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2020年08月20日 イイね!

今のスバルにアルシオーネの後継を出すって事は無いんだろうな〜

今のスバルにアルシオーネの後継を出すって事は無いんだろうな〜「アルシオーネVRターボを2台所有する変態オーナーの愛機」1.8L+3速ATにゾッコン!【ManiaxCars】

80年代のゲーム画面みたいなデジタルメーターが斬新すぎる!

1.8Lターボと3速ATの組み合わせが非常に良い!

AA型レオーネベースの2ドアスペシャリティクーペとして誕生したAX型アルシオーネ。1985年6月に発売され、当初1.8Lフラット4SOHCターボのEA82型エンジンを載せる4WDモデルVRターボ(AX7)と、FFモデルVSターボ(AX4)の2グレードで展開した。

いずれもミッションは5速MTと3速ATが用意され、4WDはパートタイム式。3速AT仕様のトランスファーには油圧多板クラッチ式(MP-T)が採用され、FF/4WDの容易な切り替えや4WD走行時のタイトコーナーブレーキング現象の緩和を実現していた。

1987年7月、新開発となる2.7Lフラット6SOHC搭載の2.7VXが追加され、VRターボはVRに、VSターボはVSにグレード名を変更。ATの4速化も図られ、トランスファーが油圧多板クラッチ式からアクティブトルクスプリット式(ACT-4)に進化した。

そんなアルシオーネでまず注目したいのは外装デザイン。エアロダイナミクスに拘り、当時世界最高レベルのCd値0.29(VSターボ)を実現した直線基調のスタイリングは、今見ても斬新だ。

取材車両は前期型VRターボで、心臓部に搭載するのは、ボア径92.0φに対して、ストローク量67.0mmと極端なショートストローク型となるEA82型。その特性は意外にも低中速型で、最大トルク20.0kgmを2800rpmで発生する。また、油圧ラッシュアジャスターを採用するなど、メンテナンスフリー化も図られている。

L字型2本スポークのステアリングホイールや、ステアリングコラム一体型のサテライトスイッチが独特なインパネ周り。サテライトスイッチはステアリングチルト&テレスコに、メーターパネルはチルトに連動して移動する。中央のエアコン吹き出し口の下には、走行時の時間と距離に関する6項目の情報を切り替え表示するトリップコンピュータを装備。

VRターボのAT車のみにオプション設定されていたエレクトロニック・インストルメントパネル。上段右にスピード、左にエンジン回転数がデジタル表示される。下段のバーグラフは右がブースト圧、左がエンジン回転数で、奥から手前に向かって伸びてくるのが違和感ありまくり。真ん中のイラストは車高や4WDモードを表す。

サイドブレーキ脇のスライドレバーはエアコンの温度調整&風量切り替え用だ。

その後方には、エアコンのメインスイッチや外気導入/内気循環切り替えスイッチなどが並ぶ。また“4WD AUTO”スイッチを入れておくと、FF走行時でも急加速&減速時、降雨時(ワイパースイッチオン状態)に自動的に4WDに切り替わる。

前席はスポーティタイプのセミバケットシートを装備。表皮には最高級モケットが使われ、運転席にはランバーサポートとシートリフター機能も備わる。

後席は2人がけ(乗車定員4名)で大人が乗るにはちょっと窮屈な感じ。背もたれを前に倒すとトランクスルーになる。

足回りは、エレクトロ・ニューマチック・サスペンション(EP-S)が採用され、前ストラット式、後セミトレ式サスペンションと合わせて常にフラットな姿勢と乗り心地をキープしてくれる。ノーマルの最低地上高は165mmだが、スイッチ操作で30mm上げることも可能。しかも、80km/h以上で自動的にノーマル車高に戻り、50km/h以下になると再び車高が上がるという制御も行われる。

スタイリングも装備も先進的かつ変態なアルシオーネVRターボ。しかし、本当に変態なのはオーナーで、実はもう1台VRターボの3速AT車を所有してるのだ。筋金入りの“アルシオネリスト(?)”である。

■SPECIFICATIONS

車両型式:AX7
全長×全幅×全高:4450×1690×1335mm
ホイールベース:2465mm トレッド:FR1425mm
車両重量:1140kg
エンジン型式:EA82
エンジン形式:フラット4SOHC+ターボ
ボア×ストローク:φ92.0×67.0mm
排気量:1781cc 圧縮比:7.7:1
最高出力:135ps/5600rpm

最大トルク:20.0kgm/2800rpm
トランスミッション:3速AT
サスペンション形式(F/R):ストラット/セミトレーリングアーム
ブレーキ(F/R):ベンチレーテッドディスク/ディスク
タイヤサイズ:FR185/70R13

TEXT&PHOTO:廣嶋健太郎(Kentaro HIROSHIMA)


6年でわずか6000台! 「売れなかった」悲運の名車「アルシオーネSVX」の高すぎる完成度

スバルのアルシオーネは幻のフラッグシップか

 スバル(旧・富士重工)が、プレミアムクラスのラグジャリークーペをラインアップしていたことをご存じだろうか。1991年から1997年までの6年間販売された、3318ccの水平対向6気筒エンジンを積むアルシオーネSVXである。もちろんスバルならではのAWD、スタイリングもまたスペシャルなウインドウに取り囲まれ優麗なものだった。恐らく 二度とは現れないであろう歴史的なクルマを振り返ってみたい。

