メルセデスをめぐる至高の『五木-黒澤対談』その⓶
いよいよ、対談がはじまった。
五木 ここへ来てから、ずっとしゃべりたいのを我慢していたから、はっきりいいます。
黒澤 (一瞬、畏まって)はい。
五木 今度のE320は、(ひと呼吸おいてから)いい。凄くいいよ、気に入りました。
黒澤 そうでしょ! それを五木さんの口から聴きたかった。(笑い)
五木 もう注文しましたから。
黒澤 えっ!
五木 乗りもしない、実物を見もしないうちからね。
黒澤 やっぱり、そうですか。さて、(ずっと心の中で準備してきた感じで、切り出す)ぼくとメルセデスとの出会いは、それなりにメルセデスには乗ったりはしていましたが、オーナーとしてつき合ったのは、五木さんから500SEを譲っていただいたあれが初めてなんですよ。
五木 そうでしたね。黒澤さんが30分で御殿場から都心へ来たなんていう伝説が生まれたり・・・。(笑い)
黒澤 いやいや、それはちょっとオーバーに伝わっていると思いますけど・・・。
(五木さんの軽いジャブ攻撃がすむと、いよいよ本論へ。以下、大ぶりなカット写真をふくめて、対談は10ページに及ぶ。その内容の濃さは、叶うなら『復刻版』にして一挙に、そっくり再現したいくらいだが、まずはその一部を・・・)
五木 あれは何年前になるんだろう。
黒澤 もう10年です。あの500SEで随分走りました。きっかけは五木さん。
五木 光陰、矢の如し。それから10年か。
黒澤 メルセデスとのつき合いは、五木さんの方が古いわけです。『メルセデスの伝説』という作品まで書かれました。
五木 ええ。長いつき合いです。さっきの500SEの前に6.3を乗っていたときの記憶っていうのはぼくにとっては実に大きなものだった。(中略)今度のEクラスはやっぱり3番目の、メルセデスに関する大きなターニングポイントなという感じがしてきますね。(P.1)考えてみたら、
メルセデスはかなりたくさん乗っているんですよ。ぼくはどちらかというとBMW派というふうな印象が強いんですけれども。
(P.1:w214のキャッチコピーは「Eを覆すE。」これまでのメルセデスとは文脈の異なるデザインを取り入れたアヴァンギャルドな存在である)
●「編集長註で、こうしたふたりのやりとりを、今回のEクラス(W214)とオーバラップさせると、こういう視点が生まれやしないか、と誘導するのが、新鮮だった」(正岡)
黒澤 物理的な時間から見ても、メルセデスとふれあうほうが多かった、と。
五木 そうです。ただ、どこかずっと、これまでメルセデスにはある種の抵抗感があったんだな。乗ってはいるんだけれど、たとえば待ち合わせの場所とか、オフィシャルな場面に乗りつけて、降りるときのあの抵抗感、つまり、おれはアーチストだぞという気があるわけね、おれはもの書きだぞ、おれはフリーの人間だぞ、一匹狼だぞ、と。(中略)それが、今度のEクラスだと、ああ、これだったら自分でハンドルを握って自由にこだわりなく走れるな、と。遊びにも行けるし、仕事にも使えるっていう、ヒューマンな感じが出たのはやっぱり大きいですね。メルセデスの大革命じゃないかと思いますよ。
黒澤 確かに、メルセデスは変わっていますよ。今までは客のニーズに応えるだとか、あるいはリサーチするなんていうのはなかったですね。君たちによくても悪くても、これがメルセデスの提案だ、と。それがここのところ変わってきた。
実はこの3、4日前、メルセデスの研究所の開発責任者が2人、東京モーターショーで来日したので、このゲストハウスに招いたのですが、この国のいろんなモノを知ろうとしている。日本の市場をバカにできなくなっている。もうお気づきでしょうが、物入れなんかが今の日本車が顔負けするくらいサービス精神を発揮し始めた。
五木 そう。
缶ジュースなんかを入れるカップホルダーまでついている。(P.2)びっくりしましたね。
(P.P2:今やセンターコンソールのカップホルダーは、保温と保冷機能まで備わるようになった)
黒澤 うがった見方をすると日本人にちょっと媚びているかな、と。でも、実用的ですからね。
五木 それ以上に、根本的に変わったというところがあると思うんです。根本的に変わったということは、変わらざるを得ない。つまり、今度の世紀末というのは、このところ、その話をする機会が多いんですけども、千年単位の世紀末なんですね。百年の世紀末じゃない。
黒澤 大世紀末!
