
3月10日、東京大空襲から75年が経ちました。
改めて犠牲になった多くの御霊に哀悼の意を表します。
子供の頃、祖父母やその同年代の方々から、この時期になると「3月10日」と言う言葉を何度となく聞いた記憶があります。
空襲の時の様子、その後の遺体収容に携わった話し…等々、子供の頃の記憶ですからかなり断片的ですし、大人になってから得た知識が無意識のうちに補完している部分も多々あると思っています。
もう実体験の話しを聞ける機会がは、少なくなっていますから、日教組に押し付けられた捻じ曲がった歴史認識(彼らの言い分だと、東京大空襲で亡くなった方々は天皇を崇めていた犠牲者であり、民間人が軍組織に組入れられ戦争行為に加担したので、犠牲になった…です(苦笑))を修正し、事実は事実として、後世に伝えて行くことが重要だと思います。
毎年、いろいろと書こうと思うのですが、
東京大空襲から70年の2015年に書いたことに尽きる感じですので、改めて、再掲致します。
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昭和20年3月10日、日付が変わった直後から東京の現在の江東区、台東区、墨田区、中央区を中心に米軍のB-29による焼夷弾攻撃による無差別大虐殺が行われました。
当時の戦況は、マリアナ諸島(サイパン、グアム、テニアン等)が制圧され、フィリピンも米軍が奪還、海上交通は遮断され、南方からの資源は勿論、大陸、朝鮮半島との交通さえままならない状況でした。
また、マリアナ諸島を制圧した米軍は、同諸島を日本本土への戦略爆撃基地として整備し、昭和19年11月以降、国内の主要都市への爆撃を開始しています。
米国は、日本の家屋の多くがどんな素材で作られているのか、これらを効率良く燃焼させるには、どんな焼夷弾を使えば良いのか、また、東京に関して言えば江戸時代を含む過去の震災や大火の記録を調べ、どう言う火災発生をさせれば、効果の高い被害を出すことができるのかを徹底的に研究し実験し東京大空襲と呼ばれる昭和20年3月10日の空襲をはじめとする各都市への大規模空襲を実施しています。
東京大空襲をはじめとする民間人居住地区を対象とした空襲(原爆投下を含む)は、間違いなく、無差別攻撃であり、連合国側が直ぐに正義として掲げる国際条約や人道主義(この場合、無差別攻撃はハーグ陸戦条約3条違反)に反する行為であるにもかかわらず、決して、裁かれることはありません。
日本国内でも最高裁判所の判決として、法的判断をする対象事例でないと判断していますし、最近の内閣の答弁としても「当時の国際法に違反して行われたとは言い切れない」としています。
勝てば官軍的な発想は世の常なので致し方ない(犠牲になった多くの御霊はそれでは済まない話しですが)ところがありますが、やられた方は、やられたと言うことを、声を大にして言っても良いのではないかと思います。
それが出来ないから、この国の戦後のケジメが曖昧になっているのではないでしょうか?
これらの被害を全て軍部と戦争指導を行った政府に負わせる東京裁判の茶番では、なにも解決していないことは明らかですから…
東京大空襲を指揮したルメイ司令に勲一等旭日章の叙勲をする広い心をもって接しても世界は何も評価しないことは、既にイヤと言うほど分かったと思うのですけどネ(苦笑)
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Posted at
2020/03/11 22:33:27