1945年8月15日、大日本帝国の敗戦となりました。
多くの大都市では絨毯爆撃による火災で焼け野原となり、広島、長崎においては原爆投下により多くの市民が原爆症に苦しめられました。
しかし、日本国民は天皇陛下のこの言葉を心に刻み復興を誓ってきました
原文
> 惟フニ今後帝国ノ受クヘキ困難ハ固ヨリ尋常ニアラス爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル 然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所耐ヘ難キヲ耐ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス
> 朕ハ茲ニ国体ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事端ヲ滋クシ或ハ同胞排擠互ニ時局ヲ乱リ為ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム 宜シク挙国一家子孫相伝ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ国体ノ精華ヲ発揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ爾臣民其レ克く朕カ意ヲ体セヨ
読み下し文
> おもうに今後、帝国の受くべき苦難は、もとより尋常にあらず。汝臣民の衷情も、朕よくこれを知る。しかれども、朕は時運のおもむくところ、堪えがたきを堪え、忍びがたきを忍び、もって万世のために太平を開かんと欲す。
> 朕はここに、国体を護持しえて、忠良なる汝臣民の赤誠に信倚(しんい)し、常に汝臣民と共にあり、もしそれ情の激するところ、みだりに事端をしげくし、あるいは同胞排擠(はいせい)、互いに時局を乱り、ために大道を誤り、信義を世界に失うがごときは、朕もっともこれを戒む。よろしく挙国一家、子孫、相伝え、よく神州の不滅を信じ、任重くして道遠きをおもい、総力を将来の建設に傾け、道義を篤(あつ)くし、志操を固くし、誓って国体の精華を発揚し、世界の進運におくれざらんことを期すべし。汝臣民、それよく朕が意を体せよ。
現代語訳
> 汝ら臣民の真情も、余はそれをよく知っている。しかし、ここは時勢のおもむくところに従い、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び、それをもって万国の未来、子々孫々のために、太平の世への一歩を踏み出したいと思う。
> 余はここに、国家国体を護り維持しえて、忠実にして善良なる汝ら臣民の真実とまごころを信頼し、常に汝ら臣民とともにある。もし、事態にさからって激情のおもむくまま事件を頻発させ、あるいは同胞同志で排斥しあい、互いに情勢を悪化させ、そのために天下の大道を踏みあやまり、世界の信義を失うがごとき事態は、余のもっとも戒めるところである。
> そのことを、国をあげて、各家庭でも子孫に語り伝え、神国日本の不滅を信じ、任務は重く道は遠いということを思い、持てる力のすべてを未来への建設に傾け、道義を重んじて、志操を堅固に保ち、誓って国体の精髄と美質を発揮し、世界の進む道におくれを取らぬよう心がけよ。汝ら臣民、以上のことを余が意志として体せよ。
あえて今年は、皆様にもわかりやすくしたいがため原文のみならず、読み下し文と現代語訳もつけました。
全文は
こちらのサイトをご覧ください
あの大戦からどうなったのでしょうか。
ここは自動車の歴史とともに歩んでみたいと思います。
当時は物資も乏しく、復興の兆しもなかなか見えてこない中でした。そういう中、日本国民は必死に復興のために尽くしたのは言う間でもありません。
戦後当時は
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オート三輪や
日野 ルノー 4CVの様な海外メーカーのノックダウンしかなく
東京も
空襲の傷跡、GHQの統治が始まったり等でまだまだ復興の見通しは立ちませんでした。
1954年第一回東京モーターショーが日比谷で実施され
1955年には…
戦後初の純国産車トヨペット クラウンが販売されましたが、まだまだ日本国民にとっては高嶺の花、軽自動車もまだまださほど無い時代でしたので主流はオート三輪がメインだったと言えましょう。
代表的なのはこちら
やはりダイハツミゼットでしょう。しかし、この時点では国産自動車の可能性は見えてきたもののやはりまだまだ入手はまだまだ先という感じがしたと思います。
