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正岡貞雄のブログ一覧

2012年12月30日 イイね!

『N2喧嘩バトル』のIN CARドキュメント ~ああ「ハチロク慕情」第3幕~

『N2喧嘩バトル』のIN CARドキュメント ~ああ「ハチロク慕情」第3幕~ 前夜の鬱陶しい雨も上がって、光に満ちた、晴れやかな朝がやってきた。2012年も残すところ、あと3日になった。ひとまず、書きかけのBLOG原稿を仕上げよう。

 ホットバージョンの総尺は95分。その半分近い45分を『ああ、ハチロク慕情』のベースとなった「AE86岡山決戦」に割いていることからも、力の入れ方は半端ではないのがうかがえた。NHK大河ドラマの1回分と同じじゃないか。

 それにこたえて、予選のステージも丁寧に、じっくりと収録されている。各ドライバーたちのレースへの取り組み具合から、スキルのレベルまでがもろに透けて見える。決勝レースへの「観る側」の思い入れも、ぐんぐん高まってくるように、仕掛けてあった。

――N2決戦には過去最大の20台が出走、その中には、筑波のN2チャンピオンや、筑波N2で初めて1分切りをやってのけた「駿足NO.1」らが刺客となって、虎視眈々、土屋を狙っているスリリングな空気が、伝わってくる。とくにホットバージョンが選んだ6台(土屋車も含めて)に車載カメラを装着して展開する「IN CARドキュメント」は、期待を裏切らないものに仕上がっていた。


*エンジンをブローさせて決勝を走れなかったキトキト内堀その切れた走りはひときわ光っていた


*筑波N2チャンピオンのプライドにかけて「3速飛ばし」で熱走した斬りこみ隊長・鎌田。

 最初にS字カーブから裏のストレートに飛び込んだのは赤褐色のマシン。キトキト内堀が相変わらずの、キレのいい走りを披露する。それにつづいて、斬りこみ隊長・鎌田。優勝候補の筆頭だという。なるほど、ステアリングワークといい、シフトワーク、年輪を感じさせる円熟した味がある、と思った瞬間、シフトアップする左手が行き先を失った。なんと3速ギアをブローさせたのだ。それでも走りを続行する、3速飛ばしの秘技を駆使して。が、間違いなく走りのリズムを狂わせてしまった。

 カメラが再びキトキト内堀に焦点を合わせている。ペースを上げている。と、だらしなくエンジン音が垂れ、カラカラという異音とともに、白煙が室内にたちこめた。
「いまから一発、アタック中というところで……」
 残念だけど、エンジンをブローさせて決勝を走れなくなった、と唇をかむ内堀の顔がクローズアップされる。
 そこで土屋のアタックシーンがはじまった。目標の1分42秒台を、ひとまず、クリアー。で、なによりも見たかった、兄・孝太郎選手の走りが登場する。インフィールドを軽々と駆け抜け、土屋のタイムを上回る。1分42秒505。セクター1ではベスト・タイムだった。
「来た! よし!」
 ピットで見守る亜衣さんの声が弾んだ。

 41秒台に1番乗りしたのは、2012年の筑波N2戦で頭角を現した若きハチロクランナーの諏訪知己だった。この岡山国際は初めてとあって、前日の練習走行からコースインしたのはいいがクラッシュしてしまう。それでも、なんとかマシンを修復してこの予選に臨み、1分41秒951のタイムを叩き出したのだ。

 土屋のラストアタックがはじまった。ノーカットでそっくり1周、土屋の走りが見られた。しゃべりは全くない。すべてが土屋のために創られたNewマシンは、すっかり彼になじんでいた。桜井カムが心臓部におさまる5.5AGエンジンは心地よいハチロクミュージックを奏でる。1分42秒085。この時点で2番手。それにしても、と、ぼくは唸った。これが56歳という年齢を重ねた男の走りなのだろうか、と。ハチロクを走らせている限り、彼はひたむきに、フレッシュマン・レースをはじめたころの純真さを取り戻しているに違いない。ひたすらアクセルを踏み、ステアリングに己れを任せ、レーシングコースに溶けこむ。つまり少年そのものの初々しい走りを、今も喪っていないということ。これは決勝レースでどんな走りをしてくれるのだろうか。どこで闘いの牙を剥きだすのだろうか。それを伝えてくれるが『IN CARドキュメント』ならでは、の世界だった。改めてぼくは、わくわくしはじめていた。

 予選は結局、周回を重ねるうちに3速飛ばしのドライビングに慣れた鎌田が、240馬力を超える7AGのトルクをうまく使って1分41秒856のトップタイムをたたき出してP.Pに。この走りも一見の価値がある。