五木 ええ。この大世紀末の中では、金融界であろうと経済界であろうと、それから普通の消費社会のライフスタイルであろうと、哲学、美学、文芸にいたるまですべてがいま、変わらざるをえない。大きな変わり目なんですね。ですから、たとえていえば、今後のメルセデスEクラスは、やっぱり「直線から曲線へ」という方向性が出てきているでしょう。
「直線」とは、第1次大戦後にドイツで起こったバウハウス運動に象徴された時代の象徴なんです。そこでは直線、機能性、合理性、そして鉄とコンクリートとセルロイドとガラスというふうな資材が主役。つまり、無機的な、しかも直線的なものが、それまでのあまりにも過剰な、脂ぎったような建築に対する反発として出てくるわけ。それは実際には1920年代に大流行したものなんだけれども、ナチに消されてアメリカに逃げ、そこで開花したわけです。(中略)
ところが、この7〜8年、風向きが変わってきた。医学の世界いうと、手術は成功したけれども患者は死にました、みたいなのは許せないということになってきて、人間を主体的に見ていこうというふうな動きが出てきている。
「自然に直線なし」と言いますね。木の葉ひとつにしても、川の流れにしても、自然に直線はないというような思想が出てきて、その中で、たとえばもう10年くらいになるけどガウディなんかがみんなに関心を持たれたりしたというのはそこでしょう。ジャガーのXJなんかはものすごくよかったんですよ。手作業を感じさせる曲線的な形が。ところが、ジャガーは時代に反して直線の方向に向かったわけ。だから、一見、曲線をまだ残しているように見えるけれども、あれは基本的には直線が丸みをもっているだけなんです。ジャガーは曲線から直線へ転換したんです。
その中で
メルセデスが、つまり、今までの直線から曲線に転換したということがおもしろい。(P:3)
それから、ほどほどの大きさというもの、人間的な大きさというものを志向したということ。それから、力強くてアグレッシブで前へ前へと前進するという考え方から、抑制の方向をめざしたということ。
(P.3:先代のW213では、フロントマスクは曲線を多用した有機的なデザインが採用されたが、コクピットは水平垂直基調が残っていた。しかし、W214では大胆にダッシュボード全体でドライバーとパッセンジャーを包みこむような曲線基調となった)
去年から今年にかけて、ヨーロッパでクラシックのCDで一番大ヒットしたのが、『アダージョ・カラヤン』というアルバムだった。
黒澤 (ホッとした表情で)フルベルト・フォン・カラヤン。
五木 ええ。カラヤンという人は基本的には直線的な人、まさしくドイツ的な人なんですよ。スポーツカーも好きだったし、日本に来るとスバルの4駆なんかを喜んでもらっていて、アルプスの山中を駆けまわったりしていた。ものすごくアグレッシブな人だったんです。ところが、カラヤンの音楽のそういうものに満足できない人が、カラヤンの音楽の中から、ゆったりとして、曲線的で、ゆとりがあって、人間的なものだけをピックアップして、それでアンソロジー(作品集)を創ったわけ。それが『アダージョ・カラヤン』というやつ。
黒澤 アダージョって、日本語で言うと?
五木 イタリア語の『アダージョ』はもちろん「ゆるやかな」「おだやかな」「静かな」などの意味でしょう。ローマでぶっ飛ばす神風タクシーに「アダージョ!」って言ったらスピードを落としてくれたから。しかし、それだけじゃない。音楽でいうと「ゆっくり演奏すること」だけではなくて「音符のすべてを愛撫し、いとおしむがごとく」演奏することだといいます。そこには精神的なゆとりあるんですね。
黒澤 やすらぎとか。
. あるいは心を癒やすとかね。そいうことがいま時代のテーマになっているわけ。ですから、いま問題になってきていることは、とにかく「加速から制御へ」という方向が出てきている。これは間違いないと思う。いまの核の時代で一番大事なことは、核の燃料の中に制御棒というのを入れて、核の増殖をほどほどに制御するわけですね。このコントロールすると言うことが最大の難しいことであり、かつ大事なことなんだ。
(以下、中略)
「新しいE320で人間らしく
フレンドリーに走ろうよ」(五木)
1987年11月、マカオGPに遠征した時の『風の仲間』
五木 まあ非専門的な印象でいろいろぼくはしゃべっているわけだけど、黒澤さん、メカの部分でも当然のことながら内側から変わったでしょうね? ステアリング機構が変わったみたいですが。
黒澤 ラック&ピニオンになりました。
五木 違いというのはどうですか?ぼくはなんとなく、すごくしなやかな、いい感じで乗ったけれども。
