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2019年11月26日 イイね!

完全にドラレコ用のサブバッテリーって事だよね

完全にドラレコ用のサブバッテリーって事だよねコンパクトな自動車用バックアップ電源

手軽にドライブレコーダーの駐車監視機能を利用できる自動車用バックアップ電源。コンパクトサイズながら長時間の連続動作を実現している。REPORT●浜先秀彰(HAMASAKI Hideaki)問い合わせ:グローチャー問い合わせフォーム:https://gloture.jp/pages/contact-us

UPS500……3万円(税別)

UPS400……1万4800円(税別)

 ドライブレコーダーの駐車監視機能を活用できる自動車用バックアップ電源、2モデルがグローチャーより発売。

 取り付けは簡単で、車両のシガーライターソケットにUPS500/400の電源プラグを差し込み、ドライブレコーダーの常時接続ケーブル(多くの製品でオプション)をUPS500/400の電源端子に接続すればOK。走行中には車両からUPS500/400に充電が行われ、エンジンが停止するとUPS500/400からドライブレコーダーに電源が供給されて、駐車監視機能が起動する。本体サイズが小さいためセンターコンソール部や助手席足元などへの設置が可能だ。

 UPS500は10400mAの容量で約22~28時間のバックアップができ、UPS400は2600mAの容量で約7~10時間のバックアップができる(バックアップ時間はドライブレコーダーの機種によって変化)。バックアップ時間を伸ばしたい場合には同じ機種を2台接続する。

 内蔵しているのはリチウムイオンバッテリーで、バッテリー保護回路、充電管理回路を搭載。充放電テストや高温度検証なども行われているという。



容量を考えれば500の方が良い気がするね
値段は倍だけど容量が2600mAと10400mAなら10400mA買うでしょう
Posted at 2019/11/26 21:58:15 | コメント(0) | トラックバック(0) | 自動車業界あれこれ | 日記
2019年11月26日 イイね!

個人的にはもう少しフラットノーズなフェイスにして欲しかったなぁ

個人的にはもう少しフラットノーズなフェイスにして欲しかったなぁ世界にわずか77台!70年代モータースポーツを席巻したポルシェ935が現代に蘇る

国産車の宿敵でありながら愛され続けたポルシェ

 好天に恵まれた11月16日(土)~17日(日)、三重県・鈴鹿サーキットは鈴鹿サウンドofエンジン2019(SSOE2019)を開催。モータースポーツに関連したヒストリックカーのイベントで、多くのレースファンやクルマ好きが集まり大きな賑わいを見せていました。

 初開催から今年で5年目を迎えたSSOEは、1976年から77年にかけてF1GPで話題を独占していたティレルの6輪車とともに、イベントの大きな目玉となっていたのが現代に蘇った「935」とも評されるポルシェ935フラットノーズの登場でした。なぜにこれほど注目されるのか。その理由を少しお届けしましょう。

ポルシェの認知度はレースで高まった

 ここ鈴鹿サーキットで1964年に開催された第2回日本グランプリにおいて、スカイライン2000GTと好バトルを展開し、底力を見せつけて快勝したのがポルシェ・カレラGTS、通称“904”でした。国内における認知度が高まったポルシェは、その後も幾度となく国産レーシングマシンの前に立ちはだかる敵役として登場します。スカイライン対ポルシェの伝説バトル、この時のポルシェは水平対向6気筒でしたが、昨年の鈴鹿サウンドofエンジンには水平対向8気筒エンジンを搭載したワークスマシンのカレラGTSがお目見えしてます。

 そして今年は68年の日本グランプリで日産R380とデッドヒートを演じたポルシェ910(水平対向8気筒エンジン)のワークスマシンが現れました。

 日本のレース界においてポルシェはやがて単なる敵役ではなく、愛情を持ってリスペクトされたライバルへと進化して行きました。それに比例するようにポルシェの市販モデルである911シリーズの、スポーツカーとしての人気も確実に高まって行きました。

 そんなポルシェ911をベースとして、スポーツカーの世界選手権、当時は世界メーカー選手権のタイトルが掛けられていた1976年にデビューしたグループ5(シルエット・フォーミュラ)規定に合致したレーシングカーがポルシェ935です。ちなみに、このネーミングは911をベースにグループ3(市販GTカー)からグループ5にコンバートしたことを表していました。

