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正岡貞雄のブログ一覧

2014年12月31日 イイね!

さようなら、2014年

さようなら、2014年〜「マガジンX」と「カラオケ忘年会」~


 ただいま、大晦日の午後6時半。ということは、あと5時間半で、新しい2015年を迎える。大急ぎで、わが「みんカラ仲間」「ベスモ同窓会」のみなさんに年末のご挨拶だけは済ませておきたい。

 1年間、おつき合いいただいて、ありがとう。いったんは、メディアの修羅場から身をひいた男が「10年の空白を埋めたい」などとほざいて、あれこれと、日々の出来事や、New Carとの悪戦苦闘、あるいは「セピア色の記憶」などと格好をつけながらのむかし話……などなどを真っ直ぐに受け止めていただく至福の交流。あらためて、お礼を申させていただく次第。そして、こころを新しくして、2015年も変わらぬ交流をお願いしたい。

 さて、この1年、3月にシンガポールに遊び、4月に岡山・中山サーキットでの「第3回 ベスモ同窓会」と、前半はまずまずの動きだったが、5月からは130年前の民衆蜂起暴動「秩父事件」にはまっての「秩父通い」に終始した。まだ取材は完結していないが、そろそろゴールは見えている。2015年の3月までには仕上げないと、4月の「岡山行き」がはばかれることになりかねない。

 そうしたさ中に、37年来の盟友・徳大寺有恒こと、杉江博愛さんを喪う。で、11月26日発売のベストカー誌に『運命の人“杉江博愛”と黎明期のベストカー』を執筆し、わたしなりの追悼の想いを明らかにし、そのことを「みんカラ」でもお伝えした。と、間を置かずに「マガジンX」から、メッセージ欄を経由して、こんなアプローチがあった。



———以前、高橋徹選手のファミリアの件でメッセージを送らせて頂きました山崎龍です。じつはマガジンXの次号で、先日ご逝去された徳大寺有恒先生の追悼企画を考えています。そこでベストカーガイド創刊の際に徳大寺先生を起用されたころのお話など、インタビュー取材をお願いしたくご連絡させて頂きました。

  確かに記憶にあった。2011年10月21日と22日の2回にわたって掲載した「風に消された23歳・高橋徹の光と影」の反響の一つとして、故・高橋徹選手の愛車だったファミリアが千葉市内の中古車店から売りに出ているけど、どこかのクルマ・ミュージアムで引き取ってもらえないものか……という熱い調子のメッセージの送り主。そうか、彼は「マガジンX」のライターだったのか。
 
 率直にいって、そのメディアは、このクルマ雑誌低迷の時代をしたたかに生き抜いているのには敬意を表するものの、どちらかというとスクープ中心のゲリラ戦を得意としている。それがなぜ「徳大寺追悼」のインタビュー取材なのか。さて、受けたものかどうか。そのわたしの躊躇いを山崎龍記者の率直なことばが、あっさり、融解してしまう。

———徳大寺先生とは小誌3月号でインタビュー取材をさせて頂きました。じつは直接お会いしてお話させて頂いたのはこのときが始めてだったのですが、長年の大ファンでしたので緊張気味だった私に、
「そんなに固くならないで良いですよ」
と、優しいお声をかけて頂けました。

インタビューの最後に、
「君たち(ほかのスタッフとも一緒でしたので)と話ができてよかった。今日はとても楽しかった。今度メシでも一緒に食おう!いつでも遊びにきなさい」
と、笑顔で仰って頂けたのが印象に残っています。
(残念ながらその機会は永遠に失われてしまいましたが……)

今、自分がこうしてクルマの原稿を書いているのは、間違いなく徳大寺先生のおかげです。徳大寺先生の文章に触れていなければ、おそらく今の自分はなかったと思います。

徳大寺先生のこれまでの偉業を振り返りつつ、先生を追悼するページにしたいと考えております。

———その時の有様が手にとるように、わたしには伝わってきた。すぐに返信する。
「ご連絡、ありがとうございます。喜んで、お受けいたします」と。



 11月30日の午後、池袋のメトロポリタンHOTELのロビーで待ち合わせる。ベストカー黎明期のころの話が主題なら、と一応、創刊号を持参。写真は徳さんとガンさんとで富士のヘアピンで寛いでいるのを選んだ。徳さんのテンガロン・ハット姿が懐かしい。

 その日から1ヵ月が経って、すっかり、その日の取材がどういう形でページになっているのか、失念していた。途中で、山崎記者からインタビューをまとめたワード原稿が送信されてきている。明らかな間違い、誤字だけは訂正しておいたが、年の暮れの雑事に追われて、発売日のことも、すっかり頭になかった。

 12月27日(金)の午後4時。念願のPORSCHEボクサーが納車されて浮き浮きしている「ベスモ同窓会」メンバーの「2315」君と、東京での同窓会会場だった「練馬サンライフ」前で待ち合わせる約束ができていた。随分前に、プログレをはじめ、1990年代のTOYOTA FRセダン群のカタログを借りっ放しなのがきになっていて、やっと仕事がオフとなった「2315」君とおしゃべりがしたくなっていた。

 こちらは、折から手元にメルセデス・ベンツのGLAの4MATICがやってきている。右ハンドル、6速MTのボクサーとの乗り比べもいいなあ。胸を弾ませているところへわがiPhoneが着信を知らせる。「2315」君からだった。環八が混んでいて、今、環七方面へ迂回しているところ、遅刻する、という連絡だった。