黒澤 いい面だけが出ていると思います。ラック&ピニオンのマイナス面というのが、路面からのキックバックを受けやすいんですよ。でも、メルセデスはキャスター角を余分に大きくとって、路面からの力をこっちに来ないようにしているんです。だから、そんな今までのメルセデスから急に乗り換えた人でも違和感はないと思いますけどね。
五木 それは凄い。それに、さっきもトンネルの中で、あれ? このへんにスイッチがあるかなって、左手を伸ばしたら、手を伸ばしたところににあった。(P:4)スモールを点けようと思ってね。それにつまみが大きいんだよ。そういうところは偉い。日本流のユーザーへの親切さというと、いろいろとちょこまかとつくるけど、ああいう大事なものを大きくつくらないというところは、もう日本車はだめだね。デザイン優先ですから。
(p-4:ウインカーとワイパーが1本のレバーで操作できたりなど、基本的な操作に関しては一貫して人間の使いやすさを優先して踏襲されている)
黒澤 あれ一つで、本ライトと、そのまま引っ張るとフォグランプが点くんですよ。その一つで二つができるんです。あのへんはメルセデスの思想なんですね。
五木 こないだ筑豊の方へ行ったものですから、遠賀川へ行った。それで遠賀川ススキは元気だろうか、セイタカアワダチ草が群生しているか、楽しみにしていたら、クルマからは見えない。防風のためかなんかわかりませンけれども、視界を全く遮るようなコンクリートのガードがあるんですね。そうすると、それまでわりと単純な町を歩いていて、ほっと目を安らげてくれる、そういう場所が隠れちゃうんですよ。隠れちゃうというより、行政のほうでは、ひょっとしたら景色に見とれて事故を起こしちゃいけないとおもうかもしれないけれども・・・。
黒澤 あ〜あ、逆だ。
五木 逆だよ。日本の道路って自然をみんな隠してるんですね。東名でも最近、防音壁の中はチューブの中を走っているような感じがするでしょう。すごく疲れるんですよ。ドライブ中、疲れたときに、時々ほっとリフレッシュされる風景を残すことが安全なのに、少々横風がこようがなにしようが、むしろ注意して走るし、横風が来れば、そこへ自然というものを感じるじゃありませんか、そういうところは意図的に残さなきゃいけないんだ。それを全部目隠ししてしまうから、その川の表情が見えないんですよ。
黒澤 表情を無機質にしちゃって・・・。
五木 あれはクルマを走らせる楽しみを、単なるビジネスとしか思っていないんだ。配送とか、そんな感じにしか見ていないんですね。
黒澤 発想がもともと、産業道路ですからね。
五木 そう。しかし、声を大にしていわないと行政というのは変わらない。
黒澤 じゃあ、とりあえず五木さんがオピニオンリーダーになってもらって、Eクラスで、もっといろんなところを走りましょうよ。
五木 走りましょう。でも、まださっきまで走っていた余熱が残っているせいか、今度のEクラスはおもしろいな。それは言える。
黒澤 われわれが率先して走る、と。
五木 乗ることで、Sクラスみたいに引け目も感じないし、どうだ!という、そんな感じでは乗れないし。だから、結局、自分の社会に対する姿勢が問われるクルマというふうにいってもいいかもしれませんね。つまり、他人に対してフレンドリーである人間しか、このクルマを選べないという、そういうのは凄くいいよ。Eクラスはヒューマンなクルマだというふうに考えていいんじゃないかな。
(*P5:現行のW214は、間違いなく「ヒューマンなクルマ」である)
黒澤 少なくともこのEクラスを題材にこれだけのいろんな考え方ができるというだけでもうれしいですね。
五木 そういうふうに、ひとつの文化の形として論じられる可能性があるクルマはいいクルマですよ。今度のクルマは歴然と違うから、それはホントにそうだと思う。
黒澤 いや、この話を、Eクラスをつくった開発責任者に聞かせたいなあ。きっと、泣いて喜ぶな。ありがとうございました。たっぷり、最高級のアウスレーゼワインをいただいた気分です。
五木 なんだかコーヒー一杯で、一晩中、クルマの話で語り明かした若かりし頃を思い出しますね。
黒澤 どうですか。ワインで乾杯、と。
五木 いいですね。そうしましょう。
黒澤(立ち上がって)じゃあ、どうぞこちらへきて、お好きなワインを選んでください。
五木 えっ! ここはワインセラーまであるの。よし、いきましょう。
大広間の奥に、地下へ降りる秘密めいた木の階段があった。棚一杯に並べられたワインの品定めをするふたり。なにを選んでくるのだろう。
●対談抄録はここまでとします。
Posted at 2024/12/03 02:39:22 | |
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玄冬期を楽しむ | 日記