2019年11月10日
トヨタがスバルへの出資を強化
スバルは完全にトヨタ傘下に。日本メーカー同士の出資関係を改めて再確認してみる
8月末にスズキとの資本提携を発表したばかりのトヨタ自動車が、今度はスバルへの出資増を発表。スズキ、スバルともに株式の持ち合いはあるものの、トヨタ側からの出資金額が多く、トヨタの豊田章男社長の言う「仲間作り」は予想以上の早いペースで進んでいるようだ。
トヨタとスバルの提携関係は、日産自動車に続いて米ゼネラルモーターズ(GM)がスバル(当時は富士重工業)の株を手放した後の2005年に始まる。その後、2009年には出資率を16.8%まで高めて連携を強化。そこで生まれたのがトヨタ86/スバルBRZだったが、今回はさらに750億円程度の追加出資で出資率は20%超まで持っていくとしている。20%を超えるとスバルはトヨタの持ち分法適用会社となり、スバルの損益の一部はトヨタの連結決算対象となる。これでスバルは完全にトヨタグループの一員となった形だ。
トヨタの主な出資企業を見渡すと、自動車メーカーでは100%子会社のダイハツを始め、スバル(出資率20%)、マツダ(同5.1%)、スズキ(4.94%)と乗用車メーカー4社に加えて日野自動車(同50.2%)、二輪車大手のヤマハ発動機(3.58%)と国内メーカーの半
数以上を占める。さらに世界最大手のサプライヤーであるデンソー(同24.4%)に加え、アイシン(同24.8%)などグローバルレベルの有力企業が名を連ねる。この体制はフォルクスワーゲン・グループ(VW)、ダイムラー、GMをも上回るもので、豊田社長がよく口にする「100年に一度の変革」への対応でもリードしていると見ていいだろう。
また、見逃せないのが提携する国内メーカーの持つ強みで、スバルは4WDシステムや高性能モデルの開発、スズキは小型車開発の技術とインドなどでのネットワーク、マツダは走る楽しさを実現する独自のクルマ哲学など、トヨタにはないものを持っている。その半面、財務面ではトヨタのように磐石ではなく、先行きを考えるとトヨタとの関係を保っておきたい、と考えている面も垣間見える。
一方でこのトヨタグループに対抗するホンダ、日産自動車、三菱自動車の存在も忘れてはならない。ホンダは独自のクルマ作りとブランド力の強化で北米ではトヨタに対抗する勢力であり、日産と三菱はタッグを組んでグローバル戦略を展開している。ルノーと提携する日産はここにきて業績不振に喘いでいるが、開発力と販売ネットワークでは世界のトップメーカーと伍する力を持っている。2018年の世界販売台数ではルノー、日産、三菱のアライアンスがトヨタグループを上回っており、ルノーと日産の相互出資、日産の三菱への出資といった関係が平穏に保たれれば、グローバル市場での存在感が失われることはない。
今後、日本においてこの3つのグループが存在し続けるのか、あるは再編につながる資本提携が行なわれるのか予断を許さないが、電動化が必至の環境対策、自動運転、モビリティサービス、コネクティッド分野など従来のノウハウでは対応しにくく、莫大なコストが予想される状況下で相互協力は欠かせなくなる。正念場を迎えるメーカーやグループがどんな動きを見せるのか。今後も目が離せない状況が続くことになりそうだ。
スバル 中村社長「CASEの時代でもスバルらしさを磨くことに集中していく」
SUBARU(スバル)の中村知美社長は11月6日に行った2020年3月期第2四半期の決算説明会で、トヨタ自動車とのアライアンスについて「CASEの時代であってもスバルらしさを磨くことに集中していく」と述べ、独自な生き方を貫いていく考えを示した。
スバルは2005年、トヨタがGMが放出したスバル株の一部を買い取ったことによってトヨタグループ入りした。その後、スバルが北米工場でトヨタ車を生産したり、『86/BRZ』を共同開発するなどしたが、それほど両社で協調していく様子は見られない。部品の共有化などを進めれば、もっと効率的な経営を行えると思えるが、なかなかできない状況が続いている。
「部品の共有化と言っても、うちは水平対向エンジンのAWDが主体のクルマですから、そんなに簡単に部品の共有化はできない」と中村社長は話し、「トヨタもスバルらしさが消えることを望んでいないと思う。われわれとしての強みを生かす。それによって、トヨタにも貢献できると考えている」と協調する。
スバルは提携当時、トヨタの幹部からこう言われた。その幹部はホワイトボードに十文字のグラフを描き、横軸に「乗用か商用か」、縦軸に実用志向かスポーツ志向か」、さらに販売台数をイメージした円を描いた。よく見ると、スバル車とトヨタ車の円が微妙に重なっていた。「これ以上、うちのゾーンの円に入ってくれば、即座にたたきつぶす」。トヨタの傘下にいながら、いかにトヨタから離れるかがスバルの生きる道となった。
とは言うものの、当時とは時代背景が大きく変わっている。自動車業界は100年に一度と言われる大変革時代を迎え、CASEに代表されるコネクティビティ、自動運転、シェアリング、電動化やMaaSに力を入れざるを得なくなった。
「われわれが扱っている業域、商品はMaaSから最も遠いところにあるのではないかと認識している。ただ、これだけテクノロジーの力でモビリティが変わろうとしている中で、知らん顔をするわけにはいかない。モネ・テクノロジーズに参加して、スバルなりにどういうことができるのか、考えていこうと思う」と早田文昭常務執行役員。
また、中村社長も「自動運転についても当社としてのロードマップはあるが、われわれのクルマはお客さまが所有して使うというのがほとんどなので、自動運転は少し先かなと思っている。ただ、プラットフォームとして何らかの準備をしていかなければならないと思うので、そういうところは共同でやっていきたい」と話す。
