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正岡貞雄のブログ一覧

2025年06月12日 イイね!

祝・みんカラ歴14年!

祝・みんカラ歴14年!6月9日でみんカラを始めて14年が経ちます!
<この一年のみんカラでの思い出を振り返ろう>


これからも、よろしくお願いします!
Posted at 2025/06/12 09:59:39 | コメント(1) | トラックバック(0)
2024年12月08日 イイね!

新しい光が《わがクルマ情熱》を再生させた!

新しい光が《わがクルマ情熱》を再生させた!

  白内障手術から始まった『仰天舞台への道』ⅱ


 2月6日。無事、右目眼帯を外してもらう。
 いきなり霧が晴れたような、明るくカラフルな視界が到来した。簡単過ぎやしないか。まだ左目の手術が残っているというのに。

 その朗報の一方で、デビュー当時からグラビア撮影や対談、入江美樹との婚約・結婚取材で交友のあった、同学年の世界的オーケストラ指揮者・小沢征爾氏の訃報が届く。また一つ、同世代を生きた巨星が墜ちて行った。ベラ・イン・本木(入江美樹の日本名)は健在だろうか。彼女が征爾氏と婚約したとき、講談社から詩集『愛のいたみ』を出版した。洒落た判型(縦17㎝、横15㎝)の詩集で、その段取りを彼女は任せてくれたのを思い出す。手元に1冊だけ残っていた。

さみしい時には あかりをつけて!
暗い夜には こっちをむいて!
きれいな夜明けがきたら ほほえみかけて!
わたしはここに じっとこのまま いますから……

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 ベラが三本の燭台をじっと見つめている写真(撮影・河野明)に、こんなコピーを添えた。

ニューヨークの古道具屋さんで見つけてきた二百年前のイタリア製の燭台。
イタリアからアメリカへ……さらに私の手に渡るまでの二百何十年のあいだに
何人の、どんな女のひとが、この燭台の灯に祈ったことだろう。
さまざまな愛を、この燭台は知っている。語りかけてくる。



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*   *   *   *   *   *

 2月10日。帝国ホテル内のレストラン『讃アプローズ』で娘夫妻と孫娘、それに姪夫妻が加わって『米寿』の祝いを。ピンクのニットをプレゼントされた。

 2月19日、残りの左目手術。今度は利き目のほうだから、いやでも期待が高まる。眼帯を外した、メスの入った右目のほうは、瞼まわりがベタつくような不自然さに違和感が残っているものの、ともかく老眼鏡に頼らないで済むのが、率直に嬉しい。
 そのせいだろうか。それからの物事への取り組みに新しく直面しても、真っ直ぐに深く、熱く対応しはじめたのが自覚できる。
 
翌日、あっさり、左目の眼帯もはずしてもらえた。お! 快適に視力が稼働している。それは一時的なものかもしれないが、こころが浮き浮きと弾んでくる。ともかく、眼鏡の世話にならずに、手元に溜まったままのクルマ関係の専門誌やメーカーからの新車情報に目を通し、いまだに所属しているジャーナリスト・研究者会議からの連絡にも、チェックを再開した。
どうやら、前年の秋に『JAPANモビリティーショー』と呼称を変えたクルマの祭典のプレスデイでは、あっさり、左ハンドルのデモカーでお披露目しただけだったメルセデスの新世代Eクラス、W214型が、やっと千葉幕張メッセで開催された東京オートサロンで、ジャパン・プレミアとして詳細が明らかになり、各専門誌の繰り広げる先行試乗記や特集企画で盛り上がっている模様じゃないか。

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そんな賑わいの中で、先ごろ『徳大寺有恒さんのポルシェ愛にふりまわされた「二人」の再会』を執筆してご縁のできた交通タイムス社のMOOKスタイルマガジン『AWE』から季刊で発行されている『only Mercedes』誌も、素早く、W214の東京オートサロンデビューに先駆けて『名車の予感』とタイトルして、2024年1月号(12月1日発売)VOL218で特集、そのきびきびした展開ぶりに惹きつけられた。

