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正岡貞雄のブログ一覧

2024年12月01日 イイね!

2月5日、東京の初雪の朝に……

2月5日、東京の初雪の朝に……「西向く士(サムライ)」……あれ!? 今日で11月は終わって、明日から、もう師走月になるのか!
 やらなければならない、大事なことは山ほどなる。ああ、それなのに。
 その中の一つ。気が付けば、せっかく『みんカラ』のSPECIAL BLOGという自動車関係ライター用の特等席を用意していただいていながら、2011年6月15日に『ファーストラン』というタイトルでデビューして以来の、1年3か月を越える、もっとも長い「無断休筆」をやってしまっているようだ。

それでも140字でまとめる『何シテル?』欄を活用して「生きていますよ」というサインだけは欠かさずに発信していたが、小学校5年(1946年)以来のタイガース贔屓のせいで、毎朝のデイリースポーツ購入のルーチンだけは守っていたのに、セ・リーグのワイルドカード・ファーストステージでDeNAに敗れたのが引き金になったのだろうか、それすらも疎かにする日々を送っている。

実は2024年の2月にはすでに『米寿』という人生の峠、いや終着駅に到達していたにもかかわらず、遅ればせながら『白内障』の手術を受けることにした。それを契機にして、明らかに「それからの与えられた日々」が、再び、間違いなく手ごたえのあるものになりつつある。そのことを、わが『みんカラ仲間』に報告させてほしい。
*  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *
《プロローグ》
東京23区の西北域が2024年度の初雪をやっと迎えた朝、降りしきる雨まじりの雪と、滑りやすい足元を気にしながら、普段なら5分ばかりの駅前眼科医院まで、傘をさし,10分ほどを費やして足を運び、白内障の切開手術を受けたのが弾きがねとなって、思いもかけない新しい日々を引寄せることになった。
まず、そのいきさつから説明すると……。
 
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■2月5日、東京の朝の初雪。わたしの部屋から駅へ向かう人達を・・・ 

 2月5日午前8時50分の予約で、腕がいいと近隣で評判の院長が、わが病める眼球にメスを入れることになっていた。2週間前の予診で、いつもの柔和な物言いとは違って、威厳に満ちた口調で突っ込んできた。
「2年前にこの白内障はすぐに手術しましょう、といったはず。それをこんなに放置して症状を進行させてしまうとは! で、どうして今になって、手術を受ける気になったのですか?」
「おっしゃる通りでした。あの頃はそれほど視力に問題を感じていなかったのですが、先頃、作家の五木寛之さんが『流されゆく日々』という、1万回を超えてギネス記録を更新中の夕刊紙連載エッセイのなかで、ご存じでしょうが、深作秀春とおっしゃる白内障、緑内障の近代的手術を開発した著名な眼科外科医が、『週刊新潮』の〈60年という眼球革命を延ばす新常識〉という記事のなかで、認知症のように思われていた患者さんが、白内障の手術によって見違えるほど明るく活気が蘇ったエピソードなどに注目、それこそ目からウロコの感じ、と納得されていた。わたしも、あ、これだと思って……認知症の予防にも関わりがあるという点からも……」

「そうですか。わかりました。視力も左右とも相当、落ちているけど、今ならまだ間に合うでしょう。やってみましょう」
最後はいつもの柔和な声に戻って、テキパキと2週間後の段取りを説明しはじめた。要約すると……白内障の手術は右眼から始め、手術後の様子を見ながら2週間後に左目を、と。
「手術は痛くありませんよ。手術時間は白内障の程度によりますが、通常、30分程度です」

 後になって調べたところ、この手術法は『超音波乳化吸入法』と呼ばれ、3ミリほどの切開傷から超音波の力で水晶体の濁った中身だけを吸い出し、濁った薄い膜(水晶体嚢)のなかに水晶体の屈折力を補正するための眼内レンズが挿入されるという(日本眼科医会広報資料より)。

