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正岡貞雄のブログ一覧

2014年11月27日 イイね!

ベストカー誌の『徳さん追悼特集』

ベストカー誌の『徳さん追悼特集』~それぞれの鎮魂の想いが谺(こだま)する~


 合掌してから『ベストカー』の12月26日号を開く・・・・・・。広告ページを2見開き通過すると、徳大寺有恒さんの笑顔が待ってくれていた。愛車メルセデスのスリーポイントがちらりとのぞき、ズボンのポケットに両手をいれて、こちら向かって、屈託なく破顔している。80年代後半のショットだろう。この徳さんの笑顔に、つい、いつまでも見入ってしまう。

「講談社ビーシー社員一同」が心のこもった追悼の言葉を贈っている。
「徳さん、長い間本当にありがとうございました」
 わたしも、同じ言葉を口にして、次のページを開く。



 黒沢元治さんと、HONDAの元社長、川本信彦氏が沈痛な想いを披露する。ガンさんは、自らが開発に取り組んだ「ポルシェ承認タイヤ」も「初代NSX」も徳さんの励ましがどんなに効果があったかを、想いをこめて明かす。
 川本社長は、歯に衣着せぬ評論から、真にいいクルマ作りのために大切な示唆をいただいた、と鎮魂の言葉を送ってくださる。

 次に登場するのがテリー伊藤さんだ。雨の中にたたずむクルマの美しさ、光の中で輝くクルマに心を撃ち抜かれる・・・・・・そのすばらしさを教えてくれたのが徳大寺さんだった、と。短い文章だったが、テリーさんに、共感した。



 さらにページを開く。生沢徹さんが「杉江(徳さんの本名)がいなければ、今のアタシはいない・・・・・・」と、往時の秘話を述懐している。それに加えて、1967年の日本グランプリで、生沢さんのドライブするポルシェ906をサポートする徳さんの姿が、なんとも初々しい貴重なシーンとして添えられている。必見である。





 カラーグラビアの最終ページは、谷田部でのテスト前夜、徳さんと夜通しでクルマ談義をした思い出を、竹平元信さんが語っている。

 さて活版ページである。目次の1ページをめくると、徳さんの『俺と疾れ!! 2014』の最終回がトップ記事扱いで待っていた。恐らく、これが徳さんの最後の原稿だったろう。
 
 その4ページが終わると、「追悼特集」が再開する。舘内端さんが『徳大寺有恒が日本の自動車ジャーナリズムに残した功績』に言及する。火を吐くような追悼の想いが、こちらの胸を打つ。ぜひ、ご一読をお願いしたほどの、真実の徳大寺有恒の姿勢を指摘している。



「徳大寺さんは、あらゆるバッシングにも負けず、真実を語ることを貫いた。だから間違いのないクルマ選びができる人たちがたくさん生まれた。そして自動車メーカーは、クルマに対する目を鍛えることができた。
 クルマは地球温暖化と今後の石油需給の逼迫という大きな問題を抱えている。大きく変わらなければ生き残れない。今こそ、バッシングを恐れず、真実を語る自動車評論が求められている。
 だが、それは簡単ではない。強い心と体力がなければできない。自動車評論家の末席を汚す私とて例外ではない。徳大寺さんに恥ずかしくない自動車評論を心がけなければならない」

 そして最後に、徳さんを励まし続けた読者にお礼をいう舘内さん。
「徳大寺さんは、皆さんの励ましがあったからこそ、自動車評論をやり続けられたのだと思う」

 次に、元ベストカー編集部員であった国沢光宏さんが、彼の声が聞こえてくるような、軽妙な筆致ながらどこか人の心をシーンとさせるいい味で「一から十まで徳さんの背中が教えてくれた」さまざまなエピソードを書き綴っている。



*追加PHOTO


 さて56ページ目に、わたしの『運命の人「杉江博愛」と黎明期のベストカー』が登場する。「みんカラ」BLOGの11月12日付け『何シテル?』の拡大版といっていい。徳さんのやらかした「創刊号、空白の19行」事件が、彼に自動車評論専業を踏み切らせたのかも、というエピソードを織り込んだのが、耳新しいかもしれない。





