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正岡貞雄のブログ一覧

2019年12月17日 イイね!

2020年次RJCカーオブザイヤー速報グラフィティ

2020年次RJCカーオブザイヤー速報グラフィティ〜12月16日、日産・三菱連合軍「K CAR」授賞までの私的記録〜

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*デイズ/eKワゴン&Kクロスでイヤーカーに選ばれた日産・三菱の連合軍


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*カーオブザイヤー インポート部門最優秀賞のBMW3シリーズ

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*テクノロジーイヤー最優秀賞の日産プロパイロット2.0(スカイライン ハイブリッド)

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*カーオブザイヤー特別賞は急速充電規格「CHAdeMO」が選ばれた

 2020年次のRJCカーオブザイヤーの第1次選考会は11月1日、いつもの青山大学隣接の「アイビーホール青学会館」ではなく、芝の「日本自動車会館」に変更されていた。地下鉄大江戸線「大門」駅から徒歩4分という案内だったが、方角が掴み難く、少々迷子になってしまった。それでも初めて芝大神宮に参詣できたから、「よし」としよう。

「どうぞ、今年次はセダン系に御加護がありますように」と、本気だったせいもあって、手を合わせ、1000円札を1枚、賽銭箱に納めさせていただいた。

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 S U Vも軽自動車も恐ろしく進化を遂げたのはいいが、きっと時代の波は変わってくるはずだ。やっぱりクルマの正道を貫くセダンに、いまこそ力点を置いて欲しい。

 さて、その願いは通じただろうか。開票が進むと、さすがにインポート部門ではBMWの3シリーズが、いわば予選トップという形ですんなり選ばれた。が、国産車部門となると、HONDAのインサイト、TOYOTAのレクサスUX、スープラ、そしてカローラ/カローラツーリングワゴンまでが6ベストの枠から弾き出されてしまった。日産のスカイラインは5位、 MAZDAのM3は6位というテイたらくであった。なんとも情けない。ま、スカイラインは、日産が「テクノロジー」 部門を狙っている空気があって、そちらに力点をおいた同僚会員が多かったようだ。細かい内容は別掲の写真から参照いただきたい。

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 開票終了後、真っ直ぐ、T O Y O T A広報の責任者に声をかける。
「11月12日の《ツインリンクもてぎ》でのテスト走行と投票会に行く際に、できればカローラをお借りできますか?」
 例年、この「もてぎ行き」に行く時に誰とどの車で行くか、に拘(こだわ)ってきた。走り心を燃え立たせるために35GT -Rを指名したり、去年は18年間連れ添ってくれたプログレとのラストランを楽しんだり、と。

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 しばらく間を置いてTOYOTA広報から返事があった。いま、カローラの広報車の台数が少なく、全部、スケジュールが埋まっています、と。この時期、恐らくそうだろうな。加えて、替わりにこれは?という提案も、残念ながらなかった。
 
 翌日、HONDA広報に電話を入れる。インサイトが残念ながら6ベストから外れ、ツインリンクで走れないのが残念だから、モテギとの往復になんとか借り出せないだろうか、と。
 HONDAのレスポンスは明快だった。インサイトはすでにスケジュールが取れないが、FITのセダン版「GRACE」はいかが?と。 HONDAセンシング付きでハイブリットだし、7段DTCの切れ味もぜひ試めして欲しいという。

 こちらに否応があるはずはない。モテギに行く日の午前10時に、ご指名の5ナンバー、コンパクトセダンをピックアップに伺うことを約束する。

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 11月11日午後2時5分前。約束の時間が近づいたので、わたしのマンションの駐車場に降りていくと、すでにRJC前会長の飯塚昭三さんが、駐車してあるブリリアントスポーティブルー・メタリックと呼ばれるグレイスのそばに立って、柔らかい笑顔でわたしを迎えてくれる。

 かつての富士フレッシュマン時代の盟友も、RJCの会長職から解放されてからというもの、どこにいくにもご一緒しようと約束ができていた。ホテルも同室と決まっていた。

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 飯塚さんにステアリングを預け、外環道から、常磐道へ。5時までにホテルに着けばいい。水戸I Cの手前、120kmほどを走ったところで、友部SAに立ち寄る。正面にスターバックス。ここまで頑張ってくれた飯塚さんに、カプチーノをご馳走しよう。そこで飯塚さんが今回の「特別賞」強く推したいという『急速充電規格=CHAdeMO』(チャデモ)について、一歩踏み込んだ説明を聴かせてもらうことにした。    

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(この私的記録、次回更新へ。しかし選考結果は速報性が求められるので、一挙にグラフィティとして紹介したい)




●RJCのホームページで《第29回=2020年次 RJCカーオブザイヤー最終報》がアップされたので、ぜひこちらへどうぞ。力の入った内容です。
Posted at 2019/12/17 22:28:45 | コメント(6) | トラックバック(0) | 還暦+白秋期の23歳 | 日記
2019年12月15日 イイね!

