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2019年04月20日 イイね!

時代に対して早過ぎたと言うべきか…

時代に対して早過ぎたと言うべきか…いすゞ・NAVi5は本当に失敗作だったのか(その1)世界初のバイ・ワイヤー技術搭載の意義と成果

今から35年前、いすゞ・アスカに搭載され登場を果たしたNAVi5。New Advanced Vehicle with Intelligentの頭文字をとって名付けられた同システムは、先例がなく、概念すら定まっていなかった自動制御に果敢に挑戦した意欲作だった。実現のためにはバイ・ワイヤー技術が不可欠。果たして開発陣はいかにしてNAVi5を仕立て上げたのか。

 フォルクスワーゲンのDSGを端緒に、DCT:デュアルクラッチトランスミッションは一気に世の注目を集め、伝達効率の良さと断続のないトルク感を長所として、欧米勢を中心に普及が進んでいる。それと並行し、主に低廉価車へAMT:オートメーテッドマニュアルトランスミッションの採用がある。AMTとはクラッチの断続とギヤ段選択を自動化したMTであり、つまりDCTはデュアルクラッチAMTとも言える機構である。

 AMTは通常のMTの動作を自動化したトランスミッションなので、クラッチは1組、ギヤセットも通常の平行軸構成の常時噛み合い式である。運転時にエンジン回転が上昇すれば高いギヤ段に架け替える必要が生じ、クラッチ断続の際にはどうしてもトルクが切れる瞬間がある。自身で断続を操作すれば気にならないこのトルク切れは、他者に任せると大きな違和感となってしまう。

 本稿のテーマであるNAVi5の開発と対策も、このトルク切れとの絶え間ない戦いであった。自動でクラッチを断続し変速するためにはシフト・バイ・ワイヤー:SBWは当然不可欠。当時はハードウェアの進化が思想に追いついていなかったため、志半ばでNAVi5は退場を余儀なくされたとされている。あと10年登場が遅ければ──とはよく同システムを語るときに掲げられる前提である。

 しかし、NAVi5の意義はシフト・バイ・ワイヤーだけではなかった。燃料供給システムも、つまりスロットル・バイ・ワイヤー:TBWも成し遂げていたのである。世界で初めて、と言っても差し支えないほどの早期に、SBWとTBWを携え、しかも実用化を果たしたNAVi5とは、どのようなシステムだったのだろうか。

「人間の感性に近い透明の空間ロボットを運転席にすわらせる。通常ドライバーが行っている面倒なクラッチ操作やギヤチェンジ操作は感性ロボットが代行する。運転席の本当のドライバーはアクセルとブレーキを踏んでその意思をロボットに伝えるだけで良い」


 これが、いすゞ・NAVi5の開発チームの立ち上げたコンセプトである。大部分がすでに現実となっている2019年の今ですら荒唐無稽とも思えるこの声明が、当時の人々に与えた衝撃は推して知るべし。果たして、なぜこのようなコンセプトを彼らは打ち立てたのだろうか。



 当時のいすゞ車はFR車とFF車が混在している状況で、特に後者は小排気量・小型車ということもありほぼ全数がMT仕様であった。FF用ATとして、当時の提携先であるGMから3速ATの供給は受けていたものの、このターボハイドラマチック125と称するユニットはギヤ比や変速点の設定などが日本の道路事情に合わず、当時のいすゞのFF車には適合が難しかった。GMに日本仕様の設定を依頼したものの、ラインに連れていかれ「午前中の1時間に流れる量より少ない供給数にどうやって対応しろと?」と返されるのみだったという。

 そして当時のATの効率は、お世辞にもいいものではなかった。スターティングデバイスであるトルクコンバーターはトルク増幅と滑らかな伝達が何よりの美点だが、いっぽうで流体による継手構造のためどうしても伝達損失が大きい。昨今のトルクコンバーターはロックアップクラッチによる機械締結でその損失を最小限に抑えているが、当時にはそのような試みはまだ主流ではなかった。もちろん、GMからの供給品ということで非常に高価という側面もあった。しかし、市場からの自動変速機へのニーズは高く期待も大きい。