*第1コーナーを目指して鎬を削る土屋と鎌田。


*その模様を「INCARドキュメント」で伝えてくれた幸太郎号
 
 決勝の時間が近づいた。予選終了時点で4台がマシントラブルで消えていた。16台によるローリングスタートのためのフォーメーション・ラップが開始される。ゆったりとコースを1周したマシンたちが帰ってきた。横並びの五つの赤ランプが消えた。一瞬の空白があって、グリーンランプが一つ、灯った。と、いきなり土屋がインに切れ込んで、トップに立った。予選4位からのスタートだった孝太郎号がそれに続く。スタートの模様を車載カメラでリプレイされる。土屋の滑らかにインに滑り込むタイミングの絶妙さ。それを予測していたように真後ろに張り付く孝太郎号。その孝太郎号のカメラから、迷いなくインを取った土屋の気迫に押されて、道を譲ってしまった斬りこみ 隊長・鎌田の動きがバッチリわかってしまう。予選2番手だった諏訪も、その2台の気迫に呑まれて、5位までドロップしてしまう。



くだり切ったアットウッド・コーナーからは、のぼりバックストレートでのパワー勝負が待っている。土屋のスリップをつかって孝太郎号がヘアピンで勝負を仕掛ける。鮮やかにパス。
「やってくれるぜ、孝太郎!」ナレーター氏も絶叫してくれた。ピットのモニターでその瞬間を知る亜衣ちゃんの表情が、アップで映し出される。涙ぐんでいる。
 

*ヘアピンでインから土屋ハチロクを攻める孝太郎号



 インフィールド区間に入った。ここからは低速コーナーが連続する。ホットバージョンのN2決戦で念願のトップに立った兄・孝太郎がオープニング・ラップをとった。その一方で、予選トップの鎌田が3速を失ったハンディから、コーナーで回転が落ちすぎてしまい、スピードの乗らない苦戦を強いられていた。

 再び裏のストレート。今度は土屋が孝太郎のスリップを使ってやり返す。後ろから切り込み隊長・鎌田も伸びてきた。ヘアピン。土屋がインを抑えた。が、ヘアピンのギア比の合っている孝太郎もやり返そうとして、力みが入った。ラインが乱れた。それを鎌田が見逃すはずがない。孝太郎が3位に落ちた。
「これがN2の喧嘩バトル! スイートスポットの小さいN2マシンはわずかなミスもゆるされない。最終コーナーをうまくまとめた鎌田が、その勢いで土屋にしかける!」

 決勝の模様はここまでにしよう。結果は亜衣さんにとって痛しかゆしのどんでん返しが待っていた。が、ともかく、久しぶりに「IN CARドキュメント」で燃えてしまった。そして、小泉亜衣・孝太郎兄妹の「Dreams Come True」は見事にかなえられたわけだが、亜衣さんは恩師である故・桜井氏にどんな報告をしたのだろうか。
 
 考えてみれば、ベストモータリングが多くのファンに支えられ、ある時代を謳歌できた要因のひとつは、見る人の心を熱くした「実戦バトル」ものにあったのではないか。
ミラージュCUP、ゴルフのポカールレース。あるいは中谷、服部、琢弥らのF3シリーズ。それぞれに記憶に残るシーンが思い出されるが、ぼくにとって印象深かったのは、FISCOのTSサニー戦で登場した田島栄一クンの「IN CARドキュメント」である。アメリカから帰ってきたばかりの田島クンは間違いなく速かったが、100Rなどの右回りコーナーでシフトミスを連発してエンジンをブローさせてしまう内容だった。


*田島栄一クンの「IN CARドキュメント」(ベストモータリング1988年4月号より)

 粗削りだが、鮮やかな印象を与えたこの企画の立案者が田部靖彦クンで、この線をもっと拡大させよう、と指示したものだ。で、どの号に掲載したものだったのか、気になってちょっと調べてみたところ、創刊から5号目、1988年4月号だった。ここで一つの奇縁に驚かされる。同じ号に舘内端さんと中谷明彦君による『ちょっと放浪モータリングの旅』というコーナーが収録されているではないか。そこで、記憶の連鎖作業がはじまった。


*「ちょっと放浪モータリングの旅」で舘内さんと一緒に備前焼の窯元で轆轤を回す中谷クン。

*日本最古の庶民教育の場・閑谷学校にもを訪れた。備前焼の瓦に驚嘆する。


*仕上げは山陽スポーツランド中山サーキットへ。まだこのころは岡山国際の前身、TIサーキット英田は構想段階前だった。ちなみに、亜衣さんのレースデビューがこの中山サーキット。

