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Heero Yuyのブログ一覧

2011年05月06日 イイね!

国民の生活より自らの悠々自適な生活が第一な民主党議員

小沢「菅降ろし」に焦り? 千葉に現れ意見交換会

 民主党の小沢一郎元代表はGW後半、千葉県の太平洋側(外房)に現れた。5日には漁業関係者らと懇談し、6日早朝には釣り船に乗り込んだ。小沢氏周辺が主導する「菅降ろし」がやや広がりを欠くなか、地元・岩手から遠く離れての行動は焦りの裏返しなのか。

 小沢氏は5日夜、同県一宮町で、福島第1原発事故の影響を受ける漁業関係者との意見交換会。「与党の構成員として大変じくじたる思いだ。政治家の1人として言葉だけでなく現実に行動しなくてはならない」との決意を示した。

 これに先立ち同県鴨川市では、原発事故で避難してきた障害者を慰問。「私も東北出身なので、皆さんの気持ちは痛いほどよく分かる。頑張ってほしい」と激励した。

 翌6日早朝、小沢氏は同県いすみ市の大原漁港から釣り船「長栄丸」に乗り込んだ。釣り宿は「小沢先生が何を釣るかは答えられない。港に帰ってくるまで分からない」と語った。釣り宿のHPには、最近の釣果として、マダイ、ヤリイカ、イサキなどが記載されていた。

Zakzakより

小沢氏「原発事故終結へ決死隊を」

 民主党の小沢一郎元代表は30日夜、東京・赤坂の南欧料理店で衆参若手十数人と会食し「この状況で民主党も自民党も動かないのはおかしい」と述べ、与野党で倒閣の動きが進まないことに不満をぶちまけた。

 子ども手当など民主党の看板政策の見直し方針を盛り込んだ民主、自民、公明の3党合意についても「ひどい話だ」と怒りをあらわにしたという。小沢氏は4月29日には鳩山由紀夫前首相と会談し、今後の対応を協議した。30日の会合でも小沢氏は鳩山氏との会談に触れ、「鳩山君は菅直人首相に原発対策でいろいろと助言しているのに首相からは何の連絡もないそうだ」と明かした。

 小沢氏は福島第1原発に関し「原発は安定していない。爆発しないようにしているだけで放射線を垂れ流している。根本的な対策を取らなければ大変なことになる。決死隊を送り込んで完全に押さえ込まなければならない。政治が決断することだ」と語ったという。

産経新聞より

> 「原発は安定していない。爆発しないようにしているだけで放射線を垂れ流している。根本的な対策を取らなければ大変なことになる。決死隊を送り込んで完全に押さえ込まなければならない。政治が決断することだ」

こう言ってのけた小沢被告ですが、実際にやっていることは…

> 6日早朝、小沢氏は同県(筆者注:千葉県)いすみ市の大原漁港から釣り船「長栄丸」に乗り込んだ。釣り宿は「小沢先生が何を釣るかは答えられない。港に帰ってくるまで分からない」と語った。

ずいぶんとまぁ悠々自適な生活を送ってます。
しかも地元岩手ではなく、千葉県と釣りとは…
おまけに

「小沢氏側に裏金1億円払った」 水谷建設元社長証言

> 石川被告らに手渡したとされる小沢事務所への裏金計1億円について「衆院議員会館の小沢先生の部屋で大久保隆規被告(49)から要求された。その後、お支払いした」などと証言、裏金の提供を明言した。

こういう事実がありながら

〝小沢首相〟が首位 剛腕期待か、人材難か… 本人ははしご酒で側近を鼓舞

> 産経新聞社とFNN(フジニュースネットワーク)が23、24両日に実施した世論調査で「今の首相にふさわしいのは誰か」との質問に、民主党の小沢一郎元代表が9・2%で首位に立った。

首相としてふさわしい人間ですか?とてもではないですが、ありえませんね。

そしてもう一人悠々自適なお方がいらっしゃいますが

民主・石井氏が比でゴルフ

 民主党の石井一選対委員長が今月上旬のフィリピン訪問中、在留邦人らとゴルフをしていたことが6日、関係者の話で分かった。石井氏は党東日本大震災対策本部の副本部長を務めており、野党や被災者の批判を浴びる可能性もある。
 石井氏は日本・フィリピン友好議員連盟の会長として、3~6日の日程でフィリピン訪問。生方幸夫選対委員長代理、那谷屋正義参院議員も同行した。

時事通信より

副代表「目につかなくていいと」/一問一答

-党の震災対策副本部長だが

 石井副代表 ぼくも阪神大震災を経験したけど、被災地で、次の家を建てることを心配している人から見れば「何だ、国会議員が(なぜ)ゴルフをしているんだ」という気持ちになるでしょうね。そういう意味では一般的な自粛というのはあってもいいと思う。ただ党としてはやることはやっている。

 -フィリピン訪問の目的は

 石井副代表 日比議員連盟(日本フィリピン友好議員連盟)の会長として務めを果たしに来た。ゴルフをやるためではなくあくまで公務。被災者に悪い感情を与えるようなこと(報道)はしないでほしい。

さて、この石井一、ここでは何度も取り上げましたが



国会で漢字テストを行ったり

副首都、新規立法も含め検討へ 参院予算委で首相

>  東京をバックアップする「副首都」構想は、超党派議員でつくる「危機管理都市(NEMIC)推進議員連盟」(会長・石井一民主党副代表)が実現を目指し活動を展開してきたが、首相が前向きな姿勢を示したことで、具体化への機運はさらに高まりそうだ。