 市販モデルのボディシルエットを出来る限り残す、というのがグループ5のそもそもの精神でしたが、規定ではフェンダーの形状は変更が可能となっていて、ここに埋め込まれていたヘッドライトをフロントのバンパースポイラーに移設。フェンダーを低くフラットにして空力を追求する手法が採られ、結果的にフラットノーズが935の大きな特徴となりました。

 76年にデビューした935は、世界メーカー選手権を手始めに北米を転戦するIMSA-GTシリーズやドイツ国内で開催されていたドイツ・レーシングカー選手権など、様々なシリーズに登場すると連戦連勝。76年から79年まで4年連続で世界メーカー選手権を制しています。

往年のマルティーニカラーを纏った新生935

 この間も、ポルシェは手を弛めることなくマシンを進化させ、78年には事実上の最終モデルとなる935/78をリリースしています。 “モビー・ディック”の愛称で知られる935/78はそれまでの935とは大きく異なる独特のロングテールを採用しています。これは車両規定が改定され、前後のオーバーハング拡大が認められたことによって実現しました。

 さて、今回のSSOEに登場した935フラットノーズですが、911 GT2 RSをベースに、935/78に倣ってフラットノーズとロングテールを採用しています。“モビー・ディック”と同じマルティニ・レーシングのカラーリングもマニアには堪らないポイントです。

 エンジンはベースモデルと同じくツインターボで武装した3.8リッターのフラット6を搭載。最高出力は700馬力とされています。気になる価格は約70万ユーロとされ、日本円に換算すると9300万円ほど、だそうです。

 鈴鹿に登場した個体のオーナーである国江仙嗣さんによると「製作された77台のうち、多くは関連企業向けとされ、一般のユーザーに販売されたのは30台程度、日本に僅か1台のみ、と聞いています」とのこと。911GT3でSUPER GTを戦うGulf Racing Japanを主宰する国江さんだからこそ手に入れることができたのでしょう。ドライブフィールに関しては「私のような“ジェントルマンドライバー”が運転しても安心して走れます。GT2がベースなだけあって、GT3よりも走りのクォリティは高いと感じました」と国江さんは嬉しそうに話してくれました。

 ポルシェは、80年代、90年代グループCマシンでの耐久レースでも活躍。国産車の日産、トヨタ、マツダらのグループCマシンを相手に、レーシングドライバー高橋国光さんらが名勝負を繰り返したポルシェ962Cが、今回はお披露目されました。
Posted at 2019/11/26 21:50:20 | コメント(0) | トラックバック(0) | ポルシェ | 日記
2019年11月26日 イイね!

ラストランは8位フィニッシュ!ご苦労様でした。

ラストランは8位フィニッシュ!ご苦労様でした。苦しみや悔しさを残し、ラストレースで役目を終えたHOPPY 86 MC。「ここまで愛されたクルマは、今までなかった」

 11月23~24日、静岡県小山町の富士スピードウェイで行われた『AUTOBACS 45th Anniversary presents SUPER GT X DTM 特別交流戦』。この併催レースのひとつとして行われた『auto sport Web Sprint Cup』で、2015年からGT300クラスを戦ってきたつちやエンジニアリングのGT300マザーシャシーが、そのラストレースを終えた。

 土屋武士率いるつちやエンジニアリングは、2015年からのスーパーGT復帰を目指し、2014年から“3年計画”をスタートさせた。1年目は松井孝允を育て、2年目にスーパーGT参戦。3年目にチャンピオン……と描かれた青写真を成功させたのは、GTアソシエイションが日本のものづくりを育てるために送り出した、GT300マザーシャシーの存在があってこそだった。

 かつて父・土屋春雄が作り上げたように、プライベーターでも技術力で勝つレーシングチーム。それがつちやエンジニアリングだ。豊富な資金はなくとも、知恵とアイデアでマシンを改良、緻密なセットアップとクルマに合ったタイヤを作り上げ、2016年には武士と松井のコンビでチャンピオンを得た。その年にいったんシートを下りた武士本人が、「できすぎ」というストーリーが描かれた。