CASEやMaaSなどに対しては、できるだけ資金を投入せずに他社のものを利用し、スバルらしいクルマづくりに専念する。それが中村社長が考えるスバルの戦略だ。
スバル 中村社長「米国の販売モメンタムは維持できている」…通期営業利益は2200億円に下方修正
SUBARU(スバル)が11月6日に発表した2020年3月期の第2四半期(4~9月期)連結決算は、主力の米国販売が好調で営業利益は948億円(前年同期比68%増)と大幅増益になった。
ただし、リコール費用が想定以上に発生したため、通期予想は下方修正した。第2四半期の増益は2期ぶり。同期のグローバル連結販売も4%増の50万4000台となって2期ぶりに増加した。前年は米国で『フォレスター』が新モデルへの切り替え時期となったほか、日本も完成検査問題などもあってグローバルで苦戦していた。今年は米国がフォレスターなどの好調で11%増の33万6000台と過去最高になり、全体をけん引した。
販売の増加やそれに伴うインセンティブ抑制などによる営業増益効果は196億円となった。インセンティブの改善は173億円にのぼる。また、研究開発費は今期から国際財務報告基準(IFRS)を適用したことで、158億円の増益に作用した。一方で為替は対米ドルやユーロなどの円高により通貨全体では63億円の減益要因になった。売上高は1兆6057億円(8%増)、純利益は683億円(58%増)だった。
通期予想は、国内外でのリコールに伴う費用が従来の想定より約650億円上振れしたため、下方修正した。営業利益は400億円減額の2200億円(前期比21%増)、純利益は470億円少ない1630億円(15%増)とした。為替も通期で1ドル107円と従来比3円の円高に見直し、通貨全体で412億円の営業減益要因になる。
記者会見した中村知美社長は、第2四半期業績について「今年度は冒頭から仕切り直しとして取り組んできた。リコールなかりせばそれなりの実績を残せたが、こうした結果は残念で忸怩たる思い」と述べた。一方で「米国は需要が弱含みのなかでアセントや新型フォレスターが好調で着実な成果をあげている。今年暦年では70万台(前年比3%増)の目標を掲げているが、行けそうだ。下期から新型レガシーとアウトバックも加わり、販売のモメンタムは維持できている」との見解も示した。
また、台風の影響によって10月に国内生産が停止し、1万1000台の影響を受けたものの「通期の計画で見れば挽回できる」と、説明した。
スバル、増収増益も台風19号による操業停止などで通期予想を下方修正 2019年4-9月期決算
SUBARU(スバル)は11月6日、2019年4~9月期(第2四半期累計)の連結決算を発表。販売台数増加などにより増収増益となったが、台風19号による操業影響などにより通期業績予想を下方修正した。
全世界販売台数は、前年同期比4.1%増の50万4000台となった。国内販売は新型『フォレスター』や2018年10月に「e-BOXER」搭載グレードを追加発売した『XV』の新型車効果などにより、同1.6%増の6万8000台。海外販売も米国市場での新型フォレスターや2018年に販売を開始した『アセント』が好調に推移したことなどにより、同4.5%増の43万6000台となった。売上高はこれら販売台数の増加などにより、同7.7%増の1兆6057億円となった。
営業利益は同68.1%増の948億円。販売台数の増加や販売奨励金の抑制、諸経費等ならびに研究開発費の減少などが影響した。税引前利益は同54.0%増の931億円、四半期利益は同58.4%増の683億円となった。
通期業績見通しについては、販売奨励金の抑制などによる改善を見込むものの、品質関連費用を主因とする諸経費等の増加、想定為替レートの見直し(円高方向)や台風19号による操業影響などを織り込み下方修正。営業利益2200億円(前回予想比-400億円)、税引前利益2200億円(同-500億円)、純利益1630億円(同-470億円)とした。売上高は3兆3100億円(前期比4.9%増)とした期初予想を据え置いた。
なお同社は今期より、従来の日本基準に替えて国際財務報告基準(IFRS)を任意適用。そのため、比較対象となる2019年3月期第2四半期連結業績および通期連結業績(日本基準)を、IFRSに従って再計算した上で、比較・分析をした数字となっている。
刺激的なサウンドのパフォーマンスマフラー【純正チューンドを体感!#01】STI_スバルテクニカインターナショナル-ワークスチューニング合同試乗会 直系の真髄
STI/TRD/nismo/MUGEN
ワークスチューニング合同試乗会
今回で14回目となるメーカー直系の合同試乗会。モータースポーツでは、お互いライバル同士ではあるが、アフターマーケットで展開するチューニングのパーツ開発などの情報は共有し合って効率アップを図り、ユーザーに貢献できるように取り組んでいるのだ。
STI/エスティーアイ
SGPの素性の良さを引き上げてさらに小気味良く、快適に疾走する
SGP(スバル・グローバル・プラットホーム)を採用しているフォレスターは、純正のままでも走りは決して悪くはないが、プレミアムSTIパフォーマンスパーツ装着車に乗ってしまうとその違いは明白だ。
動きがカッチリして、無駄な動きが低減されている。ステアリングの動きにも小気味良く素直に反応して、しかも硬すぎず快適だ。
STI得意の体感チューニングが施されているシャーシのなかで、特にサポートフロントキットの効果が際立つ。純正で装着されているクランプスティフナーはフランジを立て、リブを追加した形状に変更してサポートアームを追加。