こう言うのが集まったのが民主党です。
どこが国民の生活が第一なのでしょうか。

ゴルフの件が出ると多分、一部の方からはこの人の話題がでると思います

森喜朗

確かにえひめ丸事件の際、ゴルフ場にいましたが

1)正式に休暇をとっていた
2)国家を揺らがせるほどの危機ではない(痛ましい事故ではあるのは間違いありませんが)
3)誤報の可能性があるのでその場で待機していた可能性がある

> 午前10時50分に第一報を受けたあと午後0時20分の第三報まで、3ホールを回ったとのことである。森の主張によると、えひめ丸事件の一報が入った時、ある関係者から直ぐにはその場を離れないように言われたのでゴルフ場で待機していたとのことである。

> 佐々淳行は、2001年2月14日に自身のHPのコーナー『危機管理小論』にて「えひめ丸・米潜水艦衝突事故と危機管理」という小論文を掲載し森政権の対応について議論している[38]。また、2004年に出版した著書『重大事件に学ぶ「危機管理」』などにて、この時の森の対応に関して述べている。それらによれば「危機管理には総理が陣頭指揮すべき国家危機管理と、各省庁が国家行政組織法の定めに従い初動措置を為すべき『インシデント・マネジメント(事件処理)』と『アクシデント・マネジメント(事故処理)』とがある。えひめ丸事故は大きな国際的事故ではあるが、総理が初動措置を寸刻争って陣頭指揮すべき国家危機管理問題では無い。国交省外局の海上保安庁・防衛庁(現防衛省)・外務省が第一次的対処をすべきである<海難事故>であり、森総理が批判されるべき事では無い。森総理は早く戻ってきた方で、私の経験からすればもっと狼狽した総理はたくさんおられる」と危機管理の責任上の面から森を擁護している(これは岡崎も上記産経新聞にて指摘していることで、村山富市の阪神大震災時の対応と比較している)。また、実際の第一次対処をする部局の一つである、防衛官僚の参集が早かったことも評価した。佐々は別の著書『後藤田正晴と12人の総理たち』では「後藤田が森を庇っていた」とも書いており、米軍に謝罪、賠償などへの迅速な協力を提案したのも佐々などの日本サイドであり、ブッシュ政権はそれをすぐに実行したと言う。

Wikipediaより引用

ここでお聞きしたのですが

1) えひめ丸の事故と東日本大震災、どちらのほうが国家を揺らがせるほどの問題なのか
2) 決死隊を送れと言った人間や東日本大震災対策本部の副本部長が悠々自適な事をやることは許されることなのでしょうか

特にジミンガーの方や民主党支持者の方等は、論拠をご提示の上、反論を申し上げていただきたいと思います
Posted at 2011/05/06 20:38:47 | コメント(11) | トラックバック(0) | 時事関係 | 日記
2011年05月03日 イイね!

東日本大震災 - 日本人の誇りを取り戻す機会でもあるのではないのか?

【東日本大震災】震災後、教育の復興も重要 「国家」「日本人」見つめ直す機会

 忍従や規律、団結と互助、献身、自己犠牲…。東日本大震災後、被災地から伝えられる光景には、戦後の教育の中で軽んじられてきた日本人の美徳が宿っていた。被災地の救援や復旧に奮闘する自衛隊も、教育現場では長年、目の敵にされ続けてきた存在だったが、称賛と感謝が日々高まっている。多くを奪った大震災だが、これまでの日本の言論空間や教育風土を根本から揺さぶり、多くの国民が喪失していた「国家」「日本人」という意識を見つめ直す機会となったようだ。(菅原慎太郎)

 「日本の奇跡は終わらない」。英フィナンシャル・タイムズ紙(3月17日付)は、こう見出しを掲げて、復興へと努力する勤勉な日本人の姿を報じた。日本人の姿を称賛する海外の報道は一つや二つではない。

 家や財産を失っても、互いを思いやり、助け合う被災者たち。空腹にもかかわらず、整然と食事を分け合う避難所。逆境の中にあっても歯を食いしばって耐える日本人の姿が、世界へ発信された。フランスの政治学者は「西欧文明にはない集団的な規律、運命とそれへの抵抗、他者への配慮をあわせたユニークな遺伝子配列」と表現した。

 「原発事故に対して、危険をかえりみずに立ち向かう消防士や自衛官…。各地の被災地で、救命活動にあたった警察官や医療関係者、命がけで皆さんを守ってくれた学校の先生たちの姿を忘れないで…」

 4月6日付で菅直人首相と高木義明文部科学相が、小中学生や高校生に向けて発表したメッセージには消防士や教師らと並んで、「自衛官」とはっきりと書かれていた。政府が子供たちに向けて、自衛隊の活動をたたえるのは異例のことだ。

誰が守るのか

 戦後の学校では、自衛隊の存在に疑問を抱かせるような授業が、当たり前のように行われてきた。教科書にも、そうした記述があふれている。今年3月末に文科省の検定を終えたばかりの中学校の社会科教科書には、自衛隊についてこうある。

