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正岡貞雄のブログ一覧

2019年01月02日 イイね!

初詣のお神籤は、3年連続の『大吉』なり!

初詣のお神籤は、3年連続の『大吉』なり!

2019年『元旦つれづれ日記』〜


頌春——しょうしゅん、と読む。『謹賀新年』や『迎春』と同じ、新しい年を寿ぐ賀詞に使われているが、ちょっと気取って、『みんカラ仲間』へのご挨拶に使わせていただいた。本年もよろしくおつき合いください。

 

 いまや流行語となった「平成最後」の大晦日は、6chの『SASUKE』に吸い寄せられたあと、年越し蕎麦と白のスパークリングワインをちょいとばかり愉しんでから、ベッドへ。横になると、枕元へどこからともなく除夜の鐘の音が流れてきた。ああ、2018年も決して無事とはいえないまでも、ひとまず通過出来たようだ。その安堵感からか、スムースに睡りの世界へと誘われて行った……。

 

 なんの屈託もなくパッと目が覚めた。時計をみると「6:00」。まだ窓の外はほの暗いが、しらしら明けの南の空が雲に覆われていないのを教えてくれた。咄嗟に「初日の出」が拝めるぞ、と思った。勢いよくベッドから離れる。


 

着替えと洗面を済ませ、リビングルームへ移り、TVの電源をONに。NHK2チャンネルで「みんなの体操」に合流し、何とか身体の動きをなじませる。ほぐれる。では、マンションの屋上から初日を拝もうか、とロッカーからNikon D5200300mmレンズを取り出したところで、5chでヘリコプターから特撮した《5000メートル上空からどこよりも早い富士山初日の出を全力中継!》がスタートしているのに気づいた。

雲海から富士の山頂が突き出しているシーン。凄いや! 加えてすでに雲海の東が明るみ始めていテ、日の出が間近なことを伝えている。直ちに風の強い屋上行きは中止。改めてカメラの焦点をTVのモニターに合わせることにした。


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6:45。まだ初日は顔を出していない。間に合った。ここからはテレビ朝日の《新春特大スペシャル:モーニングショー》のシーンにお任せする。中途で4chでも同じ趣向の番組がドラマチックに放映されていたので、それも参考までに付け加えよう。


    ☆   ☆


 特撮用のヘリコプターが「ご来光」を捉えたところで、羽鳥慎一キャスターが妙な提案をする。このご来光シーンに合わせてことしの運勢をどうぞ占ってみては?というのだ。早速、挑戦。と、どうだ!「大吉」と出た。


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  どんな遊びのような占いでも「大吉」は有り難い。ご機嫌な気分で、家人の用意してくれたおせち料理に箸をつける。お雑煮。餅が見事に伸びる。

「黒澤さんのお宅で搗いたお餅は、本当によく伸びて、美味しい」

 家人も嬉しそうに、餅の伸び具合を確かめている。平和で静かな元日の朝。

「これから、八幡様に初詣でに行こうか」

 仕上げに卵焼きを口にいれたところで提案する。確か、去年も、その前の年もお神籤は『大吉』だった、と気づく。景気づけに今年も『大吉』で行きたいものだ。


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  氏神様の高松八幡社までは北へ片道2キロあまりである。例年より1時間ほど早めに参詣したせいか、滞りなく神前へ。お賽銭を上げ、二礼、二拍、一礼。次に恭しく御神札をいただく。最後に念をこめてお神籤をひく。嬉しや、「十六番、大吉」とあった。元旦早々、二つ目の「大吉」である。

 

 〇色も香も おなじ昔に さくらめど 年ふる人ぞ あらたまりける

 〇願望 もとむるままなり  商売 儲け多し 急げ   病気 快癒速し


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お神籤は、社務所横に糸をはりめぐらせて特設した所定の垣に、しっかり結びつけた。帰りの足取りは、不思議と軽かった。が、わがマンションに帰り着いて、いつもの癖で視線がつい専用駐車場のプログレに向かったが、そこには見慣れない白いヴェゼールが、収まっていた。

 

そうなんだ。20181228日に、18年間連れ添ったプログレNC300 IRバージョンは、走行距離115,901kmをもって、わたしのもとを去っていたのだ。プログレとの別れ。それをどうやって、報告すればいいのか。そろそろ肚を固める必要がありそうだ。あ、その前に、1223日の『ガンさん邸、餅つき大会』も報告しなければ。


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Posted at 2019/01/02 01:25:16 | コメント(8) | トラックバック(0) | 還暦+青春の22歳 | 日記
2018年12月08日 イイね!

