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2011年08月05日

さらば 汚された英雄 ~元祖「不死鳥伝説」Part ⅳ~




*封印された30度バンク。確かに速く走れるラインは1本しかない!

ふと、気づいたことがあります。筆者として白羽の矢をたてた内藤国夫さんについて、簡単に、ニュージャーリズムの旗手とだけしか説明していなかった、ということです。

創刊して3年目を迎えた「ベストカー」が、まだ「ベストカーガイド」という古めかしい誌名をまとっていた1980年、富士スピードウェイが閉鎖される、という仰天のニュースが取り沙汰されます。西の鈴鹿と並んで、東のモータースポーツのメッカと謳われたFISCOとはいったい何だったのか、もう一度、問い直してみようじゃないか。そこで「実録モータースポーツ」の連載を企画。筆者には、専門外の内藤国夫さんにしたらどうか、と閃くものがありました。

 内藤さんは昭和12年生まれ。1999年に62歳で鬼籍の人となってしまったが、毎日新聞在籍当時は「警視庁」や「都庁」のクラブキャップを務めるなど花形記者として活躍し、病める巨大組織創価学会にメスを入れた功績は大きかった。ところが、取材情報源となった顧問弁護士が学会に対して三億円を恐喝した、しないというスキャンダルが表面化し、ついには内藤さんも毎日新聞に辞表を叩きつけてフリーとなったばかりだった。かつて、ぼくが「月刊現代」編集長だった時代(1974~77)、創価学会・公明党のあり方にターゲットを定めた長編論文をお願いし、それが内藤さんの創価学会批判に火をつけてしまったという因縁もあって、フリーになった内藤さんに新境地を拓いてほしい――それはモータースポーツの世界だ、と口説いたのである。


*左が内藤国夫さん。この取材の後、ルマンに飛ぶなど、とにかくアグレッシブ!

執筆にあたって、とにかくFISCOに行ってみようよ。内藤さんのフットワークは軽かった。徳大寺さんにもつき合ってもらって、ぼくらはFISCOへとクルマを走らせた。

「あれは何ですか! あの白い墓標が肩を寄せ合っているようなものは?」
グランドスタンドに陣取った内藤さんがいきなり指をさす。眼下の直線コースが第1コーナーへと湾曲するポイントの向こうに広がる異様な風景。レース中のアクシデントを契機に立ち入り禁止となっている「30度バンク」の存在を、敏腕ジャーナリストは目敏く発見した。

さっそくFISCO側に交渉して、「30度バンク」への立ち入り許可をもらった。右回りのすり鉢型のバンクは荒れたまま、風に揺れるススキの穂に縁取られていた。
「まるで古戦場のようだ」


*30度バンク手前で衝突音。つづいて白煙が……。(「ベストカーガイド〉81年3月号より)

 そんな感想を口にした内藤さんが絶句する。1974(昭和49)年6月の富士グランドチャンピオンレース第2戦。ここで発生したアクシデントによって二人のドライバーが命を失い、以後、閉鎖されたことと、その事故の引き金となったスタードライバーが悪役扱いをされ、レース界を追放されてしまった事件を、徳さんから聞かされたのである。
「その消されたレーサー、黒沢元治は、いまどうしているのかな? 逢えませんか!」
*   *   *   *   *   *   *
「いまから考えると、自分の読みが甘かった。というか、誤り、つまずきの一歩だった」
 ガンさんの述懐です。ガンさんは強すぎた。富士グラチャンで圧倒的な勝利を重ねた。
 ところが73年に、ファクトリー・ドライバーも参加できるようになった。「打倒・黒沢」で日産チームが燃えた。そして次の年の第2戦で30度バンクを舞台に、あのいまわしい惨事が発生してしまう。

「2ヒート制で午前中のレースはマシンのバランスが悪く、2位でフィニッシュしたため、午後のレースはクニさん(高橋国光)が前で、北野(元)が後ろで、そのすぐあとに長谷見(昌弘)がいたのかな。とにかく周りはみんな日産の連中ばかりでした」