 《平和主義に反するのではないかという議論は、冷戦終結後も続いている》

 《武器を持たないというのが日本国憲法の立場ではなかったのかという意見もある》

 他国の軍事力と対峙(たいじ)しながら国を守る自衛隊本来の使命や任務を子供たちに公正に伝える記述とは言い難い内容だ。

 自衛隊だけでなく米軍も同様だ。

 《今なお沖縄島では面積の約19%がアメリカ軍基地であり、事故、公害、犯罪など数多くの問題が出ている》

 日米安保条約に基づき、冷戦時代、旧ソ連など共産圏の圧力から日本の平和を守り、東アジアの安定を守るといった米軍の役割や存在意義を顧みない記述となっている。

 その米軍が日本国民のために「トモダチ作戦」を展開した。

 ある文科省幹部は「いざという危機に、日本を守れるのは誰なのか、国民は、はっきり分かっただろう。国民意識が変われば、教科書も変わっていくだろう」とみている。

潮流変わるか

 「津波を利用して我欲を洗い落とす必要がある。日本人の垢(あか)をね。やっぱり天罰だと思う」

 石原慎太郎・東京都知事はこう発言して物議を醸した。知事は発言を謝罪し撤回したが、「自己実現」の名の下に、個人の欲求を満たすことのみを優先し、義務よりも権利追求ばかりが強調される教育が横行していることも事実だ。知事の発言がこうした風潮への問題提起だったことも見逃せない。

 震災とその後の計画停電で経済活動も大きな制約を受けた。相次ぐ余震のなかで、自分の暮らしと日本の転落とを重ね合わせ、不安や恐怖を覚えた国民も多かった。テレビでは難局打開に団結が欠かせないとして「がんばろう日本」「日本の力」を鼓舞するスローガンが並び始めた。

 高崎経済大学の八木秀次教授は「日本という国家の繁栄があって、国民の豊かな暮らしも守られる。大震災を通じて私たちは国家と命運をともにしているという当然のことを身に染みて実感できたのではないか」としたうえでこう語る。

 「多くの犠牲から立ち上がるには、『教育の復興』はとても重要。これまで国家は遠ざけられ、国家と自分は無関係、という考えが進歩的ともてはやされてきたが、震災を機に、その陥穽(かんせい)に気づき、潮流が変わることを願っている」

産経新聞より

> 忍従や規律、団結と互助、献身、自己犠牲…。東日本大震災後、被災地から伝えられる光景には、戦後の教育の中で軽んじられてきた日本人の美徳が宿っていた。

日本人の中に宿る精神は脈々と受け継がれていると実感しております。

警官、消防関係者、自衛隊、地方自治体職員、東電の現場の職員、そして被災者の方々

多くの方々が捨て身の覚悟で必死の作業を行ったり、耐え難きを耐え、忍びがたきを忍びながら生活を送っています。

民主党政権という戦後最悪の政権の中、民間レベルでは多くの方々が復興に向けた努力を行っているのは言うまでもありません。
そんな中、未だに教育の現場では反日行動が行われていたりします

>  戦後の学校では、自衛隊の存在に疑問を抱かせるような授業が、当たり前のように行われてきた。教科書にも、そうした記述があふれている。今年3月末に文科省の検定を終えたばかりの中学校の社会科教科書には、自衛隊についてこうある。

 《平和主義に反するのではないかという議論は、冷戦終結後も続いている》

 《武器を持たないというのが日本国憲法の立場ではなかったのかという意見もある》

> 他国の軍事力と対峙(たいじ)しながら国を守る自衛隊本来の使命や任務を子供たちに公正に伝える記述とは言い難い内容だ。

平和主義とは一体なんなのでしょうか?
他国から土足で荒らされても、文句すら言わないことを平和主義とでも言うのでしょうか。あるいは一部の勢力の言う9条があるから日本は平和に暮らせているのでしょうか。

確かに戦後60年以上、日本国は他国から武力による衝突は起きていません。しかし、失ったものも大きい物があります

1)北方領土
2)竹島
3)尖閣諸島
4)拉致被害者、特定失踪者
5)中共支那がバックに付いた左翼勢力の拡大

その結果、事なかれ主義が横行し、権利の主張はするが義務は果たさない。そして、かつて、日本にあった互助の精神が薄れつつありましたが、この震災によって、少しずつながら、本来日本人が持っているものを取り戻しつつあると思います。

今、必要な事は当然ながら、東日本地域の復興ですが、それに伴い、教育のあり方、本来の日本人に宿っているものを取り戻す時期に来ているのではないのでしょうか。

その為にも道徳教育の復活、日教組教育からの脱却は焦眉の急とも言えると思います。

個人的には教育ニ関スル勅語や修身要領の復活を切に願います。

敎育ニ關スル敕語

朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ德ヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世々厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ敎育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ德器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン

斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其德ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ

明治二十三年十月三十日

御名御璽

口語訳

親に孝養をつくしましょう(孝行)
兄弟・姉妹は仲良くしましょう(友愛)
夫婦はいつも仲むつまじくしましょう(夫婦の和)
友だちはお互いに信じあって付き合いましょう(朋友の信)
自分の言動をつつしみましょう(謙遜)
広く全ての人に愛の手をさしのべましょう(博愛)
勉学に励み職業を身につけましょう(修業習学)
知識を養い才能を伸ばしましょう(知能啓発)
人格の向上につとめましょう(徳器成就)
広く世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう(公益世務)
法律や規則を守り社会の秩序に従いましょう(遵法)
正しい勇気をもって国のため真心を尽くしましょう(義勇)

