2019年08月29日
【国沢光宏がWRCに挑戦】ついに本格的な競技スタート! 新人編集部員が受けた洗礼と感激とは
ブドウ畑のなかを国沢さんのフィエスタR2が駆け抜ける!
WEB CARTOPでもおなじみの自動車評論家、国沢光宏さんがドイツで開催されるWRC(世界ラリー選手権)第10戦ラリー・ドイツに挑戦中! 今回ラリー・ドイツ取材のチャンスを得た新人編集部員篠田! だがじつは、ラリーについてはまったくの素人。渡航前の国沢さんにラリーの基礎や国沢さんがラリーに挑戦するワケ、ラリーカーの試乗を行なった。そしていよいよ私、篠田もドイツ入りし、ラリーを目の当たりにすることになる。
本格的な競技のスタートともいえるDAY2は、SS2~SS7(SS:全速でタイムを争うスペシャルステージ)までが行われる。午前はSS2~4までのコース、午後は午前と同じコースを5~7として見ることができる。
ラリーの生観戦では自分が見たいステージを自分で選ぶ必要がある。SSが開かれるエリアはサービスパークから距離が離れていることもあり、すべてのSSを回ることは難しい。私篠田は、現地の名産品であるワインの産地であるブドウ畑のなかをラリーカーが駆け抜けるSS3と、スタートとゴールが同じ場所で見られるSS7を選んだ。
SS3では両側をブドウ畑に囲まれている絶景のなかをラリーカーが駆け下りてくる部分が見どころ。私、も機材を抱えながら山登りさながらにブドウ畑を上がっていく。ちょうど見どころのひとつであるヘアピンカーブのそばにやってきたが、地元の人たちは見どころをよくおさえているようで、かなり早い時間から多くの観客がのんびりとラリーカーがくるのを待っていた。私もそれにならい、ブドウ畑の間から間近に迫るラリーカーを見ることにした。
DAY2は1位から順番にやってくる。スタート時間が過ぎると、早速ラリーカーの爆音が迫ってくるのがわかった。最初に来たのはWRカー。ヘアピンカーブ手前の直線を一瞬で駆け抜け、カーブでもほとんど速度を落とすことなく、クルマが流れるように走り去っていく。そしてあっと言う間にブドウ畑に消えていった。圧倒されている間にも、次々とWRカーがやってくる。必死にカメラを向けるも、速度が早すぎてなかなか追いつけない。
WRカーが抜けていくと、WRC2クラスの車両がやってきた。WRカーと比較すると少しゆっくりになった気するが、それでも速い。ここらで見る場所を変えるために、さらに山登りを続ける。丘の上から下を見下ろすと絶景が広がっていた。クルマと合わせて撮る技術がないことが悔やまれる。ラリーの知識と共にカメラ技術も磨かねば!
そしていよいよ国沢さんがやってきた。ブレーキ音を響かせながら、目の前のブドウ畑を駆け抜けていくラリーカーの迫力はとにかくすごい。だが、2日目を終えた国沢さんに話を聞くと「クルマの調子があまり良くない。新型だと車両のトラブルが起きやすいのかもしれない」と弱音もこぼしていた。
また、ちょうどその場面を見ることはできなかったのだが、畑に入り込んでしまいコースアウトした国沢さんの前にも妖精(妖精:本来競技中にドライバー&コ・ドライバー以外がマシンに触るのはNGだが、観客が手伝ってコースに戻ることがあるため観客のことを「妖精」と呼ぶ)が現れたという。DAY2の動画でも公開されており、コースアウトしたと見るや否や、ここぞとばかりに妖精がたくさんやってきているのがわかった。
ラリーの楽しみ方は人それぞれ! SSには出店も用意
SSでは、こういった見どころに行くと、多くの観客に出くわすことになる。ドイツ国旗などの旗を持って応援する人や、椅子に座ってのんびりとビールを飲む人、ドイツ国旗をイメージした帽子をかぶった人など人それぞれにラリーを楽しんでいる。一部では来場者を楽しませようと、出店が設けられているSSもあり、軽食やお酒を楽しむことができる。
DAY2では私も訪れたSS7がまさにその状態であった。日中からビールを片手に騒いでいる姿はうらやましい。カメラを持ってうろついていると声をかけられることや、記念撮影してくれとばかりにしっかりとポーズを決めてくれる人もいた。
SS7は広場のようなところでひらけており、スタートしてからもしばらく車両の行方を追うことができる。自分たちの前を競技車両が通過すると声を上げたり笛を鳴らしたりと、陽気な観客たちがその場を盛り上げていた。私も仕事が終わったら思いっきりドイツビールを飲もうと心に決めた。
実際にSSまで行って感じた醍醐味は、ラリーカーが間近で見られること。サービスパークはもちろん、SS内やリエゾン(移動区間)でも、観客との距離がとにかく近い。レースのように同じコースを何度も走ることは一部しかないため、長い時間待っていて通り過ぎるのはほんの一瞬。ただ、それでも待っていて良かったと思えるくらい、迫力ある走りや音を体感することができる。
ただ、私にとっては、今回が初めてのラリー取材。SSでの取材にあたって困ったこともあった。撮影ポイントの確認などを含めてかなり時間に余裕を持って行動していても、道路の規制や徒歩での山登りなどで時間を要するということ。また、良い場所を確保しようとすると、スタート時間の1時間以上前からはその場で待機していなければならず、日差しが強いなど気候を事前に確認しておくことの大切さを学ぶことができた。
こちらは番外編だが、トイレの問題についても触れておきたい。特にSS3のブドウ畑の中には簡易トイレもほとんどなかった。初めてラリー観戦に来られる際には携帯用のトイレなどを持参することをオススメしたい。
DAY2で初めてのSSを体感した私篠田。仕事終わりには満点の星空をツマミにしっかりとビールをいただき、明日に備えた。DAY3ではラリー・ドイツ名物のパンツァープラッテ(軍事演習地内にあるコース)などの様子をお伝えする。次回もお楽しみに!