ブランド一新にすべてが注がれたクーペ

 アルシオーネSVXは、その車名からも分かるように、1985年に発売されたスバル初のスペシャリティクーペ、アルシオーネ(AX7/AX9、AX4)の後継モデルで、当時の新世代スバルの技術を結集して作られ1991年に放たれた車両だった。

 ちなみに初代のアルシオーネは、基本的には3代目のレオーネ(AA/AL/AG型)をベースにしたモデルで、レオーネのアンダーフロアに2ドアクーペボディを架装する手法で作られていたが、当時のスバルは技術革新が遅いと評価され、その分だけ、車両デザインも含め、シャシー性能、エンジン性能とも当時の水準に達していたとは言い難いモデルだった、という酷評もある。

 しかし1980年代後半のレオーネに見られるように、実直だがハードウェア、ソフトウェアともに時代に遅れをとっていたとも評されるスバルは大きく変貌する。それは1989年に初代レガシィ(BC/BF系)を登場させたときだった。動力性能、運動性能、ハンドリング性能などを根本から見直し、エンジン、シャシーの全面刷新が行われたのだ。

 当然ながら、この時代の車両だったアルシオーネも全面的に見直され、車名にSVXを加え、アルシオーネSVX(CXD系)として1991年に登場する運びとなってゆく。

 折しも、時代はバブル経済の真っ盛り。世の中にはより上級なものを目指す志向が蔓延し、アルシオーネSVXにも最新、最良のメカニズムが盛り込まれた。これはどのメーカーの車両にも共通して言えることだが、バブル期に商品企画が行われた車両は、量産車とは言いながらも非常に高級、上級な内容で作られる例がほとんどで、アルシオーネSVXもそうした車両の1台だった。

内外ともに斬新な熟成ユニットの集大成

 すべてが見直されたモデルでは、まず、そのボディフォルムの流麗な変化が目についた。3次元ガラスを多用し、ピラーを内側に収める処理によって、グラスエリアの広さを特徴とするボディデザインが新鮮だった。ジョルジェット・ジウジアーロ(イタル・デザイン)のデザインで、曲面を多用した流麗なフォルムはいすゞ・ピアッツァでも実証済みのものだった。

 エンジンは新開発の水平対向6気筒EG33型を搭載。初代アルシオーネも2.7L(ER27型)の水平対向6気筒を採用したが、こちらは1.8LのEA82型を6気筒化したもので、EA82型自体がOHVベースの古い設計だったため、ER27型も排気量に見合う性能とは言い難いものだった。

 しかし、EG33型は新世代4バルブDOHCのEJ型と同一思想による設計のエンジンで、その滑らかな回り方、出力/トルク値(240 ps/31.5kg-m)は、上質なスペシャリティクーペにふさわしいものだった。

 トランスミッションは4速ATのみ設定だったが、構造的な特徴を生かし4WD車ではVTD(可変トルク配分)方式を採用。通常、前後35対65で配分される駆動力を、VTDでは走行状態に応じて自動的(電子制御)に配分比を変化させるスバル独自の4WD制御方式である。

 サスペンションも前後ストラット(前マクファーソン式/後デュアルリンク式)とレオーネ時代から改められていたが、スバルの美点は、こうしたメカニズムの基本形式にあるのではなく、走り込みの結果、納得がいくまで熟成された仕上げのよさに尽きた。このことはスバルの転換点となったレガシィ、そして1991年発表のインプレッサにも共通することで、アルシオーネSVXもこうした熟成度の高い仕上がりの良さが身上となるモデルとして作られていた。

 アルシオーネSVXは、6年間の販売期間を通じて累計6000台弱が市販されたが、販売成績という意味では不発に近かった。ひとつには、スバルのブランド力が高級車市場で弱かったこと。また、実際に乗ってみなければ車両の出来のよさが理解できない、という点も商品力に対してマイナスに働いた。

 モデル末期には、廉価版の特別仕様車もいくつか登場したが、それでも販売成績の手助けにはならなかった。しかし、興味深いのは、実際に販売を中止したら人気となり、中古車市場で高値を呼ぶ不思議な現象が起きていたことだ。

 自動車としての出来は、文句なく第一級の仕上がりだったが、車両そのものの良し悪しではなく、その他の要素によって販売が左右される悲運の名車だった。
Posted at 2020/08/20 23:10:47 | コメント(0) | トラックバック(0) | 富士重工 | 日記
2020年08月20日 イイね!

新型レヴォーグ見に行きたい気もするけどその前にS209見に行くべきかな〜

新型レヴォーグ見に行きたい気もするけどその前にS209見に行くべきかな〜STIの幻のコンプリートカー「S209」が東京三鷹で展示中。間近に見る最初で最後のチャンス

三鷹のSTIギャラリーに幻のコンプリートカー「S209」が展示中

スバルのモータースポーツ統括会社であり、カスタマイズパーツやコンプリートカーも展開しているSTI(スバルテクニカインターナショナル)をご存知でしょうか。STI Sportなどグレード名にも使われているので、チェリーピンクのロゴを目にしたことがあるクルマ好きは少なくないはず。

STIの本拠は東京・三鷹にあるのですが、そこにはSTIギャラリーと呼ばれる、小さなしかし中身の濃い展示スペースがあり、2020年7月からは企画展「TRY & ERROR 創造の軌跡」を開催中。その目玉は、2019年に北米市場で209台限定販売されたコンプリートカー「S209」です。