このふたつをセットにして、ダイレクトにアームとクロスメンバーが繋がるように装着。こうして剛性アップを図る。直進安定性と操舵応答性を向上させるために開発して、特に長距離ドライブが疲れづらくなるという。
インプレッサスポーツはフォレスターと同様な体感チューニングを施している。注目なのはパフォーマンスマフラーだ。刺激的なサウンドを奏でる。
FORESTER/フォレスター
クルマが安定することで、疲れずに安心してドライビングが楽しめるエアロアイテムを装着。走行風が味方になるように設計している。
車体の横に装着するパーツは、サイドに流れる風にメリハリをつけて整流化を図り、フラつきを減らして修正舵の必要をなくしている。
サポートフロントキットの装着で操舵の応答性は約17%早まる。わずか1000分の1秒のレベルながら人間の感性は鋭いのでその違いをちゃんと把握することができる。
【PARTS SPECIFICATION_FORESTER】
●フロントリップスポイラー 2万9000円
●フロントサイドアンダースポイラー 3万9000円
●サイドアンダースポイラー 4万8000円
●エアロガーニッシュ 2万9000円
●リヤサイドアンダースポイラー 3万9000円
●フレキシブルタワーバー 3万円
●フレキシブルドロースティフナー 2万8000円
●サポートフロントキット 3万2000円
●ホイール/STI(18×7.0+48) 4万8000円/1本
IMPREZA SPORT/インプレッサスポーツ
ルックス通りのバランスの良いシャープな走りっぷりだ。同時にリアから見えるスパルタンなパイピングからのイメージ通り、マフラーの排気音にパンチがある。
【PARTS SPECIFICATION】
●フロントアンダースポイラー 3万9000円
●サイドアンダースポイラー 5万5000円
●リヤサイドアンダースポイラー 3万5000円
●リヤルーフスポイラー 4万円
●フレキシブルタワーバー 3万円
●フレキシブルドロースティフナー 2万8000円
●サポートフロントキット 3万2000円
●パフォーマンスマフラー&ガーニッシュキット 12万5000円
●ホイール/STI(18×7.5+55) 4万2000円/1本
ニュル24時間レースの優勝車が凱旋!!
取材当日はニュルブルクリンク24時間レースでクラス優勝を果たした車両も展示されていた。帰国後初の公開となる。究極のテストフィールドと位置付けしたニュルで、市販車に導入している技術力の高さを見事に証明した。レースを戦い抜いたままの状態で、ボディ部分の傷や汚れもそのままだ。そこから熾烈な勝負の凄さが伝わってくる。コックピットはスパルタンで機能美満載。全身から本物ならではの迫力がほとばしる。
問:スバルテクニカインターナショナル 0422-33-7848
https://www.sti.jp
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Posted at 2019/11/10 09:42:55 | |
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富士重工 | 日記
2019年11月10日
フィアット500/500Cの国内累計販売台数が 5万台突破へ! 年間販売台数は10年連続で4000台を超える見込み
11月7日、FCAジャパンはフィアット500/500Cの日本への輸入累計台数が、11月15日に5万台に達する見込みであることを発表した。節目となる5万台目のフィアット500は、同日愛知県豊橋港で陸揚げされ、正午前に豊橋市にあるFCAジャパン新車整備センターに搬入される予定とのこと。
2019年の販売台数は2014年に達成した過去最高に迫る勢い
フィアット500/500Cは2008年3月の日本導入以来、愛らしいスタイリングと低燃費・低排出の環境性能の高さで評価を得ている。今年の10月末までの年間累計販売台数は3722台で、導入以来12年目にして、過去最高だった2014年の販売台数に迫る勢い。これにより、フィアット500/500Cの年間販売台数は10年連続で4000台を超える見込みだ。
FCAジャパンのポンタス・ヘグストロム社長は次のように述べている。
「フィアットは今年、ブランド創設120周年のお祝いの年であり、フィアット500の日本でのお祝いが重なることは喜ばしい限りです。日本のような、小型車競争がことに激しい市場において、販売開始から12年目となる今年も好業績を維持できていることを、本当に誇りに思います。これは、我々FCAジャパンと販売ディーラーの方々が一緒になってブランドを育成し、日本の多くのお客様にフィアット500の魅力をお届けできていることの証です。乗用車市場の状況が小幅な伸びにとどまるなか、FCAジャパンでは10月末までの4ブランド(ジープ/アルファロメオ/フィアット/アバルト)合計の累計販売台数が2万0886台となり、対前年比10.9%増を維持しています。フィアット500のみならず、FCAジャパン全体の販売台数も過去最高を更新することを確信しています」
現行のフィアット500/500Cは2007年から現在までの間、全世界100カ国以上で210万台を超える台数を販売。1957年から1977年まで販売された先代と合計すると、フィアット500/500Cの累計販売台数は600万台を超え、フィアット歴代で最も多く販売されているモデルとなっている。
【嶋田智之の月刊イタフラ】フィアット120周年記念はタキシードを着た洒落者