【国沢光宏がWRCに挑戦】新人編集部員もびっくり! クルマが歪むほどの荒れ地を全開で駆け抜けた
WRCファンの日本人にも遭遇
WEB CARTOPでもおなじみの自動車評論家、国沢光宏さんがドイツで開催されるWRC(世界ラリー選手権)第10戦ラリー・ドイツに挑戦中! 今回ラリー・ドイツ取材のチャンスを得た新人編集部員篠田は、ラリーについてはまったくの素人。そこで、渡航前の国沢さんにラリーの基礎などを聞き、知識を身につけたところで、ついにラリー・ドイツへとやってきた。
競技3日目となるDAY3は、午前中に丘を走り抜けるSS (スペシャルステージ)9と、午後にはドイツ名物の軍事演習場内で行われるパンツァープラッテを見ることに。午前は90度のほぼ直角に曲がるコーナリングが見えるところで待機していた。ラリー・ドイツはすべてターマック(舗装路)のコースなのだが、そのコーナー部分の右側には土が盛られていて、ショートカットする際は少しグラベル(未舗装路)のような動きが見られそうだと期待。
その場で腰を下ろして待っていると、スペクテイター(観客)用のタグをつけた人から「すみません」と日本語で話しかけられた。ついに取材班でない日本人に初めて出会うことができたので、待っている間にお話を伺った。
12年ほど前から海外のラリーも観戦しているという松浦淳一さん。ニュージーランドやオーストラリア、ヨーロッパ圏のラリーを観に行ったことがあるそうで、ドイツも4年前に1度観戦したことがあるという。今回も休みの合間を縫って年に1度のWRC観戦に訪れていた。どのチームのファンということではなく、WRC自体が好きという松浦さんに、ラリーの楽しみ方について聞くと「ラリーカーが目の前で見られることが一番の醍醐味」とのこと。
確かにブドウ畑では目の前で見ることができた。基本的にクルマが飛んでくる可能性のあるところにはいられないので、これは世界的に見ても珍しいそうだ。
早速、1台目がやってきた。リバースになっていて、WRカーのなかで1番遅いほうから順番に走っていく。必ずしも1位が最初に来るわけではないようだ。さすがWRカーはしっかりショートカットして土煙を上げながら走り抜けていった。ギャラリー側に風が流れてくるため、砂を吸い込んでしまい、カメラにも粉じんがくっついていた。これもラリーの面白さのひとつで、松浦さんは慣れた様子でカメラについた砂を取り払っていた。
近くにいたドイツ人にも声をかけられ、さっきのクルマがゴール付近を通過しているよ、と教えてもらった。確かに小粒のようなラリーカーが遠くの坂を駆け上がる姿が見えた。撮影していたポイントは丘のようになっているため、かなりひらけていて、遠くまで見渡せる。
国沢さんのフィエスタR2も砂煙を上げながら豪快に走り抜けていった。道幅の狭いところをとんでもない速度で走り去るラリーカーのすごさを改めて目の当たりした。
午後にはラリー・ドイツ名物のパンツァープラッテへ。昨年もラリー・ドイツの舞台となったが、今年は去年と逆ルート。SSの2カ所が交差する場所のため、会場を埋め尽くすほどの人が集まっていた。出店もかなり多く、この日も天気に恵まれていたため、アイスやビールを片手に観戦している人がたくさんいた。ステージも設けられ、始まる前からDJが登場し、会場のボルテージも徐々に高まっていく。
そしてついに1台目が登場すると、前方に群がって見る人と、中継で競技車両を映しだしてのんびりと椅子に座って観戦している人に分かれ、それぞれがラリーを楽しんでいた。何十メートルもの下り坂を一気に駆け下りる姿は一番盛り上がるポイントとなっている。また、ゴール付近は人が集まっているところからはよく見えないのだが、テレビ中継でその模様も映され、ゴール後にドライバーにインタビューも行われた。
国沢さんたちのフィエスタR2が下ってくるところを坂道で待つ。すると音を響かせながら勢いよく下ってきた。走行後の国沢さんに話を聞くと「パンツァープラッテは道が荒れていて、クルマが歪んでしまい、ドアが開かなくなるほど」だったという。
大きなトラブルもなく、無事にDAY3を終えた国沢さん。昨年、1回もリタイヤせずに完走した完走率はおよそ40%という厳しい環境のなかで、完走まで目前に迫った。次回もお楽しみに!
