
もう35-40年ほど前になるだろうか、
高校生だった自分は国鉄の周遊券を
使って、夏休み最後の1週間を北海道
道南一帯で過ごしたことがある。
夜行の急行八甲田と青函連絡船を
乗り継ぐそれは長い長い道行だった。
当時は道内にも夜行の各駅停車が運行しており、
貧乏旅行の学生には心強い「宿」だった。
函館〜大沼〜森〜長万部〜洞爺等を周り、
帰路についたのだが、帰りの八甲田のBoxシートで
一緒になったお姉さんとこんな会話を交わした。
姉「エサシで牧場のお手伝いをしてたんだぁ」
姉「知ってる?エサシ」
自「江差でしょ、知ってますよ、道南にいたから」
姉「ん?枝幸だよ、北見枝幸」
自「き、キタミエサシ??どこですか?」
姉「う〜んと遠い北のほう、何もない所だよ」
姉「でも、すっごく広い風景が広がってるんだぁ」
自分はその時から道北を訪れることに一種の憧れを抱く。
就職し仕事で北海道を訪れることは相応にあった。
いつも千歳〜札幌近郊。懇親Golfでも精々夕張まで。
30代のある夏、家内と北海道を訪れる機会があったが、
この時は知床半島を中心とした道東エリアの旅だった。
社会人になって30年以上の歳月が経過した先月下旬、
初めてリフレッシュ休暇なるものを申請・取得した。
当初沖縄の離島にでも行こうかと考えたが、
家内のリクエストもあり、急遽道北行きが決まった。
【1】
(ビットと稚内の象徴的存在である防波堤ドーム)
前振りが長くなってしまったが、今回の旅紀行を
稚内、サロベツ、宗谷、利尻、礼文と記録に残したい。
単なる絵日記ブログとなるので、適当にスルー下さい。
【2】
(防波堤ドームを陸側から広角で)
そう、枝幸には行けなかったけど同町に北接する
浜頓別やより北の猿払に寄れたことで、
肩の荷が下りたような、長年の夢が叶ったような、
そんな余禄も付いた旅となった。
【3】
(古びたビット4)
旅の始まりと終りは荒天、中盤は総じて好天に恵まれた。
【4】
(防波堤ドーム全景、港側から)
6月下旬なのに息が白くなる寒さや飛ばされそうな大風や
直ぐ前でさえ見えなくなるような霧にも遭遇したけど、
それらを凌駕する真っ青な大空と見たこともない絶景に
完全に心をもっていかれる1週間になった。
【5】
(稚内駅構内の風景)
初回は延べ4泊した稚内市街と近郊の様子を、
ダイジェスト的に残そうと思う。
【6】
(稚内駅、宗谷本線最終地点)
【7】
(駅構内を突き抜けて駅前広場に伸びた線路の最終地点)
【8】
(17:17発名寄行きの各駅ディーゼル列車、黒煙が‥)
【9】
(稚内市街地にある北門神社のボタン。水滴が瑞々しい)
【10】
(ノシャップ岬の象徴)
【11】
(ノシャップで見た小さな漁船)
【12】
(ノシャップの海)
【13】
(ノシャップのカモメ)
【14】
(ノシャップ寒流水族館にて①)
【15】
(ノシャップ寒流水族館にて②)
【16】
(ノシャップ寒流水族館にて③)
【17】
(ノシャップ寒流水族館にて④)
【18】
(ノシャップ寒流水族館にて⑤)
【19】
(水族館脇に咲いたアルメリア)
【20】
(稚内公園から見下ろす市街地)
【21】
(氷雪の門)
【22】
(南極観測樺太犬記念碑)
【23】
(樺太犬供養塔)
稚内市は国内最北の市であると同時に国土の最北端を有す。
【24】
(荒天時の氷雪の門)
アイヌ語のヤムワッカナイ=冷たい飲水の沢が語源だという。
【25】
(稚内公園のレンゲツツジ)
宗谷管内の中核都市で、古くから漁業の街として栄えた。
【26】
(稚内公園で見かけたマツバトウダイ)
ロシアの排他的水域設定後は北洋漁業の衰退から、
港湾関連業の縮減と人口の減少が続いてしまっている。
【27】
(稚内公園のキレンゲツツジ)
ノシャップ・宗谷両岬、稚内公園等の観光資源を活かし、
また離島へのフェリー拠点として再び輝きを取り戻してほしい。
【28】
(HOTELの部屋より朝陽を望む)
通りすがりに過ぎないが、最北の土地という空気感や
独特の港町風情にはどこか郷愁を呼び起こす佇まいがある。
【29】
(利尻行ハートランドフェリーから見る稚内市街〜ノシャップ)
稚内には再訪を促す魅力が確かにある、と感じた数日間だった。
【30】
(フェリーからサロベツ方面を望む)
続く…。
(Top画像は、フェリーで島にも同行してくれたレンタカーのマーチ☆よく走ってくれた)
※X Pro2 XF 16-55㎜ F2.8 R LM WRほか
(了)
Posted at 2016/07/06 20:57:06 |
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