子ども手当と高校無償化 居住地重視で問題広がる
16日に衆院を通過した子ども手当法案と高校授業料無償化法案は、国会審議での議論が深まらず、問題点が置き去りにされている。民主党が衆院選マニフェスト(政権公約)に掲げた目玉政策であるため、実績作りを焦る政府・民主党が成立を急ぐあまり、おざなりの議論で済ませがちだからだ。両法案は、国籍よりも住居地で支給対象を区別するなど、「国家」という概念に対する鳩山政権の本質的な問題点も浮き彫りにしており、参院ではさらに徹底した議論が必要だ。
王族の子供にも
「日本で知的労働に就いているアラブの王様あたりが、『向こう(母国)に子供が50人いる』となると、50人が(子ども手当支給の)対象となるんですね」
5日の衆院厚生労働委員会。自民党の田村憲久氏がこう詰め寄ると、長妻昭厚労相は否定しなかった。
同法案によれば、おおむね1年以上在留する外国人の親が、外国人登録をしていれば原則的に手当が支給される。母国に子供を残す外国人も多額の子ども手当を受け取れる。
「外国に子供がこれだけいますよといわれても、調べようがない」
自民党の谷垣禎一総裁が強調するように、母国に本当に養育する子供がいるか確認するのも困難だ。支給事務を担当する自治体側には「たとえ外国語の証明書に翻訳が付いていたとしても、正しいかどうか分からない」との懸念が広がる。書類を偽造する犯罪集団が出てくる可能性もある。
満額で月2万6千円の支給額も「選挙対策で金額ありきで設定された」(民主党ベテラン議員)ため、平成23年度以降に必要な年5.3兆円の安定財源も見つかっていない。
一方、日本人の親が仕事で海外にいて、子供が日本国内の学校に通う場合は手当は支給されない。
これらの問題点について、政府側は「23年度以降の手当の全額支給に合わせて検討する」として、議論を先送りする方針だ。
朝鮮学校先送り
高校授業料無償化法案には施行3年後の見直しなどの付則がつけられたが、それは法案が制度設計も審議も不十分で生煮えだったことの裏返しだ。自公政権が19年に教育3法を改正した際には、中央教育審議会で約30時間もの審議を積み重ねたが、今回は中教審も経ていない。
民主党のマニフェストは無償化の意義について「家庭の状況にかかわらず、すべての意志ある高校生が安心して勉学に打ち込める社会をつくる」と記す。だがすでに授業料が免除されている約20万の低所得世帯は、特定扶養控除が縮減される分、家計負担が増えるという矛盾もある。
また、就学支援金の支給対象が「日本国内に住所を有する者」となっており、在住外国人にも支給する点は世界的にも異例。その一方で、外国の在外教育施設に通う日本人高校生に支援はなく本末転倒といえる。
「国民」「国籍」という概念が軽んじられており、ある文科省職員は「(民主党が野党時代に国会提出した)日本国教育基本法案は『何人(なんびと)』にも学ぶ権利を保障するよう求めていると、政務三役から再三、指導された」と打ち明ける。
金日成、金正日父子への個人崇拝教育を行う朝鮮学校への支給の是非は第三者機関で客観的基準を作る方針が打ち出され、最終的な結論は先送りとなった。
「出すにしろ出さないにしろ批判が起こる。支持率が数ポイント下がりかねず、参院選が終わるまで結論は出ないのではないか」
政府関係者からは、こんな見方も飛び出している。
産経新聞より
海外に住んでいる日本人には配られず、国内に住んでおきながら子どもは海外にいても人数分(一人だろうが百人だろうが)払う、そして挙句の果てには差別是正という名のもとに反日テロ養成校でもある朝鮮学校にまでばらまく…
こんなことがゆるされて良いものでしょうか。