『テスラ疾走』はガンさん邸訪問までお預けか!

『テスラ疾走』はガンさん邸訪問までお預けか!

〜はじめに《第2回ベスモ同窓会》ありき〜


 



 4ドアセダンのテスラ モデル3 は3タイプあって、CMOさんがオーダーして1年目にやっと手元に届いたのは、その最強バージョンの「パフォーマンス」だという。
 動力系は前後に二つのモーターを装置するAWDである。出力は明示されていないのはこれまでのテスラ同様だが、時速100kmに持っていくまでの加速は3.4秒と伝えられるから、これはとんでもない快速の持ち主だ。巷間、You Tubeで流れている動画には、モデル3がフェラーリを軽々とぶっちぎるシーンもあるくらいだ。

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 そんなコックピットにはステアリングと15インチの大モニターしかついていない、このシンプル極まりないE V車を、いきなり試乗ドライブできるほど、もうわたしは若くないし、I Tと関わる手続きの煩わしさに少々、うんざりしている。
ともかく約束のランチをとりながらCMOさんからテスラの説明をしてもらうことにした。

 CMOさんから鎌倉パスタは食べ過ぎちゃうから、できたら別のところを、とNOサインが伝えられた時から、サンライフ練馬の2Fにあるレストラン「月の風」に案内しようと、決めていた。
 近くの古くからの和菓子屋さんが経営する、イベリコ豚の網焼きが評判の明るいお店である。

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 ステアリングを握っているCMOさんにサンライフ練馬の脇をひと周りしてもらってから、最寄りのスーパーマケットの駐車場にテスラを導いた。

サンライフ練馬に向かいながらのCMOさんとの会話。
「黒澤さんや中谷君がきてくれて、第2回目のベスモ同窓会をやった時に初めて会ったんだっけ?」
「そうです。すべてがそこから始まったのです。2013年10月の20日まで覚えているほどです」
「そうだ、その時、CMOさんがみんカラにアップしたそのベスモ同窓会のレポート、文章もいいけど写真の撮り方、仕上がりの質、プロかと思った」
「ありがとうございます。その後のベスモ同窓会編の単行本《PORSCHE 偏愛グラフィティ》まで撮らせていただきました」
「そうでした。まあ、そんなご縁の始まりをなんとなく思い出して、その時の会場のレストランもいいかな、と」
「嬉しいです」

 因みに、CMOさんの「みんカラ」ページには、その触れ合いの発端となった第2回ベスモ同窓会の模様が、こう記録されている。その文章と写真は、いま読み返しても、生き生きと臨場感にあふれているのでぜひご一読あれ。
ベスモ同窓会 in TOKYO(こちらをクリックください)

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*6年前、4月に中山サーキットでの最1回集会のあと、今度は東京でとサンライフ練馬で第2回目が。ベストモータリング同窓会は第5回目まで会を重ねている。


 折からランチタイムということで『月の風』はすでに、いくつかのママ友グループが、美術館と向き合う南側の席は埋まっていたが、幸い東側の公園側のひと席に座る。
メニューを見て、やっぱりパスタ類はパスして、狙い通りのイベリコ豚網焼きでいくことで意見が一致。焼き上がるのに10分ほどかかるという。一息ついたところで、こちらから質問。

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「見た感じ、今度のテスラ、随分とコンパクトにまとめているけど、全幅は1850cm内に収まっているでしょう?」
「そうです。わかりますか? これで立体駐車場でも利用できます」
「インポーター各社のセールスも、それで随分、苦労しているから。いくら日本市場に合わせて車幅をその線にしてくれ、と強く本社に要請しても、なかなか訊いてもらえないと、嘆いているもの。ま、そこに気づいているVOLVOジャパンは本社を口説き落としてS60、V60はバッチリ1850できているもの。テスラがいかに日本市場を大事にしているか、その証拠だね」

