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2012年08月15日 イイね!

敗戦記念日



1945年8月15日、日本はポツダム宣言を受諾し、無条件降伏に至りました。
しかし、実際には戦争はまだ終わっておらず





南樺太ではソ連軍が進軍し、北方領土を不法占拠

8月22日に三船殉難事件

等の横暴が続き
満州においては

8月13日に小山克事件
8月14日に葛根廟事件
8月22日に敦化事件
そして1946年2月3日には通化事件

が起きました。国内等においては





半島や台湾においては朝鮮人の反乱、そして日本国内では朝鮮進駐軍と名乗り、数多くの蛮行を行ってきました。

何かと言えば近隣諸国に配慮せよ等と言っている連中がいますが、こういう史実を、我々日本国民は学んだ事が有るのでしょうか。

支那、朝鮮、露西亜

日本国は常にこの3国によって蹂躙され続けております。そして民主党政権成立以降



尖閣諸島沖衝突事件



露西亜首脳部による北方領土への不法入国



韓国大統領の竹島への不法入国

この様な事が相次いでおります。これに対し、政府は

竹島関係閣僚会合、官房長官が制止 李大統領発言に外相は「聞いていない」


 67回目の終戦記念日を迎える15日、韓国の李(イ)明(ミョン)博(バク)大統領の島根県・竹島への上陸強行などを受け、東アジアの反日ムードは例年以上に高まりそうだ。だが、日本政府は及び腰姿勢が目立つ。李大統領は天皇陛下のご訪韓に「心からの謝罪」という条件を付けるなど挑発をエスカレートさせたが、日本政府は公式反応をしていない。政府内では10日の李大統領の竹島上陸を受け関係閣僚による協議が開催されようとしたところ政府首脳のブレーキにより中止されたことも明らかになった。

 玄葉光一郎外相は14日、李大統領が天皇陛下のご訪韓に条件を付けたことについて、記者団から問われると「報道は承知しているが、内容は一切聞いていない」と述べるにとどめた。政府筋は「真意をはかりかねている」といい、政府高官に至っては「誤報と聞いている」とまで言い切った。

 李大統領の竹島上陸を受けた10日も関係閣僚による会合準備が進められながら、「藤村修官房長官らが慎重姿勢を示した」(政府筋)ことから見送られた。結局、野田佳彦首相が同日夕の記者会見で「極めて遺憾で毅然と対応する」と抗議するにとどめた。

 玄葉氏が11日に表明した竹島領有権問題の国際司法裁判所(ICJ)提訴についても、首相と玄葉氏が会って対処方針を打ち合わせる予定だったが、首相が同日から「お盆休み」に入ったことを理由に電話協議に切り替えられた。

 いずれのケースも事を荒立てずに穏便に済ませようとの意識が働いたことが理由とみられる。

 韓国側は日本の朝鮮半島統治からの解放を記念する8月15日の光復節を前に「反日ナショナリズム」をむき出しにしている。韓国の与党セヌリ党報道官は12日、日本政府のICJ提訴方針を「盗人たけだけしい」とののしった。それでも日本政府は反応しなかった。

 沖縄県・尖閣諸島でも政府は及び腰だ。

 尖閣諸島の領有権を主張する香港や台湾の民間団体が同諸島への上陸を目指していることについて、首相は14日午後、公邸に米村敏朗内閣危機管理監を呼び、「緊張感を持って情報収集に努め、事態に応じて法令に基づき適切に対処するように」と指示。官邸に情報連絡室が設置された。

 しかし、首相は終日、公邸にこもったままだった。

産經新聞より

> 李大統領の竹島上陸を受けた10日も関係閣僚による会合準備が進められながら、「藤村修官房長官らが慎重姿勢を示した」(政府筋)ことから見送られた。

> いずれのケースも事を荒立てずに穏便に済ませようとの意識が働いたことが理由とみられる。

このように、何もしない所か

日韓の金融協力は維持 竹島上陸でも、政府方針

 政府は13日、これまでに韓国と合意した金融協力を変更せず、維持する方針を明らかにした。李明博大統領が島根県・竹島に上陸したことで日韓間の緊張が高まっているが、両国経済の相互依存が深まっていることを配慮し、国際的な合意を順守することが関係改善にも重要と判断した。