修身要領

 文明日新の修身処世法は如何なる主義に依り如何なる方向に進む可きやとは、今の青年学生の大いに惑う所にして、

先輩に対しては屡ば質問を起すものあり。福澤先生之に答ふる為にとて、生等に嘱して文案を起草せしむ。即ち先生

平素の言行に基き、其大要を述べて先生の閲覧を乞ひ、之を修身要領と名け学生に示すこと左の如し。

      明治三十三年二月紀元節              慶應義塾社中某々誌

   修身要領

 凡そ日本国に生々する臣民は、男女老少を問わず、万世一系の帝室を奉戴して其恩徳を仰がざるものある可らず。

此一事は満天下何人も疑を容れざる所なり。而して今日の男女が今日の社会に処する道を如何す可きやとふに、古来道教の教一にして足らずといえども、徳教は人文の進歩と共に変化するの約束にして、日新文明の社会には自から其社会に適するの教なきを得ず。即ち修身処世の法を新にする必要ある所以なり。

1、人は人たるの品位を進め智徳を研きますます其光輝を発揚するを以て本文と為さざる可らず。吾党の男女は独立自尊の主義を以て修身処世の要領と為し、之を服膺して人たるの本分を全うす可きものなり。

2、心身の独立を全うし自ら其身を尊重して人たるの品位を辱めざるもの、之を独立自尊の人と言ふ。

3、自ら労して自ら食ふは人生独立の本源なり。独立自尊の人は自労自活の人たらざる可らず。

4、身体を大切にし健康を保つは人間生々の道に欠く可らざるの要務なり。常に心身を快活にしてかりそめにも健康を害するの不養生を戒む可し。

5、天寿を全うするは人の本分を尽くすものなり。原因事情の如何を問はず、自ら生命を害するは、独立自存の旨に反する背理卑怯の行為にして、最も賎しむ可き所なり。

6、敢為活発堅忍不屈の精神を以てするに非ざれば、独立自尊の主義を実にするを得ず。人は進取確守の勇気を欠く可らず。

7、独立自尊の人は一身の進退方向を他に依頼せずして自から思慮判断するの智力を具へざる可らず。

8、男尊女卑は野蛮の陋習なり。文明の男女は同等同位、互に相敬愛して各その独立自尊を全からしむ可し。

9、結婚は人生の重大事なれば配偶の選択は最も慎重ならざる可らず。一夫一婦終身同室相敬愛して互に独立自尊を犯さざるは人倫の始なり。

10、一夫一婦の間に生るる子女は、其父母の他に父母なく其子女の他に子女なし。親子の愛は真純の親愛にして之を傷けざるは一家幸福の基なり。

11、子女も亦独立自尊の人なれども、其幼時に在ては父母これが教養の責に任ぜざる可らず。子女たるものは父母の訓誨に従て孜々勉励、成長の後独立自尊の男女として世に立つの素養を成す可きものなり。

12、独立自尊の人たるを期するには、男女共に成人の後にも自ら学問を勉め知識を開発し徳性を修養するの心掛を怠る可らず。

13、一家より数家次第に相集りて社会の組織を成す。健全なる社会の基は一人一家の独立自尊に在りと知る可し。

14、社会共存の道は人々自権利を護り幸福を求めると同時に、他人の権利幸福を尊重して苟も之を犯すことなく、以て自他の独立自尊を傷けざるに在り。

15、怨を構へ仇を報ずるは野蛮の陋習にして卑劣の行為なり。恥辱を雪ぎ名誉を全うするには須らく公明の手段を択む可し。

16、人は自から従事する所の業務に忠実ならざる可らず。其大小軽重に論なく苟も責任を怠るものは独立自尊の人に非ざるなり。

17、人に交わるには信を以てなす可し。己を人を信じて人も亦己を信ず。人々相信じて始めて自他の独立自尊を実にするを得るべし。

18、礼儀作法は敬愛の意を表する人間交際上の要具なれば苟めにも之を忽にす可らず。只その過不及なきを要するのみ。

19、己れを愛するの情を拡めて他人に及ぼし、其疾苦を軽減し其福利を増進するに勉むるは博愛の行為にして人間の美徳なり。

20、博愛の情は同類の人間に対するに止まる可らず。禽獣を虐待し又は無益の殺生を為すが如き人の戒む可き所なり。

21、文芸の嗜は人の品性を高くし精神を娯ましめ、之を大にすれば社会の中和を助け人生の幸福を増すものなれば、亦是れ人間要務の一なりと知る可し。

22、国あれば必ず政府あり。政府は政令を行い軍備を設け一国の男女を保護して其身体生命財産名誉自由を侵害せしめざるを任務と為す。

  是を以て国民は軍事に服し国費を負担するの義務あり。

23、軍事に服し国費を負担すれば、国の立法に参与し国費の用途を監督するは、国民の権利にして又其義務なり。

24、日本国民は男女を問わず国の独立自尊を維持するが為には生命財産を賭して敵国と戦ふの義務あるを忘る可らず。

25、国法を遵奉するは国民たるものの義務なり。単にこれを遵奉するに止まらず進んで其執行を幇助し、社会の秩序安寧を維持するの義務あるものとす。

26、地球上立国の数少なからずして各その宗教言語習俗を殊にすのいえども、其国人は等しく是れ同類の人間なれば、之と交わるには苟も軽重厚薄の別ある可らず。独り自ら尊大にして他国人を蔑視するは独立自尊の旨に反するものなり。

27、吾々今代の人民は先代前人より継承したる社会の文明福利を増進して、之を子孫後世に伝ふるの義務を尽さざる可らず。

28、人の世に生るる智愚強弱の差なきを得ず。智強の数を増し愚弱の数を減ずるは教育の力に在り。教育は即ち人に独立自尊の道を教へて之を躬行実践するの工夫を啓くものなり。

29、吾党の男女は自此要領を服膺するのみならず、広く之を社会一般に及ぼし、天下満衆と共に相率いて最大幸福の域に進むを期するものなり。

あえてお聞きしたいのですが、教育ニ関スル勅語や福沢諭吉の呈した修身要領、どこら辺が軍国主義なのでしょうか。

是非とも御教授願いたいものです
Posted at 2011/05/03 22:48:23 | コメント(7) | トラックバック(0) | 時事関係 | 日記
2011年05月02日 イイね!

