2018年07月29日
広島へB´zのライブを観に行ってきました。知人に誘われて行くことになったものです。西日本豪雨の直後だったら中止となっていた可能性が高いですが、豪雨から3週間経過しており、予定通り開催されることとなりました。しかし、今度は台風が接近し、またも開催の危機。その中でとりあえず土曜日の方は予定通り開催されました(土日の2日間開催)。
私は若いころはコンサートライヴといったものに比較的関心があって、学生時代はコンサートスタッフのアルバイトによく参加してました。多い年には、年間30本くらいコンサートスタッフをやっていたことがあります。しかし、それ以来コンサートライブものには全く行っておらず、ほぼ四半世紀ぶりです。
現在は別にコンサートライブものに特に関心はないのですが、せっかく誘われたので、昔を思い出して行ってみることにしました。B´zのライブはそのコンサートスタッフとして1990年代前半に恐らく6回くらい行っているのですが、観客として行くのは初めてです。コンサートスタッフとしての最後の仕事もB´zだったので、四半世紀の時を超えて、連続してB´zのライブとなります。
岡山から広島へは、新幹線を利用するとわずか35分。毎日2時間近くかけて通勤している時間と比べると、あっという間です。新幹線の車中からは、至る所で山の崖が崩れたような現場が見えました。
さて、あっという間に着いた広島は私の青春時代の思い出がいっぱい詰まった土地。広島駅からライブ会場のグリーンアリーナに向かう途中のあらゆる場所にいろいろな思い出があります。そして、広島市民球場が本当に消滅してしまっているのをこの目で初めて見て、なんだかショックでしたね~(私の広島市民球場の思い出話は2008年9月に書いており、ブログカテゴリー「昔話」にあります)。
で、B´zのライブの方は、かなりチケット入手が困難らしく、チケットを取れなかった人が会場周辺で「チケット譲ってください」の看板を掲げているのをたくさん見ました。そんな中、別にB´zファンでもない私が入場するのがなんだか申し訳なくて、よっぽど譲ってあげようかと思いましたが・・。
今回のライヴは、過去の代表曲を中心に演るということで、半分くらいは知っている曲でした。場内は大盛り上がりでしたが、私としては若干拍子抜けした感じ。私がかつてコンサートスタッフをしていた会場は主に2千人規模のホールで、低音が空気の塊のように飛んできて腹底に響く感じの音響でしたが、今回の広島グリーンアリーナは基本的にはスポーツを行う多目的な大会場で、低音もそこまで響かないし、ボーカルの音はなんか少し割れているような気がしたし、ステージは遠いし、やはりコンサートホールでないとこんなものなのかな~、と。途中稲葉さんの声の調子も悪いようだったし・・。
私が自分でお金を払ってコンサートを観に行っていたころは、もちろんどれも印象的で(中でも、プリンセスプリンセスの渋谷公会堂ライブなんかは特に印象的でした)、コンサートスタッフとして参加した多くのライブも、特に関心のないアーティストであってもやはりライブの音と光の迫力は印象的だったものなのですが、どうしたことでしょう。この辺りはまた後日考察してみたいと思います。
というわけで、B´zのライブはコンサートスタッフ時代を含めて7回目くらいとなり、別にB´zファンでもないのに、自分がライブに行った最多回数のアーティストになってしまいました。コンサートスタッフ時代は私も楽屋周辺の至近距離でご本人たちを何度も見ていたのに、すっかり手の届かない存在になってしまいました。まあ、あの頃からすでに大物アーティストでしたけど・・。
あと、ついでに言いますと、私は津山近くに住んでいたころは、イナバ化粧品(稲葉さんの実家)のすぐ近くの書店・CD店でいつも本やCDの買い物をしていたのですが、さすがにイナバ化粧品に行ったことはありません(笑)。
Posted at 2018/07/29 21:11:49 | |
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2018年07月24日
ここ数日、被災者支援に行ってました。直前まで、行き先が真備になる可能性がかなりあり、真備の被災地に行くにはDC5モニャゾー号は不向きだな~と思っていたのですが、結果的に違うところへ行くことになりました。支援先では、真備の家が水没して逃げてきた人たちと直接話をしました。当然のことながら、今後の生活への不安がかなり大きいようでした。
夕方の岡山市内は、多くの自衛隊車両に混じって、真備から戻ってきたとみえる大阪府警や愛知県警の車両が大量に走っていました。大体、警察車両というものは、通常よく整備されていて、きれいな状態で走っているものですが、目の前を走っているのは泥だらけの大阪府警のパトカーで、それが岡山市内をごろごろ走っているのですから、ただならぬ雰囲気です。
私は被災者支援には、DC5モニャゾー号で毎日高速道路で行っていたのですが、高速道路も常に通行量が多い感じでした。JR山陽本線が広島県内で寸断されていますので、東京、大阪方面と広島、九州方面との物流は、JR貨物からトラックにシフトしているものと思われます。また、高速道路に乗ると、DC5の加速、減速、レーンチェンジといったすべての運動性能の高さに改めて気づかされます。