 日本と韓国は緊急時にドルなど外貨を融通し合う通貨交換(スワップ)協定の大幅拡充や、日本によるウォン建て韓国国債の購入で合意している。

 昨年10月に合意したスワップ協定では、韓国への資金支援枠は従来の5倍以上に増え、総額700億ドル(約5兆5千億円)とした。韓国経済の安定は日本の利益にもつながるためだ。

産經新聞より

むしろ通貨スワップは国益だとすら述べている位です。
よく言われるのは自民党政権時代も何もしなかったと言われますが、自民党政権時代にこの様な暴挙は起きたでしょうか。記憶にありません。

つまり敗戦以降、我々日本国民は領土問題に対し意識は希薄化し、それどころか2009年には売国奴に喜々として投票した位です。この様な事を言えば、すぐ

そんな事知らなかった

なんて言う方もいらっしゃいますが、政治に無知は通用しません。このままだと戦後70年目には

日本国自体が亡くなりかねない

これがもはや現実化しつつ有るんですよ。まぁこういう事を述べたらネトウヨなんて言う方もいらっしゃいますが。全ては敗戦から始まり、日本国民、日本人としての意識は希薄化、そして先の選挙によって選んだ売国奴政権。あの大戦で失った物も多々ありますが、敗戦以降、より多く、より大きな物をそれも日本国民自らの手で失おうとしている様にしか思えません。





多くの若者や男達が日本国を守りたい、家族を守りたい一心で出撃し、散っていきました。
英霊達は今、どんな思いをしながら日本国と日本国民の現状を見ているか解りかねます。

今日は8月15日、ご先祖様や英霊達を偲び、日本国はどう有るべきか、考えてみる時だと思います。
Posted at 2012/08/15 09:34:46 | コメント(5) | トラックバック(0) | 歴史関係 | 日記
2012年08月06日 イイね!

今一度、先人達から学びたいこと



冒頭にブータン国王の国会演説を掲載いたしました。
多くの方が感銘を受けたとおもいます。
これが民度の低い国や国民であれば、ブータンみたいなちっぽけな国とバカにしたことでしょう。
なぜ、これほどブータンは親日的であるのか。それはやはり先人達が長い年月をかけて築き上げた信頼に基づいているとおもいます。無論親日なのはブータンだけではなく





パラオ。パラオは単なる親日国家だけではなく、日本国に敬意を表しパラオ国旗も日章旗に近い物にしたくらいです。



何度もこちらでは取り上げていますがトルコ。トルコが親日である根底はこの動画にも出ていますが





エルトゥールル号遭難事故による日本国民(特に串本町民)の献身的な救助、介護が今にも続く日本とトルコの友情につながっています。





台湾。東日本大震災の際、まっさきに救援物資や多額の義援金を送っていただいたことは記憶に新しいものだと思います。
なぜ、台湾はこれ程までに親日なのか。これも何度も書きましたがその背景には



不毛の地を緑の土地に変え、暮らしを変えたり



日本兵や日本人の民度の高さ等、多々あるでしょう。
他にも



タイ




ポーランドや、ベトナム、多くの親日国が羨望と驚嘆、そして今回の様な震災の際には多くの国が支援してくれました。
なぜ、これ程までに面積的には小国である日本国がこれほどまで、世界から興味を持たれたり、愛されたりするのでしょうか。その根底には

民度の高さ

これに尽きるでしょう。
上の動画にも幾つかありますが、その民度の高さは今でも日本国民に宿っています。



この事故の事を覚えていらっしゃる方はいるでしょうか。事故による大停電が起きました。しかし、死亡者はたったの二名。もしこれが町中に墜落していたら大惨事になっていたことでしょう。実はこれと似たようなことが大東亜戦争中にもあったのです。



