偉大なる“UP! DOWN! 野郎たち”!!!、前回取り上げたコルト/ギャラン同様、メーカーの屋台骨を支える看板車種でありながらも安定株にはなりれず、激しく人気(UP!!!)不人気(DOWN!!!)を繰り返した“名車”である『日産(ダットサン)ブルーバード』に触れたいと思います!
ブルーバード、ご承知のように昭和34年に発売後最近まで名前は残っていた(ブルーバード・シルフィ)日産の伝統的な車種ですが現行はサニー/パルサー/プレセアの統合モデルとして00yに発売されたもの、従来のブルーバードより下の車格となっておりサニー系=所謂かつては「大衆車」とされたクラス、ブルはその上級で現在で言うミディアムクラス)関連性はなく純粋なる『ブルーバード』としてのモデルはセダンモデルの需要衰退の煽りを受け01yのU14型を最後にピリオドを打っています。
かつては常識だったセダン型で最大のライバル、トヨタのコロナと激しい販売競争が行われ“B(ブル)C(コロナ)戦争”なる言葉まで産まれ後には三菱ギャラン、マツダルーチェ/カペラ、ホンダアコード等新たなライバルとも激しく闘った日産の看板で昭和35年発売の『セドリック』と並んで日産の最大の功労者(車)であったのは間違いないでしょう…
ライバル、コロナはプレミオと名を変えながらも現役ですがブルは上記のように製廃から既に10余年、最終U14型もそろそろ少なくなり淋しい限りなので今回は偉大なるブルの歴史を振り返ってみたいと思います!
ブルーバード、70~90年代にまだまだセダン型が主流の時代には横綱コロナと69年のコルトギャランで第三メーカーにのし上がった三菱ギャランの3車がTOP3であり勿論クラス代表的車種、80年代前半にT社ディーラー(D)に籍を置いた自分はライバル・コロナは直接売ってはいませんでしたがその激戦は目の当たりにしておりまだまだ自動車が“花形産業”だった時代の一人の証人だと思いますネ~、今では部品仕入れに共通下請けを使ったり共同で中古車センターを運営したり随分仲良くなったトヨタと日産ですが90年代まではそれこそ営業マン同士も火花を散らせそこに三菱も巻き込んで値引き、opサービス合戦とその戦略はすざましいもので今では21時にもなればDも電気消えてますがこの頃は0時1時でも光々と明かりが灯るT、Nそして元気だった頃のM社Dさんの姿、懐かしい~。。。
さて、前置きがながくなりましたが早速本題である『ブルーバード』に触れましょう!
と言いながら…ブルーバードに触れるにはその前身である『ダットサン110/210』に触れない訳にはいかずまずはココから…
59yの初代ブルが型式=310を名乗っている事から分かるように本来の“初代”は『ブルーバード』のペットネームがまだない55yに登場したダットサン110型となりますのでまずはこのモデルを取り上げます、 今回の「偉大なる“UP! DOWN! 野郎たち”!!!…11」では初代310ブルまで触れますが解り易いように110/210と分けて記載します!
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【ダットサン110/210】
1955年(昭和30年)、まだまだ戦後を思わせる日本(さすがにこの時代、ワタクシ影も形もないので親他諸先輩からの見聞ですが…) そんな時代、これからの日本の自動車市場にとって重要かつ牽引してゆく車種がトヨタと日産から発売されました。
トヨタからはRS型初代クラウン、そして日産から『ダットサン110型セダン』が華々しくデビューしました。
クラウンは当時の小型枠いっぱいの1.5Lめ一杯のエンジンを載せボディもフルサイズ、まだまだ国内はアメ車を中心にした外車が一部裕福層や公用車を占めていた中、孤軍奮闘でまずは公用車/タクシーからクラウンはこれらの切り崩しにかかりました。
一方の110は個人需要=マイカーをも考慮した860ccの小型セダン、つまりは高級部門=クラウン、庶民的部分=110で棲み分けをしていました。
それでもまだマイカーなんて夢の時代、110は主に小型タクシーとして庶民の足を支えていたとの事です!
