2022年07月16日
あの銃撃事件から1週間が経過した。あの日、第1報を聞いて真っ先に思ったことは、「安倍元首相、前夜岡山に来てたよな」ということだった。
私は警察官ではないけれど、結構最近まで、要人警護の一部に携わっていたというか、要人警護に奮闘する警察の現場を間近に見てきた経験がある。「選挙の時の政治家の警護の難しさ」「現職ではない元首相の警護の体制のあり方」ということをすぐに考えた。
私の論点は間違ってなく、この二点はすぐに各方面で論じられた。今はコロナ禍の問題があるけれど、基本的に選挙運動の時の政治家は有権者と握手して、庶民派をアピールして票につなげる。政治家サイドの狙いは、厳重な警護とは相容れない。
容疑者の供述が進むに連れて、容疑者が前日岡山に来て元首相を狙っていたことが明るみになった。岡山市街を歩く容疑者の防犯カメラの映像も流れた。ウチの近所を、自作銃を持った容疑者が歩いていたのだ。
元首相の演説会場となった岡山市民会館は、私も森高千里さんこの街ツアー2019岡山公演を始めとして何度も利用した、地元の有力ホールである(近々取り壊されて、別の場所に新たなホールが建設予定)。当初ここが銃撃の候補として狙われていたということになる。
実は、この日の日中、岡山駅西口では岸田首相の演説が行われていた。私は演説は見ていないけれど、演説の数時間前に現場を通過し、ものものしい警備を見て、「あ~、誰か大物が来るんだな」とは思っていた。ここは党首クラスの演説がしばしば行われる場所なのだ。
ここは360度全方位から演説者を見ることができるロケーションで、もし元首相がこの日岡山市民会館ではなく岡山駅西口で演説していたら、容疑者に狙われていたであろうことは容易に想像できる。選挙の応援演説としては、全方位から有権者に見てもらえる好都合な場所だったが、もう今後は、少なくとも現職首相・閣僚クラスの演説はここでは行われないのではないだろうか。
警察の要人警護にかける執念は、それが仕事とは言え凄まじい。選挙の時の警護は難しいけれど、警察は県警の威信にかけて要人を警護する。県警本部長の顔に泥を塗ってはいけない。
SPは、要人が銃撃を受けた時は自分の身体を楯にして要人を守る。そんなSPの生き様は従来からいろいろと作品化されていて、私もドラマを見たことがあるが、仕事とは言え、あんまりな任務ではある。銃弾が飛び交う中、要人に覆いかぶさっていくのが任務だなんて、私にはとても警察官は務まらない。
そこから思い返すに、私は学生時代、コンサートのバイトスタッフとして、コンサート会場、空港、ホテルなどで、有名芸能人の警護をやっていた。警察によるいわゆる要人警護とはまた次元が異なるが、いろいろと思うことはある。
空港でドリカム吉田美和さんを警護したり、ホテルでB’zを警護した時は、私以外に大勢のスタッフがいた。工藤静香さんをホテルにお迎えに行った時は、たまたま出待ちをしているファンがいなかったのでそんなに緊迫感はなかった。
コンサートの最前列警備は通常は大勢でロープを持って行うので、そういう時も私は大勢のうちのひとりだ。やっぱりいちばん責任感でドキドキしたのが森高千里さんの1993年Lucky7ツアーの時で、その時のことはすでにブログで発表しているが、警察による要人警護に「見せる警護」と「見せない警護」があって、「見せる警護」というのは制服警官やパトカーを配置したり、要人の真後ろにSPがいて睨みを利かせたりして、犯人に犯行意欲を減退させるスタイルのことを言う。
通常のコンサートではロープを持ったスタッフが大勢最前列に並ぶことで、物理的な抑制にもなるし、「見せる警護」にもなる。ところが、森高千里さんの場合は恐らくスタッフさんサイドの意向で、そういうのを好まなかったのだと思われ、ロープなしで最前列の上手と下手にひとりずつ配置するのみの警備体制となっていた。
今でも、この街ツアーの最前列警備体制はこれを踏襲していて、我々観客は最前列警備をほとんど意識することなく公演を楽しめる。今年の4月に念願の最前列席をゲットスマイルしたわけだが、自分と目の前の森高千里さんの間にほんとに何の垣根もないことを実感できた♪
そして、1993年のLucky7ツアーの時、私がその最前列2名警備体制のひとりに任命されてしまったわけで、言ってみれば、あの時は私が「森高千里さんのSP」だったことになる。あの時は変なのが出てきたら身を挺して森高千里さんを守ろうと思って警備にあたっていたのだけれど、もしあの時に例えば刃物を持ったようなヤツが出てきたら、果たして自分がどこまで行動できたのだろうか。今回の事件を機に、そんなことを自問自答してみたり・・。
ちなみに、銃撃事件の方は、当初は「民主主義を破壊しようとする極悪非道な銃撃犯」という位置づけで報じられていたものが、いろいろなことが明るみになるに連れ、「家庭崩壊して、貧困にあえぐ兄弟のために自殺してその保険金で兄弟を助けようとまで考え、そして、30年来の恨みを果たすために長年こつこつと準備してきて、本懐を遂げた容疑者」という論調に変わってきており、「事実は小説よりも奇なり」という言葉を思い出すのであった・・。
Posted at 2022/07/16 11:52:25 | |
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