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正岡貞雄のブログ一覧

2014年01月01日 イイね!

名もなき『いのち坂』を今日も往く

名もなき『いのち坂』を今日も往く たかだか50歩ほどの、だらだら上りのその坂がなかったなら、おそらくわたしの2013年はその途中で、とんでもない異変に見舞われていたにちがいない。かつては沼だったあたりから、舌下状の台地に通じる細道に、名前があるはずもなかった。

 ちょうど1年前のことだ。細い露地を抜け、赤い鳥居の「秋葉神社」という額のかかった祠に叩頭してから、右折する感じでコンクリート舗装された坂道を登りはじめた。左の家の垣根から白薔薇が覗いていたのは記憶している。
 坂の途中で息切れがする。おかしいな、この程度で。そう思った。いつもの散歩コースだ。それまで、この台地を上って、スーパーマーケットの前を通って、銀杏の並木道に囲まれた美術館、図書館のある風致地区へのルートを歩いていて、そんな異変は一度もなかった。


*この坂を通るたびに心を励まされて……。


*坂の入り口の鎮座する秋葉神社

 台地の上の平坦な歩道に出ても、息切れはなかなか収まってくれない。しばらく立ち止まって、「嵐」が去るのを待った。その時は、呼吸器系のトラブルだろう、と自分で決めていた。

 1月9日にかかりつけの内科クリニックで診てもらった。血圧は見事に平常値を守っているものの、心電図に少し乱れがあるので、大学付属病院の循環器科で診てもらったらどうでしょう? 紹介状を書きましょう。Y医師が柔らかい声で語りかけてくれた。

 1月18日にJ大学付属病院循環器科で診察を受けてから、疾風怒濤の日々がはじまった。細かい経過はここでは説明を省かせていただくが、3月中旬のカテーテル検査の結果、3本の心臓冠動脈がそれぞれ、程度の差はあるにしても閉塞しているのがわかった。いわばエンジンはギンギンに回るはずなのに、燃料を運んでくれるはずのパイプが劣化している上に、ゴミが溜まっているのと同じ状態だった。つまり重症の狭心症と判明したわけであった。いつ、心臓が停まってもおかしくありません、とまでいわれてしまった。



 早速、手術しましょう。バイパス手術とカテーテル治療でステントを入れるのと、どちらにしますか? 主治医となったI先生は容赦なく宣告する。わたしは悲鳴をあげた。
「手術はぜひお願いしますが、4月10日以降ではいけませんか?」
 実は……と事情を説明せざるを得なかった。4月6日から8日まで、岡山国際サーキットのスーパーGTの翌日にイベント(つまりベスモ同窓会)を主催することになっていて、これだけはなんとしても……。
 I先生が首肯いてくれる。
「わかりました。神様に何事もないよう、お祈りをしましょう」

 結局、5月のGW中に第1回目のカテーテル治療を受け、まず100%詰まっていた冠動脈が1本、蘇ってくれた。残りの2本は6月下旬のカテーテル治療で、綺麗な血液の流れを取り戻すことができた。あとは7ヶ月後の検査で挿入したステントの状態をチェックすることが残されている。


*RJCカーオブザイヤーCarにはMAZDAのアテンザが選ばれた





 それ以降、体調は加齢によるヘタリは別にして、素晴らしく生き生きとしている。それに支えられて、この10年間でもっとも充実した1年を送ることができたじゃないか。
ガンさんの単行本、秩父の祭と民間信仰にかかわる復刻新装版の出版、2度にわたる「ベスモ同窓会」の開催、RJC(日本自動車研究者ジャーナリスト会議)への入会など、まことに手応え満点の日々が続いた。そして、あたらしく交遊のはじまった「ベスモ育ち」の仲間たちとの『黄金の日々』……。加えて、10年の空白をお埋めると称して「対決」したR35GT-RやNISMOフェアレディZたちとそれぞれ1週間を暮らしてみたり、と。

 2013年の大晦日の午後、平和すぎる明るい陽射しを浴びながら、あの名もなき坂道を上って行った。
『いのち坂』――そうだ、この坂にこの名前を送ろう。そして、その時の感懐を書き留めておこう。それも除夜の鐘のなる前に……。
 数えてみると、2013年度73回目のBLOG更新であった。

 みんカラ仲間の諸兄よ。2014年もよろしく!
Posted at 2014/01/01 01:09:45 | コメント(13) | トラックバック(0) | 77歳の挑戦 | 日記
2013年11月29日 イイね!