2.5Lターボエンジンを積む北米仕様の「WRX STI」をベースに、むき出しエアクリーナーと専用エアクリーナーボックス、HKSと共同開発した大型ターボチャージャーなどによりエンジンの最高出力は341hp(英馬力)まで向上。これはSI単位にすると254kWに相当しますが、STIコンプリートカーとしては史上最強パワーであり、究極のWRX STIという印象を受けます。

フットワーク系では、ビルシュタインをベースにした専用サスペンションを装着するほか265/35R19サイズのハイグリップタイヤを履き、ホイールはBBS製。ボディはSTIの十八番であるフレキシブルタワーバーやドロースティフナーによる体幹チューニングを受けているという仕様です。

エクステリアでは、ワイドなタイヤを収めるためのオーバーフェンダーや、ダウンフォースを生み出すフロントアンダースポイラー、フロントバンパーサイドカナード、そしてカーボン製のリアウイングといったところが特徴。重心高を下げるためカーボンルーフになっているのもコンプリートカーならではの装備といえます。

専用アイテムの単品展示や本物の図面も展示

これだけ全身くまなく手を入れているのですから、たしかに「TRY & ERROR 創造の軌跡」という企画展のタイトルも納得ですが、苦労があったのはこのS209がWRX STIのバリエーションという扱いではなく、STIというマニュファクチャ(製造者)が北米で販売する初めてのモデルだったことにあります。スバルではなく、STIというメーカーの生み出した初めてのハイパフォーマンスモデル、それが「S209」というわけです。

すでに北米市場では完売しているモデルですから、日本で見かける機会はまずないといえる貴重なS209ですが、今回の企画展では実際に手に触れて、その凄味を体感できる最初で最後のチャンスかもしれません。

オーバーフェンダーやエアクリーナー、ターボチャージャー、サスペンション、フレキシブルタワーバーといった専用アイテムは単品で展示され、ディテールまでじっくりと見ることが可能。本物の図面なども確認できます。出血大サービスといえるほどの公開ぶりには驚かされるばかり。

STIギャラリーの営業日は土日のみで、営業時間は10時~17時。夏季休館期間は~2020年8月16日となっています。

■STI Gallery
住所:東京都三鷹市大沢3-9-6
ホームページ:https://www.sti.jp/gallery/

文:山本晋也(自動車コミュニケータ・コラムニスト)

<写真解説>
※画像1枚目:北米市場に投入されたSTI「S209」は、SUBARU名義ではなくSTIがマニュファクチャラー(製造者)となった。専用開発されたアウトレット付のフロントワイドフェンダーはド迫力。

※画像2枚目:企画展のテーマ「TRY & ERROR 創造の軌跡」に合わせて、S209の開発で使用したスクラップパーツなどを再現して展示している。

※画像3、4枚目:「S209」のエンジンは2.5LのEJ25ターボでSTIによりパワーアップ。341hp(約254kW)というSTIコンプリートとして史上最強のパワートレインを与えられた。

※画像5枚目:リアシートを格納すると、ボディのしなりをコントロールして、ハンドリングのリニアリティを高めるというSTI独自にアイテム「ドロースティフナー」が確認できた。

※画像6枚目:カーボン製リアウイング、アウトレット付リアバンパー、低背圧スポーツマフラーなど後ろ姿からもS209の特別感は伝わってくる。幅広タイヤに合わせたオーバーフェンダーも迫力だ。


北米専用車のS209に日本で全開試乗! 新井敏弘×石田貴臣【動画】

 曲がるし安定感もあるし乗り心地もいい!?

 STIの限定車であるSシリーズ。そのもっとも新しいモデルはS209ですが、じつはこれ、北米の専売車で日本では買えません。日本のファンを悲しみのどん底に追い込んだこのモデルに、なんと日本で試乗することができました! 世界のトシアライことトップラリードライバーの新井敏弘さんとWEB CARTOP編集長の石田貴臣が、衝撃の走りを動画でお届けします!





【スバルSTI、なぜ今アメリカ重視?】S209は北米専用 商品価値観の違いが背景 日本への影響は?

北米専用「S209」を直接感じながら

text:Kenji Momota(桃田健史)

なぜ、日本では発売しないのか?

STIファンが注目する、最新コンプリートカー「S209」は北米専用モデルである。

東京都三鷹市のSTI(スバルテクニカインターナショナル)本社に隣接する、STIギャラリーでは今年(2020年)7月から、S209開発の舞台裏に関する企画展示がおこなわれている。

筆者が取材で現地を訪れた際、STIの平岡泰雄社長からS209の特長を詳しく聞いた。

その中で、平岡社長が強調したのが、フレキシブルドロースティフナーだ。

車体の前後に装着されているが、リアシートの後方位置にある状態を指さしながら「これがあるのとないのでは、明らかにクルマの挙動が変わる」と平岡社長は自信満々の表情をみせた。

フレキシブルドロースティフナー単体での展示もあった。これはSTIの走りのチューニングの統括者であり、ニュルブルクリンク24時間レース参加チームの総監督でもある辰巳英治が自ら溶接をして作り上げた試作品だ。

その他、S209にはSTIがこれまで築き上げてきたスバル車に対するノウハウが詰め込まれている。

となれば、日本のユーザーもS209が欲しくなるかもしれない。

だが、エンジンは米国使用WRX STI専用のEJ25をベースとするなど、あくまでもアメリカ向けとして開発された。

なぜ、STIはこのタイミングでアメリカ市場にこだわるのか?