 最後の見開きページは、3代目編集長の勝股優、4代目の宇井弘明の両君が
徳さんとの別れがどんなに辛いことなのか、その切々たる想いを述べてくれている。

 特に注目なのは、宇井くんさりげなく明かす徳さんの亡くなった「11月7日」のこと。
誰にも迷惑をかけず、さっさと逝かれたのはいかにも徳さんらしい、と心のなかの涙を拭きながら、憎まれ口を叩いているのも好ましかった。

 都合、カラーグラビア4ページ、活版12ページを投入してくれたベストカー誌の「追悼特集」は、徳大寺夫人の読者への謝辞で締めくくる。

「読者の皆様
 ベストカー創刊から現在にいたるまで
 長い間、徳大寺を支えて頂き
 本当に、本当にありがとうございました。
 徳大寺が少しでも皆様のお役に立ち
 ご記憶にとどめて頂けたなら、
本人にとって望外の喜びです。

本来なら直接皆様に
お礼申し上げるべきところ、
誌面を借りてのご挨拶お許し下さい。

ありがとうございました。

平成26年11月14日     徳大寺有恒


【局長追記】徳大寺さんとの最後の仕事になりました『指差して言うTOYOTAへ』を、わたしの始めた『ぽらりす』から、電子書籍ストア「CONTEN堂」を舞台に、電子版をご覧いただけるようになりました。徳さんの熱い想いを受け止めてやってください。お願いします。アクセス先をリンクしておきました。
 
 ●ContTenDo
Posted at 2014/11/27 01:08:04 | コメント(7) | トラックバック(0) | ちょっと一服 | 日記
2014年11月24日 イイね!

『ぽらりす』よ、もっと輝け!

『ぽらりす』よ、もっと輝け!〜徳さんとの最後の仕事を電子書籍に〜



『ぽらりす』という名の編集企画会社を、この夏に立ち上げておいてよかった。

 POLARIS……どんな時代でも、どんなところからでも、ほんど動かないで北の夜空で輝いていてくれる北極星。そのラテン語読み。道に迷った時、方角を教えてくれる恒星として知られる。それにこと寄せて、社名とした。

 2年半ほど前に、《電子書籍版『疾れ! 逆ハンぐれん隊』に賭ける「風の仲間」の夢》と題して、「ベストカー」で全力ダッシュをしていた時代、作家の五木寛之さんを中心に、徳大寺有恒、黒沢元治、舘内端といった面々と、わたしがマネジャー役で『風の仲間』を結成、鈴鹿サーキットでシビックレースや、シティブルドックレースを楽しんだ後、マカオGPに遠征するなど、相当に暴れまくったものだ……と、得意そうに25年前を回想し、これから、こんな夢に挑みます、と宣言したのをご記憶のむきもあるだろう。


*マカオに遠征した時の「風の仲間」

 その夢を成就させるため、動いた。まず、五木寛之さんにお目にかかって、「もう一度『風の仲間』を復活させましょうよ、その活動の基盤として、ベストカーで連載し、単行本にもなった『疾れ! 逆ハン……』をわたしの手で、電子書籍として生き返らせてほしい」と。

「いいですよ。クルマに関する私のものを使用すること、それに異存なし。存分にゲリラ活動をしてください」

 力強いレスポンスだった。かつて展開した『フィーリング試乗』の連載や、『メルセデスの伝説』を、徳大寺さんや成江淳さんと目白・椿山荘で徹底的に、その内幕を語りまくった座談会なども、ぜひ今の時代で読み返してみたいね、とも。

 こうして船出した『風の仲間』の新しいプロジェクト。「トクさん」こと、徳大寺さんは『間違いだらけのクルマ選び』(草思社刊)を全巻、電子ブック化するほか、近作『指さして言う TOYOTAへ』(有峰書店新社刊)もリストに加えてくれた。




*2010年3月20日富士スピードウェイの「30度バンク」に踏み入れた時に。

「ガンさん」こと、黒沢元治さんは10年前に出版し、その後も版を重ねている『ドライビング・メカニズム』(勁草書房刊)を、WEBマガジンでなら動画表現もできるから、それ用に化粧直しをしよう。その上で、それをテキストブックとした実技指導の「アカデミー」を開講しようではないか、と。