欧州車の「お・も・て・な・し」に軍配を!

欧州車の「お・も・て・な・し」に軍配を! ~続・駆け足実況! 東京モーターショー2013~

 東棟のTOYOTAブースのお隣はBMWで、その真向かいにアルピナがちょこんとくっついている.。以下、レクサス、スバルとトヨタ連合軍がつづき、いすゞ、日野の国産勢が並ぶ。

 もちろん、それぞれの出展社の目玉作品を吟味するのも楽しいが、各車の用意する「プレス資料」を、1社ごとに頂戴していくのも、大事なルーチンワーク。結構、それが嵩張ってしまう。そのため、キャリアカーまで用意する仲間もいたくらいだ。

 まずTOYOTAのプレス受付に立ち寄る。渡されたのはフォトリストと燃料電池車、未来のモビリティライフを提案するコンセプトカーに関する広報資料の綴りフォルダー。えっ!? である。が、よく見ると、フォルダーの斬りこみにテレフォンカードのようなものが挟んであった。それには第43回東京モーターショー専用サイトのURLが刷り込まれていた。なるほど。これなら重い印刷物を持ち歩く心配はないわけだ。が、なんという味気なさだろう。思い上がりかも知れないが、随分とメディアも軽く見られたもんだ、と感じてしまう。いやいや、今の時代はWebで用意するのがルールじゃないですか。そんな声も聞こえてくる。

 さてお隣のBMW ブースへ。同じようにプレス受付へ。名刺を出そうすると、プレスのIDカードをもってらっしゃるので結構ですと手渡されたのが、手のひらに載せたくなるような洒落た小冊子。厚手の表紙。それに例のBMWマークの入ったネクタイピンのようなものが挟んである。なんとそれがUSBに焼きこまれたプレス用の資料だったのである。なんだか、クルマを創る姿勢が、ここにもあらわれていやしないか。


*BMWが用意したPRESS KIT。

 試みに、そのBMWからの贈り物USBを、わがPCの専用ハブに差し込んでみた。さすがにTextは日本語のものまで用意できていないが画像やVIDEOの方は問題ない。いい「お・も・て・な・し」だと感心させられた。これはポルシェ、アウディ、VOLVOも同じで、メルセデスはDVDディスクが用意されていた。VWだけはTOYOTAと同じように、「For press use」と刷り込まれたURLをIDとパスワードつきで渡された。
 

*BMWのUSBからピックアップしたEVのスポーツカー。2000万円。


*欧州各メーカーのプレスキット。もっともNISSAN GT-Rのそれも魅力たっぷりであったが。

 一般公開になってからの会場は、毎日が大盛況なのはいいが、そのお蔭で、人垣の間から、お目当てのクルマたちをのぞき見するのがやっとだという。そこで写真だけはたっぷり、説明抜きで「大駆け足実況」しよう。まずはBMWから――。


*自信を持ってBMWが送り出してきた4シリーズ・コンバーチブル


*新世代EV車のi3


*会場でばったり出くわした田部靖彦君も注目していたi8。

 この日、楽しみにしていたことが、ひとつあった。クルマ関係のメディアが特別に、祭りの屋台よろしく、お店を出すのが恒例だが、その中に「グランプリ出版」の名前を発見。ひょっとしたらこの日を目指して執筆中だった飯嶋洋治君の『モータリゼーションと自動車雑誌の研究』が販売されているかもしれない。

 東館から西館へ移る。と、出店が並んでいた。お、「ベストカー」も出ている。と、その隣の三樹書房のブースに「グランプリ出版」も共同出店しており、飯嶋君の出来たての新著も並んでいて、モーターショー特別価格で手に入れることができた。




*飯嶋洋治著「モータリゼーションと自動車雑誌の研究」(本体2000円+税)