 当BLOGの第1回「ファーストラン」でこんな一節を書き記している。
「(2011年)3月15~16日の岡山国際サーキットでレクサスLFAをバトルに引っ張り出せるようになったので一緒にいきませんか、とメディア企画部の田部靖彦部長から連絡が入った。前日に空路で岡山入りして、その足で閑谷学校。中山サーキット、備前焼きの窯元を回りましょうよ、という誘いがあった。このコース取り、実は24年前の企画で舘内・中谷の両氏を誘って「マツダMX‐04にめぐり逢う旅」を再現しようという、彼らしい思いやりに満ちたプランだったが、実はベストモータリングの最後のロケになるところだった。それが東日本大震災の影響で中止となった」

 そうだ、2013年の4月6~7日は岡山国際でスーパーGTの開幕戦だ。この機会を逃す手はない。今度こそ、間違いなく岡山へ。

Posted at 2012/12/30 04:12:14 | コメント(5) | トラックバック(0) | ホットバージョン | 日記
2012年12月23日 イイね!

崩壊した「兄妹ドラマ」の構図 ~ああ、ハチロク慕情 第2幕~

崩壊した「兄妹ドラマ」の構図 ~ああ、ハチロク慕情 第2幕~ ホットバージョンVol.119について、うれしい情報を、販売元の講談社サイドから入手したので、こっそり「漏洩」しちゃおうかな。
「この号は特に売れ行き好調。TUTAYAから追加注文があったりして、刷り増しします!」と――。
 さっそく本田俊也編集長に、「よかったね。光が見えてきたじゃないか」と、祝いの電話をいれたところ、「そうなんです。めったに褒めない土屋さんからも、いい出来だったぞ、といわれまして……」と、弾んだ声が返ってきた。全国のあちこちで品切れ店が出はじめている様子だ。かつて、べスモが大躍進していったときと同じ前向きな雰囲気である。べスモDNAを絶やさないためにも、みんなで応援しようじゃないか、といってくれている「みんカラ」仲間には、まずはお礼をかねて、報告する次第である。



 ところで……、本田編集長との電話のなかで、こんなお恥ずかしい指摘を受けてしまった。
「前回の《ああ、ハチロク慕情》で兄妹の悲願という設定になっていましたが、あれは、逆です」
「え!? 逆だったとは?」
「小泉亜衣さんは妹で、孝太郎さんがお兄さんですよ」
小生、絶句。勝手に描いていたドラマの構図が足元から崩れていく……。
 
 これでお判りだろうが、映像を見ているうちに「ハチロク慕情」のヒロイン、Car Factory Aiの主宰者である亜衣さんを、何一つ予備知識のなかったぼくは、すっかりチーム・ドライバーである孝太郎君のお姉さんと思い込んでしまっていた。ひたむきにハチロクに生甲斐と情熱を注ぎ込むその根っ子に、弟をなんとか一人前にしてやりたいと願う姉の想いと深く重ね合わせていたから、涙が出るくらい感動していた。そして、焦点をそこに合わせてくれたこの企画のディレクターはだれだろう、やるじゃないか、と思ったくらいである。



 そうか、亜衣さんは妹だったのか。それも不思議な構図だな。妹がマシンを創りあげ、チームを運営し、兄をドライバーとして走らせる。はじめての構図である。むしろ、これまでにない新鮮な好奇心が湧いてきた。で、早速、宝塚市にある「カーファクトリー亜衣」のWebサイトにお邪魔してみた。あるある、ちゃんとご本人の写真入りで。
「当店の社長業もさりながら、営業、家事、育児もこなすハイパー主婦です。(笑い)」
 まいったね、ハイパー主婦だって。これはもう、ご本人に直接、伺ってみなくては……。
 ところが残念ながら、2度、連絡をとってみたが、どちらも亜衣さんは留守だった。やむなく兄の孝太郎さんの連絡先を訊いて、そちらへ電話を入れることにした。12月9日の筑波ロケでも会話しているし、いまでは「みんカラ」のお友達でもある。聴き覚えのある明るい声が出た。
「あなたも人が悪いね、ぼくがあなた方を姉弟と取り違えていたのに、知らぬふりをして……。いってくれればいいのに」
「あ、は、は。よく間違えられます」
 二つ年下の妹。学年では一つ下だというが、すべての面で亜衣さんは姉にちかい存在だという。
「ところで、この電話の局番、026って、どこですか?」
「長野です」
 あれ? 土屋圭市も同じ長野県出身だよ。
「あ、土屋さんは小諸に近い東部町でしたね。わたしは長野市内でカーショップをやっています」
 だんだんと小泉兄妹のスタンスがわかってきた。長野市の大学を出た後、孝太郎さんはそのまま長野に腰を据えて、カーショップをはじめたという。折からAE86がカーガイたちの人気の的となっていた。あるとき、ハチロクの納車で長野から関西方面へ自走する際、妹の亜衣さんに手伝ってもらう。以来、亜衣さんはハチロクにぞっこん。板金関係に勤めたこともあって、すぐにレース活動をはじめてしまう。もちろん、ドライバーとして。やがて関西では知られた女性ドライバーになっていく。そして、いまではカーファクトリーを切り盛りしながら、シビックやロードスターのレースにも出場しているほどの、スキルの持ち主に成長し、悲願であった、土屋圭市に乗ってもらえるハチロクN2マシンを用意するところまで、漕ぎ着けたわけであった。