 実はこの後、同じ「ベスモ同窓会」の在京若手の「イワタカズマ」「エムシー34」の両君と忘年会を予定していた。冬の陽が落ちるのは早い。できれば明るいうちにボクサーのアクセルを、ちょいと踏んでやりたいのに。それが、残念ながら、怪しくなった。





 4時半、ライトをつけた白のスポーツカーが、地を這うようにして近づいてきた。いくら押し殺してもその低音サウンドは、ポルシェそのものではないか。  
 時間がない。そのまま、2台で忘年会場のファミレスへ。
 定刻前に現れたのは「イワタカズマ」君。開口一番、「局長、読みましたよ」と来た。
「ああ、ベストカーかい?」
「なに言っているんですか。マガジンXですよ」
 あれ、もう発売されたのか。そういえばカー雑誌は26日発売が多かった。
 
 「イワタカズマ」君の読後感を訊く暇もなく、「エムシー34」君の登場で、早速、忘年会がスタート。二人とも昭和最後の年か、平成生まれの「ベスモ育ち」とあって、あの企画はどの号で、誰それが何と言って、どんな走りをしたか、まるで「生き字引」状態で、とどまるところがない。それに対応する、「2315」君のちょっとシニカルで、専門的な反応も、聞いていて興味が尽きない。

 その輪の中にあって、閃いて来るものがあった。いま、わたしが展開し始めた「ぽらりす」の電子書籍のうちで、それをテキスト本にして、音と動画をシンクロさせる方法はないものか、と。そうやって「ベスモ遺伝子」と共鳴させる。うん、何かがいま近づいてきつつあるぞ。
 
 この日は、10年ぶりにカラオケを楽しむつもりにしていた。「2315」君は、このあと所用があるという。で、一旦、解散した後で、残り3人は近くの駅前書店に立ち寄った。「マガジンX」はあるだろうか、と。

「イワタカズマ」君が目敏くキャッチしてくれた。早速、購入。「エムシー34」君もつき合って、お買い上げである。ま、通読するのは後にするとして、パッと見た感じでは、黒地に文字白抜きは、喪章をつけているよな、そこだけはちょっと重々しい雰囲気になっていた。写真をたっぷり用意してあげたのが、どうやら役に立っているのに、ホッとする。


*どちらが誰か、は説明の要なし

 さて、10年ぶりの「カラオケ」である。トップバッターは、当然、陽性の「イワタ」君。いきなり、アクション入でAKB48。場がくだける。「エムシー」君は山下達郎。なるほど、声質がぴったり合っている。で、わたし、韓国人歌手チョウ・ヨンピルの『想いで迷子』を選んだ。歌いながら、あ、徳さんは『旅の終わりに』が好きだったな、と思い出した。♪流れ流れて さすらう旅は きょうは函館 あしたは釧路。
 新潟・間瀬サーキットのロケで岩室温泉にとまったときなど、徳さんの渋い低音がこの艶歌とうまくフィットしていたのを、ついつい、思い起こしてしまった。


*これ、谷村新司の『群青』に挑戦しているところ PHOTO by K.IWATA

 30日の午後、郵便BOXに山崎記者からの郵便物が届けられていた。もちろん、「マガジンX」の2015年2月号であった。

 午後11時になった。TVは紅白歌合戦を中継している。大晦日の風物詩として、やっぱりNHKのこれだが、随分昔の大晦日の夜は、徳さん夫妻と浅草の「麦とろ」で食事した後、雷門をそぞろ歩きをした。それを、通夜の夜、徳さん夫人が、しみじみと思い起こされて、改めてお礼を述べられたのも、いまは哀しい。

 2014年はあと30分か。「マッサン」の主題歌。中島みゆきの歌声が聴こえる。
 みなさん、ありがとう。そして、これからもよろしく!
Posted at 2014/12/31 23:45:57 | コメント(12) | トラックバック(0) | 局長の仕事 | 日記
2014年12月23日 イイね!

箱根のガンさん邸、至福の餅つき忘年会

箱根のガンさん邸、至福の餅つき忘年会〜ここから、また新しいものが始まりそうな予感〜


 相模川を渡ったあたりで、東名から小田原・厚木道路に入ると、右側の視界が大きく開ける。関東平野もここが西端で、箱根連山がどっしりとした黒い姿で出迎えてくれた。そして、それを際立たせるように、真っ白な雪のガウンを纏った富士山が、背後から箱根の山々を押し出している……。

 前夜の雨も上がり、「ぎっくり腰」も影を潜め晴れやかな朝がはじまっていた。目指すは箱根小涌谷のガンさん邸。10年ほど前からはじまっている餅つき大会は「クルマ仲間」にとって、なによりの忘年会であり、絶好の社交場でもあった。

 12月21日(日)の午前8時15分に練馬を出て、まだ1時間も経たないのに、もう小田原・厚木道路を走っている。いいペースだ。が、速度制限70km/hのこの自動車専用道、走り屋さんには要注意のルートでもある。

 中間の料金所を抜け、大磯あたりのアップダウンのある山間部を抜けていると、背後から白のNSXが迫って来た。ヘッドランプの形からみてⅡ型クーペかな。ともかく、前にでてもらおう。左へ寄る。すっと脇を大胆に抜けて行く白のNSX。残念ながらドライバーの顔は確認できなかった。が、走りっぷりはただ者ではなさそうだ。
 ピンと来るものがあった。ガンさんの餅つき大会には、彼が手塩を掛けて育てた「NSXオーナーズミーテイング」の面々も集結する。その中の一人に違いない。だったら、箱根のガンさん邸までランデブーランをきめこむとするか。すぐに「チョイ悪爺ィ」の本性が剥き出てしまう……。 



