1941年(昭和16年)12月8日(現地、ハワイは、12月7日)、空母・赤城を旗艦とする日本海軍の機動部隊が真珠湾を攻撃し、太平洋戦争が始まってから、81年が経ちました。
当時、実際に戦場に居た方の多くが、既に鬼籍に入ってしまわれているので、生の声を聞く機会が非常に少なくなっているのが残念です。
先日、韓国が我が国との条約を無視し、強請りたかりを続ける行為について、なんか在日の様なからまれ方をしました。
なんでも日本が無謀な戦争を起こし、朝鮮人を虐殺したのだから未来永劫、日本は何をされても仕方ない
戦争に至った経緯(歴史)、戦域を知られるとマズイ(なんでマズイのか理解できませんが)ので隠している的な呆れてしまう感じで、その前からのブログへのコメント傾向からもキブレ臭を感じたので、ブロックしました。
まず戦争に至った経緯は、このキブレ臭のご仁に代表されるように贖罪のような話し、日本が悪いの一点張り、悲惨な話しばかりですが、皮肉なことに対戦国であった米国の方から対日戦略の機密文書が公開されるようになって、米国にとってのアジア戦略の中で、日本を戦争に誘導する政策もあったことが確認されています。
こうした事実や幅広い視野に立たずして、日本が悪いの一点張りのキブレ臭で物を語ることは、あの戦争で失われた多くの命(敵味方関係なく)に対する冒涜であり、人としての道に反する行為に感じます。
多くの戦史資料でも明らかになっている戦域、これを隠蔽しているとか言い出しのは、呆れてしまいました(隠しているなら千鳥ヶ淵の慰霊碑の地図はなんなんでしょうね(爆))。
兵站からして無謀云々の話しは当然ありますし、日本軍(海軍も陸軍も)の組織的な欠陥の1つとして、地図しか見ないで戦略を立てることもありますが、なぜ資源もない南太平洋の島々に進出したのか、正しく理解する必要があります。
そうした全体像を見ることも大切だと思っています。
毎年の繰り返しになりますが、開戦から81年
肯定も否定もすることなく正しい事実の積み重ね、そして、回避する方法、岐路は沢山あったと非難するだけでなく、どうして、それを選択できなかったのか、もう少し踏み込んで、選択した先では、どう言う未来と新たな選択が発生していたのかまでシミュレーションすることが、21世紀に生きる我々の責務ですし、失われた多くの御霊への弔いになるのではないかと思います。
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Posted at
2022/12/09 04:34:08