 ここまで知ってしまったからには、改めて『ホットバージョン・AE86岡山N2決戦』を、土屋圭市のテストシーンから鑑賞しなおすしかないじゃないか。



――決戦を翌日に控えた9月22日の岡山国際サーキット。亜衣さんたちの熱い想いのつまったマシンは前日の夜に完成。スタッフとともに土屋を出迎えるシーンからはじまった。
ピットロードからマシンが土屋の前に現れた。すべてが土屋のためにつくられたNewマシン。頤を撫でながら、土屋が初対面の感想を漏らす。
「カッコいいよ。つくり方が奇麗だね」
 スタッフ総勢13名で、テスト走行のミーティング。いよいよ、亜衣さん悲願の土屋圭市によるN2決戦がはじまった。
「仕上がりはいい感じなんです。あとは土屋さんにアシを煮詰めていただいて、エンジンは結構噴けているので、どんな感じなのか、難があったら詰めていって、より好いタイムが出るように、仕上げたい」
  亜衣さんははっきり言い切る。こんな目の輝きをした女性が、他にいただろうか。

  いよいよ、TRDのカラーリングが施されて、ヘッドには桜井カム仕様の収まっている、マシンに土屋が乗り込んだ。わずか1日で、このN2マシンを手なずけなければならない。土屋がかつてはTIサーキット英田(あいだ)と呼ばれていたここを走るのは、2003年のGT以来だという。9か所のコーナーでレイアウトさえた全長3700m、中高速主体のコースである。「ハチロクはいいね~、燃えるね~」車載の録音マイクが土屋の呟きを捉える。徐々にペースを上げていく。しかし左コーナーでエンジンが噴けない症状がでる。そしてタイトコーナーで、オーバーステアが強い。格闘する土屋のステアリングワークが、率直にマシンの状態を伝える。



「3速コーナーが全部噴けない!」ピットインしてチーフメカに訴える土屋。
 すぐに対応する亜衣ちゃんクルー。チーフメカの工場長の診断は「ガスが濃い」というものだった。目標馬力に必要なガソリン量を減らしたくないため、キャブレタ―自体を口径の大きいものに交換した。
  再び、コースイン。今度はどうだ!? オーバーステア対策でリヤのダンパーを調整したが、オーバーステアはまだ強いまま。タイムは目標である1分42秒台に対して、44秒台半ばあたりで走行している。
  ピットインして、対策を話し合う土屋。こんな時の土屋のコメントに一切、妥協はない。そして厳しい。それを亜衣ちゃんとチームクルーがどう受け止め、どうスピーディに手を打っていけるのか。いや、いや、見ている方も、すっかり惹きこまれてしまう。



  3度目のコースイン。気のせいか、エンジン音がいくらか、パワフルになっているものの、噴けない症状はまだ消えない。と、思わぬトラブルが発生してしまう。バックストレートへの上りで、条件反射的におこなった「クラッチ蹴り」。これでミッションがあっけなくブローしてしまう。
ガラガラといやなエンジン音とともに引き揚げてきた土屋がマシンから降りた。テスト走行は、ここで終わった。明日の本番は、いきなり予選に臨む。新しいミッションに交換できたとしても、不安を抱えたままの出走を余儀なくさせられた。



  一夜が明けて――。予選がはじまった。土屋がゆったりとコースイン。折を見て、最初のアタックに入った。ミッションは交換したものの、前日のテストでは44秒台に終わっている。モニターを見上げるスタッフ。緊張感が張り詰める。どうやら、左コーナーの息継ぎはない。お、来た~! 目標の42秒台をあっさり叩き出してくれた。が、すでに41秒台に入ったマシンもいる。タイヤ温存のため、ギリギリまで抑えていた土屋がラストアタックに入った! その様子をホットバージョンの技術陣が丁寧にとらえている。これは必見だ。5速から一気に2速までのシフトダウン・ワークのキレ。
 さて、予選の結果は? 亜衣さん・孝太郎妹兄の悲願の行方は? ここからは次回に譲るとしよう。
Posted at 2012/12/23 02:57:14 | コメント(2) | トラックバック(0) | ホットバージョン | 日記
2012年12月14日 イイね!

