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2020年08月20日 イイね!

日産に限らずセダンが多かったですからね…そしてほとんどのメーカーから消えていってしまった…

日産に限らずセダンが多かったですからね…そしてほとんどのメーカーから消えていってしまった…若者を熱狂させた「ブルーバード」! 「オヤジグルマ化」して消えた悲しい過去と「後継車」の生き様

日産のビッグブランド「ブルーバード」のゆくえ

 自動車の世界では、「クラウン」や「カローラ」そして「スカイライン」など半世紀以上の歴史を持つ名前が今なお受け継がれることもあるが、いっぽうで高い知名度を誇っていた車名が廃止されることもある。かつて日産を代表するセダンの一台だった「ブルーバード」もそのひとつだ。遡ること約20年前となる2001年で伝統の名前が消えてしまった。果たして、ビッグネームの終焉の裏には何があるのだろうか?

スポーツセダンとしての隆盛

 まずは、ブルーバードの歴史から振り返ってみよう。初代デビューは1959年。

 ダットサンシリーズの量産セダンとして登場し、1963年デビューの2代目では後にスポーツセダンとしてのイメージを高めることになる「SSS」も設定された。SSSとは「スーパースポーツセダン」の略だ。

 初代からはじめていた海外ラリーへの参戦は、3代目(1967年登場)による1970年のサファリラリーで偉業を達成。総合優勝したのだ。ここからスポーツセダンとしてのイメージが急速に盛り上がる。

 そしてピークを迎えたのが、1979年から1983年まで販売された6代目。「910」という型式の、後輪駆動を採用する最後のブルーバードである。エンジン排気量1.6L~2.0Lの小型車クラスでは27ヵ月連続で新車登録台数1位を記録する大ヒットモデルとなった。

 また、この世代ではレースでも大活躍。「スーパーシルエット(グループ5)」と呼ばれる、市販車の面影を残しつつ派手な外観とした車両が競い合った当時の人気レースでは、スカイラインRSターボなどとともにトップ争いを繰り広げた。そんなモータースポーツのイメージもあり、この世代は「SSS」グレードが強い存在感を発揮。ブルーバードのスポーティイメージを強く引っ張った。

 いっぽう、市販車として最もスポーティな仕立てだったのは1987年にデビューした8代目だろう。SSS系のトップモデルに搭載したエンジンは、前期型が175psのCA18DET、後期型は205psのSR20DET。

 つまりS13型シルビアと同じエンジンであり、さらにはATEESA(アテーサ)と呼ぶスポーティなフルタイム4WDと組み合わせていた。高性能な4WDセダンだったのである。

 そのうえ、ハイカムやコスワース社製の単層ピストンに専用タービンを組み合わせてエンジンチューンを施し(前期型のみ)、クロスレシオのトランスミッションやロールバーまで標準装備するラリー競技向けエボモデルの「SSS-R」まで設定されたのだから楽しい時代だった。

 しかし、その後ブルーバードは凋落の道をたどる。1991年から96年の9代目を経て、96年から2001年の10代目を最後に「ブルーバード」という車名は消えてしまった。

「時代のニーズ」は変わり続ける

 消えてしまった理由はなぜか。販売台数が低迷したからに他ならない。ではどうして販売台数が低迷したか。ひとことでいえば、「時代のニーズとあわなくなった」からである。

 どんなクルマならブルーバードとして認められるかを見極めきれなかったこともあるし、もし硬派でスポーティなブルーバードらしいクルマを作ったとしても、セダン離れが始まっていた当時はすでに人気を得ることは難しかっただろう。ひとことでいえば、ビッグネームゆえに時代を反映したブランディングができなくなってしまったのだ。

 たとえば9代目にハードトップとして用意された「ARX(アークス)」は、今にして思えば思い切った素晴らしいデザインだったが、ブルーバードとして考えれば「男の硬派な乗り物」という雰囲気が全くない。時代を先取りしすぎたこともあるし、ブルーバードという車名にはふさわしくなかった。ブルーバードを名乗らなかったら、販売台数を伸ばせたかもしれない。

