2018年12月30日
今季もまた初詣の時期が近づいてきましたが、先日某テレビ番組で、日本人の初詣という習慣の由来について興味深い話をやっていました。
それによると、もともと日本に初詣という習慣はなく、川崎大師への臨時列車を運行する鉄道会社が初詣を呼びかけたところ、それが全国に広まっただけなのだそうです。
我が家はもともと、大混雑する初詣にあまり行くことがなく、毎年初詣に行くのが当たり前だった義弟は、初詣に行かない我が家を見て驚いたらしいのですが、初詣は日本古来の伝統文化だと思っている日本人は多いのではないでしょうか。それが鉄道会社のただのキャンペーン企画だったとは・・。
バレンタインデーのチョコレートの風習も製菓会社の策略だし、5月連休をゴールデンウィークと呼ぶのも映画会社のキャンペーンだし、日本人の習慣として定着しているものの由来が、意外と民間会社のただのキャンペーン企画だったりすることが往々にしてあるわけです。
ついでに言いますと、18年前の5月連休にイギリスへ行ったとき、確かロンドン・ヒースロー空港だったと思いますが「ゴールデンウイークおめでとうございます」と日本語で書かれた横断幕が掲げられていたのには笑いました。
日本では、祝日は確かに「祝う日」なんですが、正月に「新年あけましておめでとうございます」とは言いますが、それ以外の祝日であんまり「おめでとうございます」と挨拶することはなく、ましてや祝日が連なって連続休暇がとりやすくなっているだけの大型連休を「おめでとうございます」と祝う人はいません。しかし、日本のことを中途半端に知っている外国人からすれば、日本で「祝日」がたくさん連なっている大型連休はさぞかしめでたい祝日なんだろうとカン違いしてしまうのですね。あるいは、中国における春節が祝日で、毎年その時に多くの中国人が海外旅行するので、それと混同していたのかもしれません。
で、話は初詣の話に戻って、あまり初詣に行かない我が家も、東京に住んでいた時は東京都心の初詣の風景を見るべく、家族で出かけていました。と言っても、明治神宮なんかに行くとそれこそ大混雑するので、行くのは、大抵港区赤坂の日枝神社。芸能人もよく初詣に行く小さな神社です。
今はどうだか知りませんが、当時のお正月の東京都心は、多くの人が地方に帰省している期間なので意外と閑散としていて、普段見られない静かな都心の姿を見ることができました。しかし、当時の日枝神社のすぐ近くにはまだあのホテルニュージャパンが、あの大火災のときの生々しい姿のまま残されており、日枝神社に行くたびに、あの悲惨な大火災の記憶が呼び覚まされるのでした。現在はすでに取り壊されているはずです。
というわけで、自分が直接出会うことのできる先祖はせいぜい三代前の人までで、それよりも昔、自分の何代も前から続いていることは、大昔から続いていることとカン違いしやすく、例えば、日本人は比較的土地の所有に固執しがちで、「先祖代々の土地を守る」という言い方をする人がいますが、我が国において私有財産制が始まったのは明治以後のことですから、「先祖代々」と言ってもそんなに長い歴史があるはずはないのです。
それにしても、日本人の初詣の習慣の由来がまさかそんなことだったとは、私も驚きでした・・。
Posted at 2018/12/30 03:39:03 | |
トラックバック(0) |
日記 | 日記
2018年12月29日
みなさまご存知のとおり、羽生先生が通算タイトル獲得100期を逃すと同時に、27年ぶり無冠となってしまいました。かつて米長先生が名人を獲得した時に「中年の星」と言われましたが、私もこの年齢になってみると、我々の世代が様々な分野で若手からの突き上げを受ける中で、同い年の羽生先生が27年間タイトルを保持し続けていたことに、我々の世代の希望みたいなものを感じていたので、27年ぶりの無冠は残念です。
そして、先日当ブログでご紹介していた羽生先生の呼称問題。大体私の予想通りの展開で「羽生善治九段」となることが決定しました。考えてみれば、あれだけの実績者が今さら「前竜王」などという中途半端な呼称となる方がおかしく、潔く「九段」を名乗る方がよっぽどスッキリします。
羽生先生は、連盟の自分に対する待遇だとか、連盟における権力争いだとか、そういうものには関心がないと思われますので、ご本人が「九段」を希望することは当然予想されていました。
羽生先生の語録には興味深いものがたくさんありますが、その中でも私の最も好きな話のひとつとして、次のようなものがあります。