 NAVi5は、このような閉塞状況を打破したいという思いから生まれたトランスミッションだったのである。
(続く)


いすゞ・NAVi5は本当に失敗作だったのか(その2)世界初のバイ・ワイヤー技術搭載の意義と成果

今から35年前、いすゞ・アスカに搭載され登場を果たしたNAVi5。New Advanced Vehicle with Intelligentの頭文字をとって名付けられた同システムは、先例がなく、概念すら定まっていなかった自動制御に果敢に挑戦した意欲作だった。実現のためにはバイ・ワイヤー技術が不可欠。果たして開発陣はいかにしてNAVi5を仕立て上げたのか。

 とはいうものの、NAVi5ははじめからトランスミッションの自動化を目指して生まれたものではなかった。任天堂のファミリーコンピュータが発売され、マイコンという言葉がすっかり一般化した頃、ひとりのエンジニアがマイコンをクルマの自動化にも生かしたいと考えた。このエンジニア・畔柳楯三氏の漠然とした思いに呼応した6名が本来の業務とは別活動のグループを設立したのが、開発のスタート。彼ら7名がマイコンを使ったクルマの自動運転のあり方を探っていったのち、到達したのが冒頭に紹介したコンセプトである。プロジェクト名はずばり「マイコンを利用したマニュアルトランスミッションの超能力感性ロボット運転システム」であった。

 MTをベースとしたのは、いすゞがすでにGM/オペル向けも含め多くのユニットを量産していて、得意分野と自負していたからだ。遊星ギヤ式やベルト式CVTも検討の俎上には載ったが実現には至らなかったという。

 グループの7人は廃車寸前のいすゞ・ジェミニを入手し、シャシダイナモ上で用いていたペダル/シフト操作のためのエアシリンダーを駆使し、そのジェミニに備え付けた。制御のためのマイコンは、メンバーのひとりが60万円を原資金に秋葉原へ出向き部品を調達、手作りで装置を作り上げた。ひとまず、自動操作のための仕組みは自作と工夫でなんとかしたのである。


 装置ができても、その装置に何をさせるかを覚え込ませないといけない。「変速動作とは何か」を問い直す作業が始まった。ところがシフトアップひとつをとってみても、クラッチの断続やシフトノブの操作タイミングなどは十人十色。当然のことながら解析は難航し、プログラム化は困難を極めた。畔柳氏は「この作業で人間の微妙な感覚のすばらしさとそれに従順に対応するメカニズムの素直さにあらためて感心させられたものだ」と振り返っている。ゼロから操作を細かく見直したことが、その後のシステム開発に大きく寄与した。

 紆余曲折を経て、どうにか試作車ができあがった。キャビンは乗員の乗り込むスペース以外がすべて機械で埋め尽くされるような有様の改造ジェミニは、少々のトラブルはあったものの自動で変速を成し遂げ、走ったのである。それを聞きつけた当時の前社長・岡本利雄氏が試乗、このプロジェクトは一気に量産化への道を辿ることとなる。1981年の秋のこと、NAVi5の登場までわずか3年しかなかった。


いすゞ・NAVi5は本当に失敗作だったのか(その3)世界初のバイ・ワイヤー技術搭載の意義と成果

今から30年前、いすゞ・アスカに搭載され登場を果たしたNAVi5。New Advanced Vehicle with Intelligentの頭文字をとって名付けられた同システムは、先例がなく、概念すら定まっていなかった自動制御に果敢に挑戦した意欲作だった。実現のためにはバイ・ワイヤー技術が不可欠。果たして開発陣はいかにしてNAVi5を仕立て上げたのか。