初心に帰って新刊『Hot-Version』を愉しむ!

初心に帰って新刊『Hot-Version』を愉しむ!ゲリラ豪雨に負けず、刺客・谷口信輝にも負けずに!

 はじめに12月6日の午前3時前に、やっとアップできた『空白の80日間』が、こんなに「みんカラフレンズ」に迎えていただいたことの報告と、そのお礼から。

 3桁で定着しつつあったPVカウントが久し振りに倍増。なかでも当然「空白の・・・」が「292」とパワフルに押し上げています。ありがとうございました。元気が湧いてまいります。

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 発足以来、1度も欠かさずに出場、あるいはサポーターとしてかかわり続けてきた「メディア対抗ロードスター4時間耐久」。ことしも本田編集長の律儀なマインドに甘えて、サポーターパスを用意して貰っていた。にもかかわらず、直前に体調を崩し筑波行きを断念してしまった。

 そのため、ほとんど白紙に近い状態で、ゲリラ豪雨に襲われ、レース時間も3時間に短縮された「第29回」の模様を「Hot-Version」チームにきっちり焦点を合わせたドキュメントとして「観戦」できるのだ。
 いそいそとパッケージの封を切り、PCに内蔵された再生器に、DVD盤を滑りこませた。
 
 ドスのきいた、このナレーションが好きだ。

 磨き抜かれたマシンたちよ
 峠を制せよ
 あいつより踏み切れるか
 あいつよりも もっと先へ

 奪うはその称号のみ
 峠の魔王
 いまストリートの究極へ

 そこまでを堪能したところで、第1特集の『峠 最強伝説・クラウンがスポーツカーをやっつける!?』を後回しにして、お目当てのコーナー『メディア対抗4時間耐久』へ真っ直ぐ、急行したい気持ち、お分かりいただけるとおもう。  

                                           ☆              ☆              ☆              

■お断り   これより一旦外出します。予告編のつもりでこのあとに展開するシーンを添えておきます。

以下は時間がとれ次第、作業を再開します。(2018日12月8日 15時25分)


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折角、仁禮君は2位だったのに・・・。







Posted at 2018/12/08 15:28:21 | コメント(4) | トラックバック(0) | ホットバージョン | 日記
2018年12月06日 イイね!

空白の『80日間』をお詫びする

空白の『80日間』をお詫びする『野牡丹コートダジュール』と『HV,Vol.155』に励まされて……
 
 花言葉は「ひたむきな愛」か。

 
 まるまる2ヶ月と20日もの間、『みんカラ』からご無沙汰してしまった。申し訳ない。チョロッと『何シテル?』でご挨拶はしているが……。

 2011年の6月15日に『ファーストラン』というタイトルで、このクルマ関係有数の専門SNSを舞台にして、Special Blog欄から『つれづれなるままにクルマ一代』をスタートさせた6年半近くの中で、もっとも長期にわたるエンストである。

 急激に退潮した健康のせいもあるが、3月半ばから引き受けてしまったマンション(ちょうどベストモータリング創刊にあわせて入居している)の理事長という役割が『青春+22歳』と強がっていたはずのわたしのエネルギーのほとんどを投入しないと対応できない「激務」だったということだろう。たかだか62世帯の築後36年の中型マンションに過ぎないのだが、とにかく理事長の役割を誠実に果たそうとすると、会社でいえば人事・経理・庶務、企画・広報・営業・渉外をまとめて自分の手で運営しなければならない。

 そうした日々の中で、1週間程度の入院生活も3回。それでもやっと夏の終わり頃から理事長職も軌道にのって、ホッと一息。気がついてみると、すっかり師走を迎えている……。

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*そんな日々の中で、11月18日はわがプログレと富士スピードウェイへ向かっている。

