• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+
イイね!
2009年06月07日

忘れてはいけない - 通州事件

まるで支那を神国のように扱う民主党の鳩山だが、チベット、ウイグル等を知っていれば少なくとも神国のような扱いはできないはず。

ましてやいまから70年以上も前に支那人は日本人を惨殺したのを知っていればこの様な危険な連中に友愛なんて言葉が全く無意味なのがわかるはずである。

通州とは、北平(現在の北京市)の東約12kmにあった通県(現在の北京市通州区北部)の中心都市である。当時ここには、日本の傀儡政権であった冀東防共自治政府が置かれていたが、1937年7月29日、突如約3000人の冀東防共自治政府保安隊(中国人部隊)が、華北各地の日本軍留守部隊約110 名と婦女子を含む日本人居留民(当時、日本統治下だった朝鮮出身者を含む。)約420名を襲撃し、約230名が虐殺された。これにより通州特務機関は全滅。

冀東防共自治政府保安隊が通州事件を起こした原因としては以下の3つの説が存在している。

1. 日本軍機が華北の各所を爆撃した際に、通州の保安隊兵舎をも誤爆したことの報復で起こったとする説[1](しかし誤爆の事後処理は通州事件以前には終わっている事実も存在している[2]) 。
2. 中国国民党軍が冀東防共自治政府保安隊を寝返らせるために「日本が大敗した」と嘘のラジオ放送をおこない、冀東保安隊がそれに踊らされたという説[2][3]。
3. 1986年に冀東保安隊長であった張慶餘の回想録が公表され、また中国で出版された『盧溝橋事変風雲篇』によると、張慶餘、張硯田の両隊長は、中国国民党第29軍とかねてから接触しており、「日本打倒」の事前密約をし、これが「通州決起」と関係していると記されていることから、中国国民党と張慶餘・張硯田両隊長の密約によるものとする説[4]。

上記の一つの原因だけでなく、これらの原因が複合して保安隊が虐殺行為に走ったとも考えられている。張慶餘は通州事件後は中国国民党軍に属し、最終的に中将まで昇格している[5]。

なお、中国側では「抗日蜂起」と看做されている。

Wikipediaより引用

 盧溝橋事件から僅か三週間のち、即ち昭和12年7月29日に「通州事件」は起きた。通州は明朝時代に城壁が築かれ、天津から集荷の拠点として栄えた。交通の要衝、運河の街でもある。北京の郊外、東へおよそ18キロ。事件直前まで日本人にとっては「治安の良い」場所とされた。なぜなら親日派の「冀東防共自治政府」が通州、天津などを治めており、日本人を妻とする「殷汝耕」が長官だったからだ。

 この自治政府は付近から雑兵を掻き集めて、一応、9千人の「保安隊」を組織していた。お人好し日本は自治政府が親日であることを信じて疑わず、保安隊の軍事訓練まで施していた。たまたま事件前夜まで、南宛に向かう萱島連隊が通州を兵站基地をして、盧溝橋事件十日後から駐屯していた。だから居留日本人は二重に安心していたのだ。

 しかし通州には反日派の頭目「張慶餘」が率いる第一総隊と「張硯田」が率いる第二教導総隊、合計で三千の軍が野砲で武装して駐屯していた。ひとつは城内に、もう一つの部隊は城外(といっても南門のすぐ脇)に。しかも張らは親日政府=キ東防共自治政府保安隊のなかに密かに潜り込ませた反日分子と接触を絶やさず、また親日派のはずの保安隊のなかに共産党の細胞まであった。彼らは反日では団結する。反日分子たちは日本軍が通州で空になる機会をじっと窺っていた。

 一方、南京の国民党政府は通州に「冀察政務委員会」を設置していた。事実上の影の政府だが、委員長は中国第二十九軍の「宋哲元」だった。冀は河北省、察はチチハルを意味する。かれらは極秘裏に居留日本人の住所、家族構成を調べ上げ、リストを作成していた。