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「その柔軟さは、彼らの車づくりのいろんなところで驚くほど発揮されています。今日はその辺を味わってくださいよ」
「自動運転技術のレベルは、まだ3(註:限定した地域=条件でシステムが全運転を担うが、継続が難しい場合は人が対応)に行ってないんだよね」
「運転支援ですから、レベル2(註:システムが前後・左右の両方を制御)。カメラはいっぱいついていますよ」
「なるほど。ほとんどの運転操作はあのでかいディスプレイで賄うのだね」
「ま、やってみてくださいよ。結構、これまでにない世界がありますよ」
「だろうね」

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 ちょうどそこへ焼き上がったイベリコ豚の網焼きが運ばれてきた。揚げられた、、ポテトと卵スープに白いご飯。手軽なランチ値段から言って、そんなに上質なイベリコ豚のものを期待していたわけではないが、程よく網焼きされ、脂のまわったその焦げ痕に縁取られたその肉は、うん?と思わず声を上げたほど、口の中で柔らかく、ふんわりと広がっていく。
「いいですね」
 短い言葉だが、CMOさんも料理の味に賛同する。

 気分の良いランチを平らげたところで、再びテスラ談義。ただ、こちらは少々、時間を気にしていた。

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「L I N Eで断っていたように、3時からマンションの子供たちを集めてXmasツリーの飾り付けをする約束があって、せっかくの機会を用意してもらったので関越自動車道を川越まで一走りできるつもりだったけど、今日はちょっと無理みたい。マフラーもついてないスポーツセダン。その滑らかな快足ぶり。今日はナビシートの試乗で十分です。この後、そのあたりを一回りして、運転は次の機会に譲ります」
「了解です」
快くCMOさんは首肯してくれる。

 そこで切り出した。12月末の箱根・黒澤邸の餅つき大会に一緒しないか、できればその時のテスラとじっくり語り合えたら嬉しいのだが、と。もちろんCMOさんに異論はなかった。ただ餅つき大会の日によっては他の約束とぶつかるかもしれない、と。

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*今年もお邪魔します! 杵をつくガンさん。受け手は翼君。

 わかった。今夜にもガンさんに日程を確かめてから連絡しましょう。それが叶えば、「テスラ疾走」に対応できる準備を、こちらも用意しなくては。
 
サンライフ練馬から駐車場へ向かう。黄金色に輝く銀杏並木を抜けるこちらの足取りも、かなり弾んでいたのではないか。
 翌日、早速、黒澤さんの携帯電話に、様子伺いのアプローチをする。アジアンルマンの結果(3位で走っていながら最終周にガス欠)を悔しがっていた。そして餅つきの日程はいつも通りの設定だという。お待ちしています、と言ってくれてガンさんの電話は切れた。

 その日の夕方、LINEで餅つき大会の日取りを連絡。と、残念、その日は先約がありますゆえ今回は参加できません、とガックリくる返信。仕方がないか、と諦めかけたところで、その2時間後、訂正、その日は都合つけます、調整中です、と嬉しいLINE。
 目を閉じて、つい先日逢ったばかりのテスラモデル3の白い肢体が、のびのびと東名高速から小田原厚木道路、そして箱根路を疾走するのを、すでにシミュレーションしはじめている。

 懲りない「還暦+白秋期の23歳」である。   (以下、次回更新へ)

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Posted at 2019/12/15 02:56:02 | コメント(4) | トラックバック(0) | 還暦+白秋期の23歳 | 日記
2019年12月02日 イイね!

「南天の朱い実」と「白いテスラモデル3」の関係

「南天の朱い実」と「白いテスラモデル3」の関係〜プライベートB L O G『新・正岡ワールド』へもどうぞ〜

 毎度のことながら、ブログアップが滞っていて、今回もまた月刊誌ペースとなってしまった。(この稿にとりかかったのは11月30日)
もう11月も終わってしまうじゃないか。それでも毎日、7〜800の「みんカラフレンズ」が無駄足と分かっていても訪れてくれているのに、そんなことでいいのかい?

 そんな風に己れを叱りつけてから、リビングにあるT Vのリモコンを取り上げようとして、ヒョイと目が止まるものがある。朱(あか)い南天の実だ。ほっそりと頼りなげに付き添う葉っぱと一緒に、白い一合徳利に投げ込まれていて「おっ、いいね」と家人の心遣いに、ちょいと頭を下げながら問う。

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「この南天はどこのものを?」
「十三重の塔から」
「あ、そうだった。この徳利は美濃だったっけ?」
「砥部焼じゃなかったかしら」
「そうだ。梅山窯に寄った時のだな」
「窯の名前だけは、ちゃんと出てくるのね」