 古賀英隆氏は、入社以来一貫してトランスミッションのスペシャリストである。EDS:イージー・ドライブ・システムと称したNAVi5の量産化が始まった頃に、開発陣として加わったという。EDSは手作りのエアシリンダーを油圧機器のスペシャリスト・ヂーゼル機器に、制御系統をコンピューターの雄・富士通に預け、いすゞと3社で共同開発する手法をとった。そのアクチュエーターをミッションケースに載せていくのだが、巨大で重いためケースの強度がもたない。

「課長に呼ばれて『マニュアルトランスミッションの担当なんだからなんとかしろ』と言われるわけです。当時は構造解析がようやく始まった時期でして、それを利用して強度を計算するのですが、まだ精度に乏しく大きなものも作れない。仕方なく、壊れたところの周辺にパッチを充てて修正、すると当然別のところにしわ寄せがくる。だからまた修正――5回くらいは直したでしょうか」

 どうにかアクチュエーターはケースに搭載できた。結果、7kgもの重量になったという。ところが今度は試運転の段になってギヤ鳴りが生じてしまう。自動変速の動作をひとつひとつ確認していく作業が始まり、どうやらクラッチミートが若干早いということを突き止める。

「シンクロは済んでいるんです。だけど、スリーブの爪がギヤに噛み終わる前にクラッチをつないでしまっていた。シフトが完了したという信号を送るためのディテントスイッチがあるんですが、それの位置がおかしかったんです。じゃあスイッチを動かせばいいとなるんですが、ご存じスリーブの移動量なんてわずか。どのくらいのストロークでスイッチをONとするかとなっても、ちょっとしかストローク量がないわけです。結局、ヂーゼル機器に選別で仕立ててもらいました」

 寒いとギヤが入らないというのも悩みのひとつだった。EDSは低温時にもアクチュエーターをきちんと動かせるように、通常の自動車用ギヤオイルよりも柔らかい航空機作動油を用いた。-30°Cで200cSt、40°Cで14.0cSt、100°Cでは5.14cStという粘度で、たとえば75W-90の某ギヤオイルでは40°Cで102cSt、100°Cで15.1cStという粘度だから、非常に柔らかいことがわかる。

「にもかかわらず、極低温下ではオイル抵抗でギヤが入らないケースがありました。そこで油温スイッチを急きょ取り付け、低温になると停止時以外はローギヤに入れない制御を盛り込んだんです」

 業務後、午後8時くらいになるとEDSの会議が始まり、侃々諤々の議論が交わされる。午後10時を過ぎてようやく散会すると、ソフト屋はそこから仕事を始める。朝までにできあがっている制御をその日にまた試し、会議に諮り......という繰り返し。登場までの期限を切られたEDSの開発は、目の回るような急ピッチで不眠不休のなか進められたという。


「ところで」と古賀氏が言う。EDS=NAVi5はスロットル・バイ・ワイヤー(TBW)だった。考えてみれば当然のことで、仮にケーブル接続だったら変速時にクラッチを自動でシステムに切り離された場合、ドライバーはアクセルペダルを踏み続けている状態なのでエンジンが吹け上がってしまう。TBWは必須だったのである。しかし当時のガソリンエンジンの燃料噴射はキャブレター。インジェクターのように「燃料を噴く量」ではなく、「空気が通る通路の大きさ」を操作して、そこを通る空気の流速によって吸い上げられる燃料が混合気化して筒内に吸入されるという構造であり、フィードバック制御はするものの、現代の観点からも困難さが想像できる。しかも、制御のためのコンピューターは速度/容量ともに乏しかった。

 TBWの機械的システムとしては、スロットルにセンサーを備え、8ビットのマイコンでストロークを256等分に演算し、その信号を受けたキャブレターのバタフライバルブに備わるステップモーターが、やはり256段階で動かしていた。低速で走っていると、このステップモーターのコツコツという動作がわかったという。フェイルセーフについては二重系統を敷いておらず、ダウンしたら止めるという制御だった。