ブランドイメージを築くため

アメリカでは、STIのブランド力がまだ弱いから。

それが、STIがアメリカ市場強化に動く理由である。

平岡社長の言葉を借りるならば「STIは(モデル)グレードとしての認知に留まっている」のだ。

日本でも、モデルのグレードとして、STIスポーツは人気が高い。なかでもレヴォーグは新車販売の約3割にまで及ぶ。

そうなっているのは、STIというブランド自体の認知度が高いからこそ、またSシリーズというコンプリートカーの存在感が大きいからこそ、実現できているのだ。

一方のアメリカでは、いわゆるエンスージァスト(熱狂的ファン)のみがSTIを理解している状況だ。

日本のスバルファンのように、STIがどのようなバックグランドがあるのかを、ネットの情報等を通じて知っている。

だが、一般のクルマユーザー、またはスバルのユーザーにとって、STIをよく知らない人が多く、仮に知っていても、前述にようにグレード名称という認識しかないのが現実だ。

原因は、STIが現在進めているブランド戦略が、日本国内スーパーGTや、アメリカ人にとって馴染みの薄い独ニュルブルクリンク24時レースに起因しているためかもしれない。

もちろん、北米でもこれまで、STIの名前を掲げたモータースポーツ活動はおこなってきたが、三鷹のSTI本社の直接的なオペレーションでない場合が多い。

きっかけは「ワイルドスピード」?

STIとアメリカとの関係を、もう少し詳しく知るために、時計の針を少し戻してみよう。

アメリカ人の中でSTIが話題に上ることが増えたのは、90年代末だ。

米西海岸を震源として、日系チューニングカーブームが始まったのだ。その模様をドキュメンタリー的なタッチで描いたのが、映画「The Fast and the Furious(邦題:ワイルドスピード)」である。

当時、筆者はロサンゼルス近郊に居住し、スバル「WRX」を所有していた。また、仕事の関係でスバルの北米事業会社であるSOA(スバル・オブ・アメリカ)の幹部らとの接点もあった。

SOAは「WRX STI」の北米導入を検討していた。ライバルである三菱「ランサー・エボリューション」がひと足早く、アメリカでの販売を始めたからだ。

だが、WRX STIがアメリカで売れるのかについて、SOAは半信半疑だった。

なぜならば、日系チューニングカーや、日系ハイパフォーマンスカーに興味があるアメリカ人の多くは、STIの存在をソニープレイステーションのグランツーリスモを通じてしか知らなかったからだ。

アメリカでラリーはマイナー競技であり、STIの本質がユーザーに伝わりにくい環境にあった。

さらに、当時のスバルは弱小日系メーカーであり、スバルブランド自体の認知度も低かった……。

販売数が急増も STIまだ浸透せず

その後、2000年代半ばには、アメリカでの日系チューニングカーブームは冷めきってしまい、STIファンも一定数で留まっていた印象がある。

ところが、2000年代後半から2010年代にかけて、スバル全体の販売が急激に伸びていく。

北米市場を強く意識した商品作りと、「ラブキャンペーン」と名付けたマーケティング戦略が奏功した。

それまで、降雪地帯の生活四駆車としてのイメージが主流で、そこにハイパフォーマンス系のイメージが少し加わった程度だったスバルが、トヨタ、ホンダ、日産に次ぐ、第4のメジャー日系ブランドへと成長していったのだ。

そうした中で、STIについても北米仕様などを盛り込んできたのだが、前述のように2020年時点では、ユーザーからはモデルグレードという認識が強い。

そこで、スバル本社の戦略として、スバル車の販売台数が世界で最も多い北米市場において、スバルブランド全体をけん引するシンボルとして、北米専用S209を位置付ける。

その上で、北米でSTIブランドを確立することを狙う。

こうした海外戦略で得られた成果は当然、日本市場にもフィードバックされる。

「WRX STIF J20ファイナルエディション」のさらに先へと、STIを導くことになるだろう。
Posted at 2020/08/20 22:49:25 | コメント(0) | トラックバック(0) | 富士重工 | 日記
2020年08月20日 イイね!

世間的には名車とは言い難いのかな…でもBMWとしてもM社としても大事な1台なのですよ…

世間的には名車とは言い難いのかな…でもBMWとしてもM社としても大事な1台なのですよ…【9770万円!】BMW M1プロカー 海外オークションで落札 アル・アンサーJr.が駆ったマシン

BMW初のスーパーカー、M1

text:Kazuhide Ueno(上野和秀)

photo:photo:Tim Scott/RM Sotheby’s

1970年代に入って、BMWは2002でツーリングカー・レースにおいて成功を収め、その後3.0CSLにスイッチし確固たる地位を築く。

こうしたBMWモータースポーツの集大成として企画されたのがBMW M1だった。

BMWが初めて手掛けるミドシップ・スーパースポーツとあって、開発はランボルギーニに託され、数多くのスーパーカーを手掛けてきたジャン・パオロ・ダラーラが担当した。

しかし計画通りに進行しないことから1978年にランボルギーニとの契約は解消。

1930年代からBMWが提携していたシュツットガルトのコーチビルダーのバウアー社に製作が依頼され、ようやく発売にこぎつける。

プロカー・シリーズとは

生産工程が複雑で思うように生産できないM1は、レース参戦に必要な公認生産台数(グループ4の400台)をクリアできないでいた。

そこで企画されたのがF1グランプリの前座レースでF1ドライバーを始めとするプロドライバーがイコール・コンディションのBMW M1で競う「プロカー・シリーズ」である。