 10時ジャスト、山腹にあるガンさん邸に着く。邸前の坂道はずらりと高級車が列をなして駐っている。年に1度、この日だけは、私道部分とあって周りのお宅も大目に見てくれているらしい。
 残念ながら、小田原厚木道路で遭遇したNSXは、国道1号に降り立ったのち、箱根ターンパイク方向へ走り去ったので、絵に描いたようなストリーは成り立たなかったが、しばらくは、ドライビングモードを「power」にセットして追走した昂まりは、それからのワインディング走りを、すこぶる付きのアクティブ・モードに導いてくれた。







 餅つきパーティは、すでに最高潮を迎えていた。約束通りに中谷明彦君も笑顔で迎えてくれる。黒澤ファミリーは総出で、餅米をふかしたり、豚汁をつくったり、テキパキとそれぞれの役割を果たしている。ガンさんが杵を振りかざし、元MAZDA広報の名物男・前田保さんが相棒になって、餅を揉む……。

 挨拶替わりに、まずひと搗き、杵を受け取り、わたしも臼にむかうことにした。わざわざ広島からやってきた前田の保さんがかけ声とともにサポートしてくれる。





 来客の諸氏が「ヨイショ!」と声を合わせてくれた。振り下ろす。餅の白い塊りの中心をめざして。ゴルフと一緒で、芯で捕えないと、音が悪い。ピシッとジャストミートした音を出すには、このあと、3回ほど杵を振り上げなければならなかった。

 訊くところによると、この日のために用意した餅米は一袋30kgに分けたものを20袋、つまり600kgもの餅を搗き上げる。搗き立てのお餅を、大根おろしで食べるもよし、餡ころにくるんでいただくもよし、そして翼君が掛かりっきりで用意した豚汁、これがまた抜群の旨さ……である。

 ま、そうはいっても、お餅をそんなにいただけるものでない。そこからが黒澤家の心くばり。きれいに板状にのしてから、包丁で切り餅にして、帰りのお土産にと、パック詰めにするのである。

 ガンさんご自慢の苔蒸した庭園も、ガレージも、この日は全面オープン。ゲストたちは思い思いにテーブルについて、ガンさんの用意したものや、それぞれが持ち寄ったワイン、シャンペン、日本酒、その他、アルコール抜きの飲み物に手を伸ばし、おしゃべりを楽しむ。


*中谷君にじゃれているのが野田編集長


*メルセデスベンツJAPAN広報部からの3人組

 親交のある自動車メーカー広報マンとも、ここで逢うと、また特別の親近感が湧いてくる。メディアで活躍中の若手編集マンも、中谷君を捕まえて離さない。「ベストモータリングの創刊号からのファンです。全巻を持っています」と、親しく声をかけてくれたドクターは、予想通り、NSXオーナー。まさにここは、みごとな「クルマ仲間」の社交場だった。

 ガンさんがわたしを手招きする。そばに背の高い若者が立っている。
「紹介します。もてぎの最終戦からうちのチームで走った……」
「あ、蒲生君ですね。逢ってみたかった」


*LEON期待の星・蒲生尚弥選手

 どこか面差しが、デビューしたころの服部尚貴君に似ていた。つい先頃までGAZOOレーシングで走っていて、もてぎ最終戦での走りも評価が高かった。滅多に褒めないガンさんも、目を細めて紹介してくれる。
「出身はどこ?」
「岡山の倉敷です」
「じゃ、中山サーキットでも走ったのかい?」
「カートからはじめたので、ホームグランドみたいなものです」
「そう、じゃあ、来年の4月も、スーパーGTの開幕戦は岡山国際だろうから、レースの次の日に、中山サーキットで第3回目のベスモ同窓会主催の走行会をやる予定なんだよ。出来たら、ガンさんのお供でいらっしゃいよ」
「あ、面白そう!」

 滅法、明るい青年。ちょっと天然なところもあっていい感じ。ルーキー時代は86遣いで鳴らしたともいう。ひょっとしたら、この蒲生君、来年のLEONチームで大化けするかも知れない。閃くものがあった。谷口信輝君とも共通する何かを持っているぞ、と。

 ガンさんと、この箱根の「ゲストハウス」(御殿場の家は治樹君に渡し、今ではここに定住している)落成の頃の昔話を懐かしんでいると、1冊のビジュアル本を拡げて、NSXオーナーズクラブのメンバーがサインを求めて来た。「CARTOP」のMOOKとして発売されたばかりの『NSX Owners Fille 黒澤元治の生きざま』(消費税込み2500円)。



 マジックペンを走らせながら、ガンさん、満足そう。
「これを創ってくれた編集長も来てくれていますが、売れてるんですって」
 この企画がスタートした時、野田航也編集長(ある時期、ベストカーで修業したこともあって、ガンさんの信頼が高い期待の星)から電話をもらって承知していたが、実物を見るのはこの日が初めてだった。
 
「どれどれ」
 ちょっとお借りしてページを開く。目次の次の大見開きは迫力があった。
『身命を賭して』とタイトルしたカラーページ。NSXのステアリンを操るガンさんのアップ。コピーを読んでみる。