 また、ミニバンなどセダン以外の選択肢が増え、セダンのマーケットが縮小した。そんなマーケットの変化も大きな影響を与えた。結果として、日産ではブルーバードのほかにも「セフィーロ」や「ローレル」「セドリック」、トヨタでは「コロナ」「ビスタ」「マークII」などのビッグネームが2000年前後に消えてしまったのだ。

 しかし、ブルーバードの血統は途絶えてしまったわけではない。2000年に「ブルーバード・シルフィ」というコンパクトセダンが登場し、スマッシュヒットを飛ばした。

 2012年登場の3代目からは「シルフィ」とブルーバードの名前が完全に消えたが、販売継続中だ。

 また中国では2019年の春に新型(4世代目)が登場。現地ではセダンが好まれることもあり、日産のナンバーワン人気モデルかつ、中国における同クラスのトップセラーとして高い人気を誇る。

 北米では「セントラ」という車名で、スポーティなセダンとして販売されている。

「ブルーバード」という名前は消えてしまったが、名前を変えることで過去のイメージに別れを告げ、新世代の新しい車として再発進。実質的な後継車は今なお世界各地で愛されているのだ。
Posted at 2020/08/20 22:26:22 | コメント(0) | トラックバック(0) | 自動車業界あれこれ | 日記
2020年08月20日 イイね!

80年代って感じだよなw

80年代って感じだよなw1980年代のユニークな日本車5選

1980年代に登場した日本車のなかでも、ユニークなコンセプトを持つ5台を小川フミオがセレクト。当時を振り返る。

1980年代の日本車には、おもろいクルマがいろいろあった。1990年代になると「ひとつのモデルがコケると会社が傾く」なんていわれるように、製造コストと生産体制がひとつのパッケージになっていくものの、1980年代まではもうすこしゆるやかだった。

とはいっても、会社の上層部から、売れそうもないけれど、ま、出してみよか、なんてことは言われなかっただろう。どのモデルも開発者たちが真剣に取り組んだ結果である。数が売れて会社に利益をもたらすのが、すべてのモデルに共通した目的だ。

それでもなかには“たくさん売れそうもないけれど出してくれて嬉しい!”と、思えるモデルもあったし、なんの冗談? と、言いたくなるぐらいハズしたモデルがあったのも事実。

でも、クルマが楽しいのは、多様性があるからだ。コンフォートモデルがあればスポーツモデルもあり、トルク重視型エンジンに対して高回転型のエンジンもある。2シータースポーツもSUVも。ここでは1980年代、いわば日本車の黄金時代をいろどってくれた、個性的なクルマをいくつか紹介しよう。本来、クルマが成功したかどうかの基準は、ひとつは売れ行き、もうひとつは、後継モデルへの道を開拓できたか、にある。どっちもよくわかんないっていうモデルも、でもまた、存在を許されてきた。だからクルマは楽しいのだ。

(1)日産「エクサ」(2代目)

1986年に発売された「エクサ」の特徴は、2つのボディバリエーションを持つ点だった。ひとつはノッチがついた「クーペ」、もうひとつはリアセクションが荷室になった「キャノピー」だ。

ルーフが2分割で取り外せるいわゆる「Tバー」と呼ばれるリアピラーと、そこにくっついた三角のリアクオーターウィンドウまでは、クーペとキャノピーともに共通。その後ろの部分は、自分でも交換できる方式で販売された。といっても、それは北米での話だ。

似たような使い分けとしては、メルセデス・ベンツ「SLクラス」(R129)を思い出す。ソフトトップでフルオープン走行を楽しむいっぽう、天候の思わしくないときはハードトップを装着して……という楽しみかたにも似ている。とはいえ、日本のユーザーはたいていハードトップをつけっぱなしだった。ほとんどの人の場合、外したハードトップの保管場所がなかったのだ。