◆今回の豪雨で自分のクルマについて改めて感じたこと
1.今さら言うまでもないが、DC5モニャゾー号は被災地には不向き。
2.今回冠水道路で危うくクルマを乗り捨てて逃げる寸前になったのは、
17年間のDC5モニャゾー号の歴史の中で、岡国クラッシュに次ぐ廃車の
危機だったと言える。鈴鹿のクラッシュの時は自走で岡山まで帰ってきた
ので、その時よりも危機だったと言える。
3.それにしても、高速道路でその運動性能を実感すると、このレベルの
運動性能は今後のクルマ買い替えにおいてもキープしたいものだと思わ
される。
Posted at 2018/07/24 21:01:34 | |
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2018年07月16日
今回の豪雨では、避難指示が出ても逃げない住民の問題が指摘されています。私も避難指示が出て逃げなかった住民のひとりとして、一応経緯をまとめておきます。
7月6日(金)の日中の段階で、すでに大変なことになるという情報は入っていました。特別警報が出る見込みであることも聞いていましたし、職場でも最大級の体制で対応することが決まっていました。交代しながら24時間体制をとることになり、私は土曜朝からの担当に決まりました。
それに備えて金曜の夕方帰宅しようと思ったら、岡山市街地の道路が大渋滞。2キロ進むのに1時間かかりました。その間に特別警報も発令され、23時前後に岡山市ほぼ全域に避難指示が出ました。私自身、避難指示はおろか避難勧告も経験がなかったので驚きましたし、「岡山市全域に避難指示」というのが信じられませんでした。
私の感覚では、避難指示とか避難勧告は、河川の周辺とか崖の近くとか、そういう地区に限定して発令されるものだと思っていましたので。私の家は岡山市街地にあって河川も崖もありません。ハザードマップで、150年に1度の水害や津波で1m程度浸水する可能性があることは知っていました。
しかし、ウチはマンションの上層階なので、「命を守る行動」という意味では、家にいるのが最も安全で、ウチの部屋が浸水することはありえませんでしたので、避難することは全く考えませんでした。その辺はそれぞれの家の状況で判断すべきことだと思います。
本当は翌朝の出勤に備えて早く就寝しないといけなかったのですが、本当に自分の家に避難指示が出ているのか確認したくてネット検索を続けました。ところが、大字別の避難情報を見ると、岡山市東区の大字は出てくるものの、ウチの地区の避難情報は全く出てきません。あの避難指示は誤情報なのではないかとさえ思いました。 その間にも、真備町で小田川が決壊した模様、という情報は出ていました。
翌朝4時半起床で出勤です。その辺のことは先日のブログに書いています。「命を守る行動」という意味では、こんな日に出勤したくないのですが、出勤命令が出ていますし、たぶん職場にはたどり着けないだろうとは思いましたが、とにかく出発しました。そして、ブログに書いたとおり、クルマを乗り捨てて逃げる寸前になりながら、なんとか家に帰ってきました。
職場は交代で大雨対応を続けていますので、朝出勤できなかったとなると、夕方から出勤させられる可能性が高いです。帰宅するととりあえず仮眠をとりました。昼前に起きてきてネット検索していて、ようやくウチの地区にも本当に避難指示が出ていることを確認しました。これだけネットで情報をとりにいっていて、自分の地区に避難指示が出ていることを確認するのに13時間かかったのです。
そして、案の定、職場から電話がかかってきて、夕方から出勤せよ、とのこと。今朝クルマを水没させる寸前だったのに、全く容赦ありません。昼過ぎに出勤しようとしてクルマを始動すると、一応エンジンがかかりました。
通行止め箇所を迂回して、不慣れな裏道を通ってなんとか夕方職場へ。こんな時に不慣れな裏道を通らせて無理やり出勤させるのもどうかとは思いますが・・。もうこのころには、真備が大変なことになっていることはわかっています。
そのまま徹夜で朝まで勤務。日曜朝に帰宅して寝ました。ウチの地区の避難指示が解除されたのはその日の19時ごろです。丸2日間程度避難指示が出ていたわけです。
月曜からは毎日の通勤が渋滞でとても時間がかかるようになりました。月曜に愛知県から来た自衛隊の車列とすれ違ったときはきれいだった自衛隊車両が、数日後にすれ違ったときは泥だらけになっていました。真備での過酷な救難活動が想像されます。
以上が、豪雨前後の顛末です。被災以来、ウチの会社からも交代で被災者支援に行っています。もうすぐ私の順番も回ってきます。どこに支援に行くのか未定ですが、もし真備になったら、行くだけでもひと苦労です。
私の知り合いからは「そのクルマで真備に行くん?冷やかしで来たクルマと間違われるよ」と笑われました。う~む、被災地に行くには、車高を落とした足回りサーキット仕様のクルマは実に不向きです。でも、これしかクルマ持ってないので・・。