「さて、一回りするか」
 午前8時。今では朝のお決まりルーティンとなっているマンション内の巡回から理事長の1日がはじまる。エレベーターは使わずに、内階段を使ってまず最上階の5階居住区にあがって、順次、各階の様子を見てから、1Fの玄関エントランスホールへまで降りていく。この日も、まだ新聞受けから朝刊を取り出していない常連は別にして、特に異常はなさそうだ。管理員の清掃作業もすでに終わっていて、塵一つないのを確認した。さて、と。

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 エントランス玄関から戸外のアプローチ階段へ踏み出した。朝の光が柔らかく降り注いでくる。その玄関の両脇に設えられた花壇が、まるで照明を浴びているような鮮やかさで浮き立ち、花々の朝のご挨拶をこちらへ送ってくれる。

「お!」
 思わず、声が出た。プリンセティア、葉ボタン、ポインセチア、カラー、セロシアといった、秋から冬にかけて妍を競う季節の洋花たちに囲まれて、一輪だけ、紫紺の花が恥ずかしげに「からだ」を開いて、ヒョロリと伸びた白い「雌シベ」でこちらを手招きしているではないか。「野牡丹コートダジュール」である。10月の初めに近くの園芸店で手に入れた「お気に入り」……それが11月の終わりに散っていったはずなのに、また一輪だけ、再生してきたのだ。

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 よく見ると、そのすぐ隣で蕾がふたつ、さらに次なる開花の時を待っている。

 花言葉は「ひたむきな愛」「謙虚な輝き」。ぴったりな風情だ。
 はっと己の今を顧みる気分が、その紫紺の花をみている内に湧き上がってきた。元気を出してよ、と「野牡丹コートダジュール」が囁いてくれたような気がした。



 エントランスに戻り、郵便BOXを開いてみた。と、見覚えのある包装の『ゆうメール』がHot-Versionから届いているではないか。
 お、今月は随分、早く届いたな。いそいそと自室へ戻った。朝のお勤めはもういいだろう。早速、封を切る。ほう、2ℓセダンのクラウンが群サイで、Audi A4クワトロスポーツといった選ばれたスポーツカー達と対決か。ニュルで鍛えたからといって、どこまでついて行けるのかな。

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 それよりも、待望のコーナーがあるではないか!「メディア対抗ロードスター4時間耐久」である。なにしろ、レースのあった9月1日は、せっかく本田俊也編集長が、ゲストパスと駐車券を用意してくれていたのに、その前日から体調不良となって、筑波へは行けなくなって失礼してしまった。レースはゲリラ豪雨に見舞われ大混乱だったとは聴いているが、そのドキュメントをどうまとめてくれたのか、真っ先に「観戦」させて貰うことにした。

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 その模様を「みんカラ」で詳報したい! 衝き上げてくるものがある。やっとその気にさせてくれた、ひたむきな愛の妖精、野牡丹コートダジュールにお礼をいいたい。

 80日ぶりの再開。真っ先に喜んでいるのは、このわたし自身である。    (次回更新を待たれよ)
Posted at 2018/12/06 02:42:30 | コメント(3) | トラックバック(0) | 還暦+青春の22歳 | 日記
2018年09月14日 イイね!

EXA⑩の『祝婚歌』は信州葡萄の味

EXA⑩の『祝婚歌』は信州葡萄の味あれから30 年。「フレッシュマン時代」に乾杯しようぜ!





 季節が秋に移ってくれるのを待っていたかのように、信州・塩尻から葡萄の詰め合わせが1箱、いつものように届けられてきた。

  シャインマスカット。
  サニールージュ。
  種なし巨峰。
  それにもう1種類は、無銘の逸品である。

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 それぞれが2袋、計8袋もある。家人などは、さっそく10kmほど離れた近郊に住む孫娘に届けに行くんだといって各1袋、つまりそっくり2分の1を別の箱に移し、さあ、出かけましょうとこちらを促す気の早さ。浮き浮きしたハッピーな時間の始まりである。

 こうやって「信濃の味覚」が毎年、わが家に長野の年下の友人から届けられるようになって、もう何年になるのだろう。その源泉が、実は「富士フレッシュマンレース」だとしたら、話は出来過ぎかな。

