2018年07月16日
今回の豪雨では、避難指示が出ても逃げない住民の問題が指摘されています。私も避難指示が出て逃げなかった住民のひとりとして、一応経緯をまとめておきます。
7月6日(金)の日中の段階で、すでに大変なことになるという情報は入っていました。特別警報が出る見込みであることも聞いていましたし、職場でも最大級の体制で対応することが決まっていました。交代しながら24時間体制をとることになり、私は土曜朝からの担当に決まりました。
それに備えて金曜の夕方帰宅しようと思ったら、岡山市街地の道路が大渋滞。2キロ進むのに1時間かかりました。その間に特別警報も発令され、23時前後に岡山市ほぼ全域に避難指示が出ました。私自身、避難指示はおろか避難勧告も経験がなかったので驚きましたし、「岡山市全域に避難指示」というのが信じられませんでした。
私の感覚では、避難指示とか避難勧告は、河川の周辺とか崖の近くとか、そういう地区に限定して発令されるものだと思っていましたので。私の家は岡山市街地にあって河川も崖もありません。ハザードマップで、150年に1度の水害や津波で1m程度浸水する可能性があることは知っていました。
しかし、ウチはマンションの上層階なので、「命を守る行動」という意味では、家にいるのが最も安全で、ウチの部屋が浸水することはありえませんでしたので、避難することは全く考えませんでした。その辺はそれぞれの家の状況で判断すべきことだと思います。
本当は翌朝の出勤に備えて早く就寝しないといけなかったのですが、本当に自分の家に避難指示が出ているのか確認したくてネット検索を続けました。ところが、大字別の避難情報を見ると、岡山市東区の大字は出てくるものの、ウチの地区の避難情報は全く出てきません。あの避難指示は誤情報なのではないかとさえ思いました。 その間にも、真備町で小田川が決壊した模様、という情報は出ていました。
翌朝4時半起床で出勤です。その辺のことは先日のブログに書いています。「命を守る行動」という意味では、こんな日に出勤したくないのですが、出勤命令が出ていますし、たぶん職場にはたどり着けないだろうとは思いましたが、とにかく出発しました。そして、ブログに書いたとおり、クルマを乗り捨てて逃げる寸前になりながら、なんとか家に帰ってきました。
職場は交代で大雨対応を続けていますので、朝出勤できなかったとなると、夕方から出勤させられる可能性が高いです。帰宅するととりあえず仮眠をとりました。昼前に起きてきてネット検索していて、ようやくウチの地区にも本当に避難指示が出ていることを確認しました。これだけネットで情報をとりにいっていて、自分の地区に避難指示が出ていることを確認するのに13時間かかったのです。
そして、案の定、職場から電話がかかってきて、夕方から出勤せよ、とのこと。今朝クルマを水没させる寸前だったのに、全く容赦ありません。昼過ぎに出勤しようとしてクルマを始動すると、一応エンジンがかかりました。
通行止め箇所を迂回して、不慣れな裏道を通ってなんとか夕方職場へ。こんな時に不慣れな裏道を通らせて無理やり出勤させるのもどうかとは思いますが・・。もうこのころには、真備が大変なことになっていることはわかっています。
そのまま徹夜で朝まで勤務。日曜朝に帰宅して寝ました。ウチの地区の避難指示が解除されたのはその日の19時ごろです。丸2日間程度避難指示が出ていたわけです。
月曜からは毎日の通勤が渋滞でとても時間がかかるようになりました。月曜に愛知県から来た自衛隊の車列とすれ違ったときはきれいだった自衛隊車両が、数日後にすれ違ったときは泥だらけになっていました。真備での過酷な救難活動が想像されます。
以上が、豪雨前後の顛末です。被災以来、ウチの会社からも交代で被災者支援に行っています。もうすぐ私の順番も回ってきます。どこに支援に行くのか未定ですが、もし真備になったら、行くだけでもひと苦労です。
私の知り合いからは「そのクルマで真備に行くん?冷やかしで来たクルマと間違われるよ」と笑われました。う~む、被災地に行くには、車高を落とした足回りサーキット仕様のクルマは実に不向きです。でも、これしかクルマ持ってないので・・。
Posted at 2018/07/16 15:21:23 | |
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