国沢氏は自身でラリー参戦経験あるからね
トランスミッションが特殊じゃないから一般人にも普通に乗れるだろうね~
【国沢光宏がWRCに挑戦】歓喜のクラス3位を獲得! 4日間の激闘の末に新人編集部員が見たモノとは
ラリー観戦には時間配分と事前準備が欠かせないポイント
WEB CARTOPでもおなじみの自動車評論家、国沢光宏さんがドイツで開催されるWRC(世界ラリー選手権)第10戦ラリー・ドイツに挑戦! 今回ラリー・ドイツ取材のチャンスを得た新人編集部員篠田は、ラリーについてはまったくの素人。そこで渡航前に国沢さんからラリーに関する基礎を伝授され、ラリー・ドイツへやってきた。果たして篠田が見たモノとは!
ラリー・ドイツもいよいよ最終日。残るSS(スペシャルステージ)は4つだ。SS16と18はブドウ畑のコースで、SS17と19がパワーステージと呼ばれるボーナスポイントが入る特別なステージになっている。
私・篠田はどうしても一般車とラリーカーが一緒に街中を走るリエゾン(移動区間)が見たかったので、SS18の速度が乗る畑道のなかをとおるエリアと、すべてのSSが終わったあとのリエゾンを見にいくことにした。
しかし、SS18にいく道中ではトラブルに見舞われ、時間前に到着できず……。しかも、この日もリバースで順位の低いチームから出走していたため、到着したころには上位のWRカーが走っていた。ここは少しグラベルのあるルートで、ラリーらしい走りっぷりが見られる。目の前をラリーカーが勢いよく砂を撒き散らしながら走り抜けていった。この場所での観戦は迫力があって、最初から見られなかったのが非常に残念だった。
日曜日ということもあり、SSまでの道路が混んでいることや、通行止めになっていることもあるため、事前の下調べが重要になる。観戦初心者にとってこうした時間配分の難しさは大きなハードルになりそうだ。
しかし、SS18とSS19は近かったことから、面白い光景を見ることができた。リエゾンエリアに向かっている間、選手たちの休憩場所に出くわしたのだ。地元住民しか知らない場所なのか、有名選手にここまで近づいて撮影することができる。たまたま私がそこに立ち寄った時にはTOYOTA GAZOO RACINGの勝田貴元選手が空気圧のチェックを行っていた。
通りすがりの観客たちが立ち止まり、選手に声をかけたり、写真を撮ったりと自由にできるのもラリーならではの魅力だ。
すごいぞ! 国沢さんがラリードイツでクラス3位に!
そしてリエゾンの撮影ポイントへ。せっかくなので、ドイツらしい教会の煙突と橋が映るところで待機。しかし、この日も雲ひとつない晴天で、とにかく暑い! 最終SSでは現地で簡単な表彰式が行われる。そのため、サービスパークに戻る時間差がかなりあるのだ。
のんびりと待っていると、たまたま犬の散歩で通りかかったドイツ人の女性に話しかけられた。暑すぎて犬が川ではしゃいでしまい、泥だらけになってしまったらしい。暑いから気をつけてね、という女性の言葉に従い、ときどきクルマのなかで休憩したり、水分補給をしたりと、体調管理にはかなり気を使っていた。
そして終盤に国沢さんが登場! 残念ながら一般車と一緒に撮影することができなかったが、公道を一般車と同じように走るラリーカーの姿を見られた。そして急いでサービスパークへと向かう。
クラスで3位までに入賞するとポディウムフィニッシュといって、サービスパークの近くにあるポディウムで表彰式が行われる。国沢さんも完走し、3位に入った。完走するのが難しいと言われるWRCで、大きなトラブルもなくフィニッシュできるのはすごいこと! 日本国旗を持って祝ってくれる人たちも沢山見られた。日本が誇るTOYOTA GAZOO RACINGも表彰台を独占し、勝田選手もデビュー戦を10位で完走した。
この日は近くの街まで出かけ、国沢さんと祝勝会を行なった。ドイツビールや食事も美味しく、最後のドイツを楽しんだ。
今回のラリー・ドイツ取材では実際にラリーカーが目の前を通り抜けていき、そのときの音や匂い、ラリーファンの歓声、景色など、五感をすべて活用してラリーを感じることができた。もちろん事前に話は聞き、映像で見ていたのだが、百聞は一見にしかず、という言葉のとおり、本物を実際に見なければわからないことがたくさんある。ここまでドライバーとの距離が近く、また目の前で車両が見られるモータースポーツはラリーだけではないだろうか。
この記事を読んでいる読者のなかで、もしラリーに興味を持った人がいたなら、ぜひ一度会場に足を運んでみてほしい。上位に位置するWRカーはとにかく速い。本当に市販車がベースなのだろうかと不思議に思えるほどだ。そしてセダンやスポーツカーが好きな私でも、だんだん見慣れてくると、出場しているコンパクトカーがかっこよく見えてくる。そして道中では細い道を180km/hくらいで走っていくのだ。考えただけでもとんでもなくスリリングな競技だということがわかる。私はすっかり、ラリーファンのひとりになってしまった。