「自動車のメートル原器である〈Eクラス〉。フルモデルチェンジした最新モデルの海外インプレッション、歴代Eクラスの中古車バイヤーズガイド、そしてEクラス前夜のモデルからBEVであるEQEまで、気になるEクラスの情報が満載です」と前置きして、『国際試乗会インプレッション』から『最善は最高だったか:W124 E500再試乗、80年代と90年代を駆け抜けた:W124をカタログで振り返る……など、と視力を取り戻しつつあるわたしをワクワクさせてくれ、その誠実な編集力は、3か月後に発行される4月号へとバトンタッチされていた。

 ホッと一息ついたところで、放置したままだった白内障の手術のきっかけを与えてくれた作家・五木寛之さんに、施術の結果と感謝の意をまだ伝えてないことに気づいた。3歳と4か月年上の五木さんとは1961年、『さらばモスクア愚連隊』で『小説現代新人賞』を手にして文壇デビュー、翌年、『蒼ざめた馬を見よ』で第56回直木賞を受賞した直後、『ヤングレディ』という女性週刊誌で、そのころ新劇界のプリンスとして売り出し中だった石坂浩二さんとの対談をお願いしたのを契機に、以来、さまざまなかたちで60年を超す交流を重ねてきた。中でも、わたしが講談社の総合月刊誌の編集長から、社長室秘書を経由してクルマ専門誌を立ち上げ、やがてはビデオマガジンの開発まで手掛けて行くのだが、その始まりも五木さんのさりげない一言からだった。

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作家の藤原審爾さんのお供で滋賀県・信楽焼の窯場巡りをしたときの、私のGC10…。

 1973年だと記憶している。その頃はどこに行くにもスカイラインGC10で駆けつけたものだが、若手作家を招いてヨーロッパでの文壇講演会を、講談社が日本航空広報室から打診され、その調整の会を伊豆・小室山の麓にある『龍石』という料亭旅館で催され、佐野洋、三好徹、生島治郎の仲良しトリオと一緒に五木さんも招かれた。その会が終わって帰京する運びになったとき、五木さんからGC10に乗ってみたいから、横浜まで送ってくれるか、という。「わたしでよかったら・・・」と引き受けたものの、伊豆スカイラインから芦ノ湖スカイラインを経由して長尾峠を下って御殿場で東名高速に合流するルートは、アップダウンの激しいコース。五木さんも心得たもので、揺れの大きな後部座席は避けて、助手席でしっかりとシートベルトを締めている。こちらもフットブレーキによる減速はできるだけ避けて、マニュアルシフトの2、3速を使い分けながら長尾峠の下りをクリアした。 

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『ベストカーガイド』創刊号掲載

 横浜の丘の上のマンションに着いたとき、「パーシャルを使ったブレーキングとアクセルワーク、気配りが効いていてとてもよかった」と労をネギらってくれる。実は五木さんがガンメタのポルシェ911Sのオーナーであることを知ったのはその2年後で、『ベストカーガイド』を立ち上げる時のスペシャル企画として、スカイラインの生みの親、桜井真一郎さんとの対談に臨むときだったし、つい先ごろの追想のなかでもこう記している。

若いころは、車の運転が趣味だった。
趣味というと品よくきこえるが、いわゆるカーキチの類だった。自分の車を持てなかった時期は、写真を集めたり車のカタログを壁に張ったりしていた。
池上に住んでいたころ、日曜日の午後など国道沿いのベンチに座って、日が暮れるまで車が走るのを眺めていた。

この五木さんの追想にあるように、とんでもないクルマ通だった。「通」というのは五木さんの謙遜。じつはクルマの正体を見抜いた、むしろ、もっと過激な「アジテーター」でもあった。
――あの世界を混乱の淵に追いやったドイツの独裁者ヒトラー総統が、国民の魂を麻痺させた手口を知っていますか? ビートルとアウトバーンですよ。国民に「一家に一台の車を」という構想を持ちかけ、毎週5マルクずつ払いこめば、4年後には990マルクのKdF-Wagen(カー・デー・エフ=国民車)が手に入る、と。大衆は熱狂した。33万人が予約に殺到します。しかし、第2次世界大戦が勃発し生産は中止され、かわりにカー・デー・エフをベースにした軍用小型車が製造され、積立をした国民に対して、納車は1台もなく、アウトバーンは忠実に実現された、と。クルマは人々の心を捉えるメディアなんですよ。