  砥石屑から生まれた四国・松山南郊の砥部焼。白磁とはちょっと風味が違う、そのザックリした温かみが気に入っている一合徳利に、つい先日、東京から1200kmほど離れた九州・佐伯(大分県南部)の十三重塔を訪れたときに、その草叢の中から南天の実を枝につけたまま、上手に持ち帰っていたのを、今朝は挿してくれているのだ。

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この日は昼前に来客があることは家人に知らせてあった。お土産には長野の林檎でいいかしら? うん、そうしてくれ。
 
 南天の実を無断でいただいてきた不思議な歴史的遺造物・十三重塔のある佐伯は、海と山と川がうまく調和している人口6万の古い城下町で、家人の生まれ故郷でもある。11月18日から3日間、既に物故してしまったご両親の墓参を兼ねて、短い里帰りをしてきたばかりだった。

 佐伯のことを説明すると長くなる。ともかく大分空港でタイムズレンタカーの日産ノート(1.2ℓ)をピックアップし、その日は佐伯市内の新しいホテルに一泊。次の朝、そのホテルが戦国時代の末期まで豊後南部を支配していた佐伯氏の居城、栂牟礼(とがむれ)城址のすぐ傍だとわかって、両親の眠るお墓に向かう道すがら、これまで何度か踏査している、山が一つすっぽり城址となっている麓の集落に立ち寄った。その入り口にある十三重塔のあたりからの眺望が、わたしのお気に入りだったのだ。

 改めてその日のスナップショットをチェックしてみると、なるほど朱い色が一塊、栂牟礼の山陵を背景にして、映っている。間違いない。それにしても家人は手折った南天の枝を、どうやって持ち帰ったのだろう。

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 この佐伯のことを説明すると長くなる、と断っているが、実はその辺の事情を詳しく、わたしの個人的な作品を収録してあるブログ『新・正岡ワールド』の中の『幻のルーツ探訪譚 風早記』(どうぞクリックを)にぜひ、お訪ねいただけると嬉しい。

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 その中の「第1部」の「速吸ノ瀬戸」につづく「豊後御手洗一族」の項で、室町時代のこの地方を支配していた佐伯氏の古城址探訪記(どうぞクリックを)を掲載している。

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*大分空港からの小さな旅のお供を務めてくれた日産NOTE
     ☆ ☆ ☆

 その九州・佐伯に旅立つ直前の11月14日、ベストモータリング同窓会幹事の「CMO」さんからLINE連絡が入った。そのやりとり。

「局長、11/20のタイカン発表会には行かれるのですか?」
「いや。ちょっと家人のお供で旅に出ています。帰りが19日の夜なので根性があれば、行くでしょう」
すかさず、返信があった。
「左様でしたか。お疲れ様です。わたしのクルマもようやく仕上がりましたので、落ち着きましたらお披露目の日程を調整させてください」
「ありがとう。30日の午後はいかが?」
「30日の午後、大丈夫です。よろしくお願いします」

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*デビューしたPORSCHEタイカン
 テスラか。愛しんでいたB M W のアクティブ・ハイブリッド3を手放したCMOさんが、宣教師さながらに強烈にテスラSを布教しているオーナーと一緒にわたしの前に現れたのは、3ヶ月ほど前だったろうか。関越自動車道を川越から三芳のS Aまでステアリングを握って試乗させてもらったが、これは麻薬のようなクルマだな、と直感した。そのステラSをワンランク、コンパクトにしたNewカーがCMOさんのもとに届けられ、その時の約束を几帳面に守ってくれたわけだ。

 11月29 日の朝、LINEがコールする。
「おはようございます。急に寒くなってきましたね。明日は何時ごろお伺いすれば? あと、テスラ モデル3は下が低くなって腹下を擦りそうですので、マンションの駐車場をお借りせずに近くのタイムズに停めようと思います」
「おはよう、です。午後3時から、マンションのクリスマスツリーの飾り付けを子供たちとやります。そのため、あまり時間はありません。鎌倉パスタを予定していますので。午前11時半にこちらに来れますか?」
「早めに伺いましょうか? あと鎌倉でなく別のお店でもいいですか? あそこだと炭水化物を摂りすぎてしまうもので……笑」
「了解です。こちらも同じです」

 30日の朝はこちらからLINEした。
「おはよう、です。クルマはマンションの前につけ、そのままサンライフ練馬へ行きます。そこでランチしましょう」
「承知いたしました。これから伺います」
 