話をエクサに戻すと、日本の法規では、最初からクーペあるいはキャノピーを選択する必要があった。デザインとしてみたらキャノピーも魅力的であるものの、自分で乗るなら軽快感をもつクーペが好ましい。というのは、当時の私の感想である。

エンジンは1.6リッター直列4気筒DOHCで、駆動方式は前輪駆動。バリエーションとしては、変速機が、5段マニュアルか4段オートマチックか選べた。走りの記憶は強く残らないクルマで、遅くはない。ただし、ハンドリングが飛び抜けて印象的でもない。そんな、やる気があるんだかないんだか、わからないところも不思議だったのをおぼえている。

1982年登場の初代エクサは、小さなキャビンと格納式ヘッドランプを特徴としていたが、後付けデザインの感が強く、全体のかたちがまとまっていなかった。それに対して米国のデザインスタジオが仕事をした2代目エクサは、完成度が高い。

ただし、インダストリアルデザインの作品としてみたら、よく出来ていても、クルマの魅力はそれだけではない。多少ぶかっこうでも、なんだか乗ってみたくなる、と、思わせるモデルが存在するのは事実だ。1990年代の日産はそれに気づいたのか、もうすこし泥くさい印象を復活させる。デザインってむずかしいもんだ。

(2)ホンダ「シビックシャトル」(初代)

1983年登場の3代目、通称「ワンダーシビック」は車種構成がおもしろかった。看板車種のハッチは2ドアのみ。4ドアが欲しいひとはセダン。荷物も積める4ドアを、というひと向けに「シビックシャトル」が用意されたのだ。

シビックシャトル(以下シャトル)は、大きな縦長のウィンドウによってカーゴスペースを強調したモデルだ。ハッチバックに1カ月遅れて、セダンとともに発売された。機能主義というのか、デザイナー頑張りすぎだから、と言いたくなる個性的な造型のキャビンが印象に残るモデルだ。

車高はハッチバック車が1340mmであるのに対して1480mm。4WDの設定もあり、いまならSUVに分類されるだろう。シャトルが出たとき、スタイリッシュではないものの、機能を優先させた大胆なデザインに、私を含めた自動車好きは喝采を送ったものだ。

ただし、1.5リッターエンジンはパワフルでなかったし、無理に(と、当時は思われた)ボンネット高を下げたためサスペンションはストロークを十分にとれなかったのか、乗り心地もいまひとつだった。

このあと1987年のフルモデルチェンジでシャトルも一新される。コンセプトはおなじであるもののスタイリングはより洗練されていた。いまでもSUVとして充分通用すると思う。

ただそれでも、初代のインパクトは忘れられない。このちょっとしたカッコ悪さも計算だったのかもしれない。

(3)三菱「スタリオン」

驚くのは、どこからみてもスポーツカーのルックスをもった「スタリオン」が、ラグジュアリークーペだった「ラムダ」の後継だった点だ。

実際にシャシーはラムダのものをベースにしていた。ただし、ホイールベースを2530mmから2435mmに切り詰めるなど、コンセプトはスポーティなものへ変わった。

スタイリングはカッコいいんだか悪いんだか……。スポーツカーとして評価しようとしたら、分厚いノーズや2プラス2のパッケージをあきらかに重視したような、ぼてっとしたキャビンなど、ネガがいろいろ目につく。

いっぽう、おもしろがろうと思えば、いろいろな要素を組み合わせた統一感のちょっとした欠如が、ユニークなスタイルを作り上げているのが見どころだ。デビュー当初は、北米的なテイストで、それはそれで納得できるスタイリングだった。

ところが、というべきか、1987年2月には大型のブリスターフェンダーを前後に備えたターボ2000GSR-VRが登場。明るいシルバーメタリックのボディは、極端なほどの抑揚感があって、ほかにない個性である。

洗練という表現とは無縁。インタークーラー付きターボチャージャーによる加速感といい、硬めの足まわりといい、豪快なスポーツカーが好きな層をまっすぐに見据えて開発されていた。