「プロカー・シリーズ」は1979年5月のベルギーGPから9月のイタリアGPまでのヨーロッパ・ラウンドの8戦で行われた。

参加したのは、当時ブラバムに乗るニキ・ラウダ、ネルソン・ピケを始め、クレイ・レガツォーニ、マリオ・アンドレッティ、アラン・ジョーンズ、エリオ・ディ・アンジェリスなどの錚々たるF1パイロットたち。

使用されるM1プロカーはグループ4規定に合わせてモディファイし、ミドに搭載されるM88/1型ストレート6は、3453ccから470hp/9000rpmを発揮。これにZF製5速ギアボックスが組み合わせられた。

ボディ回りでは大型のフロント・スポイラーに変更され、ホイールがワイド化されたことに対応してオーバーフェンダーが前後輪に備わり、リアデッキにはウイングが取り付けられた。

もちろん安全対策も行われ、キャビン内にはロールケージが張り巡らされ、バケットシートと4点式ハーネスが組み込まれていた。

IMSA GTOを闘ったM1プロカー

RMサザビーズの頂点に位置するのが8月のモントレー・オークションだが、今年は新型コロナウイルス感染症が収束しないことから、「シフト/モントレー」と題してオンラインで行われた。

ここに姿を見せたのが1980年に製作されたM1プロカー、シャシーナンバーWBS59910004301195である。

このM1プロカーはアメリカのプライベート・レーサーのジョー・クレヴィエがオーダーしたマシンで、56台が作られたプロカーの36台目となる。1981年4月からIMSAシリーズのGTOクラスに挑んだ。

注目したいのは、ジョー・クレヴィエが選んだパートナーだ。

インディ500マイルで2度の勝利を挙げるとともに、CARTシリーズで2回のチャンピオンを勝ち取り、1984年のカンナム・シリーズで王者となるアル・アンサーJr.(ジュニア)と組んで闘ったのである。

デビュー戦となったリバーサイドでのトヨタGPはクラス3位に終わるが、続くラグナセカ100マイルではクラス2位を勝ち取る。

1981年は11戦に参戦し、5回の表彰台を得た。

1982年シーズンは3回の表彰台を記録したが、この年をもってM1プロカーでのレース活動を終了し売却される。

その後何人かのオーナーを経て、2009年にスイスのエンスージアストが入手。彼はル・マン・クラシック、スパ・クラシック、モンツァ・クラシックなどのヒストリックカー・レースへ積極的に参加していたので、目にされた方も多いことだろう。

最低落札額なしでモントレーに

シフト/モントレー・オークションに姿を現したBMW M1プロカーは、メカニカル的にもボディ・コンディション的にも素晴らしく、すぐさまレースやコンクール・デレガンスに参加できる状態を保っていた。

主催者が発表した予想落札額は、60~80万ドル(6420~8560万円)。なおかつ最低落札額なしという破格の提示だった。

コロナ以前であればロード・バージョンで5000万円以上していたことを考えれば、なかなか出てこないプロカー仕様だけに1億円台半ばを記録していたはずだ。

オンライン・オークションの常でスタート当初は低調だったが、締切1日前で65万ドルまで上昇し、最後の競り合いを経て91.3万ドル(9770万円)で決着。

本オークションでの入札数はほとんどが10数件だったが、このM1プロカーは33件もの入札を記録したことからも注目の高さが分かろう。

今年のモントレーで高額車は今ひとつだったが、そのなかにあってM1プロカーは健闘したといえる。

プロカー・シリーズに参戦していない個体ながら、アル・アンサーJr.というレジェンドが乗ったヒストリーの良さが評価された結果といえよう。


【試乗】BMW M1は40年を超えてなお現代に通用するスーパーカーのカリスマだ

レーシングスペックが奢られたメカニズム、500台に満たない生産台数など、希少モデルとしての価値は、数多の名車たちを凌ぐと言っていい。そしてなによりも、BMWスーパースポーツ「M」の哲学の源が、そこにある。Motor Magazine誌の連載企画「スーパーカーFile」から「BMW M1」を紹介しよう。(Motor Magazine 2020年9月号より)

80年代当時のレーシングカーそのもののメカニズム
現在のBMW M社、BMW AG の100 % 子会社として1972年に設立された「BMWモータースポーツ社」によって最初にプロデュースされたクルマがM1。初めてのMモデルである。

そもそもはグループ4、あるいはシルエットフォーミュラと呼ばれたグループ5のレース車両にするべく計画された。サーキット用のマシンを一般公道でも乗れるものに設えたのだ。エクステリアは、当時新進気鋭のジウジアーロが率いるイタルデザインに依頼。エンブレムを後ろに2個付けるという、奇抜なアイデアも盛り込まれた。

直列6気筒を、リアアクスルの前に縦置きするというMR方式の少量生産のスポーツカーの製造は難しい。そのため、BMWは後に多くのレーシングマシン、フォーミュラカーを製造することになるダラーラに委託。当時のフォーミュラカーなどと同じ手法で、鋼管スペースフレームを採用した。

角形の鋼管で骨格を作り、そこで走りによって起こる応力をすべて受け止めるというものだ。そのため、アウターパネルは軽量なFRPで作ることができた。もちろんエアロダイナミクスにも配慮、アンダーボディには平らなパネルが貼られ、空気抵抗を減らすだけでなくダウンフォースも確保できるようになっている。