———昭和58(1983)年、黒澤元治が発した言葉が当時の本田技研工業・常務取締役の心に響いた。
「F1にカムバックするなら、市販車でも世界中のホンダファンに夢を与えるスポーツカーを出すべきではないか」
 その提言が契機となり、ホンダ初のミッドシップスポーツ「NSX」の開発に繋がったという逸話を知るファンもいることだろう。
「こんなに深く真正面から取り組んだクルマは、後にも先にもないよ」。今回のインタビューでそう口火を切った。
 開発に携わったキーマン、そして一人のオーナーとして、NSXに馳せる想いを聞く―——

 必読のページが続く。
「魂を込めて開発した最初で最後の理想形」「俺が仕上げ、オーナーが育ててくれた」
 そして本田技術研究所「鷹栖プルービンググラウンド」での「生まれ故郷を攻める」
 後半は「あなたのNSXをみせてください」「NSXオーナー白書」「永遠にNSXを所有するために」「スキルを磨き親交を深める」といった、肌理の細かい編集の配慮も、このMOOK本を生き生きしたものに仕上げていた。

 持ち主に「NSX」の本を返しながら、実は20年ほど前の、完成したばかりの黒澤ゲストハウスを舞台にした「素晴らしい記憶」が蘇って来ていた。それは作家の五木寛之さんとのスペシャル・トークを、ここで収録していたのであった。詳しくは次回に紹介するとして、五木さんがこんな「リードコピー」を寄せてくれた『それからの“メルセデスの伝説”』は、いま、改めて熟読吟味に値する宝石のような「対談記録」であった。

———「ガンさん」こと、黒澤元治さんと一緒に仕事をするのは何年ぶりだろう。
鈴鹿で始めてのCIVICワンメイクレースがスタートしたとき、
「五木レーシングチーム」を結成、もちろんガンさんがドライバー(まだ現役のF2レーサーだった)。
もう14年が経ったのか。
その後もマカオGPのグループA・ギアレースに、TV番組「愉快な仲間たち」の収録をかねて出場したりするなど、共通の記憶をひろいあげたら際限がないほどだ。
久しぶりに、黒澤さんからお呼びがかかった。
温泉つきの箱根のゲストハウスが完成したので遊びにきませんか、と。
どうやら、ご自慢の造作らしいが、わたしをその気にさせたのはそれからの黒澤さんがモータージャーナリストとして新しいタイプの領域を確立してくれたことへの敬意と、クルマを通して自らを高めようとする、青年のような熱い息遣いに触れてみたいと想ったからである。
それに、来るならNew E320を用意するから、と上手に誘惑する。
新しいメルセデスを肴に、おしゃべりするのも悪くない。
箱根は、秋の真っ盛りであった。     (五木寛之)


*昭和61(1986)年のマカオGP

 さて、あの本、「黒澤元治 ベストセレクション Mercedes-Benz New E class」は書棚のどこにあるのだろう。それが気になりはじめた。NSXの本も買っておきたい。この会は自然にゲストがやってきて、搗き立ての餅をいただき、ひとしきりのおしゃべりを楽しんだら、お土産のお餅を受け取り、自然に退去していくのがしきたりのようである。

 わたしもそれに倣うことにした。冬の陽はまだ高く、箱根のこの辺りは光がいっぱいであった。    
 (この項、終わる)


Posted at 2014/12/23 14:29:27 | コメント(10) | トラックバック(0) | 78歳の挑戦 | 日記
2014年12月20日 イイね!

中谷明彦君と、また一つ、新しい約束を! 

中谷明彦君と、また一つ、新しい約束を! 〜クルマ仲間 eBook名作ガレージ船出の日〜


ひと月前に「ぽらりすよ、もっと輝け!」のタイトルで、その船出をお伝えした新しい編集企画会社『ぽらりす』が、本格的に走り出している。

 12月19日に、デジタルコンテンツビジネスを支援するアイプレスジャパンの強力なバックアップによって、電子書籍ストアであるコンテン堂モール内に、自動車専門の電子書店『ぽらりすeBooks〜クルマ仲間 名作ガレージ』を開設したのである。



 そのNEWSがドドッと、その筋のネット系メディアでとりあげられた。『Response』をはじめ、「みんカラ」の『carview!』にもしっかり紹介されていたのだから、こちらも張り切らざるをえないじゃないか。

———『ぽらりすeBooksガレージ』は、自動車業界に関連する幅広い分野のコンテンツをラインナップ。モノとしての自動車に留まらず、文化としての自動車、科学的運転論、小説、EVハイテク、ものづくり、市場、産業、日本らしさの追求など、多様な構成となっている。また、執筆陣は自動車設計者や評論家、レーシングドライバー、作家など多岐にわたり、新作も順次刊行する。

【展開するコンテンツ】
NEW 『ポルシェ911ドライビングバイブル ~RRがスポーツドライビングの原点だ!』
中谷明彦 著 500円(税抜)
http://contendo.jp/store/polaris/Product/Detail/Code/J0010123BK0024595001/

NEW 『2001年クルマ社会は崩壊する』
舘内端 著 500円(税抜)
http://contendo.jp/store/polaris/Product/Detail/Code/J0010123BK0024424001/

NEW 『自動車産業亡国論 ~トヨタ・日産の「正義」は日本の罪』
梶原一明/徳大寺有恒 著 500円(税抜)
http://contendo.jp/store/polaris/Product/Detail/Code/J0010123BK0024596001/

オープン記念新価格 『新・ドライビング・メカニズム ~ヒトとクルマを考えたドライビングの最適解』
黒澤元治 著 新価格 700円(税抜)
http://contendo.jp/store/polaris/Product/Detail/Code/J0010123BK0005440001/