 約束の時間の5分前、ソロソロ迎えに出ようと4階のエレベーターの前に立っていると、ガラス窓越しの眼下に、ちょうど純白のモデル3が滑るようにアプローチするのが見えた。マンションの正面にある御神木、ユリの木はすっかり葉を落としてしまっていて、すらりと伸びた枝越しに見えるステラの姿態。期待感が疼き始めた。

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 モデル3に近づくと、すでに運転席から降り立っていたCMOさんが助手席側のドアに手をかけて、さあどうぞ、という感じで開いてくれる。うん!? ドアにはヒンジらしいものもなく、ブラックの太いラインがあるだけで、その右端にあるボタンを押す。と、レバーが突き出るように現れ、ドアが大きく開かれたのである。
そして……シートに腰を沈めると、コックピットにあるのは、大ぶりなステアリングとiPadの化け物のようなディスプレーが一つ、真ん中にドンと据えられているだけだった。なに、これ!?この異次元な世界への招待に、いささかわたしの腰は引けてしまっていなかっただろうか。
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 モデル3は音もなく滑り出した。すぐにレストラン『月と風』のあるサンライフ練馬に差し掛かった。銀杏並木に差し掛かった。
「お!!」 
CMOさんと同時に息をのんだ。晩秋の陽光は斜めに射しこんで、銀杏並木が黄金色に燃え立っていた!
「(食事の)あとで、あの並木の下でモデル3の走りを撮りましょう」
頷いてくれるCMOさんは、プロと言ってもいいほどの撮影技術の持ち主であった。                 (以下、次回へ)

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Posted at 2019/12/02 23:09:36 | コメント(6) | トラックバック(0) | 還暦+白秋期の23歳 | 日記
2019年10月26日 イイね!

ともかく『東京モーターショー』へ行ってみよう! 

ともかく『東京モーターショー』へ行ってみよう! 

〜まるまる「4ヶ月の空白」をお詫びするためにも〜 


 令和天皇陛下の「即位礼正殿の儀」に次いで夜の「饗宴の儀」が無事はじまったのをT V中継で見届けたところで、まるで遠足にでも行く気分で、出掛ける準備をはじめた‥‥‥と書き出したことで、わたしの体調と、それに呼応する気力がかなり、回復したのがお分かりいただけるでしょう。

さて、まず愛用のカメラを納戸から取り出し、バッテリーをNIKONの専用チャージャーに嵌め込み、充電コンセントに差しこむ。つづけてMICRO SDアダプターがチャンと入っているかどうかを確かめた。ま、レンズは300mmを持っていくほどのことはないだろうから、標準だけの一本にしよう。
そうだ、東京モーターショーの会場めぐりは資料をゴッソリいただくので、手提げのバッグより小ぶりなリュックの方がいいだろう。そして大事なPRESSパス手続き用のカードの入った封筒を確認する‥‥‥。これでO Kかな。

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『第46回 東京モーターショー 2019』が一般公開される10月25日から11月4日までの日程で、東京ビッグサイトとお台場周辺エリアの複数会場で開催される。テーマは「OPEN FUTURE(クルマの未来を拓く)」とある。それに先立っての23日の『プレスデイ』と24日の『祝賀レセプション』だけは出席するのを、ワクワクしながら待ち受けていたのである。
 自動車メディアに長年関わってきた習性から、やっぱりこのお祭りと無縁ではいられない。想い起こしてみれば、わたしが講談社からの特命を受けて、創刊を志した『ベストカー』(1977年)も『ベストモータリング』(1987年)も、決まってその創刊発売日は「東京モーターショー」をターゲットに設定した。その頃は200万人のクルマファンが千葉の幕張メッセまで熱くなって押し掛けたものだったが‥‥‥。

 10月23日の朝の空は見事に晴れわたっていた。午前9時前にはわがマンションを後にした。臨海副都心へ向かって練馬から地下鉄大江戸線で汐留へ。そこからは「ゆりかもめ」で東京湾の景観を楽しみながらビッグサイトへ向かう肚つもりであった。
すでに午前10時。通勤時間から解放されているのか、大江戸線は「都庁前」からは座席に収まり、iPhoneを取り出すことができた。早速、face bookでベストモータリング同窓会の若手幹事の岩田和馬君(いまやWebマガジン=カーウオッチのスタッフ)が、3時間前の7:03にメッセージしているのを確認する。

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*この夏の「筑波メディア対抗4時間レース」で岩田和馬君と