 絶好のチャンスがきた。盧溝橋事件から二十日後の7月27日、無敵を誇る萱島連隊は作戦のため多数のトラックに弾薬を積んで出発した。ただし萱島連隊は南門城外に不気味に居座った第二十九部隊が武装解除、撤退に応じないため、先に攻撃してからの通州出発だったが。残留の日本軍守備隊は自動車中隊、憲兵などを含め僅か百十人だった。駐屯するはずの藤尾小隊は大部分が天津に出張中だった。

 二十九日午前三時、冀東防共自治政府の保安隊は突如、日本軍を襲撃した。不意をつかれた日本兵は獅子奮迅の防戦をするも、死者三十人あまり。この戦闘の最中に保安隊は自分達のボスだった殷汝耕を拘束し、同時に日本人民間人の虐殺を開始した。居留日本人四百人のうち、二百六十人あまりが惨殺されるのだ。

 大局的戦況はといえば、日本軍が蒋介石軍を大破し、南宛を占領した。「北京を死守する」と豪語していた宋哲元は遥か南方の保定まで逃げ込んだ。それを知らない張慶餘と張硯田ら中国軍と保安隊は日本人の非武装民間人を虐殺し続け、夕方に萱島部隊がもどったと聞いて逃亡、北京へ向かった。ところが北京付近で翌三十日に日本軍と遭遇、忽ち粉砕され、張慶餘も張硯田もさっと「便衣服」に着替え、一目散に逃げた。部下らは置き去りにされた。こういう卑劣な戦闘指揮をとるのは中国特有であり、日本軍人に殆んど例をみない「規律」である。

 道時刻、惨状を聞いた日本軍の第二連隊はおっとり刀で通州の現場に到着、あまりのむごたらしい惨殺死体に驚嘆、愕然、唖然となった。

 浜田巡査宅では長女が手榴弾で吹き飛び、長男は銃剣で刺され、夫人は凌辱された後女子師範学校まで引き立てられたが、途中で逃げ出した。

 付近の日本食堂では男の子が壁に打ち付けられて頭蓋骨陥没の即死、五人の女店員は射殺されていた。食堂・旭軒の女店員八人も強姦のあと裸体にされ、陰部には銃剣がさし込まれていた。他の場所には女の全裸死体が放置され、全員の陰部が刃物で抉られ、或いは男は眼を抉られ、カフェでも女店員が絞殺され、全裸のまま死体を放置してあった。或る店では女店員全員が強姦され、陰部に箸が突っ込まれていたり、口の中に砂を入れられたりして殺されていた。なかには死体から内臓がはみ出し、蝿がたかった現場もあった。

 通州の高級割烹旅館だった「近水楼」では女中四人が射殺後に凌辱され、天井裏に隠れていた宿泊客十一人は北門付近まで数珠繋ぎにされて連行されたあと虐殺された。ことき同盟通信の安東利男記者が城外に転がり落ちて一命を取りとめ、北京まで這云の体で逃げた。

 こうして保安隊は事前にリストアップしていた日本人の民家を次々と襲撃し、財産を横領強奪、片っ端から日本人を殺戮し、凌辱を重ねた。逃げ遅れた日本人は手足を縛られ鼻や喉を針金で突き通され、ひきずられ、二ヶ所に集められたうえで射殺された。

 日本軍守備隊に運良く逃げ込むことができた百二十人だけが助かった。

 殷汝耕は、その後、日本軍の手に戻され裁判で無罪となり、犠牲者追悼の義捐金を集めたり供養搭を建てたりの活躍をしたものの、日本の降伏後、蒋介石により「親日分子」の烙印をおされて処刑、悲運を辿った。

 虐殺の指揮をとった張慶餘と張硯田は、その後も戦争中を生き延び、とくに張慶餘は中将にまで出世、1986年にはしゃあしゃあと回想録まで出版、デタラメなことを書いている。

 だが、「通州の虐殺が中国側の謀略だった証明ははからずも最近中国で出版された『盧溝橋事変風雲編』という書物にあり、そのなかには、張慶餘と張硯田と宋哲元との間に盧溝橋事件以前から密約が存在していた事実が書かれている。しかも張慶餘と宋哲元とを結びつけたのは哥老会であった」