今年はフィアットにとっても120周年のアニバーサリー。それを祝う限定車の第2弾、500と500Cの“120thタキシード”が発表されました。3層仕上げのパールホワイトに、ショルダーから上がブラックに塗られたビコローレ、それにブロンズ色のホイールという組み合わせ。そういえばこの発想はなかった! なルックスが新鮮で、雰囲気がとてもいいです。ベースは1.2ラウンジで、500が185台で269万円、500Cが100台で289万円。
ブラウンレザー採用の『アバルト595』限定車が登場。カスタマイズ・プログラムも再始動
蠍(サソリ)の毒を継承する、名門アバルトのスポーツモデル『595 Competizione(コンペティツィオーネ)』に、カスタマーからの要望に応えて通常タイプのスポーツシートを採用した限定車『595 Competizione Stile(コンペティツィオーネ・スティーレ)』が登場。10月26日より255台限定で発売開始となっている。
フィアットの人気Aセグメント・コンパクト『500(チンクエチェント)』をベースに数種類のラインアップを展開するアバルトにあって、シリーズのなかでもっともスポーツ性能の高い『595 コンペティツィオーネ』をベースとしたのが今回の限定車となる。
このベースモデルは、最高出力180PSの1.4リッター直列4気筒ターボエンジンをはじめ、スポーツサスペンション、ブレンボ製ブレーキ、ハイパフォーマンスエキゾーストシステム“レコードモンツァ”などを採用。
シートにはサーキット走行までを考慮し、体を包み込むようにホールドするSabelt社製スポーツシートが採用されている。
しかし今回の限定車では、このシートに代えて『595/595Cツーリズモ』と共通のサイドサポート部分の張り出しを抑えた、通常タイプのスポーツシートを採用したのが特徴。その表皮はブラウンのフルレザー仕様とするなど、ベース車のレーシーなイメージに対し、乗り降りのしやすさや普段使いにおける使い勝手に重きを置いたことで、イタリア語でStyleを意味する“Stile”という呼称が与えられている。
ボディカラーはBianco Gara(ホワイト)、Rosso Abarth(レッド)、Grigio Record(グレー)の3種から選択でき、このうちRosso Abarthは通常『595コンペティツィオーネ』には設定されていないボディカラーとなり、トランスミッションはベース車同様、ATモード付5色シーケンシャルトランスミッション(MTA)と5速マニュアルトランスミッションが用意される。
各色ともMT仕様が40台、MTA仕様が45台の導入となり、価格は前者が378万円。後者が395万円となっている。
また、ブランドの創始者であるカルロ・アバルトの誕生日と星座(11月15日生まれのさそり座)にちなみ、2019年11月15日(金)から12月15日(日)までの受注期間限定で、ボディカラーやインテリアカラー、各パーツの色を自在に選択できるカスタマイズ・プログラム『Make Your Scorpion(メイク・ユア・スコーピオン)』が今年も再始動。
アバルトの595シリーズ全モデル(595、595/595Cツーリズモ、595コンペティツィオーネ)を対象に、通常はカタログでは選択できないボディカラーやパーツの色も選択可能に。
これにより『595』では通常の3通りから15通りに、『595ツーリズモ』では4通りから20通りに、『595Cツーリズモ』では5通りから22通りに、『595コンペティツィオーネ』では5通りから22通りに、各々選択肢が大幅に拡大した。
インテリア、ブレーキキャリパー(595を除く)、及びソフトトップ(595Cツーリズモ)の色も自由に変更することができるようになり、その結果、合計728通りの組み合わせが可能となるほか、デカールやミラーキャップ、ブレンボ製ブレーキやレコードモンツァ(スポーツエキゾーストシステム)といったアクセサリーも含めると、合計2万8000通り以上の組み合わせが可能に。
すでに下記特設サイトにおいてカーコンフィギュレーターが利用可能で、オンラインでボディカラーやインテリアカラー、各パーツカラーの組み合わせを確認しながら、自分好みの仕様を作り上げることが可能となっている。
『595 Competizione Stile』公式サイト:https://www.abarth.jp/limited/595_competizione_stile
『Make Your Scorpion』特設サイト:https://www.abarth.jp/make_your_scorpion/
フィアット500/500C、12年で累計輸入台数5万台を突破
FCAジャパンは、同社が輸入販売する「フィアット500/500C」の輸入累計台数が11月15日で5万台に達する見込みとなったと発表した。
5万台目となるフィアット500は同日、愛知県豊橋港で陸揚げされ、正午前に豊橋市にあるFCAジャパン新車整備センターに搬入される予定だ。
フィアット500/500Cは、2008年3月の国内導入以来、愛らしいスタイリングと低燃費・低排出の環境性能が高く評価され、好調なセールスを続けている。2019年の年間累計販売台数は10月末時点で3722台と、10年連続で4000台を超える見込み。導入12年目となる今年は、過去最高だった2014年に迫る勢いだ。
現行のフィアット500/500Cは、2007年から現在までの間、全世界100か国以上で210万台超を販売。1957年から1977年まで販売された先代と合計すると、フィアット500/500Cの累計販売台数は600万台を超え、フィアット歴代で最も多く販売されているモデルとなっている。
5万台目の「500」が日本上陸! スモール・フィアットの傑作は12年目も販売堅調
