2019年04月29日
平成を振り返る ~第5回(最終回:前編) セナが天に召された日~
今年も5月1日が近づいてきました。平成を振り返るシリーズの最終回は、やはり1994年(平成6年)の「あの日」のことです。
1990年、91年あたりは毎レースごとに食い入るようにF1中継を見ていた私。91年鈴鹿日本GPを現地観戦して、92年以降もF1中継は必ず見ていたものの、だんだんと「ながら視聴」となっていき、1994年のシーズンを迎えました。
この年はアイルトン・セナがマクラーレンからウイリアムズに移籍し、開幕戦地元ブラジルGPはリタイア。次戦はなんと!!岡山県で開催されたパシフィックGPで、F1御一行様が合併前の美作町の湯郷温泉にやってきました。セナのいるウイリアムズチームが宿泊した旅館は連日大フィーバー。この時にセナがマークした1分10秒は、いまだ岡山国際サーキット(当時:TIサーキット英田)のコースレコードなはずです。
しかし、決勝レースは、スタート直後の1コーナーでセナがコースアウトして、そのままリタイア。まるで90年の鈴鹿のように、1コーナーの観客以外はセナの決勝での走りを全く見れないまま終了してしまったのです。もちろん、この時は、わずか2週間後にあんなことが起こるとは誰も想像だにしていません。
それからわずか2週間後のサンマリノGP(イモラ)。それはまさしく「呪われた週末」でした。まず、金曜の最終コーナーでバリチェロが大クラッシュ。命を落としていても全く不思議ではないほどの大クラッシュでした。同じブラジル出身のセナは、すぐさま病院のバリチェロを見舞いに行っています。
土曜にはトサの手前でラッツェンバーガーが大クラッシュ。ほぼ即死でした。長年F1では死亡事故が起きておらず、1987年に日本でフジテレビがF1全戦中継を始めて以降ももちろん死亡事故は皆無。カーボンモノコックで守られたF1マシンの安全神話はすでに確立されていたところでした。
そんな中でとうとう起きてしまった12年ぶりのF1の死亡事故。私も関係者も誰もが大ショックでしたが、セナもまたそのレース人生において初めて経験するドライバーの死亡事故だったようです。そんなわけで、セナは相当ナーバスになっていました。F1でもやはり死亡事故は起こる。それでも、セナにだけは絶対にそんなことは起こらない、という根拠のない確信が、私も含めてまだ皆の心の中にはありました。
日曜の決勝前、セナは恋人に「走りたくない」と告げたそうです。スタート直前のグリッド上では、テレビ局の放送ブースに座る「宿敵」プロストと無線で会話を交わします。
当時の日本のフジテレビF1中継は生放送ではありません。私は日曜の夜、友人(のちにモナコGPを一緒に観戦に行った友人)と電話で雑談していたところ、フジテレビのスポーツワイド番組がセナの大クラッシュの映像を速報で伝えました。これから録画放送するF1中継の内容をフジテレビ自らが先に流してしまうことは異例中の異例。それだけでも大変なことが起きたことがわかります。私の友人は電話口で「あ~、レースの結果を先に知ってしまったぁ~」などと言っていました。まだ、事の重大さに気づいていないようです。もうレースの結果なんか問題ではないような大事件が起きたことが映像から見てとれました。「とにかく今夜の中継を見てみよう」と言い合って電話を切ったのを覚えています。
そして、フジテレビの中継開始。私の記憶ではいきなり生放送で現地から大クラッシュの映像を伝え、ひと通り伝えたあとに、通常の中継のようにレースのスタート前からの映像が流されました。
レースはスタート時にクラッシュがあって、その時に跳ね上げられたパーツやタイヤが観客席に飛び込み、複数の負傷者が出ました。とうとう観客にまで負傷者が出る大荒れのGPとなってきました。
すぐさまセーフティカーが入り、PPスタートのセナ、2番手のシューマッハ(ベネトン)の順番のまま周回を重ねます。セーフティカーがピットインしてレースが再開されて間もなくの出来事でした。高速タンブレロをセナが直進し、そのままコンクリートウォールに激突したのです。
その映像は、速報で見た瞬間から深刻な結果を予想させました。少なくともセナの選手生命は絶たれたかに見えました。赤旗中断となって、セナはコース上で緊急切開手術を受け、ヘリコプターで病院に空輸されました。私の見立てでは、即死だったのだと思います。
再開後のレースでは、片山右京は激走しました。しかし、この週末、もはやレースの結果は問題ではなくなっていました。再開後のレースを中継していた途中で突然映像が生中継に切り替わり、三宅アナからセナの死亡が日本に伝えられました。声を失う川井ちゃん。そして、その中で今宮さんが号泣しながら絞り出すように述べた「セナはいませんが、F1は続いていくわけです」という名言は、伝説のF1中継となりました。
あまりの出来事に眠れない夜を過ごして、朝になると、大学の友人から何人か電話がかかってきました。携帯電話のない時代、普段電話なんかしてこない友人が電話してきて、ポツリと「大変なことになったな」と言われました。
午後のフジテレビのワイドショーでは、全くモータースポーツの知識のないコメンテーターが、アクティブサスが禁止になって迎えたシーズンで起きた事故であるという話を受けて「安全装置を禁止するからこういうことになる」みたいな見当違いのコメントをしていて、「そうじゃねーだろ」と思ったりしました。
フジテレビ月曜19時からの「今夜は好奇心」は中止となり、急遽セナ追悼特番となりました。私はその映像を今も持っていますが、たまたまスケジュールが空いていたのか、森口博子がセナファンの代表のように出演していました。私は森口博子自体は好きだけれども、にわかファンの森口博子がそこで出てくることに何か違和感を感じたりもしていました。
数日後、国葬のためイタリアからブラジルへ空輸されたセナの遺体。ブラジル上空に差しかかると、何機ものブラジル空軍戦闘機が飛んできて、セナを乗せて飛ぶ航空機の護衛のために周囲につきました。すごい光景でした。彼はまさに国の英雄だったのです。
(後編へ続く)
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Posted at
2019/04/29 18:57:21
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