『疾れ!逆ハンぐれん隊』 全10巻
五木寛之 著 400円(税抜) 1巻&2巻は【無料】
http://contendo.jp/store/polaris/Product/Detail/Code/J0010123BK0004221001/

『日本一周乙女の独り旅』 monologue+全14巻
三好礼子 著 100円(税抜) monologueは【無料】
http://contendo.jp/store/polaris/Product/Detail/Code/J0010123BK0004222000/

『間違いだらけのクルマ選び』 90年版~
徳大寺有恒 著 300円(税抜)
http://contendo.jp/store/polaris/Product/Detail/Code/J0010123BK0004223001/

『指さして言うTOYOTAへ 誰のためのクルマづくりか』
徳大寺有恒 著 500円(税抜)
http://contendo.jp/store/polaris/Product/Detail/Code/J0010123BK0024114001/

【新作予定】
「800馬力のエコロジーFrom the Project “EV Le Mans 24 Hours”」 舘内端 著
配信開始予定:2015年2月

【ぽらりすeBooksガレージについて】
サイト名  : 『ぽらりすeBooks~クルマ仲間「名作ガレージ」』
URL     : http://contendo.jp/store/polaris/
編集企画  : 株式会社ぽらりす
編集人   : 正岡貞雄
電子書籍形式: EPUBリフロー
対応端末  : iPad、iPhone、Androidタブレット、Androidスマートフォン、Windowsパソコン

 と、丁寧きわまる「紹介記事」が、ずらりと。徳大寺有恒さんの訃報をきっかけに、11月21日に『指差して言うTOYOTAへ』 をまずオープンし、さらに同じ「風の仲間」のひとりであり、EV車の巨匠、舘内端さんが12月8日の宝島社から『トヨタの危機』を発刊したのに呼応して、そのEV車に取り組む原点となった『2001年クルマ社会は崩壊する』(三推社刊)の電子書籍版を投入して、12月19日のオープンに備えて来たのが、やっと形としてまとまりつつあった。






*舘内さんの新著。「やっと納得できるものができあがりました」と。必読だよ。

 その仕上げが、1年越しの約束となった中谷明彦君の『ポルシェ911ドライビングバイブル ~RRがスポーツドライビングの原点だ!』。この作品、12年前に初版(講談社・三推社刊)が出て、3万部も売れて話題となったが、すでに絶版となってしまった。テーマはRRドライブのポルシェ911となっているが、そこにはクルマとドライバーとの絶妙な関係が、みごとにまとめられていて、本物志向のクルマ野郎にとって、必読のバイブルとなっている。
 
 そのためだろうか、試みにネット上でこの絶版本に、いくらの値付けがされているか検索していただきたい。中谷君が電子書籍化に積極的なのも、その辺の状況から、一人でも多くのクルマ野郎に、リーズナブルな価格でお届けしたいという志があったからである。 

 12月19日のオープン記念に、この「911ドライビングバイブル」を間に合わせよう。嬉しい作業に忙殺されたが、やっとそれも仕上がったところで「ぎっくり腰」に襲われた。

 それも、選(よ)りによって、そのオープンDayの朝だった。eBook版の仕上がりと、さらにその後に待っている新企画の打ち合わせを16時に、例の東京プリンスホテルで開く約束だというのに……。 

 コルセットをして、這うようにして、約束の時間から30分も遅れて東プリに着いた。電話連絡がとれていたから助かったものの、中谷君はにこやかな顔で迎えてくれた。早速にiPadで「911」を見てもらう。eBookの利点は、誤植などの手直しがすぐに対応しやすいことだ。



「この電子書籍を契機に、いろいろとやりたいことがたくさんあるんです」
 中谷君が切り出した。まず、「ポルシェ・バイブル」の英語版はできないだろうか?」と。
 香港・マカオをはじめ東南アジアにも彼のファンが多く、彼らにもぜひ読んで貰いたいから、と。
 次に、10年近くやっている『中谷塾』の講義テキストを同じように、電子書籍化したい、と。

 嬉しいね。その新しい約束、もちろん、すぐにとりかかりましょう!



 2015年も、新しいターゲットに向かって、心を燃やすことができそうだ。で、中谷君、12月21日の「箱根・黒澤元治邸の餅つき大会」はことしも行きますか?

「もちろんです。局長も行きますか?」
「もちろん! ガンさんにも今度の『ぽらりすプロジェクト』で、いろいろ、無理をお願いしているんだから」

 オープン記念として、これまで1200円で販売していた『新・ドライビング・メカニズム』を、すでに購入していただいた読者には申し訳ないが、700円(税抜き)の新価格で提供できるよう、協力いただいている。

 さて、21日の箱根の餅つき大会、ぎっくり腰が大丈夫なら、せめてひと搗き、杵を振り下ろせるといいのだが……。
Posted at 2014/12/21 00:25:15 | コメント(11) | トラックバック(0) | 78歳の挑戦 | 日記
2014年12月08日 イイね!

