【東日本大震災】震災後、教育の復興も重要 「国家」「日本人」見つめ直す機会
忍従や規律、団結と互助、献身、自己犠牲…。東日本大震災後、被災地から伝えられる光景には、戦後の教育の中で軽んじられてきた日本人の美徳が宿っていた。被災地の救援や復旧に奮闘する自衛隊も、教育現場では長年、目の敵にされ続けてきた存在だったが、称賛と感謝が日々高まっている。多くを奪った大震災だが、これまでの日本の言論空間や教育風土を根本から揺さぶり、多くの国民が喪失していた「国家」「日本人」という意識を見つめ直す機会となったようだ。(菅原慎太郎)
「日本の奇跡は終わらない」。英フィナンシャル・タイムズ紙(3月17日付)は、こう見出しを掲げて、復興へと努力する勤勉な日本人の姿を報じた。日本人の姿を称賛する海外の報道は一つや二つではない。
家や財産を失っても、互いを思いやり、助け合う被災者たち。空腹にもかかわらず、整然と食事を分け合う避難所。逆境の中にあっても歯を食いしばって耐える日本人の姿が、世界へ発信された。フランスの政治学者は「西欧文明にはない集団的な規律、運命とそれへの抵抗、他者への配慮をあわせたユニークな遺伝子配列」と表現した。
「原発事故に対して、危険をかえりみずに立ち向かう消防士や自衛官…。各地の被災地で、救命活動にあたった警察官や医療関係者、命がけで皆さんを守ってくれた学校の先生たちの姿を忘れないで…」
4月6日付で菅直人首相と高木義明文部科学相が、小中学生や高校生に向けて発表したメッセージには消防士や教師らと並んで、「自衛官」とはっきりと書かれていた。政府が子供たちに向けて、自衛隊の活動をたたえるのは異例のことだ。
誰が守るのか
戦後の学校では、自衛隊の存在に疑問を抱かせるような授業が、当たり前のように行われてきた。教科書にも、そうした記述があふれている。今年3月末に文科省の検定を終えたばかりの中学校の社会科教科書には、自衛隊についてこうある。
《平和主義に反するのではないかという議論は、冷戦終結後も続いている》
《武器を持たないというのが日本国憲法の立場ではなかったのかという意見もある》
他国の軍事力と対峙(たいじ)しながら国を守る自衛隊本来の使命や任務を子供たちに公正に伝える記述とは言い難い内容だ。
自衛隊だけでなく米軍も同様だ。
《今なお沖縄島では面積の約19%がアメリカ軍基地であり、事故、公害、犯罪など数多くの問題が出ている》
日米安保条約に基づき、冷戦時代、旧ソ連など共産圏の圧力から日本の平和を守り、東アジアの安定を守るといった米軍の役割や存在意義を顧みない記述となっている。
その米軍が日本国民のために「トモダチ作戦」を展開した。
ある文科省幹部は「いざという危機に、日本を守れるのは誰なのか、国民は、はっきり分かっただろう。国民意識が変われば、教科書も変わっていくだろう」とみている。
潮流変わるか
「津波を利用して我欲を洗い落とす必要がある。日本人の垢(あか)をね。やっぱり天罰だと思う」
石原慎太郎・東京都知事はこう発言して物議を醸した。知事は発言を謝罪し撤回したが、「自己実現」の名の下に、個人の欲求を満たすことのみを優先し、義務よりも権利追求ばかりが強調される教育が横行していることも事実だ。知事の発言がこうした風潮への問題提起だったことも見逃せない。
震災とその後の計画停電で経済活動も大きな制約を受けた。相次ぐ余震のなかで、自分の暮らしと日本の転落とを重ね合わせ、不安や恐怖を覚えた国民も多かった。テレビでは難局打開に団結が欠かせないとして「がんばろう日本」「日本の力」を鼓舞するスローガンが並び始めた。
高崎経済大学の八木秀次教授は「日本という国家の繁栄があって、国民の豊かな暮らしも守られる。大震災を通じて私たちは国家と命運をともにしているという当然のことを身に染みて実感できたのではないか」としたうえでこう語る。
「多くの犠牲から立ち上がるには、『教育の復興』はとても重要。これまで国家は遠ざけられ、国家と自分は無関係、という考えが進歩的ともてはやされてきたが、震災を機に、その陥穽(かんせい)に気づき、潮流が変わることを願っている」
産経新聞より
> 忍従や規律、団結と互助、献身、自己犠牲…。東日本大震災後、被災地から伝えられる光景には、戦後の教育の中で軽んじられてきた日本人の美徳が宿っていた。
日本人の中に宿る精神は脈々と受け継がれていると実感しております。
警官、消防関係者、自衛隊、地方自治体職員、東電の現場の職員、そして被災者の方々
多くの方々が捨て身の覚悟で必死の作業を行ったり、耐え難きを耐え、忍びがたきを忍びながら生活を送っています。
民主党政権という戦後最悪の政権の中、民間レベルでは多くの方々が復興に向けた努力を行っているのは言うまでもありません。
そんな中、未だに教育の現場では反日行動が行われていたりします
> 戦後の学校では、自衛隊の存在に疑問を抱かせるような授業が、当たり前のように行われてきた。教科書にも、そうした記述があふれている。今年3月末に文科省の検定を終えたばかりの中学校の社会科教科書には、自衛隊についてこうある。
《平和主義に反するのではないかという議論は、冷戦終結後も続いている》
《武器を持たないというのが日本国憲法の立場ではなかったのかという意見もある》
> 他国の軍事力と対峙(たいじ)しながら国を守る自衛隊本来の使命や任務を子供たちに公正に伝える記述とは言い難い内容だ。
平和主義とは一体なんなのでしょうか?
