梅枝は源氏物語の第32帖。
弁少将
(*)が謡った催馬楽に拠る。
(*)後の紅梅大納言。架空人物。
妙な導入になってしまったが、ここで源氏物語を紐解くつもりはない。
表題は正しくは「梅が枝(うめがえ)」とすべきだったかも知れない。
梅が枝(「が」は格助詞)は、その字面のとおり「ウメのえだ」を指す。
今回はそんな梅の枝と花に関わる雑記・写真を掲載したい。
写真は、梅の花のカラー別に掲載。
梅を撮ることは、案外難しいと言われるし、自分自身も苦手な被写体だ。
理由はいくつかあるのだろうが、自分の場合は、歪な枝の存在感が挙げられる。
花は嫋やかなのに、小兵ながら武骨で硬い質感の枝が画面に多く写り込む。
柔らかい画にしたいのか、角張った画にしたいのか、どっちつかずになる。
<白梅>
【1】
【2】
【3】
【4】
そんなある日、TVで梅に纏わるシーンが報じられ、そこに墨絵が含まれていた。
枝が黒々としかも強い線で描かれ、ともすると花を食ってしまう存在に思えた。
しかし不思議なことに暫く眺めていると、全体が調和しているように思えてきた。
枝と花、花と枝が、お互いを引き立てているかのようだった。
無論著名な絵師が描いた作品ゆえ、圧倒的な筆のチカラはあったのだろう。
<紅梅>
【5】
【6】
この墨絵を観て、梅の撮り方を少し考え直そうと思った。
あるがままを写し撮れば、そこには同じ梅の樹の、花も枝も蕾も厳然と在る。
それが自然で、最も嘘がない。
だから、枝だけをフレームアウトするような無理な撮り方は不要なのではないか。
と、いまさら当たり前のことに思い当たった。
<薄緑>
【7】
【8】
【9】
あまり構図だけに神経を尖らせず、花も枝もそこに自然に在るものとして捉えてみる。
形の悪い枝を入れざるを得ないのなら、それも味として敢えて活用してしまう。
そんな、割りとラフな姿勢で、淡々と肩の力を抜いて撮影を行った。
<ピンク>
【10】
【11】
【12】
短時間だったが、それ以上に軽やかに撮影ができたような感覚があった。
まぁ人がどう思おうが、花は花、梅は梅、
人間の都合になどお構いなしに、自然の摂理でいのちは動く。
<薄桃>
【13】
春近し、の梅が枝の図はこれにて。
※EOS 5D MarkⅢ EF100-400㎜ F4.5-5.6L IS Ⅱ USM
(了)
ブログ一覧 |
雑記・備忘録 | 日記
Posted at
2015/03/03 21:27:49