本当に初めてか?

菅首相の「初めてだから」に自民「恥ずかしくないのか」

 菅直人首相は1日の参院予算委員会で、東日本大震災と東京電力福島第1原発事故の政府対応に関する世論の評価が低いことについて「すべてが初めてなので完全とは言わないが、全力を挙げて対応してきた。初めてのことだから」と釈明した。

 これに対し、自民党の島尻安伊子氏は「首相はこれまで政治は結果責任だと言っていた。『初めて』と言うことは恥ずかしくないのか」と切り返した。

産経新聞より

宮崎口蹄疫の際には財務大臣、この震災と尖閣の際には首相、そして

阪神大震災の際には新党さきがけ政策調査会長

だったんですが、それでも初めてと言い切るんですか?
むしろあの村山よりも最悪なのですが。
Posted at 2011/05/02 05:58:43 | コメント(13) | トラックバック(0) | 時事関係 | 日記
2011年05月02日 イイね!

沖縄は本当に日本国から見捨てられているのか?

久々の歴史関係です。
なぜこのブログを書こうかと思ったのか?いきさつはこちらのブログやコメントのやり取りをまずご覧いただきたいと思います。

仲井真知事は琉球国王になったつもりなのか?

先ず沖縄を語るには沖縄の元となる琉球王国の歴史を知らなければなりません。
先ずこちらの動画をご覧ください。



琉球王国

琉球王国(りゅうきゅうおうこく)は、1429年から1879年にかけて沖縄本島を中心に存在した王国。当時、正式には琉球國(りゅうきゅうこく、琉球方言:ルーチュークク)と称した。

最盛期には奄美群島と沖縄諸島及び先島諸島までを統治した。この範囲の島々の総称として、琉球列島(琉球弧)ともいう。王家の紋章は左三巴紋で「左御紋(ひだりごもん、フィジャイグムン)」と呼ばれた。

勢力圏は小さな離島の集合で、総人口17万に満たない小さな王国ではあったが、隣接する大国明・清の海禁や日本の鎖国政策の間にあって、東シナ海の地の利を生かした中継貿易で大きな役割を果たした。その交易範囲は東南アジアまで広がり、特にマラッカ王国との深い結びつきが知られる。

明及びその領土を継承した清の冊封を受けていたが、1609年に日本の薩摩藩の侵攻を受けて以後は、薩摩藩による実質的な支配下に入った。ただし対外的には独立した王国として存在し、中国大陸と日本の文化の両方の影響を受けつつ、交易で流入する南方文化の影響も受けた独自の文化を築き上げた。

薩摩による琉球侵攻

16世紀後半、豊臣秀吉が明とその進路にある李氏朝鮮を征服しようとし、琉球王国に助勢を命じたが、明の冊封国であったため国王は一旦拒否した。しかし、実際に文禄・慶長の役で日本が朝鮮半島に攻め込んだ時には、琉球は日本軍に食料を提供し、日本軍の兵站の一部を担った。

1609年(琉球暦万暦37年・和暦慶長14年)、薩摩藩の島津氏は3000名の兵を率いて3月4日に薩摩を出発し、3月8日には当時琉球王国の領土だった奄美大島に進軍。3月26日には沖縄本島に上陸し、4月1日には首里城にまで進軍した。島津軍に対して、琉球軍は島津軍より多い4000名の兵士を集めて対抗したが敗れた。4月5日には尚寧王が和睦を申し入れて首里城は開城した。

これ以降、琉球王国は薩摩藩の付庸国となり、薩摩藩への貢納を義務付けられ、江戸上りで江戸幕府に使節を派遣した。その後、明を滅ぼした清にも朝貢を続け、薩摩藩と清への両属という体制をとりながらも、琉球王国は独立国家の体裁を保ち、独自の文化を維持した。琉球王国が支配していた奄美群島は、薩摩藩直轄地となり分離されたが、表面上は琉球王国の領土とされ、中国や朝鮮からの難破船などに対応するため、引き続き王府の役人が派遣されていた。