 そんなチームの目標は、5年前も今も変わっていない。勝利とともに日本のモータースポーツを支えるプロフェッショナルとして、“職人”を育てることだった。それはメカニックもエンジニアも、もちろんドライバーも。実際、2015年からの5年間で、つちやエンジニアリングから育ったメカニックやエンジニアもいるし、ドライバーでも松井はもちろん、山下健太や坪井翔、そして今季は佐藤公哉が、この86マザーシャシーで育った。

■土屋武士“不在”でのラストレース
 しかし、第8戦もてぎで86マザーシャシーの活動が2019年限りになることが、武士自身からサポーターたちに涙を交えて語られ、この『auto sport Web Sprint Cup』がラストレースになることが告げられた。ただ同時に、武士自身がドライバーとして、MaxRacing RC F GT3をドライブすることになった。

 この週末、武士はMax Racingのウェアを着て、隣のピットながら「今週はずっとRC Fの方の仕事に集中していて、25号車はほったらかしでした」という状態だった。これは、武士のある決意の表れだった。

「今回、(チームメイトの)GO MAXさんから『一緒に出よう』と言っていただいて、自分が乗る機会ができた。オペレーションも仕事としてちゃんとやって……と考えたときに、このHOPPY 86 MCを、若い子たちにぜんぶ任せようと思ったんです。ベースだけ渡して、『あとは好きにやってみてほしい』と」

 もちろん、シリーズ戦ではこんな冒険はできない。しかし今季、『auto sport Web Sprint Cup』が開催されることで、シリーズ戦以外のレースの機会が最後にでき、自分はドライバーとして声がかかった。そこで武士は、86マザーシャシーを投入し、スーパーGTに復帰しようと決めたときの『人を育てる』という当初の目的を思い出した。

「こんな機会をもらえたことは、それもめぐり合わせ。どこかで『そうか!』と気づいたんです。ドライバーやメカニックに『タイヤの内圧も給油量にしても、ぜんぶやってみてくれ』と。今まで“ずっとやっていた人”がいない中で、本番でそういう経験をできることなんてない」

 こうして、土屋武士が隣のピットにはいるものの、“不在”で挑んだ2日間のレース。レース1では、タイヤのウォームアップにも苦しみ7位。日曜のレース2では「最初はかなりまだ路面も濡れていたのでウォームアップに苦労するのは分かっていました。最初は苦しく少しポジションを落としましたが、セットアップも良く、タイヤも発動してくれました」と佐藤公哉が語るとおり、上位に食らいつく。

 ただ、ピットインではギリギリを攻めた結果、わずか1秒規定よりも早くピットアウトしたため、再度1秒止まる必要に迫られた。結果は8位。しかし佐藤は「来年に向けてドライビングの面でもヒントを見つけられました。その点では、僕としても得るものが多いクルマでしたね。最終的に、ウエットでもドライでもレースをすることができた。良い部分も見つかりました」とポジティブなコメントを残した。

 あまりラストレースらしい感傷的なコメントは佐藤からは出てこなかったが、それは5年間を86マザーシャシーとともにした松井も同様だった。「キツかったです(笑)。今年を象徴するようなレースでした」とサバサバとした表情で語った。

「ただ、その原因も分かりましたし、将来の『マザーシャシー2』へ向け、すごくいいデータが取れました。もちろんこれがラストレースなのですが、次のマシンに向けてすぐデータを上げて、復活できるように、僕は首を長くして待っています」

「みんなでセットアップにしろ、ランプランにしろやってきたので、僕たちとしても成長できたレースでしたし、新しいセットアップを試せた部分もありました。そういう部分も含めて、次のクルマのデータにできる面がたくさんありました。今回のレースは『たくさんデータが取れたな』というレースでした」

■ファイナルラップまで“役目”をまっとう
 こうしてフィニッシュしたHOPPY 86 MCは、松井がチェッカーでパッシングをし、ピットに戻るまでの間、ドアを開け富士スピードウェイのファンに向け手を振り、“ラストレース”らしいシーンを残した。ただ、これも松井は「いちおうやっておいた方がいいかなと……(笑)」とサバサバと語った。

「正直、表彰台に行っていたら感動はあったかもしれませんが、今回は今年を象徴するような『苦しみ』しか残っていないようなレースでした。正直、僕の中ではシリーズ最終戦のもてぎの方が『終わったな……』という気持ちが大きかったです」という。

