「トルコ建国の父」の銅像移転=野ざらし批判、修復され和歌山に
新潟県のテーマパーク「柏崎トルコ文化村」の閉園に伴い、野ざらし状態で放置されていた「トルコ建国の父」ケマル・アタチュルク初代大統領の銅像が、トルコと関係の深い和歌山県串本町に移転されることになった。これに先立ち日本財団が18日から、東京都品川区の「船の科学館」で修復作業を開始した。
日本財団によると、像は高さ4.2メートルの騎乗像で、1996年に柏崎トルコ文化村開園の際にトルコ政府から寄贈された。文化村は2001年に経営破綻(はたん)したが、別会社が事業を引き継いだ。しかし、04年の新潟県中越地震で入場客が激減したことを受けて再び閉園。像は現在、トルコ大使館が所有している。
像は地震後、「倒壊の恐れがある」として台座から外され、閉園後も横倒しの状態で文化村の屋外で保管され続けた。しかし、インターネット上で話題になり、「野ざらしで保管するのはトルコに対して非礼だ」と批判が上がっていた。
日本財団によると、像は修復作業が終わる5月中旬まで、船の科学館シーサイドガーデンで展示される。その後、串本町の紀伊大島に移される予定。
串本町は1890年、オスマン帝国の軍艦エルトゥールル号が同町の沖合で遭難した際、住民が総出で乗組員の救助に当たったことで知られる。遭難から今年で120年に当たるのに合わせ、6月には記念事業が開かれる。
時事通信より
「トルコ建国の父」救え 銅像の寄贈先破綻…「友好危機」ネットで署名活動
屈指の親日国、トルコ共和国の親日感情が悪化しているのを憂慮し、インターネット上でつながった有志が立ち上がった。トルコから新潟県柏崎市のテーマパークに寄贈された建国の父、ムスタファ・ケマル・アタチュルク初代大統領(1881~1938年)の銅像の行き先がテーマパーク破綻(はたん)をきっかけに決まらない問題が影響しているとみられ、ネット上で署名活動を始めたのだ。有志らは「1人1人が声に出して行動することで、解決に向けて前進する」と協力を訴えている。
署名活動を始めた「ムスタファ・ケマル像を移転する会」の代表は、愛知県大口町の会社員、江口保さん(20)。ネット上で知り合った有志8人が中心となって運営している。
江口さんは英BBC放送の調査で、世界有数の親日国トルコの対日感情が年々悪化し、今年は「肯定的30%、否定的47%」と大きく逆転しているのを知った。その原因を調べるうちに、アタチュルク像問題に突き当たった。
アタチュルク像は平成8年、柏崎市にテーマパーク「トルコ文化村」が開園したのを祝い、トルコが寄贈した。2度の閉園で再建を断念した市は18年、トルコとの友好関係に配慮するとの条件を付け、上越市のプラスチック製品製造業「ウェステックエナジー」に像も含めて売却。ウ社は19年6月、施設を改装して結婚式場を始めたが、1カ月半後に中越沖地震が発生。倒壊の恐れがあったとして像は台座から外され、当初は屋外に横倒しにされた(批判を浴びたため、現在は屋内で保管)。「建国の父」に対して非礼だとして、トルコ紙でも報道された。
さらにウ社と柏崎市、敷地内の民有地地権者の3者の間で訴訟合戦が勃発(ぼつぱつ)。訴訟と切り離して像の譲渡を求める市に対し、ウ社はその条件として市の謝罪を要求。会田洋市長は「市が引き取ってしかるべき場所に移設したいが、市の落ち度を認めると裁判で不利になる」と対応に苦慮している。
柏崎市などに電話して問題の背景を知った江口さんらは「自分たちにできることから始めよう」とネット上に経緯をまとめたサイトを立ち上げ、4月11日からは署名活動に乗り出した。
像の移転先に挙がっているのが和歌山県串本町だ。明治23年、遭難した軍艦エルトゥールル号の乗組員を住民総出で救助したのが縁で、串本町はトルコと100年以上にわたり交流を続けている。来年は遭難から120周年を迎え、「トルコにおける日本年」も開かれる。昨年3月にはトルコ大使館が「像の移設費用は負担するので、土地を提供してほしい」と町に要請し、町議会は全会一致で賛成したが、「裁判の結果が出ないことには動けない」(町総務課)のが現状だ。
事態打開に向け、江口さんらは訴える。「事は両国の外交、友好にまで及んでおり、まず銅像を訴訟から切り離してほしい。一致団結してトルコとの友好を取り戻そう」と。
