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2020年04月14日 イイね!

コイツの後継は出ないだろうしなぁ〜

コイツの後継は出ないだろうしなぁ〜アルファロメオ「4C」「4Cスパイダー」が年内で生産を終了!2020年末に限定車を50台発売

カタログモデルの受注は4月30日で終了

 FCAジャパンは、アルファ ロメオのレーシングスピリットを体現してきた「4C」および「4C Spider」の2020年内での生産終了に伴い、 日本における最終受注受付を4月30日までと発表した。また、2020年末ごろには国内50台の限定車「4C Final Edition」「4C Spider Final Edition」(いずれも仮称)の発売を予定している。

「4C」と「4Cスパイダー」は、2014年の発売以来、セグメントで唯一無二ともいえる高い運動性能を誇り、その優美で官能的なスタイリングでファンを魅了してきた2シーターのピュアスポーツカーだ。全長×全幅×全高は3990×1870×1185mmというコンパクトなボディは、カーボンファイバー製パッセンジャーセルやアルミニウムサブフレームなど軽量素材を随所に施し、クーペの「4C」は車両重量わずか1050kg、オープンの「4Cスパイダー」が1060kgと軽量に仕上げらえている。

 エンジンは1750cc直噴ターボエンジンを車体中央に搭載。このエンジンは、4気筒アルミ製シリンダーブロック、新世代ターボチャージャー、超高圧式直噴インジェクター、連続可変バルブタイミング機構、スカベンジングテクノロジーを採用し、最高出力177kW(240ps)/6000rpm、最大トルク350N・m(35.7kgm)/2100-4000rpmを発揮。これにトランスミッションはAlfa TCT(デュアルクラッチ式6速オートマチック)を組み合わせる。0-100km/hの発進加速は、わずか4.5秒で達成する駿足ぶりを実現する。

「4C」と「4Cスパイダー」の生産終了に伴い、日本における受注は4月30日までとなるが、その歴史を締めくくるにふさわしい限定車『4Cファイナルエディション(4C Final Edition・右ハンドル/左ハンドル)』『4Cスパイダー ファイナルエディション(4C Spider Final Edition・右ハンドル/左ハンドル)』(いずれも仮称)を2020年末頃に50台限定で発売するという。詳細は後日、アルファロメオ公式サイトで発表される。
Posted at 2020/04/14 23:57:53 | コメント(0) | トラックバック(0) | 自動車業界あれこれ | 日記
2020年04月14日 イイね!

ポルシェのケイマンと同様に「単にルーフをつけただけ」ではないって事だよね

ポルシェのケイマンと同様に「単にルーフをつけただけ」ではないって事だよね【ヒットの法則200】Z4 クーぺはロードスターとは違う独自の雰囲気を漂わせていた

2006年に登場した初代BMW Z4クーぺ。Mモデルが同時に発表となったため、どうしても「Z4 Mクーぺ」に注目が集まりがちになっていたが、「Z4 クーぺ 3.0si」は実に魅力的なモデルだった。Z4 Mクーぺとあわせて行われた国際試乗会の模様を振り返ってみよう。(以下の試乗記は、Motor Magazine 2006年7月号より)

3.0siの0→100km/hの加速は6速MTで5.7秒
目の前に突然現れたZ4クーペは、はっきり言ってこれまでのBMWデザインの不評をすべて覆してしまうのではないかと思うほどカッコ良かった。実際にはロードスターのリア部分に「ハッチバックルーフが乗せられただけ」なのだが、とくにリアエンドのやや複雑な彫刻的なライン、そして、大きく後退したキャビンを持つクラシックなサイドビューが、Z4クーペにロードスターとはまったく違う独自の雰囲気を漂わせている。

そして、こうしたスポーツクーペで、レポーターが特に重視するのは、リアゲート背後のラゲッジルームである。ふつう300Lあれば二人の週末旅行に十分な荷物を積めるが、これは340Lを確保しているというから大したものだ。

一方、残念なのはインテリアで、相変わらずシンプル過ぎることだ。ロードスターと共通のそれは、やはり魅力的なフレアに欠けるのである。その質感もポルシェ・ボクスターやアウディTTと較べると間違いなく落ちる。