ご覧いただけたように今でも宿っています。
日本国民の民度の高さがあるからこそ、あの震災時でも冷静に行動し、世界中が驚嘆しました。
これが仮に民度の低い国だったらどうでしょう。暴動、略奪、治安の悪化等で、誰も支援などしなかったでしょう。

過去から学ぶことで前に進み、点と点が繋がり線になっていきます。その積み重ねが今でも根付いているのですから、今こそ蘇らせなければならないと思います。

久々ではありますが締めは麻生太郎第九二代内閣総理大臣の所信表明演説の一部引用で括らせていただきたいとおもいます。

一一八年になんなんとする、憲政の大河があります。新総理の任命を、憲法上の手続にのっとって続けてきた、統治の伝統があり、日本人の、苦難と幸福、哀しみと喜び、あたかもあざなえる縄の如き、連綿たる集積があるのであります。
 その末端に連なる今この時、わたしは、担わんとする責任の重さに、うたた厳粛たらざるを得ません。
 この言葉よ、届けと念じます。ともすれば、元気を失いがちなお年寄り、若者、いや全国民の皆さん方のもとに。
 申し上げます。日本は、強くあらねばなりません。強い日本とは、難局に臨んで動じず、むしろこれを好機として、一層の飛躍を成し遂げる国であります。
 日本は、明るくなければなりません。幕末、我が国を訪れた外国人という外国人が、驚嘆とともに書きつけた記録の数々を通じて、わたしども日本人とは、決して豊かでないにもかかわらず、実によく笑い、微笑む国民だったことを知っています。この性質は、今に脈々受け継がれているはずであります。蘇らせなくてはなりません。
 日本国と日本国民の行く末に、平和と安全を。人々の暮らしに、落ち着きと希望を。そして子どもたちの未来に、夢を。

 わたしは、悲観しません。
 わたしは、日本と日本人の底力に、一点の疑問も抱いたことがありません。時代は、内外の政治と経済において、その変化に奔流の勢いを呈するが如くであります。しかし、わたしは、変化を乗り切って大きく脱皮する日本人の力を、どこまでも信じて疑いません。

 不満とは、行動のバネになる。不安とは、人をしてうつむかせ、立ちすくませる。実に忌むべきは、不安であります。国民の暮らしから不安を取り除き、強く、明るい日本を、再び我が物としなくてはなりません。
Posted at 2012/08/06 09:18:14 | コメント(5) | トラックバック(0) | 歴史関係 | 日記
2011年09月07日 イイね!

忘れてはならない2010年9月7日の出来事















2010年9月7日、日本を震撼させる出来事が起きました

尖閣諸島沖工作船追突事件

支那の工作船が海上保安庁の船に追突してくるという暴挙を行いました。
当時の民主党政権の対応は



支那の圧力で釈放し



一色正春氏を送検
そしてその民主党政権は



APECでの首脳会談ではメモ書きを読みながらの会談(日本の地位を下げる行動)



支那人は一旦沖縄に入れば何度でも入国できるシステムを作り上げ(事実上の沖縄ビジョンの実行)



日本の一等地の一部を支那に売り飛ばし(支那では外国籍の人間は土地の購入ができない規制されている)

そして

中国人個人観光ビザ発給要件緩和
平成23年8月10日

外務省は,9月1日(木曜日)より「中国人個人観光ビザ」について,更なる緩和を実施することとしました。これは,2010年7月から行ってきた1年間の試行期間の運用状況を踏まえて決定したものです。
今般の緩和で,これまでの発給要件の「一定の職業上の地位及び経済力を有する者」から「一定の職業上の地位」を除き,「一定の経済力を有する者」とし,また,滞在期間をこれまでの15日から30日まで延ばすこととしました。
今般の緩和によって,中国個人観光客がさらに増加し日中間の人的交流が一層拡大することが期待されます。

