2018年10月22日
福原愛ちゃんの引退
実際のところはもう半分引退していたようなものだったので驚きはしませんでしたが、やはりマスコミの取り上げ方は大きいですね。まあ、東京五輪の代表に入るのもまず無理だし、ここら辺が潮時といった感じでしょうか。
幼いころからマスコミに追いかけられ続けた愛ちゃん。いちばん笑ったのは、愛ちゃんが幼稚園ぐらいのころ、フジテレビの夕方のニュースのスタジオにゲストで来て、生放送でニュースを伝えている上田昭夫キャスターの真横で、上田キャスターを指差して「日に焼けてる~!!」と叫んだ事件。すぐさま隣のお母さんに口をふさがれながらはしゃいでいたのが笑えました。(※上田さんはラガーマンなので日焼けしていました(笑)。)この映像はフジテレビ名珍場面大賞などで紹介されていたので覚えておられる方もいらっしゃるかもしれません。
この頃の愛ちゃんはまだ背がちっちゃくてネット際に手が届かなかったので、私でも「これなら勝てるな」と思っていましたが、数年後には小学生ながら全日本選手権の一般の部で勝利を挙げるようになっていました。それでも、芸能界で天才子役が大人になって意外に大成しないのと同様に、愛ちゃんもどこかで伸び悩むと予想していたら、見事に予想を裏切って、世界と戦うトップ選手にまで登りつめてしまいました。
その後の石川佳純も平野美宇も伊藤美誠も、子供のころから「愛ちゃん2世」とか「天才卓球少女」とか言われながら、そのままトップ選手になっている例を見ても、今や小学生のうちにある程度のレベルにまで行っていないと、卓球のトップ選手にはなれない感じです。将棋の世界もそんな感じですが。
で、愛ちゃんは、天真爛漫だった子供時代から、ちょっと難しい思春期のお年頃を経て、立派な大人に成長され、まさに日本中の人たちが「親戚のおじさん、おばさん目線」で愛ちゃんの成長を見守ってきた感じで、愛ちゃんの「初対面の人に『愛ちゃん大きくなったね~』と言われる」という言葉も笑えます。
そんな愛ちゃんがいちばん輝いたのは、やはり14歳で初出場したパリ世界選手権でいきなり世界のベスト8に入って大喝采を浴びたときかもしれません。世界的にはまだ無名の選手が大活躍して世界中から賞賛される瞬間というのは本当に感動的で、例えば、伊藤みどり(フィギュアスケート)が本当に輝いたのは、メダルをとった1992アルベールビルではなく、誰よりも高くジャンプして会場全体のスタンディングオベーションがしばらく続いた1988カルガリーだと思うんです。
それはいいとして、世界で活躍する愛ちゃんも国内では徹底的に研究されて意外に勝てず、全日本選手権もなかなかとれなかったけれど、インターハイで宇土弘恵さん(岡山・就実高校)に負けたのも当時「事件」でした。宇土さんは「愛ちゃんに勝った選手」として「消えた天才」という番組で取り上げられていましたよね。
で、愛ちゃんのプレーを私は結局生で見ることが一度もありませんでした。中国超級リーグの試合が岡山であったときも見に行かなかったもので・・。
ただ、私にも愛ちゃんとの距離感を少しだけ体験できたエピソードがあって、今から20年ほど前、私は毎日のように卓球の練習をしており、ある日、岡山県の社会人のトップクラスの女子選手と練習させてもらう機会がありました。その人は岡山県の社会人の大会でいつも上位入賞して新聞に名前が載っている人です。聞けば、その人は全国大会で当時小学生だった愛ちゃんと対戦し、負けたとのこと。
どんなもんかと思って、その人と練習で対戦してみると、男女の差もあって、私もスマッシュはそこそこ通用するのですが(てゆーか、私ごときを相手にその人も本気を出していないだけな気が・・)、やはりサーブの回転が全然わからなくて、レシーブミスを連発して軽くあしらわれました(苦笑)。小学生にしてこの人に勝つとは、「やはり愛ちゃん恐るべし」と思ったものです。
マスコミに追いかけられ続けながら来る日も来る日も過酷な練習を続け、日本中の期待を背負ってオリンピックに出場し、「負けてしまってすみませんでした」と謝罪する姿もありましたね。今はやはり「お疲れ様でした」と言ってあげたい気持ちです。
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Posted at
2018/10/22 21:31:24
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