「タテさん」こと、舘内端さんは只今、EV車の巨匠で、絶好調男。近々発刊予定のEVに関する単行本はもとより、EV車に取り組む原点となった『2001年クルマ社会は崩壊する』(三推社刊)『すべての自動車人へ』(双葉社刊)の電子書籍化を引っ提げて、かけつけてくれた。

 その夢は、残念ながら中途半端なまま、フリーズしている。いくつかの変転もあった。五木さんの『疾れ! 逆ハンぐれん隊』と、ガンさんの『ドライビング・メカニズム』は、電子書籍としてパブリック・オープンすることはできた。が、プラットホームとして展開を委嘱した「CAR EYES」の試行錯誤によって、低迷がつづいた。その打開策として、新しく『ポラリス』を立ち上げ、再出発をはかったところで、徳大寺有恒という巨きな星が、昇天した。


*徳さんは本名の「杉江博愛」に戻って幽界へ旅立った

 しばらくは、虚脱状態に陥った。が、新しくパートナーに選んだ「アイプレスジャパン」のA氏の熱意が、わたしを奮い立たせる。「徳大寺さんの最後の評論著作である『指差して言うTOYOTAへ』をいまこそ、改めて世に問うべきではないか。それも電子書籍で」と。

 それまでの電子書籍に関しては、いくつかの「アレルギー」が、わたしのなかで発症していた。まず、単行本としては、横組のページが読みづらい。次に、購入手続きがやたらと煩瑣である。販売単価も高過ぎやしないか、と。

 それらに関して、A氏は丁寧に対応。『CONTENDO』と名付けたプラットホームで採用した専用の閲覧ビューアーは、その注文に応えているはずだ、と逆に胸を張る。購入手続きも、一般のネット購入なみに円滑になりました、と。

 試運転、OK! これならオープンしても大丈夫なはず、とGOサインを出すことにした。販売価格も税込みで540円とした。

 幸い、紙書籍の版元である有峰書店新社の了解もあって、直ちにオープンに踏み切ることができた。かりにやっぱり紙書籍の方が、という向きにはぜひどうぞ、こちらへお願いしたい。

 11月21日。インターネット上に「徳大寺有恒、最後の評論著書『指差して言うTOYOTAへ 誰のためのクルマづくりか』をコンテン堂より配信開始」のニュースが流れはじめた。
 その一つ、「@Press Newsは、みごとにその全容を配信してくれている。

「風の仲間」の夢、改めての船出である。やりたいことは山ほどある。そのためには、星に願いをこめて「ぽらりす」よ、もっと輝け!である。



 11月23日の午後、「何シテル?」欄で紹介したように「べスモ同窓会」の若手、「イワタカズマ」「エムシー34」の両君と新しくY君を加えてのファミレス・オフ会を。折から手がけていた電子書籍「指差していうTOYOTAへ」をみんなでチェックしてみることに衆議一決。早速、我が家へ移動しダウンロードに挑戦。いやあ、これはお薦め。自信を持って、われらが「みんカラ」仲間に、紹介できる出来映えだった。
 その状況は、以下のPHOTO詳報をご覧あれ。これからの「ぽらりす」がどう育っていくか、どうぞ注目を。そして、新しい交遊のステージとして、育てて欲しい、と。


*やっぱり縦組みは読みやすい。プロローグの章


*トヨタのレジェンド主査・中村健也氏の章。徳さんの力が熱くこもっている。


*舘内端さんとの大胆な予測はズバリと……。

☆     ☆     ☆     ☆

 当BLOGをアップしたところで、「ぽらりす」の会社ロゴのデザインが煮詰まってきました。さきに「Best Motoring同窓会」のロゴマークを仕上げてくれた『燦』の原茂雄さんに今回もお願いしていたものです。①②③とあって星の先端の丸いものと鋭角のとがあり、丸い半円は宇宙を表すと同時にカンパニーのCでもあります。その色合いも、ちょっと変えてありますが、いかがでしょう。

 できれば感想をお聞かせいただき、決め込みの参考にさせていただきたい。












「コメント」欄からのアクセスをお待ちしています。     (局長)

Posted at 2014/11/24 02:13:48 | コメント(5) | トラックバック(0) | ちょっと一服 | 日記
2014年11月19日 イイね!