 ユニークだったのは、ペダルの操作感にこだわったことである。

「アクセルペダルは、当初センサーを備えるだけの構造だったのですが、フリクションがないとフィーリングが悪いとなりました。そこで、ダミーのケーブルをつけたんです。アクセルペダルの先から、グルッと回してループさせる構造で、わざと曲率を強くしてフリクションを設けました」

 世界でも類を見なかった最速のタイミングのTBWは、さまざまな工夫とともにどうにか実現を見たのである。



いすゞ・NAVi5は本当に失敗作だったのか(最終回)世界初のバイ・ワイヤー技術搭載の意義と成果

いすゞ・アスカ、NAVi5仕様。当時のいすゞはスペシャルティカーの117クーペ、小型車のジェミニ、中型車のフローリアンというラインアップ。GM傘下でもあったことから世界戦略車である第二弾の「Jカー」シリーズのいすゞ版として、そしてフローリアンの後継モデルとして1983年に誕生。L4440×W1670×H1375mm×WB2580mmという、当時としては大きめのサイズを持つ4ドアセダンであった。

 駆け足の開発期間を経て、1984年8月にNAVi5は世に登場した。ロボットが人間の代わりに操作するというコンセプトは反響を呼び、好悪の印象がまっぷたつに分かれた。

 否定派の声は、MTなのでなおさらドライバーの感性や意思とコンピューターのやろうとしていることが合致しないというものであった。 たとえば、足がつるという声があった。ペダルを踏み続けているのに速度が落ちてしまう、だからさらにペダルを踏む。ペダルの操作が難しいというのである。ドライバーは加速したいからペダルを踏み増すのに、クルマは制御マップに則ってエンジン回転を落とし、クラッチを切りシフト操作をして高い段に切り替え──と律儀に任務を完遂しようとする。しかし、ドライバーの意図と異なるから、違和感を覚えるのである。冒頭のAMTのトルク切れと、訴える内容は同じだ。

NAVi5(EDS)の機械構成。大別すると駆動系センサー/運転操作系のセンサー/変速機を駆動するアクチュエーター/コントロールユニットおよびインジケーターという機械構成。センサー類はシステム全体でおよそ20個で、エンジン回転数をマグネットピックアップによって37パルス/回転、インプットシャフトの回転数も同様に43パルス/回転で信号を拾っていた。オートクルーズを備えているのも特徴。
「ところがおもしろいことに、ドライバーが不満を訴える横に乗っていると、同乗者には全然なんともない。むしろ非常にうまい運転だと感じられるんです。とはいえ、やはり運転していると発進などでは非常に遅い。右折待ちで対向車が途切れたときにパッと発進したいのに怖くて行けないというご意見は多かったですね」

 そのようなユーザーのためには、変速のためのタイムラグは対応策がないので、MTのようにシフトレバーを自分で動かすことが勧められた。シフトゲートに設けられたポジションスイッチが位置を検出すれば、少なくともドライバーの意思には変速動作は沿ってくれるからである。さらに高度な技として、加速したいときに少しアクセルペダルを戻すことでマップのシフトアップポイントに合わせるという手段も編み出された。アクセルでシフトアップするという方法である。

NAVi5の制御系統図。ドライバーの操作と各部に備わるセンサーからの信号をコントロールユニットが受け、スロットル/ギヤチェンジ/クラッチコントロールと、インジケーターとして出力した。白眉のひとつが坂道発進補助装置(HSA)。ブレーキ圧を保持するバルブを備えるシステムで、NAVi5のためにいすゞが膨大に出願した特許のひとつだった。現在にも生き続ける技術のひとつである。
 多くの意見が寄せられ、対策を施したNAVi5だったが、残念ながら4ATの登場とともに市場から姿を消すこととなる。折しも、いすゞの乗用車分野からの撤退という出来事も重なった。しかし古賀氏は、この技術はMTベースで作られたものであり、乗用車に限らず転用は容易で、非常に意義のあるものと感じていた。応用先として白羽の矢が立ったのは、同社の小型トラック・エルフ。トラックは乗用車ほどにトルク切れに対してユーザーが神経質でなく、また当時はエルフクラスのATユニットが存在しなかったことも後押しした。