110は戦前からのダットサン乗用車のあくまで延長線のモデルであり梯子型フレームのS/D(サイドバルブ)エンジン、4輪リジットという旧式な設計思想のモノながら完全一体プレス化されたボディとスタイリングは“もはや戦後ではない”と言った当時の時世にも乗っかり本格的な国産乗用車としてクラウンと共に大ヒット!その勢いはUP!!!UP!!!だったようです…
wikiによると当時の日産は従来型乗用車の車体は半数を現在の三菱、旧中日本重工が製作しておりこの110も関東以北のみが日産自製、その他の地域は中日本製となり自製と中日本製では型式や外観も多少異なり後者は型式を「A110型」としていたようです。
現在になって急に関係強化したような三菱と日産の急接近に思われがちですが実は50年以上前にもそれがあったとは驚きですよね~…
尚、「ダットサン」は現在のような単独な専用車名を与えられる以前の日産製小型自動車に名付けられた共通ペットネーム、110以降のフェアレディ、ブルーバード、サニーへと名付けられトヨタの「トヨペット」と同時に日本の自動車創世記に親しまれた愛称、02yのダットラ製廃まで長く親しまれた由緒あるネーミングでアメリカでは「DATSUN」=ダッツンと呼ばれ今でも“NISSAN”より親しまれるブランドかもしれません。(ブルーバードは910迄が正式には「ダットサン・ブルーバード」でした!)
↓今見ればもはや“クラシックカー”ながら当時は近代的スタイルが脚光
を浴びた「ダットサン110」
110の車両概要は下記の通り。
(サイズ)
:全長3860全幅1466高1540ホイールベース2200(以上mm)
(車重)
890kg
(定員)
4名
(エンジン)
B型 水冷直4 860cc サイドバルブ 25ps/5.1kg
(駆動)
FR
(ミッション)
3速ノンシンクロ
(脚回り)
ALLリーフリジット
モデル改歴
(55/12)
MCにて「112」型へ。
グリルデザインを変更、シートをスライド化しFrフェイスにあったスモールランプをフェンダー上に移動しています。
尚、112からボディを完全に日産内製化。
↓112の梯子フレームと透視図
(56/6)
再度のMCで「113」型へ。
再びグリルデザインを変更、チューブレスタイヤを採用。
↓56/6~の「113」型ダットサン
↓インパネやテールのデザインは初期110を基本、継承。
(57/11)
従来型をグリル変更した「114」型へMCするのと同時に新開発で近代化したOHV機構を採用し1000cc(988cc)、C型34ps/6.6kgを搭載、114のエクステリアをサイドモールやメッキパーツで高級化し4速ミッションを搭載する『210型・ダットサン1000』を追加します。
1000は2速~4速をフルシンクロ化し運転のしやすさを向上させたのが大きな進歩、車重はエンジンの大型化と高級化で925kgまで増加、サイズの割に重く30ps代の時代で走りがどうのこうのとは語れませんが神経遣いながらダブルクラッチで回転を合わせタイミング良くギアチェンジをするのが当たり前の時代、2速以上は余計な気をまわす事なく難なくギアを入れ替えられるようになった元祖“イージードライブ”の実現に当時のドライバーはさぞ歓喜した事でしょう!
少し古めのトラックやバスではノンシンクロもまだ残っていた頃、ワタクシもダブルクラッチでこれらを動かしていた経験を思い出すとMTに対するAT以上にシンクロの有難さを改めて痛感しちゃいますネー。。。
↓11♯系と較べ心臓も含めより近代的になった210型ダットサン1000
↓現代的OHV機構を採用したC型エンジン
新星1L C型エンジンはセドリック以前に日産がノックダウン生産し乗用車造りを学んでいたオースチンのエンジニアによる技術指導から産まれた賜物で30ps超のパンチあるエンジンはかなりの定評と日産の自信に繋がりこの210型が後年で脚光を浴びた510やS30Z、710バイオレット等で快進撃を繰り広げたラリー界での活躍の原点となっていました。
58yにオーストラリア大陸を一周するラリー=オーストラリア・モービルガス・トライアルへ挑戦、大陸一周16,000kmを19日間で走破するこの過酷なラリーへ出走した2台の210、富士号と桜号はそれぞれ完走し、クラス優勝(←Aクラス、総合24位)を果たし日産の、または日本車の成長と実力を実証、大きな注目を浴びたようです!(詳しくは→こちら)
↓50年代からラリーで活躍した210型「富士号」、Rrトランクには日本の象徴
である富士山が描かれていた!