今年、11月9日(土)、10日(日)にはWRC日本ラウンドのテストイベントが行われる。また、2020年にはラリージャパンの復活も噂されている。トヨタチームや日本人選手が活躍しているこのタイミングで、WRCが日本にやってくることは大きなチャンスだ。さまざまなトラブルに見舞われながらも、一般道を駆け抜けていくラリーカーのかっこよさを一人でも多くの日本人に見てもらい、ラリーの面白さに気づいてほしい。
Posted at 2019/08/29 21:31:20 | |
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2019年08月29日
フェラーリ/ポルシェ、落札額に異変 オークション・バブル前の価格に
ボナムス・クエイルロッジ・オークションを解説
text: Kazuhide Ueno(上野和秀)photo:BONHAMS今年のモントレーカーウィークは、ペブルビーチ・コンクールが例年通り8月第3日曜日の開催に戻ったことから、12日から始まる第3週目に様々なイベントが開かれた。
オークションについては、15日のボナムス・クエイルロッジ・オークションが幕開けとなった。このオークションはモントレーのカーメルにあるクエイルロッジ・ゴルフクラブを舞台に開かれるモータースポーツ・ギャザリングの1プログラムとして行われるものだ。
モントレーでは、リーダー格といえるオークションハウスが、威信をかけた究極のモデルを取り揃えることで知られている。今年もRMサザビースとグッディング&カンパニーは例年通り極め付けといえる希少で高価なクルマを取り揃えたが、ボナムスは方向性を変えてきた。
一般のクルマ愛好家が手を出せる手ごろな価格帯のクルマを重点的に用意してきたのである。出品された222台の中で10万ドル(約1070万円)以下の車両は45%を占め、5万ドル(約540万円)以下は16%もあるという、フレンドリーな内容で行われたのだ。
値ごろなクルマが多かったことから落札率は約73%と好調だった。ここでのお値ごろ車は低走行車や超極上車ではなく、アベレージ・コンディションを中心に用意したもの。そのためモントレーのオークションとしては、バブル前に近い額で落札されたことに注目したい。
この傾向はフェラーリ、ポルシェといった人気車種にも顕著に現れた。
値下がり傾向 フェラーリにも
落札額をフェラーリで見ると、ワンオフのヴィニャーレ・ボディを纏う1952年340アメリカ・クーペ・スペチアーレは相応といえる3億8713万円で落札されている。
しかし、330GTCは5000万円を切り、365GTC/4は約2000万円で終え、フロントエンジン2+2モデルは(最近の相場だったが)最低落札が高かったようで全滅し、308GTBは537~716万円で終えている。
ポルシェも同様で、一時期1000万円近かった912は466~597万円と昔の値段に戻り、レアなソフトウインドウ・タルガの912でも824万円に留まった。
2リッター911のベース・グレードも656万円~1014万円と手が届くところまで落ち、911SC 3.0タルガの525万円をはじめターボを含む930系も以前の額に戻りつつある。またピーク時は3000万円を記録していた1989年911スピードスターも約半分まで落ちてきた。
しかし、人気のポルシェRS系は、以前ほどでもないが高値を保っているのが現在の状況だ。また、RS系に限らず“アイテム”といえるモデルの値落ちは緩やかである。
最高落札額 フェラーリ340アメリカ
お値ごろ車が中心となったオークションではあったが、極めつけのモデルもいつもより少数ではあったが用意されていた。ここで最高落札額を記録したのは前述の1951年フェラーリ340アメリカ・クーペ・スペチアーレである。3億8713万円まで値を上げた。
以下、1953年フィアット8Vスーパーソニック・ギア(1億8798万円)、1965年シェルビー427コブラ(1億4697万円)、1955年メルセデス・ベンツ300SLガルウイング・クーペ(1億4405万円)、2017年フォードGT 66ヘリテージ・シリーズ(1億1183万円)というマニアックな車種がトップ5となり、1億円超えはこの5台だけだった。
2日間で222台が用意されたオークションだけに、その中には超希少なコンペティション・モデルが並んでいた。極め付けといえるのはピート・ブロックが手掛けた1965年シェルビー/デ・トマソP70 Can-Amレーサーだったが、その価値を理解できるコレクターがいなかったのか流れている。ちなみに予想落札額は2億1300万円~3億1950万円だった。
このほか打倒フェラーリで製作された1965年イソ・グリフォA3コンペティツィオーネも並んだものの、こちらも予想落札額の1億650万円~1億3845万円に達せず流札に終わっている。
このほか1968年のCan-Amシリーズでマーク・ドナフューが駆ったマクラーレンM6Bは美しくレストアされ、地元の人気マシンだけに4740万円で落札された。またクーパーのフォーミュラカーやスポーツ・レーシングが6台も用意され、アメリカのドメスティックなレーシングカーが出品されたことも特筆に値する。
