
今年も8月12日がやってきました。
改めて、多くの御霊の安寧をお祈り申し上げますと共に、2度とこの様な事故が起こらないことを祈っております。
画像は、「JAL123便 事故究明の会」配付資料を使用しております。
この事故との関りについて、再掲します。
事故当時、今で言うIT業界に転職し間もないころで、転職後、2番目に従事したのがJAL国内線予約発券システム(開発拠点は、蒲田にあった富士通システムラボラトリー(通称・蒲田シスラボ))でした。
事故は、開発に従事して約1か月後に発生しました。
当時のことを仕事仲間と話題にしても、当時、生まれていませんでした(^^ゞと言う方が殆どになってしまいました。
年寄りのアルアル話し(カードパンチを使っただの、TSS、TSOが遅かっただの、コーディング用紙にプログラムを記載してパンチャーさんに入力してもらっただの…)の類になって久しいです。
昨年40年目の節目であったこともあり、また陰謀説が盛り上げを見せましたが、同時にマスゴミ関係者らしきものの当時の取材と称する行為の回顧録的な記事も多く目にします。
悲惨な事故現場の描写、辛かった現場での記憶等々、凄惨な出来事の語り部の如く記しているものが多いと感じますが、自分達が当時、ご遺体を土足で踏みにじって現場を荒らしまくったことに対しては謝罪どころかなに1つ触れられていません。
腰を下ろし休んだ切り株の近くに人間の形を形成していた一部だった肉片
それが至る所にあり異臭を云々
これが事実なら歩けば、それを踏んでしまうことくらい容易に想像できます。
肉片をご遺体とは認識できなかった云々の言い訳を耳にしたことがありますが、理解に苦しみます。
生存者として陸上自衛隊の隊員(第1空挺団の隊員)に抱きかかえられてヘリに収容される写真が、多くのマスゴミの画像媒体に掲載され続けていますが、この画像を見て不思議に思いませんか?
機体後部で発見され救出、救難拠点として仮設されたヘリポートまで搬送、そこで、スリングを待っていたのですが、この間、低体温症を防ぐ為、身体を毛布等で覆うのが救命救急のセオリーです。
実際、ヘリポートまでは、そのように保護されていましたが、なぜスリング中の少女は生身の状態だったのでしょうか?
生存者の写真と言うスクープの為、毛布を剥ぎ取ったマスゴミ関係者がいるのですが、この鬼畜なな行為が批判されたことは皆無ですし、最初に掲載したマスゴミがスクープを誇ることはあっても、行為に対して言及したことはありません。
また、飲まず食わずで5・6時間、山中を歩き、目の前に開けた事故現場を…
灼熱の太陽が照り付け異臭が充満する現場をふらつきながら取材を…
どうです、よく目にするフレーズですよね
この時、険しい山中に入るのであれば、当然、装備していなければならない携帯食、水等の準備を取材行為と称する人らしきものが用意していたでしょうか?
現場の自衛隊から水を分けてももらったとの記述は見たことがありますが、用意万態…なんて言う話しは見たことがないです。
事故から41年
この間に大きな事故や災害が幾つもありました。
取材と称する行為を行っている人らしきものは、事故や災害の現場に土足で踏み入っていませんかね?
食料、水、燃料等が不足する現地で物資の現地調達なんて言う行為は、まさかまさかしていないですよね?
打ち拉がれるている方に、いまのお気持ちは…と、マイクを向け、その行為を報道の使命というマスゴミの体質は、41年前と何1つ変わっていないように感じます。
また、その変わらない存在が、陰謀論のような誹謗中傷の発生源になっているようにも感じます。
皆さんの近くにマスゴミ関係者と称する人らしきものがいたら、彼らがしいるのと同じようなスタンスで接してみると良いかもしれないですね
最後に、昨年のシンポジウム「第二回 航空機事故と災害派遣 ~ JAL123便墜落事故から40年 現場からの証言」動画を再掲したく思います。
#日航機墜落事故 #123便 #JAL #JAL123便 #御巣鷹の尾根
Posted at 2026/08/13 05:00:12 | |
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