当時、スタリオンに乗るというのは、日本の自動車メーカーが高性能化と同時に欧州的な洗練性を目指していた流れに背を向けるようなものだった(私の印象)。べつの言い方をするなら、自己表現の道具としてはまたとない存在感である。

手持ちの札を可能なかぎり組み合わせて市場のニーズに応えようとした当時の三菱自動車の開発者たち。みなさんは、スタリオンに手を入れていくことを、楽しんでいたのだろうか。そこ、いま知りたい。

(4)マツダ「ファミリアアスティナ」/ユーノス「100」

1989年に登場した7代目ファミリアは3つの車型で登場した。ハッチとセダンは従来からの継続。くわえて5ドアハッチの「アスティナ」が加えられて話題を呼んだ。

アスティナは格納式ヘッドランプを備え、ぐっとスラントした低いノーズを強調していた。よくない角度がフロント7対リア3で見たとき。いっぽう、特徴がよく出るのはプロファイル(真横)だ。

くさび型のシルエットで、かつ太いリアクオーターピラーが、フォルクスワーゲン「ゴルフ」のように力強さを感じさせる。ピラーは後輪の真上にくるように配置されていて、きれいなプロポーションだ。

もうひとつ、このクルマの特徴は、当時、多チャネル化戦略をとっていたマツダの方策にのっとり、ユーノスブランドでユーノス100として販売された点だ。

エンジンは、1.5リッター、1.6リッター、それに1.8リッター。全長4030mmのコンパクトなボディは、1.5リッターでも充分に速いと思わせてくれた。

7代目ファミリアはしっかりした足まわりをもったいいクルマだった。パワーもある1.8リッターはとりわけ走りがよかったが、下の排気量のエンジンでも、ハンドリングがいいので、ワインディングロードではよく走った。

インテリアの質感もドイツ車をめざして大きく向上。このときからマツダ車のクオリティは、ぐんと向上した。ドイツ車をライバルとすることを公言していただけに、日本では人気がなかったものの、欧州ではスマッシュヒットを記録。ほとんどのクルマが輸出にまわされたとか。マツダって往々にして、米国を中心にウケるとか、欧州ではウケてる、とか、そんなクルマを作る。おもしろいではないか。

(5)スズキ「マイティボーイ」

パーソナルなイメージが強いスズキの軽自動車が「セルボ」だ。そのセルボのプラットフォームと、シルエットをそのまま流用して、しかし斬新なピックアップスタイルを与えられたのが「マイティボーイ」だ。

ふたり乗りのキャビン背後を荷台にして、そこにソフトトップをかけたスタイルだ。プロファイル(真横)で見ると、ソフトトップが立体的なので、ボディの輪郭は2代目セルボのまんま。そこもユニークな点といえよう。

2代目セルボの大きな特徴は、初代の2ストロークエンジンを捨て、543cc直列3気筒4ストロークに変えたことだ。トルクでは2ストロークに勝てず、期待を裏切られたファンも多かった。でも燃費や排ガス規制や騒音問題で、2ストロークがなくなるのは時代の趨勢だった。

「スズキのマー坊とでも呼んでくれ」というキャッチコピーが話題になったマイティボーイは、全長3195mmとかなりコンパクト。ふたりで乗るには必要最低限のスペースが確保されていたものの、ソフトトップはやや複雑な構造で、開け閉めがやや面倒くさく、結局、荷台を露出させるか、荷物を入れないか、究極の二択を迫られた。

荷台を使うといっても、奥行きは660mmしかなく、容量も少ない。つまり、実用にはやや不向き。デビューのときは「ププッ」と吹き出してしまうような、楽しいコンセプトに思えたものだ。これでスポーティに走れればよかったが。

車重が530kgなので、最高出力29psでも意外に楽しめた。マイティボーイはガラス面積も少なく、いわゆる上屋が軽く低重心化も可能というパッケージだった。そのせいか、それなりに楽しいクルマだったのだ。

粗めのエンジンフィールとか硬めのサスペンションとか、言いたいことはいろいろあったものの、シャレで作ったようなクルマに真面目に意見しても野暮というもの。なんて思ったりもした。私、間違っていたでしょうか。

文・小川フミオ
Posted at 2020/08/20 22:23:10 | コメント(0) | トラックバック(0) | 自動車業界あれこれ | 日記
2020年08月20日 イイね!