(58/10)
MCでいよいよ最終型になります。
860ccの114型は「115」型へ、210型は「211」型へと進歩、従来のFrグリル意匠変更だけではなくRrもダブルランプへデザイン変更がなされRrスクリーンも大型化、スモールもフェイス内に戻されサイドマーカーやopながらフェンダーミラーも装着されています。(115も211に準じた改良)
↓着物美人も思わず寄り添う58/10~の211型
↓115/210はテールもダブルランプに変更、Rrスクリーンも大型化!
↓211は定評のOHV C型を継続搭載
(59/8)
トヨペットクラウンと並んで戦後初の本格的乗用車として大人気を得たダットサン110/210系は発売以来順調な進化と人気、一定の売り上げを確保、59年8月にこれをより現代的にリファイン発展、FMCとなる310型「ブルーバード」に引き継ぎ製廃となります。
以上がブルーバード以前の元祖ブル、ダットサン110/210型でした!
続いて初代ブルーバード310型に触れていきます。
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【310型初代ブルーバード】
59/8、定評あるダットサン110/210系をFMC、新たなペットネーム=日産の幸を運ぶ青い鳥 という意味合いから『ブルーバード』と名付けられて登場したのが初代310型です!
このモデルは亡親父が20代の若かりし頃、七所借りして中古ながら初めて手に入れた我が家初のマイカーだったとの事、ワタクシは産まれたての赤ん坊で記憶には当然なありませんが7コ上の姉はかすかに記憶があるらしく物置の奥にしまいこんである古~い我が家のアルバムにまだお姉さんぽい今は70代の母親に抱かれたいたいけな赤ん坊のワタクシの傍らにもその姿が写っております、いずれそのお宝写真も公開しようかなー???(^^)
さて、話はそれかけましたが310ブルーバードの紹介でしたね(汗)
310ブルーバード(以下310)は好評だった旧110/210のイメージを継承しながらより近代化しスマートに変身したボディをまとい寸づまり気味だったRrを伸ばしむき出しだったドアヒンジをスマートに隠し(文明開化やね~…笑)スタイリングはヨーロッパ調の伸びやかさを実現します。
110/210時代の57yに発売されたライバルのトヨペット・コロナ(ST10型)の猛追もありましたが310へのFMCで“ダルマ”と揶揄された丸っこく鈍重なイメージのコロナに差を付ける美しいスタイリングは女性をも意識した味付けもなされ110/210の主マーケットだった小型タクシー業界を狙い実用一辺倒だったコロナは足元にも及ばない美しさで310=ブルーバードの人気を不動のモノにしてたようです!
野暮ったいコロナに較べ2トンカラーを取り入れたり後年追加の女性向けグレードの設定など、まだまだ女性ドライバーが少ないこの時代にこのようなイメージ戦略で女性を味方に付けた日産の戦略、“あっぱれ”ですネ!
↓59/8に登場した初代310ブルーバード(前期1000DX)
Frフェイスは110/210を彷彿させるデザイン、Rrビューはそのテールランプの形状から親しみ込めて「柿の種」と呼ばれ今でもOLDファン以外でも有名な“愛称”です。
↓「柿の種」が有名な前期型のRrビュー(1000DX)
それでは車輛概要です。
(サイズ)
:全長3860全幅1496高1480ホイールベース2280(以上mm)
(車重)
860kg(1000)890kg(1200)
(定員)
5名
(エンジン)
C型 水冷直4 1000cc OHV 34ps/6.6kg
E型 水冷直4 1200cc OHV 43ps/8.4kg
(駆動)
FR
(ミッション)
3速MT
(脚回り)
Fr:ウイッシュボーン
Rr:リーフリジット
(バリェーション)
1000STD/1200STD/1200DX
サイズ的には全長は110/210と同一ながらホイールベースは延ばされているので居室は拡大していますね、80mmのホイールベース拡大は後席足元にかなりの余裕を産んだのでは?と推測できます。
定員は5名に増加、高さは抑えられ現代的スタイリングに貢献しています。
グレードは1000/1200のSTDと1200DXの2種、1200DXではメッキパーツやバンパーオーバーライダーが装備され豪華さを演出、1200はグレードに関わらずルーフ部とボディ部を塗り分ける2トンカラーを採用していました。
搭載エンジンは定評あるC型を継承しながらこれの拡大版である1200ccのE型も新搭載され余裕あるパワーを得ています。
従来型から較べての大きな進歩はFrに独立懸架式サスを採用、そして梯子型フレームを継続しながらもセミモノコック化したボディと合わせて乗り心地が大幅に向上した点でしょう!