1958年3月
てんとう虫の愛称でしられるスバル360が発売。
その二年後に
マツダ R360 クーペが発売。
軽自動車が一般大衆に広まりつつあるなか、乗用車メーカーも攻勢をかけてきます
1961年には
CMは1964年版ですが、トヨタ パブリカが発売
1964年には東京オリンピックにより景気が上向きます
しかしちょっと考えてみてください。戦後から約19年でオリンピックが開催できるとは誰が思ったでしょうか。
ちなみに1960年の東京はこんな感じでした
そして時代は高度経済成長期に突入します
1965年には
トヨタスポーツ800
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ホンダ S600
1966年には
トヨタカローラと日産サニー(残念ながら映像が見つかりませんでした)が発売され普通車の普及も広まりつつあります。
ここまでわずか21年です
この後も色々なエポックメイキングな車が発売されます
ホンダN360
マツダ コスモスポーツ
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日産 スカイラインGT-R (通称:ハコスカ)
そして、日本メーカーは世界に打って出ます。
1969年に
日産フェアレディZでアメリカに勝負をかけ
1972年(CMは1977年ですが)
ホンダ シビックCVCCで当時最も厳しいと言われたマスキー法をクリアし、世界を驚かせます。
ちなみに60年代末、70年代の東京はと申しますと
と言う感じです。
1980年代に入ると色々な魅力的な車をだし、世界的評価を高めました
ダイハツシャレードディーゼルターボ
マツダ ファミリア
ホンダ シティ
ホンダ CR-X
いすゞ ジェミニ
いすゞ ピアッツァ等、色々な車がでており、本当にあの戦争があったのかと言うくらいのレベルに達します。
またバブル経済も絶頂でした。
そして90年代にバブル経済は崩壊
しかし、そういう中、1996年、三菱が現在使われているガソリン車の基礎を世界初の実用化をします
GDI = Gasoline Direct Injection
ガソリン直噴エンジンが発売されました
ギャラン GDI
現在発売されている直噴ガソリンエンジンの礎とも言える車が発売され、今日にも生かされております。
そして1997年、日本は再び世界を驚かせます
トヨタ プリウス発売
この車で日本は技術の高さを再度アピールします
2003年
ロータリエンジン搭載の4ドアスポーツカー、RX-8の発売
2007年
日産GT-Rでピュアスポーツでも世界でも勝負が出来る事を証明し
2010年
三菱i-MiEVで量産型新世代電気自動車で世界に打って出ました。
そして2011年
既存の技術でもまだまだ開発の余地がある事を証明しその第一弾として
ハイブリッドだけがエコカーではない事、加給に頼らずとも、ガソリンで低燃費な車が作れる事を証明しました。
とかく、日本は駄目だとかという意見ばかりが目立ちますが、政治、一部の財界が駄目なだけであって、日本全体が駄目なのではありません。
現在に置いても終結の勅書の末文の精神は生きているのです。
天皇陛下と日本国民は常に共に歩み続けております。
そしてこの震災で日本国民は世界中にその民度の高さを証明しました。
日本国民はあの敗戦を乗り越え、見事復興しました。
2009年夏、日本国民の大半は民主党を選び、未曾有の国難に陥り、そして更に今回の震災、原発事故で最悪の事態に陥っております。
しかし、歴史が証明してきたように日本国民は幾度の困難を乗り越え、それを糧にし、むしろ飛躍のバネにしてきました。
その強みは何か?自ら日本国民の手で今日まで困難や試練を乗り越えてきたことです。
日本には底力があります。その底力は一部の財界、そして民主党の手によって封印されようとしています。今一度、その封印を解き放ち、世界を震撼させる事が出来るのは間違いなく日本国民の手のみです。
自動車だけですら、これだけのものがあるのですから、日本には再興要素はいくらでもあるのです。再興するには
現実を直視する勇気、現状を打破する勇気、そして希望
この3点があれば必ずや再興できます。戦後66年目の未曾有の危機は必ずや脱却できると信じております。
締めはこの二つの文章でくくりたいと思います
どんな夜にもかならず朝が来る 残された俺たちがこれからの未来を精一杯生きる。それが彼らに贈るできる限りの手向けだと思う
生きる者全てに春は来る。希望を持つことだ。