 受付を済ませ待機すること10分。名前を呼ばれて施術に備えての裸眼視力検査。なんと利き目の左が0.3と確認された。これでは「神の手」に頼るしかない。スマホの文字を老眼鏡無しで読めるはずがなかった。
 一呼吸を入れる感じで、一旦、待合室で待機したあと、今度は暗幕を張りめぐらせた手術室へ。それから30分が律儀に過ぎて……。右目を中心に顔半分を守ってくれるような大ぶりな眼帯が施されていた。

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■最初は右目から、2度目が左目。新しい日がやって来る。

「はい、終わりました。消毒の目薬だけは指定通りに守って、明日、経過を見ます。眼帯はその時に外しましょう……2週間後に左目をやります。お大事に」
 院長の指示に送り出されて、小雪の降りしきるなかを、帰路へ。そして眼帯をしたまま、翌日を待った。
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■米樹の祝いにこちらのニットを。

Posted at 2024/12/01 11:41:02 | コメント(4) | トラックバック(0) | 玄冬期を楽しむ | 日記
2024年09月11日 イイね!

【祝20周年:みんカラでの思い出】


https://minkara.carview.co.jp/event/2024/20th
Posted at 2024/12/07 13:54:01 | コメント(0) | トラックバック(0)
2023年08月23日 イイね!

『CARTOP』が創ったPORSCHE 911のMOOK本

『CARTOP』が創ったPORSCHE 911のMOOK本〜1年2ヶ月の「ご無沙汰」から再出発します〜

惰眠(だみん)をむさぼりつづける日々から、やっと抜け出せるきっかけがやって来たらしい。8月19日のことである。

エンゼルスの大谷翔平君がレイズとの一戦、2回裏に驚愕の43号・満塁ホームランをぶっ放した昂奮で大騒ぎしている最中だった。ピンポ〜ンとアラームが鳴り、佐川急便が平べったい菓子箱もどきの宅配便を届けてくれた。

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ズシリと手に来るその重みが半端じゃない。受け取りの判コを捺しながら、何だろう? もうお中元の季節は終わったのに・・・首をかしげて送り主を確かめた。
☆   ☆    ☆    ☆    ☆     
 そんな気取った書き出しで、久しぶりに『みんカラブログ』に取り組んでいる。正確には2022年6月4日以来だから、1年2ヶ月以上のご無沙汰になる。申し訳ない。なぜ、休筆していたのか? そのいいわけは改めてのこととして、まずは本題へ。

「ベストカー」の競合誌「カートップ」の発行元、「交通タイムス社」からのものだった。ほう、もうできあがったのか。早速、浮き浮きと箱の中身を確かめた。真っ白い表紙、写真集によくある大ぶりなサイズ。タイトルがドカンと中央に。THE PORSCHE 911 60th Anniversary。革新と保守の60年ストーリー。そのタイトルの下に純白の「GT3 RS」と「Carrera」の2台があしらわれている。お洒落! 一瞬、CG誌かと思ったが、それは国産車中心の「カートップ」が新しく取り組んだ「外国車シリーズ」路線のMOOK第1弾であった。定価は本体が2000円。それが2冊も届けられてきた。
 
 発売は8月21日と聞いていた。その前に届くように、という編集責任者の気配りに感謝しながら、ポルシェ関連の広告を眺め終えてから、ひとまず、目次の役目をもった『CONTENTS』ページを開く・・・。

 まずは「Cover Story」が目を惹く。比類なき血統、と題して50年前にデビューした911カレラRS 2.7が後継する2023 911 GT3 RSとのランデブーラン。アタック・ステージはニュルブルクリンクか。ガードレール手前に見える赤と白の縁石がそう思わせる。が、フロントのナンバー隠しにはどちらも「#PECTOKYO」のプレートが装着されている。その謎に応えてくれるページもちゃんと用意してあった。ニュルTESTアタッカーのひとり、木下隆之さんがこうレポートしていた。題して、『PORSCHE EXPERIENCE CENTER』=攻略した後に達成感が残る特別なサーキット。