Posted at 2019/08/29 21:22:50 | |
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2019年08月29日
カッコイイだけじゃない! これぞ贅沢の極み 歴代国産大型クーペ5選
■輸入車だけじゃない! 国産大型高級2ドアクーペ
贅沢なクルマというと、4ドアの大柄なセダンを思い浮かべる人も多いかも知れませんが、同じくらいの車格であれば4ドアセダンよりも実用性が低い2ドアクーペのほうが贅沢かもしれません。
国産車ではクーペはだいぶ減ってしまいましたが、海外の高級車ブランドでは、スタイリッシュで美しいフォルムの大型2ドアクーペが数多く存在します。
近年ではダウンサイジングが進んでいますが、やはり排気量が大きくトルクの太いエンジンが搭載された大柄な2ドアクーペこそ至高の存在で、一度その雰囲気を味わってしまうとなかなか忘れられません。
そこで、これまで販売された国内ブランドのクーペのなかから5車種をピックアップして紹介します。
●2代目ホンダ「レジェンドクーペ」
ホンダがアメリカで展開する高級車ブランド、アキュラ用に開発されたフラッグシップセダン「レジェンド」ですが、初代が発売された1985年から遅れること2年後の1987年には、2.7リッターV型6気筒エンジンを搭載する3ナンバー専用ボディの2ドアクーペが追加でラインナップされました。
そしてセダンは1990年に、運動性能を高めるためにFFミッドシップという、特殊なエンジンレイアウトの2代目にモデルチェンジされ、1991年にはクーペにも2代目が登場しています。
全長4880mm×全幅1810mm×全高1370mmのボディは、ワイド&ローの個性際立つスタイリングで、伸びやかで美しいフォルムでした。
このボディに最高出力215馬力を発揮する3.2リッターV型6気筒自然吸気エンジンを搭載し、入念なチューニングによりスポーティな味つけがされた、新開発4輪ダブルウィッシュボーンサスペンションの採用と相まって、上質な走りと高い運動性能を実現しています。
当時としては安全装備が充実しており、「A.L.B.」(アンチロックブレーキシステム)、「TCS」(トラクションコントロールシステム)、運転席助手席SRSエアバッグシステムなどが標準装備されていました。
内装もホールド性を際立たせたシートの採用などにより、スポーティでありながら高級感あふれるクルマとなっています。
●3代目トヨタ「ソアラ」
1981年にデビューしたトヨタの高級パーソナルクーペ「ソアラ」は、2.8リッター直列6気筒DOHCエンジンを搭載し、トヨタの先端技術を採用したイメージリーダーカーとして人気となりました。
1986年にモデルチェンジされた2代目では、多くの先進的な技術と当時の国産メーカーでは最高の230馬力を発揮する3リッター直列6気筒ターボエンジンや、5ナンバー枠に収まる2リッター直列6気筒ツインターボエンジンを搭載し、バブル経済絶頂期だった国内で大ヒットとなりました。
そして1991年に登場した3代目では北米でレクサス「SC」として販売するために開発された、全長4860mm×全幅1790mm×全高1340mmの、堂々とした3ナンバー専用ボディになりました。
エンジンは最高出力260馬力を発揮する4リッターV型8気筒と、最高出力280馬力を絞り出す、2.5リッター直列6気筒ツインターボが用意され、走行状況により車体の振動やロールなどの姿勢変化を抑える、世界初のハイドロニューマチック式「アクティブコントロールサスペンション」や、世界初の後輪自動操舵システム装着車が選べる4リッターモデルが、もっとも魅力的でした。
一方で2.5リッターモデルはAT車でも十分パワフルで、ラグジュアリーかつ、FR駆動ならではの運転する楽しさも合わせ持っていました。
●ユーノス(マツダ)「コスモ」
1967年に世界初の量産ロータリーエンジン搭載車として発売された2シータークーペ、マツダ「コスモスポーツ」は2ローターエンジンを搭載し、振動や機械騒音が少ないロータリーエンジンの異次元感覚と、低く伸びやかなボディで未来的なイメージの歴史的名車です。
1975年に発売された2代目の「コスモAP」は、一転してラグジュアリーなスペシャルティカーとなり、1981年に発売された3代目は世界トップクラスの空力特性を持ち、初のロータリーターボエンジンを搭載していました。
1990年に登場した4代目となるユーノス「コスモ」は、ロータリーエンジン専用車として開発された全長4815mm×全幅1795mm×全高1305mmの流麗なボディデザインで話題となりました。
なお、ユーノスは、かつて存在していたマツダの販売チャネルのひとつです。
トップグレードは最高出力280馬力を発揮する、世界初の3ローターシーケンシャルツインターボエンジンを搭載し、圧倒的なパフォーマンスを誇りました。