ああ、ハチロク慕情 ~小泉兄妹の 『Dreams Come True』序章~

ああ、ハチロク慕情 ~小泉兄妹の 『Dreams Come True』序章~ 12月9日、日曜日の朝7時、いつもの慣れ親しんだコースをとって筑波サーキットへ向かった。雲一つない冬の空は、どこまでも、透明な視界がひろがっていて、北東へ向かうその先には、筑波の山塊だけが、だんだんとその姿を膨らませる。
 東京外環から、三郷のJCを抜けて、常磐自動車道に入る。利根川を渡るとすぐに谷和原IC。そこから筑波サーキットまでは、20分程度だ。もう10年近く愛用している、わがプログレのツインカム3リッター・エンジンは、いつものように、ストレスなく、機嫌よく回っている。そして、ぼくの気分も、すこぶる付きの「ご機嫌さん」だった。
 


 その前夜、ホットバージョンの本田編集長から確認の電話が入った。
「86チューニングカー・バトル開始は午後1時半です。ただ今回のロケは専有ではなく、“サーキット倶楽部”主催の走行会に便乗するかたちですから、よろしく。練習走行は9時から20分くらいあるので、できればそのとき……」
 土屋、織戸、谷口のトリオも、当然、筑波に。旧ベスモの編集・技術スタッフにも会える。そして前回のHV118号で、相変わらず、元気でユニークなエネルギー満々のBee-Racing、今井ちゃんも出場するという。何か、とんでもないことが待っている……そんな期待感がどんどん膨らんでくる。それにもまして、もっともぼくを喜ばしてくれたのは、新着ホットバージョンの出来のよさだった。


*奇跡のパッケージ

 筑波までのクルージング中、ずっと、前夜、鑑賞した内容を反芻する。「峠・最強伝説」のギンギンの緊張感も悪くないが、今号の目玉は、ズバリ、「AE86岡山N2決戦」だ。オープニングシーンは風に揺れる薄の穂。その向こうに見慣れたAE86の姿。ナレーションがしっとりと「ハチロクの歴史」から説きはじめる。こんな具合に……。

――デビューから30年。いまだに多くのドライバーを虜にするAE86。1983年、世界の大衆車がFF車へと移行した時代。TOYOTAは当然のことながら、主力であるカローラのFF化に踏み切る。しかしスポーツグレードのレビン・トレノについては、当時、まだ未熟だったFFレイアウトでつくることを断念。その上で、先代TE71で使われたリジットアクセルのFRシャシに、新設計のツインカム16バルブのエンジンを搭載して、AE86を仕立てたのである。

 おい、おい。これは本当にホットバージョンかね。これって、先年、消滅してしまった、どこやらの「SPECIALバージョン」みたいだぞ。でも、結構、聴かせてくれる。もう少し、このハチロク讃歌を続けようか。

――外乱に弱く、ドライビングミスに敏感な旧式のシャシと、レッドゾーンまで、コンマ98秒と謳われたエンジンとの組み合わせは、ドライバーを育て、シンプルで改造容易な車体工程はあらゆるモータースポーツのベース車両となり、チューナーを育て、この妥協の産物ともいわれたクルマは、奇跡のパッケージとなった。デザインや、雰囲気を味わうスポーツカーではなく、本当にスポーツするための道具として愛されつづけ、あらゆるモータースポーツに使われてきたAE86。
しかし、1990年にはそのホモロゲーションも終焉を迎えたハチロク。それでもハチロクを愛し、現在でもなお、JAF地方戦としてレースを主催してきたサーキットがある。年に1度、盛大に行われるハチロク・フェスティバルは今年で13回目。それが岡山国際サーキット。いわばAE86の西の聖地である。この「岡山N2決戦」に、新着のホットバージョンは焦点を合わせていた。それも兵庫県宝塚で「カーファクトリー」を営む女性とその弟のハチロクに賭ける、ひたむきな生き方を通して……。




*「ああ、ハチロク慕情」のヒロインは、「カーファクトリー亜衣」の代表。夢にむかってひたむきに……。

 9月22日の岡山国際のピットロード。キリッとGTウィングとエアロパーツをまとったハチロク・マシンのコースインを誘導する大柄な女性がクローズアップされる。長い髪をあっさり後ろに束ね、Gパンに半袖のポロシャツ。小泉亜衣さん。年齢は、わからない。キャリアからいえば、30歳台、今回の素敵なヒロインだった。

