韓国と日本 いつ「友達」と呼べるのか
Yさん、先日は長電話をしてしまい、失礼しました。
1910年に日本が韓国を植民地にしてから、今年で100年になります。節目の年にYさんの祖国を久々に取材してみたいと思い、最近の様子をうかがった次第です。
Yさんが長野市の松代大本営跡の見学に来たのが1990年。早いものであれから20年です。
この間、濃淡はあるものの韓国の戦争被害を取材したり、友人たちと情報交換をしたりしてきました。限られた体験ですが、日韓の距離が近くなったと実感する半面、ある面では溝が広がっているのではとの思いもあります。
<「韓流」の定着>
「日韓関係が深まった」と感じるのは、「韓流ブーム」の定着でしょうか。
2002年に韓国で放映された「冬のソナタ」は翌年から日本に上陸し、大人気になったことはご存じの通りです。
「シュリ」や「友へ チング」といった映画も忘れられません。日本のドラマや映画にはなかった人間関係の描き方や現代史が新鮮に映りました。
近所のレンタルビデオ店に行けば、韓国作品のコーナーが必ずあります。語学講座に通う人たちが増え、簡単な会話ができるようになったと話す女性たちは周囲に何人もいます。韓国旅行はごく当たり前になりました。
「だからといって、歴史の理解が深まったとはいえないのでは…」。Yさんは先日の電話で、こう言いましたね。
韓流ブーム以前、韓国で日本のアニメや音楽などへの関心が高かったのに比べ、日本では韓国文化への関心はさほどではなかった。それを考えれば、画期的な変化だと思いませんか。歴史へ理解が広がる好機だと思います。
<加害責任はどこへ>
ただ、気掛かりな点があるのは事実です。
例えば、日本の植民地支配や韓国の戦争被害についての記事に対する読者の反響の変化です。過去の日本の外交政策を正当化する立場からの声が多くなったと実感しています。
先日も、戦前の「創氏改名」について触れた記事に、「自由意思であり、強制ではなかった」といった反論が寄せられました。反響は歓迎ですが、都合のいい内向きの解釈や物語が広がっていないか気になるのです。
1991年の秋に韓国を訪ねて、Yさんの通訳で戦争の被害者を何人も取材したときのことを思い出します。
長野県で働かされ、体が不自由になったと話す男性、旧日本軍に徴用されて犠牲となった夫への思いを語る老婦人、従軍慰安婦としての体験を語り始めた女性、在韓被爆者…。
「日本の警察に拷問された」「正装して出掛けたら、墨汁をかけられた人もいる」「日本風に名前を変えさせられた」-。植民地支配の実態や置き去りにされた補償問題について、せきを切ったように証言が飛び出しました。
シリーズで記事にしたところ、「もっと知りたい」「日本に来て証言してもらいたい」といった声が、数多く寄せられました。実際に元従軍慰安婦の証言を聞く集会などには、若い人たちもたくさん参加していました。
韓国の民主化が進み、当事者たちの戦後補償の運動が活発になってきた時期でした。韓国人被害者の声が、直接日本に向けて発信されたのです。
裏返せば、戦争の「被害者」としての意識が強かった日本人が、「加害者」の実像を突き付けられたと言っていいでしょう。
同じ敗戦国のドイツは、終戦直後から近隣諸国から加害責任を厳しく問われ続け、さまざまな和解の道を探る道を歩いてきました。いまは欧州連合(EU)の中軸を担う存在です。
<「EU」への道は>
日本と韓国は、戦後45年ほど経過した90年前後に、ようやく「本音」の議論ができる土壌ができつつあった-。欧州の戦後から半世紀近く遅れて巡ってきたチャンスだったと思っています。
その機会がいまに生かされているのか、自問せざるをえません。この20年の間に日本のどこが変わり、どこが変わらなかったのか。日韓関係のなにが変わり、なにが変わらなかったのか、と。
目に見える変化は経済でしょうか。90年当時の国民1人当たりの国内総生産(GDP)は、日本は韓国の約4倍でしたが、08年には2倍まで縮んでいます。このところ、中国の台頭が著しく、アジアの経済地図は大きく塗り変わりつつあります。
「アジアはEUのような関係とはほど遠い」。電話の向こうのYさんの言葉が耳に残っています。経済の流れが距離を縮めるとしても、「近しい」と実感できるまでには、日韓双方の懸命の努力が必要になると考えます。続きはまたゆっくり話しましょう。
信濃毎日新聞より
道新の事が批判できない位すさまじい信毎ですが、最も性質の悪いところは
国会議員である小坂憲次一族が大株主であるため、県政に関しては自民党寄りの報道が目立つ。