会は目標の署名を集めて会田市長とウ社、外務省に提出する予定。署名目標数は1万人で、5日現在で2200人を超えた。
産経新聞より
あまり語られないことですが、このアタテュルク像というのはトルコにとって非常に大切なものであります。
日本でいえば、上野公園の西郷隆盛の像が野ざらし、横倒しで倒されているようなものかと。
3年間も野ざらしでろくな保存がされていない結果
› 英BBC放送の調査で、世界有数の親日国トルコの対日感情が年々悪化し、今年は「肯定的30%、否定的47%」と大きく逆転しているのを知った。
ちなみにここでは何度か取り上げておりますが
このように自分たちの命の危険を顧みず、救出した日本人とトルコ人、絶対に忘れてはいけません。にもかかわらず、自らの思想のみを優先し国益を第二、第三にする
会田洋および社民党
この連中を許すわけには絶対にいかない。親日国家を反日にする、これがどれだけの国益の損失につながるのか
世界の人々と共生する平和な日本
これは社民党の掲げる理念であるが、ここでいう世界という言葉を特亜と変えた方自然である。
すでに会田と社民党のことは
以前に取り上げたので割愛しますが、今回取り上げたいのは
> 署名活動を始めた「ムスタファ・ケマル像を移転する会」の代表は、愛知県大口町の会社員、江口保さん(20)。ネット上で知り合った有志8人が中心となって運営している。
たった8人から始まった動きが産経新聞等の良識派メディアの援護を受けてこのように動かしました。
もちろん彼らだけではないです、
三井田市議会議員、チャンネル桜、その他大勢の国思う人間が動かしたと思います。
少数から始まった動きが端緒となり良識の声が通じたという一つの事例です。
去年の(仮称)みんカラ愛国者の会において今年が愛国者・憂国者元年になるだろうと発言したのを覚えております。
おかげさまでお友達も100人を超えました。当方とお付き合いいただきこの場を借りて厚くお礼を申し上げます。
一つ言えるのは、初めは孤独でしたし、去っていたお友達もあり、やめようかと思った時も多々ありました。
しかし、続けてきたことによって新たな出会いを生み、今日に至り、100人なんて数字等無理だろうと思ってはおりましたが、その100人という数字を超えたことはいまだに自分でも驚きを覚えております。
しかし、今では自分だけではなく、同志が増えたことにより良識の声よ届けという動きがこのみんカラ内に生まれ始めております。
まさに
この方の
お言葉の一部がここに始まろうとしている事を実感しております
この言葉よ、届けと念じます。ともすれば、元気を失いがちなお年寄り、若者、いや全国民の皆さん方のもとに。
申し上げます。日本は、強くあらねばなりません。強い日本とは、難局に臨んで動じず、むしろこれを好機として、一層の飛躍を成し遂げる国であります。
日本は、明るくなければなりません。幕末、我が国を訪れた外国人という外国人が、驚嘆とともに書きつけた記録の数々を通じて、わたしども日本人とは、決して豊かでないにもかかわらず、実によく笑い、微笑む国民だったことを知っています。この性質は、今に脈々受け継がれているはずであります。蘇らせなくてはなりません。
日本国と日本国民の行く末に、平和と安全を。人々の暮らしに、落ち着きと希望を。そして子どもたちの未来に、夢を。
そして自分はこの動きが止まらないことを切に願っております。
それはブログを書くだけではありません。選挙に行く、今どういうことが起きているかを考える、コメントを残していただかなくとも、同志のサイトや恥ずかしながら下名のブログを読んでちょっとでも今おかれている状況を考えていただけるだけでもありがたいものです。
そして
不満とは、行動のバネになる。不安とは、人をしてうつむかせ、立ちすくませる。実に忌むべきは、不安であります。国民の暮らしから不安を取り除き、強く、明るい日本を、再び我が物としなくてはなりません。
参議院選挙にて投票するという行為はまさに政治の不安を取り除くための合法的な手段の一つであります。そこを忘れないでいてほしいと思います。これがラストチャンスだと言っても過言ではありません。
参議院選挙まで国のあり方など考えていきましょう。
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2010/03/19 01:54:28