「ひと恋初(そ)めし」時代へ…C200 AGの誘惑

「ひと恋初(そ)めし」時代へ…C200 AGの誘惑【左の写真はCクラスの発表会のオープニング】

『ベストカー』の「徳大寺有恒追悼号」、140字×200行、11月15日(土)。
『RJC2015年次カーオブザイヤー・ブリテン(公報の意) インポート部門 ベンツC200セダン』、400字、11月17日(月)。

 久しぶりに締め切りに追われる日々を送った。それぞれ、分量は少ない。が、それだけに何をどう盛り込み、どう書き上げるか。結構、プレッシャーのかかる執筆依頼であった。


*RJCイヤーカー選考テストデーで「もてぎ」で試乗したC200セダン

 約束の日までに、無事入稿。『ベストカー』には《杉江博愛と黎明期のベストカーガイド》、『RJCブリテン』には《次期戦闘機はCクラスか!?》を。それぞれの担当責任者から「たいへん結構です」というだけではなく、読後感まで添えてあるメールが、即座に届く。しあわせ感が身体中に広がっていった。

 しかし、一方でフラストレーションが爆発寸前。とくにCクラスについては、書きたいことが、あれもこれもと、湧き上がって来て、わたしを虐める。

 そんなときは、有難いことに、締め切りもスペースの制限もない「みんカラBLOG」があるじゃないか。それに「W205」については、わたしの140字日記である「何シテル?」欄で、BMWアクティブ・ハイブリッド3を出汁にした「両手に花」(10月18日付け)とか「10月16日からの6日間、さまざまな状況で乗り味が堪能できたC200AG。その晴れがましくも滋味たっぷりだったインプレ記録を仕上げようとPCに取り組んだ途端、西欧の作家、ジッドやツルゲーネフに親しんだ頃に回帰していったのは、なぜだろう?」(11月04日付け)などと、前置きばかり。いまこそそれを、一挙に仕上げるいい機会ではないだろうか……そう気づいた。
 
 そして始めた、ちょっと気取った書き出し。よろしく、おつき合いを。  
     *      *      *     *
 あれは高校二年の一学期末だったろうか。
 担任の教師に職員室に呼びつけられた。心当たりになるようなことをしでかした覚えもない。
「ぶりさん」(担任の愛称で、いつもブリブリと生徒を頭ごなしに叱りつけるので、随分前の世代からそう呼ばれていたらしいが)は、一枚の用紙をヒラヒラさせながら,いきなり問いかけて来た。

「おい、正岡。お前、毎月の小遣いはナンボか?」
「は? 小遣いですか?」
「そ。小遣いたい。親からもろうちょらんのか?(九州弁で、もらってないのか、の意)」
「はあ。本代とか、映画を見に行くときくらいは、お袋から……」
「そうか。これから毎月、奨学金を500円、貰えるようにしちゃるけん、この書類に親のハンコ(印鑑)を捺して貰うたら、持ってこい」
「え!?」

 500円といえば、当時(昭和27年=1952)の高校生にとっては、大金である。例えば、今、わたしの手元にある金田一京助監修『明解 国語辞典 改訂版』(三省堂)は初版が昭和27年、ページ数は1000に近いもので、定価が380円。つまり、それだけのものが買えて、お釣りが120円。確か、ラーメンが一杯15円か20円の時代。嬉しくならないはずがない。