 早速、ページを開く。65ページに、こんな見出しが躍っていた。
  
 メジャー路線で部数を拡大した『ベストカーガイド』

 実は創刊から軌道に乗るまでの経緯と、貫いてきた編集ポリシーを、飯嶋君のインタビューで、わたしが語っている。それも4ページを費やして。ぜひ、ご一読願いたい。

 さてこのあとは、一息ついてから、つづけますので悪しからず。
Posted at 2013/11/29 03:20:46 | コメント(5) | トラックバック(0) | 77歳の挑戦 | 日記
2013年11月22日 イイね!

駆け足実況! The 43rd 東京モーターショー2013

駆け足実況! The 43rd 東京モーターショー2013 ~Press Day 2日目/77歳の挑戦~

え~、14回も続いた幕張メッセから、東京ビックサイトに会場を移して2回目になります東京モーターショーに、はじめて電車に乗って行ってまいりやした。西武池袋線に乗り入れている地下鉄・有楽町線でまっすぐ豊洲へ。そこで一旦、外へ出て、ゆりかもめに乗って東京ベイエリアの、どんどん変貌していく幾何学的な風景を楽しんでいますと、あっという間に「国際展示場正門駅」に着いてしまったのです。

とはいっても、うちを出たのがちょうど10時。モノレールの駅から橋を渡って、ビックサイトの正面ゲートをくぐって、地下1階に設けられたプレスセンターでひと息ついたのが、11時30分、2日前に横浜の日産グローバル本社と、さして変わらぬ「所要時間」でございました。





 まあ、プレスルームに落ち着いてあたりを見回すと、なじみの顔はなく、ほとんどがアジア系の方々ばかり。速報を求められる日本のメディアは、やはり初日に足を運ぶものらしいですな。

 ひとりさびしく、紙のBOXに入ったプレスランチ(サンドイッチ&お好みの日本茶ボトル)をひろげる。で、食べながら、会場の見取り図をチェック、次にロッカールームでバッグ等を預ける。さあ、カメラを携えて、いよいよ、出動です。東館と西館に分かれていましたが、やはり順序は東からでしょうね。

 以下、訪問順にカメラに収めたものの中から、とにかく今度のモーターショーは、こんな感じだよ、と駆け足実況を試みました。ま、23日からの一般公開では押すな押すなで、人垣の間からやっと見ることになるでしょうから、少しは参考になるはずです。
ざっと写真を並べますが、時間を見つけて、後程、キャプションをつけさせていただきます。では――。



 東館の最初のブースは「ダイハツ」です。やっぱり入り口正面は得ですね。テーマは「PLAY TOMORROW」。エネルギーの未来のかたちを問う――これでおしていましたね。TANTOの発展型「DECADECA」が面白そう。








 そのお隣が「TOYOTA]ブース。いろいろ話題をさらっていたのが次世代燃料電池自動車「FCV]。水素と酸素でエネルギー(電気)を発生させモーターを回すコンセプトカー。そのほか、いろいろあったが、そこでバッタリお会いしたのが津川哲夫氏。昔、N・ピケ、A・セナが在籍した当時のF1ベネトン・チームで、日本人メカニックとして活躍した御仁で、たまたまイギリスから里帰りしたのでのぞいてみた、とか。モーターショーの良さは、こうして思いがけない人に逢えること。幸先よし、です。










*前2輪、後1輪の『TOYOTA i-ROAD」に津川さんも「面白い!」と興味津々だった。

 さて少し気になる市販車のFCするクルマたちも。ミニバン売れ線のVoxyは?

*New Voxy 


*こちらはピンクのアスリート。そこまでやるのかなあ!

ならば、もっとも熱い視線を浴びていたシーンを紹介しちゃおう! お隣にある西館に陣取った『日産ブース』のこの車だぞ。いやぁ、どこよりも熱い空気がムンムンでした。



この『駆け足実況」は適宜、つづけます。


Posted at 2013/11/22 01:57:56 | コメント(6) | トラックバック(0) | 77歳の挑戦 | 日記
2013年11月20日 イイね!