 ま、31年前に『ベストカー』の’87年8月26日号に掲載された記事『結婚祝いのEXAレース』にその辺のいきさつを触れているので、紹介させていただく。『富士フレッシュマン戦・純情歌』の一篇としてとても気に入っているレースレポートでもあり、それは先に動画付きで紹介した『EXA⑩のラストラン』の続編でもあった。

 サブタイトルは《’87富士フレッシュマンレース第4戦(6月14日)ベストカーEXA奮戦記》。クレジットなしで第三者が書いているスタイルをとっているのを見ると、筆者はわたしではなかったらしい。あのころはすでに「ベストモータリング創刊」にすべてをシフトしていたはずだから、恐らくベストカーの山本亨クンに任せっきりであったろう。

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 PHOTO by  安川 肇(特にお願いして、当日の⑩平林クンの走りっぷりを探し出していただいた)

——昨年のフレッシュマン戦のEXAで、局長のよきライバル(?)だった(長野・塩尻の)百瀬孝仁クンのメインテナンスを担当している平林稔クンから局長に一通の手紙が届いた。

 レースが好きで⑳百瀬のほかに④花村、塩原正幸EXAのメンテを引き受け自分でも何度かレースに参戦しているが、結婚するために、レース資金も貯金しなければならず、さりとてレースにも出てみたい。そこで’87富士フレッシュマンレースの第1、2戦は加藤隆弘クンが乗ったが、第3戦からはドライバーがいないというベストカーEXAになんとか乗せてもらえないだろうか。

 そんな内容のベストカーEXAに対する熱いラブコールの手紙だった。彼がこれまでにどんなレースをやっているかなど、便箋12枚にビッシリと書かれている。

 平林クンのラブコールに応えて。かれの結婚祝いとしてベストカーEXAを貸してあげることにしたのだった。

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 そして、5月24日に長野県の塩尻市からFISCOまで練習かたがたクルマの様子を見に来た。この際、エンジンをOHし、タコメーターを見やすくするなどの手を入れ、6月13日(土)朝7時に塩尻を出発、その日は充分ではない練習走行を行い、本番に向けてのマシン調整をやる。

 いよいよ決勝当日、プラクティスはなんと5番手に、そして決勝は8位という結果に。なかなかやるもんですな。局長だったら・・・・・・。

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 レースが終わってから、また平林クンから手紙が。今度は便箋17枚の熱走報告が届いたのであった。彼の昂奮した様子が手に取るように感じられた。新婚間もない彼は、「なんとも言えない満足感を得ることができた」という。これからも頑張ってもらいたい。

☆        ☆       ☆       ☆
 わずか3段しかスペースは与えられていなかったが、しっかりベストカーEXA⑩を挟んで、平林クンと婚約者・弘美さんの2ショット写真に、レースシーン、リザルトがそえられていて、情報量に不足はない。ふと、レース結果の末尾に目がとまった。平林の僚友、百瀬クンも出走していて、9周でリタイアしていた。

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 それからの「平林夫妻」の船出に贈った祝砲。これに過ぎる物はなかっただろう。それからは毎年、欠かさず平林夫妻から、西瓜だったり、林檎だったり、今年のように葡萄だったり、選りすぐりの「信州の味覚」が届くようになった。
地元のJAに勤務する平林クンが、今年は何にしようか、と気を配ってくれる姿が、いつも目に浮かんでいた。

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 そんな彼もそろそろ定年退職を迎える計算だ。自慢の愛息ふたりも、揃って地元の高校で野球部に籍を置き、特に次男坊はエースとして春の甲子園のマウンドに立ったほどの「お宝」に育ってくれたのだから、2重丸、いや3重丸の日々を送ってきた、というべきだろう。

 葡萄の箱が届いたその夜、種なし、皮なしの「シャインマスカット」を堪能したところで、平林クンにお礼の電話を入れた。ことしの葡萄はとくに甘みに磨きがかかったので、それを届けたくて発送が遅くなった、と平林クン。その分、極上の葡萄を賞味できたから、と、改めて礼を言ったところで、「あの予選落ちの常連だった百瀬クンはどうしてる?」と問うてみた。即座に返ってきた内容が気に入った。地元の市役所で今も「建設部長」をやってます、というのだ。

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 つい先日のFBで、百瀬クンが最後のヴィッツレースに出場し、それが通算100戦目であったと教えたくれたフレンドがいたが、この二つの情報をつなぎ合わせてみると、また新しい「富士フレッシュマンレース」STORYを紬ぎだせるのではなかろうか。ゼッケン⑳EXAの百瀬孝仁クンはあれからずっと、サーキットで走り続けていてくれたとしたら、これは驚きだ。                                       (以下、次の更新へ)


2018年08月29日 イイね!