一方、フロントの長いボンネットに搭載されるエンジンは、BMWエンスージアストにはすでにお馴染みのアイコンとなっている3L直列6気筒で、最高出力は265ps、最大トルクは315Nmである。

BMWのカタログによれば、0→100km/hの加速は6速マニュアルで5.7秒、最高速度はMクーペと同じ250km/hでリミッターが作動する。つまりM仕様との事実上の差は、加速でコンマ7秒遅いだけというわけだ。もちろん最高速度までの到達時間は異なるが……。

こうなると3Lモデルの存在感に俄然スポットライトが当たるというものだ。さらにドイツでの価格をお知らせすると、Mクーペが5万5900ユーロであるに対して、3.0siは3万8900ユーロ、つまり1万7000ユーロ(約240万円)も安い。理性的に考えれば、ほとんどのユーザーはおそらく3.0siを選ぶに違いない。

さらにSMGセミオートマチックは快適性に欠けるという理由から、すでにZ4プログラムからキャンセルされているので、オートマチックを求めるユーザーはZ4Mクーペではなく、トルコン式6速オートマチックが装備されるZ4クーペ 3.0siを選択するしか手はないのだ。

ワインディングロードで、俄然、活き活きとする
さて、そんなことを思いながら、レポーターはテスト参加者の不思議そうな視線を感じながら6速マニュアル仕様の3L Z4クーペに乗り込む。関係者は皆、レポーターがMクーペに乗ると思っていたらしいのだ。

スタートしてすぐに気がついたのはやはりM仕様3.2Lエンジンとの吹け上がりの差である。

Mクーペのエンジンが金属的な唸りを上げて、もの凄い勢いで回転を上昇させるのに対して、3.0siの方は「なんでそんなに急いでいるの」という感じだ。静かなのはよいが、タコメーターの針の動きは一体いつになったらレブリミットに到達するのかと思われるほど緩慢に思える。

その間に315Nmという比較的大きなトルクを発生するのだが、そのトルクバンドが広いのでドラマチックな感動はない。しかしスムーズで扱いやすいギアを操作しながら気がつくと、すっかりと他の交通を置き去りにするほどのスピードが出ているのだ。しかもこうしたハイスピードからのブレーキ性能はMクーペにも負けない。強固なペダル剛性感と、しっかりした制動能力が約束されている。

そのまま高速道路を出て、ワインディングロードに向かうと、印象は少し変わってくる。3.0siはフロントノーズの軽さを生かした素晴らしいロードホールディングを見せてくれたのだ。ゼロ発進加速のときとはフィーリングが違い、スイスイと軽やかに走る。

さて、長い梅雨と厳しい暑さの夏、そして長いトンネルの存在や渋滞がちな都市高速などを考えると、事実上ルーフを開けるチャンスの少ない日本ではロードスターよりもクーペの方が実用性、そしてファッション性の問題で人気が高いのではないかと想像する。

それゆえにクーペモデルの購入を考えている人たちとっては、今年の暮れから来年にかけて質の高いヨーロッパからのクーペが目白押し状態になることをお伝えしておこう。

それは、このBMW Z4クーペ、すでに発売されているポルシェケイマンS、そしてこの後やってくるアウディTTである。それからつい先日のこと、この夏に2.7Lで245psのエンジンを搭載するスタンダードな「Sのつかないケイマン」を投入すると、ポルシェAGから発表があった。

すべてエモーショナルなスポーツカーだが、果たしてどれを選べばよいだろうか。案外、合理的な価格による判断をしてみるのも悪くないかもしれない。と言うのは、それだけそれぞれのモデルが接近した魅力と利点を持っていると思うからだ。(文:木村好宏/Motor Magazine 2006年7月号より)



BMW Z4クーペ 3.0si 主要諸元
●全長×全幅×全高:4091×1781×1268mm
●ホイールベース:2495mm
●車両重量:1395kg
●エンジン:直6DOHC
●排気量:2996cc
●最高出力:265ps/6600pm
●最大トルク:315Nm/2750pm
●トランスミッション:6速MT/6速AT
●駆動方式:FR
※欧州仕様
Posted at 2020/04/14 23:55:17 | コメント(0) | トラックバック(0) | BMW | 日記
2020年04月14日 イイね!

