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モニャゾーのブログ一覧

2009年11月03日 イイね!

突然企画 伝説の1992F1モナコGPを振り返る

突然企画 伝説の1992F1モナコGPを振り返る 今年もF1最終戦が終わり、シーズンオフに入った。スカパーのフジテレビでは毎年この時期F1シーズンオフ企画が始まるが、当ブログも、思いつきで思い出のグランプリを振り返る。第1回の今夜はあの伝説の1992年モナコGP。

 モニャゾーが初めてF1観戦に行った1991鈴鹿から約半年後のモナコGP。当初は古舘伊知郎が実況として現地へ飛ぶ予定だったが、古舘が椎間板ヘルニアを発症して、代わりに三宅アナに行ってもらった。当時のフジテレビF1番組「F1ポールポジション」でMCの古舘は「代わりに三宅アナに行ってもらいます。三宅アナすみません」と低姿勢だったのだが(当時の映像を私は今も持っている)、レースがあんなことになって、「三宅においしい実況をとられた」と古舘はたいそう悔しがったという。

 この日のエピソードとしては、海外で生中継でレースを見ていた人が、数時間遅れで放送を見る日本の友人に「感動するから絶対見てね」と泣きながら国際電話してきたという話がどこかで紹介されていた。

 レースは当時最強だったウイリアムズ・ルノーのマンセルの独走で進み、途中まではかなり単調なレース展開となった。せいぜいフェラーリのイワン・カペリがラスカスの進入でガードレールかタイヤウォールに乗り上げて斜めになり、オンボード映像が斜めになっていたことぐらいしか変わった出来事は無かった。

 当時のフジテレビのF1放送は、今の地上波と同じ数時間遅れの録画放送だったが、テレビ局の技術をもってしても、今と違ってHDD録画による追いかけ再生などできない時代である。ビデオテープで細かく分けて録画しながら短時間で編集して放送されていた。それでも、短時間での編集のため、レース中盤だと思ったらCM明けでいきなりラスト数周になっていたり、ひどい時は同じシーンを2度放送してしまったことがあるらしい。

 そんな編集された映像でも途中までは単調なこの日のレース。当時は数日遅れでWOWOWでノーカット放送されていて、現在私が所有しているこの日の映像はこのWOWOWノーカット版なのだが、ノーカットなだけに、単調な時間帯はより長い。しかし、この単調な時間帯が長ければ長いほど逆にラスト8周のドラマを際立たせる。

 レース終盤、28秒差でトップ独走のマンセルが残り8周でまさかの緊急ピットイン。その瞬間の映像を捉えていたのは日本のフジテレビのカメラだけで、日本のフジテレビのコメンタリーブースだけが大騒ぎになったことは有名な話である。このことは、最近発刊された三宅アナの著書でも紹介されている。

※説明しよう。今の若い人は知らないかもしれないが、現在のF1の完全に管理された国際映像と違って、当時は各局の独自カメラを持ち込んでオンエアすることが可能だった。国際映像ではなかなか映らない日本人ドライバーの走りを映したり、リタイアしたドライバーにピットリポーターの川井ちゃんが駆け寄り「What's happend?(何があったんだ?)」と尋ねるのは定番だった。

 マンセル緊急ピットインの間にコントロールラインを通過するセナ。日本のフジテレビ以外のブースは何が起こったのか把握できていない。しかし、もともと速い上に緊急ピットインでフレッシュタイヤを履いたマンセルはセナと段違いの速さで、アッという間にセナに追いついた。ここから伝説のバトルが始まる。ここから印象的なコメンタリー陣の言葉を拾ってみよう。

今宮「(エルミタージュの坂で)うわーっ、ここで抜かれちゃうの~!?」

三宅「抑えるセナ、抑えるセナ!!76周目、すごいバトルだ!!これはモナコGP史上に残るバトルになるかもしれませんっ!!」
今宮「50回記念ですねーっ!!」

川井「三宅さんっ!!ホンダの方も、(オーバーテイク)ボタンを押せと言っています!!」

三宅「外から行く!!もうマンセルが、どこからでも行ける!!どのコーナーでも行く!!」
今宮「どこからでも行けますよ!!」

今宮「今、(セナに)ブルーフラッグが出ましたよね」
三宅「信じられないようなすごいレースになりましたっ!!」

三宅「どんなにしても抜けない。ここはモナコ、モンテカルロ。絶対に抜けないっ!!」

三宅「マンセルどうか、届かないーっ!!アイルトン・セナ逃げ切った!!今シーズン初勝利~!!」
今宮「あーっ、エンジンから煙!!セナのエンジンから煙が見えましたねーっ!!」