Wikipediaより引用

琉球処分

1871年に全国で廃藩置県を実施した日本の明治政府は、1872年(明治5年)、琉球王国を強制廃止して琉球藩を設置した。これは琉球国を国家としてではなく令制国として扱うという形を取った物である。しかし清はこの日本の政策に反発、琉球は古来中華帝国に服属していたものとして、琉球の領有権を主張した。当時の東アジアの秩序は、中国・清王朝を中心とした、朝貢を基本とする華夷秩序によって形成されており、琉球も例外ではなかった。これに対し、日本は「万国公法」にある近代的な「国民国家」理論を適用し、「日清重属」であった琉球を取り込もうとした。 日本は琉球領有の正当化のため、台湾原住民による琉球人殺害(宮古島島民遭難事件)の報復として1874年(明治7年)に台湾出兵を行なった。戦後、清国と結ばれた条約により、琉球民のことを<日本国属民>と表記することによって、条約上、琉球が日本の版図であることを日清両国が承認する形となり、琉球処分を進める上で、日本に有利に解釈される結果となった。あくまで一国の形態を維持している琉球国(藩)にごうを煮やした日本政府は1879年(明治12年)4月4日に琉球処分を行い、日本の一県として廃藩置県を断行した。即ち、軍隊と警官を派遣して琉球藩の廃止を宣言し、鹿児島県に編入した。同年中に沖縄県を設置し、薩摩以前の宗主国である清国との関係を重視する王族士族の抵抗(サンシー事件など)を退けた。一部の抵抗者は清に亡命し、琉球回復の政治活動を行い、彼らは脱清人といわれた。しかし日本政府が最も危惧した清国の武力介入は結局行われず、琉球王国は中央集権的近代日本国家に組み入れられて消滅した。国王(藩主)であった尚泰は侯爵に叙せられ、東京への定住を命ぜられた。第二尚氏家系は現在も続いている。

清は、この動きに反発し、両国関係が緊張した。翌1880年(明治13年)、アメリカ前大統領グラントが仲裁に入り、沖縄県から先島諸島を分割し、清へ割譲する案を提示したが、清が拒絶したため頓挫。

最終的な領有権問題の解決は1894年(明治27年)の日清戦争後で、戦争に敗れた清は台湾を割譲、同時に琉球に対する日本の主権を認めざるを得なくなった。琉球処分以降の、中華民国の、尖閣諸島を含む沖縄諸島の認識は、日本領として正式に承認し、両国間では一応の決着がついていたことが判明している。その証拠として1920年に中華民国から日本の石垣村に送られた感謝状には『日本帝国沖縄県八重山郡尖閣諸島』という記載がある[6][7]。

近代化政策

正式に日本の領土とされた沖縄県であるが、実情は世界に比べて法整備が遅れ、琉球時代旧来の体制が引き継がれることとなった。先島諸島の人頭税廃止を求める住民が宮古島で運動を起こしたことをきっかけに、沖縄県各地で旧制度廃止・改善をめぐる運動が起こった。運動は1890年代に県庁農業技師の謝花昇を中心に高揚し、県政の改善や参政権を要求した。この運動の成果かはわからないが、徴兵制、地租改正、市町村制、府県制、衆議院議員選挙法などが、概ね本土から10~25年遅れて施行した。

一方で日本政府による沖縄県の皇民化計画は、時局とともに強まっていった。1890年1月、天皇への崇敬心を養うことを目的に、琉球八社の中心であった波上宮を官幣小社に列した。これらの動きと並んで、沖縄各所にあった御獄(うたき)、拝所は村社として整理・統合され、拝殿や鳥居を設置し、神道の布教が実施された。これらの政策の一環として、1898年1月には徴兵令が施行された。

1920年(大正9年)に、南洋諸島が日本の委任統治になると、新天地を求めた住民が環境の似たこの地へこぞって移住した。また同時期に、ハワイやブラジルなどの中南米諸国へも多数が移民した。第一次世界大戦による戦争バブルが崩壊し、1930年代に世界恐慌による大不況と、全国規模の農産物の不作が発生すると一時的に飢饉となり、貧家ではソテツの実を毒抜きして食べたりもしたが、毒抜きが不十分で死んでしまうこともあり、「ソテツ地獄」と呼ばれる状況となった。この貧窮は、さらに出稼ぎを目的とした本土(特に大阪市大正区には、沖縄からの出稼ぎ労働者が多く移住してきたため、現在でもその一部とその子孫らが暮らしている)や南洋諸島、中南米への移民を促進することとなった。

Wikipediaより引用

このように戦前の歴史を見ても、沖縄は特異な歴史を持った地域と言えるでしょう。
本題はここから入りますがまずは沖縄戦の様子をご覧ください







沖縄戦が凄惨を極めたのは言うまでもないでしょう。
しかし、本当に日本国は沖縄県民を犠牲にするだけだったのでしょうか?







確かに鉄血勤皇隊やひめゆり部隊等の沖縄県民の動員や、一部の地域では日本軍による殺害事件(久米島守備隊住民虐殺事件等)があったりしましたが、民間人の避難のための疎開活動(ただし対馬丸の様な痛々しいものもありましたが)や、菊水作戦、天一号作戦など行い、大日本帝国の一部として扱ったのではないのでしょうか。

また戦後、沖縄は米国によって統治されたこともある以上、他県とは特殊な事情を抱えているのは間違いありません(沖縄以外で米国統治されたところは東京都小笠原村)しかし、返還後、日本は沖縄を本当に見捨ててきたのでしょうか?

