この記事は、
全く報道されないなら俺が掲載してやる!福島県いわき市被災状況について書いています。
「こんな生活いつまで」 いわき市・松堂さん、外出できず
福島第2原発から約40キロ、同第1原発から約50キロ離れた所に住む伊平屋村出身の松堂真吉さん(65)=福島県いわき市=が18日、本紙の電話取材に答えた。ライフラインが寸断されている中、外出できない状況が続くことに松堂さんは「いつまでこんな生活が続くのか」と不安な心境を語った。
原発から20キロ圏内は避難指示、30キロ圏内は屋内退避指示が発令されている。松堂さんの自宅は指示対象外だが、市内の放射線測定地点では15日午前4時に通常の約400倍に当たる1時間当たり23・7マイクロシーベルトが観測された。市役所や警察からの指導もあり、松堂さんは外出を控えている。
食料も底を突き始めた。近くに住む長女が避難所を回って食料を確保し、松堂さんの自宅まで届けている。長女から避難しようと誘われたが「ガソリンもないし、どうにもならない」。
原発は18日も放水が続けられたが、いつになったら事態が沈静化するのか不透明なままだ。「いつまで我慢すればいいのか。怖いというより生活に対する不安の方が大きい」と吐露した。
琉球新報より
避難所で高齢者ら14人が死亡 福島県いわき市
2011.3.17 11:32
福島県立いわき光洋高校(いわき市)の避難所で、病院や介護施設から避難してきた高齢者ら入院患者14人が死亡していたことが17日、分かった。
亡くなったのは、男性6人、女性8人。全員が要介護者だったという。
県災害対策本部などによると、福島第1原発の20キロ圏内で避難指示が出たことを受け、14日に双葉病院(大熊町)などから128人の入院患者が、自衛隊のバスでいわき光洋高校に避難。別の病院などに移るために一時的に避難所で待機してたが、16日までに14人が亡くなった。そのうち2人はバスの移動途中で亡くなったという。
当時、避難所には医師1人、看護師2人など医療スタッフがいたが、医療機器が最低限しかなく、畳の上に毛布を敷き、寝ていたという。ヒーターで暖はとっていた。16日までにほとんどの患者は別の病院などに移ったという。
同校の校長は取材に対し、「とにかく異常なことが次から次へと起きている。今はまだ混乱しているしか言えない」と話している。
産経新聞より
水なし燃料なし鉄道なし3日 いわきの母連れ疎開ルポ
東日本大震災の被災地、実家のある福島県いわき市へ行ってきた。独り暮らしの母の「疎開」のためだ。水道の不通、ガソリンの枯渇、鉄道を軸とする基幹交通網の停止。三重苦のなか、往復に3日を要した。
同市小名浜にある実家は、大型の漁港や工場群が続く海岸線から1キロ奥まった市街地にある。11日、震度6強を記録し、津波も起きたというが、電話がつながらない。築40年の木造家屋が無事とは思えなかった。
幸い、同日夜になって災害用伝言サービスにメッセージが吹き込まれていた。家に大きな被害はなく、水道が止まっただけだという。
大津波警報による東名高速道路の通行止め解除を待ち、13日午前、自家用車で奈良を出発した。東北地方の鉄道は復旧していないし、東京・いわき市間の常磐自動車道も止まっている。阪神大震災を取材した時の大渋滞を思い出したが、東京から先は国道6号を北上するしかなかった。
夕刻、東京から千葉県へ入るあたりから断続的に渋滞が起きた。沿線のガソリン不足はすでに始まっていて、スタンドでの給油は「2千円まで」の限定だった。
渋滞が最もひどかったのは茨城県石岡市で、約30キロに6時間近くかかった。給油待ちの車列が片側1車線の道路を塞いだためだ。停電で暗く、原因を確かめられないまま、車だけがどんどん連なったらしい。
現地到着は翌14日午前2時。東京から170キロの移動に9時間を費やした。小名浜の港湾施設は津波を被ったものの、実家を含む周囲の住宅や商店に大きな影響はなかった。
しかし、周囲から聞こえてくる被災地事情は芳しくないことばかりだった。ガソリンの枯渇で市内のスタンドのほとんどが休業。おかげで給水車も動けず、市水道局は市街地から約3キロ離れた浄水場で直接給水するよう呼びかけている。午前9時のスーパーマーケット開店を2時間前から待てば買い物ができるが、午後に行くと混雑がひどくて夕暮れまでかかる――。
事故が拡大する原発からは約50キロ離れてはいる。といっても自動車免許のない、78歳の母が一人で普段通り暮らせる環境ではなかった。「今後3日間にマグニチュード7クラスの余震が起きる確率は70%」という、物騒なニュースも流れていた。
14日昼前。しぶしぶ疎開を決断させ、東京へ車を走らせた。ガソリン残量はぎりぎり。被災地の写真を撮る気持ちの余裕さえなかった。
海岸線を通る国道沿いの風景から、被害の大きさを知ることができた。津波をかぶった住宅地を高台からぼうぜんと見下ろす人たち。防波堤に打ち上げられて真っ黒に焼けこげた自動車。積み木を崩したように全体が倒れた大谷石の塀。
かろうじて開いているガソリンスタンドはどこも、数キロはある長い車列ができ、「2千円まで」「20リットルまで」の張り紙が目立つ。ほとんど全線が渋滞し、東京都内に入ったのは12時間後。親類宅にひとまず落ち着いた。
明けて15日。近くのコンビニエンスストアをのぞくと、弁当やパン、ミネラルウオーター、電池などが消えていた。向かい側のガソリンスタンドは、前日見たのと同じ車列。計画停電の影響で開店を1時間遅らせたスーパーは米が売り切れていた。
東京以西の高速道路は、いつもと変わらない平穏さだった。ところが、15日夜に奈良へ着いてみれば、東京と同じ買い占めと品薄がスーパーや電器店で起きていた。買い占めがここにも、とあぜんとさせられた。
朝日新聞より
朝日、琉球新報等の普段ならソースにすら使わないところを使いましたが、理由はあります。
詳細は
主水さんのところや
へぼ狼さんのところもご参照になればわかりますが
情報が一致している
という事を重視いたしました。
現在のいわき市は完全なる陸の孤島でこのままでは餓死者、孤独死者あるいは適切な治療も受けられずに死亡する方もさらに出てきます。
原発も重要ですが、どうか、今、生きている方を見捨てないで下さい。
今でも救助の手を待っている方が多々いるのですから。
追伸:Nabekoさんのところも見に行ってください。今のいわき市の状況がどういう状態なのかを
https://minkara.carview.co.jp/userid/720305/blog/21822164/
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Posted at
2011/03/19 21:33:59