
本日のブログは、長年行きたかった【紫電改展示館】に晴れて見学に行けたという内容です。
本来の車ブログの趣旨と異なりますので、ご了解くださいませ。
先週末の金曜日から日曜日まで、愛媛県に居りました。
5年+αのお付き合いのラスト~と言うことで、公の立場的了解を頂き、時間を作りました。
お陰で~土曜日の昼前には新居浜を出発して、西の松山を通り越して南に下り、先ずは宇和島市へ。(2時間半位)
昭和41年頃に職場とご縁が有ったという~【和霊神社】へ参拝に。
大きな銀杏の木が数本。黄色が鮮やかで見事でした!
「宇和島藩」と直接縁が有る神社です。(深い歴史は割愛させて頂きます。)
白御影石造りの第一鳥居、同じ造りの石での日本最大の鳥居の第二鳥居を越えると川を渡る太鼓橋。
そしてご縁と成った鉄筋コンクリート製の【神門】。
バランスが取れていて重く感じず、綺麗な形だと思います。

太平洋戦争の戦災を乗り越えたんですかね。

本殿も江戸時代中期。
とても大きくて、凝った組み物の宝庫でした。

さて見入ってしまうのですが~本題の
南レク【紫電改展示館】へと急ぎました。
(南宇和郡愛南町御荘~)←最後「みしょう」と読みます。

【紫電改】は事実上【零戦】の後継海軍主力戦闘機。
「靖国神社」や「河口湖飛行館」の【零戦】と比較して、大きく感じました。

全長は少し長い位。

星形エンジンの直径が大きいので、胴体が太いせいでしょう。


出力は【零戦】の2倍弱【紫電改】が力強い!動力空戦性能も~米軍戦闘機を上回っていました。
四国の南予地区に日本海軍戦闘機【紫電改】の実機が有ると知ってから~何年経ったか!?【下写真】は紫電改の紹介です。

愛媛県の南レク「馬瀬山公園」。
【紫電改】は水上戦闘機【強風】をベースに、中翼タイプの【紫電】を経て、昭和20年1月に制式採用された低翼タイプの本格的な海軍陸上局地戦闘機です。

同時期に、本土周辺空域の制空権奪回を目的として、南洋等各地の歴戦パイロットを集めて松山基地で編成された、第343海軍航空隊(剣部隊)に集中配備され、戦果をあげています。

昭和20年3月19日、松山上空での空中戦の大勝利の後、7月24日~九州との間の「豊後水道上空」で、3倍近い米軍艦載機と交戦。

同日、未帰還機に成った紫電改6機の中の、誰が搭乗していたかは不明だそうで、その6人の英霊の紹介と供養がされています。

昭和53に発見され、54年愛媛県主導で海底より34年ぶりに引き上げられて、そのごく近くに出来たばかりの都市公園に記念館を準備して「永久保存」されているものです。

海中より引き上げられた姿を尊重しつつも、機体中にこびり付いたフジツボを落とし、最低限の修理や塗装がされて、現在の保管状態になっている様です。

機内に有った、「20mm機関砲」の弾薬。

主翼下の薬きょう排出口など。

「宇和海」、「6人のパイロット」を肌身に感じる展示でした。

四国の中でも大変遠く感じるエリア。
アメリカに3機、日本ではこの1機しかない紫電改。

同行して車を出してくれた、大阪の宮大工若棟梁と共に、2時間以上いても見飽きない展示&機体でした。

19~29歳位の方達が、本土防空の為に【紫電改】で圧倒的に優勢な相手と戦った。
日本を守ろうとした純粋な気持ちは、客観的に~やはり忘れてはならないと思いました。

貴重な遺産。
靖国神社の「零戦52型」と一定期間「交換展示」をしてみては如何でしょうか!?
そんな事をベテランの受付の女性にしてみましたら~無言で笑っておられました~~~。
記念館の丘の目の前の、着水不時着された「久良湾」。綺麗に曲がったプロペラと損傷が少ない機体から、高度の技術を持ったパイロットの着水だった様です。

風が無い凪の海と夕焼け。 ご冥福をお祈りしました。
2度目の拝観が叶うか分かりませんが、同行者と「貴重な時間だったね~。」と言いながら帰りました。
帰路、松山空港近くで、先ほどジオラマ模型で見た鉄筋コンクリート造の掩体壕を拝見しました。

こちらは二度目!住宅としての使用は相変わらず~でした。

羽田へ向かっている機内より、伊豆半島や駿河湾越しに【富士山】が綺麗に見えました~。

私の大切な愛機は~【青GTI】です~(^_^)v
■長文へのお付き合いを、ありがとうございました。
・追記:関連URLは「みんカラ友人:CBさん」が、ワシントンDCのスミソニアン博物館で【紫電改】を観てこられた時のブログです。CBさん、すみません~(^-^)ゝ゛
Posted at 2017/12/06 00:39:42 | |
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