沖縄の振興

沖縄振興特別措置法関係
沖縄振興特別措置法に基づく観光、情報通信産業、中小企業、離島などの振興等特例措置の延長及び拡充
観光振興地域に係る特例措置(法人税(投資税額控除)、特別土地保有税の非課税、事業所税の課税標準の特例)〔延長・拡充〕
沖縄型特定免税制度に係る特例措置(関税の免税)〔延長〕
航空機燃料税の軽減措置(航空機燃料税の軽減)〔延長〕
情報通信産業振興地域・情報通信産業特別地区に係る特例措置(法人税 (所得控除、投資税額控除)、特別土地保有税の非課税、事業所税の課税標準の特例)〔延長・拡充〕
金融業務特別地区に係る特例措置(法人税(所得控除、投資税額控除)、特別土地保有税の非課税)〔延長・拡充〕
産業高度化地域に係る特例措置(所得税(特別償却)、法人税(投資税額控除、特別償却)、特別土地 保有税の非課税、事業所税の課税標準の特例)〔延長〕
自由貿易地域・特別自由貿易地域に係る特例措置(所得税(特別償却)、法人税(所得控除、投資 税額控除、特別償却)、 関税(選択課税)、特別土地保有税の非課税、事業所税の課税標準の特例)〔延長〕
中小企業者の経営革新の取組支援のための沖縄特例措置(所得税(投資 税額控除、特別償却)、法人税(投資税額控除、特別償却)〔延長〕
経営基盤強化計画を実施する沖縄の中小企業者に対する特例措置(所得 税(割増償却)、法人税(割増償却)〔延長〕
沖縄振興特別措置法に基づく電気の安定的かつ適正な供給の確保に係る特例措置(石油石炭 税(免除)、固定資産 税の課税標準の特例)〔延 長〕
離島の旅館業等に係る特例措置(所得税(特別償却)、法人税(特別償却)、特別土地保有税の非課税)〔延長〕
沖縄の復帰に伴う特別措置に関する法律関係
 沖縄の復帰に伴う特別措置について、本土諸制度への円滑な移行を図るための特別立法による特例措置の延長等
沖縄県産酒類に係る酒税の軽減措置(酒税)
揮発油に係る揮発油税及び地方道路税の軽減措置(揮発油税、地方道路税)〔延長〕
多極分散型国土形成促進法関係
 地域振興の拠点となる地域(振興拠点地域)において当該地域の特性に即した特色ある機能を集積させる開発整備の総合的かつ計画的な実施を促進し、地域主導による地域づくりを支援するための特例措置の延長
多極分散型国土形成促進法に基づく振興拠点地域に係る特例措置(事業所税の課税標準の特例)〔延長〕

内閣府より

また基地の問題などありますがこちらをご覧ください(注:当方、幸福実現党の支持者ではありません)



沖縄から米軍が撤退したら本当に平和になれるのでしょうか?









仮に米軍を排除し、支那が沖縄に触手を伸ばした場合、南沙諸島やダルフールで起きたようなことが起きないと言えるのでしょうか。

ちなみにあなたにとって沖縄とは戦争以外ではどんなイメージを持っているでしょうか



美しい海や風景

黒木メイサ、仲間由紀恵、新垣結衣、国仲涼子、知花くららのような美女

色々あると思います。
しかし、これらを守ることをできるのも、捨てることをできるのも

日本国民次第

と言う事になります。

個人的には沖縄が独立国家になるなどあり得ないと思います。
仮になった場合、独立国家として安全保障と経済的な繁栄は厳しいと思います。
強いて言えば、ガス田開発を琉球国主導で開発しかないのですが、それが琉球国単独でできるとは思えません。ましてや支那が開発を進めており、その近辺には潜水艦等の軍艦が屯している以上、防衛力がなければ琉球国のみでの開発は不可能です。ましてや、琉球は支那のものと主張しているくらいですから、琉球国が支那の属国になるのは火を見るより明らかだと思います。

〆はこちらの動画と致します。



沖縄をはじめ、北方領土、竹島、対馬、尖閣諸島、沖ノ鳥島等、日本国民は多くの離島問題を一つ一つ解決していかないといけません。
Posted at 2011/05/02 05:39:25 | コメント(4) | トラックバック(0) | 歴史関係 | 日記
2011年05月01日 イイね!

福島原発放射能漏れ問題 - 東電だけの問題なのか

「結婚して子供産みたい」 東電の住民説明会で怒り、困窮の声

 「結婚して子供を産むという夢がある」「原発事故で住む所さえない。戦争の時よりひどいと言うお年寄りもいる」。福島県飯舘村と川俣町で30日開かれた東京電力の住民説明会。住民から原発事故への怒りや生活面での困窮を訴える声が相次いだ。

 飯舘村の中学校の体育館フロアは、大勢の村民で埋め尽くされた。鼓紀男副社長ら東電幹部5人は返答する際に立ち上がる以外は、終始正座したままで質疑に応じた。

 質問に立った高校1年の渡辺菜央さん(15)は「子供が産めない体になるのではないかと不安」と訴えた。東電側が「いろんな対策を取り、そうならないように努めています」と答えると、渡辺さんは「だったら、もっと早く避難を呼び掛けてほしかった」ときっぱり。参加者からは大きな拍手が起きた。

産経新聞より

「我慢も限界」「来るだけ政府よりまし」埋まらぬ溝 質疑応答2時間以上 東電の避難住民説明会

メディアは東電の方に目を向かせがちですがこちらをご覧ください

震災支援の謝意表明にまで「?」の菅政権

 「震災発生から1カ月半になるが、菅政権の対応はお粗末というしかない」

 東日本大震災をめぐる菅政権の対応について安倍晋三元首相が28日付の夕刊フジでバッサリと切り捨てている。一野党議員の「ためにする」批判とは違い、首相経験者自ら具体例を列挙しての「義憤」だけに菅直人首相としても耳の痛いところだろう。

