
映像は、満州国の国旗です。
満州国は、1932年(昭和7年)から1945年(昭和20年)までの間、現在の中国東北部に存在した国家です(中国等、国家として承認していない国があります)。
満州国の成立は、1931年(昭和6年)の勃発した満州事変により、大日本帝国陸軍(関東軍)が、中国東北部(旧満州)を占領したことで、作られた日本の傀儡国家であると言う説明を、我々は、日教組の教育によって受けて来ました。
しかし、当時の中国東北部は、満州族(女真族)の支配地域であり、清朝滅亡後の中華民国において、政情の定まらない独立風潮の高い地域であったことを無視することは出来ません。
また、太平洋戦争に至る歴史を、軍部の独走と、軍=悪の図式で説明することが、米国等の占領政策や、日教組の反国家闘争の中で、都合良かった為、この満州国の成立も軍部(関東軍)の独走の結果として位置づけられることが多いですが、当時の日本国内の情勢として、関東大震災、世界恐慌の影響が深刻であり、海外へ市場を拡張せざろう得ない状況にありました。
つまり、これを財界、マスコミが後押し(どちらかと言うと軍部を焚き付けた)事実を隠すのは、妥当でないと思います。
満州国の建国の理念に、「王道楽土」と言う言葉があります。
これは、大東亜(アジア)の理想国家(楽土)を、西洋的な力の支配(覇道)では無く、東洋的な道徳による統治(王道)で行うと言う意味が込められています。
「王道楽土」と同列に語られるのが、「五族協和」
日本人・漢人・朝鮮人・満洲人・蒙古人で、この「王道楽土」を完遂しようと言うものです。
さて、当時、満州開拓、大陸へ
満州こそが、日本の生きる道
満州が無ければ日本の経済は崩壊する
云々と、官民挙げて、王道楽土の推進に邁進しました。
国際社会が如何に異を唱えようと、中国が抗議しようと…(理不尽な異も多々あったのが問題ですが)
そのやり方に、国内で疑問の声が出れば、声を上げた者は、国賊とされました。
いま巷で、TPPに乗り遅れたら国が亡びると声高々に騒いでいるマスコミ、経済界は、平成の王道楽土を打ち立てんとしているのでしょうか?
「尊農攘夷」の中でも述べましたが、国民の総意も問わず、誘導報道で国民を導く、やり方は、当時と、全く同じ様に思えます。
マレーシアのナジブ首相が、「すでに合意された事項について再交渉はありえない。これまでの交渉で、9カ国が合意した通商ルールを受け入れることが日本参加の前提だ」と答えていますが、これは正論で、相手国の立場を考えれば、最初から分かっていることですが、こう言うことは一切、触れず、参加交渉が、出国した途端に、参加表明に変わってしまうところに、問題を感じます。
満州国の建国が、日教組教育の通り、関東軍の暴走とするなら、TPP参加は、民主党の暴走であり、共に、結果は、亡国の二文字しかない様に感じます。
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2011/11/13 21:10:20