NISSAN GT-R NISMOに逢ってきたぞ! 

NISSAN GT-R NISMOに逢ってきたぞ!  ~『懲りない77歳の挑戦』番外編~

 東京モーターショー2013は第43回を数えるという。そのプレスDAYは20日、21日の2日間で、そのどちらに行ったものか、と悩んでいたところへ、日産から「NISSAN GT-R」14年モデルと「GT-R NISMO」のワールドプレミア(世界初公開)の招待状が届いた。それも19日午後6時30分からで、会場は横浜のグローバル本社ギャラリーだというタイトなスケジュール。

 なんといっても、『空白の10年』を埋めるための「GT-Rと1週間を暮らしたい」という、わがまま極まる77歳の悲痛な願いを受け止めていただいた手前、なには置いても、横浜へは行かねばならぬ。
これでゆっくり取材できるプレスDAYを利用しての東京モータショー行きは、1日休養とってから、21日に赴くことに決めざるを得なくなった。おお、23日には「秩父の紅葉に染まりに行くオフ会」が待ち構えているではないか。



 正直言って、今回のGT-R2014モデルはマイナーチェンジだから、それほどこちらがワクワクするほど、日産の熱意は感じられない。が、ことNISMOバージョンのGT-Rとなると、話は別らしい。こっそり、関係者が耳打ちしてくれた。NISMOの専用オプションパックを装着した今度のGT-Rが、ニュルで7分8秒679を叩き出したんですよ。ドライバーはミハエル・クルム。ゴーン社長はNISMOを「ベンツのAMG」と同じ位付けをして、NISMOバージョンを世界戦略車に育てていくハラづもりです、と。

 ま、ニュルで叩き出したこの量産車最速をマークしたタイムの凄さはわかる。いずれ動画で鑑賞できるだろう。それよりも、このところ、リーフ、フェアレディZ、それぞれのNISMOバージョンとじっくりつき合ってきた。そこへ日産のフラッグシップカーのNISMOバージョンの登場。何は置いても、逢いに行かざるを得ないじゃないか。

 午後3時半。西武池袋線で池袋に出て、JR湘南新宿ラインで横浜へ。5時には横浜駅着。受付開始までには1時間はある。これ幸いと、駅チカで博多ラーメンの「一風堂」に立ち寄る。以前から、一度は寄ってみたいと狙っていた店である。味は? う~ん。博多ラーメンは、那珂川の屋台に限る、と再認識。

 6時10分前。受付でHot-Versionの本田編集長と仁礼義裕君とバッタリ。過日の『ベスモ同窓会』を盛り上げてくれた礼をいう。この後、同じく同窓会メンバーの「あど」、「AKI23」の両君とも、会場で再会。嬉しいねえ。













 さて、ワールドプレミアの模様は同載の写真から感じ取って貰いたい。ニュルを走ったとおぼしき不思議なカラーリングのGT-Rが、煙幕の中から登場。ドライバーがM・クルム。ナビシートにゴーン社長という演出は、iPhoneの動画に収めておいたので、いずれ編集して公開したい。

 ところで、この日の主役、NISMO GT-Rのお値段はかなり強気に設定されていた。NISSAN GT-Rがプレミアム・エディションで希望小売価格が10.111.500円(消費税込)。それに対してNISMOのレーシングテクノロジーを注入したGT-Rは15.015.000円。ここまで来ると、ため息も出ないものらしい。





 プレスリリースによれば、そのパフォーマンスは以下の通りだった。
1.メカニズム
 「NISSAN GT-R NISMO」はレーシングテクノロジーのDNAを凝縮し、パワー、スピード、ハンドリング、すべての性能を新たな領域で達成するため、モータースポーツ活動から学んだ数多くの技術を採用。