 日産現役チームvs.一匹狼のガンさん。30度バンク入り口での、1本しかないベストラインをめぐる壮絶な競り合い。高橋国光がトップで飛び込んだ。黒沢と北野が並走しながらつづいた。

「30度バンクに限らず、どんな広いコーナーでも、ベストラインは一つしかない。右側から入ったぼくの方が少し前に出ていた。当然、北野君が退くと思っていた。ところが彼は芝生にタイヤを出しながら、そのまま入って来た。彼にしても後ろに高原かだれかがいたらしく下がりにくかったんだろうが、ぼくと接触した。ぼくの方はそのまますっと抜けたんだけど……当時のフィルムがTBSあたりに保存されているでしょうから、もう一度確かめたいですね」



 ガンさんは、その直後に起こった惨事(註:コースを横切ってスピンをする北野マーチに鈴木誠一のローラTがぶつかり、はずみでガードレールにつっこんで炎上。風戸裕のシェブロンも北野マーチと接触し、ガードレールに激突、そのままに空中に舞い、コース外の路面に叩きつけられて炎上)も知らずに先行するクニさんを追って一周し、再び30度バンクにさしかかる。

「それでビックリした。すごい事故になっているので。だけど、その事故がなんで起きたかわからず、そのまま走り抜けようとした。レース中止を知らせる赤旗も振られてなかったし……ところが北野君が血相をかえてコースの中に飛び出して来た。ともかく、マシンを止めたら、いきなりぶん殴られた。なんで怒っているのかも、そのときのぼくは分からなかった。あとになってぼく一人が悪者にされ、黒沢が寄せたんじゃないか、ぶつけたのではないか、と問題にされた。故意にぶつけるなんて、自分の生命だって危険にさらされるわけで、あり得るはずがない。それにそういう時、ちょっとでも後になったクルマが下がるのがルールです」

 しかし、事故の責任はガンさんだけに押しつけられ、JAFにライセンスを返上する羽目に。
 ガンさんがどんなルール違反を犯したというのだ。内藤さんが指摘した。「まるで中世の魔女狩り裁判だね」と。

「亡くなったお二人は気の毒なことをしたと思います。しかし、レースである以上、時に事故が起こるのも当たり前。自分だっていつ死ぬかわからない。それがイヤなら最初からレースをやるな、という考えでしたから、タイヤテストで鈴鹿を走ったところ、非難がすごかった。黒沢は図々しくも次のレースをやろうとしている、人でなしだ、などと。亡くなった選手の葬儀に参列しようとしても、お前なんか来るんじゃない、って門前払いを食わされたり。ぼくがまるで人を殺したような話になった。それでも風戸君のお父さんをはじめ、別に黒沢がやったんじゃない、たまたま不幸な事故に巻き込まれたんだ、という理解ある態度に触れられたのが、せめてもの救いでした」



*語り終えたガンさん。赤いシビックで夜の町へ帰って行った。
それが次なる挑戦へのスタートとなる。
 

まさに『6年目の血を吐く告白』だった。1年後、一度はレースに復帰したものの、スポンサーを失ったガンさんに、トップを走る戦闘力はなかった。レース界から身を退かざるをえなくなり、そのまま消息は絶えた。山高ければ、谷深し。そこから不死鳥のように蘇ったガンさんは新境地を切りひらき、たくましく羽ばたいて復活するのだが、それからのひたむきな、見事な生き様については、このあと、ガンさんの「ベストモータリング」を主軸とした活躍をトレースしながら、書き継ぎたい。

 ついでながら、富士スピードウェイ(FSWと改称)はトヨタ自動車の手によってリニューアルされ、2007年には一旦はF1を開催する国際コースト格上げされた。そして「30度バンク」はFISCOの歴史を語る1ページとして整備され、「メモリアルパーク」として蘇っている。

