2012年10月29日
母が…。
法被です。
久々のブログでありながら長文且つ重い内容で申し訳ございません。
あくまでも個人ブログとして書かせていただきますので御容赦下さい(嫌な方はスルー願います)。
10月20日(土)に母が亡くなりました。68歳で、死因はうっ血性心不全とのことです。
私が中学生の頃から母は病気を患い、以降薬を飲み続けたり毎年のようなペースで入退院を繰り返す生活を送っていました。
今年に入ってからも3月と8月に貧血でそれぞれ入院。9月半ばに退院してから10日後に呼吸困難で緊急入院したと姉からメールが届き、今月初旬に休みを貰って病院へ行くと酸素マスクを当てられベッドに横たわっている母の姿が…。
意識がもうろうとしている母にショックを受けつつ、一緒に病室へ行った親父の話を聞くと『医者が言うには長年薬を飲み続けていたことによる副作用で臓器がボロボロになっているらしく、先は長くないかもしれない。最悪のことも覚悟しておいてほしい』とのことでした。
それから2週間後に姉から『少し会話出来る』とのメールが届いたので、たまたま休みである土日に病院へ行こうと計画していました。
しかし土曜の早朝に姉から『母が亡くなった』と電話があり、急いで実家へ向かうと近くに住んでいる親戚数人は既に来ていて、母の遺体も実家に戻っていました。
早速葬儀の打ち合わせを行ない、親父が喪主で長男の私が施主を担当することに。
母の死をある程度覚悟していたこと、施主は初めてなので勝手が分からなかったり忙しかったりで悲しみに浸る暇はありませんでしたが、出棺直前の母の顔を見た時に親戚がすすり泣きし、緊張の糸が切れたのか大の男であるはずの私も人目を憚らず嗚咽してしまいました。
26年もの間、母は痛みや苦しみと闘っていたのに私をはじめとする家族や親戚・友人たちにはそれを全く見せず明るく振舞っていました。
勝手を承知で言えばもっともっと生きていてほしかったけれど、長年苦しんでいた痛みからやっと開放されたと思うしかないでしょうね。
母とはよく冗談の掛け合いをしていたのですが、それも二度と出来なくなってしまい寂しく思います。
この世を離れる前に母と最後の会話が出来なかったこと、結婚して母を安心させてあげられなかったのが本当に残念でなりません。何も出来ない無力な自分が悔しくて情けない…。
葬儀が終わっても色々と手続きをしなければならないので姉と各方面へ回ったり、私自身も印鑑証明などを取りに一旦自宅へ戻ってから再度実家へ向かうなど慌ただしい一週間を送っていたけれど、昨晩実家から戻り心身共に落ち着いたところでしょうか。
親孝行が出来なかったアホでどうしようもない自分を生んでくれて、育ててくれてた母には本当に感謝するとともに、天国でゆっくり休んでほしいと心から願うばかりです。
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Posted at
2012/10/29 07:30:45
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