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2016年11月24日 イイね!

あの当時でも市販仕様を想定したP-2で全長とか伸びたことを考えると今の基準で造ったらどんだけ間延びしたデザインにされてしまうのやら…ある意味リメイクとかしないでくれた方が良いのかもね

あの当時でも市販仕様を想定したP-2で全長とか伸びたことを考えると今の基準で造ったらどんだけ間延びしたデザインにされてしまうのやら…ある意味リメイクとかしないでくれた方が良いのかもね【幻の国産スーパーカー】世界に対抗するために開発された「童夢-零」

零と同時に童夢も誕生した

世はスーパーカーブーム真っ只なか。輸入車ばかり(当然だが)のスーパーカーたちに対抗すべく、日本でも製作の機運があるにはあった。その代表格が、童夢-零である。

童夢といえば、現在もフォーミュラやスポーツカーをはじめとするレーシングカーの開発を積極的に行い、スーパーGTに参戦するなど、モータースポーツ界で活躍している。

レーシングコンストラクターの童夢が、スーパーカーの開発計画を立ち上げ、1978年に公開したのが童夢の「零」だ。正確には零の完成とともに、童夢が作られている。開発を主導したのは代表を務めていた、日本のレーシングカーコンストラクターの父である林みのる氏。さらにムーンクラフトの由来拓也氏などもかかわるなど、日本のレーシングカー技術が結集したものだった。

ボディはFRPセミモノコックで、2800ccで145馬力を発生するL28型直6エンジンを搭載。車高は980mmというローシルエットが印象的だった。ちなみにロータスヨーロッパは1000mmほどである。

デザイン的にもランチア・ストラトスのプロトタイプであるストラトスゼロ(名前は)を思わせる直線基調のスタイル。そしてスーパーカーには欠かせないリトラクタブルライトも装備するなど、当時のちびっこも大満足のオーラを放っていた。ちなみに各地のスーパーカーショーにも展示された。

零が初めて姿を現した、第48回ジュネーブ国際自動車ショーに出展されると高い評価を得て、世界の富豪からのオーダーもあったという。

しかし1970年代といえば、数々の規制があった時代。当時の運輸省からはまったく相手にされず、国内での認可は断念。規制が緩いアメリカでの認可を目指して(日本へは輸入車として入れる)、現地法人まで作り、P-2へと進化。アメリカではかなりテスト&開発が進んだが、許認可の問題というよりも性能が確保できず、結局は頓挫してしまった。

現在でも零、P-2ともにレストアされたものが現存していて、各地の旧車ショーでたまに見ることができる。日本のスーパーカーの夢の跡といったところでじつに感慨ぶかい。

(文:近藤暁史)


やっぱりカッコいいな~
Posted at 2016/11/24 23:19:48 | コメント(0) | トラックバック(0) | 自動車業界あれこれ | 日記

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