「ビッグサイト、快晴! 今日は東京モーターショープレスデーです!」

 おお、早々とご苦労さん。そうか、現役は7時の受付開始時に行かないと、プレスルームに席が確保できないンだったな。往時を思い出す。で、早速、返信。

「ぼくもそちらに向かっています。よろしく」



 地下鉄大江戸線の汐留駅から「ゆりかもめ」に乗り換えるには、ビルの5階分を駆け登るタフな足を要求された。加えて迷路を抜けるような複雑なルート。もちろんエレベーターはあるものの、それがまた探すのも厄介だから、結局、衰えかけた脚に頑張ってもらうしかなかった。

 そのご褒美か、滑らかに走り出したモノレール「ゆりかもめ」からの東京湾に広がる眺望は、また一段と変貌していて、言葉を失うほどのものだった。竹芝、日の出、芝浦埠頭を過ぎると、お台場に繋がるレインボーブリッジに差しかかる。真向かいに豊洲から突き出した地帯にオリンピック選手村などの新しいビューポイントが‥‥‥。

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 慌ててリュックからNIKON D5200を取り出し、ピントを合わせるべくレンズを軽くひねってやる。おかしいな。ビューアーの捉えた景色が、どうも暗すぎないか。あっと気がついた。慌ててバッテリーがお収まっているはずの下側の蓋をプッシュしてみた。あ、ない! バッテリーを充電しようとして、そのままだったのだ。いまさら自分の迂闊さ、そそっかしさを責めてもはじまらない。即座にiPhoneのカメラにシフトチェンジするしかなかった。そんなこともあろうかと携帯バッテリーだけは忘れずに用意してあるから、会場に着いてからの撮影取材も、なんとかなるだろう

 10:45。東京ビッグサイト駅着。お馴染みの会場は目の前である。まずはプレス専用ルームのある会議棟6Fへ。素晴らしく長いエスカレーターで一気に2Fフロアーから登っていく。これでやっと「東京モーターショー」にたどり着いた気分になる。

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 登りは右のレーンで、視線はどうしても下りながら接近してくる左側に行ってしまう。そして顔見知りとすれ違うときには「やぁ、やぁ」と目で挨拶を交わす。こうやってモーターショーへ足を運ぶのも、日頃、ご無沙汰している知己と逢えるからで、今回も誰とどれだけ逢えるのか、それが大きな愉しみであったのを想い出す。

 にもかかわらず、この降(くだ)って来るエスカレートに向かって、だれ一人、挨拶を交わすこともなく、あっさり6Fに着いてしまった。初めてのことであった。
 6階フロワーは国内外のプレス、メディア関係者のワークスペースとして解放されていた。入口でプレスカードのQ Rコードをピッとやってもらった後、黒布地の大ぶりな、肩にかけられるトートバッグとモーターショー定番の『自動車ガイドブック』の交換券を受け取ることで、やっとプレス関係者の儀式をクリアした。

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 いや、忘れちゃいけないことが、まだ残っていた。ランチの箱入りサンドイッチをいただき、その後、珈琲をいただいたら、いよいよ今回の『東京モーターショー2019』をどう料理したものか、狙いを定める段取りだが、83歳の報告者も4月ぶりに取り組んだレポートである。ここらで一旦、小休止するのをお許しいただけるだろうか。

その代わり、この後、まず西棟から南棟を訪問した中身の予告がわりに、わたしの目を惹いた出展車の姿を紹介しておこう。では次回の更新を待たれよ。

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*西棟から入るとまず SDZDKIがこれで勝負してくる
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*NIssanのワールド・プレミアはこれ!
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*TOYOTAはいっさいブースにはNEW CARを展示してないが、これはいい!

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*え!? 大坂なおみとの2ショットとは? 次回はこのあたりからレポートを。
Posted at 2019/10/26 01:54:50 | コメント(4) | トラックバック(0) | 還暦+白秋期の23歳 | 日記
2019年06月26日 イイね!

『みんカラ歴8年』をチョイと深掘りしてみようか

『みんカラ歴8年』をチョイと深掘りしてみようかその最中に「緊急ニュース」が飛び込んできた!  