  
クルマはメディアか。その言葉が深く、熱く、わたしを捉えた。そして……。

あれは1979年の初秋だったろうか。眼下に札幌の夜景がきらめいていたから、当時のプリンスホテルのスカイラウンジで、真夜中の珈琲を飲みながら、五木さんとおしゃべりを愉しんでいた時の話だった。あの頃の五木さんは休筆活動に入っていて、長い未完の小説を抱えて書き続けているときより、気ままに動き回り、ぼくらを誘い出しては旅、音楽、クルマ、この国の古代史のおしゃべりを聴かせてくれる。時には未知の土地、国へ一緒に旅ができたものだ。
だからこそ、はじめての休筆のあと(’71年秋から3年)のあとは『凍河』『戒厳令の夜』、2度目の休筆で『風の王国』『ヤヌスの首』という、とびっきり新鮮な視点をもち、それでいてまるで年代物のワインを味わうような、香り豊かなコクにある作品にめぐり逢える。「ああ、あの時の旅はそんな狙いだったのか。あれが五木さんのなかで発酵すると、こうなっていくのか」と。そのたびに嬉しく納得し、このあとのあとクルマ雑誌創刊の特命をうける決意を固めたのを思い出す。
  *   *   *   *   *
 白内障の手術から2か月余りが経って……。 雨上がりの関越自動車道を練馬の流入口から北へ、E220Dアヴァンギャルドのステーションワゴンで、50㎞ほど先の花園インターをめざした。遠く、江戸時代。外出のままならぬ大奥や商家の女性たちが落ちく夕陽の落ちゆく北西の山並みの向こうを、西方浄土と想いを定め、手を合わせたという。そこが山襞に囲まれた「影の国」秩父盆地への経由地である。そこからは秩父の中心市街までは30㎞、R140(彩甲斐街道)はかつて武州鉢形城の城下町として栄えた寄居町から、そのあたりでは玉淀川の別名を持つ荒川を遡るようにして南下し、秩父のシンボルの一つである武甲山と真正面から対面できるポイント、秩父巡礼二十三番札所『音楽(おんらく)寺と十三賢者の石地蔵とを結ぶ、自然なままの『巡礼みち』まで足を伸ばしてみようと、『AMW』の西山編集長にサポート役をお願いした。

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■秩父札所「23番 音楽堂」隣接の13賢者石像群に逢いに行く


最初のパーキングエリア三芳で小休止。ニューカーの試乗ドライブは、1年半ほど前に所属するRJCカーオブザイヤーの選考試乗会で、恒例の『モビリティリゾートもてぎ』内の特設テストコースを、スバルのWRX S4を皮切りにBMW2シリーズ・アクティブツアラーまで、第1次選考でベスト6に選ばれた国産車、輸入車の最終チェックをして以来だ。

実は『AMW』に新世代のEクラスを試乗したい旨を伝えたところ、立ちどころにE200を用意してくれたのはいいが、当日は強烈な雨降りで、午後になってやっと小降りに。行き先も荒川河川敷にあるさいたま市の秋ヶ瀬公園あたりなら、と変更。味見試乗で軽くジャブ攻撃のやり取りをしながら、いつの間にか最初の試乗車E200dに同化していったあたりから、次回は取り組みたい。

 
Posted at 2024/12/08 08:50:14 | コメント(2) | トラックバック(0) | 玄冬期を楽しむ | 日記
2024年12月07日 イイね!

【祝20周年:みんカラでの思い出】

【祝20周年:みんカラでの思い出】
左のキャッチ写真は2025年次RJCイヤーカーを受賞したスイフトの試乗会にて。

12月7日の朝のルーチン『デイリーPVレポート』を開いて「しまった!」と叫んでしまった。なんと第1位に「65 『祝20周年:みんカラの思い出』」とあり、クリックで開いてみると本文に記述はなく、『記事一覧』として『2月5日、東京の初雪の日に…』が上に、下には『CARTOP』が創ったPORSCHE911…』とあるだけのもの。いけねぇ。下書きとして放置してあったのが、何かの拍子で、投稿のかたちになったのだろう。