ここである事件を書きます
女子高生コンクリ詰め殺人事件
少年の名前をここでは分かりやすいように、A、B、C、D、E、F、Gとした。
主犯格の無職のA(当時18歳)は東京都足立区綾瀬に両親と妹の4人で住んでいたが、父親は証券会社の仕事が忙しく、母親もピアノ教師として多忙であったため、Aは両親の愛に恵まれずに育った。また、両親は家庭内離婚の状態にあった。
Aは幼い頃から気性の激しい子だったが、中学では柔道をやっていて、それによって推薦で都内の私立大学付属高に進んだ。だが、Aは強すぎたために先輩のイジメに遭った。そのうっぷん晴らしにAは街でツッパリやオヤジを殴り、家では母親に全身打撲になるほど殴る蹴るの暴行を加えた。こうして家庭は崩壊し、Aは1年の3学期に退学した。その後、タイル工として働きながら、暴走族にも入っていた。小遣い稼ぎにひったくりなどをやっているうちに、シンナー常習者になり、ヤグザとも付き合うようになった。
サブ・リーダーの少年B(当時17歳)は小学3年のとき、両親が離婚しており、母親は水商売で働き、Bをほったらかしにしていた。中学ではAの1年後輩。私立高に進んだが、1年の2学期に退学。その後、定時制高に2ヶ月ほど通い、配線工などの職を転々とする。姉が1人いる。
事件の舞台になった少年C(当時16歳)の家も、診療所の事務長をしている父親と同じ診療所の看護婦の母親の夫婦仲が悪く、イザコザが絶えなかった。中学ではAの2年後輩。工業高校に進学するも1年で中退。その後、定職につかずブラブラしていた。兄が1人いる。
看護婦・・・保健婦助産婦看護婦の一部を改正する法律(改正保助看法)が2001年(平成13年)12月6日に成立、12月12日に公布、翌2002年(平成14年)3月1日に施行された。これにより、保健婦・士が「保健師」に、助産婦が「助産師」に、看護婦・士が「看護師」に、准看護婦・士が「准看護師」となり、男女で異なっていた名称が統一された。
少年D(当時17歳)は5歳のとき、両親が離婚しており、母親は美容師だったが、多忙でDにかまう暇がなかった。父親はのちに交通事故死する。中学ではAの1年後輩。工業高校に進学するが、すぐに退学した。その後、職を転々とした。姉が1人いる。
Aにはカリスマ性があったから、暴力団の青年部のような組織「極青会」を作り、リーダーとして飲食店などに花を売りつけるなどの行為をしていた。B、C、Dとは強い繋がりがあった。
AはCの兄のバイクを盗んだ犯人探しを手伝ううちにCの自宅に出入りするようになり、さらにAはDの姉と交際するようになったので、DはAの子分のようになっていた。
少年たちの親は、子どもを恐れており、無軌道な行動に対し叱責できずにいた。4人は毎晩のように、Cの自宅の2階をたまり場にして集まり、Aの新車シルビアで “女狩り” やひったくりのドライブに出かけていた。
1988年(昭和63年)11月8日、A、B、Cの3人が足立区内で自転車で帰宅中の女性(当時19歳)に声をかけ、3人で輪姦した。このときはAが運転するシルビアにB、Cが乗り込み、ドライブの誘いに応じないとみるや車を横づけにして行く手をはばみ、Bが自転車の鍵を奪って嫌がる女性を車に乗せた。逃げられないように常磐高速道路に入り、「少年院を出てきたばかりだ」「大洗(おおあらい)に行こう。大洗の海は寒いし、波が高いぞ」などと脅し、観念させてホテルに連れ込んだのだった。
11月25日午後6時ころ、AはCの自宅に行き、Cに対して、「今日は給料日だから金を持っているやつが多い。ひったくりに行こう」と誘った。Cは友達からバイクを借りて、2人で出かけ、ひったくりをした。