ブログ一覧 | 実録・汚された英雄 | 日記
Posted at 2011/08/05 15:04:53

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この記事へのコメント

2011年8月5日 18:14
何かコメントを残したい気はあるのですが、言葉がみつかりません。
コメントへの返答
2011年8月5日 21:31
言葉がみつからない。それも、とっても大事な言葉だと思います。

どうぞ、遠慮なく、心に浮かんだ印象を、素直に書いてみてください。お待ちしています。
2011年8月5日 19:02
レースというフィールドではないものの、ガンさんの力を存分に発揮できる場所で復活し、だからこそ、暗迷の時代を思い出として語ることができるのを嬉しく思います。


明日はガンさんの誕生日ですね!
コメントへの返答
2011年8月5日 21:35
「あど」さん。ご無沙汰しています。特製リーフのインプレッション、使うチャンスを探っています。もう少し、お待ちを。

さっき、ガンさんと電話で会話。明日の誕生日を祝うべく、箱根の山は20台のNSXに包囲されているそうです。ガンさん、羨ましいほど、幸せです。
2011年8月5日 20:02
本件のブログを拝見していてコメントをするタイミングを計りかねていました。

事故の真実は以前より知りたいと思っていました。

それよりこの件は“触れてはいけないタブー扱い”だと思っていましたので、過去にご本人から直接取材された方がいらしたのは驚きでした。

ネットで手に入る情報のどれもが、

「黒沢が強引にラインを塞いで事故を起こした....」

と、なっています。

しかし、映像の中のガンさんからは“勝利の為なら手段はいとわない”という感じは受けませんでしたし、そんな人物が名だたるトップドライバーの誰からも一目置かれているのはおかしい....そんな違和感を持って見ていました。

しかし一連のブログを拝見してそのモヤモヤが晴れて来ました。


引き続き興味深く拝見させて頂きます。

コメントへの返答
2011年8月5日 21:41
30度バンクへの入り口は1本しかない。
レーシングドライバーなら、だれもが分かっていることです。ガンさんの言葉は、重い。

1980年に出会ってから、30年余。その間のガンさんの本当の姿を、若い読者(年齢ではありません)に、しっかり伝えておくのが、ぼくにできる、あなた方への責務です。
2011年8月5日 20:51
本当に、言葉がありません。

ただ、当時のフィルムは残っていないのでしょうか。現代の解析技術で当時のルールを照らし合わせ、事故原因を解明するべきだと、強く感じました。

ガンさんの汚名を注ぐのも勿論ですが、亡くなった二人の方のためにも、当時参加していたワークスメンバーのためにも、真相を明らかにするべきです。

結論は、わかりきっています。故意に進路妨害したり危険走行を仕掛ける人など、誰一人としていません。あの瞬間、ガンさんはじめ誰もが30度バンクで勝負をかけ、不可避に陥ってしまった不幸な事故です!(当時は何も知りませんが、だからこそ文面からは、そう読み取れます。)

せめてそれだけでも解明できれば・・・

わだかまりが溶けた笑顔の集合写真を、ベストカーで是非とも見たいです。

コメントへの返答
2011年8月5日 21:46
今回の原稿では、まだそこまで書き込んでいませんが、必ず補稿します。

おっしゃるように、TBSが持っているはずです。

北野元さんとは、その後、それなりの出来事があり、そのことも、いずれ紹介します。
2011年8月5日 21:43
やっぱり事故の内容にもフォーカスしちゃいますよね・・・
ちょっと風向きを変えたくて書きこみます。すみません。
ガンさん以外の声も聞かないとフェアじゃないでしょう?