噂の「文太」はいつも抗〔あらが〕っている

噂の「文太」はいつも抗〔あらが〕っている〜菅原文太という『男星』のラスト講演②〜



「カウント99791」で家を出たプログレのODOメーターの数字が、快適に、律儀に100000にむかって加算されて行く……関越自動車道に入ってからは、クルーズ・コントロールにセットした。制限速度あたりにセット。なにもすることがなくなった。と、つい、鼻歌が出てしまった。なぜかシャンソンである。

♪ Sous le ciel de Paris 
  S ’envole une chanson
  Hum Hum
  Elle est nee d’aujourd’hui
  Dans le coeur d’un garcon
(パリの空の下に響く ム―ムー 歌は若い息吹きを乗せ……日本語訳:菊村紀彦)

 原語で唄えるのはその一節だけなのに、アコーデオンの奏でるメロディに乗ってパリの風景が流れる一つのシーンが、フッと思い出されたのはなぜだろう。凱旋門、シャンゼリゼ通りのキャフェテラス、セーヌ河畔の恋人たち、ノートルダム寺院の尖塔、そして、パリ・リヨン駅。駅のアナウンスが聴こえる。この終着駅にたどり着いた長距離列車の車輪がゆっくりと停止すると、降り立った乗客のなかに丁髷・佩刀姿の奇妙な一団をカメラがとらえる。つづいて、こんなナレーションがかぶさったように記憶している。

「今から113年前、このパリのリヨン駅に20数名の日本人武士が降りる。15代将軍の弟君の随行する幕府派遣のエリート一行である」
 その一行の最後尾に会津藩の下級武士に扮した菅原文太が、なぜか紛れ込んでいる。

「彼らは船旅56日を要しパリで開かれる万国博覧会に参加のためである。一行はその翌年が明治元年と呼ばれることを、まだ予測だにしていなかった……」

 それが1980年に放映され、3年ほど前のBSテレビで再放映されたNHK大河ドラマ「獅子の時代」のオープニングシーンであり、俳優・菅原文太が、単なるアウトロー野郎を演じるだけの男ではない「新しい道」に脱皮していった、注目すべき瞬間でもあっただろう。

 回を重ねること51回、その大河ドラマのエンディングシーンで「自由自治元年」の幟旗を振りかざし、敗走する秩父困民党の最後の闘士として抵抗し、明治政府の鎮台兵のなかに斬り込んでいく……ナレーションがいつまでも、心に残っている。

―—やがて日本は日清戦争に突入、さらに日露戦争への道を歩いていく。そのような歳月の中で、幾度か銑次の姿を見たものがあるという。たとえば栃木県足尾銅山の弾圧のさなかで、たとえば北海道・幌内暴動弾圧のさなかで、激しく抵抗する銑次を見たものがいるという人がいた。そして噂の銑次はいつも闘い、抗(あらが)う銑次であった、と。 
 
 なんとも強烈な感銘を残した平沼銑次、いや、それからの菅原文太さんが、「秩父事件130年記念講演」で何を語ってくれるのか。胸が高鳴らないはずがなかった。

 そんなことに想いをめぐらせながら、花園ICで下の道に降り、いくつかの峠をぬけ、11月9日の午前9時45分、秩父市役所吉田総合支所に隣接する会場の「やまなみ会館」についた。


*この日の秩父・吉田町の佇まい。ここが「秩父事件」の震源地





 会場は、すでに300名を越える来場者で埋まりつつあり、その関心の高さがうかがえた。いくらか空きのあった前列に陣取る。定刻、主催者側の挨拶で「記念集会」ははじまった。会長(秩父事件研究顕彰協議会)の篠田健一さんの声は、のっけから熱かった。

 ちょうど130年前の11月9日の未明、秩父を脱出して、信州に新天地を求めた「秩父困民党」の残党が長野県佐久市の東馬流(まながし)・天狗岩のあたりで、高崎鎮台兵と激突、十字砲火を浴び、敗走。この戦いで虚しく散華した困民党員の屍は13を数え、鎮台兵の流れ弾で地元の主婦が一人、犠牲になったという。捕縛者も100名を越えた。官軍側からも警官2名が負傷し、数日後、そのうちの1名が絶命した……その模様を、地元戸長の当時の日記やら、事件直後の現場を目撃した佐久自由党員の日記をもとに、来場者に紹介したあとで、11月3日付の『信濃毎日新聞』(正岡註:骨太の地方紙として知られる)の社説に大きな励ましを得たとして、読み上げる。 

「敗れたとはいえ、明治維新から20年を経ない時期に、自由や平等、民主主義を求めて国家権力に立ち向かった人々がいたことに、目を見張る思いがする。そこには、民衆の自由でたくましい精神が息づいていた」
「民主主義は、選挙や代議制といった形式を言うのではない。130年前に立ち上がった人々にあった、われわれこそが政治の主体だという意識を私たちは持っているだろうか。権力の横暴に抗する人たちに連帯し、支えていく動きは広がっているだろうか」(秩父事件研究顕彰協議会オフィシャルサイトを参照)
 
「秩父事件」を単なる暴動としてではなく、その本質を見抜くエネルギー、そこにこの地方ジャーナリズムの志を感じた、と締めくくる。





 挨拶が終わって、会場の照明が絞られる。まず、120周年を記念して制作された映画『草の乱』(監督・神山征二郎)の上映である。この作品はことあるごとにDVDで鑑賞しているので、ストーリーも、見せ場もインプット済み。が、こうやって劇場スタイルで、多くの人と一緒に鑑賞するのは、別の楽しみがある。空気が違う。それが大事ではなかろうか。

 雪に埋もれた北の大地。吹き荒ぶ風。北海道野付牛町。1918年(大正7年)、緒方直人が演じる老人が、いまわの際を迎えていた。気力をふり絞って、彼は枕元に妻子を呼び寄せ、自分の本名を明かし、実は「秩父暴動」と呼ばれる事件の首謀者の一人で、この北海道に潜入し、33年もの間、身分を偽り生きて来たことを告げるシーンから『草の乱』ははじまる。