Fiat 500/500C
フィアット 500/500C
“12歳”でも過去最高販売に迫るロングセラー
FCAジャパンは、2019年11月15日に「フィアット 500」およびカブリオレの「500C」の日本輸入台数が累計5万台に達したと発表。愛知県豊橋港に陸揚げされた5万台目の「500」が同県豊橋市のFCAジャパン新車整備センター(Vehicle Preparation Center=VPC)へ搬入され、記録更新の式典を開催した。
フィアット500/500Cは、2008年3月より日本導入を開始。年間販売台数は10年連続で4000台を超えており、輸入開始から12年目を迎えた2019年現在も販売は好調で、2014年に記録した過去最高販売台数に迫る勢いを見せている。
過去と今をつなぐ「500」のアイコン
現行500/500Cの世界デビューは2007年で、以来100ヵ国以上で210万台超を販売してきた。1957年から1977年までという20年の長きにわたり愛された先代と合わせれば、500/500Cの累計販売数は600万台を超える。「500」はまさしく歴代フィアットにおけるベストセラーアイコンだ。
記念式典当日は、FCAジャパンが2011年からVPCを置く愛知県豊橋市の市役所産業部・稲田氏より祝辞も贈られた。「豊橋港は年間20万台を陸揚げする国内最大の自動車輸入港です。たくさんのフィアット500で、日本をファッショナブルでスマイルな国に塗り替えていっていただきたいと思います」
過去最高を更新する勢いのFCAグループ
FCAジャパンのポンタス・ヘグストロム社長は語る。
「今年はフィアット創設120周年を祝う年であり、日本でフィアット500のお祝いが重なるのは喜ばしい限りです。日本のような小型車競争が特に激しい市場で、販売開始から12年目となる今年も好業績を維持できていることを本当に誇りに思います。これは、我々FCAジャパンと販売ディーラーの方々が共にブランドを育成し、日本の多くのお客様にフィアット500の魅力をお届けできていることの証です」
「乗用車市場の販売状況が小幅な伸びに留まるなか、FCAジャパンの2019年10月末までの4ブランド(ジープ、アルファロメオ、フィアット、アバルト)合計の累計販売台数は2万886台と、対前年比10.9%増を記録。FCAジャパン全体の2019年の販売台数は過去最高を更新すると確信しています」
販売して12年、フィアット 500、フィアット 500Cの累計輸入台数が5万台を突破!
FCAジャパン株式会社が輸入販売する、フィアット 500と500Cの輸入累計台数が11月15日(金)で5万台を突破する見込みであると発表した。そして、その5万台目となるフィアット500の陸揚げ式が、愛知県豊橋市にあるFCAジャパン新車整備センターにて開かれた。
フィアット 500とは?
写真:5万台目のフィアット 500
フィアット500は、2007年の発売から2019年現在まで全世界100ヵ国以上で210万台を超える人気車種で、フィアット500の先代モデルは、日本のアニメの名作であるルパン三世シリーズにおいて、主人公であるルパン三世の愛車として登場したことでも知られている。先代と現行型と累計販売台数を合計すると、600万台を超えるフィアット歴代で最も多く販売されているモデルである。
新車整備工場を見学
ここ、豊橋市の三河港にあるFCAジャパンの新車整備工場には、出荷待ちの車両が400台から500台が準備されている。自動倉庫も完備し、車両はバーコードで管理されている。洗車機からスタートし、輸送中の傷などのダメージを受けていないか厳しいチェックがされる。
写真:整備を受けるフィアット 500
完成検査を受けた後、車両は出荷される。フィアットでメディアツアーを行ったのは今回が初となる。
豊橋市産業部長 稲田 氏もお祝いの祝辞を述べる
稲田氏は、豊橋市のイメージはファッション性に対してイメージが強調されていない中、フィアット500は、可愛らしく、ファッショナブルであるため、三河港のイメージが高まる要因となっているとコメント。FCAジャパンは三河港に2011年より進出している。ちなみに、三河港は年間20万台陸揚げする港となっている。
フィアットは、1919年から数えて創業120年を迎える
マーケティング本部長を務める、ティツィアナ・アランプレセ氏は、このフィアット500は、フィアットブランドにとって重要なモデルで、当初より、自由で独立したイメージでありながら、家族や仲間たちとピクニックしたりと常に一緒にいて幸せを感じることができる車であると改めて説明。
写真:女性向けイベントの様子
写真:女性の購買率
フィアット 500の日本へ導入が開始されたのは2008年からで、コミュニティ作りを大事にしていく方針を掲げ、MADE IN JAPANプロジェクトとのコラボレーション企画やイベントなどを展開。特に、女性に向けた訴求イベントなどを積極的に行っている。
その他様々な取り組みの結果、モデルチェンジの少ない車ながら、登録台数において、2008年は2,502台であったが、2010年から4,000台を超える登録台数を記録し、2019年には4,500台以上を見込む数値となっている。2019年以降に向けて益々好調の兆しを見せるフィアット 500から目が離せない。
Posted at 2019/11/10 09:27:11 | |
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自動車業界あれこれ | 日記
2019年11月10日
納屋に放置されていたランボルギーニ・ミウラ。予想を大きく上回る1億7396万円で落札!