美女軍団とミラージュ勇士に囲まれた日々

美女軍団とミラージュ勇士に囲まれた日々〜1988年ミラージュCUP名人の部・第1戦FISCO〜






最初に硬い話をちょっぴりさせていただこう。

 

 1987年のミラージュCUP最終戦、富士のヘアピンで土手っ腹に激突され、哀れや「転倒虫」と化した⑫ベストカーミラージュはそのまま廃車に。まあ、普通にいけばミラージュ CUP参戦は、このアクシデントによって、2年目にしてジ・エンドである。


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 さて、今だから書けるが、その年(30年も遡る)の1月15日に、馬齢52を重ねて、身辺は変革の渦のなかにあった。4月末に、新会社を設立、その代表取締役社長であり、VIDEOマガジン『Best MOTORing』の編集長も兼ねた。何分にも、新事業に失敗は許されない。講談社の厚い庇護はあるといっても、映像事業はまったくの未知の領域。ましてやクルマを主題として、ビデオによる月刊定期刊行するには、生半可のエネルギーでは、軌道に乗せるのも難しかろう、と周囲は見ていた。

 

音羽通りの光文社、キングレコードのビルと隣り合わせたマンションに、20坪あまりの小さな事務所を設けた。『ベストカー』のあるビルとは700mばかり離れてしまった。


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 『ベストカー』の方の専務兼編集局長の役割は継続しているものの、新事業の目途がつけば、いずれ籍を抜くつもりだった。6月、講談社・野間惟道社長の急死。続いて足沢禎吉専務までが急逝。この新メディアの必要性を理解し、わたしのポテンシャルに期待を寄せられたお二人を失って、正念場に立たされていた。そんなさなかに、はたして、レース活動に今までのように精力を傾け続けていいものだろうか。

 

 創刊号は6万8000部を発行して、80%の実売。物珍しさも手伝って、ひとまず滑りだしは成功した。が、2号以降、ズルズルと低落。6号目には発行、3万をやっと保っているに過ぎなかった。『ベストカー』を単純に映像版にしただけでは、通用しない。独自の路線を創り出す必要があった。ますます新会社に籠る日々が続く。

 

1988  Best-Motoringミラージュと改名して熱狂参戦3年目


ミラージュ参戦は続けることにした。映像にレース活動は不可欠だ。企画のひとつの柱であるドライビング・テクニックはレース活動で磨かれるし、人脈もそこに集約されていた。が、もう『ベストカーミラージュ』というわけにはいかぬ。加えてエキスパートの部はニューモデルが採用され、結局、新車が用意された。そこで、新しくカラーリングも替え、『ベストモータリングミラージュ』とした。パステルカラーのブルーとイエローがボディで波打ち、いかにも映像向きだった。


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 この新事業への胎動は、わたしのサーキット挑戦にあった。サポート役の松田昭広青年が回してくれた8ミリビデオを黒澤元治さん宅に持ち込み、レーシング・ドライブの指南を乞ううち、映像のもつ訴求力の虜になった。これからの自動車メディアは映像だ! これが率直な原点だった。

 

 スタートすれば、すべてを巻き込むしかない。ガンさんは『ベストモータリング』の看板キャスターのひとり。中谷明彦、土屋圭市の両君もメインキャスターとして深く巨きな存在である。大井貴之がベストカーから転籍してきて、水を得た魚のように編集部を牽引してくれた。注目の新人だった#55の田部靖彦も重要な編集部幹部。サーキットの女豹、小林里江もわが社の経理部担当。松田昭広青年は制作部チーフに、といった具合に。