日本では今後はアウトバックしか取扱がないっていうのは物悲しいですね…

日本では今後はアウトバックしか取扱がないっていうのは物悲しいですね…【平成クルマ遺産(5)】ツーリングワゴン市場を独占した、輝かしいレガシィの奇跡

平成という時代は、レガシィに始まり、レヴォーグの第1世代で終わった。 平成のワゴンはスバル の一人勝ち状態。スバルが築いたスポーティなワゴン作りのノウハウは、どのメーカーも真似ができなかった。 その志を受け継ぐレヴォーグも今年フルモデルチェンジして2代目に進化する。

高速ツーリング時代に絶妙のパッケージング
まさに新しい時代の幕開けを飾るに相応しいクルマの登場だった。レガシィ、中でもツーリングワゴンの登場は、日本人のライフスタイル観を変えたといえるほどの衝撃だった。人目を惹く派手さはないものの、バブル最盛期の登場とあって、時代の空気にジャストフィットしたのだ。高速道路網がほぼ完成し、欧米型の余暇を楽しむライフスタイルが浸透しつつあった。

そこにドンピシャで嵌まったのがレガシィツーリングワゴンだった。ロングツーリングも難なくこなすグランドツーリングカーとしての高い基本性能、天候や環境に左右されない信頼のシンメトリカルAWD。そして5ナンバーとは思えないほどゆとりのあるラゲッジスペース等など。ほかのメーカーが大排気量車やスポーティカーの開発に邁進する中、スバルは実直に自社の持てる技術を投入して、このパッケージングを作り上げた。

レガシィのヒットに慌てたライバル各社は慌てて走行性能を重視したワゴンの開発に乗り出すが、時すでに遅しだった。すでに、レガシィはブランド化し、ツーリングワゴンと言えばレガシィというくらいに一般化していたのだ。打倒レガシィを掲げたライバルたちがことごとく討ち死にしていったのは、ライバル各社にとっては今ではあまり触れて欲しくない話題だろう。

そんな無敵を誇ったレガシィにも英断を下すときがやってきた。平成26年10月、北米市場のさらなる開拓のため、セダンとクロスオーバースタイルのアウトバックを残し、ドメスティックな人気に終始したツーリングワゴンをモデル廃止としたのだ。これには多くのスバリストたちは驚いた。2代目で追加されたレガシィ・グランドワゴン(クロスオーバーのさきがけである)が、北米で人気を人気となっていたことを考えると、当たり前の判断だったのかも知れないが。

だが、スバルは国内のスバリストを見捨てたわけではなかった。同年には、WRXベースのツーリングワゴン『レヴォーグ』を国内専売モデルとしてデビューさせたのだ。その卓越した走行性は、かつてのツーリングワゴンGTを彷彿とさせるもの。レガシィのDNAはこの新型に受け継がれて現在に至る。

ひとつのカテゴリーを単一車種が長期にわたって独占し続けてきた奇跡。これも平成の一大事件だったと呼ぶべきだろう。

レガシィツーリングワゴン年代記
初代:平成元年~5年[1989-1993]
ツーリングワゴンが国内で爆発的なヒットとなり、 同時にラインアップされていたセダンもスポーツセダンとしての地歩を固めていったレガシィ。平成4年に は初のオーバー 2lエン ジン搭載車「ブライトン 220」を追加して新たな 可能性の模索が始まる。

2代目:平成5年~10年 [1993-1998]
満を持して2代目が登場したのは93年10月のこと。発表に先立つ同年9月9日には米ソルトレイクで世界最速ワゴンの記録を打ち立て、ハイパーGTワゴンのイメージをより際立たせている。この2代目が後のレガシィの運命を変えることになる。北米市場からの要望でワゴンベースのクロスオーバー「アウトバック」が追加されたのだ(94年。日本では95年8月「グランドワゴン」という車名で発売)。ボディサイズはやや拡大されて3ナンバー車となった。これが北米で大ヒットとなり、クロスオーバーカーの先駆けとなった。ちなみに国内では97年8月にグランドワゴンから「ランカスター」に改称されている。