午後8時過ぎ、埼玉県三郷(みさと)市内をバイクで走行中、アルバイト先から自転車に乗って帰宅する途中だった県立八潮(やしお)南高校3年生の古田順子(17歳)を見かけると、AはCに対し、「あの女、蹴れ。あとはうまくやるから」と命じ、Cは言われた通りに、バイクで順子に近づき、左足で右腰を思いっきり蹴って、角を曲がって様子をみていた。
順子はバランスを失い、自転車に乗ったまま転倒、側溝に落ちた。そこへ、Aが近づき「大丈夫ですか」と声をかけ、助け起こすと「あいつは気違いだ。俺も脅された。危ないから送っていってやるよ」と言って、近くにある倉庫の暗がりで「俺はヤクザの幹部だ。お前はヤクザから狙われている。セックスさせれば許してやる」と脅し、ホテルに連れ込んで強姦した。
午後10時ころ、Aは自宅に戻っていたCに電話をかけると、そこにはBの他にDがいたが、Aはこの3人を外に呼び出した。その後、4人の少年たちは東京都足立区綾瀬のCの自宅の2階のたまり場に順子を連れ込んだ。
この日、Cの父親は3日間の社員旅行で沖縄に出掛けたため、自宅には母親とCのひとつ上の兄がいた。
11月28日、Aは「いいモノを見せてやる」と言って、呼び出されたE(当時17歳)とF(当時16歳)が加わって、家人が寝静まった深夜に順子を輪姦した。順子は必死の思いで抵抗した。階下の母親は目を覚ましたようであったが、寝具などで顔面を押さえつけられたため、叫び声を上げることはできなかった。さらに、陰毛の一部をカミソリで剃られ、さまざまな異物を性器に押し込まれるなどの虐待も受けた。
11月30日午後9時ころ、Cの母親は、このとき初めて順子の顔を見ている。Cに対し「早く帰しなさい」と言った。だが、1週間経っても順子がいることに気づき、直接、順子に「すぐに帰りなさい」とは言ってみるもののなかなか帰ってくれなかった。
また、この頃、順子に自宅へ電話をかけさせ「家出しているのだから、私の捜索願いは取り消して欲しい」と言わせている。それも、一度きりでなく、5日ごとに3回に渡って電話をかけさせており、順子の親は家出だと思っていたという。
その後、昼夜の別なく、順子の体を弄び、そのあまりの暴行に、順子が気を失うと、バケツの水に頭を漬けて気を取り戻させて、また犯すということを繰り返していた。その間、交代で見張りを続けた。
12月初めの午後4時ころ、、順子は少年たちが夜遊びで昼寝をしていた隙を見て、2階から1階の居間に降りてきて110番に電話した。だが、運悪く、近くで寝ていたAに気づかれてしまった。すぐに逆探知で警察からかかってきた電話に、Aが出て「なんでもない。間違いです」と返事した。
AとBは、このことをきっかけとして、順子に対し、手荒いリンチを加えた。殴ったり、蹴ったり、手足の甲にライターの火を押し付けたりして火傷を負わせた。また、シンナーを吸わせたり、ウィスキーや焼酎を飲ませて楽しんでいた。
Aは武田鉄矢の『声援』という歌に「がんばれ、がんばれ」という歌詞があって、いじめているときにそれを歌いながら順子に対し「お前も歌え」と言って歌わせた。自分たちが何もしていないときにも順子は小さな声で「がんばれ、がんばれ」と自分に言い聞かせているときがあった。
12月5日、東京の東中野駅構内で、電車の追突事故が起きた。Aは順子に「あの電車にお前の父親、乗っかっていて、死んだってテレビでやってた。お前見たか」とからかった。順子は不安そうな表情を見せると「どんな気分だい」と訊き、「悲しいです」と答えると「実はウソだよ」と言ってはぐらかした。こんな調子でAとB、Cの3人は「死んだ」「生きている」を何度も繰り返し、心理的に順子を追い詰めていった。