 東電福島第一原発事故について首相以下、政権側は再三、「東電の責任」を強調したが、安倍氏は震災当日の3月11日、政府が「原子力緊急事態宣言」を発令した事実を指摘。「首相に、原子力事業者に指示・命令できる強い権限を与える宣言であり、当然、権限には責任が伴う」とし、官僚や東電幹部を怒鳴り散らした首相の無自覚、無責任ぶりを厳しく指弾している。

 生活必需品の配給や金銭債務の支払い延期などの措置ができる「災害緊急事態」を布告していないこと、10万人規模の自衛隊派遣を実施しながら「安全保障会議」すら招集しないことにも疑問を投げかける。

 こうした大規模災害時の行政対応は、人命救助に始まり物資輸送、仮設住宅の整備、地域の復興など段階事に手順がある。「どの省庁にどんな権限があり、どう動かしていくか」を熟知した専門家は政府内外に多数いるはずだ。首相周辺にいなかっただけでなく、そうした専門家に進言してもらう仕組みすらできていなかったということだろう。

産経新聞より引用

「その場限りの対応で事態収束遅らせた」 辞意表明の内閣官房参与が菅政権を激しく批判

 小佐古敏荘(こさこ・としそう)内閣官房参与(東京大大学院教授)が29日、官邸を訪ね菅直人首相宛てに辞表を提出した。小佐古氏は同日夕記者会見し、東京電力福島第1原子力発電所事故への政府の取り組みに関し「その場限りの対応で事態の収束を遅らせた」と激しく批判した。

 小佐古氏は放射線安全学の専門家。首相は原発事故で外部から助言をもらうため、6人の内閣官房参与を起用した。最も早い3月16日に就任した同氏が、公然と政権批判して辞意を表明したことは、首相の原発対応の稚拙さを改めて浮き彫りにした。

 27日に今後の原子力対策について報告書を提出した小佐古氏は、「提言の一部は実現したが、対策が講じられていないのもある。何を言っても無意味だというなら、参与に留まる意味がない」と述べ、不満をあらわにさせた。

 なかでも福島県内の小学校や幼稚園などの利用基準で、被曝(ひばく)限度を年間20ミリシーベルトと設定していることを「とても許すことができない」と非難。特に同県内の小学校などの校庭の利用に際し、この基準を使用することを問題視し、見直しを求めた。

 さらに「(小学生らに)無用な被曝をさせてはいけないと官邸に何度も言った。(このままだと)私の学者としての生命が終わる」と述べた。

 緊急時迅速放射能予測ネットワークシステム(SPEEDI)についても「法令の手順通り運用されておらず、結果も迅速に公表していない」と指摘した。

産経新聞より

「官邸幹部から、SPEEDI情報は公開するなと命じられていた。さらに、2号機でベントが行なわれた翌日(16日)には、官邸の指示でSPEEDIの担当が文科省から内閣府の原子力安全委に移された」

 「原子力安全委が公表するかどうか判断するので、県が勝手に公表してはならないと釘を刺されました」

元ネタは今週の週刊ポスト、ソースは瀬戸弘幸ブログ日本よ何処へ様と陽光堂主人の読書日記様より引用

つまりこの災害は東電のみならず民主党政権の責任も多々あります。しかし、根本的な原因をよく考えてみてください。

1)かつての自民党も原子力対策をおざなりにしてきた
2006年3月1日、吉井英勝(京都大学原子核工学科卒業、日本共産党)は、国会質問で当時の経済産業大臣の二階俊博(自由民主党)に対して、福島第一原子力発電所を含む43基の原子力発電所における津波対策の不備を指摘し、冷却水喪失による炉心溶融の危険性を警告した[117][118]。このとき二階は吉井に対策を約束したが、実際には改善を行わなかった。
吉井は同年12月13日にも、「巨大地震の発生に伴う安全機能の喪失など原発の危険から国民の安全を守ることに関する質問主意書」[119]を内閣に提出し、原発の安全対策の不備に注意を喚起したが、当時の内閣総理大臣安倍晋三は、「我が国において、非常用ディーゼル発電機のトラブルにより原子炉が停止した事例はなく、また、必要な電源が確保できずに冷却機能が失われた事例はない」と退けた
Wikipediaより引用

2)仮にメディアによる世論操作がなかったとしても、先の衆院選で自民党が選ばれたのか

3)なぜ、政治不信に陥ったのか

自民党にも全く責任がないとは言えません。しかし、自民党の場合は過去の行いを反省し、その都度、生まれ変わるよう努力してきました。しかし、民主党の場合は反省をするどころかむしろ隠ぺい体質を強化しています。

そしてその民主党を選んだのは他でもない我々有権者の責任でもあるのです。
今回の災害における教訓の一つとして

有権者は選挙や政治から目を逸らさず、政治家に対してシビアな目で見るべき

ではないのでしょうか。政治に対する無関心が今回の災害の悪化の一つになったのではないかと思います。

前々から訴えておりますが、政治と生活は密着しております。
政治から目を逸らすというのは生活から目を逸らすというのと同意義だと言う事を、我々、日本国民は今回の一件で痛いほど学んだのではないでしょうか。

有権者の今後の課題は

如何にメディアなどに左右されず、自らの目で政治家を選び出すこと

ではないかと思います。そのためにはまず、政治に興味を持ち、選挙に行く重要性を認識してほしいものです。
Posted at 2011/05/01 04:01:25 | コメント(5) | トラックバック(0) | 時事関係 | 日記

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