3代目:平成10年~15年[1998-2003]
平成10年6月にデビューした3代目では、ワゴン加え、当初からランカスターをラインアップ。セダンは半年遅れて新たに「B4」というサブネームが付いて発売された。この型よりFF車がラインアップから外れ、全車AWDとなっている。搭載エンジンは、2ℓと2.5ℓの対向4気筒、新たに3ℓ対向6気筒もラインアップに加わった(ランカスターから搭載が始まり、のちにワゴンとB4にも搭載)。

4代目:平成15年~21年[2003-2009]
国内のワゴンブームもひと段落付いた平成15年5月に4代目に移行。すでにライバル車は姿を消しつつあり、市場はレガシィ一人勝ちの様相を呈していた。今まで堅持してきた5ナンバーサイズのボディ幅がついに1.7mを超えて3ナンバーとなったのもこの代からだ。そして同年10月、ランカスターが全世界統一の名称である「アウトバック」に車名変更して国内にも投入された。こちらは従来と同じく3ナンバーボディだったが、北米での生産も始まり現地での販売の主力はアウトバックになっていく。

5代目:平成21年~26年[2009-2014]
平成21年のフルモデルチェンジで、ついに全幅は1780mm、アウトバックは1820mmまで大型化。主たるターゲットが国内から完全にアメリカ市場に向いたことを意味していた。装備もより一層ゴージャスになり、上級車へと脱皮していく。

6代目:平成26年[2014~]
6代目の開発にあたり、初代~4代目を彷彿とさせる新たなツーリングワゴン、つまりレヴォーグの開発が決まった。その結果、次世代レガシィは北米ジャストサイズの規格へと思い切った変更が可能となり、長年の功労者であったレガシィツーリングワゴンは消滅する。一方、レガシィB4(セダン)は、クラウンやフーガの市場で戦う上級セダンへと進化し、アウトバックは上級クロスオーバーカーへとポジションをアップして現在に至っている。
Posted at 2020/04/14 23:52:12 | コメント(0) | トラックバック(0) | 富士重工 | 日記
2020年04月14日 イイね!

日常的にマスク使っているけど、ダラーラ製とか欲しいんですけど

日常的にマスク使っているけど、ダラーラ製とか欲しいんですけどレースカー製造大手のダラーラ、新型コロナに対し医療用マスクとガウンの製造で協力

 スーパーフォーミュラやFIA F2など、様々なカテゴリーにレースカーを供給するダラーラ。彼らは新型コロナウイルスのパンデミックへの対応としてフェイスマスクと医療用ガウンの材料の供給に協力している。

 新型コロナウイルスの感染が世界中で広がりを見せていることで、モータースポーツイベントは中止や延期が相次いでいる。そして感染者数が爆発的に増加し、マスクや医療用の物資が不足する事態になっている国も多い。

 こうした緊急事態には、通常は医療分野でのビジネスを行っていない企業も協力する姿勢を見せており、F1チームはそのファクトリー施設で医療機器の設計や製造などを行なっている。

 そしてダラーラもそうした企業のひとつだ。彼らは2012年に設立したアメリカの拠点で、マスクと医療用ガウン材料のカッティングを支援している。

 ダラーラのスタッフは持ち込まれた材料を必要に応じてマスク及びガウン向けにカットし、それらはインディアナポリスにある、医療機器などの製造を行なうStitchWorksへ1日に2回送られ、完成品として仕上げられると、各病院へ納品されている。

 なおStitchWorksは医療関係者のためにマスクを作製する人員を集めるため、“Million Mask Challenge”プロジェクトのいくつかのグループと協力している。

 ダラーラUSAのステファノ・デポンディCEOはindycar.comに対し、こうした動きについて次のように語っている。

「我々はこの戦いを争うために、まず医師や看護師、そして関係者全員を助けるために積極的に動く必要がある。このウイルスを可能な限り早く克服することは、皆のためになる」

「そのため、レースカーのパーツを作ることが出来ないなら、地域の助けになることや、今苦しんでいる多くの人々の助けになる事を行なっていこうではないか」

 デポンティCEOによると、ダラーラのイタリア本社では人工呼吸器のパーツを製造し、エアロダイナミクスチームがその酸素の流れを改良しようと取り組んでいるという。
Posted at 2020/04/14 23:48:52 | コメント(0) | トラックバック(0) | 自動車業界あれこれ | 日記
2020年04月14日 イイね!