また3ローター車には高級本革シートやウッドパネル、イグニッションをONにすると浮かび上がるイルミネーションメーターや、「CCS」と呼ばれるGPSカーナビゲーションを世界初採用し、カーナビディスプレイでオートエアコンの操作ができるなど、当時としては先進的すぎるクルマでした。
■スバル史上もっとも贅沢なクルマ
●日産「スカイラインクーペ」
1957年にデビューした初代プリンス「スカイライン」に、日本初のスペシャルティクーペ「スカイライン スポーツ」が1962年に追加ラインナップされましたが、ほぼハンドメイドという特殊なモデルでした。
その後のスカイラインのレースでの輝かしい戦績は、主に2ドア車によるもので、4代目、8~10代目以降のスカイラインGT-Rも2ドアです。そして、最新世代のひとつ前までは4ドアと2ドアが用意されていたこともスカイラインの特徴でした。
2006年にモデルチェンジされた12代目スカイラインには、スカイラインクーペが翌2007年に追加されています。
全長4655mm×全幅1820mm×全高1390mmの起伏に富んだ迫力あるデザインのワイドなボディに、最高出力333馬力を発揮する3.7リッターV型6気筒エンジンを搭載。トランスミッションは5速ATだけでなく6速MTも選択可能でした。
低中速域では思い通りに、高速域では安定した滑らかな走りを実現させる、日産独自の「4WAS」(4輪アクティブステア)も採用されています。
内装は手縫いの平行ステッチを施した本革巻ハンドルや、パドルシフトに軽量なマグネシウム製を採用するなど、高級感を高めながらも「走る楽しさ」を演出し、高級スポーツクーペとして仕上がりの高さを見せていました。
●スバル「アルシオーネSVX」
1985年にデビューしたスバル「アルシオーネ」は、スバルのイメージリーダーカーとして1.8リッター水平対向4気筒ターボエンジンを搭載していましたが、アメリカ市場での拡販のために、1987年には2.7リッター水平対向6気筒エンジン搭載車の「アルシオーネ2.7VX」をラインナップに追加しました。
1991年には、初代「アルシオーネ」の直線的なラインとは真逆ともいえる、丸みを帯びたシルエットの「アルシオーネSVX」が登場します。
先代同様、北米市場をターゲットとして長距離を快適に走ることを目的としたグランツーリスモで、ボディサイズは全長4625mm×全幅1770mm×全高1300mm。
前後にブリスターフェンダーを備えたボディは巨匠ジウジアーロのデザインによるもので、優れた空力特性とドアガラスがルーフ面まで回り込んだ、個性的な外観となっています。
最高出力240馬力を発揮する3.3リッター水平対向6気筒エンジンを搭載し、高速道路を利用した長距離移動を快適にこなすことができ、スバル独自の4WDシステムで、ハンドリングと安定性を両立させるなど、スバルとしてはもっとも贅沢で先進的な装備を持ったクルマでした。
※ ※ ※
大型のクーペは総じてデザインが美しいクルマが多い傾向にあります。それは、デザイナーがあまり制約にとらわれず、のびのびとデザインできるからかもしれません。
なお、かつてはトヨタ「クラウン」や日産「セドリック/グロリア」などのアッパークラスのモデルにも、クーペがラインナップされていた時代がありましたが、後に独立したモデルとなっています。
それほど、クーペにはニーズがあったということです。
Posted at 2019/08/29 20:19:18 | |
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自動車業界あれこれ | 日記
2019年08月29日
1台9億円!? ブガッティ新型「チェントディエチ」を創立110周年記念モデルとして発表!
■1991年に、ブガッティの再起をかけて発表された「EB110」
ブガッティは、自社の創立110周年を記念した新型モデル、「チェントディエチ」を発売しました。
同モデルは経営不振により1度は飛行機用エンジンメーカーとなったブガッティが、1991年に再起をかけて発表したクルマ「EB110」を彷彿させるデザインとなっています。
チェントディエチは、「EB110」の単なる復刻版という訳ではなく、新型に搭載された8リッターW型16気筒エンジンは、ブガッティ史上最高スペックとなる最大1600馬力を発生。0-100km/h加速にかかる時間はわずか約2.4秒で、200km/hまででも約6.1秒。最高時速は約380km/hに達し、その性能は現代版EB110といえます。
さらに名前であるチェントディエチはイタリア語で110を意味し、まさにブガッティ110年の歴史を象徴するモデルです。
価格は800万ユーロ、日本円で約9億円。限定10台の販売でしたが、既に完売しています。
Posted at 2019/08/29 20:09:58 | |
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2019年08月29日
「競技ベース車でなく、競技車両そのもの!」 WRCグループB、熱き時代の残像。【ManiaxCars】
右足とエンジンがシンクロ、蹴り出されるような加速感を見せるFJ24!
