すると見込まれている。

その場合、現行のジュリエッタが最後の前輪駆動モデルとなるはず。BMWが3代目となる1シリーズを前輪駆動のアーキテクチャで開発する中で、アルファ・ロメオにとってはベストといえるタイミングでの後輪駆動化といえるだろう。

フォルクスワーゲン・ビートル:ニュー・ビートル・ファイナル・エディション(2019年)

われわれの読みは正解だった。フォルクスワーゲンは、伝統ともいえるニュー・ビートルの生産を2019年に終了することとなった。最後の1台が工場をラインオフすると、ドイツ・ヴォルフスブルクに本社をおく企業が初めて、初代から続いてきたビートルの生産を終了させることになる。ちなみにリアエンジンの初代ビートルの生産が始まったのは、第2次世界大戦が始まる前年の、1938年となる。

フォルクスワーゲンは、生産を終了する前に2種類の限定モデルを発売する予定。それは、ファイナル・エディションSEとファイナル・エディションSELと呼ばれ、標準モデルの幅広いオプションリストに加え、特別色を含む特別装備が用意されるだろう。

終わりがあれば始まりもある。自動車の歴史は、次々に積み重ねられていくものなのだ。



生き残ろうことが出来れば次につながりますからね
Posted at 2018/10/26 23:09:46 | コメント(0) | トラックバック(0) | 自動車業界あれこれ | 日記
2018年10月25日 イイね!

パッとしないかな~気にもした事ないけど

パッとしないかな~気にもした事ないけど長期テスト スバルBRZ(5) 古臭い内装、素晴らしいハンドリング

もくじ
ー 積算9340km インフォテインメントシステムは
ー 積算9823km 前時代的インテリア
ー マツダMX-5のような内装が欲しい
ー 素晴らしいハンドリング
ー テスト車について
ー テストの記録

積算9340km インフォテインメントシステムは

われわれのBRZには最高グレードのインフォテインメントシステムが搭載されている。アルパイン製の7.0インチ・タッチスクリーンを基本とするもので、スバルディーラーを通して販売されている。

標準の6.2インチのものとは違い、ナビゲーションやDABラジオなどの機能が付く。工賃別で1250ポンド(18万円)と高価だ。わたしのようにスマートフォンをナビゲーションや音楽再生に使うひとは、そのお金をガソリン代に回したほうが良いかもしれない。

積算9823km 前時代的インテリア

ある天体物理学者は恒星間ワームホールを利用すればタイムトラベルができるかもしれないといった。おそらく彼はスバルBRZには乗ったことがないのだろう。もしあるとすれば、車内に並ぶスイッチや時計を見て1993年から現代へとタイムスリップしたように感じるだろう。それほどBRZの車内は前時代的なのだ。

この非常に角ばっていてデザイン的な魅力のないキャビンはこのように説明する他ない。デジタルディスプレイに並ぶ数字やセンターコンソールのフォント、それにシートヒーターのスイッチなどは15年前の電子レンジのようだ。

ただし、わたし好みの点もある。ステアリングは新鮮なシンプルさで、直径も太さも適切だ。メーターパネル内のスクリーンは落ち着いていて便利な情報を表示してくれる。

さらに、シートは非常に快適だ。しかし、それを踏まえてもキャビンは外装に見合った仕上がりとは言えない。それどころかこのクルマの最大の弱点だろう。

マツダMX-5のような内装が欲しい

スバルの開発チームがこの非常にバランスのとれた楽しい走りを実現するのに忙しく、インテリアチームが最終仕上げをする時間がなかったと考えれば致し方ない。キャビンの出来がイマイチなことに気付いた時には手遅れだったのだろう。

BRZのキャビンのデザインが改善したら、クルマとしての魅力は大きく向上するだろう。マツダMX-5を見ればわかる。あのクルマのキャビンはエクステリア同様に美しく整然としており、細部まで作り込まれている。エアベントすら芸術的だ。

BRZのハンドリングとあのインテリアが組み合わされば非常に良いドライビング体験が得られるだろう。2.0ℓ仕様のMX-5を数日間乗って見てつくづく感じたことだ。

しかし、MX-5に乗っていてもBRZが恋しくなってしまうことがある。マツダの直感的なインフォテインメントシステムは好きだ。しかし、それでもBRZのシャシーの魅力を忘れることはできない。

素晴らしいハンドリング

もちろんMX-5のレスポンスは鈍重とは程遠い。しかし、BRZは156kg重いにも関わらずそれを感じさせないどころか、それ以上にステアリング操作に敏感なのだ。

これにより、実際のパワーとトルクはそれほど変わらないにも関わらずより高い次元のパフォーマンスを持っているように感じる。

BRZはステアリングが素晴らしい。シートポジションが低いことが運転していて安心感をもたらすのかもしれない。運転に集中することができるのだ。

ボディ形状も違えばキャラクターも違うということもできるかもしれないが、実際のところBRZとMX-5は価格も近く、直接的なライバルだ。

つまるところ、このようなクルマが販売されている時代に生きているわれわれは非常に幸運だ。たとえ電子レンジのようなボタンがついていようとも、BRZの魅力を断ち切ることはできない。

テスト車について

モデル名:スバルBRZ 2.0i SE LUX マニュアル
新車価格:2万6050ポンド(380万円)
テスト車の価格:2万7550ポンド(403万円)

テストの記録

燃費:11.9km/ℓ
故障:無し
出費:無し



外装は乗ってしまえば見えないとは言われるけどね~(当たり前でしょう)
ホントに次期型でるのかね?
Posted at 2018/10/25 23:32:47 | コメント(1) | トラックバック(0) | 富士重工 | 日記
2018年10月25日 イイね!