こういうクルマにはこういうカバンが似合う

こういうクルマにはこういうカバンが似合うエンツォも一発OK! フェラーリやブガッティ、パガーニの公式トラベルバッグとは?【イタリア通信】

■エンツォもひと目で惚れたスケドーニのトラベルバッグ

 モデナといえば、近辺に世界に名だたるスーパーカーメーカー、フェラーリ、ランボルギーニ、マセラッティ、パガーニが存在する街だ。

 それらのイタリアン・スーパーカーメーカーだけでなく、今や世界中の自動車メーカーと仕事をしているスケドーニ。現在4代目社長のシモーネ・スケドーニ氏に話を伺った。

 1880年、シモーネの曽祖父チェルソが靴職人としてスタートしたところからスケドーニの歴史は始まる。その息子、シモーネの祖父ジュセッペは13歳で孤児になったが、父親が残してくれた靴製造機械を元に家業を継ぎ、高品質の靴作りを目指すようになった。

 そして3代目となるシモーネの父、マウロの時代から事業が拡大していくこととなる。1960年代後半は、世界的に経済成長のさなかにあり、ファッションも花開いた時代だ。マウロは靴の他にカバン、ベルト、小物類などにも挑戦するようになった。もちろん、何をするにも祖父から受け継いだ、スケドーニのモットーであるクオリティ追求の精神はしっかりと彼のDNAのなかに根付いていた。

 そして1977年にスケドーニは自動車業界へと繋がっていく。この話に入る前に、前年1976年のクリスマスの際のエピソードを記しておこう。

 マウロはフェラーリ「308GTB」を所有している叔父フランコ・フォッリのために、トランクに入るトラベルバックセットをサプライズプレゼントした。フランコは、トランクにぴったりと収まったトラベルバックを見て感動。トランクに入る丁度良いサイズのバックが見つからず困っていたところだった。

 たまたまその時に居合わせた叔父の友人で、当時フェラーリ社の営業部長であったアメリーゴ・マニカルディもそのトラベルバックを見て、「トランクのなかにこんなに綺麗に収まるなんて!」と、マウロがフランコに贈ったプレゼントをひと目で気に入ることとなる。なぜならそれは、フェラーリオーナーがまさに欲しがっていたアイテムだったからだ。是非、フェラーリ社のためにも製造してくれないか、と、話は急展開することとなる。

 そして翌年の1977年の1月に、さっそくマウロはフェラーリ本社に試作品を持って出かけた。最終判断はエンツォ・フェラーリ御大だ。

 その当時からエンツォは、世界中のフェラーリファンから神格化された存在であった。マウロ自身も大のフェラーリファン。不安と期待が渦巻くなか、生まれて初めてエンツォ・フェラーリに直接会い、試作品をプレゼンする。

 エンツォもトランクに綺麗に並んだバックを見て、あまりの緻密さと品質の高さに感動し、その場で契約の話は纏まった。

 当時、308のほかに「512BB」、「400」も生産されていたので、すぐにコラボレーションを開始することになった。マウロにとって夢の世界の話が、エンツォのひと言で現実になった瞬間だった。その日はマウロにとって一生涯忘れられない日となった。

 スケドーニはその日から、フェラーリのサプライヤーとして途切れることなく40年以上関係を続けている。フェラーリ308 GTBから始まり、400、512BB、「モンディアル」、「288GTO」、「F40」……、そして、最近発表されたフェラーリ「ローマ」に至るまで、ワンオフバージョンを含め、数々のフェラーリのトラベルバックを製作してきた。

 フェラーリの新車発表会には、必ずといってよいほどスケドーニのトラベルバックがセットとなっている。もはやスケドーニは、フェラーリにはなくてはならないビジネスパートナーなのだ。