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 そこで大急ぎで「補修工事」をすることにした。祝20周年……わたしがカメラマンの北畠主税さんの推奨で『SPECIAL BLOG』に仲間入りしたのが2011年6月15日。つまり13年半前。『ファーストラン』というタイトルで3~4歳ころ、街の写真館で撮ったものでデビューしている。皮肉にも内容は休刊の決まった『ベストモータリング』のラストバトル、FISCOに赴いたところからスタートしている。そして、それからのわたしの貴重な『Ⅿemorial BOX』として働き続けてくれている。

 時にはエンストを何回かしでかしているものの、なんとかカウント10を聴くこともなく、マットから立ち上がっている。今回も「白内障」の手術をうけてのち
まずまずのフットワークを取り戻しつつある。

 どうぞ、わが「みんカラ仲間」のみなさま、変わらぬ交流をお願いします。
 この欄のヘッド写真は、今回、RJCカーオブザイヤー2025年次で、7年ぶりに「イヤーCAR」を受賞したSUZUKUスイフトとした。


 
Posted at 2024/12/06 04:31:40 | コメント(1) | トラックバック(0) | 玄冬期を楽しむ | 日記
2024年12月03日 イイね!

『10年前、五木さんの500SEを譲り受けたのが…』(黒澤)

『10年前、五木さんの500SEを譲り受けたのが…』(黒澤) メルセデスをめぐる至高の『五木-黒澤対談』その⓶


 いよいよ、対談がはじまった。

五木 ここへ来てから、ずっとしゃべりたいのを我慢していたから、はっきりいいます。
黒澤 (一瞬、畏まって)はい。
五木 今度のE320は、(ひと呼吸おいてから)いい。凄くいいよ、気に入りました。
黒澤 そうでしょ! それを五木さんの口から聴きたかった。(笑い)
五木 もう注文しましたから。
黒澤 えっ!
五木 乗りもしない、実物を見もしないうちからね。
黒澤 やっぱり、そうですか。さて、(ずっと心の中で準備してきた感じで、切り出す)ぼくとメルセデスとの出会いは、それなりにメルセデスには乗ったりはしていましたが、オーナーとしてつき合ったのは、五木さんから500SEを譲っていただいたあれが初めてなんですよ。
五木 そうでしたね。黒澤さんが30分で御殿場から都心へ来たなんていう伝説が生まれたり・・・。(笑い)
黒澤 いやいや、それはちょっとオーバーに伝わっていると思いますけど・・・。

(五木さんの軽いジャブ攻撃がすむと、いよいよ本論へ。以下、大ぶりなカット写真をふくめて、対談は10ページに及ぶ。その内容の濃さは、叶うなら『復刻版』にして一挙に、そっくり再現したいくらいだが、まずはその一部を・・・)

五木 あれは何年前になるんだろう。
黒澤 もう10年です。あの500SEで随分走りました。きっかけは五木さん。
五木 光陰、矢の如し。それから10年か。
黒澤 メルセデスとのつき合いは、五木さんの方が古いわけです。『メルセデスの伝説』という作品まで書かれました。
五木 ええ。長いつき合いです。さっきの500SEの前に6.3を乗っていたときの記憶っていうのはぼくにとっては実に大きなものだった。(中略)今度のEクラスはやっぱり3番目の、メルセデスに関する大きなターニングポイントなという感じがしてきますね。(P.1)考えてみたら、メルセデスはかなりたくさん乗っているんですよ。ぼくはどちらかというとBMW派というふうな印象が強いんですけれども。
(P.1:w214のキャッチコピーは「Eを覆すE。」これまでのメルセデスとは文脈の異なるデザインを取り入れたアヴァンギャルドな存在である)

 ●「編集長註で、こうしたふたりのやりとりを、今回のEクラス(W214)とオーバラップさせると、こういう視点が生まれやしないか、と誘導するのが、新鮮だった」(正岡)