カテゴリーの細分化が進みそうだ〜

カテゴリーの細分化が進みそうだ〜WorldRX:電動部門に向けた新ステップアップ選手権『FIA eRX2 Championship』が始動

 2021年のWorldRX世界ラリークロス選手権のサポートカテゴリーとして、シリーズの“ステップアップラダー”を担う新たな電動選手権『FIA eRX2 Championship』が正式に発足。スペインのEV専門企業のQEVテクノロジーズ、ラリークロス界の名門コンストラクターであるオルスバーグMSE、そして現在はRX2シリーズの運営に携わるRXプロモーションが合弁会社を立ち上げ、シリーズ運営とプロモートをWorldRX同様のIMGが担当することが発表された。

 昨年10月に競争入札を終えて電動パワートレインのサプライヤーが決定していたこの新EVワンメイク・シリーズは、前身となるRXライツと同様に電動ラリークロスの最高峰となる『Projekt E(プロジェクトE)』へのステップアップや、文字どおりの世界最高峰クラスであるWorldRXスーパーカーのドライブを目指す、若いドライバーたちの育成カテゴリーとして創設される。

 この育成分野の電動化に向けパワートレインを供給するQEVテクノロジーズは、2014/15年シーズンに初のフォーミュラE選手権タイトルを獲得したネルソン・ピケJr.擁するNEXTEVチームの技術サポートを担当しており、直近では2021年開幕の電動オフロード選手権『Extreme E(エクストリームE)』への参戦を計画するなど、電動パワートレインの設計と製造、充電インフラストラクチャーの設置まで、電気自動車分野で成功した歴史を誇っている。

 このeRX2シリーズでは“アライブ&ドライブ”のコンセプトが採用され、250kW(335bhp)を発生するモーターと32kWhバッテリーを採用する共通パワートレインを、この9カ月で開発された専用スペースフレームシャシーに搭載する。

■最初のシーズンは欧州内で6戦を予定

 この専用フレームは、オルスバーグMSEが製作した既存のRX2シャシーをベースに、現状はプロトタイプとなるコンポジットシェルを架装。安全性が充分にテストされたバッテリーは、車体中央に座るドライバーの左右に振り分け搭載され、理想的な50:50の重量配分を確保している。

 前後アクスルに搭載されたモーター/インバーターで4輪を駆動し、最長25分間の全開走行が可能。週末のレースではセッション間に20分の充電が推奨される。最終仕様は2020年末に向けて正式発表される計画で、『FIA eRX2 Championship』最初のシーズンはヨーロッパ域内で6戦のイベントを計画。その暫定カレンダーもまもなくリリースされる予定だ。

 QEVテクノロジーズ社のCOOを務めるジョアン・オルスは「ラリークロスは電気自動車にとって理想的な分野である」との持論を改めて強調した。

「2019年10月に入札で供給権を獲得して以来、我々のチームは新しいeRX2マシンの開発に精力的に取り組んできた。最大トルクを迅速に供給可能なEVの特性により、現在の内燃機関RX2車両より速くなるだけでなく、限界域でのドライブがより難しくなるだろう。これはより高性能なマシンをドライブするステップアップ候補者には重要な要素になる」と続けるオルスCOO。

「eRX2マシンについて私がもっとも気に入っている点のひとつは、トルク配分からブレーキバイアスまで、ドライバーが違いを生むすべてのパラメータが緻密に調整可能な点だ。これはエンジン車のままでは難しい制御でもある」

「レース中に任意でパフォーマンスを調整でき、150km/h以上の速度でサイド・バイ・サイドのバトルを繰り広げながらドリフトコントロールをすることで、そのドライバーのスキルセットと技術的理解を真に実感し、把握することが可能となるだろう」
Posted at 2020/08/20 22:19:00 | コメント(0) | トラックバック(0) | 自動車業界あれこれ | 日記
2020年08月20日 イイね!