悪路大国と外国からまだまだ揶揄されていたこの時代に1200という高出力と徹底した振動、騒音の軽減に努めた310は記録的な販売を果たし正に爆発的人気で110/210をも軽く上回るUP!!!UP!!!で自信を得た日産は自動車大国のアメリカにもこの310は日産初の対米輸出が行われ一定の成果を収めたとの事です。
↓最高グレード「1200DX」
↓1000STDのインパネ
それではモデル改歴に移ります。
(60/7)
国産初となるエステートワゴンを追加します。
110/210時代からCMカーとしてパーツ共有をする「ダットサン・バン/トラック」が存在しており310となってもこれは同様、しかしながらエステートワゴンは後年の常識であったバンボディを乗用車に焼き直した流用ボディではなく専用ボディを持つという気の入れよう、まだアメリカ的に週末に荷物を大量に積んでレジャーに!なんて考えがなかった日本ではバンと混同され売り上げや人気には結び付かなかったようですが当時の庶民に贅沢な夢を描かせたモデルだった事でしょうねー…
↓“国産初”のステーションワゴンもブルーバードから!!
(60/10)
エンジン出力向上が行われC型→C1型に変更、34ps→43psに E型→E1型となり43ps→55psへそれぞれ換装されています。(型式→311型となる)
尚、この時にミッションを遂に国産で初めてフルシンクロ化、グリルにはこれを示すように誇らしげに『full synchro』のエンブレムが装着!
(61/2)
女性向けグレードである「1200ファンシーDX」を追加。
80~90年代にAT限定免許の創設もあり莫大に女性ドライバーが増えた頃、各社各モデル、特に軽やリッターカークラスに女性向けグレードが増殖した時期がありましたが60年代、女性ドライバーなんて数える程しかいない時期にこのようなグレードを設定した日産、戦略違いも指摘されながら少しづつながら増えるマイカー需要の中で家族の中での女性=主婦に決定権が大きい事に目を付けた日産の戦略は鮮やかだったと思えますね~。
実際このファンシーDXが310の販売にどれだけ寄与したかは不明ですがイメージ的には非常貢献していたと当時の希少な女性ドライバー→うちの母は申しておりました(笑)
外装も赤とクリームで塗り分けられたファンシーDX、この種のモデルのパイオニアですネ!
↓女性向け新グレードの「1200ファンシーDX」
↓ファンシーDXにはBピラー内側に花瓶、後席には化粧テーブルやポーチを装備、ハイヒールスタンドや傘立て、そして後年お馴染バニティミラーまでもが既に装備されていました!!
(61/8)
MCにて中期型、型式312型となります。
MCではFrグリルとテールの意匠変更及びインパネのデザインが変更されています。
大型化されたFrグリルで顔はより逞しい印象、テールはあの「柿の種」がレッド一色でブレーキ/ウインカー/スモールを兼用させていたのに対しD30セドリックばりに大型化したテールランプに変更、アンバーを入れウインカーを独立させています。
↓中期型1000DX
↓大型テール&時計まで組み込まれた中期型のRrビューとインパネ
(62/4)
イージードライブの走りである「サキソマット」のオートクラッチがop設定。
(62/9)再度のMCにて最終型となります。
好評の為、変更は目立たないモノでグリル内格子状の意匠変更とテールランプのアンバーとレッドの位置を逆転させています。尚、Frサスにスタビライザーが追加されより脚の信頼性を高めています。
↓最終型1200ファンシーDX
↓最終型1000STDのRrビュー
(62/12)フロントセパレートシート付モデルを設定。
(63/9)次期型の「410型ブルーバード」にFMC、310系は4年のモデルライフを順調にUP!!!にてまっとうしました!
↓63/9に華々しくデビューした次期「410型ブルーバード」
以上のように110/210→310ブルーバードと順調に発展したこのモデル、特に初代310ブルではライバルをも寄せ付けない圧倒的UP!!!人気で“ブルーバード、日産にアリ!”と言う感じで日産自動車の名声をも高めました、ただ…
ライバルのトヨタも王者ブルを指をくわえながら見ている訳はなく次期410時代から激しいBC戦争へと突入してゆきます、310までに築いた不動の人気と販売力!410でもそのUP!!!UP!!!は継続されるのか!乞うご期待です!!!!
(次回410型2代目ブルーバードに続く)