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黒澤 物理的な時間から見ても、メルセデスとふれあうほうが多かった、と。
五木 そうです。ただ、どこかずっと、これまでメルセデスにはある種の抵抗感があったんだな。乗ってはいるんだけれど、たとえば待ち合わせの場所とか、オフィシャルな場面に乗りつけて、降りるときのあの抵抗感、つまり、おれはアーチストだぞという気があるわけね、おれはもの書きだぞ、おれはフリーの人間だぞ、一匹狼だぞ、と。(中略)それが、今度のEクラスだと、ああ、これだったら自分でハンドルを握って自由にこだわりなく走れるな、と。遊びにも行けるし、仕事にも使えるっていう、ヒューマンな感じが出たのはやっぱり大きいですね。メルセデスの大革命じゃないかと思いますよ。
黒澤 確かに、メルセデスは変わっていますよ。今までは客のニーズに応えるだとか、あるいはリサーチするなんていうのはなかったですね。君たちによくても悪くても、これがメルセデスの提案だ、と。それがここのところ変わってきた。
 実はこの3、4日前、メルセデスの研究所の開発責任者が2人、東京モーターショーで来日したので、このゲストハウスに招いたのですが、この国のいろんなモノを知ろうとしている。日本の市場をバカにできなくなっている。もうお気づきでしょうが、物入れなんかが今の日本車が顔負けするくらいサービス精神を発揮し始めた。
五木 そう。缶ジュースなんかを入れるカップホルダーまでついている。(P.2)びっくりしましたね。(P.P2:今やセンターコンソールのカップホルダーは、保温と保冷機能まで備わるようになった)

黒澤 うがった見方をすると日本人にちょっと媚びているかな、と。でも、実用的ですからね。
五木 それ以上に、根本的に変わったというところがあると思うんです。根本的に変わったということは、変わらざるを得ない。つまり、今度の世紀末というのは、このところ、その話をする機会が多いんですけども、千年単位の世紀末なんですね。百年の世紀末じゃない。
黒澤 大世紀末!

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五木 ええ。この大世紀末の中では、金融界であろうと経済界であろうと、それから普通の消費社会のライフスタイルであろうと、哲学、美学、文芸にいたるまですべてがいま、変わらざるをえない。大きな変わり目なんですね。ですから、たとえていえば、今後のメルセデスEクラスは、やっぱり「直線から曲線へ」という方向性が出てきているでしょう。
「直線」とは、第1次大戦後にドイツで起こったバウハウス運動に象徴された時代の象徴なんです。そこでは直線、機能性、合理性、そして鉄とコンクリートとセルロイドとガラスというふうな資材が主役。つまり、無機的な、しかも直線的なものが、それまでのあまりにも過剰な、脂ぎったような建築に対する反発として出てくるわけ。それは実際には1920年代に大流行したものなんだけれども、ナチに消されてアメリカに逃げ、そこで開花したわけです。(中略)
 ところが、この7〜8年、風向きが変わってきた。医学の世界いうと、手術は成功したけれども患者は死にました、みたいなのは許せないということになってきて、人間を主体的に見ていこうというふうな動きが出てきている。
「自然に直線なし」と言いますね。木の葉ひとつにしても、川の流れにしても、自然に直線はないというような思想が出てきて、その中で、たとえばもう10年くらいになるけどガウディなんかがみんなに関心を持たれたりしたというのはそこでしょう。ジャガーのXJなんかはものすごくよかったんですよ。手作業を感じさせる曲線的な形が。ところが、ジャガーは時代に反して直線の方向に向かったわけ。だから、一見、曲線をまだ残しているように見えるけれども、あれは基本的には直線が丸みをもっているだけなんです。ジャガーは曲線から直線へ転換したんです。
 その中でメルセデスが、つまり、今までの直線から曲線に転換したということがおもしろい。(P:3)
 それから、ほどほどの大きさというもの、人間的な大きさというものを志向したということ。それから、力強くてアグレッシブで前へ前へと前進するという考え方から、抑制の方向をめざしたということ。
(P.3:先代のW213では、フロントマスクは曲線を多用した有機的なデザインが採用されたが、コクピットは水平垂直基調が残っていた。しかし、W214では大胆にダッシュボード全体でドライバーとパッセンジャーを包みこむような曲線基調となった)