Posted at 2018/07/16 15:21:23 | |
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日記 | 日記
2018年07月09日
豪雨被害は大変なことになってきました。クルマのマフラーに水が入ったかどうか語っている場合ではなくなってきました。今日は、愛知県の駐屯地から応援に来た自衛隊の車列と遭遇しました。
昨夜のフジテレビ「Mr.サンデー」で宮根さんが「(この災害に対する)東京の反応が鈍い!!」と、西日本目線で力説していました。が、その後、「九州のあと近畿で被害が出て、広島・岡山は全くノーマークだった」とも言ってました。私の感覚では、九州のあと、広島・岡山・鳥取に特別警報が出て、被害も出て、その後に兵庫・京都に特別警報が出て・・、という順番だったので、この発言には違和感がありました。結局、宮根さんも大阪目線なんです。宮根さんは島根県出身なのに・・。
NHKの生中継現場で、どう見ても突破できない深い水の中に突っ込んでいくクルマについては、私も見ていました。なんであんなところに突っ込んでいくのか、全く理解できません。
今日は被災前とクルマの流れが変わっていて、道路も混雑していて、今後しばらくは今までより通勤に時間がかかりそうです。今後は、仕事上でもいろいろと豪雨被害に沿った対応が必要になってくると思われます。
Posted at 2018/07/09 21:52:09 | |
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日記 | 日記
2018年07月08日
今回の豪雨では我が家にも避難指示が出ました。我が家はマンションなので、どれだけ豪雨になっても水没はありえませんが、自分の家に避難指示が出たのはたぶん生まれて初めてです。避難勧告すら経験なかったのに。ただ、今回は岡山市全域に避難指示だとか、ちょっと避難指示の出し方にきめ細かさが感じられませんでした。
結果的に被害がなくて「空振り」に終わることを恐れるな、とは言われますが、今回のは「あとで行政が批判されないように、とにかく全域に避難指示を出しとけ」的な感じが否めません。
ま、それはいいとして、この豪雨対応のため、昨日土曜早朝に会社から「出社命令」が出ました。会社までの道路は途中に大雨通行止めになっている箇所があるのはわかっていましたが、「出社命令」が出ているのに実際に現場確認もせずに「無理です」と言うのもためらわれたので、とにかく早朝にDC5モニャゾー号で出発しました。
すると、その通行止め箇所に到達するよりはるか手前で道路が至るところ冠水状態。通常のクルマより車高の低いモニャゾー号は、冠水箇所を見つけると、迷わず引き返します。
ところが、ルートを変えながら冠水箇所を避けて進んでいくと、ある箇所で前を行く車列が徐行になりました。また冠水箇所です。しかし、中央分離帯があって引き返すこともできず、直前の軽自動車もそのまま突き進んで行っていたので、仕方なくついていくと、進むにつれて冠水の深さがだんだん深くなっていきました。大ピンチ!!横には、泥水の中で立ち往生してしまっている車両もチラホラ。モニャゾー号はその立ち往生車両よりも当然車高が低いんです。
たぶん水深は、マフラーに泥水が入るかどうかギリギリのところまで来ています。これ、止まったら最後、マフラーから泥水侵入かと。最悪、エンジンストップして立ち往生し、クルマを乗り捨てて逃げることまで頭をよぎりました。実際、そういう立ち往生車両が横にいるんですから。
17年間大切に乗り続けてきたDC5モニャゾー号とこんな別れ方をするのかと覚悟しました。鈴鹿でクラッシュした時も、岡国でクラッシュした時も、なんとか修理して乗り続けてきたのに、こんなことでお別れになってしまうのか。
とにかく、止まらないように徐行していると、やっと中央分離帯の切れ目があって、そこでUターン。でも、今進んできた冠水道路を同じ距離だけ引き返さないと冠水のない道路まで戻れません。徐行しているのですが、なんだかノッキングに似たような状態で引き返します。水の抵抗で進みづらくてそうなるのか、クラッチミートの問題だったのか、あるいはマフラーに泥水がある程度入っていたのか、いまだによくわかりません。
必死でクルマを進ませて、なんとか冠水箇所を脱しました。こりゃ~出社どころではありません。コンビニの駐車場に入って電話しようと思いました。エンジンは切ると再始動できるかどうかわからないのでエンジンかけっぱなしです。
すると、ちょうど会社から電話がかかってきて、遠方の人は道路状況が悪いので、近くの人でなんとかするので、とりあえず出社しなくてよい、とのこと。おいおい、そんな代替の利く業務のために、こっちは17年間乗り続けてきた愛車の存亡の危機を迎えていたのだよ。
というわけで、なんとか帰宅。次回乗るときにちゃんとエンジンがかかるのかどうか、不安で仕方ありませんでした。つづく
Posted at 2018/07/08 12:13:57 | |
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