流石にA8とかのサイズで出すんだろうから2ドアにはしないか?

流石にA8とかのサイズで出すんだろうから2ドアにはしないか?アウディeトロンGT パワー志向に戦略変更 ポルシェの遺伝子と融合

もくじ
ー モデルS P100Dに対抗か
ー パフォーマンスモデルの今後を示す

モデルS P100Dに対抗か

アウディが2020年に投入予定の4ドアEVスポーツカー、eトロンGTはSUV版と同等の航続距離を持ちながら、「よりパワーを追求」しているとのことだ。

eトロンSUVはWLTPで400kmの航続距離を持つが、GTも同等となるようだ。しかし、「パフォーマンス路線に舵を切った」とされている。eトロンはもっともパワフルなブーストモードでは0-97km/h加速は5.5秒、最高速度は200km/hとなる。

それに対しライバルのテスラ・モデルS P100Dは0-100km/hが4.3秒、最高速度は250km/hだ。アウディはeトロンGTでこの数値を目標にしていると考えられる。

eトロンGTは11月のロサンゼルス・モーターショーでコンセプトカーが発表されると見られている。同じJ1プラットフォームを使用するポルシェ・タイカンは来年発売だ。アウディの技術開発を統括するウルリッヒ・ウィドマンはeトロンGTを「ポルシェの遺伝子とアウディの遺伝子の融合」と説明している。

パフォーマンスモデルの今後を示す

eトロンGTは、eトロンシリーズにおいて初の「フラットフロア」構造を用いている。先日発表されたeトロンや今後のeトロン・スポーツバックは「ハイフロア」を採用している。

このモデルはアウディのEVとして初めて350kW充電に対応するとのことだ。これにより、80%までの充電が12分以内で完了する。

AUTOCARは2年前にこのモデルについてスクープしたが、アウディが計画を認めたのは今年3月のことであった。同社はこのモデルを「非常にダイナミック」であるとしており、今後のパフォーマンス部門の方向性を示すものだという。

アウディが2025年までに投入するEV10車種のうちのひとつであるeトロンGTはドイツのネッカーズルム工場で生産される。
Posted at 2018/10/25 23:23:05 | コメント(0) | トラックバック(0) | AUDI | 日記
2018年10月25日 イイね!

思いのほか側面から見るとフロントもリヤも切り飛ばしたような真っ平に見えるな

思いのほか側面から見るとフロントもリヤも切り飛ばしたような真っ平に見えるなアストン DBSスーパーレジェーラ・ヴォランテ 市販仕様を目撃

来年春以降に登場か

アストン マーティンはDBSスーパーレジェーラのドロップトップ仕様であるヴォランテを準備中だ。市販仕様のボディが初めて目撃された。

偽装されたテストカーはニュルブルクリンクを始めM40高速道路などあらゆる場所で目撃されてきた。今回、ほぼ偽装のないテストカーによって初めてクーペ譲りのリアエンドがはっきりと確認できた。

DBSスーパーレジェーラはアストン最大、最速かつもっともパワフルな量産モデルだ。ヴォランテでもそのパフォーマンスはほとんど失われていない。725psの5.2ℓV12ターボにより、トランスアクスルに搭載されたZF製8速ATを介して後輪を駆動するレイアウトは変わっていない。

ルーフ格納機構やそれに伴う補強による重量増の影響により、クーペの0-100km/h加速3.4秒という数値よりは若干劣るものになるだろう。340km/hの最高速度も空力またはリミッターにより若干制限される。

DBSスーパーレジェーラ・ヴォランテのデビュー時期については不明だが、クーペが発売されたばかりという点を考慮すると早くても来年春頃と見られている。クーペの価格は22万5000ポンド(3250万円)であることから、ヴォランテは25万ポンド(3600万円)級になると予想される。



基本レイアウトは当然変わらないね
Posted at 2018/10/25 23:20:07 | コメント(0) | トラックバック(0) | 自動車業界あれこれ | 日記

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「@うーさー トランクに切れ込み入っていて車体にウイングの足を残しながら外れてくれます(開くって表現はしなくなります)」
何シテル?   06/22 22:42
初めまして。 インプレッサG4に代替を致しました~ 自分色に染めて行こうと思います 燃費を気にする割にアクセル踏んじゃうんですよ~ バトンに関し...

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GC6を自らの事故で失った後、次の愛機を探している所コイツが浮上しました。 車重は10 ...
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初のマイカーです。NAという事とコズミックブルーマイカって色なのであまり回りにいない車な ...
スバル BRZ スバル BRZ
兄貴の増車なんですが、いじる許可を貰っているので気ままに弄り回します。
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