「今回はもてぎで苦しかった原因を再確認できたという意味では、テストではありませんが、次に繋がるレースだという意味合いの方が強いです」

 一方、その松井とHOPPY 86 MCを、コース上という“特等席”で出迎えたのはMaxRacing RC F GT3のコクピットに乗る武士だった。

「今週はずっとRC Fの方の仕事に集中していて、あのクルマはほったらかしでしたし、“ラストレース”を味わっていなかったので、最後の“あの瞬間”だけ味わうようにしようと思っていました」と武士は振り返った。

「でもラストレースで、最後にちゃんとチェッカーを受けることができたし、最後の最後に悔しさと後悔の念だけを置いて役目を終えるのも、このクルマらしいな、と思いますね(笑)。素晴らしいなと。そういう風に生まれたクルマなんだな、とランデブーしながら感じました」

「もちろん、応援してくれているファンの皆さんには表彰台を見せたかったですが、最後までこのクルマが“人を育てる”役目をまっとうしてくれました」

「ここまで愛されたクルマは、今までなかったと思います。ドライバーやチームという対象ではなく、クルマとして愛された。そのために生まれてきてくれたんだな、と思いました」

 ラストレースのファイナルラップまで人を育て続け、「次に繋げるんだ」という悔しい思いをチームに残したHOPPY 86 MC。5年間、ある時は喝采を、ある時はライバルからの痛烈な声を浴び、ある時は横転し、ある時は誰よりも速く駆けた。ある意味時代の境目でとても不幸でもあり、とても幸せだった希有なレーシングカーだ。

 しかしラストレースは終えたが、松井の言葉にもあるとおり、このクルマの役目と、つちやエンジニアリングの冒険はまだ終わっていない。2020年、新たなチャプターがスタートするはずだ。


60号車SYNTIUM LMcorsa RC F GT3がスプリントカップ連勝。 ”ラストラン”のHOPPY 86 MCは8位

 スーパーGT×DTM特別交流戦の併催イベント『auto sport web Sprint Cup』の決勝レース2が11月24日(日)に行なわれ、#60 SYNTIUM LMcorsa RC F GT3(吉本大樹/宮田莉朋)が連勝を飾った。

 23日(土)のレース1で優勝した60号車の吉本が引いたくじの結果により、レース2のグリッドにはレース1の上位6台がリバースグリッド、それ以降の6台はレース1のフィニッシュ順に並んだ。

 ポールポジションは#37 BH AUCTION CORVETTE GT3。#70 LMcorsa Ferrari 488 GT3が2番手フロントロウに並んだ。これがマザーシャシーでのラストレースとなる#25 HOPPY 86 MCは7番手からのスタートだ。

 富士スピードウェイは朝からウエットコンディションだったが、次第に青空が広がり気温は20度、路面温度22度まで上昇。路面も一気に乾いていくという状況の中で全12台がフォーメーションラップに向かった。

 スタートをうまく決めた37号車(笹原右京)が一気に抜け出す一方、2番手の70号車(菅波冬悟)以降は集団に。#52 埼玉トヨペットGB マークX MC(吉田広樹)が3番手を伺うが、コースオフし10番手までポジションを下げた。25号車(佐藤公哉)もふたつポジションを下げ9番手で1周目を終えた。

 トップの37号車は猛プッシュ。2周目を終えて11.1秒のリードを築く。後方では、レース1で優勝した#60 SYNTIUM LMcorsa RC F GT3(吉本大樹)がポジションを上げ、2周目のダンロップコーナーでアウト側から70号車をオーバーテイク。2番手につけ、37号車を追撃する態勢を整えた。

 一時は9番手まで下がった25号車は、#30 TOYOTA GR SPORT PRIUS PHV apr GT(永井宏明)とのバトルを制し、4周目を終えて5番手までポジションアップ。さらに6周目、ヘアピンで70号車のインに飛び込み、25号車に4番手となった。

 25号車に抜かれた70号車はクロスラインを狙ったか、イン側に巻き込むようにスピンを喫し、大きくポジションを落とした。

 10周目に入った時点で、トップ37号車のリードは14秒前後。2番手の60号車の背後には#360 RUNUP RIVAUX GT-R(青木孝行)が張り付き、さらに1秒以上近く速いペースで25号車がギャップを縮め、この2台に近づいていった。

 レース開始から20分が経過した13周目、ピットイン義務を消化するマシンが出始める。360号車に完全に追いついていた25号車も、14周目に入ったところでピットイン。タイヤ無交換で松井孝允に後を託した。