 SBWということで、シフトレバーはダイヤル式としコラムから生やす意欲的な設計。乗用車版NAVi5のときに散々寄せられた変速の遅さには、各シフト列ごとにアクチュエーターを備えることで対策をとった。 「ただひとつ、クラッチ保護のためにローギヤ発進としたのが難点でした。重量物積載や過負荷の時を除けば、トラックは普段セカンドギヤで発進するので、やはり遅いんです」

各種トランスミッションの比較評価。「EDSなる考え方の自動車が世の中に存在しない為、従来の自動車の延長線上で全て評価するのが困難」と、当時の技報にはある。そこで、メリット/デメリットの把握のため、5MT、3ATとEDS(NAVi5)の性能を比較した。微速コントロールと車庫入れ性が劣り、弱点であると当時の技術者も認識していたが、それを上回るイージードライブ性能を美点として訴求していた。
とはいうものの、乗用車版のNAVi5に比べれば性能も使われ方も優れていた。しかし数が出ず、独自の機構を数多く盛り込んでいたことから高価なシステムとなり、トラックにとっては致命的だった。結局、このエルフのNAVi5も長く続かずに姿を消すこととなってしまう。 これをよしとしなかったのが、Mr.エルフとも称される西谷忠邦氏であった。西谷氏もやはりNAVi5を意義のある装置ととらえていて「トラックの運転はクラッチの操作が面倒なんだから、そこだけをNAVi5から切り出せばいい」と提唱。かくして、シフト/セレクトは手動ながら自動クラッチ断続という「デュアルモードMT」ができあがる。ユニークだったのはクラッチペダルを残していたことで、モードの選択によってクラッチフリー/マニュアル操作を選択できた。

 さらに後年、AT限定免許という制度が現れ、エルフのような小型トラックにも2ペダル仕様が求められるようになった。

「完全な自動クラッチにすると、95%はうまくいくんだけど残りの5%がうまくいかないんです。例えばハンドルを切って路肩に乗り上げるときなどですね。発進直後に大トルクが必要なんだけど即座にクラッチを切らなければ危ないというシーンです」

 ブレーキを踏みながらアクセルを操作すればうまくいくが、トラックのペダルレイアウトではそれができない。サイドブレーキとの併用も検討されたが、そもそもAT限定免許運転者のためのシステムなので、現実的ではない。当時は半クラッチの制御も非常に高度化していたが、断続のうち「続」の方向しかできなかった。さまざま検討されたうち、結論はトルク増幅をしない流体継手・フルードカップリングであった。こうして今に続くAMT・スムーサーが誕生したのである。

 売上という点ではたしかに失敗作だったかもしれないNAVi5。しかしバイ・ワイヤー技術の嚆矢としてはもちろんのこと、協調制御という観点からも非常に意義の深いシステムであった。歴史に「もし」はあり得ないが、コンピューターの技術が進んでいたら、アクチュエーターがもっと小さく高速作動したら、インジェクターがすでに普及していたら、いすゞが乗用車から撤退していなかったら──NAVi5はどのような扱いになっていただろうか。


ナビファイブ、New Advanced Vehicle with Intelligence 5-Speed

ウィキペディアにも記載があるけどオートクルーズ機能や、坂道発進補助装置(H.S.A)を既に持ち合わせていたって言うんだから

後にNAVi-6に進化してスムーサーシリーズへ

GMとの関係や乗用車撤退など世界情勢によっては違った未来があったんだろうね
Posted at 2019/04/20 22:54:39 | コメント(3) | トラックバック(1) | 自動車業界あれこれ | 日記
2019年04月20日 イイね!