半世紀前の個体で完全オリジナル、走行距離3万キロ
過日(10月23日)本WEBで伝えしたとおり、去る10月24日、イギリス・ロンドンで開催されたクラシックカーオークションの最大の目玉は、スーパーカーの代名詞ともいえるランボルギーニ・ミウラ(P400S)だった。納屋に放置され、ホコリにまみれた状態にもかかわらず、落札価格は1億1207万5848円から1億4009万4810円と予想されていたが、果たしていくらの値をつけたのだろうか? その結果をお伝えしよう。
※当オークションでは原則として落札者の個人名やスタート価格などは公表していないため、以下結果のみの報告であることをお許しいただきたい。
1969年にランボルギーニの工場から出荷されたそのミウラP400Sは、最初のオーナーの居住地であるドイツに納車されたのち、1974年には2人目のオーナーの手へと渡り、41年間、オーナーが亡くなる2015年まで走行可能なコンディションを維持。さらに、それから4年後の2019年にエンジンルームや室内にホコリの被っている状態で発見された。業界用語でガレージや納屋などに長年眠っていた名車が見つかることを“バーン・ファインド”というが、このミウラはまさにその言葉を地でいくレア物件だ。
わずか140台しか生産されなかったミウラP400Sの当時の新車価格は約1200万円。現在の物価に換算すればおよそ1億円だが、その希少性と近年のコレクターズアイテムブームによって、当初予想された落札価格1億4009万4810円を3000万円以上も上回る1億7396万9291円(1ポンド:139.3円・10月26日現在)でハンマーが打たれた。
過去にも多くのミウラが世界中のオークションにかけられているが、約半世紀も前の、しかも良好なコンディショとはいえない車両が新車価格(現在の物価に換算した場合)の倍近くの値で落札された理由は、わずか3万キロという走行距離の少なさに加え、塗装、インテリア、エンジン…そのすべてが新車時と同じオリジナルの状態を保っている点にほかならない。
ミウラの場合、内外装をフルレストアすると、3000万円から5000万円以上かかるといわれるが、「現状のまま、エンジンやミッション、足回りなどの機関系だけオーバーホール(整備分解)したほうが価値を維持できるはず」と、日本でミウラを10年以上所有するオーナーは言う。
レアで極上コンディションのディーノは6000万円超
ちなみに、同日のオークションには、イギリスに13台しか納車されなかった右ハンドルのレアなディーノ246GTも出品され、多くの注目を集めた。先のミウラ同様、スーパーカー世代には馴染深い一台。その傑出したハンドリング性能は当時世界随一と謳われ、カーデザイナーの奇才・ピニンファリーナの手になる流麗なスタイリングは、ため息が出るほどの美しさで、約45年経ったいまでも色褪せることはない。
その中でも、今回出品されたディーノは1972年製のディーノ246GTおよびGTSにオプション設定されていた、カンパニョーロ社製マグネシウムホイール(7.5J×14)を選択した個体で、標準サイズより幅が広いホイールを収める目的で、ホイールアーチをフレアー形状にしているのが特徴。シートもまた、フェラーリ365GTB4デイトナに採用されていたデザインと同じ“デイトナスタイル”を組み合わせており、マニアの間では“Chairs and Flairs(チェアとフレア)”というニックネームで知られている。
現在までのオーナーの履歴が明確で、当時販売したイギリスのフェラーリディーラー“maranello Concessionaire”が発行した書類にはボディカラーやシートカラーなどの詳細が記載されており、新車からの走行距離はわずか1万2483km。さらに工具キットに加え、オーナーズマニュアル、保証書も付属。
1974年当時の日本での販売価格は900万円で、現在の物価に換算すると、およそ1900万円といったところ。ここ数年のディーノのオークション相場は4000万円から5000万円で落ち着いているが、今回は6028万3800円で落札された。個体の状態を考えれば十分に納得できる価格だが、価値が上がり続けているディーノ。しかも、なによりコンディションと希少性が重視されるオークション市場では、数年後には「億」の値が付く可能性もあるともいわれている。
世界に10台とない“幻の”イオタは3億円!?
かのように、希少なミウラP400Sや、レアなディーノなど「血統」が確かなクルマは、世界的オークションにかけられるのが通例。だとしたら、これもスーパーカー世代にとって憧れの存在、“幻のランボルギーニ”とも呼ばれる「イオタ」がオークションに出品されたとしたら、いったいどんな値が付くのだろうか?