他国から土足で荒らされても、文句すら言わないことを平和主義とでも言うのでしょうか。あるいは一部の勢力の言う9条があるから日本は平和に暮らせているのでしょうか。
確かに戦後60年以上、日本国は他国から武力による衝突は起きていません。しかし、失ったものも大きい物があります
1)北方領土
2)竹島
3)尖閣諸島
4)拉致被害者、特定失踪者
5)中共支那がバックに付いた左翼勢力の拡大
その結果、事なかれ主義が横行し、権利の主張はするが義務は果たさない。そして、かつて、日本にあった互助の精神が薄れつつありましたが、この震災によって、少しずつながら、本来日本人が持っているものを取り戻しつつあると思います。
今、必要な事は当然ながら、東日本地域の復興ですが、それに伴い、教育のあり方、本来の日本人に宿っているものを取り戻す時期に来ているのではないのでしょうか。
その為にも道徳教育の復活、日教組教育からの脱却は焦眉の急とも言えると思います。
個人的には教育ニ関スル勅語や修身要領の復活を切に願います。
敎育ニ關スル敕語
朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ德ヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世々厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ敎育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ德器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン
斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其德ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ
明治二十三年十月三十日
御名御璽
口語訳
親に孝養をつくしましょう(孝行)
兄弟・姉妹は仲良くしましょう(友愛)
夫婦はいつも仲むつまじくしましょう(夫婦の和)
友だちはお互いに信じあって付き合いましょう(朋友の信)
自分の言動をつつしみましょう(謙遜)
広く全ての人に愛の手をさしのべましょう(博愛)
勉学に励み職業を身につけましょう(修業習学)
知識を養い才能を伸ばしましょう(知能啓発)
人格の向上につとめましょう(徳器成就)
広く世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう(公益世務)
法律や規則を守り社会の秩序に従いましょう(遵法)
正しい勇気をもって国のため真心を尽くしましょう(義勇)
修身要領
文明日新の修身処世法は如何なる主義に依り如何なる方向に進む可きやとは、今の青年学生の大いに惑う所にして、
先輩に対しては屡ば質問を起すものあり。福澤先生之に答ふる為にとて、生等に嘱して文案を起草せしむ。即ち先生
平素の言行に基き、其大要を述べて先生の閲覧を乞ひ、之を修身要領と名け学生に示すこと左の如し。
明治三十三年二月紀元節 慶應義塾社中某々誌
修身要領
凡そ日本国に生々する臣民は、男女老少を問わず、万世一系の帝室を奉戴して其恩徳を仰がざるものある可らず。
此一事は満天下何人も疑を容れざる所なり。而して今日の男女が今日の社会に処する道を如何す可きやとふに、古来道教の教一にして足らずといえども、徳教は人文の進歩と共に変化するの約束にして、日新文明の社会には自から其社会に適するの教なきを得ず。即ち修身処世の法を新にする必要ある所以なり。
1、人は人たるの品位を進め智徳を研きますます其光輝を発揚するを以て本文と為さざる可らず。吾党の男女は独立自尊の主義を以て修身処世の要領と為し、之を服膺して人たるの本分を全うす可きものなり。
2、心身の独立を全うし自ら其身を尊重して人たるの品位を辱めざるもの、之を独立自尊の人と言ふ。
3、自ら労して自ら食ふは人生独立の本源なり。独立自尊の人は自労自活の人たらざる可らず。