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このハンドリングトラックはずっと前から走って見たいと思っていた、と前置きして、「ホンダが北海道に造った鷹栖プルービンググランドと日産が所有する北海道・陸別プルービンググランドはニュルブルクリンクのエッセンスを取り入れている。だが、その他の多くからは過激さは感じられなかった。
今回のPEC東京は、興味深いことにニュルの最大難所を模したコーナーがある。実際には逆回りだが、傾斜の厳しいバンクに飛び込んでいく感覚は「カルーセル」に酷似しているし、米国カリフォルニア州ラグナセカの名物コーナー「コークスクリュー」を模した、滝壺に飛び込むような急な下りがあるかと思えば、空を仰ぐような急な登りがある。
全周2.1kmだから、コースは長いとはいえない。だが、高低差は激しい。
「ここを攻略するには荷重変化に対して反応できるだけのドライビングの幅が要求される。その意味でもドライビングスキルを磨くには適しているかもしれない」
 これが木下隆之さんの締めくくりである。因みに「ポルシェ・エクスペリエンスセンター東京」は千葉県木更津市伊豆島中ノ台にあり、東京湾アクアラインと館山自動車道の交差する木更津北ICから車で10分の丘陵地にある。

 編集の現場から離れて20年。それでもこうした新しい『走りのステージ』ができたと知ると、すぐに覗いてみたくなる。困ったものですぞ。

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 さて、次のページを開くと、舞台は箱根のターンパイクに移り、「1986 911 Carrera Cabriolet Motor Journalist」の項となる。ターンパイクの金魚コーナーに駐めた911カレラ カブリオレは、かつて徳大寺有恒さんが所有し、慈しんだマシンで、それにまつわるエピソードを、わたしが執筆することになったのは、なぜか。次回、報告させていただこう。
Posted at 2023/08/23 02:12:37 | コメント(6) | トラックバック(0) | 玄冬期を楽しむ | 日記
2022年06月04日 イイね!

R O S S O(赤)の奇跡

R O S S O(赤)の奇跡アルファ•ロメオ•ジュリエッタ•スパイダーの
味見試乗も夢じゃない!

《「雨の日には車をみがいて」の車たち》も6月3日に公開した今回が4台目である。当欄では「第3球」目となった。早速、その「第3球目」をじっくりご賞味いただきたい。イタリア車の魔力、登場するマドンナの熱狂と官能に囚われながら、物語は熱く沸騰する。まずは『幻冬舎PLUS』の連載第4回からどうぞ。


アルファ・ロメオ、月と熱狂と官能と ◉タイトルをどうぞクリック



 主役の初代アルファ・ロメオ・ジュリエッタ ・スパイダーは、スポーツメーカー一辺倒だったアルファ・ロメオが第2次世界大戦の終熄後は、世界の潮流に先んじてそのスタンスを180度転換し、開発した小型モデルで、いわばお宝クルマ。
ベルトーネの当時のチーフスタイリスト、フランコ・スカリオーネがデザインした2ドアクーペをベースに、ピニンファリーナがオープンボディのスパイダーをデザインしたもの。排気量は1.3 ℓと小型車ながらも160km/hの最高時速をマーク、当時としては異例ともいえる性能の高さを見せつけた。その上、コンパクトで使い勝手のよさから、ファミリーカーとしても評価され、ジュリエッタの名前は瞬く間に広がった。ある時期のH O N D A車を連想してしまう。

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*「はじめて見るジュリエッタ ・スパイダーは。信じられないほど優雅で、軽快で、そしてしなやかだった。アルファ・ロメオ独特の盾(たて)のグリルを、やや傾斜してとりつけたジュリエッタ は、二人の乗り手だけのための本物のスポーツカーだった」
(「雨の日には車をみがいて」幻冬舎刊より)

 さて、その初代ジュリエッタ・スパイダーが誕生してから70年が近い。この幻の名車のお仲間入りをしてしまったジュリエッタ ・スパイダーの生(なま)で走る姿に逢えないものか、いろいろと手を尽くしてみた。