5期20年に渡って県政を担った吉村午良元長野県知事時代には、自民党系の県議会与党であり大政翼賛会とも揶揄されていた県政会(現在は解散)寄りの立場を取っていた。そのため乱開発による莫大な県債発行や北信に偏った開発、また1998年長野オリンピック誘致での国際オリンピック委員会への買収疑惑については、ほとんど批判的な報道が行われなかった。また知事や政治家の失言などもほとんどが隠蔽され、オリンピック時に批判を浴びた吉村知事の「ミズスマシ」発言を始めとした失言の数々は、東京から取材に来ていた全国紙の記者が居たため公になったと言われている。それゆえ県政の御用新聞と呼ばれ、ジャーナリズムが果たすべき権力への監視を放棄していたとの批判が強い。
また小坂憲次と選挙区で競合する元衆議院議員田中秀征に関しても冷淡といわれ(小坂憲次の父小坂善太郎と旧選挙区が同じで、初当選のとき善太郎は落選したためと考えられる)、全国に配信されている田中秀征のコメントが掲載された共同通信の記事が、全国各紙の中で信濃毎日新聞のみ掲載しなかったという。
田中康夫前長野県知事については、当選した当初こそ一挙手一投足を逐一注目して事実を報道していたが、「脱記者クラブ宣言」により記者クラブが廃止されて以降、全ての面で一貫して田中批判を繰り返していくことになる。この姿勢を端的に示すものが、2007年3月に信濃毎日新聞が大々的に報道した公文書破棄事件(田中康夫前知事が後援会元幹部による働きかけを記録した文書を破棄するよう指示を出したとされている)である。これは百条委員会で証言していた岡部英則元経営戦略局参事の発言に基づいているが、他の証言者の発言と矛盾していることから読売新聞などは信憑性が低いと判断しており、信濃毎日新聞の突出した報道姿勢が目に付くこととなった。
これら長野県で高いシェアを占める信濃毎日新聞の執拗な批判報道が、田中康夫前知事の支持率低下・3期目選挙落選の要因となったとされている。
2007年9月3日、長野地検は百条委員会によって告発された田中前知事の「公文書毀棄幇助容疑」に対し、「嫌疑なし」で不起訴処分とした。また同時に「公文書毀棄容疑」などで告訴されていた当時の下水道課長ら2人も、「嫌疑不十分」で不起訴処分とした。検察が「疑い自体が存在しない」を意味する「嫌疑なし」とした事実は重く、これにより信濃毎日新聞が大々的に報道した公文書破棄事件は、前述の松本サリン事件での第一通報者犯人説と並び、事実無根の冤罪である可能性が高まった。
Wikipediaより
小坂憲次が大株主ということは、彼が如何に
売国奴
かということを証明しております。
› 「日韓関係が深まった」と感じるのは、「韓流ブーム」の定着でしょうか。
深まってません、断交推進したいのですが。
› 「シュリ」や「友へ チング」といった映画も忘れられません。日本のドラマや映画にはなかった人間関係の描き方や現代史が新鮮に映りました。
ムクゲの花が咲きましたとか
韓半島でも見せたらどうでしょうかね?新鮮ですよ、半島が日本に核攻撃とかするんですからw
› 韓流ブーム以前、韓国で日本のアニメや音楽などへの関心が高かった
ガンダムはロボット固有名詞だとか言い張ったり、テコンVとかの様なパクリ製品が多数あるのはどこの国でしょうか。そういえばドラえもんは朝鮮のものとかって言ってたユンソナとかいうのがほざいてませんでしたっけ?<しかも韓国に帰ったら反日行動起こしてるし
› 長野県で働かされ、体が不自由になったと話す男性、旧日本軍に徴用されて犠牲となった夫への思いを語る老婦人、従軍慰安婦としての体験を語り始めた女性、在韓被爆者…。
在日朝鮮人、戦時徴用はわずか245人の一人ですかね?胡散臭すぎるんですが。で、従軍慰安婦は売春婦なんですけど。それも朝鮮人によって行われていたんですけどね。それに所謂従軍慰安婦の人って一財産築きませんでしたっけ?
› 韓国の民主化が進み、当事者たちの戦後補償の運動が活発になってきた時期でした。韓国人被害者の声が、直接日本に向けて発信されたのです。
日韓基本条約で解決済みです
なので本国に言ってください。
› 同じ敗戦国のドイツは、終戦直後から近隣諸国から加害責任を厳しく問われ続け、さまざまな和解の道を探る道を歩いてきました。いまは欧州連合(EU)の中軸を担う存在です。
ドイツは個人補償を行いましたが国家補償は行っておりません。
› 経済の流れが距離を縮めるとしても、「近しい」と実感できるまでには、日韓双方の懸命の努力が必要になると考えます。
断交の為の努力なら惜しみません。ついでに帰国事業も推進します。
あえて言おう、カスであると。<信毎
ついでにもう一つ言うと、衆議院でぼろ負けした長野一区の自民党某候補者、今度は参議院の比例代表から出馬します。
ちなみに自民党比例で当選させたい議員は
山谷えりこ氏、三橋貴明氏
位ですかね。
少なくとも、この売国奴がいる限り、比例は絶対に自民には入れませんね。
比例は確実にたちあがれ日本に入れますので。