前のコメントで書いた
「レーサーの死」
「まだ振られないチェッカーフラッグ」
これはガンさん以外の当事者のインタビューをとっています。
その中には後ろから見ていたレーサーも当然います。

ガンさんが北野号に当てにいったのは事実のようです。



コメントへの返答
2011年8月5日 21:51
いや、そういう指摘は大歓迎。

その辺も、ぼくなりの材料で、いずれ明らかにします。

レーシングドライバーの事故死。高橋徹君のことからも、その瞬間は、いろんな見方が出来るものですね。
2011年8月6日 14:20
こんにちは。。

この事は覚えています。

1年ほど前にフジへ行った時、30度バンクに駆け上がって、上から周りを眺めてました。
コメントへの返答
2011年8月6日 15:06
そのときの感想など、聞かせてください。読後感を含めて。
2011年8月9日 0:23
あの事故は、報道でしか知らないですが、前々から疑問に思っていました。黒沢さんは運転マナーの向上啓発CMに出ておられていました、何故追放になったのか???

黒沢さんの証言からだけだと、引くべきなのは北野さん、事故の責任を追及するならば(あえて、改めてやるとしたら)北野さんに大きな責任があることに成ります。 黒沢さんの証言・北野さんの証言・事故映像・現在の分析技術 を使えば、信頼のおける検証は可能です。 あえて再検証をするならですが。
コメントへの返答
2011年11月3日 7:35
恐らく、あの30度バンク惨事を見直すのは、いまが最後の潮目でしょう。

映像の所在がいまだはっきりしません。

北野元さんとは、もう何度かお話ししましたが、語る気持ちはないようです。

2011年8月12日 11:56
今頃コメントすみません。m(_ _)m

生意気にも20年前、「NSX」を購入後「黒澤元治氏」と出会い「ドライビングの深さ」を教わりました。

「事故」の事は、色んな方から聞いてはいましたが、本人に聞く勇気がありませんでした。

「ガンさん」が居なければ、今の僕はありません。

良いお話を聞けて有難い気持ちで一杯です。

ココ数年は「母」の体調が思わしくなく「NSX」で「鈴鹿」に向かうことも無く、「ガンさん」とも音信不通ですが、今度会えたときには・・・
コメントへの返答
2011年8月12日 12:10
「ガンさん」がいなければ、今の自分はないだろうという、という黒沢さんへの感謝の想いをお持ちの方は、想像以上に、たくさんいらっしゃいます。ぼくも、その一人です。

そんな連帯を、なんらかのかたちでまとめられればいいですね。
2011年8月13日 17:40
はじめまして。
実は私も茨城県日立市の生まれです。
黒沢元治氏の「タイヤを一回転でも前に進ませる」的な走りの思考が、自分には合っていて、氏をいいなと昔から思っていましたが、恥ずかしながら、このようなことを乗り越えてこられたなどとは、知りませんでした。

色々あるものですね。
コメントへの返答
2011年8月13日 23:17
ガンさんは生まれは神戸ですが、日立育ち。

郷土の先輩の生きざまをお伝えできてよかっ

た。
2011年11月21日 14:43
黒澤氏の話は信用できません。肝心のところで自分に都合がいいように話を微妙(だけど大事!)にごまかしています。

★「右側から入ったぼくの方が少し前に出ていた」…これは黒澤氏の話でしかないし、話のニュアンスでは完全に一車体分出てるとは読めない。少なくとも並走状態でしょう。

★「当然、北野君が退くと思っていた」…これも黒澤氏の一方的な思い込みであり、北野氏側から見れば“そもそもベストラインに先に入っていて、並走状態なのだから退く必要はない”のでは?百歩譲って少し前に出ているからといって、走行ラインをふさぐ行為は許されているのですか?しかも直線ですよ!