 講釈はここまで。ここからは1988年4月17日の富士スピードウェイを舞台に繰り広げられた「ミラージュCUPエキスパートパートの部・第1戦の模様をご覧いただく。ベストモータリング1988年7月号のレース収録企画として、カメラ部隊が投入されていた。


 予選が始まる前の陽気なパドックの様子から、である。美女たちに囲まれて、こんな風なサーキット・ライフを楽しむ束の間の至福。何しろ、あの高名な女優が見事に孵化する前の、ピカピカした時代も紹介できるとは、ああ!  ともかくご覧あれ。


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*この美女軍団のなかに、あの高名女優の孵化寸前の姿が・・・。

 ●映像




 ミラージュCUPはこの日のレースカレンダーでは主役ではなかった。この日の様子を、わたしは、「ベストカー」のモータースポーツ・ページにこう記していた。  

  

        ☆         ☆          ☆


 417の富士スピードウェイに新しい衝撃が走った。F3000F3の2つのレースでどちらも20歳台のチャンプが誕生したことだ。

 鈴木亜久里と黒澤琢弥。亜久里はポールポジションからのスタートだった。ぽんと飛び出してから、あとは独走、独走のひとり旅。ジェフ・リースが2周目の第1コーナーで黄旗なのに強引に突っ込んでアウト側にはらむ大チョンボ。星野一義は関谷正徳をパスするのに精力を使いはたした感じで、亜久里にとってこんな楽な展開は予想外だったに違いない。ぼくら中年の目には、亜久里のマシンに星野がご丁寧に亜久里のヘルメットをかぶってドライブしているとしか映らなかったのである。

  いつの時代にも、新しいヒーロー誕生の向こう側には、ギリギリまで王座を死守してきた男の滅びの美学があるのだが、その節目に直面したらしい。

 

 F3を3戦目で制覇した黒澤琢弥にしてからが、ご存じガンさんのジュニアである。

 

 なにかがすっきり新しくなる予感がする。各チームを華やかに盛り上げているレーシングギャルも大増員だ。随分といろんな企業が力を入れはじめたから、彼女たちには、一つのやってみたいカッコいい、実入りのいい職種になってきている。観客席も当然、若い世代に移りつつある。主催者発表、5万2000人、信じていい数字だ。


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 そんな舞台のサポートイベントであるミラージュ・インターナショナル・ラリーアートカップに、ことしも第1戦からエントリーしてしまった。モデルチェンジした今年のマシンは、ニュープロプロダクションのリプレのカテゴリーにあるとはいえ、ほとんどがTSに近い。ストレートエンドでは時速230キロに達してしまう。そこからのブレーキングはハンパじゃない。リアをふられることもたびたびだった。予選17位、決勝17位は、スタート直後のシフトミスで27位までドロップしたことを考えれば、まだ成長過程にあることを立証できた上出来のレースだった。52歳の特別プレス席もあと何戦かは、すわらせもらえるみたいだ。今シーズンもよろしく。


 わたしのこの「熱走報告」を最後に『ベストカー』誌上から、ミラージュCUPは消えたのである。  


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 この項、このあと、適宜、手を加えて、完成させます。
 感想のメッセージ、コメントをお寄せ下さい。お待ちしています。





スペシャルブログ 自動車評論家&著名人の本音

プロフィール

「花言葉。平凡、早熟、先駆者。1月4日付けの『何シテル?』でいち早く春を告げる小葉桜と紹介した桜の名前は『啓翁桜』と訂正。その白い天使達と一緒に和花の魅力をアピールした「木瓜(もっこう)」=別名、ボケが3日遅れで満開となった。昔から武家の家紋としてもて囃された五弁。織田信長が代表。」
何シテル?   01/07 14:23
1959年、講談社入社。週刊現代創刊メンバーのひとり。1974年、総合誌「月刊現代」編集長就任。1977年、当時の講談社の方針によりジョイント・ベンチャー開...
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美女軍団とミラージュ勇士に囲まれた日々 
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2018/10/03 16:55:59
この『天皇制に石を投げる世代』を、今でも真っ直ぐ書けますか? 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2018/07/02 11:05:27
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