 ご親切に、というべきか。いや、ありがとう、と叩頭(こうとう)すべきか。
6月に入るとときまって『みんカラ編集部』から「minkara Anniversary!」のロゴのついた祝い旗と一緒に、<この一年の、みんカラでの思い出を振り返ろう>とメッセージが送られてくる。

  それが今年も律儀に届けられてきた。にもかかわらず、ちょうどその頃は、5月末に撮影された《亡き巨匠・徳大寺有恒を改めて掘ってみよう》というファッション系WEBマガジン『Forza Style』での新しい仕事で、わが心、ここにあらずの状態にあった。いくら体調が回復しつつある、とあちこちに広報していても、どうにもPCに向かうエネルギーが集中してくれなかった。いかんなあ。

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*徳大寺さんが40歳代後半から住んだ世田谷区西郊の岡本地区。ぶらり散歩で好んで立ち寄った「古民家園」。濃い緑が心を安らげる歴史風致地区。

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*砧公園の外周を一回りし、東名高速道路をまたぐ高架橋を渡って岡本地区へ。
 お!そこに蹲るのはPORSCHE マカンではないか!

 それでもやっとのことで、6月16日になって、近況報告を兼ねて「頚椎症性脊髄症」手術後のリハビリの一環として、ストレッチ体操やランニングマシンに励む様子などを添え、「よくこれまで続けてこられたなあ」という率直な感想を、短くお伝えし、ホッと一息ついたところだ。

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 ところが、ここへきてあることに気がつき始めた。仮にカメラマンの北畠主税君に薦められて『みんカラ・Special Blog』で「つれづれなるままにクルマ一代」の連載を引き受けていなかったなら、それからのわたしの75歳からの日々は、全く異なったものになっていただろう。いや、もっとはっきりいって、心も体も別ものになっていたに違いない‥‥‥と。 
 
 それがなんなのか。その記念日をそれぞれの年から掘り出しながら、改めて確かめてみたくなったのである。

 こんな時、『みんカラ』は便利にできていて、右サイドに用意されている「過去のブログ」の該当年の該当月をクリックしてやればいい。
 まっすぐに最初の記念日に当たる「2012年」の「6月」から、踏査を始めた。2012年06月24日にアップされたもので、こんな一文が目を惹いた。タイトルは「懐かしの“同乗体験企画”」とあった。

         ☆     ☆            ☆

 雑誌メディアに携わって半世紀余……。
 創刊1周年、5周年、10周年……20周年、30周年と、それぞれの節目ごとに、そう謳ってメディアは心を奮い立たせ、あるいは読者・広告対策のイベントとして、アピールしてきたものだ。

 が、残念ながら近ごろのCARメディアの低迷は、恐ろしく速いスピードで進行し、いくつかの関わり深い、それなりの歴史を紡いできたはずのメディアも、あっさり退場させられている。わが「ベストモータリング」も、2011年の4月には消滅してしまった。

 その前後の複雑な心境をバネにして、新しくとりくんだのが、当BLOG『つれづれなるままにクルマ一代』。「ファーストラン」と題して、ブガッティまがいのブリキ自動車のステアリングに、両手を添えてカメラに収まった、ぼくのクルマ坊や時代の古い写真を披露したのがスタートだった。

 それが2011年6月15日。だから今回のエントリーがちょうどスタート1周年記念の回に当たるわけである。

 数えてみると、その間、なんと123回にわたってエントリーしている。つまり3日に1回は、何らかのテーマで「みんカラ」仲間にむかって発信しつづけた計算だ。テーマはその時々で入れ替わっているが、それにしても、それらの日々の交流が、なんとも充実していて、ぼくに新しいエネルギーを回生してくれた。この際にあらためて感謝したい。

      ☆      ☆               ☆

 1年間に、なんと123回ものエントリーしていたのか。改めて、あの頃の高揚感、モチベーションが思い出される。

 実は先日、「みんカラ」をスタートさせてから、全部で何回、エントリーさせているかをチェックしていた。こんな時「Special Blog」の執筆者は便利である。まず「マイページ」を開き、今度は左サイドに用意されている「PVレポート」を呼び出すと3ヶ月前までの「デイリー・アクセス数」が横棒グラフの形で把握できる。そこでさらに最上段に用意されている「トータル」に入っていくと、この8年間の「わたしの仕事」がPV数の多いものから、「タイトル」「登録日」の順に、見事に並んでいるのだ。

 1ページに50項目、ズラリと確認できる。それが9ページも。ただし最後のページが「43」で止まっているから、合計して「443」回も発信してきた、というわけだ。

 あれ!? 当初の勢いは見事に失速して、8年間の平均が55.4回か。ふ、ふ、ふ。週1ペース。でも最近は月刊誌ペースがいいところまで落ちてしまった。いかんなあ。

 続けて、第2回目の「創刊記念日」は? ありましたぞ。ちょっと丁寧に復元してみようか。

       ☆      ☆                ☆

 2013年6月15日。タイトルは《「ファーストラン」からの旅立ち》とあって、サブで《「みんカラBLOG」2回目の誕生記念日に誓う》とフォローする丁寧さだ。
「トータル」を選んでやる。するとBLOGがスタートしてから、どの「タイトル」にどれくらい「アクセス」があったか、一目で判る仕組みになっている。

