〜その時々の《空気の入れ方》に乾杯!!〜
いくつになっても、おのれの誕生日には、不思議と背筋がピンと立ってくるものらしい。この《みんカラ》にメモワールを積み重ねてゆく絶好の指定席を得てから、ちょうど10度目を迎えるが、「1月15日」の当日かその前後になると、それぞれの年で律儀にそのことに触れている。ちなみに、どんな迎え方をしたものか、浚(さら)ってみた。
◎2012年01月20日 「局長、なにをするんですか!」という見出しをつけて、語り草となった『逆噴射事件』の真相を嬉しそうに告白している。こんな書き出しで。そう、先ごろ秘蔵の「サーキットライフ動画公開・西仙台ドリームC U P編」で東国原さんにしっかりイビられた、あの事件だ。
――1982年7月のできごとだから、30年も昔の噴飯ものの記憶なのに、つい昨日のことのように目を輝かせながら夢中になって語り合おうとは! かつてはいつでも、どこでも、若者たちは夢中になってNEWカーや、レースのことを話題にして時間の経つのを忘れたものだった。
自動車ジャーナリストの両角岳彦さんと、代官山にある小ぢんまりしたバルで開かれた、身内だけのパーティで一緒になった。話題は、男はどうやってドライビング・スキルを磨いてきたか、となったとき、いきなりモロちゃん(以下、両角氏の愛称で)が、バラしてしまう。
「局長の《逆噴射事件》、ぼく、目撃していたんですよ」
「え!? パルサー・フレッシュマンレースのあの事件を」
「そ。あのとき、グランドスタンドに仮設された放送ブースにいましたから、目の前ですよ。全車がスタートした瞬間、局長のパルサーだけがいきなりバックする……」
「そ、そ。予選はどん尻近くでうしろに誰もいないからよかったものの、前代未聞のチョンボだよね。で、左となりが、当時オートテクニック編集部員だった山口正巳君(いまや、F1専門レポーターとして世界をかけめぐっている)で、スタートした途端、いきなりぼくがバックしたもんだから、急に自分が速くなったと思ったそうだ」
「(爆笑しながら)でしょうね」
このあとは
「こちらをクリックして」どうぞ。
https://minkara.carview.co.jp/userid/1135053/blog/25206660/
もっぱら、N Pパルサーでのドン亀時代の回想を楽しんでいた。
◎2013年01月15日 TOYOTA《主査の親分》和田明広の『オーラル(口述)・ヒストリー』
この項も特段に誕生日である1月15日を意識したものではなく、その頃、やつれの著しくなったTOYOTAプログレNC300 IRバージョンとの別れ話を機に、その生みの親にまつわるエピソードを4回にわたって紹介している。
◎2014年01月18日 カリスマ教官のお惚気インプレに乾杯!
ここでやっと姿勢を正していた。
――「77歳の挑戦」という通しのカテゴリータイトルを、1月15日をもって「78歳の……」と書き換えなくてはならなくなった。お蔭さまで、この1年の「現役復帰」活動もあって、なんだか1歳若返っていく気分である。
そしてその年「日本カーオブザイヤー」のグランプリカーに選ばれたGOLF Ⅶ(1.4ℓのハイライン)の試乗レポートに、徳大寺有恒さん、山口・萩の波田カリスマ教官とのエピソードを交えて、現役気分でレポートしていた。
◎2015年01月15日 『還暦プラス19歳』の青春をめざして!
「ナンバーワンよりオンリーワンを、と自らを励ましながら」
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東京の冬空が珍しく暗く、淀んでいる。いまにも白いものが舞い落ちてくる気配が満ちて来た。
こんな薄暗い、鉛色の空が、遠い、古い記憶を刺激する。生まれ故郷、北九州・八幡の空である。
79年前の1936年1月15日、その頃は「八幡市」とよばれ、官営日本製鉄所の本拠地として繁栄の頂点にあったその街で、わたしは生を享(う)けた。溶鉱炉が四六時中燃え盛り、七色の煙がいつも街を覆っていた。
時代は『満州事変』から『日支事変』へと右傾化し、その年の2月26日には陸軍若手将校ら粛清テロが勃発するなど、どんどん悪くなっていく……そして『太平洋戦争』へと。そんな時代に産まれたわたしには、当時の国民的スターに祭り上げられた「陸軍」のリーダーにあやかって「サダオ」の名前がつけられた。ま、「貞夫」ではなく「貞雄」でよかったが……。それとなく聞かされていたのは、その陸軍のリーダーが八幡にやって来て、歓迎のドン(午砲)がなった瞬間に生まれたので、その将軍の下の名をいただいた、と。
八幡の冬空は、背後に600メートル級の皿倉山塊が控えているため、北の方角だけに広がっていた。洞海湾越しに玄界灘の一部となる響灘が鈍く光る。それでも、星の光る夜は、北斗七星が浮かび、北極星の位置を教えてくれた。
「あの星だけは動かんとよ。そやけん、海や陸で方向がわからんようになったら、北極星を探すといい」