レーシングカーかっていうとそうでもないか?スーパーカーかって言われるとナンバーワンって訳でも…なんでだろうな~

レーシングカーかっていうとそうでもないか?スーパーカーかって言われるとナンバーワンって訳でも…なんでだろうな~【名作スーパーカー100選】File.08「デ・トマソ パンテーラ」

De Tomaso Pantera

デ・トマソ パンテーラ

イタリアとアメリカの合作によって誕生

1970年代にイタリアとアメリカの合作として大きな成功を収めたスーパーカー。イタリアをアレッサンドロ・デ・トマソが率いた「デ・トマソ」、そしてアメリカをリー・アイアコッカというイタリア系アメリカ人が絶対的な権力を持つ「フォード」という言葉に置き換えれば、それがデ・トマソ・パンテーラであることは、スーパーカーファンには容易に想像することができるだろう。

実際にこのプロジェクトを推進する立場にあったアメリカは、スーパーカーにとって世界で最も大きな市場であり、アメリカでの成功は、すなわちグローバルで成功と同義であった。フォードはアメリカ国内に数多くあるリンカーン、そしてマーキュリーのディーラーネットワークを通じて「パンテーラ」をそれまでのスーパーカーの常識からは考えられないほどの低価格で販売することを計画したのだった。それは同様にエンジンをミッドシップし、レースシーンにおいてフェラーリなどのライバルと激しい戦いを演じた、あのフォードGTからのDNAを感じさせるスタイルを持つものでなければならなかった。

トム・チャウダーによるスーパーカーらしいスタイリング

パンテーラのデザインは、イタリアのカロッツェリア・ギアに委ねられ。チーフ・スタイリストのトム・チャーダによって描き出されたボディは、ミッドシップ・スポーツらしいスパルタンなフィニッシュだ。GT40にも共通する、速さや力強さを感じさせるスーパーカーとして洗練されたスタイルを持ち合わせている。

350psを発揮する“クリーブランド”エンジン

ミッドに搭載されたエンジンは、当時、最高出力350ps、最大トルクが451Nmと発表された5.8リッターV型8気筒OHV。アメリカ車のファンにとっては、その生産工場がオハイオ州のクリーブランドにあることから“クリーブランド”のニックネームで呼ばれる非常にポピュラーなエンジンとして知られている。組み合わせられるトランスミッションは5速MT。潤滑は一般的なウエットサンプであるため、重心はスーパーカーとしてはやや高い位置にある。

他のスーパーカーの半額程度でヒットするも・・・

パンテーラの開発中に、すでにデ・トマソはフォード傘下に収まるが、1971年に発売されたパンテーラは、フォードの狙いどおりのセールスを見せる。その最大の要因はやはりリーズナブルな価格で、一般的にスーパーカーと呼ばれるブランドに対して、パンテーラは半額程度のプライスが設定されていたし、さらにアメリカではポピュラーなクリーブランド・エンジンを搭載していたことから、整備性の高さも人気の理由にはあった。

だが、パンテーラにとっての不運は、思わぬところから訪れる。オイルショックに端を発するオイルショックの影響から、パンテーラのみならずスーパーカーのセールスは大幅な落ち込みを見せる。それでもなおパンテーラは1990年代まで、さまざまなバリエーションを生み出しながら生産を続けていく。ファイナルモデルとなったSI=ヌォーバ・パンテーラは、基本的なシルエットはそのままに、マルッチェロ・ガンディーニによる、エクステリアとインテリアの斬新な見直しを行ったモデル。マスタング用に開発された5リッターV型8気筒OHVエンジンを搭載しているものの、最高出力247psと、それまでよりも抑えられてしまった。

文/山崎元裕(Motohiro YAMAZAKI)