 このハチロク祭りを手掛ける実行委員でもある亜衣さんは、この記念すべきイベントで、土屋圭市がドライブするマシンを提供したいと申し出ていたのである。
「10年前にAE86を始めたときの目標が、筑波でやっている《N2決戦》を岡山に呼びたい、というものでした」




*クルマに魂を入れる――それが桜井さんのモットーだった。

 それも、自分たちの手がけたマシンを土屋圭市のドライビングに委ねたい、という夢だった。それにはN2決戦でそれなりの成果をあげて、信頼を得なければ、と。弟の孝太郎さんをドライバーに仕立てて、筑波にもたびたび遠征した。が、結果が出ない。そこへ手を差し伸べてくれたのがTRDの故・桜井忠雄氏だった。わざわざ東京から出向き、エンジンづくりを伝授してくれた。惜しげもなく、クルマへの魂の入れ方を伝授してくれた、というくらいだから、亜衣ちゃんのもつオーラが、素直に理解できる創りに仕立てたホットバージョン、このコーナーのディレクターはだれなのか、気になるじゃないか。


*その朝、岡山国際のピットに、ドリキンが登場。亜衣ハチロクの初テストがはじまった……。

  画面は、レース前日の土屋圭市によるテスト走行のシーンにかわる。桜井カムが心臓部におさまった真新しいハチロク。そのテストの様子を、カメラと音がじっくり捉えている。こちらまで息がつまるような緊張感。

 ここからの岡山国際レポートは、ひとまず次回で。
 午前8時10分、筑波に着いた。割り当てられた11番ピットをのぞくと、すでにスタッフは、それぞれの持ち場に散ってしまっていて、誰もいない。で、ピットウォーク。うん!?
鮮やかなイエローの86のそばに立つドライバーと目が合った。お互いが駆け寄る。握手する。Bee-Racingの今井ちゃん。そして、つづいて……。新着のホットバージョンで一方的に知り合ったばかりの(?)小泉亜衣さんと、兄の孝太郎さんも、筑波まで来ていたのだ。早速に、亜衣さんにご挨拶しなくちゃ。


*中国地方育ちの谷口信輝選手をはさんで、今井ちゃん、小泉姉弟。12月9日、筑波サーキットにて。
Posted at 2012/12/14 03:08:13 | コメント(3) | トラックバック(0) | ホットバージョン | 日記
2012年12月07日 イイね!

『冬の花火』を仰ぎ見た夜 ~「乳撫=ちちぶ」の誘惑⑥~

『冬の花火』を仰ぎ見た夜 ~「乳撫=ちちぶ」の誘惑⑥~ 下郷の笠鉾屋台の秘技「ギリ回し」は見ているだけで力が入った。
 方向転換用の梃子棒二本を、屋台のそり木の下に掻い込み、そろいの印袢纏の男が十数人がかりで、曳山の中心下部に凸型のギリ棒を挿入して、屋台の腰を浮かせた。
 それを周囲の曳き子三十人ほどが一つになって、ギリ棒をまわして、方向を変える。そこで、ふと、気づいた。それまで威勢よく囃し手の掛け声を盛りあげていた大太鼓が叩く手を休め、小太鼓だけがトトトンとリズムをとっているだけだった。なぜなんだろう?
「曲打ちだな」
 そばで屋台曳行を撮りつづけているらしいカメラマン氏が、こう解説してくれかかったが、人ごみにおされて、それ以上、会話が続けられなかった。が、彼のおかげで下郷の笠鉾屋台の屋根が二重になっているのに気付かされた。

「この二重屋根の上に、本来は三層の花笠、万燈、せき台が立ち、最上部に太陽をいただく。高さは15㍍をこえるので、現代は電線にひっかる。だから、特別の時以外は見られない」

 なるほど、見事なつくり、というほかない、神殿さながらの造形。下の写真を、とくとご覧あれ。


*装飾をぐっと押さえた下郷笠鉾屋台はファンが多い。

 下郷の屋台が秩父神社へ向かって曳行されるのを見送ったところで、ぼくのこの祭りへの関心を深化させた『秩父 祭りと民間信仰』を、書き上げた直後に急逝された浅見清一郎さんのお宅へむかった。屋台と遭遇した秩父駅前通りと宮側通りの交差点から、さほどの距離ではなかった。