4、身体を大切にし健康を保つは人間生々の道に欠く可らざるの要務なり。常に心身を快活にしてかりそめにも健康を害するの不養生を戒む可し。
5、天寿を全うするは人の本分を尽くすものなり。原因事情の如何を問はず、自ら生命を害するは、独立自存の旨に反する背理卑怯の行為にして、最も賎しむ可き所なり。
6、敢為活発堅忍不屈の精神を以てするに非ざれば、独立自尊の主義を実にするを得ず。人は進取確守の勇気を欠く可らず。
7、独立自尊の人は一身の進退方向を他に依頼せずして自から思慮判断するの智力を具へざる可らず。
8、男尊女卑は野蛮の陋習なり。文明の男女は同等同位、互に相敬愛して各その独立自尊を全からしむ可し。
9、結婚は人生の重大事なれば配偶の選択は最も慎重ならざる可らず。一夫一婦終身同室相敬愛して互に独立自尊を犯さざるは人倫の始なり。
10、一夫一婦の間に生るる子女は、其父母の他に父母なく其子女の他に子女なし。親子の愛は真純の親愛にして之を傷けざるは一家幸福の基なり。
11、子女も亦独立自尊の人なれども、其幼時に在ては父母これが教養の責に任ぜざる可らず。子女たるものは父母の訓誨に従て孜々勉励、成長の後独立自尊の男女として世に立つの素養を成す可きものなり。
12、独立自尊の人たるを期するには、男女共に成人の後にも自ら学問を勉め知識を開発し徳性を修養するの心掛を怠る可らず。
13、一家より数家次第に相集りて社会の組織を成す。健全なる社会の基は一人一家の独立自尊に在りと知る可し。
14、社会共存の道は人々自権利を護り幸福を求めると同時に、他人の権利幸福を尊重して苟も之を犯すことなく、以て自他の独立自尊を傷けざるに在り。
15、怨を構へ仇を報ずるは野蛮の陋習にして卑劣の行為なり。恥辱を雪ぎ名誉を全うするには須らく公明の手段を択む可し。
16、人は自から従事する所の業務に忠実ならざる可らず。其大小軽重に論なく苟も責任を怠るものは独立自尊の人に非ざるなり。
17、人に交わるには信を以てなす可し。己を人を信じて人も亦己を信ず。人々相信じて始めて自他の独立自尊を実にするを得るべし。
18、礼儀作法は敬愛の意を表する人間交際上の要具なれば苟めにも之を忽にす可らず。只その過不及なきを要するのみ。
19、己れを愛するの情を拡めて他人に及ぼし、其疾苦を軽減し其福利を増進するに勉むるは博愛の行為にして人間の美徳なり。
20、博愛の情は同類の人間に対するに止まる可らず。禽獣を虐待し又は無益の殺生を為すが如き人の戒む可き所なり。
21、文芸の嗜は人の品性を高くし精神を娯ましめ、之を大にすれば社会の中和を助け人生の幸福を増すものなれば、亦是れ人間要務の一なりと知る可し。
22、国あれば必ず政府あり。政府は政令を行い軍備を設け一国の男女を保護して其身体生命財産名誉自由を侵害せしめざるを任務と為す。
是を以て国民は軍事に服し国費を負担するの義務あり。
23、軍事に服し国費を負担すれば、国の立法に参与し国費の用途を監督するは、国民の権利にして又其義務なり。
24、日本国民は男女を問わず国の独立自尊を維持するが為には生命財産を賭して敵国と戦ふの義務あるを忘る可らず。
25、国法を遵奉するは国民たるものの義務なり。単にこれを遵奉するに止まらず進んで其執行を幇助し、社会の秩序安寧を維持するの義務あるものとす。
26、地球上立国の数少なからずして各その宗教言語習俗を殊にすのいえども、其国人は等しく是れ同類の人間なれば、之と交わるには苟も軽重厚薄の別ある可らず。独り自ら尊大にして他国人を蔑視するは独立自尊の旨に反するものなり。
27、吾々今代の人民は先代前人より継承したる社会の文明福利を増進して、之を子孫後世に伝ふるの義務を尽さざる可らず。
28、人の世に生るる智愚強弱の差なきを得ず。智強の数を増し愚弱の数を減ずるは教育の力に在り。教育は即ち人に独立自尊の道を教へて之を躬行実践するの工夫を啓くものなり。
29、吾党の男女は自此要領を服膺するのみならず、広く之を社会一般に及ぼし、天下満衆と共に相率いて最大幸福の域に進むを期するものなり。
あえてお聞きしたいのですが、教育ニ関スル勅語や福沢諭吉の呈した修身要領、どこら辺が軍国主義なのでしょうか。
是非とも御教授願いたいものです