 そこで写真屋を呼んで、家族全員の記念撮影をし、地元の新聞記者を招いて、その「事実」を公開し、静かに息を引き取っていく……そして画面は、1883年(明治16年)の当時の秩父地方の農民や山の民が直面していた貧困と借金にあえぐ窮状を描いていく。秩父郡下吉田村で「生糸問屋」を営む「丸井」の若旦那・井上伝蔵は、そんな彼らに頼られ、手を貸しているうちに、いつしか当時、政府の圧制に立ち向かい、憲法の制定を叫んで熾烈な活動をみせていた自由党に入ることを決意する……。彼こそが死刑の判決を受けながら、見事に生き抜いて、単なる暴動ではなかった『秩父事件』の本質を、後世に伝えようとした「凄い奴」だと、その映画はメッセージする。

 上映時間、2時間。エンディングの後も拍手は熄(や)むことがなかった。ひとりひとりの想いは異なっても、何かが通っている。その連帯感が、この会場一杯に広がっていく……。そしてこのあと、昼食をそれぞれが思い思いのかたちで済ませて、午後の講演を待つことになる。



 一旦、わたしは会場の外に出た。小雨も上がり、秋の気配が濃く溢れていたのに惹かれて、ぶらりと散歩でもする感じでプログレを走らせた。いまみた観たばかりの映画の主人公、井上伝蔵の屋敷があったあたりへいってみたくなっていた。そんなことができるのも、この下吉田の街がまぎれもなく秩父事件の震源地なればこそ、であった。
 
 午後からのイベント、秩父農工科学高校の「秩父屋台囃子保存部」の生徒たちによる屋台囃子の演奏ではじまり、午後2時からの特別講演を待つばかりだった。
 舞台の袖から、車椅子が舞台中央へ押されながら登場する。観客は、この意想外な成り行きを、声を殺して見守る。車椅子の主がこの日の主役だったのだ。



 主催者側の青年に支えられながら、ゆったりと立ち上がり、壇上に用意されていた椅子に腰を落とした菅原文太さん。やっと拍手がわき起こった。介添え役の篠田会長が、ちょっとしたアクシデントで菅原さんが腰を痛めたので、 このまま椅子に座っていただきます、と状況を説明する。それにしても、私の目には、頬の肉の削げ落ちた文太さんの印象は、いつもの精気が失われていると感じられた。これはどうしたことだ。



 あの、聞き覚えのある、少ししゃがれた低い声。
「このごろ、この国の政治が悪くなったね」
 これが文太さんの最初の挨拶だった。そして間をおいてゆっくり、語りかけた。それは今、彼が取り組んでいる「原発反対」「憲法改正反対」といった、いわば生臭い話題ではなく、おのれの歩んで来た「貧しかった青春」を、一つ一つ、思い出しながら、それでも志を失わない、真っ直ぐな男たちへの共感を、語ろうとしていた。

「今日、こうやって130年記念行事として、あの『秩父事件』のことを思い起こす機会をいただいた。嬉しいねぇ。あの北海道まで逃げ抜いて志を貫徹したあの人、名前、何と言いましたっけ?」
 
 会場から即座に声が上がる。
「井上伝蔵!」
「おお、それそれ!」

 発言者を指差しながら破顔する文太さん。会場はそれでドッと湧く。
 さすが、だと思う。午前に『草の乱』を見た聴衆に、「秩父事件」とそれに命を燃やした男たちへの想いを知った上でのやりとりか。

 明治憲法成立前夜の「自由民権運動」でシンボル的存在だった「板垣退助」の名前も、わざとだろうか、思い出せないふりをして会場の助けを借りる。
 彼が語りたかったことは、本当は何だったのか。
「どんな場合でも、理不尽なもの、力には、徹底的に抗っていきたい」
 わたしはそう受け取った。恐らく、研究顕彰協議会では、当日の講演を録音・録画しているはずだ。ぜひ、ぜひ、公開していただけないだろうか。



 秩父からの帰路は、心満ち足りた快適なクルージングとなった。駐車場に帰り着いたプログレのODOメーターは「9」が見事に5つ、並んでいた。あと1キロで10万か。まだ楽しみは残っているのだ。
 
 それから20日後、『菅原文太、逝く』のニュースが届けられた。
                     (この項、終わる)

Posted at 2014/12/08 13:48:12 | コメント(3) | トラックバック(0) | 秩父こころ旅 | 日記
2014年12月03日 イイね!

菅原文太という「男星」の最後の講演!

菅原文太という「男星」の最後の講演!〜10万㌔直前のプログレと秩父へ〜


 またひとつ「昭和世代」の男っぽい巨きな星が、流れ墜ちていった。菅原文太さん(1933年、仙台生まれの81歳)だ。その死はしばらくの間、秘されていた。
 徳さんのときも、健さんのときも、なぜかそうだった。11月28日午前3時に東京都内の病院で、「転移性肝ガンによる肝不全」のため亡くなっていた、という。そして九州・福岡、菅原道真公を祀る太宰府天満宮の祖霊殿で、ご家族だけに囲まれた葬儀が営まれた、という。

 その第一報の流れた12月1日の午後からはTVニュースをはじめ、どのメディアも彼の逝去をしめやかに報じ、夜は特番で在りし日の彼の姿、声、そして生き様を、わたしたちに思い出させてくれた。

 そして今朝(12月2日)のスポーツ紙の第一面は、「菅原文太の死」の競演だった。
「仁義なき戦い」「トラック野郎」でスターダムに躍り出た時代の彼には、申し訳ないが、あまり関心はなかった。しかし、たまたま鑑賞した五木寛之さん原作の映画『青春の門』(1981年版)での伊吹重蔵役を演じた彼が妙に印象深かったのを記憶していた。
  