(岡野篤夫「通州事件の真相」より抜粋、『正論』平成二年六月号)。

つまり支那人に日本が売国された場合、第2、第3の通州事件が起きてもおかしくはない。それほどまでに支那人は残虐非道である。

まさに沖縄ヴィジョンによる1国2制度が採用された場合、すでに米軍による悲劇をみた沖縄が再度支那人による悲劇を見かねない。

新たな通州事件を起こさないためにも売国政党による政権奪取はなんとしてでも阻止しなければならない。
ブログ一覧 | ネタ・その他諸々 | 日記
Posted at 2009/06/07 06:12:51

イイね!0件



今、あなたにおすすめ

ブログ人気記事

🚗💡今日から使えるドライブレコ ...
コムテックさん

カレンダー・・・📅
よっさん63さん

週末の晩酌🏠🍶
brown3さん

今日から11月かぁ〜?🤔
S4アンクルさん

3連休!
Takeyuuさん

過酷な土砂降り設営
ふじっこパパさん

この記事へのコメント

2009年6月7日 6:40
実は南京事件のモデルは通州事件ではないかとも言われています。
無辜の市民を虐殺し、強姦し、許し難い蛮行ですね。
しかも、当時は便衣隊というテロが民間人を装っていたので、判別が難しかったとも言われています。
他に共産党のスパイはやはり攪乱するための破壊工作活動をしていたということが数々の資料から出ていますよね。
要するに支那事変はスパイ戦争なのです。それなのに何故日中戦争という表現になり、日本が中国を侵略したという表記となるのか。
日本は最後まで外交ルートを探っていて、大山事件の時もそうだった。大山事件は明らかに共産党のスパイによる仕業であり、それが第二次上海事変へと繋がりました。盧溝橋事件は日本を中国国民党との戦争に引き込みたいコミンテルンの手先でもある中共・劉少奇が引き起こしたものでしょう。その後、一旦停戦合意しているので、この事件が引き金という見方は間違えています。引き金となった事件は上の第二次上海事変です。
コメントへの返答
2009年6月7日 6:54
三光(殺しつくし、奪いつくし焼き尽くす)作戦、市民の虐殺等どう考えても通州事件を元に作り上げた捏造虐殺事件が南京事件だと思います。

中国共産党によるスパイ、捏造は今現在も進行形なので、この事実をふまえて行動をしないと、支那人による日本人の殲滅は時間の問題ともいえますね。
2009年6月7日 9:05
こういう重大事件こそ歴史教科書に記述し、実情を知らしめねばこれからの日本人は益々茹で蛙状態に陥り、中凶小日本省とされてしまう恐れがあります。

サヨク世代がトップに居座るメディア他が牛耳る世間ではこのような話をしてもなかなか理解を得られないのが空恐ろしいです。

チョンイル新聞、中華人民主党、謝民党、降参党などは我が国が中凶に侵された後、漢民族の次にまあまあ美味しい位置を占めようと画策しているのでは、と邪推してしまいます。
コメントへの返答
2009年6月7日 16:42
こういう歴史は消されようとされ捏造歴史だけが植え付けられていく。

とんでもない状況です。

こういう事態にならないためにもこういう忘れかけようとされている歴史を記事にし、風化させないようにしないと。

民主等の左翼が政権を取ったら通州事件のようなことが沖縄やあちこちで起きかねません。
2009年6月7日 11:11
こういう記事を読みいつもながら思うのは、
日本兵は残虐だった、卑劣だったと言います。

でもそれは自虐史観のある左巻きの捏造であって、
実際には支那、朝鮮人の方が酷かった訳ですよね。

私も過去に読んだ本では支那人が首を切り落として、
サッカーをしていたと言うのを見たことがあります。

なぜ左巻きの人間達はこういった事実を無視して、
日本は酷かったんだからという論調になるのか。

あるべき歴史ではなく史実を見て欲しいと思います。

見ても変わらないのでしょうけど・・・
コメントへの返答
2009年6月7日 16:46
日本軍は残虐非道、支那軍は被害者という論調は戦後のWar Guilty Programの一環ですからね。

