この記事は、
親愛なるトルコへについて書いています。
串本町や県、義援金集め
トルコ地震 県医療チーム派遣検討
トルコ東部での大きな地震を受け、トルコ軍艦「エルトゥールル号」の遭難事故をきっかけに交流を続ける串本町がすぐに義援金集めを始めるなど、県内でも支援の動きが広がった。
1890年の遭難事故をきっかけに、トルコ南部のメルシン市と姉妹都市提携している串本町は24日午後、町役場や樫野地区のトルコ記念館など3か所に義援金箱を設置した。田嶋勝正町長は、「トルコと串本は121年前から深い絆で結ばれてきた。津波被害が懸念される串本にとって、地震は人ごとではない」と述べた。
同町では1999年のトルコの大地震の際、仮設住宅を見分ける目印用として、児童の描いた絵を送ったことがあり、田嶋町長は「トルコ側のニーズに合わせ、支援できることを考えていきたい」としている。
また、昨年3月にイスタンブールで開かれたエルトゥールル号シンポジウムに招かれた樫野地区の区長、岩谷知道さん(69)は「シンポジウムで滞在中にもトルコ東部で地震があった。まだ詳しいことはわからないが、協力できることがあれば、町と一緒に考えていきたい」と心配そうに話した。
県もこの日、トルコの地震のための義援金口座開設や、県独自の見舞金100万円を送ることを決定。医療チーム派遣の検討にも入り、県の担当者らは情報把握に追われた。仁坂知事は、「トルコは格別の思い出がある国。できるだけのことをしたい」と言葉に力を込めた。
義援金口座は、紀陽銀行県庁支店の普通預金(口座番号396915)で「和歌山県トルコ震災支援の会 事務局長 文化国際課長 若林誠治」あて。
読売新聞より
支援の恩報いる時 トルコとタイへ「今度は東北から」
トルコ東部で23日午後に発生した大地震は多数の死者が確認される大災害となっている。タイでも国土の3分の1が被害を受ける水害が発生中だ。両国は歴史的にも日本との親交が深く、東日本大震災では東北地方に手厚い支援の手を差しのべてくれた。この恩に報いようと、今度は東北地方から両国へ支援の動きが始まっている。
雪の中での救助
日本とトルコの友好関係は今年で121年を数える。明治23(1890)年、オスマン帝国の軍艦「エルトゥールル」が和歌山県沖で沈没し、付近(現在の同県串本町)の住民が決死の救助活動を行ったことから親交が急速に深まり、湾岸戦争開戦直前や平成11年のトルコ大地震の際でも助け合ってきた。
トルコは東日本大震災で救助隊員32人を東北地方に派遣。宮城県石巻市、多賀城市、七ケ浜町で約20日間、救助活動やがれきの撤去作業にあたった。
「雪が降るなか、ぬかるんだ田んぼで救助活動にあたってくれた姿が印象に残っている」と七ケ浜町の渡辺善夫町長。「私たちも被災者だが、募金で町民の気持ちを集め『地震に負けないで』という気持ちを伝えたい」と意気込む。他にも石巻市などでトルコの被災状況を見ながら支援の検討をする予定だ。
東北の被災地に駆けつけた在日トルコ関係者も故郷の状況をもどかしく見守っている。東京・池袋のトルコ料理店「レシャット」のオーナー、レシャット・デデコチ(33)さんは、宮城県山元町で炊き出しを行った。その経験からも「トルコで家を無くした人々は寒さをしのげるだろうか…」と心配する。日本の支援の動きに「気持ちはすごくうれしい。私たちも仲間と相談する」と語った。
600年以上交流
日本とタイの交流も古く、600年以上前の交易にまで遡(さかのぼ)る親日的な国だ。現在は1千以上の日系企業が進出している。
東北の被災地ではタイへの支援も始まっている。津波で壊滅的な被害のあった岩手県陸前高田市の市立第一中学校では、23日に行われた文化祭でタイの子供たちに送る義援金を集めた。
震災ではタイから義援金134万円が寄付された。同校の布田貢教諭は「貧しい地域もあるなかで私たちを支援してくれたことですごく感激した」と話す。これをきっかけに、洪水被害を受けた子供たちの支援を決めたという。
産經新聞より
在日トルコ大使館に地震支援続々 日本各地から手紙、義援金
【ワン共同】トルコ東部で大規模地震が起きて以来、東京の在日トルコ大使館には日本各地から弔意や激励を伝える手紙が続々と届き、義援金は10万ドル(約760万円)を超えた。トルコのメディアが27日までに伝えた。
5歳の子どもの手紙には「がんばって、トルコ」と書かれていた。トルコへの連帯を示す内容のほか、東日本大震災の時にトルコが支援を行ったことに感謝を伝えるものもあった。
トルコ大使館の職員は、大震災と原発事故からまだ復興途上にある日本の人々から、これほど支援が寄せられたことに感銘を受けているという。
47Newsより
日本人の本質は今でも脈々と根付いております
恩は恩で報いる
情けは人の為ならず
復興の見通しが未だ立っていない東北地方や、紀伊半島ではこのように支援の輪が広がっております。