魅力的なんだけどね
デ・トマソって言ったらパンテーラになるよね

ヌォーバ・パンテーラはパンテーラの中では異色だからな~でもミウラコンビのダラーラ&ガンディーニっていうのは良いよね

ヌォーバ・パンテーラの知名度は正直低いでしょう…



70'sスーパーカー図鑑<その6>デ・トマソ パンテーラ

ゴールデンウイークの短期集中連載企画として、日本のスーパーカーブームを築いた1970年代のスーパーカーを紹介していきたい。今回は、スーパーカーとしては長寿を誇った、デ・トマソ パンテーラだ。(ホリデーオート2018年11月号別冊付録より)

アメリカンV8をミッドシップ搭載した異色のスーパーカー
「De TOMASO Pantera:デ・トマソ パンテーラ」

1966年にマングスタをトリノショーで発表して、一躍スーパーカー・メーカーの仲間入りを果たしたデ・トマソが、アメリカのフォードと手を組み開発したのが、1971年に登場したパンテーラだ。
大量生産でコストダウンを狙ったスーパーカーというコンセプトは、世界初のものだった。

ランボルギーニから移籍したジャンパオロ・ダラーラが設計した基本骨格は、当時バックボーンフレームが主流だったスーパーカーとしては異例ともいえるモノコック構造で、クリーブランドの愛称を持つフォード製5.8LのV8・OHVを縦置きミッドシップ搭載している。

ボディデザインはカロッツェリア・ギアに在籍していたトム・ジャーダで、全高わずか1100mmのウエッジシェイプに仕上げた。

生産性にまで配慮したスタイルはイタリアンデザインの繊細さに欠けるが、その荒々しさが力強さに感じられるのは、優れたデザイン性によるものだろう。

ただし、リアのエンジンフードを開けても2列に並んだ美しいカムカバーは見えない。そこには、バンク中央に置かれた4バレル・ダウンドラフトキャブレターのエアクリーナーと、何の変哲もないOHVエンジン、そしてZF製5速MTが鎮座しているだけだ。

しかし、フォード製351CDIユニットは300psの最高出力を5400rpmで発生する低回転型ゆえに、メンテナンスフリーで所定の性能を発揮する。これがマルチキャブで神経質なイタリアンスーパーカーとの決定的な差だ。

しかも44.0kgmのビッグトルクをわずか3500rpmで発生したから、低速域での扱いやすさはこの種のクルマとしては抜群で、スーパーカーのイメージを覆す低速性能も発揮した。

フェラーリのほぼ半額で公称最高速度260km/hの性能が手に入る、となれば人気が高まるのは当然だ。1972年には3000台に迫る販売実績を残している。

だが、アメリカンV8ユニットは官能性能に欠ける、との指摘はついて回った。十分速いが、エンジンの吹け上がりやサウンドなど様々な要素が絡んで醸し出される速さの質が大味だというのだ。

そこで1973年に追加されたのが、ここで紹介するGTSだ。エンジンは同じフォード製351CDIながら、圧縮比を11.0:1に上げて330ps/47.5kgmまでチューンした結果、不評だった吹け上がりはシャープになり、最高速度も290km/hに上がった。

同時に、GTSをベースに500psオーバーまでチューニングしたグループ4レース参戦用モデル、GT4も開発。レースでは目覚ましい結果こそ残せなかったが、標準車と一線を画す走りを望む声に押されて、1974年にはレース仕様のGT4がそのまま市販されている。

パンテーラは第一次のスーパーカーブームが去ったあとも生き長らえ、第二黄金期となった1990年のトリノショーでビッグマイナーチェンジされたモデルも登場し、小規模ながらも生産が続けられた。

デ・トマソ パンテーラ GTS 主要諸元
●全長×全幅×全高:4270×1830×1100mm
●ホイールベース:2515mm
●重量:1420kg
●エンジン:V8 OHV
●排気量:5763cc
●最高出力:330ps/6000rpm
●最大トルク:47.5kgm/3500rpm
●トランスミッション:5速MT
●駆動方式:縦置きミッドシップRWD
Posted at 2019/04/20 12:33:50 | コメント(0) | トラックバック(0) | 自動車業界あれこれ | 日記

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