GHQによる統治、左翼連中の躍進にも目をつぶり真実は闇に葬られ、捏造の歴史だけが積み重ねられていく。

これは現在進行形なのでなんとしてでも阻止しないと。
2009年6月8日 8:57
秦の始皇帝の時代から、数万人単位で平気で虐殺したり殺した相手武将の肉を祝勝会で酒のツマミにするような民族ですからねぇ・・・。

残虐性は漢民族のアイディンティティーでもあります。「南京」であったとされる手口は全て「通州」と同じことが全てを物語っています・・・。
コメントへの返答
2009年6月8日 16:37
支那人の凶暴性は今から始まったものではないですからね

>南京」であったとされる手口は全て「通州」と同じことが全てを物語っています・・・。

南京虐殺は存在しません。通州事件をもとに作った捏造と考えています。
2009年6月8日 16:45
ああ、済みません、私が舌足らずでした(^^;
私は「南京大虐殺」は支那の捏造だと確信してます。

実際に南京にも行きましたが(20年以上前のことなので「記念館」はありませんでした)、とてもじゃないけど30万人とも言われるような人数を虐殺できる場所ではありません。
コメントへの返答
2009年6月8日 16:52
あ、大丈夫ですよ。

「南京大虐殺」は支那の捏造

と理解していましたから^^

30万人の虐殺なんて不可能でしょう。
しかも当時、外交官などを含めて20万人くらいしかいなかったのですから<南京
2009年6月9日 14:32
シナ人はチベット人に対して今でもものすごい拷問をしていると聞きましたが、たとえば子供に自分の親を射殺させたり、、
このブログの内容もかなりエグイですねぇ。
想像するとぞっとします。
シナ人の蛮行ってある意味マニアックですけどこれも国民性なんでしょうか。
私も「南京大虐殺」は支那の捏造だと思います。
それを証明するクリップも今、youtubeでいくつかあがってますよね。

こんな国に売国してる日本の議員が情けないです。
シナを神国だの友愛だのってぽっぽの仲間はお笑いですかww
コメントへの返答
2009年6月9日 22:53
ぽっぽはお笑いなら、失笑を買って終わりますが、政治家という肩書を持っている以上非常に危険極まりない存在です。

内容はあえてオブラートに包んだものではなく、事実を淡々と書いたものにしました。それがグロいと言われても…

そのくらいにしないと何が起きているのか、わからない、わかろうとしない人間が多いので。

プロフィール

「スバル・三菱・スズキのAWD性能を比較してみた http://cvw.jp/b/205797/48144383/
何シテル?   12/15 22:42
どうも、在仏歴2X年を終えて帰国したHeeroと申します。 最近、みんカラの活動はほぼ冬眠状態です(;´Д`)
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2025/11 >>

      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
30      

リンク・クリップ

タイヤ館 イエスワン 
カテゴリ:メンテナンス・アフターマーケット関係
2023/03/05 22:12:20
 
アユミデンキ オフィシャルブログ 
カテゴリ:メンテナンス・アフターマーケット関係
2011/01/27 18:14:08
 
アユミデンキ 
カテゴリ:メンテナンス・アフターマーケット関係
2011/01/27 18:09:57
 

愛車一覧

スバル フォレスター スバル フォレスター
もうこんな車出ないだろうという事で無理して購入しました。 2L、ターボ、2万キロ以下なん ...
マツダ キャロル マツダ キャロル
アルトとキャロルで迷ったところ、マツダの方でスイフトの下取りや値引きなどで好条件を出して ...
スバル インプレッサ スバル インプレッサ
久しぶりのインプレッサです。 今回もFF車です。 作りとしては前のスポーツワゴンの方が良 ...
スズキ エブリイ スズキ エブリイ
ランサーの後継車はエブリイバンになりました。 ターボ車なので加速もいいですし、乗り心地も ...

過去のブログ

2024年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2023年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2021年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2019年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2018年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2017年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2016年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2015年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2014年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2013年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2012年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2011年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2010年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2009年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2008年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2007年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2006年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
ヘルプ利用規約サイトマップ

あなたの愛車、今いくら?

複数社の査定額を比較して愛車の最高額を調べよう!

あなたの愛車、今いくら?
メーカー
モデル
年式
走行距離(km)
© LY Corporation