三宅「ナイジェル・マンセルの開幕6連勝も、ルノーエンジンのモナコ初勝利も、
マンセルのモナコ初勝利も、何もかも消えましたーっ!!」
川井「三宅さん、ホンダのスタッフ泣いています!!」

三宅「(マクラーレンホンダにとって)本当に、本当につらいシーズン。マクラーレンホンダがウイリアムズルノーを抑えました!!」

 いや、たったこれだけの言葉を文字にするだけでどれだけ再生・巻き戻しを繰り返したことか。テープ起こしは大変な作業である(苦笑)。

 三宅アナのこの実況は大絶賛され、当時何かの賞を受賞した。しかし、私は今宮さんの興奮ぶりと川井ちゃんの鬼気迫るピット情報の方が感動した。三宅アナはごく普通の実況をしているだけで、特別なことは何も言っていない。

 ただ、先ごろ発刊された三宅アナの著書で、彼は当時のことを、(セナとマンセルの)あの走りを台無しにせずに実況できたことにホッとした、と述べている。そうか、そうかもしれない。もしあのレースを古舘が実況していたら、いつもの古舘のように出しゃばり過ぎて、あの走りを台無しにしていたかもしれない(笑)。

 ちなみにこの時のコメンタリー陣には津川さんもいたが、津川さんは印象的な言葉は特に発していない(笑)。

 このレースは私のモナコへの想いを一層強くした。私が初めてモナコを訪れるのはこれから8年後のことである。

 このレースは日本のF1雑誌で時々行われる「過去の名レース投票」では必ず上位に来る。しかし、海外メディアでの同様の投票では意外に評価が低い。93ドニントンでのセナの奇跡のオープニングラップなどに比べると、このレースはセナがモナコのコース特性を利用してマンセルをブロックしたに過ぎないレースという評価なのだろう。

 日本でこれだけ評価が高いのは、マンセルの緊急ピットインを捉えたフジテレビ独自のカメラ、そして、フジテレビコメンタリー陣のあの素晴らしい実況・解説の賜物だと言える。あの走りを台無しにしなかった三宅アナに感謝しておこう(笑)。

 このラスト数周の名実況・解説は、数年後のフジテレビ夜のスポーツワイド番組でノーカットでオンエアされたことがあるが、あんなことは異例中の異例。最近フジテレビから順次発売されている各年ごとのDVDは、レース後に発売されていたF1ビデオの使いまわし。スカパーのフジテレビで放送される過去のレースは国際映像に現在の視点で解説をつけたもの。なかなか、放送当時の実況・解説を聞ける機会というものはない。

 しかし、放送当時の、その現場にいるコメンタリー陣だからこそできる実況・解説というものは臨場感があふれていて楽しいし、過去のレースの再放送やDVD化は、ぜひとも当時の実況・解説でやってほしいものである(権利関係の問題があるのかもしれないが)。
Posted at 2009/11/03 13:41:38 | コメント(2) | トラックバック(0) | モナコGP | クルマ
2009年11月03日 イイね!

筋肉痛とシフトミス防止スプリングのお話

 毎年、急に寒くなって「サーキット走行の季節がついにやってきたぞ」と実感する日がある。今日がそれだった。今日は急に寒くなった。毎年、この日を楽しみに暑い夏を過ごす。しかし、今年は中途半端な気持ちのまま夏を過ごし、そのまま今日という日を迎えてしまった。

 しかも、今日はモニャゾーDC5号をドライブするのが大変だった。筋肉痛である。土曜日は岡国WTCC渋滞をうまく避けてバレーの練習会場へ到達できた(岡国渋滞は回避できたが、2号線バイパスの工事による車線規制渋滞には遭ってしまった。土曜に工事するかよ~)。