■フェラーリだけでなく、ランボ、パガーニ、ブガッティといった一流ブランドともコラボレーション

 1983年からは、スケドーニはF1のシートも手がけることになる。どうしてスケドーニがF1のシートをつくることになったのだろうか。

 1982年、ベルギーGP(ゾルダー)の予選2日目のことだった。ジル・ヴィルヌーブのフェラーリとヨッヘン・マスのマーチが接触してしまい、その衝撃でヴィルヌーブはシートごと車外に投げ出され、コース脇のフェンスに叩きつけられて死亡するという事故があった。

 この事故から世間はF1に「安全性」を問うようになり、世間の目は事故を起こしたフェラーリに向けられた。そこでエンツォは、シートの安全性を確保するための解決策を、サプライヤーであるスケドーニに相談した。

 エンツォから直談判されたスケドーニは、先ずは資材選びから始めたという。いろいろとテストした結果、牛革より軽い豚革(ピッグスキン)の滑りにくいスウェードを選んだ。

 フェラーリから渡されたカーボンファイバーのシートシェルに、スウェードを張り、試作品は完成。その試作品をエンツォの元へ届けた。

 エンツォは、シートの出来栄えには感動したものの、なかなか金額が折り合わなかったそうだ。さすが実業家のエンツォは、最終的にこのシートは「ファンの一人としてフェラーリ優勝のために貢献したい」と、スケドーニからのプレゼントという形で決着がついた。

 こうした経緯があり、エンツォは申し訳ないと思ったのか、スケドーニのロゴをシートに大きく付けるようにマウロに直接提案する。おかげでスケドーニの名前が世界中のF1中継で時々流れるようになった。スケドーニファミリーにとって、これ以上の喜びはない。

 また、エンツォから、「剥がしたシートにはドライバー名、レース開催日、サーキット名を書き、サインをするように。このシートはただのピッグスキンではない、立派な芸術作品なのだから」と嬉しい助言までもらったという。

 こうしてスケドーニのピッグスキンのシートは、1983年の126C、ドライバーはルネ・アルヌとパトリック・タンベイから始まり2003年まで、およそ20年間も採用され続けた。

 残念ながら、軽量化のためスケドーニのピッグスキンはシートに張られることがなくなった。その後はドライビングに必要なパットのみをスケドーニは供給している。

 当時のF1では、ワンシーズンに6枚から10枚のシートの表皮が張り替えられていた。スケドーニがフェラーリに供給していた約20年の間に、およそ200枚のシートから剥がされたピッグスキンが、スケドーニ社内に保管されている。(スケドーニの社内には、フェラーリに供給していた約20年の間にたまった、およそ200枚のピッグスキンが保管されている。)まさしくスクーデリア・フェラーリのひとつの歴史といっていいだろう

 こうしてフェラーリと仕事をしていくうちに、スケドーニの評判は自動車業界に広まっていった。

 彼らの信頼おける人柄と、高い技術力は多くの自動車メーカーに認められ、フェラーリをはじめ、パガーニ、ランボルギーニ、アウディ、アストンマーティン、ブガッティ、マクラーレン、アルファロメオ、ベントレー、ロールス・ロイスはもちろんのこと、イタルデザインが手掛けた日産GT-Rにも採用されている。

 いまやスケドーニは、世界の高級自動車にトラベルバックやディーラー用の営業のためのケースを供給する一流メーカーとなった。

 スケドーニ社は、いつ訪れても、あたたかく私のことを迎えてくれる。従業員約30人。現在はシモーネの甥のアレッシオが、スケドーニ社の5代目として働いている。いずれは息子のニッコロもスケドーニで働く予定だ。

 従業員は皆家族、そんな雰囲気が伝わる古き良きイタリアの形を継承しているスケドーニは、「大勢の家族」とともに高い技術力と誠実さで、モデナから世界に挑み続ける。2019年には、新たにオリジナルのスケドーニ・ブランドを立ち上げた。スケドーニの名前を冠したバッグなどが、いずれ日本にも上陸することだろう。

 ちなみに、各メーカーのトラベルバッグが気になる人は、正規ディーラーに問い合わせるとよい(現行モデルのみ)。

・取材協力:スケドーニ/www.schedoni.com
Posted at 2020/04/14 23:46:55 | コメント(0) | トラックバック(0) | 自動車業界あれこれ | 日記

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