★「ところが彼は芝生にタイヤを出しながら、そのまま入って来た。」…ここがポイントです。
黒澤氏によればあたかも北野氏が自ら進んで芝生に入って抜きに来ているように読めますが、すでにベストラインを走っている北野氏がなにゆえに“芝生にタイヤを落とさなければならなかったのか?”答えは簡単です。この時点(それ以前に)で接触しているからです。

★ではなぜ接触が起きたのか?
バンクへのベストラインを走っている北野氏が右側(黒澤氏の側に)にマシンを振ることなど必要ない。ましてや左の芝生に何もなくては入らないでしょう?つまりは「北野氏が芝生にタイヤを落としたのは接触があったから」であり、この接触は黒澤氏がレコードライン(ベストライン)を奪おうと左に寄っていった以外にありえません。だって、「北野が退けると思っていた」んでしょ!?だから安心して(?)左へ寄ったんでしょ!
つまり、「入ってきた」のは黒澤氏の方でしょ。

★黒澤氏の話が信用できないのはこの「接触」が
「北野がタイヤを芝生に落として入ってきた」“そのあとで”「接触がおきた」ことに話を作っていることです。このすり替えは微妙だけど絶対に黒澤氏には必要なすり替えだから、確信犯的にすり替えているとしか思えません。

★また「ラインに入ってきた」という言い方も微妙なすり替えです。
並走状態なんでしょ?だったら“入ってきた”んではなく“走ってきた”んでしょ?黒澤氏が前を走っていて北野氏が“入ってきた”のなら側面接触じゃなくて「追突」になるでしょ?

★「(左側の北野が)芝生にタイヤを出しながら」…その時点で接触してなければ右側にいた黒澤氏には北野氏が芝生にはみ出したのは判らないはずです!接触しているからこそ、そしてベストラインを自分が奪ったからこそ左側の北野氏のマシンが芝生にタイヤをはみ出していたことが判っているのでしょう。

★黒澤氏は「北野が入ってきた」「その後に接触した」としていますが、事故に直接つながる接触が
あたかも北野氏に責任があるかと読めるようににすり替えていることが私には理解できません。

★直後を走っていた高原氏は「接触してからさらにマシンを左に寄せた」「何回でも同じ話をする」と言っておりました。

私もあの事故を黒澤氏が故意に起こしたとは思っていませんが、その瞬間の判断では間違った判断をしたと思います。そこを真摯に話すのではなくて責任回避ばかりの黒澤氏の話を信用する気には到底なれません。私は黒澤氏のレース以外のインタビュー記事も色々な媒体で読んできましたが、常に自分の正当性や自己主張が鼻について、正直昔から尊敬できないできましたが、やはり今もそうなんですね。
コメントへの返答
2011年11月21日 15:47
丁寧なご指摘、ありがとうございます。
この黒沢氏のコメントは1980年暮れにジャーナリストの内藤国夫氏のインタビューに答えたものであることを御承知ください。それから30年たって、我々の考察が内藤さんのレポートのまま、とどまっていることへの反省から、いま、あらためて可能な限りの検証を始めているところです。
その辺を御理解いただければ、と存じます。
近く、あなたの問題にしている点についても、僕なりの見解を明らかにするつもりです。
2014年2月1日 18:01
ガンさんは私の憧れです。
あのときあったことはしないけど憧れです。
できればもっとはっきり、証明してほしいし、他の人の意見もほしい、(当時のドライバーの)ベストモータリングもほとんど持ってますが、ガンさんは口はきついかも知れないけどそれは読者に伝えるため、メーカーのためだと思ってます。
憧れであれ
コメントへの返答
2014年2月1日 20:39
こんばんは。
ガンさんのこの件は、このあと、関係部分を読み継いでいただければ、真相に到達していますし、幻と言われたそのアクシデントの映像も紹介してあります。
昨年の10月20日の「ベスモ同窓会」で、出席者全員でその映像を鑑賞していただき、一緒に見たガンさんの「コメント」に全員が胸を詰まらせたものです。

スペシャルブログ 自動車評論家&著名人の本音

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「4戦連発の森下翔太。防御率0.00の山崎から一発はお見事。しかし先発起用の左腕、門別が6失点のKO.それでも球児監督の『門別、逃げるな』の愛の檄。何を言っているのか、気になる。次回の登板がいつになるのか、だ。海の向こうのマイアミでは翔平が特大10号。その復調ぶりが頼もしい。」
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