サスペンションは前後ダブルウイッシュボーンで、フレームの最適な位置に接続。ウイッシュボーンのA型アームの底辺のスパンが長く、コーナリング時に強い力を受けてもアライメントの変化が起こりにくい設計が特徴だ。

エンジンはM88型3.5L直列6気筒で、DOHCに6連スロットル、機械式インジェクターが組み合わされる。そのメカニズムはまさに、当時のレーシングマシンそのもので、最高出力は277ps/6500rpmを発生した。

生産台数わずか477台。希少車としても価値あり
本格的な製造が始まるとシャシはドイツ国内のバウア社に委託された。その後イタルデザインでFRPボディの組み立てとペイントが施され、最後はミュンヘンで走行系のパーツがアッセンブリーされる。ドイツとイタリアを行ったり来たりの製造では効率は良くない。そのため連続する24カ月間に400台生産するというグループ4の規則を満たすことは、かなり難しかった。

実際に1976年から開発がスタートし、77年に試作車が走り出し、78年のパリサロンでお披露目するところまでは早かった。しかし400台目のラインオフは80年になった。81年に生産が終了するまでの台数はわずか477台(※編集部注:諸説あり)でしかない。それが希少車として、M1の価値を上げている。中古の事故車なのに7000万円という価格を見たこともある。もちろん売値と買値の違いがあるし、相場なので一概には決め付けられないが、投機の対にもなり得るモデルなのだ。

さらに希少なのは「M1プロカー」という追加仕様である。79年から80年にかけてF1の前座レースとして「プロカーレース」というワンメイクレースが行われたが、そこに出場するために造られた。太いタイヤを履くために前後に大きなオーバーフェンダーを備え、ロールケージが入り、エンジンもパワーアップされた。当時、F1レースで走っていたトップドライバーも参戦したため、注目を集めた。

今回のモデルは市販タイプだが、乗り込んでみればヒップポイントとアイポイントの低さに、しっかりレーシングカーの匂いを感じる。なにしろ全高は1140 mmしかないのだ。ミッドシップに直列6気筒エンジンを縦置きで搭載しているので、ドライバーの位置はフロントアクスルに寄っている。

コクピット内にホイールハウスが大きく張り出して来ているため、それを実感できる。両足は、ホイールハウスの右側に押し込むようにしてペダルを踏み込む感覚。それでもペダルスペースの一番左にはフットレストがあるので、コーナリングでも踏ん張りが効く。

ギアは5速(もちろんMT)だが、1速が左手前のレーシングパターンだ。ニュートラルで軽くレバーが動く範囲からさらに左に強く引き(左ハンドルだから)、後方に動かすことにより1速に入る。リバースは1速の位置より左に引いてから前方に押し出す。

クラッチペダルを踏み込み、キーをひねってセルモーターを回すと、掛かるか掛からないか心配する前にエンジンが目覚めた。かなり調子の良いエンジンだ。40年前のクルマとは思えないほど、アイドリングも安定している。

ギアを1速に入れてクラッチをミートさせる。多板クラッチは唐突に繋がって発進がなかなか難しいはずだが、M1の場合はなかなか扱いやすい。アクセルペダルを踏み込まなくても、クラッチペダルを戻してきて半クラッチにできればスルスルと動き始める。さすがに3.5Lのトルクは、低回転域でもゆとりがある。

BMW NAエンジンの原点。パワーの盛り上がりが快感!
走り始めれば、シフトするのが実に楽しい。ゲートがはっきりしている上に、シフトリンケージの剛性が非常に高いからだ。エンジンは、さすが直列6気筒。回転が上がるほどに芯が出て微振動もなくなっていく感触と、回転上昇に合わせてパワーが盛り上がる感じが気持ち良い。エキゾーストノートも楽しめる。久しぶりに乗ったNAのBMWエンジンは、原点の良さが感じられた。

アイドリング時にはそれなりの振動がシートに伝わってくるが、エンジンマウントが薄いか、リジットに近いためだろう。これもレーシングカーっぽいところだ。ブレーキはペダル剛性は高いが、踏力は現代の乗用車と比べると重い。それでも踏み込んだ分だけ効いてくれるし、コントロール性もあるのでなかなか良い。

ハンドルは重い。とくにパーキングスピードでの重さはフロントにエンジンが載っていて、パワーアシストがないモデルのようだった。ただ、走り始めれば剛性感もしっかりしているし、ニュートラルに小さな遊び感はあるものの、基本的には操舵角に従ってヨーが出てくれるので扱いやすかった。

サーキットを走るとやはりMRらしく、重心位置が後ろ寄りという基本ポテンシャルが感じられる。それでも前が軽くてフラフラする感じにはならず、落ち着きがあるので気持ちがいい。

ガソリンタンクはふたつ。給油口も左右にある。左右のタンクは連結していないので、同量のガソリンを入れなくてはならない。合計でなんと116L入るらしい。M1は20世紀の傑作の1台だが、21世紀の今でも、満タン分を使い切るくらいじっくり乗ってみたい、と思わせるクルマだ。(文:こもだきよし)

■BMW M1(1981年型)主要諸元
●全長×全幅×全高=4360×1824×1140mm
●ホイールベース=2560mm
●車両重量=1300kg
●エンジン= 直6DOHC
●総排気量=3453cc
●最高出力=277ps/6500rpm
●最大トルク=330Nm/5000rpm
●駆動方式=MR
●トランスミッション=5速MT
Posted at 2020/08/20 22:40:45 | コメント(0) | トラックバック(0) | BMW | 日記
2020年08月20日 イイね!