*福岡県立八幡高校の旧大蔵校舎。今は移転し、市営住宅がたちならんでいるとか。


*大学受験用に用意したもの。この時期にやっと長髪を許される。

 日本育英会の高校奨学金は利息がゼロで、世の中に出たら返済しなければならない仕組み。が、そんなことを深く考えられるわけもない。毎月500円の小遣いが嬉しくて、受給したその日は、まっすぐ街の中心にある書店に走り、岩波書店、新潮社の文庫本の棚に並べられている西欧の小説群のなかから、アンドレ・ジッドの『狭き門』、イワン・ツルゲーネフの『はつ恋』(新潮文庫はこう標記)、ヨハン・ゲーテの『若きウェルテルの悩み』を買い込み、読み漁る日々に突入していく……。
 特に魅せられ、何度も読み返したのは『狭き門』。細かいストーリーはおぼろげになってしまったが、年若い主人公ジェロームが、避暑地の別荘でふたつ年上の従姉アリサに出逢う。巴里に帰ってから気づくアリサへの慕情。ひと恋初(そ)めし青年の心の動きに、すっぽりのめりこんでいったあの時代。実はそのころ、わたしもひとつ年上の、同じ文芸部の先輩を秘かに想っていた。髪の長い、いつも濡れているような黒い目をしたそのひとのことで、いつも心がざわめいていた。
 その頃、秘かに書き綴っていた日記に登場する彼女の名前を「アリサ」にしてしまう。ジェロームが恋心とは「無償の愛」と言い聞かせるフレーズに、うん、それだ、と共鳴してしまう。と同時に、見知らぬヨーロッパの国々や文化に憧れていく……その水先案内役が、奨学金で購った文庫本たち=西欧の小説だった。
 
 それがわたしの青春の向上心を育んでくれたのだ、と、メルセデス・ベンツ C200アヴァンギャルドで、関越自動車道を待ち合わせの三芳SAをめざして北上しながら、懐かしく思い起こしていた……。未知の世界にぐいぐい引きこもうとする何かを感じはじめのかな。

 なぜ懐かしく思い起こしたのか。それを説明するには、どうしても、この年の初めからはじまっていた、いわゆる「ベンツ漬け」の日々から触れなければならない。

 1月の24日、真っ先にやって来たのが、CLA45AMG。見かけは4690×1780×1430mmだから、小ぶり。わが愛車プログレと、車幅を除くといい勝負。


*1月16日、六本木のメルセデス・ベンツJPANで広報のマドンナからA45を受け取る


*AMGの手が入ったシート、インパネ。赤のストレッチが効いている。

 しかしAMGが手がけた4気筒エンジンは凄みがあった。何でも、量産エンジンとしては最強のものだという触れ込み。しかも前輪のホイールを透かして見える真っ赤なブレンボー製ブレーキ。走る前からゾクゾクして来た。アイドリング状態なのに、ドスのきいたエクゾーストノートが、さらにこちらにプレッシャーをかけてくる。で、シートに腰をあてがい、フィットする位置をセットできたところでシートベルトの金具をパチンと差し込むと、一瞬の間を置いて、シートベルトが生き物のように蠢く。と、次に瞬間、キュッと身体を締め付けて来た。お!! まるでレーシングカーに乗った気分にさせてくれる、憎い演出!

 そんなことを書き出したら、この稿、いつアップできるかわかりやしない。一応、この続きは、いつもの「次回、更新まで」とお断りしたところで、一休みをいただくとしよう。
 
Posted at 2014/11/19 01:08:41 | コメント(3) | トラックバック(0) | 78歳の挑戦 | 日記
2014年11月12日 イイね!

結果速報! RJCイヤーカーの栄冠は「ハスラー」へ!

結果速報! RJCイヤーカーの栄冠は「ハスラー」へ! ~1票差の逆転劇で「インポートカー」部門はCクラスに!

 夜を徹してでも書き上げて、当BLOGでお伝えしたいことが山ほどある。

その一つ、わがプログレのODOメーターがついに99999kmに達してしまったこと。
 その一つ、37年来の盟友が、11月7日、慌ただしく、幽界に旅立ってしまったこと。そう、徳大寺有恒さんのこと。にもかかわらず、いずれもWORD原稿を途中までしかアップできず。そのままフリーズさせている。




 というのも、2015年次RJCカーオブザイヤーの最終選考会に出席するため、10日夜には、栃木八溝山地にある「ツインリンクもてぎホテル」に赴き、選考対象に入っている自動車メーカー関係者との懇親会に顔を出す精勤ぶりが災いしてしまった。要するに、時間の使い方が下手なだけなのだが・・・・・・。