 これに反応するように60号車が翌周にピットイン。こちらもタイヤ無交換で宮田莉朋を送り出すと、25号車の目の前でコースに復帰することに成功した。

 さらに、25号車は70秒と規定されているピットレーン最低滞在時間(ジャッキアップしない場合)にわずかに足りず、1秒のペナルティストップを科されてしまった。

 トップをひた走っていた37号車、2番手の360号車はレーススタートから30分経過直前にピットストップ。一方、25号車もこのタイミングで再度ピットレーンに入り、ペナルティを消化した。

 37号車(武井真司)がコースに戻った時点で、60号車に対するリードは4秒ほどまで減少。60号車の宮田は一気にこの差を詰めると、19周目のヘアピンでアウト側から被せるようにオーバーテイク。これでトップに躍り出た。

 後方では、52号車(脇阪薫一)が360号車(田中篤)に迫り、こちらもヘアピンでオーバーテイク。20周目を3番手で終えた。

 この時点で、37号車と52号車のギャップは7秒ほど。ただペースは52号車の方が1周3秒近く速く、23周目には2台がテール・トゥ・ノーズ状態となった。

 52号車はその周の最終パナソニックコーナーでインに飛び込んだ。37号車もストレートで伸び返し、2台が横並びで24周目の1コーナーへ。このブレーキングで勝った52号車が2番手を奪取した。

 トップの60号車は残り時間8分の時点で14秒リードの一人旅。そのまま危なげなくトップチェッカーを受け、スプリントカップ2連勝を飾った。

 2位は52号車で、こちらもスプリントカップ2戦連続の表彰台獲得。3位には37号車が入り、コルベットC7 GT3-Rの速さを証明した。

 レース終盤、70号車の河野駿佑は30号車の織戸学と数ラップに渡って激しい4位争いを展開。トップの60号車がレース時間50分の数秒前にコントロールラインを通過したことで、30周目がファイナルラップとなったが、その1コーナーで河野が織戸をオーバーテイクすることに成功し、4位をもぎ取った。

 25号車は8位でフィニッシュ。クールダウンラップでは、普段25号車の監督を務めている土屋武士がステアリングを握る#244 Max Racing RC F GT3とランデブー走行。これがラストレースとなったHOPPY 86 MCへの声援に手を振って応えた。
Posted at 2019/11/26 21:47:29 | コメント(0) | トラックバック(0) | 自動車業界あれこれ | 日記
2019年11月26日 イイね!

BGはグランドワゴンからランカスターに名を変え、海外ではアウトバックの名でってある意味で多彩だよな~

BGはグランドワゴンからランカスターに名を変え、海外ではアウトバックの名でってある意味で多彩だよな~元祖SUV風モデル!? スバルの歴代クロスオーバーワゴン3選

■スバルのクロスオーバーワゴンは「働くクルマ」から始まった

 スバルの自動車生産は、1958年発売の「スバル360」から始まりました。そして、1966年発売の「スバル1000」で、初の水平対向エンジンを採用し、その後水平対向エンジン+4WDというスバルの確固たるブランドを確立。

 現在では「シンメトリカルAWD」という4WDシステムが世界の市場で高い評価を獲得しています。

 なかでもスバルの4WDステーションワゴン(以下、ワゴン)は、いまのクロスオーバーSUVの先駆け的存在で、長い歴史があります。

 そこで、歴代スバル車のなかから、4WDワゴンを3車種ピックアップして紹介します。

●レオーネ

 スバル1000から始まった水平対向エンジンですが、これにパートタイム4WDシステムを組み合わせた初のモデルが、1971年に製作されたスバル「ff-1・1300Gバン4WD」です。
     
 このff-1・1300Gバン4WDは、当時、東北電力から冬場の豪雪地帯での設備保守用に、乗用車タイプの4WD車が必要というリクエストにより作られたといいます。
     
 そして、1971年には新世代モデルとして「レオーネ」が登場。セダンを基本として、クーペとライトバンをラインナップし、全車FFでのデビューでした。
     
 1972年にはライトバンの「エステートバン」に4WD車を設定。ここから正式にスバルの4WDワゴンの系譜が始まります。
     
 1982年に2代目レオーネのラインナップに5ナンバーのワゴン「ツーリングワゴン」が追加され、「レガシィ」へと続くクロスオーバー4WDワゴンシリーズが誕生。
     
 スバルの水平対向エンジン+4WDというパワートレインを確立したレオーネですが、1989年に初代レガシィと1992年に初代「インプレッサ」がデビューすると、レオーネは1994年に生産を終了しました。
     
