八ッ場ダム建設再開問題 相次ぐ民主党のマニフェスト違反に街では落胆の声
野田政権が八ッ場ダム建設再開に踏み切る見通しの中、あらためて「マニフェスト」の意味が問われている。
街では、「(民主党に)期待した自分が腹立たしい」、「結局、やると言って、どれ1つできていないし」などと落胆の声が聞かれた。
街の人の怒りの理由は民主党の「マニフェスト違反」。
2009年9月、前原国交相(当時)は「(八ッ場ダムの建設については?)マニフェストに書いてあることなので、中止にします」と語っていた。
マニフェストに掲げ、政権交代後も建設中止を表明していた八ッ場ダムをめぐって22日、前田国交相は「八ッ場ダムの事業継続を決定いたしました」と発表した。
建設現場のある群馬・長野原町では、前田国交相が万歳三唱で迎えられた。
群馬県の大沢正明知事は22日夜、「万歳までしている状況でありまして。そのところをしっかり前原さんにもくみ取ってもらって」と述べた。
建設中止を決めた当時の国交相・前原政調会長は22日、「閣議決定をさせない。させることはできない」と述べた。
ダム建設を支持する石原都知事はこの発言に、「何様なんだ、あの人は。いったい。彼1人が反対するなら、辞任せざるを得ないだろうね、政調会長」と述べていた。
現在、八ッ場ダムの建設現場では、ダムの本体工事は凍結されているものの、周囲の工事は着々と進められていた。
建設に反対してきた地元の人は、「結局無策状態のまま。(ダムは)造らないって言っただけで。前原さんなり、国土交通相がリーダーシップをとって、民主党の対案で具体的に進めていただければ(よかった)」と話した。
街の人は、民主党に対し、「もうちょっと長い目で見て。あまり長くは待てないけど」、「(子ども手当を)やるという話を聞いて、(選挙で民主党に)入れましたから。全然話が違うなと。だまされた」などと語った。
FNN Newsより
> 街では、「(民主党に)期待した自分が腹立たしい」、「結局、やると言って、どれ1つできていないし」などと落胆の声が聞かれた。
先ず始めに、民主党に対する危険性は2009年の衆院選前から危険だと一貫として言ってきました。
その際、大概の方は
やらせてみないとわからない
駄目なら変えれば良い
ネトウヨ
気狂い
わかっても、やっても居ない癖して何を言っているのか
こんな所で政治の話なんかするな
自民党もろくでもないだろう
散々言われてきましたよ。それが今になって
> 「(民主党に)期待した自分が腹立たしい」、「結局、やると言って、どれ1つできていないし」などと落胆の声が聞かれた。
落胆する以前にあなた方自身の目が
節穴
だったと言う認識は無いのでしょうか。
また
> 「もうちょっと長い目で見て。あまり長くは待てないけど」、「(子ども手当を)やるという話を聞いて、(選挙で民主党に)入れましたから。全然話が違うなと。だまされた」
聞こえの良い言葉には裏がある、もっと端折って言えば
知らない人にはついていってはいけない
これ、子供にはしっかり教え込みますよね?
これと本質的には何も変わってないんですよ。
国政なのですから、その政党や政治家がどういう人間なのか、どういう政党なのか、自分で調べる事が重要なんですよ。メディアに煽られて投票した方、それこそメディアに謝罪と賠償でも要求します?連中にそんな事要求したって責任は取りませんよ。何しろ投票したのは
有権者の貴方自身の責任
なのですから。知らなかったは通用しないんですよ。自分が駄文を延々と書くよりもこの方の文章が非常に明快に書いていますのでご覧ください。
子ども手当等の“バラ撒き”は長期的視点欠落と櫻井よしこ氏
リーダーシップもなく迷走を続ける日本の政治や外交。なぜ戦後これほどダメになってしまったのか。戦前と戦後を比較しながら、ジャーナリストの櫻井よしこ氏が検証する。
* * *
精神面で見れば、戦前の日本人と今の日本人には非常に大きな違いがあります。戦前までの日本人には、我が身のことは横に置いて公のために働くのが尊いという精神がありました。日露戦争における旅順総攻撃などを見ても、国を守るために命を賭して戦うという使命感がとても強かったと言えます。
それに比べ、今の日本人にはそうした「公」への意識や「強さ」が失われ、目先の利益だけを大切にするようになったのではないでしょうか。目の前のことに心を注ぐのはいいのですが、国全体を思うことができなくなってしまっているように見えます。
それが国レベルで起きた多くの事例の一つが、「子ども手当」に代表されるバラ撒き政策でしょう。目の前のことばかりで、長期的な国づくりの視点が欠落した典型です。
国民は地方自治体に頼り、地方自治体は国に頼り、国は自力で国を守る気概を失い、米国に頼ろうとしています。
戦前の人たちが持っていた「人に迷惑をかけない」「自主自立」という精神が失われ、「頼る」ことばかりを考える国であり国民であれば、日本の未来はありません。
News Post Sevenより
> 今の日本人にはそうした「公」への意識や「強さ」が失われ、目先の利益だけを大切にするようになったのではないでしょうか。
これは今の日本国民だけではなく、日本の大企業、政治家、メディアにも言えます。
日本国民は権利ばかり主張して、義務は果たさない。こういう事をしたら迷惑になるという意識が無い。我欲の固まりになった日本人が多くなった様な気がします。
大企業に関して言えば、利益を得る事によってより良いもの、社員に還元しモチベーションを高め、社員でも欲しい、あるいは使いたいと言う物やサービスを提供するのではなく、訳の分からないくだらない物を開発したり(例:3Dテレビ)、既得権益に囚われ本質から目を背けたり(例:コピワン、ダビング10、CCCD)、物作りに至っては他人が作った物の劣化コピーに甘んじ(SonyのWalkman Z シリーズ(Apple iPod Touchの劣化コピー))、グローバル化と言う言葉ばかりに踊らされ(無理のある海外進出や海外の使えない人間を呼び込む事=グローバル化と勘違いしている)、利益ばかりに目を向けているから粉飾決算とかインサイダー取引とかを行ってばかりですしね。
政治家に関しては命がけで日本国を守ろう、良くしようと言う人間が少ないですし、票田稼ぎの為に外国人に媚を売り、売国に加担し、商品のおまけに釣られやすい国民性を利用しておまけみたいなクズ政策を全面に出して、本質的な所を出さない様にしています。
メディアも金になる事には必死で活動するが、本質的な物は取り上げず、いじめは良くないと謳っておきながら、やっている事は陰湿ないじめを率先して行い、それを見て喜ぶ様な国民に仕立て上げましたからね。
では、我々日本国民は何をすべきなのでしょうか。もっと事の本質を追究する様にならないと駄目だと思います。おまけみたいな政策にとらわれず、政策の本質を厳しくチェックする事。美辞麗句を並べる政治家を信用しない事。企業の製品に至っては、安物買いの銭失いみたいな事ばかりせず、もったいないの精神を取り戻し、高くても良い物を長く使う。つまりは日本国民も原点回帰すべき時が来ていると思います。もう少しで2011年が終わりますが、2012年は我々日本国民、一人一人が原点に戻り、表面の事ばかりではなく、もっと本質を見抜いたり語る様にならなければいけないと思います。