エンジン  
・NISMO専用チューニングの3.8リッターV6 VR38DETTエンジンを搭載。最高出力600PS,最大トルク652Nmを発生。
・NISSAN GT-R NISMO GT3にも使われている専用タービンを搭載し、気筒毎に最適な点火時期をコントロールする制御の採用に加え、最適な燃料噴射量をコントロールするインジェクター駆動回路を採用。
・NISMOエンブレム付きの専用エンジンカバーを標準装備。
シャシ― 
・特注のビルシュタインダンプトロニックダンパーの採用によって、極限状態でも路面に吸い付くようなグリップや正確なステアリング応答性を実現する。走行中に3パターンのサスペンションモードが選択可能。レースから着想を得たサスペンション設定を補完するため、ワイドリムフロントホイールとサイズアップした専用の高剛性ハブボルト、専用タイヤを採用。



 この他、シャシーについてレーシングカーさながらのチューニングが施されていて、「ボディ」は特注サスペンションの精度の高い動作を確保するため、ボディ結合部には通常のスポット溶接に加え、構造用接着剤による補強も追加し、ボディ剛性を高めている。これはアフターマーケットでは実現できない、NISMOによる「ファクトリーチューン」だと胸を張る。





 巨大なスクリーンを背にした30分間のセレモニーの終わったところで、例のNISMOバージョンのアイデンティティであるアイボリー・ホワイトのGT-Rが、会場に持ち込まれているのを発見。左ハンドルであった。恐らく、このパーティが終わったところで、翌日オープンの東京モーターショーの会場へ、あわただしく運ばれるに違いない。

 はたして、この白馬のようなGT-Rのステアリングを操り、アクセルに心を託す日がやってくるのだろうか。

 また、懲りない77歳は、かなわぬ夢を見始めたようだ。(この項、おわる)



*懐かしの1970年版ハードトップ2000GT-Rが歴代のGT-Rたちと一堂に。早速のツーショット。



*帰り際にお土産で頂戴した「プレスキット」はNewGT-Rに関する情報が満載。洒落てるね。
Posted at 2013/11/20 08:37:40 | コメント(8) | トラックバック(0) | 77歳の挑戦 | 日記
2013年11月04日 イイね!

カー・オブ・ザ・イヤーの季節 

カー・オブ・ザ・イヤーの季節 〜新しく『RJC』会員となっての初仕事〜

  日本プロ野球に「セ」と「パ」があるように、この国の、自動車の「イヤーカー」を選び、それを表彰する組織が、二つあることをご存知だろうか。「日本カー・オブ・ザ・イヤー実行委員会(略してCOTY)」と「NPO法人 日本自動車研究者 ジャーナリスト会議(略してRJC)」である。

 COTYは1980年に、それまで三栄書房が自社の「モーターファン」一誌で主催していた「日本カー・オブ・ザ・イヤー」を、10周年を機に発展的に解消し、ヨーロッパの「カー・オブ・ザ・イヤー」の例に倣って、主要自動車雑誌で運営する全国規模のものにできないか、と社長の鈴木脩巳さんが提唱し、紆余曲折はあったものの、実行委員長を当時の「CG」編集長の小林彰太郎さん(つい先日に逝去)にお願いし、スタートしたものだった。

 当時、ベストカーの編集責任者であったわたしにも創立準備グループのひとりとしてお声がかかり、結局、スタート2年目からは、事務局長、さらにその後には小林委員長を補佐する副委員長として、運営する側に深く関わり、1997年に「ベストモータリング」編集長を退任するまでは在籍している。


*COTYの発足した1980年、第1回受賞車はMazdaファミリア。ベストカー誌を飾った授賞式の記事。10月28日に逝去された小林彰太郎氏が実行委員長としてCOTYの発展に寄与した時代であった。

 その第1回、つまり’80〜’81日本カー・オブ・ザ・イヤーカーはMAZDAのファミリアが選ばれて、船出して行ったのだが、スタートしてすぐに、実行委員であるメディア側(編集長グループ)と選考委員を委嘱される、いわゆる自動車評論家の諸氏や、本家意識が払拭しきれないでいた三栄書房推薦の学識経験者たちとの温度差がありすぎて、なにかと「もめごと」ができて、それがやがて、1年ごとの選考委員選びに影響し始め、組織のギクシャクが顕著となっていく……。