はじめに教えてくれたのが、9歳年上の兄だった。だから、上京してからも、心が迷って夜空を仰ぐと、いつも北極星、つまりポラリスを探した。
東京に上ってちょうど60年が過ぎた。出版社に入り、いろんなメディアの編集に携わることができた。そんなある時期、多分、「ヤングレディ」という女性週刊誌に籍を置いていたときだったろう、新宿のマスコミ人の溜まり場スナックに出入りする「星占いの女王」に誕生日を告げたところ、こういわれたことがあった。「あなたはナンバーワンにはなれないがオンリーワンにはなれる」と。
その予言とも言える指摘が、今でもこころの奥深くに刺さっている。ナンバーワンにも、オンリーワンにもなれなかった。が、これからでも、オンリーワンにはなれるかもしれない。そうか、還暦を超えてから、本日より「プラス19歳」の日々がはじまる。そう考えれば、またオンリーワンに挑戦しようという気力も湧いてくるではいか。
◎2016年01月15日 『As Time Goes By』をリクエストした夜
「時が経つにつれて…」もう一度確かめたいものがある
70歳台があと数日しかない、という事実にたじろいでいる。「還暦プラス青春の19歳」と自らを励ましてきたが、いろいろとやり残していることが多すぎて、それも気になってならない。
そして3連休の最終日は、家人に誘われて隣町の光ヶ丘にあるレストランへ。テーブルに案内されると、なんとわたしの「Happy Birthday」をふたりだけど祝おうよ、という仕掛け。赤いキャンドルに灯がともされ、ピアノが奏でるお決まりのメロディに合わせて、お店の人たちが総出でお祝いの歌をプレゼントしてくれる……でも、こうやって祝ってもらえる日があと何回残っているのかな。ちょいと焦る気分もなくはなかった。
◎2018年01月15日 《還暦+青春の22歳》を宣言する日
わたしの逢った『西郷吉之助』秘話・その序章として
陽だまりが暖かい。残念ながら西の空には薄雲が広がって、前日までクッキリと大山山系からはみ出していた富士の姿は拝めない。
1月15日は昭和23年(1948)から52年間、平成11年(1999)までは「成人の日」として祝日の一つであって、それなりに「目立つ」存在だった。それがハッピーマンデー制度の導入された2000年からは、「ただの日」に成り下がってしまった。
残念だ。というのも単純な私的理由に過ぎない。あれは小学校六年生になったその年だった。なぜだかその年から、わたしの誕生日が「祝日」となって、いつもお休みになり、20歳になる男女が競って晴れ着を装い、国中でそれを祝うようになった。
2018年1月15日。この日より当ブログの「カテゴリー」に『還暦+青春の22歳』を新しく設けることになった。多分、1月19日(金)にSUZUKIの新型スペーシアと、その後を追っかけるようにして投入された新型クロスビー(XBEE)の試乗会で、いつもの「ニューオータニ幕張」の基地まで出かけるので、そのレポートから、ということになるだろう。
スペーシアはその「カスタム」バージョンの試乗を狙っている。1機種60分が約束されている。おそらく東関東自動車道を使って、上総の城下町・佐倉の街の入り口くらいまでは往復できるはずだ。5速MTスイフトRSの続編がものできるかもしれない。期待してもらってもいい。
2019、2020の両年、なし。
そして2021年を迎えたが、コロナ禍による戒厳令下、家人と一緒に好きなイタリアンレストランに足を向けるのも憚られる。ランチがわりに握り寿司を取り寄せ、越後阿賀野の大吟醸酒、『深山淡雪』をワイングラスにあけ、ひそやかにお互いの平安に乾杯しただけだった。
そんな無聊なバースデイを慰めるように、洋酒業界の名門で、健康食品でもヒットを連発して、ただいま絶好調な会社からメールが1通、届いていた。
ユーザーであるわたしの名宛に、「お誕生日おめでとうございます! 今日は特別な日。素敵な1年の始まりを、社員みんなで祝いさせてください!と呼びかけ、次に動画を特設して「社員みんなからの特別なメッセージを詰め込みました! こちらをクリック!」と吹き出しで誘導する。
楽しくなって、ついクリックしてしまう。秘境での山登り、カヌーでの川下り、そして待っている絶景。ついついニッコリしてしまう出来。そのあとの仕上げも、スマートで、押し付けがましくなく、こちらの心も温まる仕掛けだった。
お祝いのドミノつくり。それが終わると、バースデイ・ケーキのローソクに火が灯され、それを吹き消すように促される。つい、フッと息を吹きかけてしまう‥‥‥。Happy Birthday。スタッフからの拍手。こりゃ、一人暮らしの高齢者でなくてもジーンと来てしまう。
うまいなあ。見事な演出だなあ。
力強く、歩く喜びと自信を。そう念じながら、毎朝6粒を補給する時、「ありがとう」をいいながら、口中へ投じるようになったのも、その日から始まったようだ。
かくして、新しいカテゴリー【還暦+白秋期の25歳】がはじまる‥‥‥。 (この項、終わる)