排ガス規制で牙を抜かれたあとですもんね

排ガス規制で牙を抜かれたあとですもんねジャパン、鉄仮面、セブンス、不遇な時代を生き抜いたスカイライン【MOTA写真館】

日産 スカイラインは、日産の中でも長い歴史を持つ車種。また、日本国内にとどまらず、世界中にもファンがいる日本を代表するスポーツカーでもある。そんなスカイラインにも、排気ガス規制や流行などといった時代の波に翻弄され、今思えば不遇と言わざるを得ない時期があった。そこで今回は、根強いファンがいるものの、苦しみながら生き抜いた5代目から7代目のスカイラインをご紹介しよう。

「日本の風土が生んだ名車=SKYLINE JAPAN」不毛な時代を生き抜いた日産 5代目スカイライン

歌謡曲に乗せて日本のワインディングロードを颯爽と駆け抜けるスカイライン。日産自らが「日本の風土が生んだ名車」と名乗り、若かりし頃のデートを思い出させてくれるCMが特徴。CM最後の「SKYLINE JAPAN」表記から「ジャパン」の愛称で親しまれている。

初期のモデルは、昭和53年の排気ガス規制により、高出力のエンジンを搭載できなかった5代目スカイライン。1979年、トヨタ セリカから「名ばかりのGT達は、道を開ける。」のキャッチコピーで挑発を受ける。1980年ターボエンジン搭載モデルを追加、145馬力を発生させるエンジンを搭載し、トヨタからの挑発に対抗した。

スペック

■全長×全幅×全高:4,600×1,625×1,390mm(スカイライン 2000GT-E・L)

■エンジン

・水冷直列6気筒2000cc

・水冷直列4気筒1800cc

■ボディ

・2ドアハードトップ

・4ドアセダン

・3ドア/5ドアワゴンおよびバン

■駆動方式:FR

■トランスミッション:3速AT/4速MT/5速MT

「New愛のスカイライン/史上最強のスカイライン」高性能を追求した日産 6代目スカイライン

1981年、R30型 日産 スカイライン発売。キャッチコピーは「New愛のスカイライン」。デビュー同年、ファン待望のDOHCエンジンが復活した。「4バルブなくしてDOHCは語れない」のキャッチコピーとともに、150馬力を発生させる直列4気筒4バルブDOHC FJ20E型エンジン搭載の「2000RS」を追加。

1984年「クールに乗れ」のキャッチコピーで、インタークーラー搭載モデル「2000ターボインタークーラーRS/RS-X」を追加し、最高出力は205psとなり、国産車で初めて“リッター100馬力”も壁を突破。通称「ターボC」と呼ばれ、現在でも多くの根強いファンが存在している。

スペック

■全長×全幅×全高:4,595×1,665×1,360mm

■エンジン

・FJ20E 直列4気筒 2000cc DOHC(2000RS)

・FJ20ET 直列4気筒 2000cc DOHCターボ(2000ターボRS)

■トランスミッション:3速AT/4速AT/5速MT/4速MT

日産“7th”スカイライン(R31)はハイソカー? それともスポーツカー!?

通算7代目 R31 日産 スカイラインは、1985年に登場し1990年まで販売された。バリエーションは、4ドアセダンおよびハードトップ、2ドアクーペ、ワゴンをラインナップ。通称は、7th(セブンス)、都市工学スカイライン。ハイソカーブームの影響もあり、5連装カセットチャージャー、カードエントリーシステムなど豪華な装備が与えられているのも特徴だ。

ハイソカー時代に誕生した7代目 R31 スカイラインは、生産終了までスポーツグレード「GT-R」を名乗らなかったことでも知られている。その理由は諸説あるが、「GT-Rを名乗るにふさわしくない」という理由や「ハイソカーブームに乗ったコンセプトがらしくない」といったことが理由だったといわれている。

スペック

■全長×全幅×全高=4,650mm×1,690mm×1,385mm

■エンジンラインナップ

・直列6気筒 DOHC 2000cc ターボ RB20DET

・直列6気筒 DOHC 2000cc RB20DE

・直列6気筒 SOHC 2000cc ターボ RB20ET

・直列6気筒 SOHC 2000cc RB20E

・直列6気筒 SOHC ディーゼル RD28

・直列4気筒 SOHC 1800cc CA18S

■トランスミッション:5速MT/4速AT

■駆動方式:FR

「技術の日産」はいつまでも

これら3世代のスカイラインを見ていくと、「GT-R」の設定していないことがわかる。今考えると「GT-R」を名乗ってもおかしくないほどのポテンシャルを秘めているが、日産が思い描くスポーツマシンでないことからGT-Rと名乗らなかったのかもしれない。

しかし、GT-Rが設定されていないジャパン、R30、R31のスカイラインは、中古車市場で予想外の価格で取引される個体もある。「技術の日産」を直に感じられるスカイラインは、時間が経過しても評価され続けているといえるだろう。
Posted at 2020/08/20 22:35:39 | コメント(1) | トラックバック(0) | 自動車業界あれこれ | 日記
2020年08月20日 イイね!