外務省HPより

此の様な事をしておきながら、支那は

中国軍機、中間線越え 海自の情報収集妨害か

 中国空軍の戦闘機が8月中旬、東シナ海の日中中間線を越え、海上自衛隊の情報収集機を追尾していたことが6日、分かった。中間線より日本側で戦闘機による威嚇が明らかになったのは初めて。昨年9月の沖縄・尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件以降、日本領空に接近する中国機は急増しており、第1列島線(九州-台湾-フィリピン)の制海・制空権確保に向け、空軍の戦闘力強化も本格化させたとみられる。

 中国戦闘機が海自機を追尾するのが確認されたのは8月17日頃。中間線付近の上空を南下していた海自の電子偵察機EP3と画像データ収集機OP3をマークしてきた。

 戦闘機は日本の防空識別圏に侵入した上、中間線も越えてきた。南下を続ければ尖閣諸島に近づく恐れもあり、航空自衛隊が那覇基地のF15戦闘機を緊急発進(スクランブル)させると中国方面に戻った。戦闘機は、Su27かSu30という。

 海自は東シナ海で艦船を警戒監視するためP3C哨戒機を1日1回飛行させている。EP3とOP3の飛行は週に数回で、P3Cより高い高度から中国軍の動向の情報収集にあたらせており、中国側には情報収集活動を妨害する意図があった可能性が高い。

 防衛省によると、昨年4~9月に中国機が日本領空に接近したのは24回だったが、漁船衝突事件後の10月~今年3月の半年間は72件と3倍に急増。4~6月の3カ月間も27件で、前年同期の9件の3倍というハイペースが続いている。

 今年に入り中国軍機が防空識別圏を越え、中間線付近まで侵入してくるケースも目立つ。昨年は3月にY8の早期警戒機型1機が中間線付近まで進出しただけだったが、今年3月に、情報収集機型など2機が中間線を越えて、尖閣諸島周辺の日本領空約50キロまで接近。7月にも2回、情報収集機型が中間線を越えている。

 防衛省は、誘導する地上レーダーの能力向上で中国空軍が戦闘機などをより遠方に展開させることが可能になったと分析。ガス田など海洋権益もからむ中間線をめぐる主権問題で攻勢を強める予兆ではないかとの警戒感も強い。次のステップとして、同空軍が南シナ海で行っている戦闘機への空中給油訓練を東シナ海でも実施するとの見方もある。

産経新聞より

妥協すればするほどつけあがる中共支那。
この状態を

属国化

と言わずしてなんというべきか。

中共支那は日本は支那の一部としか見ていないんですよ。最早沖縄のみならず。
しかも、領空侵犯をしておきながら日本政府は抗議すらしない、それどころか

野田首相、10月前半の訪中検討 関係修復図る

 野田佳彦首相は7日、10月前半にも中国を訪問する方向で検討に入った。昨年9月の中国漁船衝突事件以来、ぎくしゃくしている日中関係を早期に修復するのが狙いで、胡錦濤国家主席や温家宝首相らと会談し、戦略的互恵関係の深化を確認したい考えだ。

 ただ、中国側には首相の歴史認識に警戒感があるほか、他の政治日程も固まっておらず流動的な要素も残っている。

 藤村修官房長官は7日午後の記者会見で、首相が9月下旬にニューヨークで開かれる国連総会に出席することを指摘し「物理的に9月中に訪中は難しい」と述べた。

47Newsより

支那と関係修復?首脳会談?戦略的互恵関係の深化?

支那との関係修復より断交を行うべきであり、支那との戦略的互恵関係等ありえません。

しかも未だに此の様な国にODAをばらまくなんてどういう了見なのか?

他国はというと

スウェーデンが対中ODA廃止
「他に必要とする国が」 英豪でも動き

 世界2位の経済大国になった中国への政府開発援助(ODA)を廃止する国が相次いでいる。スウェーデンはこのほどODAの提供先を現在の70国から33国に絞り込み、中国やベトナムを外す方針を打ち出した。ODAの予算規模は維持しながら、より援助を必要としているアフリカ諸国などへの援助額を積み増す。英国とオーストラリアも同様の動きを見せている。

 スウェーデンのカールソン開発協力担当相が8月末に最大の日刊紙ダーゲンス・ニュヘテルに明らかにした。「歳出削減のためではない。一部の国に集中的に配分したい」と語った。