なんかボケェ〜っとみているとフォグカバーが初代レヴォーグ後期型のを天地逆さまに付けているように見えてしまった…

なんかボケェ〜っとみているとフォグカバーが初代レヴォーグ後期型のを天地逆さまに付けているように見えてしまった…【写真で解説】日本にないのがもったいない! スバルの3列シートSUV フォレスター「アセント」

当記事では、今をときめく新型車や、爆売れしているモデルを中心に画像を紹介!今回は日本でも人気を集めそうなパッケージングなのに、残念ながら日本では売っていないというスバル アセントです。「とりあえずサクッと写真をパラパラ見たい」という方は是非チェックしてみてくださいね。

スバルの3列シートSUV、スバル アセント

2017年秋の北米・LAモーターショーで初公開され、2018年夏から発売を開始したスバルの3列シートSUV「Ascent(アセント)」。インディアナ州にあるスバル工場、SIA(スバル オブ インディアナ オートモーティブ インク)で生産される北米専用モデルです。

フォレスターやインプレッサに採用される次世代プラットフォームSGP(スバルグローバルプラットフォーム)を基に誕生しています。

スバル アセント(北米仕様車) 主要スペック

■ボディサイズ:全長4998mm×全幅1930mm×全高1818mm/ホイールベース:2890mm/最低地上高:220mm/エンジン:FA24型 2.4L水平対向4気筒DOHC 直噴ターボ/排気量:2387cc/ボア・ストローク:94×86mm/最高出力:260hp / 5600rpm/最大トルク:277lb-ft / 2000-4800rpm/燃料タンク容量:73L/燃料種類:87AKI/トランスミッション:スポーツリニアトロニック[フル電子制御自動無段変速(CVT)]/駆動方式:シンメトリカルAWD(四輪駆動)/タイヤサイズ:245/60 R18、245/50 R20/乗車定員:7名 / 8名
Posted at 2020/08/20 22:16:16 | コメント(0) | トラックバック(0) | 富士重工 | 日記
2020年08月20日 イイね!

ある意味収録が少ないのかな?今の時期…クルマの中に乗ってしまえば一人だろうからね〜練習重ねて頂きたいです。

ある意味収録が少ないのかな?今の時期…クルマの中に乗ってしまえば一人だろうからね〜練習重ねて頂きたいです。大人気声優レーシングチーム「VART」 熱血ドライビング合宿 完全密着レポート

 人気声優で結成されたレーシングチーム・ヴォイスアクターズレーシングチーム、通称VART(ヴァート)の動向情報をキャッチ! クルマ雑誌で唯一取材を許可されてるのは「ベストカー」だけなのです! コロナウイルス対策も万全、超接近戦独占レポートをお届けいたします!

【三木眞一郎、浪川大輔ら参戦!!!】 声優業界初のレーシングチーム その名も「VART」始動!!

【独占! 真冬の初陣!!!】声優レーシングチーム「VART」本格始動!その舞台裏に密着!!!

【独占】声優レーシングチームVARTに2台目の「ハチロク」出現! そのウラ事情とは??

【画像ギャラリー】5人の“本気”をぜひ見てほしい!!! 「VART」集中合宿の様子をギャラリーでチェック!!!

※本稿は2020年7月のものです
文:プリウス武井/撮影:中島仁菜/協力:VART委員会/BLITZ
初出:『ベストカー』 2020年8月26日号

■2日間でトータル400ラップ以上を走破!!!