 モニャゾーのバレーの練習は4時間に及ぶ。そして、その中の誰よりも運動量は多い。それくらいしないと、鈴鹿まで行って四輪タイヤ交換してチャレクラ2時間走って、また四輪タイヤ交換して岡山まで帰宅する体力はつかない(別に鈴鹿を走るためにバレーをしているわけではない)。

 が、最近はさすがに4時間ぶっ続けのバレーはみんなの集中力が落ちるし、最初の1~2時間はまだ全員が集まっているわけではなく、人数も少ないので、最近は趣向を変える意味で最初の数時間はバドミントンをしたり、野球のキャッチボールをして、ウォーミングアップ代わりにしている。

 先週体育館の倉庫の奥を見ると卓球台があった。あ~、卓球できるじゃん♪ということで、今回は初の試みとして卓球をやってみた。モニャゾーは学生時代はバレー部でもなく、モータースポーツ部でもなく、卓球部だった。卓球部の血が騒ぐ。しかし、ここ4年ほどは全くラケットを握っていない。

 卓球はブランクがあると感覚を取り戻すのに時間を要する。とりわけモニャゾーはその傾向が強い。今回もやり始めてしばらくは初心者の温泉ピンポンレベルだったが、感覚を取り戻すにつれ調子が出てきた。やがて、ドライブが思うように決まりだすと楽しくて、シロウト相手にドライブを打ち込みまくった。

 卓球というのはお手軽なスポーツだが、レベルが上がるとかなりハードな競技である。ドライブを打ち込むときは全身でフルスイングをする。左利きのモニャゾーは、こりゃ左肩がひどい筋肉痛になるぞ、と覚悟した。同じ腕を使う競技でも、バレーのスパイクとは使う筋肉が違うのだ。

 今朝起きてみると予想通り左肩が結構な筋肉痛。昨夜辺りから予兆はあった。モニャゾーDC5号はシフトミスによるオーバーレブ防止のためシフトスプリングに細工がしてある。1速と2速、それにリバースギアにいれるときの左右方向のスプリングがかなり硬いのだ。

 国際レーシングコースを走っている限り、サーキットのコース内で1速にいれることはない。リバースギアももちろん使用しない。2速については、岡国でも鈴鹿フルでも、1ラップにつき2回しか使わない。あとはすべて3~5速の間のシフトチェンジだ。というわけで、あまり使わないギアに間違ってシフトしてしまわないよう細工してあるわけだ。

 サーキットを走らない人は、自分のいつも走り慣れているクルマでシフトミスなんて・・と思われるかもしれないが、サーキットを走行し続けているとミッションオイルが高温になるせいかそのうちシフト感がグニャグニャしてくる。また激しい加減速でエンジンは動くので、街乗りレベルではありえないシフトミスの可能性もある(エンジンマウントを固めたり、エンジントルクダンパーをつけることで少しは軽減できるので、モニャゾー号はそれらも施している)。あと、横Gがかかりながらのドライビングでは、街乗りではありえないシフトミスの可能性もある。

 ところが、1ラップに2回しか2速を使わない岡国や鈴鹿と違って、街乗りでは信号待ちのたびに1速にいれる。2速を飛ばして3速にいれるにしても、とりあえず停車したら1速にはいれる。車庫入れではリバースギア。そのたびに筋肉痛の左腕に力をいれる必要がある。

 ま、これも今日だけの辛抱だろうが、改めて思った。このクルマは、こんな部分ひとつとっても、ほとんど3速~5速で走行する岡国や鈴鹿に合わせて作ったクルマなんだな~、と。今すぐ岡国や鈴鹿をある程度の速度で走れる状態のナンバーつき車両が世の中にどれほどあるだろう。こんなアイテムを持っていながら走らないでいる手はない、かも。

 こうして、今日もサーキット走行復帰か否かで揺れる心の葛藤をつづるモニャゾーブログであった・・。とりあえず、サーキット走行の直前に、普段やらない卓球を急にやると、サーキット走行にも差し支えそうなことは分かった。
Posted at 2009/11/03 00:43:34 | コメント(2) | トラックバック(0) | 日記 | 日記

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愛車DC5で鈴鹿と岡山国際を走っていました。 ベストタイムは鈴鹿2分35秒、岡国1分51秒。 目標は鈴鹿2分32秒台、岡国は1分50秒切り!! でしたが、...
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