 ツーリングワゴンの系譜は、レガシィとインプレッサによって引き継がれます。

●レガシィ グランドワゴン

 1989年に初代レガシィがセダンとワゴンのラインナップでデビューすると、スキーブームという背景もあり、ヒット作となりました。

 とくに、高性能エンジンを搭載した4WD車のツーリングワゴンは、高速道路での安定した走りと雪道などの悪路走破性能、大容量の荷室を有することでオールマイティに使えるワゴンとして、高い評価を得ます。

 そして、1993年に発売された2代目レガシィは、初代からのキープコンセプトとしながら、動力性能や走行性能を向上。

 1995年にはツーリングワゴンをベースに最低地上高を上げ、外装をSUVのような意匠としたクロスオーバーワゴンの「レガシィ グランドワゴン」を追加ラインナップします。

 アウトドア志向を強調しながら、本格的なクロスカントリー4WDよりも高速走行性能に優れ、これまでにないジャンルのワゴンとなっていました。

 とくに北米市場で「アウトバック」の名で販売されると、大ヒットを記録し、北米でのスバルブランドの地位を高めることに貢献。

 レガシィ グランドワゴンはクロスオーバーワゴンというジャンルを確立した先駆者として、他メーカーに大きな影響を与えました。

■数少ない大人のためのワゴンへ進化

●アウトバック

 現在、スバルのラインナップにおいて日本ではレガシィ ツーリングワゴンの販売は終了していますが、クロスオーバーワゴンの「レガシィ アウトバック」をラインナップしています。

 エンジンは2.5リッター水平対向4気筒自然吸気のみで、トランスミッションは「リニアトロニック」と呼ばれるCVTが組み合わされています。

 また、レガシィ アウトバックは最低地上高が高いSUVスタイルを継承する一方、2019年9月の一部改良では、雪道や砂利道など滑りやすい道を走行するときに使用する「SNOW・DIRT」。

 深雪やぬかるみといったタイヤが埋まってしまうような道を走行するときに使用する「DEEP SNOW・MUD」のふたつのモードが選択可能な「X-MODE」を採用し、これまで以上に悪路走破性を高めています。

 さらに、シーンに合わせて3つの走行性能を自在に選択できる「SI-DRIVE」や、スバル独自の先進安全装備「アイサイト」も標準装備されており、ドライビングプレジャーと安全・安心を両立。

 かつてのレガシィのような高性能なターボエンジンや水平対向6気筒エンジンは搭載していませんが、大人のための落ち着いたワゴンに仕上がっています。

 なお、北米では2020年モデルの新型アウトバックが発売されていますが、国内モデルのモデルチェンジについては、スバルからアナウンスされていません。

※ ※ ※

 現在、ワゴンは国内メーカーのラインナップでは少数派です。そうしたなか、スバルはレガシィ アウトバック、インプレッサスポーツ、レヴォーグと、複数のワゴンをラインナップしています。

 SUV人気が続いているなか、走行性能に優れたワゴンが見直される傾向もあるようで、ミニバンからの買い替え需要も見込まれます。

 すでにワゴンの生産から撤退してしまったメーカーもありますが、スバル伝統の4WDワゴンの系譜は、まだまだ続きそうです。
Posted at 2019/11/26 21:44:12 | コメント(0) | トラックバック(0) | 富士重工 | 日記
2019年11月26日 イイね!

