![さよなら広島市民球場!! さよなら広島市民球場!!](https://cdn.snsimg.carview.co.jp/carlife/images/UserDiary/10113621/p1m.jpg?ct=e99710e83528)
まもなく鈴鹿東コースが改修工事に入り、自分が初めて鈴鹿を訪れて以来の思い出のパドックやグランドスタンドが取り壊されてしまうが、今年は自分にとって、もうひとつ、思い出のいっぱい詰まった場所が閉鎖される。「広島市民球場」である。
今の自分にとってモナコや鈴鹿が「聖地」であるように、熱烈な広島カープファンだった頃の自分の「聖地」は、紛れもなく広島市民球場だった。ということで、今日はクルマの話題からは外れるが、去り行く広島市民球場の思い出を。
小学校入学時に初めて広島に引越してきたモニャゾー。それまではずっと関東周辺に住んでいたため、野球と言えば巨人だった。それでなくても当時の子供たちにとって「王貞治選手」は憧れのスーパースター。私が初めての鈴鹿でセナしか目に入らなかったのと同様に(あるいはそれ以上に)、当時広島市民球場に行っても「王選手」しか見ていなかったことを覚えている。
しかし、広島の人たちはみな広島カープを我が子のように応援していた。気がついたら私も当然のように「カープファン」になっていた。家からは広島市民球場のナイター照明が見えた。私の通う小学校の周辺にも有名な選手が何人か住んでいて、サインをもらいに家まで押しかけたものである。
数年のブランクを経て再び広島に引越してきてからは完全にハマった。一軍の公式戦はもちろん、二軍の試合にもちょくちょく足を運び、二軍を含めた広島カープのすべての選手を把握していた。
自分が高校に入学すると、広島市民球場は自転車での通学路沿いとなり、学校の帰りに球場へ直行し、ナイター試合を見て帰宅することもしばしばだった。そしてその年(1986年)、広島カープはリーグ優勝。当然日本シリーズも早朝から並んで見に行った(その時の対戦相手だった西武の清原、工藤が今なお現役なのはすごいことだと思う)。
史上初の第8戦にもつれこんだシリーズは西武の大逆転勝ちに終わり、試合後山本浩二涙の引退胴上げをバックネット裏で見守る私の姿が翌朝の地元紙一面にカラーで小さく写っていた(笑)。
その後東京に引越した私は、東京ドームはチケットがとれないので主に神宮球場に通った。数年後、私は大学生になっていたが、両親がまたまた広島に引越したため、1991年リーグ優勝決定の瞬間を広島市民球場で見ることができた。
就職してからは、あんなに好きだった野球自体に興味を失っていき、試合も全く見なくなり、今となっては広島カープの主力選手ですらほとんどわからない。最後の砦だった佐々岡が引退したことで、一生懸命見ていた頃の選手がすべていなくなり、そして、思い出のいっぱい詰まった広島市民球場が今年で最後という知らせを聞いて、どうしてもこの話題を取り上げておきたかったというのが本日の内容である。
というわけで、私は1980年代後半の広島カープには期間限定で異様に詳しい。これはどこか、自分が1990年代前半のF1に期間限定で詳しいのと似ている気がする。2000年前後のヨーロッパ旅行事情にも期間限定で詳しく、英会話にハマったのもこの頃限定である。
大体、ハマって何年かするとやがて興味が薄れていくのがこれまでのパターンだったわけで、それからすると、サーキット走行を始めてから7年。同じクルマで同じサーキットをグルグル走っているだけなのに、今なお興味が薄れないのは実はすごいことなのかもしれない。
Posted at 2008/09/01 19:58:49 | |
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