 英国は今年から4千万ポンド(約49億5千万円)の対中ODAを廃止した。豪州のラッド外相も20カ国・地域(G20)メンバーとなった中国とインドへのODAを廃止する考えを明らかにした。同国の対中ODAは年間3500万豪ドル(約28億3千万円)だった。

 米国では8月、ウェッブ上院東アジア・太平洋小委員長ら超党派の議員団が対中援助打ち切りを求める書簡を上院歳出委員会に提出した。「3兆ドル(約230兆円)以上の外貨準備を持つ中国は、米国の援助なしで十分にやっていける」と指摘した。米国の2009年の対中援助は6500万ドルだった。

 日本政府は12年度の対中ODAを前年度比で実質7.6%減らし、42億5千万円とする方向で調整している。

日本経済新聞より

これが現実なんですよ。このままではいつ六星紅旗や



義勇軍行進曲が日本の国歌になるかわかりません。
未だに野田政権に期待を抱いている人達に申し上げたい

早急に目覚めよ!

そんなに日本を貶めたい反日政権を支持したいのであれば

早急に日本国から立ち去るべき!

このままでは本当に今のようなそれなりに安定した生活やカーライフ等

ありえなくなります
Posted at 2011/09/07 19:06:10 | コメント(9) | トラックバック(2) | 歴史関係 | 日記
2011年08月15日 イイね!

敗戦、復興、再びの国難、そして再興へ



1945年8月15日、大日本帝国の敗戦となりました。
多くの大都市では絨毯爆撃による火災で焼け野原となり、広島、長崎においては原爆投下により多くの市民が原爆症に苦しめられました。

しかし、日本国民は天皇陛下のこの言葉を心に刻み復興を誓ってきました

原文
> 惟フニ今後帝国ノ受クヘキ困難ハ固ヨリ尋常ニアラス爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル 然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所耐ヘ難キヲ耐ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス

>  朕ハ茲ニ国体ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事端ヲ滋クシ或ハ同胞排擠互ニ時局ヲ乱リ為ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム 宜シク挙国一家子孫相伝ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ国体ノ精華ヲ発揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ爾臣民其レ克く朕カ意ヲ体セヨ

読み下し文
> おもうに今後、帝国の受くべき苦難は、もとより尋常にあらず。汝臣民の衷情も、朕よくこれを知る。しかれども、朕は時運のおもむくところ、堪えがたきを堪え、忍びがたきを忍び、もって万世のために太平を開かんと欲す。

>  朕はここに、国体を護持しえて、忠良なる汝臣民の赤誠に信倚(しんい)し、常に汝臣民と共にあり、もしそれ情の激するところ、みだりに事端をしげくし、あるいは同胞排擠(はいせい)、互いに時局を乱り、ために大道を誤り、信義を世界に失うがごときは、朕もっともこれを戒む。よろしく挙国一家、子孫、相伝え、よく神州の不滅を信じ、任重くして道遠きをおもい、総力を将来の建設に傾け、道義を篤(あつ)くし、志操を固くし、誓って国体の精華を発揚し、世界の進運におくれざらんことを期すべし。汝臣民、それよく朕が意を体せよ。

現代語訳
> 汝ら臣民の真情も、余はそれをよく知っている。しかし、ここは時勢のおもむくところに従い、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び、それをもって万国の未来、子々孫々のために、太平の世への一歩を踏み出したいと思う。

> 余はここに、国家国体を護り維持しえて、忠実にして善良なる汝ら臣民の真実とまごころを信頼し、常に汝ら臣民とともにある。もし、事態にさからって激情のおもむくまま事件を頻発させ、あるいは同胞同志で排斥しあい、互いに情勢を悪化させ、そのために天下の大道を踏みあやまり、世界の信義を失うがごとき事態は、余のもっとも戒めるところである。