 VARTメンバーが集結したのは栃木県にある「ヒーローしのいサーキット」。ここで練習するのは3回目とあってメンバーもおなじみのコース。

 奇しくもチーム監督の三間雅文は「僕のヒーローアカデミア」というアニメ作品を手がけていて、VARTメンバーも主要なキャラクターの声を担当するなど“Hero”には何かと縁がある。

 超売れっ子のメンバーが全員揃うのは稀なことなのだが、実はこの日、ツインリンクもてぎで開催されるエンジョイ耐久レース(JOY耐)に出場するはずだった。

VARTメンバー。写真左下から時計回りでチーム監督 三間雅文、副主将 浪川大輔、石川界人、主将 三木眞一郎、畠中祐の5名。各人の詳細はギャラリーを参照のこと。今回はスペシャルなゲストも!

 残念ながらコロナウイルス拡大の影響でレースは中止となったが、「せっかくメンバー全員のスケジュールが取れているなら合宿しない?」という三間監督からの提案で、この2日間の熱血合宿が実現した。

 今回、レギュラーメンバーに加えスペシャルなゲスト・声優の関智一さんをお迎え。

今後VARTに加入するのか!? も気になる、声優の関智一さん

 数多くのアニメ作品や外国映画の吹き替えをした売れっ子で、頭文字DではVART主将の三木眞一郎が演じた藤原拓海の好敵手の一人・高橋啓介役を演じた。

 ちなみに関さん、頭文字Dではヒルクライムのスペシャリスト役だったけど、マニュアル運転はほぼ初めて。2日間でどこまで上達できるかが見もの。

 コロナウイルスの影響でメンバーも充分に練習ができていなかったので、2日間の合宿は願ってもないチャンス。全員が久しぶりの練習なので2日間、何も起きないことを祈るばかりだ。

 三間監督、三木さんは上級者レベルの別メニューをこなしてもらう。決められたエンジン回転数でいかに無駄なく速く走行できるかに重点を置いた練習だ。

マシン製作&メンテナンスはブリッツが担当。マシンがピットに戻ってくるとすばやくクルマに近寄り各部をチェック。ドライバーが安心してアクセルを踏めるのはこうしたプロの仕事のおかげだ

 耐久レースでは燃費走行しながらバラつきがないタイムで走れるテクニックが必須だから、今のところ(?)チームのエース候補2人には高いレベルの要求をクリアしてもらう必要がある。

 一方、20代コンビとほぼ初めてマニュアル車を運転する関さんは、サーキットではなくパドック内で基本的な練習メニュー。

合宿初日、20代コンビとほぼ初めてマニュアル車を運転する関さんはパドック内で基本的なメニューで練習。パイロンスラロームはステアリングとアクセルの連動トレーニングに最適

 その内容は、クルマ操作の基本姿勢から始まり、停止状態からアクセル全開でスタートしてからのフルブレーキングとクルマの挙動を感じてもらうためパイロンスラロームを重点的に練習。

 初日は真夏のような暑さでメンバー全員が汗だくになって与えられたメニューをクリアしていった。

■2日目のメインはチーム対抗の50分耐久レース!!! その結末は……!?