かつて、トッププロの将棋というのは、人生の大局観とか勝負哲学とか、そういったものが盤上で表現されているのだとされ、将棋のトップを極めるには人生経験的なものも必要であるとされていました。だからこそ、将棋のトッププロは人生観が卓越しており、勝負師としてその道を究めた超一流の達観者として尊敬されたのです。
ところが、羽生先生は、あっさりと「将棋の上達に人生経験など必要はなく、将棋を強くなる唯一無二の方法は将棋の勉強をすること」と言ったのです。これは、一歩間違えれば、将棋を「ただのボードゲームに過ぎない」と言ったに等しい発言です。
しかし、羽生先生は将棋や棋士のことを誇大に美化して語ることは決してありません。ありのままを語るのみです。かと言って、将棋の奥の深さは誰よりも理解しておられます。「たかが将棋、されど将棋」なんですね♪
さて、羽生先生は無冠となったものの、まだまだトップクラスの実力は健在で、現在、A級順位戦は2位につけています。春には名人に復位して、通算100期を達成してほしいものです♪
Posted at 2018/12/29 23:03:05 | |
トラックバック(0) |
将棋 | 日記
2018年12月27日
今日は12月27日。そう、私のクラッシュ記念日です。しかも、今年はあれからちょうど10年目の節目となります。10年前の12月27日、岡国で痛恨のクラッシュを喫して以来、私は一度もサーキットを走ることなく、今日の日を迎えました。
クラッシュの顛末は過去ブログに詳細に載せていますが、あの時はこのDC5号を廃車にするか復活させるか、という選択を迫られました。
あれから10年経過した今、DC5号はエンジン絶好調で健在であり、また、サーキット走行を休止したことで、ある程度の貯金もできるようになりました。
もし、あの時クラッシュしていなかったら、その後に岡国1分50秒切りは恐らく達成していたとは思いますが、ひょっとしたら、全損相当の大クラッシュをして、今頃はもうDC5号が手元に残っていない状態になっていたかもしれないし、「たら・れば」を考え始めるとキリがありませんね。
果たして、今から10年後(平成40年、すなわち新元号10年)、どんなクルマ生活を送っているやら・・。さすがにこのDC5号はもう手放しているんでしょうけどね(苦笑)。というわけで、次期クルマ選びの検討作業は続いていくわけです。
Posted at 2018/12/27 21:28:06 | |
トラックバック(0) |
クラッシュ | クルマ
2018年12月26日
「次期クルマ選び その13」で書いたとおり、旧ホンダプリモ店系列のホンダカーズに展示してあったシビックタイプR(FK8)が、私が見に行った(今年の4月)数日後に店頭から消えました。
ちょうど時を同じくして、別の旧プリモ店にFK8が展示され始め、この両店は同一資本のホンダカーズ店だったので、恐らく同じクルマが店舗間を移動したのだろうと思っていました。
それから8カ月。それを確かめるべく(そんなこと、確かめてど~する?)、ようやく昨日その旧プリモ店に突撃しました。「これって、以前〇〇店に置いてあったFK8ですよね?」「そ~ですよ♪」「試乗はできないんですよね?」「はい。ちょっと事情がありまして・・」「試乗客が暴走したんですよね?」「(「ど、ど~してそれを・・!?」という表情で、)はい。それも複数の方がそういうことになっちゃいまして・・」とのことでした。
現在はやはり納期6カ月程度。岡山県内でFK8の試乗ができる店はなし。まだ今なら岡山県内で納車されたFK8はかなり少ないので、希少価値高いですよ♪とのこと。
しかしまあ、他県では可能な試乗が、なんで岡山県内ではできないんでしょうね~。高い買い物なので、いよいよ購入が現実的な話になってきたら県外でも試乗に行くべきなのかな~、なんて思ったり・・。
Posted at 2018/12/26 22:01:31 | |
トラックバック(0) |
クルマ選び | クルマ
2018年12月26日
さて、私は右側通行の国ではまだ運転したことがないのですが、右側通行の道路では、ただ真っ直ぐ走るだけの時はいいのですが、交差点で曲がったりしたときに、とっさのときに混乱して逆走してしまいそうな気もします。
それと、右側通行ということは左ハンドルとなり、これもAT車ならまだしも、MT車だとなんだか混乱してしまいそうです。シフトノブが右側になって、足元のペダル配列は右ハンドル車と同じなんですよね?