 ま、速報性を優先させ、「イヤーカー選び」の方を、「何シテル?」風にさっさと片付けて、それからジックリ腰を据えて、仕上げることにしよう、と肚をきめたら、少しは心も軽くなり、ひとまず掲載したい写真選びからはじめてしまったのである。その気儘さ、お許しあれ。

 第1次選考の結果をお伝えした前回BLOGの末尾で、ツインリンクもてぎの往復で、そのお供に、予選落ちで試乗する機会を失った日産ティアナにしようか、それとも、もうすぐ走行距離が10万キロに達するわがプログレにしようか、と悩んでいることに触れていたが、結局、ティアナにした。この車幅1.83mの2.5ℓのFFセダンの正体は、北米市場向けの秘密兵器だった。





 午後7時半からの懇親会は三本和彦さんと同じテーブル。図らずも、徳大寺有恒という共通の「戦友」を偲んでの、クルマメディアの内幕やらカーガイ物語やらに、同席したメルセデスベンツ広報のマドンナ・嶋田さんの目は好奇心で輝きっ放し。一度、活字にできたらいいだろうな。

 もてぎの朝。午前8時受付開始。ブリーフィング後、9時から試乗開始。パドックに勢揃いした2013年末から2014年秋までにデビューした内外のNewカー。こんな贅沢な機会は滅多にない。

 当方は、前夜から用意していた試乗したいクルマ名のメモをたよりに、まずアウディブースから。S3セダンでサーキットの外周を一巡りする指定試乗コースへ飛び出した。
帰ってくると挨拶もそこそこにお隣のBMWブースへ。お目当てはMINIとEVのi3。







 そんな慌ただしい試乗テストの合間にジャガーブースに立ち寄って、こんなおふざけも。RJCに加盟して2年目。10年間の空白は、それなりのスピードで埋まりつつあるようだ。

 午後1時には試乗を終了して、1時半には投票を終了しておかねばならなかったのに、1時になってもSUZUKIのハスラーのテスト走行が済んでいなかった。過日、浜松の竜洋テストコースでハスラーを特別に試乗する機会はあったものの、やはり同じ条件で、ダイハツ・コペン、HONDAのN-WGN、三菱・日産の連合軍eKスペース/デイズ ルークスと較べたかった。慌ただしく最後の仕上げ。やっと投票場へ駆けつけることができた。

 さて結果は以下の通り。まず「テクノロジー」部門は日産スカイライン350GT HYBRIDに搭載されている「ダイレクト アダプティブ ステアリング」が本命視されていたデミオの「SKYACTIV-D1.5」を抑えて第1位に。パドックに構造と仕組みのわかる模型まで持ち込んだキメの細やかさが、ハートを捕らえたのかもしれない。







「インポートカー」部門は、最後にカウントされた投票でCクラスがMINIに1票差をつけて逆転するというドラマティックな展開で第1位に。会場が、どよめいた。

 それに較べると、「イヤーカー」部門は序盤からハスラーに最高点の「6点」が集まり、MAZDAデミオはここでも「第2位」に。わたしの「6点」はデミオだったので、この部門だけは「はずれ」となった。それはそれでいいとしても、不思議と「COTY」の選考結果が微妙に影響するものらしい。



 そして「特別賞」は「日本の軽自動車」が40票の信任を得て、授賞がきまった。

 すべてが終了した午後4時。ティアナに鞭を当てて、常磐道経由で帰りを急いだ。徳大寺さんのお通夜が午後7時から催される。間に合うといいのだが・・・・・・。
Posted at 2014/11/12 02:31:01 | コメント(7) | トラックバック(0) | 78歳の挑戦 | 日記
2014年11月01日 イイね!