 浅見夫人に、そっくりお預かりしたご主人の撮られたフィルムをすべて、つぶさに拝見したこと、そのモノクロの世界を今後、ぼくがどう生かしたいか、をお話しする。ご主人が健在なころは、夜祭の間中は、外国からのお客さんをお連れするので、そのもてなしにテンヤワンヤだったことなど、懐かしい思い出話をうかがいながら、用意されていた赤飯と秩父特産のアンポ柿を頂戴する。


*浅見さん撮影の50年前の「秩父夜祭」


*右側神主のそばに外国人の姿が。浅見さんのお連れしたお客さまだろうか。

 12月3日午後1時半、浅見宅を辞した後は、再び秩父神社の境内へとって返した。人の出は、みるみる膨らんでいた。途中、番場通りから脇にそれた小路にある菓子屋「清月」にたちより、ふかし立ての「酒饅頭」を買い求めた。1個、100円。甘みを抑えた小豆餡を、ふっくらと包んだ白い皮とのマッチングが絶妙と評判の一品である。ついでに1個40円の「武甲山」と名付けられた一口饅頭も。この白餡も、ちょいと、いけるが、よく見ると、武甲の山容を模しているではないか。そいつをパクリ。嬉しくなった。これ、お茶うけに、お薦めだ。

 人垣をかき分けて、神社の境内に着いたのと、中近笠鉾がその「動く陽明門」さながらの豪華な巨体を揺らせながら、鳥居をくぐるのと同時であった。きっちり人垣の最前列でカメラのシャッターを押せたのはここまで。以下、再び、本町通りから中町通りに戻り、矢尾百貨店の駐車場に特設された舞台で、「秩父屋台ばやし」「子供歌舞伎」を観る。あとは日が落ちてからはじまる御神幸祭と花火の打ち上げを待つばかりである。


*350年をこえる歴史を持つ祭礼の盛り上げ役として、いつも先頭に立って供奉してきたのが、この中近笠鉾。


*中近笠鉾は、秩父市西側に位置する中村・近戸の二町連合で奉曳されている。見どころは8棟造りの屋根。黒漆塗りに金色の飾り金具、極彩色の彫刻で飾られた姿である。

*囃し手は4人が原則。町内の若い衆から選ばれる。紅白2枚の襦袢を重ねて着用し、上衣は双肌脱ぎ、襦袢は左右片肌ずつ脱いで、昼は揃いの扇子、夜は町内の印の入った提灯を持って「ホーリャーイ、ホーリャイ」と勇壮に囃したて、曳き子の曳行を誘導する。(「秩父 祭りと民間信仰」から引用)

*秩父屋台囃し。このリズムが祭りになくてhならない


*子供歌舞伎「白波五人男」が勢ぞろい
 こんな光景はいかが? 祭りとは「幼い日の記憶」「ふるさと」と素直に結びつく「癒し」の特効薬のようだ。





 午後5時。やっとあたりが暗くなった。3度目の秩父神社境内に戻ろうとするのだが、ぴしゃりと規制を受けて鳥居をむなしく見上げるだけだった。
 こりゃ、だめだ。で、ほんの少し裏道に入ったところで蕎麦やを見つける。そうだ今のうちにお腹を満たしておこう。この選択は大当たり。「そば処・入船」は同じ想いのお客が、朱塗りの大盃のようなお椀にもられた蕎麦にとりついていた。秩父の蕎麦は、癖がない。天ぷら蕎麦を注文する。


  
 午後6時30分。そろそろ「御神幸行列」がやってくるはずだ。本町通り交差点で、人垣の真うしろに立って、主役の到来を待っていた。「秩父夜祭」は秩父神社の女神・妙見様と武甲山の男神・龍神様は年に一度、逢い引きする祭りといわれている。両神が相見える場所、お旅所へむかうのだ。神を遷した御神幸行列は、総勢200人を超え、長さは100メートル余りだという。
 先頭は神の依代(よりしろ)となる大榊、と聞いているが。恐らく、ここからは見えないだろう。大榊につづいて道案内の神々、万燈、太鼓など……。と、歓声が湧く。行列がやってきたらしい。なにも見えない。やっぱり、あれこれ歩いて回らず、どこか適当な場所を決めて待ち受けるべきだった。

 歓声が一段と大きくなった。氏子の各町名の入った高張提灯の列がやってきたのだ。辛うじて、人垣越しにカメラのシャッターを切る。しんがりを務める御神馬(ごしんめ)の姿もちらり。いけない、もうすぐ7時になる。西武秩父駅発のチケットは8時25分。どうやって駅まで進めばいいのか。心配になった。