東中野駅構内での電車追突事故・・・1988年(昭和63年)12月5日午前9時37分ころ、東京のJR総武線各駅停車、東中野駅で下り電車同士が追突する事故があった。後続電車の運転士と、乗客1人が死亡、十数人が重軽傷を負い、電車も前後18両(10両編成×2本のうち)が損傷する事故だった。
12月10日ころ、順子は「家に帰りたい」と言い始めた。すると、Aが「家に帰ったら母親に何て言うんだよ」と言うと、順子は「今まで新宿で遊んでいました」と答えた。それに対し、Aは「新宿で、学生服のままそんなに長く遊んでいられるかよ」と言って、殴ったり蹴ったりの暴行を加えた。さらに、火傷の跡にライターのジッポオイルをかけ火をつけた。熱がって火を消そうとするのが面白いと何度も繰り返した。
12月中旬、小便で布団が濡れたことを理由にBとCが殴った。果てしなく続く殴打によって順子の顔面が無惨に腫れあがり、凸凹のない別人の顔になった。
「なんだお前、でけえ顔になったなあ」
誰かが言うと、また笑い声がした。
暴行がエスカレートするのにともない、順子に与えられる食べ物もおざなりになっていった。それは主にCの兄のG(当時17歳)の役目であったが、監禁当初は出前を取ることもあったのに、12月末には、1日に牛乳を1本、たまにパン1枚与える程度になっていった。トイレにも行かせず、飲料用紙コップに排尿させられるようになり、その尿を飲まされたりした。
順子は「なんでもするから家に帰して」と必死に哀願するが、全裸で踊らされたり、自慰を強要され、さらに、直径3センチの鉄棒や「オロナミンC」のビンを陰部に挿入させられた。
Cの両親は異常な気配に気づいていた。両親はそれ以上追及すると、開き直られるのを恐れて、2階の物音には耳を塞いでいた。
順子はリンチによる足の火傷が化膿して動けなくなった。全身は衰弱し、悪臭もひどくなった。Aはその臭いが嫌だと言って、寄りつかなくなった。
少年たちはそんな状態になった順子を見て、持て余すようになっていた。だが、解放すると警察に知らされる。いっそのこと、死んでくれればと願うようになる。
順子がいないところで次のような会話が交わされている。
「女は殺して埋めるのかな?」「殺すならミンチがいいですよ」「ドラム缶に入れて焼けばいい」「コンクリート詰めにして海に棄てればバレない」「自殺に見せかけて殺しますか? 富士の樹海で首吊りでもさせますか?」
お笑い半分、冗談半分、面白半分、暇つぶし、といった感じであった。
1989年(昭和64年)1月4日、監禁から41日目のこの日、午前6時半ころ、Aは徹夜マージャンで10万円ほど負けムシャクチャしていた。その腹いせとしてAは順子をその対象にした。
B、C、Dの3人は順子の火傷の臭いを嫌ってDの自宅でファミコンをしていた。AはDの自宅に立ち寄り、3人を誘って、Cの自宅の2階に上がった。
小泉今日子の『なんてったってアイドル』という歌のリズムに合わせて、順子は3人に次々と殴られて、鼻や口から血を流し、血だらけの状態になった。
ロウソクに火がつけられ、順子の顔にそのロウを垂らし、顔はロウだらけになった。
Dは自分の手に血がつくのを嫌がり、Aがシンナーを吸ったビニール袋を手に巻き、順子の肩や足にパンチを浴びせた。やがて、順子は身体を硬直し、ブルブルと痙攣し始めた。
Aは1.7キロもある鉄球付きの鉄棒を持ち出すと、Dは順子の腹に落とした。Aが暴力を振るうと、今度はB、C、Dが「ウケ」を狙って、面白半分に暴力をエスカレートさせた。Aはリンチの途中で順子の死を意識した。