BTCCは撤退しちゃうしニュルに出ても良いよね~STIとは別でスバルとしてとか

BTCCは撤退しちゃうしニュルに出ても良いよね~STIとは別でスバルとしてとか次期型レヴォーグの驚くべき進化とは? 東京モーターショーで最注目だった1台をスバリストが徹底解説

 スバルの新技術の多くはレガシィ&レヴォーグに採用されてきた

 東京モーターショー2019でベールを脱いだ次期型レヴォーグ(プロトタイプ)。ここであらためてその内容を振り返ってみよう。予想以上の大反響を受けた今回の東京モーターショーにおいて、とりわけクルマ好きからの注目度が高かったSUBARUブースのメインステージに置かれ、伝統の油圧シリンダー展示で躍動感を演出。

 メインステージに置かれた展示車を油圧シリンダーで動かす演出の歴史は古く、始まりは1990年代まで遡る。筆者が生まれて初めて見た1995年の東京モーターショーでは、2代目レガシィツーリングワゴンがステージの中央で宙を舞い、度肝を抜かされた思い出があるが、レヴォーグはレガシィツーリングワゴンの精神的な後継モデルでもあるので、今回の次期型レヴォーグがステージの中央で踊る様子にはとても感慨深いものがあった。

 初代から受け継がれた開発コンセプトは「革新のスポーツツアラー」。「革新」を標榜するだけに、今のSUBARUの最新鋭・最先端技術が優先的に採用される。SUBARUのラインアップを見ると、車両価格の最高はWRX STI、車格的な最高峰はレガシィB4/アウトバックとなり、いわゆるフラッグシップ車がどれにあたるのかわかりにくいが、「技術的なフラッグシップ」は歴代レガシィシリーズ、そしてレヴォーグが担ってきた。振り返ると、 ・2リッター世界最高峰の最高出力

・2ステージツインターボ

・自主規制上限の280馬力

・倒立式ストラットビルシュタインダンパー

・マルチリンク式リヤサス

・全車等長排気

・全車3ナンバーボディ化

・5速AT

・運転支援システム(旧ADA/アイサイト)搭載

・リニアトロニック

・直噴ターボ など、SUBARU車として初となる新メカニズムの多くは、レガシィシリーズで採用されてきた歴史がある。従って、古参のSUBARUファン的に、実質レガシィの後継(日本のレガシィの後継)であるレヴォーグの新型への期待値は相当に高い。

「革新」と標榜せずとも、革新的なモノが盛り込まれていなければファンに納得されないのだ。当然メーカー側もそれを強く認識しているし、次期型レヴォーグは、古参のファンにアッと言わせる革新性を備えていなければならないという宿命を背負った、SUBARUにとって特別なクルマといえる。

 エアスクープも装備! 未来のクルマにもスバルらしさは健在

 今回発表されたのはエクステリアデザインと搭載エンジン、そして次世代アイサイトの簡単な概要にとどまったが、前述したファンの高い期待値に応えうるモノであると予感させるには十分だった。

 エクステリアデザインでは、近年のSUBARUが強く推進しているデザインコンセプトにブレや揺るぎがないことを証明。六連星が中央に輝くヘキサゴングリルと呼ばれる、フロントグリルの六角形から伸びるように描かれた立体造形は、航空機メーカーのDNAだと説明されて頷ける説得力に富んでいた。ヘッドライトとテールレンズには、水平対向エンジンのピストンをイメージさせる「コの字」をさらに強調。これもSUBARUが自らのアイデンティティを強めていきたいとの意思表示のひとつであり、未来のSUBARU車が進む方向性にもブレがないことが伝わる。

 さらに、ボンネット中央にそびえるエアスクープも健在。これも歴代レガシィターボ、あるいはWRXで培ったSUBARUの高性能車の象徴的な部分と言えるが、単なるスポーツイメージの訴求、あるいは古参ファンへの配慮から配置したわけでは決してない。「性能を出すために必要」との判断から踏襲されている。

 天地方向に薄い水平対向エンジンの場合、インタークーラーはエンジン上部に配置して、短いパイピングで吸気を冷やせるメリットがあり、今回もその点が重視された。フォレスターや北米向けアセントなどのSUVではピークパワーの要求値は高くないし、ボンネットの全高に余裕があるため、ボンネットにエアスクープを設けずともインタークーラーを効果的に冷やせるが、全高の低いクルマではやはり中央の穴から空気を導入する方が性能を出しやすいという。

 より大胆に、という意味を込めた「BOLDER(ボールダー)」と呼ばれるデザインコンセプトは、今年3月のジュネーブショーで初公開されたヴィジヴ・アドレナリン・コンセプトで表現されたもので、これが早速市販車に反映された。ヴィジヴ・アドレナリン・コンセプトはSUVの未来像である一方、各部に表現されたデザインのネタは必ずしもSUV用ではない。今回はフロントマスクの造形が次期型レヴォーグに受け継がれている。