そういえば、若いころ左ハンドル車(AT車)に乗る知人がいて、一度「運転してほしい」と言われたことがありましたが、なんか自信がなくて断ったことがあるのを思い出しました。なので、私は日本国内でも左ハンドル車の運転経験がありません。
私は免許を持たない頃からF1を見ていて、1991鈴鹿日本GPを現地観戦して感化されて教習所に入ったクチです。F1は右手シフトでしたから、私の頭の中では、最初は、シフトチェンジは右手で行うものというイメージがありました。右手でシフトチェンジを行うオンボードカメラ映像をずっと見てきたもので。
平成生まれのみなさんはご存知ないかもしれませんが、セナの時代のF1はマニュアルトランスミッションで、あの狭いコクピットの中でクラッチペダルとシフトノブを操りながらドライブしていたんです。人間業とは思えませんね。モナコGPではレース中のシフトチェンジ回数が膨大な回数となり、ドライバーの右手のひらの皮がめくれていたらしいですもんね。
というわけで、私は最初はF1の右手シフトから入ったくせに、今ではすっかり左手シフトに慣れてしまい、もし右手シフトのクルマで今タイムアタックをしなくてはいけなくなったとしても、左手シフト車と同等のタイムは絶対に出せないでしょうね。
そういえば、サーキットで様々なチューニングカーのタイムアタック請負人となっている木下みつひろ選手は以前、どんなクルマでも対応できるように、日頃からFR、FF、4WD、右ハンドル車、左ハンドル車などいろいろなクルマに乗るようにしている、と言われていました。
で、話はイギリスでの私のドライブ旅行に戻りまして、運転初日の幹線道路でパーキングエリアみたいなところに頭から突っ込んで駐車して少し休憩し、バックギアで駐車帯から出ようとしたところ、バックギアが入らないんです。うわ~っ、と思って、説明書を探したりしたけど見つからず、最悪の場合は駐車するたびにニュートラルにして車体を手で押してバックさせながら1週間過ごすことになるかと思いましたが、シフトノブの周りにあるリングみたいなのを上に押し上げながらバックギアを入れたら入りました。こんなのは、日本国内でもルノー車に乗った経験があれば当たり前のことだったのかもしれません。
リバースギア(バックギア)禁止のピットレーンでリバースギアに入れて黒旗失格となったのはマンセルですが、私の場合は危うくリバースギア禁止で1週間過ごすところでした。
あと、18年前のことで記憶が薄れつつありますが、確かイギリスの道路の制限速度標識はマイル表示です。でも、クルマのスピードメーターもマイル表示なので、別に換算する必要はありません。ただ、イギリスの警察は海外旅行者にも容赦なく速度違反を取り締まってくるらしいので注意が必要です。これも18年前の、古い情報です。
そうはわかっていましたが、最終日の帰りの飛行機の出発時刻が迫ってきて、最後は結構焦りました。前回書いたように、ガソリン満タン返ししなくてよい特約をつけていたので、ロンドン・ヒースロー空港のレンタカー事務所に乗りつけ、そのまま返却。なんとか帰りの飛行機に間に合いました。
ロンドンみたいな大都市を観光する場合は公共交通機関が発達しているのでレンタカードライブは必要ありませんが、このときの私はコッツウォルズと呼ばれる小さな町をいくつも巡ったので、レンタカードライブは必須でした。公共交通機関はほぼないし、団体旅行で観光バスで巡るツアーはあるかもしれませんが、こういう小さな町に観光バスで団体で(しかも日本人の集団で)乗りつけるのでは旅の風情が台無しです。
道路地図片手に自分の運転で小さな町を巡りながら、それぞれの土地で安宿を見つけて宿泊する気ままな旅は実によいもので、またいつか行ってみたいものです。
Posted at 2018/12/26 21:30:58 | |
トラックバック(0) |
昔話 | クルマ