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 去年から今年にかけて、ヨーロッパでクラシックのCDで一番大ヒットしたのが、『アダージョ・カラヤン』というアルバムだった。
黒澤 (ホッとした表情で)フルベルト・フォン・カラヤン。
五木 ええ。カラヤンという人は基本的には直線的な人、まさしくドイツ的な人なんですよ。スポーツカーも好きだったし、日本に来るとスバルの4駆なんかを喜んでもらっていて、アルプスの山中を駆けまわったりしていた。ものすごくアグレッシブな人だったんです。ところが、カラヤンの音楽のそういうものに満足できない人が、カラヤンの音楽の中から、ゆったりとして、曲線的で、ゆとりがあって、人間的なものだけをピックアップして、それでアンソロジー(作品集)を創ったわけ。それが『アダージョ・カラヤン』というやつ。
黒澤 アダージョって、日本語で言うと?
五木 イタリア語の『アダージョ』はもちろん「ゆるやかな」「おだやかな」「静かな」などの意味でしょう。ローマでぶっ飛ばす神風タクシーに「アダージョ!」って言ったらスピードを落としてくれたから。しかし、それだけじゃない。音楽でいうと「ゆっくり演奏すること」だけではなくて「音符のすべてを愛撫し、いとおしむがごとく」演奏することだといいます。そこには精神的なゆとりあるんですね。
黒澤 やすらぎとか。
. あるいは心を癒やすとかね。そいうことがいま時代のテーマになっているわけ。ですから、いま問題になってきていることは、とにかく「加速から制御へ」という方向が出てきている。これは間違いないと思う。いまの核の時代で一番大事なことは、核の燃料の中に制御棒というのを入れて、核の増殖をほどほどに制御するわけですね。このコントロールすると言うことが最大の難しいことであり、かつ大事なことなんだ。
(以下、中略)

「新しいE320で人間らしく
 フレンドリーに走ろうよ」(五木)


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                            1987年11月、マカオGPに遠征した時の『風の仲間』 

五木 まあ非専門的な印象でいろいろぼくはしゃべっているわけだけど、黒澤さん、メカの部分でも当然のことながら内側から変わったでしょうね? ステアリング機構が変わったみたいですが。
黒澤 ラック&ピニオンになりました。
五木 違いというのはどうですか?ぼくはなんとなく、すごくしなやかな、いい感じで乗ったけれども。
黒澤 いい面だけが出ていると思います。ラック&ピニオンのマイナス面というのが、路面からのキックバックを受けやすいんですよ。でも、メルセデスはキャスター角を余分に大きくとって、路面からの力をこっちに来ないようにしているんです。だから、そんな今までのメルセデスから急に乗り換えた人でも違和感はないと思いますけどね。
五木 それは凄い。それに、さっきもトンネルの中で、あれ? このへんにスイッチがあるかなって、左手を伸ばしたら、手を伸ばしたところににあった。(P:4)スモールを点けようと思ってね。それにつまみが大きいんだよ。そういうところは偉い。日本流のユーザーへの親切さというと、いろいろとちょこまかとつくるけど、ああいう大事なものを大きくつくらないというところは、もう日本車はだめだね。デザイン優先ですから。
(p-4:ウインカーとワイパーが1本のレバーで操作できたりなど、基本的な操作に関しては一貫して人間の使いやすさを優先して踏襲されている)