 メインステージに置かれる次期型レヴォーグと、少し離れた位置に展示されたヴィジヴ・アドレナリン・コンセプトを同時に見比べると、小さめのヘッドライトや彫りの深いエッジの効いた顔立ちがそっくりであることに気がつくのだ。ヘッドライトは今時のクルマらしく小さくなり、世界的な流行への追従を思わせなくもないが、もちろんヘッドライト本来の機能である照射性能については万全。照射範囲の広さや明るさなど、機能面を徹底的に追求していると熱く語るエンジニアの話を聞いて、SUBARUらしさを感じた。

 また、ホイールアーチにも六角形をイメージさせる造形が施されたのも印象的だ。大胆に張り出した前後のフェンダーもあいまって、止まっていても前に走るような躍動感が感じられるところもデザインの大きなポイントと言える。

 プラットフォームや安全性を向上! 心臓部にも期待が高まる

 モーターショーの現場にいると、ちょっとメリハリを利かしすぎてクドい、あるいはガンダムチックになった、などという来場者の意見も耳に入ったものの、デザインについてはおおむね好評で、多くの人に受け入れられるものになっていたと評価できる。

 ボディサイズはわずかに拡大されるようだが、現行レヴォーグ、あるいは4代目レガシィユーザーが困惑するような拡幅はなされていないという。デザイン性が高まると、視界を中心とした運転環境の変化が気になるところだが、その点についても心配ご無用。「0次安全」を重視する設計思想は必要以上に守られているという。後方視界などについても悪化や後退はしていない。

 搭載されるエンジンについての発表は、1.8リッターの直噴ターボでリーン燃焼技術を採用したという内容にとどまっており、スペックや他の排気量の存在については明かされなかったが、エンジニアが声を大にしてアピールしたのは「レガシィ/レヴォーグは新世代ごとにパフォーマンスが向上する! その期待は絶対に裏切らない!」ということなので、それを信じて待ちたい。ミッションはCVTのリニアトロニックを踏襲。もちろん大幅な改良が施され、CVT嫌いの人でも違和感のない変速フィールをさらに追求したという。AWDシステムにも新たな機構が注がれるようだ。

 新世代プラットフォームのSGP(スバル・グローバル・プラットフォーム)はフルインナーフレーム構造となり、第2ステージへステップアップ。極限まで歪みを抑えた高剛性ボディにより、意のままに操れる質感の高い走りを実現したとある。SGP車の走りの質の高さは現行インプレッサやフォレスターで定評があるが、この点においてもエンジニアは、従来のSGP車から予感させる動的質感とはまた別次元の高みに上ると自信満々に語っていたので、過度な期待を抱いて待ちたいところだ。

 新しいアイサイトは、広角化した新開発ステレオカメラ/前後4つのレーダーで360度センシングにより、路地での出会い頭や右左折など、これまでのアイサイトではカバーしきれなかった領域でもプリクラッシュが作動するなどレベルアップ。

 高精度マップ&ロケーターにより、人工衛星みちびきから得るデータの受信性能が上がり、自車位置をより精度高く正確に特定。高速道路形状をクルマが正確に把握できることで、カーブ前の減速や渋滞時のハンズオフ走行支援性能も飛躍的に高まるという。

 SUBARUは「自動運転」という言葉を使わず、あくまで「運転支援」。この思想も揺るぎなく継承される。新アイサイトについては、前述の発表された内容に度肝を抜かれるほどのインパクトはなかったものの、本質的な性能面の高さにエンジニアは自信を持っていた。いまのアイサイトでも定評のある制御の緻密さや自然さ、違和感のなさなど作動時の質やフィーリング面においては、他銘の運転支援システムを再び大きく凌駕してくれるものになることを期待してやまない。

 ファンの期待値というハードルはさらに高まったと言えるが、2020年の後半とされる正式発表が待ち遠しい。


アイサイトの性能拡充は当然としても走りに関しても性能が上がってくれていないとSIシャシからスバルグローバルプラットフォームに変えた意味が無いですから
次期型と言われる1.8Lよりもハイパフォーマンスなエンジンが本命なのかな?なんて思ってしまうけど(燃費重視って言っているからさ)
Posted at 2019/11/26 21:41:50 | コメント(0) | トラックバック(0) | 富士重工 | 日記

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