午前10時ころ、リンチが終わった。Aは順子が逃げないように足をガムテープでぐるぐる巻きにすると、4人はサウナに出掛けた。
翌5日朝、死体の処理に困った少年たちは、死体を毛布に包み、旅行鞄に入れて車に乗せ、近くの工場から盗んだドラム缶に鞄ごと入れてセメントを流し込んだ。セメントは、Aが以前、タイル工として働いていた店に電話をかけて、セメントと砂利を調達して作ったものだった。
Aはこのとき、当時人気のあった長渕剛主演のテレビドラマ『とんぼ』(TBS系列/金曜日21時~21時54分 /1988年10月7日~11月25日)の最終回のビデオを探した。それは、順子が拉致された日、『とんぼ』の最終回を楽しみにしていて、アルバイト先から家路に急いだが、その後、監禁されたために最終回は見ることができずに、そのくやしい思いを何度か口にしたからで、そのビデオも一緒に入れようと思ったからだった。女子高生や遺族にとって何の救いにもならないことだが、Aが見せた唯一の人間らしい一面だった。だが、このことについてAはのちに「可哀相というよりは呪われたくなくて・・・」と話している。
午前8時ころ、ドラム缶を海に投棄しようと江東区若洲15号地若洲海浜公園整備工場現場空き地まで車を走らせたが、恐くなってしまい、その空き地にドラム缶を投げ出して帰ってしまった。
無限回廊様より引用
犯人たちの素性と現在
・宮野裕史(38)現在は養子縁組により横山裕史 主犯
昭和45年4月30日生まれ、身長160センチ
東京都葛飾区において、証券会社社員の父 宮野良規、ピアノ教師をする母 静江の長男として生まれる。一家には他に妹がいる。幼少期から粗暴さを示す。後に裕史の家庭内暴力により夫婦は離婚。
足立区立綾瀬小学校、東綾瀬中学校を経て、私立東海大学高輪台高校に入学し、柔道部に所属したが、1年生の3学期で中退。
その後昭和62年3月上旬から昭和63年8月下旬まで、同区内の有限会社中村タイルで、タイル工として勤務。
同年8月下旬から平成元年1月下旬まで、同区内の
暴力団極東組関口一家桜誠会幹部豊田倖一営業の生花店「フラワーフレンド」でバイトしていた。この当時、地元の不良を集め極東会の傘下組織「極青会」を組織。
平成19年2月千葉刑務所仮出所、東大阪市において2ヵ月半の保護観察。
その後、小山市に転居、日研総業の派遣社員。
平成19年5月新座市
平成19年9月から埼玉県川口市蓮沼298 栄ハイツ201に居住
(有)宮内解体工業所勤務(川口市大字芝5374-24)
・神作譲(36)旧姓は小倉 準主犯格
昭和46年5月11日、東京都足立区内において、父小倉彰、母悦子の長男として生まれ、
両親が別居したため、姉と一緒に母に育てられ、足立区立東加平小学校、足立区立東綾瀬中学校を経て、
私立修徳高校に入学したが、1年生の二学期で中退し、その後居酒屋店員、運転助手、配線工等職を転々とし、
昭和63年秋頃から、平成元年1月下旬まで、同区内の暴力団極東組関口一家桜誠会幹部豊田倖一営業の生花店「フラワーフレンド」で、アルバイトをしていた。
刑期終了後、現在、別の監禁傷害で服役中
・湊伸治 監禁場所となった民家一室の提供者
昭和47年12月16日生まれ
平成18年秋まで京都市伏見区向島二ノ丸町向島住宅に両親の湊靖人、ます子(ともに日本共産党員)と同居。
その後リヒテンシュタイン国籍の女性と婚姻し、大阪に新居を構える。寝屋川市、羽曳野市と移りながら介護の資格を取得。寝屋川の「トーカイ21」にしばらく勤務。
平成19年秋ごろ、茨城県龍ヶ崎市のパチンコ屋に勤務との情報
・渡邊恭史(36)
