
東北地方を中心とした東日本で未曾有の被害が発生した東日本大震災から10年が経ちました。
改めて、失われた多くの御霊に哀悼の意を表すと共に、いまなお2500名以上の方々が行方不明であり、また、避難生活を余儀なくされている方々が4万人近くいらっしゃる現状に心を痛めております。
1日も早く笑顔と安寧な生活が戻ることをお祈りしております。
改めて、あの日の出来事を振り返りたいと思います(こう言うときブログが残っているのは便利)。
冒頭の写真は、10:00頃、慶応義塾大学日吉キャンパス内の桜を撮影しています。
この日は、阿佐ヶ谷へ行く予定でしたので、車ではなく電車での移動
日吉駅に向かっていました。
日吉駅に着く頃、この前の月にシステム入替えをしたお客様から電話があり、阿佐ヶ谷行きを止めて、お客様の本社がある東神奈川へ行くことにしました。
お客様のところでの対応が終わったのが、お昼近くになっていたので、当時拠点だったみなとみらい(クイーンズタワー)へ向かうことにしました。
お天気が良かったので、横浜駅東口からみなとみらい(ぷかりさん橋)まで、シーバスを使いました。
みなとみらい到着後、簡単な打合せに出て、遅いお昼を食べに出掛け、伊勢山皇大神社に参拝し、戻って来て、クイーンズタワーA棟の6階のお手洗いに入り手を洗っているとき、最初の揺れを感じました。
A棟からB棟への渡り廊下を通ろうと思ったのですが、落橋するのではと思うくらい揺れていて、渡るのを断念、その場で様子を見ました。
このとき、クイーンズスクエアのガラス天井が、ガラスって、こんなに曲がる(弾力性)があるんだと思うくらい波打っていました。
また、ランドマークタワーを見ると窓ガラスの清掃用ゴンドラがブランコ状態になって大きく揺れていました。
揺れが収まったとき、意を決して渡り廊下を渡り、拠点のある上の階へ行こうとしたのですが、エレベーターが止まっていたので、非常階段を上がることに
非難で下ってくる方に逆行する形で上がりました。
非常階段の壁は、あちらこちらで剥落していました。
拠点のあるフロアーに戻り、根岸の方を見ると、ENEOSの根岸製油所が緊急対応していると思われるフレアスタックが見れました。
これが震災で製油所が炎上していると言うデマにつながりました。
実際、千葉では火災も発生していたので、有害物質が雨と共に降ってくると言うようなデマ(チェーンメール)も横行しました。
おそらく15:30を過ぎた頃だったと思うのですが、ビルの下に見える運河(大岡川の河口)に浮かんでいるブイが大きく川下に流されて、そのあと、今度は、川上向かって渦巻く感じの流れになったのが見えました。
津波と直ぐに分かったのですが、まさかまさか、この時、東北地方をあんな大きな津波が襲っているとは思いませんでした。
拠点間の通信網が活きていたので、必要な安否確認を行い、もうこれ以上、拠点で出来ることもなくなり、余震も続いていたので、自宅の心配もあり、18:00頃、撤収
電車は止まっていて、道路は、みなとみらい地区から外へ出る車が全く動く気配がなかったので、バスも諦め、徒歩で帰ることにしました。
国際大通りを歩き、みなとみらい橋を渡っているとき、渦巻く水面を見ていたら、中央市場の岸壁に居る方々から危ないから早く渡れと注意されました。
このときは、岸壁の方が津波被害を考えたら危ないだろう…と思ったのですが、実は、歩道側の橋桁部分の土砂が液状化で流れていて、本当に危ない状態だったことを後で知りました。
国道15号(第一京浜)も渋滞で上下線とも殆ど流れておらず、東京方面からは歩いて来る方の列が出来ていました。
東神奈川のお客様のところに立ち寄ったあと、神奈川新町付近から国道1号(第二京浜)へ渡りました。
国道1号も国道15号と同じような状態でした。
浦島丘から綱島街道に入り、まずは法隆寺を目指しました。
普段、車で通り慣れた道だったのですが、歩くとこんなにアップダウンがあってキツイとは思いませんでした。
法隆寺交差点付近から新横浜方面を見ると、ところどころ灯りが消えているところがあり停電が発生しているのかも…と思いました。
法隆寺交差点を過ぎた先で、綱島街道から脇道に入り、このあたりの台地の尾根伝いに環状二号へ出ました。
環状二号沿いのコンビニに入り何か食べるものでも…と思ったのですが、宴の跡で、全くなにも無かったです。
環状二号から樽町側を見ると真っ暗
樽町、綱島東と広い範囲で停電していて、樽綱橋から見ると新川崎の方まで真っ暗でした。
ただ、なぜか新幹線が真っ暗の中、通過していったのが見えて、あれ?全線停止していんでは?と思いました。
21:30過ぎに自宅に到着
約3時間30分歩いたことになります。
帰宅時は停電していましたが、23:00過ぎに復電しました。
但し、このあと、あの理不尽な輪番停電(計画停電)を日吉地区は余すことなく受けることになりました。
パチンコ屋の電気が煌々と点いて医療機関がある地区が停電
周囲に節電を呼び掛けておきながら本社ビルのエレベーターは全稼働
原発事故を起こした罪の自覚もない(自然災害だから仕方ないと開き直る)
あの人としての道を外した企業はいまも健在で、その体質は微塵も変わっていないことは、震災の記憶として忘れてはならないと思います。
最後は、気象庁が発表している「地震・火山月報(防災編)」の最新版(令和3年1月)
大きな変化はないものの他の地域に比べて圧倒的に地震活動が活発な状態が続いていることが分かると思います。
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