 1991年、「NPO法人 日本自動車研究者 ジャーナリスト会議」が、COTYと袂を分かつ形で、発足する。会長には自動車工学の重鎮・平尾収氏(東京大学名誉教授)が就任、それを景山一郎氏(日本大学教授)、自動車評論家の三本和彦、星島浩氏らが支えるという、より自動車について専門的な視野を持つ集団が生まれたのである。

 この新集団が選出した91~92年次の『イヤーカー』はマツダ・アンフィニRX-7に、そのころはまだCOTYに設けられていなかった『インポート・カー・オブ・ザ・イヤー』にはBMW・3シリーズ、『テクノロジー・オブ・ザ・イヤー』にはホンダのVTECエンジン、『パーソン・オブ・ザ・イヤー』にはマツダ第6代社長の山本健一氏(後の最高顧問)が選ばれる。
それに対してCOTYは同じ年度の『イヤーカー』にHONDAのシビック、シビックフェスタ、『特別賞』に三菱のパジェロを選ぶなど、お互いの選考基準の違いをまざまざと見せつける結果となったのが、強く印象に残っていた。

 それから20年余の歳月がたって、 それぞれが激動する時代の波にさらされながら、共存するかたちで生き抜いて、今日に至っている。それでも、COTYに加盟するクルマ雑誌群からは『CG』『ベストカー』の名前は消えているし、執行機関である実行委員会の顔ぶれをみると「カービュー」「アヘッド」「グーワールド」といった新興メディアの編集長が要職に名前を連ねていて、時代の移り変わりを、みごとに反映している。
さらに選考を委嘱される「選考委員」60名の顔ぶれをみると、すっかり若返っていて、黒澤元治、山口京一、米村太刀夫といった実力者は投票権のない「評議員」といったかたちで関わっているに過ぎないのに驚いた。



*第1次投票で55票を集めて第1位となった「アテンザ」。10月30日、試乗。「走り感」に主張があった。



*51票で2位につけた三菱アウトランダーPHEV。

*45票で「予選3位」となったフィット ハイブリッド。試乗は10月21日。

 率直に言うと、クルマについてシビアに議論し、提言していく機能は、どこでどうやって反映されていくのか、わたしには見えなくなっている。恐らく、年を追ってショーアップされていくCOTYの現状に、わたしが目くらましを食っているのだろう。そう、思いたい。まだ、舘内端、中谷明彦、桂伸一といったお馴染みの「見識者」は在籍しているのだから。しかし、真っ向から自動車メーカーに斬りこむくらいの骨太のメディアが希薄になった印象は否めない。

 もうひとつのRJCにしても、順調に推移していったようではなかった。平尾収会長のあとを継いだ会長職の人物が、大手自動車メーカーの技術関係者だったことから、そのライバル各社からの「不見識」の烙印を捺され、RJC独自の試乗会などは協力が得られなくなった時期もあって、様々な不協和音に悩まされたという。それを立て直した福永頌(ペンネーム鈴木五郎)会長が体調を崩したこともあって、今期からは飯塚昭三氏が新会長となっている。

 11月1日の午後、そうした「カー・オブ・ザ・イヤー」の現況をおさらいしたところで、東京・練馬から地下鉄大江戸線で「青山1丁目」へ、そこから銀座線に乗り継ぎ、「表参道」で地上に出た。国道246青山通りを渋谷方向へむかう。気分は初出勤のビジネスマンのそれだった。

 青山学院大学に隣接した青学会館の3F「ナルド」で、『2014年次RJCカーオブザイヤー』第1次投票の公開開票が午後1時30分から催された。その前日に第1次投票は締め切られていて、わたしは2日前にFAXで3通の投票用紙を送信している。

 まず1通目は「RJCカーオブザイヤー」で国産車から14台がリストアップされていた。2通目が「RJCカーオブザイヤー・インポート」の部、そこには16台の輸入車の名前が並んでいる。3通目は「RJCテクノロジーオブザイヤー」で国内外を問わないで13のテクノロジーが、それぞれに別紙の解説つきでピックアップされていた。

 その投票方法については、リストの中から優秀と思われる6車、あるいは6技術に○印を明記するだけで、各部門それぞれについて得票数の多い上位6車(技術)を、最終選考会にノミネートする6ベストとして選出するという段取りだった。