> そのことを、国をあげて、各家庭でも子孫に語り伝え、神国日本の不滅を信じ、任務は重く道は遠いということを思い、持てる力のすべてを未来への建設に傾け、道義を重んじて、志操を堅固に保ち、誓って国体の精髄と美質を発揮し、世界の進む道におくれを取らぬよう心がけよ。汝ら臣民、以上のことを余が意志として体せよ。

あえて今年は、皆様にもわかりやすくしたいがため原文のみならず、読み下し文と現代語訳もつけました。

全文はこちらのサイトをご覧ください

あの大戦からどうなったのでしょうか。
ここは自動車の歴史とともに歩んでみたいと思います。

当時は物資も乏しく、復興の兆しもなかなか見えてこない中でした。そういう中、日本国民は必死に復興のために尽くしたのは言う間でもありません。

戦後当時は



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オート三輪や



日野 ルノー 4CVの様な海外メーカーのノックダウンしかなく
東京も



空襲の傷跡、GHQの統治が始まったり等でまだまだ復興の見通しは立ちませんでした。

1954年第一回東京モーターショーが日比谷で実施され
1955年には…





戦後初の純国産車トヨペット クラウンが販売されましたが、まだまだ日本国民にとっては高嶺の花、軽自動車もまだまださほど無い時代でしたので主流はオート三輪がメインだったと言えましょう。
代表的なのはこちら



やはりダイハツミゼットでしょう。しかし、この時点では国産自動車の可能性は見えてきたもののやはりまだまだ入手はまだまだ先という感じがしたと思います。

1958年3月



てんとう虫の愛称でしられるスバル360が発売。
その二年後に



マツダ R360 クーペが発売。
軽自動車が一般大衆に広まりつつあるなか、乗用車メーカーも攻勢をかけてきます

1961年には



CMは1964年版ですが、トヨタ パブリカが発売

1964年には東京オリンピックにより景気が上向きます



しかしちょっと考えてみてください。戦後から約19年でオリンピックが開催できるとは誰が思ったでしょうか。
ちなみに1960年の東京はこんな感じでした



そして時代は高度経済成長期に突入します

1965年には





トヨタスポーツ800

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ホンダ S600

1966年には



トヨタカローラと日産サニー(残念ながら映像が見つかりませんでした)が発売され普通車の普及も広まりつつあります。

ここまでわずか21年です
この後も色々なエポックメイキングな車が発売されます



ホンダN360



マツダ コスモスポーツ

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日産 スカイラインGT-R (通称:ハコスカ)

そして、日本メーカーは世界に打って出ます。

1969年に



日産フェアレディZでアメリカに勝負をかけ

1972年(CMは1977年ですが)



ホンダ シビックCVCCで当時最も厳しいと言われたマスキー法をクリアし、世界を驚かせます。

ちなみに60年代末、70年代の東京はと申しますと





と言う感じです。

1980年代に入ると色々な魅力的な車をだし、世界的評価を高めました



ダイハツシャレードディーゼルターボ



マツダ ファミリア



ホンダ シティ



ホンダ CR-X



いすゞ ジェミニ



いすゞ ピアッツァ等、色々な車がでており、本当にあの戦争があったのかと言うくらいのレベルに達します。

またバブル経済も絶頂でした。



そして90年代にバブル経済は崩壊
しかし、そういう中、1996年、三菱が現在使われているガソリン車の基礎を世界初の実用化をします

GDI = Gasoline Direct Injection

ガソリン直噴エンジンが発売されました



ギャラン GDI
現在発売されている直噴ガソリンエンジンの礎とも言える車が発売され、今日にも生かされております。

そして1997年、日本は再び世界を驚かせます



トヨタ プリウス発売
この車で日本は技術の高さを再度アピールします

2003年



ロータリエンジン搭載の4ドアスポーツカー、RX-8の発売

2007年



日産GT-Rでピュアスポーツでも世界でも勝負が出来る事を証明し

2010年



三菱i-MiEVで量産型新世代電気自動車で世界に打って出ました。

そして2011年



既存の技術でもまだまだ開発の余地がある事を証明しその第一弾として



ハイブリッドだけがエコカーではない事、加給に頼らずとも、ガソリンで低燃費な車が作れる事を証明しました。

とかく、日本は駄目だとかという意見ばかりが目立ちますが、政治、一部の財界が駄目なだけであって、日本全体が駄目なのではありません。

現在に置いても終結の勅書の末文の精神は生きているのです。



天皇陛下と日本国民は常に共に歩み続けております。
そしてこの震災で日本国民は世界中にその民度の高さを証明しました。
日本国民はあの敗戦を乗り越え、見事復興しました。