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*みんカラ歴8周年でのPVランキング、なんといってもがんさんの「汚された英雄
 Partⅲ」が50693で断トツ。

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*1974.6.2 富士スピードウェイのこの未曾有のアクシデントは、まだ語り尽くされていない。

 トップは、最近になって、圧倒的に、2011年8月4日掲載の「汚された英雄・ガンさん」がのし上がってきて、8068をカウントしている。続いて「奇跡の生還/北野元と漆原徳光」が5648、「秘められた中継録画!」5146、「黒澤・北野『筑波バトル』共演秘話」に5053のコンタクトが記録されている。一連の「富士スピードウェイ多重炎上アクシデント」にかかわる記述に、大きな関心をいただいているわけだが、ひところは『ファースト ラン』が独走していた。それが現在は5位におさまっているものの、5015という、遜色のない数字で追従している。

 この『ファストラン』が当BLOGの第1号で、登録日は「2011/06/15 13:13:42」となっている。つまり、誕生した瞬間がその時刻ということだ。

 それから2年の間に、なんと187回の更新をかさねている。およそ。4日に1回の割合で、平均して1ヶ月で3万を超えるアクセス数が記録されている。つまり平均して1日に1000回をこえる「みんカラ」フレンズの訪問がある、という信じられない収穫に、身が震えてならない。みなさん、ありがとう。
さて、改めて『ファースト ラン』をクリックしてみる。


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*ファーストラン

「いきなり、古すぎる写真をひっぱりだして来て恐縮ですが、このクルマに乗った坊やの語りかけて来る声が、聴こえてきませんか」

 という語り出しで、昭和14年(1939)ごろ、なにかの記念に、街の写真スタジオで撮影されたと思われる、ブガッティもどきの「ブリキ製自動車」にのった坊やの紹介からはじまる一節。それが、それから70年の歳月を経て、その「くるま坊や」が、富士スピードウェイのパドックで、レクサスLFAの走行ロケに立ち会っている……という設定で、映像マガジン「ベストモータリング」の最後のロケ現場にからませていく。題して「ラスト ラン」と。


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*ベストモータリングの「ラストラン』

      ☆      ☆                ☆

 こうして「追憶」にハマるのが、最近の悪しき傾向だ。これだから、このところ、何本かの『みんカラ』原稿を書きかけたまま、ああだ、こうだといじり回しているうちに、本人が疲れてしまって、結局はPCに保管されたままになっている。
例えば〈なぜプログレと別れてしまったのか〉の舞台となった’18年のFSW、〈『屋上庭園のある脊椎専門病院』から解放されて〉駆けつけた椿山荘の週刊現代創刊60年記念パーティなど‥‥‥。

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*2018年11月18 日 『FISCO』にてベスも同窓会の若手と。この日、わがプログレとの別れを決めることになる‥‥‥なぜ?

 ま、ここは心の流れるままに、一つ一つに取り組んで仕上げていくしかないかな。と、ここまで書き上げたところで緊急ニュースが入ってきたので、一時中断。FORZA STYLEで進めていた『PORSCE 356で徳大寺有恒の思い出ドライブ』がやっと公開された。

https://forzastyle.com

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 ぜひ、お付き合いあれ。この新しいメディアの荒々しいエネルギー、凄く気に入っています。前ベストカーの編集局長、宇井弘明さんとたっぷり「出演」しておりますので‥‥‥。

 さて、やらなければならないことが、ドーンと襲いかかってきた。ああ、嬉しや。では書きかけの続編と、この件の細かい報告も「次回更新分」にて。

Posted at 2019/06/27 01:12:07 | コメント(6) | トラックバック(0) | 還暦+白秋期の23歳 | 日記
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「3連休中日、富士フレッシュマンレースで青春を燃やした中・老年男の同窓会をFBで速報。今を支えるエネルギー源を確認。そのせいか翌24日のみんカラPVレポート欄の第1位は【還ってきた愛しのEXA】。FBレポート末尾でリンクした8年前のみんカラブログに未読の仲間が訪問してくれたわけか。」
何シテル?   02/25 09:59
1959年、講談社入社。週刊現代創刊メンバーのひとり。1974年、総合誌「月刊現代」編集長就任。1977年、当時の講談社の方針によりジョイント・ベンチャー開...
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