トルコには何度も支援して頂いております。今こそ恩返しをすべきではないでしょうか。
義援金の受付口座について
親愛なる日本国民の皆様、
トルコのヴァン県で発生した地震災害に対し皆様より寄せられた援助・支援の申し出に心より感謝申し上げます。
現段階では義援金のみを受け付けておりますことをお知らせ申し上げます。物資等の提供については今のところ必要ございません。
義援金の受付口座は下記の通りです。
口座名: VAN DEPREMI INSANI YARDIM HESABI
(1)T.C.ZIRAAT BANKASI
Asagi Ayranci Branch, Ankara
SWIFT CODE: TCZBTR2A
トルコリラ口座: TR600001000820555555555031
米ドル口座: TR330001000820555555555032
ユーロ口座: TR060001000820555555555033
(2)T.VAKIFLAR BANKASI A.O.
Finansmarket Branch, Ankara
SWIFT CODE: TVBATR2A
トルコリラ口座: TR620001500158007299317599
米ドル口座: TR430001500158048013094088
ユーロ口座: TR320001500158048013094092
(3)T.HALK BANKASI
Bakanliklar Branch, Ankara
SWIFT CODE: TRHBTR2A
トルコリラ口座: TR190001200940800005000015
米ドル口座: TR210001200940800058000100
ユーロ口座: TR910001200940800058000101
日本国民の皆様に敬意を表します。
在日トルコ大使館より
ただ、この口座番号、なぜかSWIFT Codeで弾かれるのでおくれない可能性があるので直接大使館の募金箱か上の和歌山県の所に送った方が確実かもしれません。
また、タイも親日国です。
日本のお陰でアジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは難産して母体をそこなったが生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジア諸国民がアメリカやイギリスと対等に話ができるのは一体誰のお陰であるのか。それは『身を殺して仁をなした』日本というお母さんがあった為である。12月8日は我々に、この重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して重大決意された日である。更に8月15日は我々の大切なお母さんが病の床に伏した日である。我々はこの2つの日を忘れてはならない。
ククリット・プラモード(タイ王国元首相)
このように、タイの日本に対する想いは強い物です。
しかもタイはお金だけではなく物資の支援までしようとしたのですが…
宙に浮いた外国支援
3月13日に福島県相馬市に派遣されたシンガポールの救助隊は16日には帰国の途へ。原発事故で日本政府から退避を勧告されたためだが、シンガポール政府関係者は「被災地で実質的な活動はできなかった」と明かす。
タイは日本人の口に合うようにとタイ米1万トンのほか、もち米5000トンを送る計画だったが「輸送先などの明確な返答がなく」(タイ外務省当局者)支援を断念した。
インドネシアは毛布約1万枚を送ったが「(毛布の厚みなど)仕様が合わない」と日本側から説明され、準備し直した。インドネシア国家災害対策庁は「日本は自然災害で外国からの支援を受けた経験が乏しい。受け入れルールもなく対応が難しいようだ」と話した。
外務省によると、これまでに134の国・地域と39の国際機関が支援の意思を表明したが、日本が受け入れた国・地域と機関は約30にとどまる。支援を断られた国からは「一括した受け入れ窓口がなく、情報が錯綜(さくそう)している」と日本の混乱ぶりに不満も出ている。
産經新聞より引用
誰が本当の敵なのか、ご理解頂けたでしょうか。
反日韓国には5兆円のスワップすると発表しながら、トルコには3000万円の支援
支那、韓国の救助隊はVIP待遇でありながら、親日国であるインドネシア、タイ、シンガポールからの物資は拒否
これでも民主党政権、支援し続けますか?
国民の力でタイ、トルコへの支援の輪を広げ、日本国復興の道筋をたてましょう。
日本国の復興はタイ、トルコの復興の道筋につながります。その復興の阻害となっている民主党を、我々国民の手で引き摺り下ろしましょう。
声を上げて行く事、政治から無関心にならない事、歴史から学ぶ事
それだけで、日本は大きく脱皮する事が出来ます。