日産が放った限定200台のグループBホモロゲモデル「240RS」
モータースポーツ各カテゴリーのレギュレーションに合わせて生産された競技“ベース”車両は数多く存在する。国産車で言えば、スカイラインGTS-RやスープラターボA、ランサーエボリューション、インプレッサWRX STI、さらにストーリア/ブーンX4などもそれに該当する。いずれもナンバー取得が可能な、いわゆる市販モデルが存在するが、その点において240RSは極めて異質な存在だった。
なぜなら、日産は当初から日本国内での販売を想定しておらず(実際には数台のみ競技ユーザーの手元に渡ったが)、当時の日本の排ガス規制とは無縁の設計がなされていたから。
つまり、国内でのナンバー取得が不可能だった240RSは、ホモロゲーションをクリアするための競技“ベース”車両ではなく、純然たる“競技車両”として誕生した生い立ちを持っているのだ。
そもそも240RSは、グループB規定に合わせて1983年に登場。サファリラリー制覇を目標に開発されたマシンは1986年までWRCを戦ったが、並み居る海外ワークス勢がターボ4WDマシンでパワー競争へと突入していく中で、ついに勝利を挙げることなく表舞台を去っていった。
240RSのベースは、そのスクエアなスタイリングから察しがつくようにS110シルビア2ドアの後期モデル。エクステリアを最も特徴づける角型オーバーフェンダーを始め、ボンネットやトランク、前後バンパーはFRP製に交換され、フロント以外のウインドウをポリカーボネイト製に置き換えるなど徹底した軽量化を施し、カタログ値970kgという車重を実現している。
尚、角型オーバーフェンダーはベースのS110に対して片側10cmのワイド化を実現し、レギュレーションで定められた最大リム幅11Jまでのホイールが装着できるように設計されている。ホイール&タイヤは当時、14インチのエンケイ製3ピースAP-5(6J)+ダンロップSP310(215/60R14)が標準だったが、16インチのPPF1(8JJ)+前ポテンザRE11S(205/50R16)、後ポテンザRE55S(225/45R16)に交換。また、フロントブレーキにECR33純正キャリパー&ローターを移植して制動性能も高めている。
エンジンは240RSのために専用設計されたFJ24。ボア径φ88.0×ストローク量92.0mmから2340ccの排気量を稼ぎ、最高出力240ps、最大トルク24.0kgmというスペックを誇る。ちなみにFJ24は、エンジン型式からはFJ20の排気量拡大版と理解されがちだが、それは間違い。両エンジンの共用パーツはほぼ皆無で、FJ24はあくまでもWRCグループBでの使用を前提につくられているのだ。
燃料供給は、すでに国産各メーカーが実用化していた電子制御式ではなく、2基のミクニソレックス50PHHが担当。エアクリーナーボックスも標準で備わり、ワンタッチで脱着できるなど、実戦でのメンテナンス性を考慮した作りとなっている。電子制御式は、まだ今ほど緻密な燃料コントロールができず、当時WRCという過酷な舞台で使うには耐久性や信頼性に大きな課題が残っていたはず。さらに、それまでの実績や状況に合わせたセッティングの容易さなどからキャブレターが採用されたと想像できる。
また、EXマニは4-2-1集合の等長タイプを装着。ただでさえFJ系エンジンは振動が大きく、しかもWRCという過酷な状況下での使用を想定しているため、フランジと各パイプ、集合部には、クラックや割れの防止を目的に補強プレートが装着されている。
ちなみに、左フロントタイヤハウスの前方に取り付けられたのはブレーキマスターシリンダー。前後用が別個に設けられ、カスタマー仕様はオプションで、エボリューションモデルは標準で、前後ブレーキバランサーを装備した。
もちろん、エンジンに合わせて駆動系も強化。クラッチはボーグ&ベック製ツインプレート、ミッションは左下が1速となるレーシングパターンとされたクロスレシオの5速直結MT、F5C71Bが搭載された。
グループBのホモロゲーションを取得するために必要だった生産台数200台の内訳は、左ハンドル仕様が150台、右ハンドル仕様が50台。そのうち約30台が日産ワークスカーとして使われ、残りが海外カスタマーに販売された。また、後に15台ほどが逆輸入され、現在10台前後が実動状態にあるという。
取材車両はオーナーのH氏が93年に購入し、01/02/03/06年には自らがステアリングを握って、タスマニア島で行われる公道レース“タルガタスマニアラリー”に出場。06年はクラス優勝も飾っているという1台。貴重なクルマだが、単に所有して満足するのではなく、持てるポテンシャルを解き放つべく、国内外のイベントで思い切り走らせているのが素晴らしい。
実は12年前、この240RSを筑波山で取材したことがある。タルガタスマニアに出場する前だったため、ボディがまだ白一色だった頃のことだ。
その時、H氏の厚意によって試乗…それも、レブリミットまでキッチリ使った全開走行を思う存分、楽しませてもらった。
ちなみに今回は、駆動系がタルガタスマニアを走ったままの仕様…クラッチは標準のボーグ&ベック製ツインプレートからOS技研製強化シングルプレートに交換、ミッションはトップスピードを稼ぐため、5速オーバードライブのHCR32純正5速MT(FS5W71C)に換装されていたため、ギヤ比が適度に離れていて街乗りでは快適に走れたが、それは240RS本来の走りではない。
そこで、机の奥深くに眠っていた12年前の取材ノートを発掘。詳細なメモを元に、素の240RSの試乗インプレッションをお届けしたい。
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バケットシートに腰を降ろして、イグニッションキーをひねる前にアクセルペダルを2~3度あおる。キャブ車ならではの“儀式”さえ済ませておけば、FJ24はあっけないほど簡単に目を覚ます。ステンレス製のワンオフストレートマフラーから吐き出されるエキゾーストノートは、1300rpmという高いアイドリング回転もあって盛大だ。