イオタは、ミウラを超えるモデルとして、1969年から1970年にかけてランボルギーニのテストドライバーだったボブ・ウォレスの提案によって1台のみ制作された試作車。そしてレースへの参戦も睨み、ウォレスが当時のFIA(国際自動車連盟)に定められたレーシングマシンの規則に従って開発を進めたとされている。じつは、イオタ(JOTA)は俗称で、正式なプロトタイプ名は「J」。当時のレギュレーションに設けられていた国際モータースポーツ競技規則付則J項の“J”をギリシャ読みした際の発音「イオータ」に由来するという。(画像はクローンモデル)
しかし、その計画はレース嫌いの創設者フェルッチオ・ランボルギーニには認められず、試作車は売却。3人目のオーナーの手に渡った直後、まだ開通していない道路でクラッシュし、焼失してしまった。1971年4月28日のことだ。
事故後、“J”のレプリカを製作してほしいという、ミウラSVオーナーの熱烈なリクエストに応えるかたちで製作されたモデルこそがイオタ・レプリカ(正式名称はミウラSVJ)だった。正確な製作台数は不明ながら、この車両のように、既存のミウラSVにランボルギーニ社が直接手を加え、公に認めたレプリカは世界で10台にも満たないといわれている。
見ることすら貴重なイオタ・レプリカ。さすがにオークションに出品されることはないだろうと念のため調べてみると、かつて日本にあった個体(ミウラSVJ)が、再び海を渡り、2015年の米国・アリゾナオークションに出品され、2億2011万円(1ドル:116円換算・2015年1月15日現在)で落札されていた。ミウラ自体が毎年のように大幅に値が上がっているため、それから4年がたった現在なら3億円近い落札値が付いても不思議ではない。
なお、「SVJ」とはリヤウイングの有無など外観が異なる、世界で1台のみ製作されたイオタ・レプリカのミウラ「SVR」は、2018年6月にイタリア・ランボルギーニ本社のレストア部門で復元された個体が日本に現存。ランボルギーニ大阪の新ショールームのオープンを祝う式典で展示されたという情報以外、オーナーの個人名や売却価格などはいっさい明らかにされていない。
いまだに出口の見えない世界的な景気低迷もどこ吹く風…クラシックスポーツカー市場の盛り上がり、オークション価格の高騰はとどまることを知らない。
埃も含めた価値がある?レストアをした方が価値が出るのか、そのままのコンディションの方が価値があるってのは言い過ぎなんだろうけど
Posted at 2019/11/10 01:10:27 | |
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自動車業界あれこれ | 日記
2019年11月10日
工場祭に行く前に満タンにした訳では無いけど基本乗ってないからね
総走行距離88425km
走行距離237.6km
油量19.11L
燃費12.43328100470958km/L
MFD上での記録
AVG.A13.7km/L
700km(走行可能)
アイドリング時間1時間03分
削減量783mL
AVG.B12.3km/L
700km(走行可能)
アイドリング時間39時間01分
削減量27.256L
ナビの燃費計測だとこんな感じだったしね
ナビでの燃費だけどサーキット走ってた割には良いのかな?
またサーキットを含む袖ヶ浦までの記録もする為に給油行かないと…
Posted at 2019/11/10 01:00:53 | |
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G4 2.0i アイサイト 燃費 | 日記
2019年11月10日
極上のストラトスも! 歴代ランチアが揃うヘリテージHUBとは?
2019年春、イタリア・トリノにあるFCA(フィアット・クライスラー・オートーモービルズ)グループのミラフィオーリ工場内にオープンしたヘリテージ HUB(ハブ)は、FCAグループが有する4つのブランド(フィアット/アルファロメオ/ランチア/アバルト)の歴代車両を一堂に集めた場所。1万5000平方メートルにもおよぶスペースに約250台が並ぶ。“自動車ファンの拠点にしたい”、こんな願いを込めてHUBと名付けられた。
ヘリテージHUBは、イタリア・トリノにあるFCA(フィアット・クライスラー・オートーモービルズ)グループのミラフィオーリ工場内にある。一般公開はされていない。Alberto Cervettiヘリテージ部門の責任者を務めるR.ジョリート氏。Alberto CervettiFCAグループは、2016年にヘリテージ部門を設立、責任者になったのはR.ジョリート氏。現行フィアット「500(チンクエチェント)」を手がけたデザイナーである。彼の長年の夢を故・セルジオ・マルキオンネCEOが後押し、ヘリテージHUBは生まれた。
ヘリテージ部門ではイベントの開催やクラシック・カー販売、ユーザーが持ち込む車両のレストアや認定証の発行もおこなう。オフィチーナ(作業場)はヘリテージ部門のオフィスとともにハブのとなりに置かれている。この一帯は名車の匂い漂う場所ということになる。
ヘリテージHUB内には、戦前のランチアも多数展示されている。Alberto Cervetti1922年に登場した「ラムダ」。乗用車初のモノコックボディだった。Alberto Cervetti見どころはランチア車両だ。アルファ・ロメオはアレーゼに専用ミュージアムを持ち、フィアットはトリノに博物館がある。ランチアを揃って見られる場所はなかった。蘇ったアバルトとは対照的に、街で見かける機会も少なくなっているのが今のランチアだ。「ランチア・カーの展示は我々の悲願でした」とのジョリートの言葉に説得力を感じる。