ココまでの金額になってしまうとWRカーの中古車を探し出したくなるような気が

ココまでの金額になってしまうとWRカーの中古車を探し出したくなるような気が1800万円オーバーで落札!! スバル「インプレッサ22B STi」とはどんなクルマだったのか

■ラリーで勝つために生まれた、スバル「インプレッサ」

 1980年、世界に先駆けて4輪駆動車でラリーに参戦したスバル。その舞台は「サファリラリー」、参戦マシンは「レオーネ4WD」だったわけだ。

 その後、1990年からは「WRC」に、新開発されたEJ20型エンジンを搭載した、初代BC5型「レガシィ」で参戦。1993年のニュージーランドで初優勝を飾った後、より戦闘力の高いマシンを投入されることになり、ひと回りコンパクトなボディを持つGC8型「インプレッサ」が選ばれたのだ。

●打倒ランサー・エボリューション

 当時、インプレッサのライバルとなっていたのが、三菱「ランサー・エボリューション」である。

 デビューイヤーの1994年には、マニュファクチャラーズタイトルで2位、1995年から1997年まではチャンピオンとなったスバル「インプレッサ」だったが、ドライバーズタイトルは1996年から1999年まで、ランサー・エボリューションを駆るトミ・マキネンが獲得。

 そんな熾烈なライバル関係は、ベース車であるインプレッサとランサー・エボリューションの、過激ともいえるモデルチェンジとチューニングのレベルアップを生んでいた。

 そんななか、発売されたのが、今回紹介する「インプレッサ22B STi version(以下インプレッサ22B)」である。

 このモデルは、1998年、インプレッサのWRCマニュファクチャラーズタイトルの3連覇を記念して製作されたものだ。そのモチーフとなったのは、チャンピオンマシンであるインプレッサのワールドラリーカーで、当時販売されていたインプレッサの2ドアクーペモデル「インプレッサ リトナ」をベースとして作られている。

 ボディはワールドラリーカー譲りのワイドボディで、フェンダーは片側40mmワイド化され、全幅は1770mmとなっている。当然のことながら、前後のバンパーはこのフェンダーに合わせてリメイクされている。

 搭載されているエンジンは「EJ22型」水平対向4気筒インタークーラーターボ。排気量は2212ccで、最高出力は自主規制のせいもあって280psと抑えられてはいたが、EJ20型と比べて低中速トルクが太くなっているため乗りやすく、スペック以上の速さを感じさせるマシンだった。サスペンションにはビルシュタイン製ショックアブソーバーがセットされていた。

 このインプレッサ22Bの販売台数は400台だったのだが、わずか2日で完売したといわれている。

 当時の車両価格は500万円。装備内容を見ればお買い得といえるだろう。しかし1998年というと、400万円もあればかなりの高級車が買える時代でもあった。そういう時代に、2ドアボディの高価なスポーツモデルがあっという間に売り切れとなったというのは、スバルにとってうれしい出来事であったはずだ。

 またこのあと登場するSTIの限定コンプリートカー、たとえば2000年に販売された「S201」など、S20#シリーズの先駆け、となったのがこのマシンである。

■英国オークションでの落札価格は、驚きの高プライス!

 そんなインプレッサ22Bが、イギリスのシルバーストーンオークションに登場した。走行距離は3万マイル(約4万8000km)で、シリアルナンバーは326/400という個体だ。

●インプレッサが1800万円オーバー!!

 メーターはマイル表示だが、これは後にイギリス国内で交換されたもの。付属品として山口スバルの車険証入れや、日本語の取り扱い説明書や点検整備簿が付属していることからもわかるように、もともとこの個体は日本国内向けの車両で、それが2004年にイギリスへと輸出されたものである。

 その後はイギリス国内のスバル専門家によってメンテナンスを受けながら、2020年まで保管されてきている。

 そのため、ボディのコンディションは極上レベルといっていい。レンズ類はすべて曇っておらずクリアだし、塗装に関してもヤレがない状態。

 エンジンルームも、空冷式インタークーラーのフィン部分が若干よれている程度で、樹脂パーツに劣化はなく、インテークマニホールドの赤い結晶塗装も綺麗だ。

 ただしマフラーはオリジナルではなく、砲弾型サイレンサーの社外品に交換されているが、それも劣化ない。タイヤはトーヨー・プロクセスT1-S(235/40R17)を履いていて、ホイールは純正BBS製となっている。

 インテリアも極上レベル。ナルディ製ステアリングやシフトノブといった、使用感がでがちなところもキレイだし、樹脂パネルやペダルも使用感はほとんどない。オリジナル状態を保っているブラック&ブルーのシートも、前後ともに擦れ感がない状態だ。

 メーター交換をしているとはいっても、実際にあまり乗られていない個体なのだろう、ということが、ここからもわかる。

 こういった、簡単にいえば極上の個体なら、日本国内での取り引きでも1000万円以上の価格がついてもおかしくはない。そのため、シルバーストーンオークションにの予想落札価格も、7万ポンド-8万ポンド(邦貨換算約980万円-1120万円)となっていた。

 ところが、実際に落札された価格は、なんと13万500ポンド(邦貨換算約1827万円)というハイレベルなものだった。

 そこには、イギリス人のスポーツカー好き、ラリーカー好き、そしてスバル好きという側面が大きく影響しているかもしれない。

 技術にこだわりをもち、水平対向エンジンの可能性を追求し続けているスバルという自動車メーカーが作った、世界で400台のみのワールドラリーカーのメーカーレプリカ。いかにも好き者が手を出しそうなスペックである。

 実際のところ、この価格で購入しても、このあと大事に乗りながら保管をしていけば、手放すときにはさらなる値上がりだって期待できてしまうはずだ。
Posted at 2020/08/20 22:29:43 | コメント(0) | トラックバック(0) | 富士重工 | 日記

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