昭和46年12月18日、東京都練馬区において、父渡邊一弘、母ヤスの長男として生まれ、
5歳のとき両親が離婚し、以後美容師の母に育てられ、足立区立東加平小学校、足立区立東綾瀬中学校を経て、都立本所工業高校(定時制)に進学したが、1年生の1学期で中退。
以後、溶接工、空調設備作業員等職を転々とする。
横浜市金沢区六浦東で 姉夫婦と同居
・相田 孝一(旧姓=垣東 )
昭和47生、妻と娘2人
平成18年に長女が中学入学、このとき離婚し直ちに再婚
妻の旧姓(相田)に改姓。 小学生になる次女を含め娘二人。
所沢周辺に居住
犯行グループのつながり
宮野裕史(横山裕史)は、昭和63年12月11日頃、暴力団極東組関口一家桜誠会幹部豊田倖一の勧めで、生花店「フラワーフレンド」を拠点に極東組の下部組織(青年部)として極青会を結成。
自ら会長に就き、小倉譲(神作譲)を事務局長に据え、湊伸治、渡邊恭史ら足立区立東綾瀬中学校の後輩多数をその配下に組み入れていた。
陳述調書にある殺害の謀議の一部はこんな具合。
神作「女の子どうする。殺して埋めるか。」
湊「どうするんですかね。誰が殺すんですか。」
渡邉「殺すんなら、ミンチがいいですよ。」
宮野「被害者をドラム缶に入れてセメントを流し込み、海か山に捨てよう。」
渡邉「風呂場でみじん切りにしてしまえば、血も流れてしまって見つからなくていいですよ。」
まあどう言い繕っても連中は鬼畜である。鬼畜にはまともな社会生活を営む権利はもはやない。一生その罪を償うべきなのだ。それが法とは別にある世間様のものの道理というやつだ。
全面的徹底改造計画その壱様より引用
なぜこの忌まわしき事件を取り上げたのか、理由はあります。
ある方のタレこみでこの鬼畜連中が
在日総連系朝鮮人
だということを。実際に検索すると出てきます。
最近になって、通名報道の実態などが判明してきており、在日にとって都合の悪いニュースは通名で報道されます。
また、レイプ、猟奇的殺人(有名な例としては
和夫一家殺害事件)、暴力団(
元公安の菅沼氏による暴力団の実態)等、これらを踏まえても在日の可能性は非常に高いわけであります。
そして、何かと言えば被害者面をして謝罪と賠償を要求してくる上に
慰安婦、日本に法的責任 韓国政府が再確認
韓国外交通商省の金英善報道官は15日の記者会見で、植民地支配下の従軍慰安婦問題について「日本政府の法的責任を追及し、誠意ある措置を取るよう促している」と述べた。
同問題の法的責任は、盧武鉉前政権が初めて公式に言及し、李明博政権もこうした方針に変更がないことを再確認したといえる。
1965年の日韓基本条約に伴う協定で両国間の財産・請求権問題が完全に解決されたことが確認されたが、韓国政府は慰安婦、サハリン残留韓国人、韓国人原爆被害者の問題は対象外だったとの立場。ただ報道官は、慰安婦以外の二つの問題については「日本政府なりの誠意を見せ、両国が(解決へ)粘り強く協議してきた」と説明した。
別の外交通商省当局者も「(二つの問題は)大部分、解決されたと評価できる」と指摘した。
産経新聞より
自分たちに都合よく解釈する連中に日本人の血税から配る理由というのはあるのでしょうか。
子ども手当、朝鮮学校等含む高校無償化で不逞外国人を呼び寄せ、外国人参政権、外国人基本住民権、夫婦別姓制度、人権侵害救済法で日本列島は日本人だけのものではないことを進めていいものでしょうか。
そこに加えて
沖縄ビジョンを進めたら、第二、第三の和夫一家殺害事件は起きるのは明白かと。
反日国にばらまくことが本当に友愛精神なんでしょうか?どう考えても反日国に都合の良いATMにしか見えません。
よく考えましょう