 
 会場には顔見知りの各メーカーのベテラン広報マン、RJCのメンバーになってから面識を得たフレッシュな広報担当者が、呉越同舟で開票を見守っている。その模様を最後部の席から拝見した。なにしろボードに貼りつけたエントリー車(技術)名を記した大きな紙に「正」の字を書きこんでいく、オーソドックスな開票風景は、その手作り感が懐かしかった。もっともまだ「予選段階」だから、本番ともなればもっとショーアップされたものを用意するのだろうが。



 投票総数は59票。結果は「ほぼほぼ」という最近のビジネスマン用語でいいだろう。カーオブザイヤー部門では、わたしの投票は4車が無事通過、2車が「落選」してしまった。HONDAのアコードハイブリットとTOYOTAのカローラアクシオ/カローラフィルダーのハイブリッドは弾かれたのだ。かわりにHONDAのフィットとスズキのスペーシアがかなりの高得点を集めて上位にランクされた。



*「インポート部門」で56票で2位となったボルボ V40。試乗は10月16日。

 インポート部門では、わたしが指名しながら最終選考から洩れたのは、メルセデス・ベンツCLAクラスと、アウディQ5ハイブリッド。そのかわりにアウディA3スポーツパックとフィアットパンダが同じように高得点を集めて、11月12日のテストデー(ツインリンクもてぎ)に持ち込まれる。



 テクノロジー部門では、三菱アウトランダーPHEVに搭載された「プラグインハイブリッドEVシステム」が52票、マツダアテンザに搭載の「SKYACTIV-D 2.2+i-ELOOP」が47票でしのぎを削っていた。

 RJCが個性を発揮して制定している「パーソン オブ ザ イヤー」は受賞候補者がいない場合は投票しなくていい仕組みとなっていた。だから、わたしはパス。
 それぞれの車名、得票数などの詳細は同載のPHOTOを参照していただきたい。
 こうして第1次選考が終わるとすぐに11月12日の「ツインリンクもてぎ」での6ベストカー試乗会と最終投票、そして公開開票が待っている。選考結果の記者発表は11月13日で、表彰式は12月16日と決まっている。


*「テクノロジー部門」では三菱の「プラグインハイブリッドEVシステム」が52票を集めて1位に。

 おお、カーオブザイヤーの季節、たけなわなり――。
では、もう一つのCOTYのスケジュールはどうなっているのか、ちょっと覗いてみた。なるほど、と思った。3連休明けの11月5日に「10ベストカー」が発表され、11月12日に「富士スピードウェイ」で10ベストカーの試乗選考会と投票があって、11月23日の東京モーターショー一般公開初日に、最終選考の発表がある。
 
 先ほど、日本シリーズでパ・リーグの東北楽天がチャンピオンフラッグを手中にした。
 はたして今年のイヤーカーは? 恐らくRJCとCOTYとが同じクルマを選出することはないだろうが、いつの日か、どちらもが揃って同じ車を選び出す、そんな文句なしのクルマが登場してくれないものだろうか。
11月12日の模様は詳しくお伝えする心構えで、もてぎへ行って来よう。そうだ、今回はNISMOバージョンのフェアレディZで往復しようかな。どう? いい考えでしょ?
 

Posted at 2013/11/04 03:08:28 | コメント(8) | トラックバック(0) | 77歳の挑戦 | 日記
スペシャルブログ 自動車評論家&著名人の本音

プロフィール

「6月最後の日曜日、29日の燕戦は神宮が舞台。有難いことにNHK-D1がゲーム開始からすっぽりD1から実況中継とういうお膳立て。しっかり楽しませていただいた。1回表。森下の一発。5回に大山、坂本、近本らの集中打で4点。仕上げはサト輝の一発。加えて伊藤将司が2安打完封で文句なしや!」
何シテル?   07/01 12:02
1959年、講談社入社。週刊現代創刊メンバーのひとり。1974年、総合誌「月刊現代」編集長就任。1977年、当時の講談社の方針によりジョイント・ベンチャー開...
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