黒澤 あれ一つで、本ライトと、そのまま引っ張るとフォグランプが点くんですよ。その一つで二つができるんです。あのへんはメルセデスの思想なんですね。

五木 こないだ筑豊の方へ行ったものですから、遠賀川へ行った。それで遠賀川ススキは元気だろうか、セイタカアワダチ草が群生しているか、楽しみにしていたら、クルマからは見えない。防風のためかなんかわかりませンけれども、視界を全く遮るようなコンクリートのガードがあるんですね。そうすると、それまでわりと単純な町を歩いていて、ほっと目を安らげてくれる、そういう場所が隠れちゃうんですよ。隠れちゃうというより、行政のほうでは、ひょっとしたら景色に見とれて事故を起こしちゃいけないとおもうかもしれないけれども・・・。
黒澤 あ〜あ、逆だ。
五木 逆だよ。日本の道路って自然をみんな隠してるんですね。東名でも最近、防音壁の中はチューブの中を走っているような感じがするでしょう。すごく疲れるんですよ。ドライブ中、疲れたときに、時々ほっとリフレッシュされる風景を残すことが安全なのに、少々横風がこようがなにしようが、むしろ注意して走るし、横風が来れば、そこへ自然というものを感じるじゃありませんか、そういうところは意図的に残さなきゃいけないんだ。それを全部目隠ししてしまうから、その川の表情が見えないんですよ。
黒澤 表情を無機質にしちゃって・・・。
五木 あれはクルマを走らせる楽しみを、単なるビジネスとしか思っていないんだ。配送とか、そんな感じにしか見ていないんですね。
黒澤 発想がもともと、産業道路ですからね。
五木 そう。しかし、声を大にしていわないと行政というのは変わらない。
黒澤 じゃあ、とりあえず五木さんがオピニオンリーダーになってもらって、Eクラスで、もっといろんなところを走りましょうよ。
五木 走りましょう。でも、まださっきまで走っていた余熱が残っているせいか、今度のEクラスはおもしろいな。それは言える。
黒澤 われわれが率先して走る、と。
五木 乗ることで、Sクラスみたいに引け目も感じないし、どうだ!という、そんな感じでは乗れないし。だから、結局、自分の社会に対する姿勢が問われるクルマというふうにいってもいいかもしれませんね。つまり、他人に対してフレンドリーである人間しか、このクルマを選べないという、そういうのは凄くいいよ。Eクラスはヒューマンなクルマだというふうに考えていいんじゃないかな。
(*P5:現行のW214は、間違いなく「ヒューマンなクルマ」である)


黒澤 少なくともこのEクラスを題材にこれだけのいろんな考え方ができるというだけでもうれしいですね。
五木 そういうふうに、ひとつの文化の形として論じられる可能性があるクルマはいいクルマですよ。今度のクルマは歴然と違うから、それはホントにそうだと思う。
黒澤 いや、この話を、Eクラスをつくった開発責任者に聞かせたいなあ。きっと、泣いて喜ぶな。ありがとうございました。たっぷり、最高級のアウスレーゼワインをいただいた気分です。
五木 なんだかコーヒー一杯で、一晩中、クルマの話で語り明かした若かりし頃を思い出しますね。
黒澤 どうですか。ワインで乾杯、と。
五木 いいですね。そうしましょう。
黒澤(立ち上がって)じゃあ、どうぞこちらへきて、お好きなワインを選んでください。
五木 えっ! ここはワインセラーまであるの。よし、いきましょう。

   大広間の奥に、地下へ降りる秘密めいた木の階段があった。棚一杯に並べられたワインの品定めをするふたり。なにを選んでくるのだろう。

●対談抄録はここまでとします。


Posted at 2024/12/03 02:39:22 | コメント(2) | トラックバック(0) | 玄冬期を楽しむ | 日記
2024年12月01日 イイね!

珠玉の『五木・黒澤対談』を30年ぶりに蘇らせた男

珠玉の『五木・黒澤対談』を30年ぶりに蘇らせた男
2024年という年は、大谷翔平という稀代の野球人の完全燃焼ぶりに一喜一憂していた。そのショーヘイ君がメジャー史上初の43-43を達成した43号ホームランを、ダイヤモンドバックス戦で左翼スタンドに放り込んだその日、交通タイムス社発行の『only Ⅿercedes』vol.221 autumn 2024_10号が発売され、その号の『メルセデスをめぐる至高の対談』の抄録、《五木寛之×黒澤元治 それからの『メルセデスの伝説』という異色企画の提案が実現したうれしい日でもあった。



1995年、W210が誕生した年に発行された1冊のムックがある。
黒澤元治ベストセレクション「Ⅿercedes・Benz New E Class」。
E210クラスについて、いろんな角度から考察されているのだが、
いま読んでも示唆に富んだ対談が収録されている。
まるで現行Eクラスのことを言及しているのではと思うような内容は、
30年近く過去の対談とは思えない新鮮さに溢れている。
そこで、only Ⅿercedesでは当時の編集担当者である正岡貞雄氏はもちろんのこと、
五木寛之氏と黒澤元治氏の許可を得て、ここに抄録として再掲載させていただくことにした。