 2日目は生憎の雨。今日から参加する副主将の浪川大輔さんは業界でも有名な雨男。関係者一同「雨は想定内」と諦めムードで練習がスタート。

2日目から参加したトラック以来、久しぶりにマニュアル運転をする浪川さんは関さんと共にクルマの挙動を感じてもらうためパイロンスラロームをみっちりやってもらった

 路面が濡れているからこれ幸いとクルマを振り回してスピンする練習を体験してもらう。

 ここで才能を爆発させたのは畠中くん。プロでも定常円旋回するのは難しい状況にも関わらず、駒のようにグルグルと回り周囲を驚かせた。

 本人はどうやったかまったく記憶にないみたいなんだけど、天才的な才能を披露してくれた。

激しい雨の中、定常円旋回を見つめる後ろ姿は三木さん(左)と畠中くん(右)。ドライビングスキルを習得するため眼差しは真剣だ

 今日は一日中、雨かな……と思っていたら現場に晴れ男がいた。その人は関さん。浪川さんとは逆でイベントごとがあると必ず晴れを呼ぶそうだ。

 この二人の天気バトルのおかげか昼からは雨もやみ太陽まで顔を出した。関さんの晴れ男パワーに感謝だ。

 練習の総仕上げは、チーム対抗50分間の耐久レース。今回の合宿にはVART2号機も持ち込んでいたので、2チームに分かれ本番さながらの耐久レースを体験してもらった。

以前、本誌でも紹介したがVARTには2台の86が存在する。一号機はレース用で二号機は三間監督のクルマ。VARTメンバーがいつでも練習できるようにと自腹で投入してくれた

 まず全員で予選をしてもってチーム分け。もちろんマニュアル操作が初めての関さんにも加わってもらう。ただ関さんの才能が凄くて2日間の練習でスムーズにマニュアル操作ができるようになっていたのでこれまたビックリだ。

 一号機チームは三間さん、浪川さん、関さん。三木さん、石川さん、畠中さんは二号機チームとなった。

チーム対抗50分耐久レースの一号機チーム。スタートドライバーは関さん。浪川さん、三間さんは余裕の表情だが初のスターティンググリッドでコックピットの関さんは緊張MAXのご様子

 スタートドライバーは若葉マーク・畠中さんとマニュアル初心者の関さん。本格的なスタンディグスタート方式で、信号機が青に変わった瞬間、若葉マーク畠中さんはスムーズにスタート。

 かたや関さんはエンストすること数回。練習とはいえレース形式だったので、緊張でスムーズにスタートできなかったようだ。

 ちなみに関さんが乗った一号機はクラッチがレース仕様に変更されているから、停止状態からスタートさせるのはマニュアルに慣れていても難しい。

 一号機チームは終始先行されたままレースは残り30分。両チームともにエースの登場だ。

 事実上、周回遅れ目前だが、見た目は先行している形となった三間監督に対し、三木さんも2日間の練習で最も速いタイムで追い上げ、徐々に差を縮める。

スタートで出遅れた一号機チームは二号機チームに肉薄する場面はなかったが、中盤、三間監督と三木さんのエースの座をかけた気迫のバトルが勃発! 高温多湿のコックピットで必死に走る2人に“負け”の文字はない

 さらに三間監督もファステストラップで逃げるという一進一退の攻防。残り10分を切った頃には三木さんがテールtoノーズまで追いついてきた。

 最高潮の見せ場は最終ヘアピンで三木さんがオーバーテイクを仕かけた瞬間。レースを見守っていたギャラリーも超大盛り上がった。しかし、かなり気温も高くなっていたので、二人の体のことを気遣い、ピットインさせることに。

 最終的には二号機チームが勝利して50分のレースはチェッカーを迎えた。

 熱血合宿はこうして幕を閉じたが、参加したメンバーは各々、得るものもあったようで充実した練習ができたようだ。

 次回は8・1、福島県のエビスサーキットで開催される12時間耐久レース。

 初めて走るコースでぶっつけ本番になりそうだけど、このレースは練習のために出場するので結果は二の次。12時間の練習をするつもりでメンバーのスキルアップを図るのが目的だ。

 VARTメンバーが汗まみれになって必死に頑張っている姿はとってもカッコいいので、ぜひとも間近で応援してもらいたい。

公式ホームページ、ツイッターも絶賛開設中!!! ぜひ応援してください!!!
Posted at 2020/08/20 22:13:01 | コメント(0) | トラックバック(0) | 自動車業界あれこれ | 日記

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「そろそろ再開するかな〜どうしたもんかな? http://cvw.jp/b/238718/48710709/
何シテル?   10/14 00:03
初めまして。 インプレッサG4に代替を致しました~ 自分色に染めて行こうと思います 燃費を気にする割にアクセル踏んじゃうんですよ~ バトンに関し...

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