2015年次RJC『イヤーカー選び』の季節

2015年次RJC『イヤーカー選び』の季節 ~ことしはどのクルマでTEST&投票会場へ行こうかな~


「カー・オブ・ザ・イヤーの季節~新しくRJC会員となっての初仕事~」と題した去年の「みんカラBLOG」を読み返してみた。

 日本のプロ野球に「セ」と「パ」があるように、この国の、自動車の「イヤーカー」を選び、それを表彰する組織が、二つあることをご存じだろうか、というもったいぶった語りかけではじまり、その二つの組織の生まれたいきさつをなぞったところで、(2013年の)11月1日の午後、いそいそと東京・練馬から地下鉄大江戸線で「青山1丁目」へ、そこから銀座線に乗り継ぎ、「表参道」で地上に出て、国道246青山通りを渋谷方向に向かったときの気分を、まるで初出勤のビジネスマンのそれだった、と書き綴っている。

「ウフッ」思わず。失笑する。昨日(2014年10月31日)のわたしの行動軌跡がそっくりそのまま、再現されているからだった。



 青山学院大学に隣接した青学会館の3F「ナルド」に赴くところも、寸分、違わない。が、違っているのは登場してくる対象車名と、こちらの「初々しいさ」が2年目とあって、これはと思われるクルマとは、たっぷりと時間を共有してきたこともあって、いささか「ふてぶてしさ」に変わっていることだろう。

 では、改めて、2015年次RJCの『イヤーかー選び』に臨むとしよう。
第1次選考の投票はすでに10月30日(木)の24時に締め切られていた。投票は、FAX送信が義務づけられていた。

 表彰対象となるカテゴリーは三つ。国産車部門、インポート(輸入車)部門、テクノロジー(技術)部門、それに該当者のある場合にかぎっての「パーソン」部門が設けられている。

 この第1次投票の公開開票が、10月31日の13時30分からアイビーホール青学会館でおこなわれ、そこで3部門の6BESTが選出される。それを受けて、11月11日に「ツインリンクもてぎ」のそれぞれの6BEST車がもちこまれ、サーキットの外周路を使ってのテスト走行、そして最終投票と公開開票、と段取りされている。



 今年の「日本カー・オブ・ザ・イヤー」(通称COTY)は,日本自動車工業会主催の「東京モーターフェスタ」の開催中に「イヤーカー」を選出するという方針に切り替えたため、1ヵ月早めに選考を終えてしまい、ご存じのように9月初めに発売されたばかりのMAZDAデミオが19票差で、前評判の高かった「メルセデスベンツ・Cクラスセダン」を抑えて、すでにイヤーカーとなって、誇らしげに報道・広告されている。

 さて、こちらはゆったりと選考に取りかかった2015年次RJCイヤーカーは? その第1次選考の投票を、わたしは5日前に、事務局あてにFAX送信を済ませている。リストアップされて来た国産New Carは17車。
 
 ダイハツからは「コペン」(FMC=フルモデルチェンジの略)、富士重からは「レヴォーグ」(NEW=ニューモデル)と「WRX S4/WRX STI」、本田技研が3台、「オデッセイ」「N—WGN」「ヴェゼル」である。マツダは「アクセラ」と「デミオ」。三菱自動車は日産との共同開発・販売の「eKスペース/デイズ ルークス」のみ。それにくらべて日産自動車からは4車がエントリーしている。「スカイライン」「エクストレイル」「ティアナ」「e−NV200」。スズキは「ハスラー」、トヨタ自動車は「ハリアー」「ヴォクシー/ノア」に「レクサスNX」が。

「インポート」部門はいろいろと悩ましい。しっかり事前に試乗できたクルマと、全く触る機会のなかったクルマとがあるからだ。

 わたしの場合、第1次選考では、試乗済みのクルマにだけ投票することにしている。仮に対象外のクルマが6BESTに選ばれた場合には、「もてぎ」で試乗できる機会があるのだから、その際に、改めて採点させていただく。


*レヴォーグ


*HONDAからはN-WGN


*ハスラーの勢揃い
  
「イヤーカー」部門は悩みなく6車に○印をつけた。富士重はNewモデルの「レヴォーグ」よりも、クルマとしての煮詰まり具合が抜群だった「WRX S4/WRX STI」の方を選んだ。
 本田技研からは、度重なるリコール問題ですっかり光を失った「ヴェゼル」はパスして、販売の柱となっている「N-WGN」を。マツダの「デミオ」、スズキの「ハスラー」は今回の有力候補だろうし、こちらも異存なし。
 日産は「スカイライン」。問題はTOYOTAだ。ミニバンとして大ヒットの「ヴォクシー/ノア」にくらべて、「ハリアー」のSUVとしての出来上がりの良さをアピールしたくて、こちらに○を。