ダッシュパネルはアルミ製で、フロントウインドウへの映り込みを抑えるためマットブラックで塗装され、助手席側グローブボックス部にはラリーコンピュータを装備。取材車両には、当時サファリラリー参戦を見据えて開発された試作エアコンが装備されていたが、軽量化のため取り外されていた。ミッションは左下が1速となる直結5速MT、F5C71B(ギヤ比は1速から順に2.818/1.973/1.470/1.192/1.000)が標準だが、タルガタスマニアのコースに合わせて、中身だけをR32用5速MT、FS5W71C(同3.321/1.902/1.308/1.000/0.759)に交換してギヤ比を最適化。尚、ファイナル比は標準4.625のままで変更なし。
メーター周りは至ってシンプル。左から1万rpm&200km/hフルスケールのタコ&スピードメーター、油圧/燃料/水温/電圧計が整然と並ぶ。タコメーターはレブリミットの7500rpmにスパイ針がセットされ、油圧計は2.5キロ以下になるとワーニングランプが点灯する。ちなみに、エンジンスターターボタンはセル始動の不具合対策として後から追加したものだ。
運転席、助手席ともに日産純正バケットシートを装着。シートベルトはFIA規定を満たす3インチ幅のタカタMPH-430だ。ロールケージも日産純正で6点式+サイドバーの8点式となる。
フロア後方に設けられたガゼットプレート。徹底した軽量化と同時にボディ補強も抜かりなく行われ、登場から30年が過ぎようとしている今でも、十分な剛性を感じさせてくれる。
設計が古いツインプレートクラッチは、それなりのペダル踏力を要求。左足にグッと力を込めてシフトレバーを左下に倒し、1速を選ぶ。ゼロ発進時のクラッチ操作には気を使うが、アイドリング回転のままでも注意深くミートさせれば、スルリと動き出す。思いのほか厚い低速トルクと1トンに満たない車重の軽さを、まず感じる瞬間だ。
キャブセッティングが完調のFJ24は思いのほか繊細で、右足のつま先に込める微妙な力加減にも敏感に反応するほどレスポンスが良く、アイドリングから7500rpmまでおそろしくスムーズに吹け上がる。FJ20では苦しくなる5500rpm以上でのパワー感もケタ違い。FJというエンジン型式から勝手にトルク型と思っていた特性が、実は高回転高出力型だったということを、そこで初めて思い知る。
6500rpmあたりからシフトレバーに伝わる振動が大きくなって共振音も出始めるが、お構いなしにタコメーターのスパイ針が示す7500rpmまで回してシフトアップ。2速へは5500rpmで、3速へは6000rpmでバトンタッチする。
見事にクロースしたギヤ比に加え、仮に8000rpmまで回しても5速での最高速が200km/hという全体的にローギヤードなギヤレシオは、筑波山のようなワインディングを走るには打ってつけ。途切れのない豪快な加速がくり出される。2~3速のシフトチェンジが縦方向の操作のみで完了するレーシングパターンも、ハイペースで走るにはすこぶる具合がいい。
軽量かつ十分な剛性が与えられたボディと、225幅タイヤのグリップ力(以前のポテンザRE711ではタイヤが勝ちすぎていたため、取材時はポテンザDAGGを装着)に負けないよう、固めて固めて横G剛性を出す足回りによって、コーナリングは軽快そのもの。
ただし、ボール&ナット式ステアリングは操作初期のレスポンスが鈍く「実際、カウンターステアが遅れてスピンしたことが何度かある」とH氏。しかもパワステレスのため、強めのキックバックを感じながら常にステアリングを抑え込んでおく必要がある。基本的に、力ワザでねじ伏せなければならないわけだ。また、アクセルオフ時にテールが若干巻き込むが、派手にブレイクすることはなく挙動はマイルド。その特性さえつかんでしまえば、積極的に向きを変えるキッカケとして使える。
オーバーフェンダーによって全幅は1.8mに達するが、運転席からの眺めは完全に5ナンバー感覚。スクエアなボディデザインは、四隅の見切りの良さに大きく貢献している。パワフルなエンジンやクロスレシオミッション、軽量な車重がもたらしてくれる高い動力性能や運動性能を引き出せるのは、実はドライバーが着込む感覚で操れる、このボディがあるからこそ、なのだ。
グループBマシンだけに「転がすだけでも手強いのでは?」と思っていたが、試乗を終えて強く印象に残ったのは、あっけないほど乗りやすく、ドライバーの操作に忠実なクルマだったということ。WRCという舞台で世界の強豪たちと戦うには、ドライバーに必要以上の労力やストレスを与えないことも、クルマに求められたひとつの重要な性能だったのだと思う。
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今回、撮影を終えて12年ぶりに240RSのステアリングを握らせてもらった。筑波山で取材した時のようにレブリミットまで回すことはなかったが、タルガタスマニアを走ったままの仕様は、12年前よりも軽快にエンジンが吹け上がり、ターマックのみに的を絞った足回りセッティングとSタイヤ装着によって、ハンドリングもより機敏さを増しているように感じた。
登場から30年が過ぎようとしている今、“超”が付くほどのグッドコンディションを保っているだけでなく、競技でも好成績を収めているという事実に、240RSに対するオーナーH氏の計り知れない愛情を感じずにはいられなかった。
■SPECIFICATIONS
車両型式:BS110
全長×全幅×全高:4330×1800×1310mm
ホイールベース:2400mm
トレッド(F/R):1410/1395mm
車両重量:970kg
エンジン型式:FJ24
エンジン形式:直列4気筒4バルブDOHC
ボア×ストローク:φ92.0×88.0mm
排気量:2340cc
圧縮比:11.0:1
最高出力:240ps/7200rpm
最大トルク:24.0kgm/6000rpm
トランスミッション:5速MT
サスペンション形式:Fストラット/R 4リンクリジッド
ブレーキ:Fベンチレーテッドディスク/Rディスク
タイヤサイズ:FR215/60R14
PHOTO&TEXT:廣嶋健太郎(Kentaro HIROSHIMA)
Posted at 2019/08/29 20:01:10 | |
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