【編集長追記】五木寛之氏自身が手書きで修正を入れた当時の校正ゲラの一部をお借りすることができた。その校正ゲラの一部を、本企画のデザイン要素として使用させていただいた。いかにして対談の原稿が仕上げられていったのか、辿るだけでも非常に興味をそそられる。

 この編集長、なかなかの盛りあげ上手。抄録の仕方も鮮やか。安心して舵取りをお願いした。今回の『みんカラ』はイントロ部分の紹介だけはご披露しておこう。

この黒澤さんとのSpecial Talk【それからの『メルセデスの伝説』】に寄せた五木さんの序文を、まず紹介したい。

――「ガンさん」こと、黒澤元治さんと一緒の仕事をするのは何年ぶりだろう。鈴鹿で初めてのCIVICワンメイクがスタートしたとき、「五木レーシングチーム」を結成、もちろんガンさんがドライバー、わたしが監督として参加したのが1981年。その後もマカオGPのグループA・ギアレースにTV番組『愉快な仲間たち』の収録をかねて出場したりするなど、共通の記憶をひろいあげたら際限がないほどだ。久しぶりに、黒澤さんからお呼びがかかった。温泉つきの箱根のゲストハウスが完成したので遊びにきませんか、と。どうやら、ご自慢の造作らしいが、わたしをその気にさせたのはクルマを通して自らを高めようとする、青年のような熱い息遣いに触れてみたいと思ったからである。それに、来るならNEW E320を用意するから、と上手に誘惑する。新しいメルセデスを肴に、お喋りするのも悪くない。
箱根は、秋の真っ盛りであった。             (五木寛之)
 
 これで五木さんが黒澤さんの『ベストセレクション』(講談社MOOK:1995年刊)で対談企画として登場した羨ましい背景がお分かりいただけただろう。そして対談の始まる空気をこう記している。



――東京から箱根・小涌園までの110キロを、五木さんはE320のハンドルを独り占めした。首都高速、東名高速、そして御殿場から乙女峠を経由して強羅を抜ける箱根のワインディング路。さまざまな道路状況の組み合わせを楽しんで小涌園から奥まった山あいの中ほどにある「ゲストハウス」に着いたのは、もう黄昏どき。黒澤家総員の出迎えを受け、応接間とリビングルームを兼ねた大広間へ通された。TVは折からの鈴鹿F1 の最終予選を中継していた。黒澤さんのふたりの子息が観ていたものらしい。TVを消そうとする黒澤さんを制して、「すこし観戦しませんか。やっぱりトップはシューマッハかな?」と、五木さんらしい気配りを見せる。「あれ?黒澤さん、鈴鹿には行かないんですか」「夜中にクルマで入るつもりです」「そうですか。ボクは毎年ずっと、鈴鹿F1 のときには、鈴鹿の市民ホールに友人の作家や音楽家を招いて論楽会というトークイベントをやってきたんだよね。ことしは箱根で黒澤さんとふたりだけのトークショー、というわけだ」「うれしいですね。どうぞ時間の許す限りゆっくりして温泉でも入っていってくださいよ」「そうします。じゃあ、そろそろ」
そんなやりとりをしながら、およそ2時間におよぶ、ふたりのクルマ談義がはじまった。

                    (この項、ここで一休みを……)
Posted at 2024/12/01 13:21:31 | コメント(2) | トラックバック(0) | 玄冬期を楽しむ | 日記
スペシャルブログ 自動車評論家&著名人の本音

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「ウルトラの夏が燃え出した。左腕の伊藤将司が7回まで無得点で丸め込む。サト輝が6回。お約束の1発。8回の男・石井から9回は定石どうり岩崎へ。ところが最近のこのストッパー、ちと威力を失くしつつある。で1点を奪われ、なおも1死2,3塁で打球は右翼へ。森下が捕った!そして本塁へ投げた‼」
何シテル?   07/14 20:54
1959年、講談社入社。週刊現代創刊メンバーのひとり。1974年、総合誌「月刊現代」編集長就任。1977年、当時の講談社の方針によりジョイント・ベンチャー開...
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