 6車選定が悩ましい、と前置きした「インポート」部門は、「アウディA3/S3セダン」「BMWi3」「MINI」「ジャガーFタイプ・クーペ」「メレセデス・ベンツ Cクラス」「VWポロ」を選ばせてもらった。フィアット・クライスラーJAPAN、フォードJAPAN、ゼネラルモーターズからのエントリー車は、触る機会もなかったため、パスとした。



「テクノロジー」部門は、結局、わたしの投票と全く同じ結果となったため、何に○印をつけたかは省略する。あとに掲げる結果表のPHOTOを参考にしていただければいいのだが、実は候補に挙げられた技術名と搭載車名それぞれについて、別紙に解説がほどこされていて、それが簡潔でわかりやすく、メカ音痴のわたしなどは、うまく誘導されたのかも知れない。

 それは冗談。このRJCの特徴として、ジャーナリストより自動車に関する研究者が多く、つまり、メカに強いのが売りの一つ、というわけだ。そのため、定数65に対して今年の投票者が59となったのは、RJC会員として、活動はするが、点数をつけて投票するのは辞退する、というスタンスをとっている立派な会員がいらっしゃるから、とのこと。なるほど、である。

 さて、定刻の1時30分きっかりに、開票がはじまった。そのシーンもまた、昨年のそれと何一つ、変わっていない。候補車の名前だけが2015年次用に、新しく書き換えられたのか、と錯覚するような、静かな幕開けだった。

ここからは、余計な説明は抜きにする。結果をまとめた各部門ごとのPHOTOをワンクリックした拡大版でご覧いただきたい。

 予想通り、「イヤーカー」部門は、デミオとハスラーの一騎打ちか。ともに57票で1位通過。3位のスカイラインは42票。これは大善戦、と見るべきか。で、結局、わたしの推したS4とハスラーはこの段階で消えてしまった。
「インポート」部門はCクラスが54票でトップ通過、それを52票のミニと、48票のアウディ A3/S3セダンが追走する。お、ジャガーFタイプが6Bestにえらばれたじゃないか。





 最後に、いや選考過程ではまっさきに開票されていった「テクノロジー」はデミオに採用された「SKYACTIVE-D 15エンジン」が53票を集め、2位となったベンツCクラス=レーダーセーフティパケージ(44)、3位のスカイライン350GT hybrid=ダイレクト アダプティブ ステアリング(43) を後ろに従える
かたちとなった。



 第1次選考はかくして、終了。そこで気になるのは、どの部門にも足痕すら残してくれなかったTOYOTAの存在だ。
 新車開発より全車種のハイブリッド化にシフトし、空前の高収益をマークしている施策は理解できるとしても、この先、正直言って、ある種の危惧を覚えざるを得ない。現行の、それぞれのクルマのできは完成度が高く、それがTOYOTAだといえよう。しかし、なにかひたむきに、クルマ創りに打ち込んでいる空気が、いまのTOYOTAには希薄ではないだろうか。それが、気になってならない。


*レクサスNX (TOYOTA公式HPより)「

 最終選考は11月11日のツインリンクもてぎ。そうだ、その往復は、予選落ちしたため、試乗するする機会を失ったレクサスNXか、日産のティアナ、そのどちらかにおつきあいいただくとしようか。いやいや、あと300kmで走行距離10万kmに達するわがプログレも待機している。さて、さて・・・・・・。

 やっぱり、この季節、いろいろと悩ましいことが多い。
Posted at 2014/11/01 22:31:38 | コメント(3) | トラックバック(0) | 78歳の挑戦 | 日記
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何シテル?   07/03 11:41
1959年、講談社入社。週刊現代創刊メンバーのひとり。1974年、総合誌「月刊現代」編集長就任。1977年、当時の講談社の方針によりジョイント・ベンチャー開...
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