 秩父神社の左脇を抜け、国道140号線に出る。これなら15分くらいで西武秩父駅にはつけそうだった。ホッとした瞬間、ドーンと花火の打ち上げられる音が弾けた。やや時間をおいて、バリバリと冬の夜空に光の花が開く。
 それを仰ぎ見ながら、いったん、秩父市役所に隣接した「お旅所」に立ち寄る。そうか、やっぱり、ここの観覧席をゲットしないことには、この祭りの肝を味わうことはできないことを実感した。
 あきらめて、駅への道を急ぐ。駅前の広場は、花火をみるだけなら、格好の観覧スペースだった。が、それだけでは何かが欠ける。来年、出直すとしよう。
 改札口を抜けた。と、目の前のボードに、パンフレットが用意されていた。秩父の祭りの掉尾をかざる小鹿野町飯田の「鉄砲まつり」が、この12月の第2日曜日とその前日に催されるというのだ。秩父の誘惑はまだ続くのだ。が、待てよ、この日は先約ありだ。筑波サーキットで、86チューニングマシンのバトルロケを観戦する……。




























 








Posted at 2012/12/07 00:29:23 | コメント(2) | トラックバック(0) | 秩父こころ旅 | 日記
2012年12月05日 イイね!

秩父夜祭をカメラで追った一日 ~『乳撫=ちちぶ』の誘惑⑤~

秩父夜祭をカメラで追った一日 ~『乳撫=ちちぶ』の誘惑⑤~ 12月3日午前9時50分、横瀬を過ぎて、終点の西武秩父駅に特急電車が滑り込む直前、雲に覆われた武甲山を、車窓から捉える。雪は大丈夫らしい。



 駅前はまだ大混雑、というほどでもなかった。この時にはさほど気に留めなかったが、「秩父夜祭観覧席 余席あります 6000円」というインフォメーションは重要だった。これを買っておけば、夜祭のエネルギーに直面することができたのに。来年は、ゲットしたい。



10:15 秩父神社まで番場通りを歩きながら抜ける。まだ人通りは閑散。





 すでに「例大祭」の式典ははじまっていた。



 境内では宮地屋台の張り出し舞台で歌舞伎芝居が上演されていた。こうした移動式舞台は秩父地方独特のもので、この後、街中に曳き回されてから、回り舞台も張り出され、街そのものが野外劇場化していくという。これはたのしみだ。



 ついでに素敵なカップルを発見。ぜひ、と声をかけて、1ショットを。



境内では神楽殿で「大蛇退治」の神楽もはじまり、歌舞伎役者たちは行列をつくって、これからメイン通りを練り歩くという。







 11時00分。宮地屋台が境内から街中へ、と曳き回しを始める。こちらもその後を追って、表通りへ。



 そして、本町の交差点で笠鉾タイプとして知られる下郷屋台に遭遇、見どころの一つと聞かされていた「ギリ回」しの秘技をじっくり拝見。なにしろ祭りで曳き回される山車(屋台や笠鉾)にはハンドルがあるわけではない。そのため、街角などの方向転換はできない。が、20トン近い巨体の向きを、ともかく変えなくてはならない。そこで生まれたのが「ギリ回し」とよばれる手法。長さ、4メートルほどのテコ棒2本で左右から、ウマと呼ばれる台を支点として、テコの要領で山車を持ち上げる。それを持ち上げる男たちの熱気あるかけ声。山車が浮き上がっている。それを1点で支えているのが「ギリ棒」と呼ばれる凸型の台で、男たちが総がかりで山車を向けたい方向へ、一気に回すのだ。
この作業中、屋台ばやしは山車にのったまま、演奏をつづけている。鉦が軽妙に鳴らされ。小太鼓がトトトンと囃したてる。おお、祭りのさなかに、ぼくはいる!




 この続きは、次回にて。この後、花火の打ち上げがある午後7時まで、歩きに歩きましたぞ。参考までに「秩父夜祭」の案内MAPを。















Posted at 2012/12/05 00:16:39 | コメント(3) | トラックバック(0) | 秩父こころ旅 | 日記
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「3連休中日、富士フレッシュマンレースで青春を燃やした中・老年男の同窓会をFBで速報。今を支えるエネルギー源を確認。そのせいか翌24日のみんカラPVレポート欄の第1位は【還ってきた愛しのEXA】。FBレポート末尾でリンクした8年前のみんカラブログに未読の仲間が訪問してくれたわけか。」
何シテル?   02/25 09:59
1959年、講談社入社。週刊現代創刊メンバーのひとり。1974年、総合誌「月刊現代」編集長就任。1977年、当時の講談社の方針によりジョイント・ベンチャー開...
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