2009年夏、日本国民の大半は民主党を選び、未曾有の国難に陥り、そして更に今回の震災、原発事故で最悪の事態に陥っております。

しかし、歴史が証明してきたように日本国民は幾度の困難を乗り越え、それを糧にし、むしろ飛躍のバネにしてきました。

その強みは何か?自ら日本国民の手で今日まで困難や試練を乗り越えてきたことです。

日本には底力があります。その底力は一部の財界、そして民主党の手によって封印されようとしています。今一度、その封印を解き放ち、世界を震撼させる事が出来るのは間違いなく日本国民の手のみです。

自動車だけですら、これだけのものがあるのですから、日本には再興要素はいくらでもあるのです。再興するには

現実を直視する勇気、現状を打破する勇気、そして希望

この3点があれば必ずや再興できます。戦後66年目の未曾有の危機は必ずや脱却できると信じております。



締めはこの二つの文章でくくりたいと思います

どんな夜にもかならず朝が来る 残された俺たちがこれからの未来を精一杯生きる。それが彼らに贈るできる限りの手向けだと思う

生きる者全てに春は来る。希望を持つことだ。
Posted at 2011/08/15 03:21:43 | コメント(3) | トラックバック(0) | 歴史関係 | 日記
2011年08月06日 イイね!

忘れてはいけない1945年8月6日8時15分

この記事は、1945年 8月6日 8時15分について書いています。



あの、大東亜戦争末期の夏、広島にある爆弾が投下されました

ウラン型原子力爆弾

その直後、広島はどうなったかはご存知かと思います。



ご覧のように更地となり、大量の放射能汚染、原爆病患者、もはや復興等不可能とすら思えたはずです。

しかし、現在の広島をご覧ください



これが、更地となった広島と思えるでしょうか。
また、広島と言えば車好きならば東洋コルク工業、東洋工業事マツダの存在を忘れてはなりません



オート三輪から始まり



R360クーペで自動車作りに参入し



誰もが不可能と思えたロータリエンジンを実用化させ、世界に殴り込みをかけ



ファミリアで世界から高い評価を受け



1991年、ルマン24時間耐久レースにて日本メーカー初、そしてロータリーエンジンで世界の頂点に立ちました。

そして…



ロードスターでオープンスポーツカー販売でギネスブックに登録され



RX-8で4ドアロータリースポーツカー、観音開きの扉で世界を驚嘆させ


そして、マツダは新たな技術で世界に打って出ようとしています。
これがあの廃墟と思われた広島から作られた車メーカーでしょうか。

車だけではありません。



広島カープは戦後、多くの広島県民に元気を与えてきました。

何を申し上げたいかと言いますと

東北地方も必ず復興できる

現在、日本国は史上最悪の政権の配下ではあります。しかし、政権とは別に地元の方は復興を信じて、日々活動を続けております。

この未曾有の危機からたちあがれる力を持っているのは日本国民だけであり、日本国民の英知を集めれば必ずや広島のように不死鳥の如くよみがえらせる事は可能です。

日本国民を動かせるのは最終的にはメディアでもなければ、政治家でもありません。

我々、日本国民次第なのです。

希望を捨てず、前に向かって行きましょう。
必ず活路が見えてくるはずです。

日本人の最大の強みでもあり、世界が畏怖するもの、それは他でもない

団結力

なのですから。
Posted at 2011/08/06 03:46:22 | コメント(12) | トラックバック(0) | 歴史関係 | 日記

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2011/01/27 18:09:57
 

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マツダ キャロル マツダ キャロル
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