ランチアは1906年にヴィンチェンツォ・ランチアがトリノに設立したメーカー。技術者でありレーシング・ドライバーだった彼は、黎明期のイタリア自動車界の“長”(おさ)のような役割を果たした人。ピニンファリーナ創設メンバーのひとりでもある。ランチアの戦前作として有名なモデルは「ラムダ」だろうか。ボディはモノコック構造。ドックで見た船の構造からヒントを得てヴィンチェンツォが生み出した。まさに歴史的な発明と言える。
1937年登場の「アプリリア」。搭載するエンジンはV型4気筒。Alberto Cervettiアプリリアの前身、1932年登場の「アウグスタ」。Alberto Cervettiこの会社の最初の悲劇はヴィンチェンツォの急死。1937年のことだった。彼の最後の作品は同年デビューした「アプリリア」。当時としては画期的なCD値0.47を達成した。
後継者となったのは息子のジャンニだ。彼は、父の意志を受け継ぐ設計者としてアルファ・ロメオからヴィットリオ・ヤーノを引き抜く好判断を下した。ヤーノの設計で誕生したのが自動車史上初、V型6気筒エンジンを搭載した「アウレリア」である。2ドアのクーペ・バージョンには量産車として初めてGT(グランツーリズモ)の文字が刻まれた。アプリリア同様、もちろんアウレリアもヘリテージHUBに展示されている。
1950年登場の「アウレリア」。2ドア・モデルには、モデル名に“GT”が入った。Alberto Cervettiアウレリアのコンバーチブル・モデルも展示されている。Alberto Cervettiフィアット傘下以降のランチアしかし会社は1955年に倒産。F1参戦に莫大な投資をしたことも要因だったはず。マシン製作費用もさることながら、当時としては異例の高額でドライバー、A.アスカリを引き抜いた。ジャンニは南米に移住、ランチアは創業者一族の手を離れた。
1953年登場のレーシング・マシン「D24」。3.2リッターV型6気筒エンジンを搭載する。Alberto Cervetti新たなエンジニアの主導で、カロッツェリアが競って美しいボディを架装した「フラミニア」、水平対向4気筒エンジンを搭載した前輪駆動の「フラヴィア」、“最後の純血ランチア”と呼ばれる「フルヴィア」など名車が誕生したものの、ふたたび経営難に陥ったのは採算を度外視した自動車製作を行なったためだった。この3台も肩を並べるように展示されている。
1969年、ランチアはフィアットに買収されるが、その額はお布施程度。何より先進技術を特徴とするランチアが、大衆車メーカーから指図を受けるようなことは往年のファンには屈辱だったのだろう、イタリアではブーイングの嵐が吹き荒れた。
施設内にはランチアのモータースポーツ参戦マシンのみを集めたエリアもある。Alberto Cervetti世界ラリー選手権(WRC)などに参戦し、輝かしい戦績を残した「ストラトス」。Alberto Cervetti展示車のカラーリングやステッカーは当時のまま。Alberto Cervettiアバルトが開発を担った「ラリー」。もとになっているのは「ベータ モンテカルロ」である。Alberto Cervetti1986年のラリー・モンテカルロに出走した「デルタS4」。Alberto Cervetti1989年より投入された「デルタ HFインテグラーレ16V」。従来エンジンを16バルブ化したものが搭載される。Alberto Cervetti施設内には、ラリーに参戦した複数台のデルタ(実車)が展示されている。Alberto Cervettiしかしランチア魂はこの時も蘇った。エンジニアはフィアット車を「ランチア」に仕立てたのである。スポーツモデルを作り上げレースやラリーに参戦、大暴れ。同じくフィアット傘下となっていたアバルトと手を組んだことも功を奏した。「デルタ・インテグラーレ」は1987年から1992年まで6度のWRC世界チャンピオンに輝く史上初の快挙を遂げた。
デルタのスタイリングはG.ジウジアーロ、「ストラトス」を手がけたのはM.ガンディーニだ。特に後者は生産台数の少なさもあって現在もっとも熱い視線を浴びるコレクターズ・アイテム。どちらも会場の「ラリー・エリア」に展示されている。ワークスチームが駆ったアリタリア航空カラーにペイントされた車両である。
1970年~1980年代の「ガンマ」や「ベータ」も展示されている。Alberto Cervetti「プリズマ」なども展示されている。Alberto Cervetti「テーマ」の、希少なストレッチ・モデルもある。Alberto Cervetti「デドラ」や2代目「テーマ」など、1990年代のモデルも充実している。Alberto Cervettiちなみに会場は、アーキスター、コンセプトカー、エコ&サステイナブル、エピックジャーニー、レコード&レース、スモール&セーフ、スタイルマークスと前述のラリー、の8つに分類されているが、コンセプトカー・エリアに1台、珍しいランチアがある。「フラミニア・クーペ・ロレイ」だ。
スチュードベーカーやラッキーストライク、日本とのかかわりで言えば不二家ルックチョコレートのパッケージングとロゴを手がけたインダストリアル・デザイナー、レイモンド・ローウィによる正真正銘のワンオフで、独特のフロントマスクを特徴とする。これもヘリテージHUBでしか見られない1台だ。
ユニークなエクステリアが特徴の「フラミニア・クーペ・ロレイ」。Alberto Cervetti2001年のパリ・サロンで発表された「Nea」。Alberto Cervetti2003年のトリノ・ショーで発表されたコンセプト・モデル「フルヴィア・クーペ」。Alberto Cervettiかつてジャケットの上質な裏地にたとえられたランチアは、ラリーでの活躍後、ゆっくり表舞台を去りお蔵入りとなった。現在は起床時間を告げられぬまま眠りについているが(「イプシロン」のみイタリア国内で販売中)、自動車史のなかで果たした役割はとても大きい。それをヘリテージHUBは教えてくれる。
文・松本葉
Posted at 2019/11/10 00:19:16 | |
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