 が、近年は映画俳優での仕事をぷっつり断ち切ったような印象だけが伝わってきていた。
人権に関わるボランティア活動、農業従事など、現役から退いた男たちへの、何らかのメッセージを発信しているんだ、と共鳴するものを感じ取っていた。

 そしてこの11月9日にいたって、この人が消えていく最後(恐らく、そうだと推察する)の光芒を、図らずも、わたしは目撃する……。

 たまたま、2014年のテーマの一つ、『130年前の秩父事件』を「図説」でまとめようと西秩父を走り回っている中で、道の駅・龍勢会館でこんなチラシを入手したのがきっかけだった。薄緑のA4用紙に「菅原文太氏の来秩決定!」の大見出しが躍っている。
 —−——今年は、秩父困民党蜂起から130年目にあたる記念すべき年。そこでNHK大河ドラマ「獅子の時代」(1980年)で秩父郡市にも縁の深い菅原文太氏の講演を中心にさまざまな行事を計画している、というアピールに惹かれた。



 大河ドラマ「獅子の時代」についての解説も添える丁寧さも気に入った。それは、こんな風に……。
 薩摩藩士苅谷嘉顕(加藤剛)と会津藩士平沼銑次(菅原文太)の二人を主人公に、幕末から明治維新にかけての激動期を通じて、明治維新とは何だったのか? 明治政府の目指した近代化は正しかったのか……。新たな視点から時代を問おうとした意欲作でした。
 舞台の最後は秩父地方、秩父困民党に加わった平沼銑次は、困民党の敗北と共に霧の彼方に逃れドラマは幕を閉じました。なお、このドラマでは、困民党総理田代栄助を志村喬が演じました。





 開催日時は11月9日(日)。会場は秩父市下吉田の市役所吉田支所に隣接する「やまなみ会館」とある。なるほど、秩父困民党が武装決起・集結した吉田の椋神社とは指呼の間にあるし、「記念講演」の演題も「秩父事件と私 菅原文太」とあって、これは見逃すわけにはいかない。
 開催当日が待ち遠しかった……。

 10月、わたしの秩父通いは5回に及んだ。そして11月9日がやってきて、その日のことを、わたしはこう書き留めていた。

 わがプログレが99999kmを走り抜いた日

 11月9日(日)の午前8時15分。今にも雨が落ちてきそうな暗い空模様。この日も秩父に向かうことになっていた。秩父事件130年記念集会が開かれるというのに、足を運ばないわけにはいかない。

 10時から、秩父事件を知るのに絶好の映画『草の乱』の上映。何度もDVDで見た作品だが、地元の人たちと一緒に見るのも悪くない。そして、観客の反応も知りたい。
午後は地元高校生による『秩父屋台ばやし』演奏。そして14時からは「トラック野郎シリーズ」でおなじみの俳優・菅原文太が講師として登場するという。NHK大河ドラマ『獅子の時代』で、秩父事件と関わる役を演じたというが、なにを語るのか、招かれる以上、それなりの見識をお持ちなのだろう。

 それにもう一つ、記念イベントに関連して、「秩父事件」の足跡をカメラで追いつづけている品川栄嗣さんの「写真展」が秩父市内の百貨店で開かれている。これにもぜひ足を運びたいのだが、この日が最後のチャンスだった。





 というわけで、やっぱり秩父へ。お供には最初、NISSANティアナを指名するつもりだったが、わがプログレのODOメーターが99781、あと219kmで100,000㌔に到達するのに気付いて、急遽、プログレで行くことにしてしまう。

 秩父を往復するだけで180km。それにプラスアルファ―を加えると、ちょうど自宅に帰りついたその時に、100,000を刻むことになりはしないか。前々から、プログレで10万キロを走破する瞬間、どこで、助手席にだれが乗っていて、それを迎えるのは、楽しみにして来た……。

 と、書き綴って来たところで、残念ながら時間切れとなった。明日(12月3日)というより、今日は秩父の夜祭の日。午前中には、秩父へむかわなければならない。で、この続きは、夜祭より戻ってからのことにさせていただく。






 
 そこで今回は、講演する菅原文太さんの様子だけ、ご覧いただいておく。この19日後、彼は不帰の人となる。しかし、これだけはお伝えしておこう。この時、彼は講演にやって来る途中の熊谷駅のホームで転倒、腰を強打して、歩行もままなら状態なのに、車椅子の助けを借りて、秩父の会場に現れたのであった。が、一旦、壇上に現れてからの彼のオーラは、微塵も失われていなかった。

 それが彼の最後の講演になるとは……。
 その様子、必ず書き継ぐことをお約束して、今夜はこれで失礼を。
 

Posted at 2014/12/03 02:48:24 | コメント(2) | トラックバック(0) | 秩父こころ旅 | 日記
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「6月最後の日曜日、29日の燕戦は神宮が舞台。有難いことにNHK-D1がゲーム開始からすっぽりD1から実況中継とういうお膳立て。しっかり楽しませていただいた。1回表。森下の一発。5回に大山、坂本、近本らの集中打で4点。仕上げはサト輝の一発。加えて伊藤将司が2安打完封で文句なしや!」
何シテル?   07/01 12:02
1959年、講談社入社。週刊現代創刊メンバーのひとり。1974年、総合誌「月刊現代」編集長就任。1977年、当時の講談社の方針によりジョイント・ベンチャー開...
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