2019年2月3日(日)。
珍しく休日チョイ乗りで多摩川を越えた。
どこも同じだと思うけど、橋は混むよね。
だから普段はあまり南下しない(軟弱)
たまたま見かけたとあるHPで興味を持ったものがあって、
この日は東京西部多摩市の多摩ニュータウン駅方面に向かった。
やって来たのは駅にほど近い多摩中央公園。
実はこの公園内にある旧富沢家住宅を見てみたいと思ったから。
ナビで富沢家住宅を入れてゴールに到着するも、駐車場はない。
住宅街からちょっとした崖状になった台地の上に家屋があるようだ。
仕方なく公園周りを進み、多摩ニュータウン駅近くの駐車場に停める。
公園のPかと思ったら複合文化施設「パルテノン多摩」のそれだった。
他に駐車場があるのかないのか分からなかったので、良しとする(^_-)
駐車場から上に昇ると、もう多摩センター駅がすぐ近く。
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そしてパルテノン多摩。
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中央公園に入ってゆくと池があって高層ビルが水面に映っていた。
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池には噴水。
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広い芝の広場。
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木漏れ日の落ちる道を進んでいく。
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あ! あった♪ 旧富沢家住宅。
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富沢家住宅は、18世紀後半に建築された連光寺名主の家を移築したもの。
明治天皇などが行幸した際には御小休所として利用されたことでも有名。
多摩市教育委員会によれば詳細は次のとおり。
<引用>
富澤家の家譜によれば、当家の先祖政本は、今川氏の家臣で、永禄3年(1560)今川義元が桶狭間の戦で亡ぼされた後、逃れてこの地に土着した。その後、政本の子忠岐(通称忠右衛門)が、初代名主を務め、以後、代々連光寺村の名主を世襲した。当家は、明治天皇始め皇族方が、明治14年(1881)以来幾度かこの地に兎狩りなどに行幸、行啓した際に「御小休所」として利用された由緒ある家である。主屋は、文化9年(1812)の屋根葺替の記録から、既にそれ以前に建てられていた事が分かる。建築手法、形式などから、推定建築年代は18世紀中頃から後半と推定される。また、嘉永5年(1852)から明治期に、式台付玄関・客座敷の縁・便所などの改造が行なわれ、移築までに、幾度かの増改築がなされ上層民家としての形を整えたと考えられる。当市内で入母屋造りの式台付玄関のある建物は当家一軒だけである。主屋の規模は桁行9.5間、梁行5間である。間取りは上層民家特有の間取りで、客座敷と日常生活とを完全に分離させた広間型多間取である。構造は入母屋造りで、小屋梁の上に小屋束を立てて上屋梁を乗せ、この上に又首を組む。上屋梁と小屋梁の間は、切り又首となるいわゆる下屋造りである。正面と上手(左)側面は小屋梁を外に枯出しで角造りの出し桁とし、軒桁を掛けて小天井を張るという工法の船枻造りである。
平成2年5月、多摩市連光寺富澤政宏氏より寄贈を受け、復元後移築した。なお、移築にあたっては、屋根の茅葦を銅板葺に変えるなど完全な復元は困難な部分もあり、一部変更し施設の充実に努めた。
重厚な門扉。
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門を振り返って。
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これまた重厚な屋根。
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裏側もちょいと覗いて(笑)
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で、やっと全体像。
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住居の入り口。
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ん? あれ?? おっと、内部は撮影禁止だった(痛)
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ということで、事前学習が不足しており、内部の写真はありません(泣)
カメラをしまい家屋内部の見学を終えて、再び戸外に戻る。
前庭には池があって、ちょっとした散策道がある。
少し歩いてみよう♪
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池の反対側からあらためて住宅の全容を撮ってみた。
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撮影禁止は想定外だったけど、個人的には相応に楽しめたかな。
紅葉の時期はきっとより風情のある表情を見せてくれるだろう。
今回も最後までお付き合いいただきありがとうございました。
FUJIFILM X-H1 FUJINON XF 16-55㎜ F2.8 R LM WR
(了)