かつては目黒通りが環八にぶつかる手前で、イタリアンファッションとイタリア車の専門店で鳴らした『伊太利屋』は有明に本拠を移しており、残念ながらクラシック・ジュリエッタ は在庫していない。
東京タワーの真下で、ポルシェを中心に欧州メーカーのビンテージものを熱心に扱っている「オートダイレクト」もジュリエッタ は時々お客さんが持ち込んでくれる程度なので、と積極的な対応は頂けなかった。


やむをえない。網を投げる範囲を広げる。広島でジュリエッタのスパイダーはもとより、そのワンランク上のスプリントも扱っているカーショップがある、という情報を得た。そのワールドモータース・グループに、すぐに電話を入れる。担当者の声が頼もしかった。彼が直接ローマ市内の現地に赴いて直接に貴族の流れを汲むオーナーから入手したものだという。
「そのジュリエッタ スパイダーは、1961年製で、3オーナー車です。1971年に2代目オーナーがこの車を所有した際にフルレストアを施して以降、屋内ガレージ(納屋)に毛布に包んで保管し、晴天の週末のみ使用していたとのこと。今のオーナーは2代目オーナーのお嬢さんで、父娘2代で長年大切にされてきたこの個体は、非常にオリジナル性の高い1台と言えます。いやあ、くるまれた毛布の中からあの鮮やかな赤のボディが出てきた時には感激しました。人と車に歴史の詰まった貴重な1台でしたね」
もちろん、すぐに東京在住の買い手がついて、撮影と試乗ができるかどうか、連絡が取れるだろうとのこと。
翌日、連絡を入れると、ご本人がナロー・ポルシェ(第1世代の911)に乗り替えることになって、ジュリエッタは残念ながら手放していたとのこと。

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*ローマから届けられたジュリエッタ 。あなたに逢える日があるのか。

それでも「ジュリエッタ ・スパイダー」を記録した画像の提供を受け、その魅惑の姿態をなんとか紹介するところまでは漕ぎつけた。

 ま、今回は此処までで、「よし」としよう。そう得心して、6月3日の朝、午前8時の公開タイムに備えて、当みんカラページの「マイページ」を開いて目を疑った。前夜からこの朝にかけて投稿されたブログの告知記事一覧。そのど真ん中に、真紅のボディカラーのオープンカーの姿が収まっている!
「まさか、ジュリエッタ ・スパイダー?」
 やや前傾してフロントノーズに取り付けられた盾のグリルは、間違いなくアルファロメオ・ジュリエッタのものだ。

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*スタートするロッソF氏夫妻の「ジュリア・スパイダー・ベローチェ」

 心を押し鎮め、その告知記事をクリックし、改めて投稿ブログを開いて、検証作業をしはじめた。投稿者は‥‥‥ん??。まさか、「ベストモータリング同窓会」メンバーでフェラーリ・オーナーの「ロッソF」氏かい? それならビックな発見になる。その彼だとしたら、ありがたい。彼とは6年前の「第5回ベストモータリング同窓会」の代官山TSUTAYA講演会と、河口湖・富士カームミーティングで二日続けてご一緒している。

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*クラシックカー・ラリーの観客に手を振ってこたえる「ロッソF」夫妻

 ブログページの上段を飾るフェラーリ355G T Sのパレード、間違いなく「ロッソF」氏のものだ。中身は5月28日に軽井沢で3年ぶりに開催されたクラシックカーラリーの参加レポートで、なんと世界でたった1台のビッザリーニディーノ、注目度NO.1のミウラまで参加したことを伝えている。そしているわ、いるわ。ジュリエッタ ・スパイダーの仲間もお互いの交歓を楽しむ様子が・・・。これは大変な宝の山だ。「ロッソF」氏に早速「メッセージ」を送った。こちらの今の状況を説明し、携帯スマフォに連絡が欲しい、と。

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*6年前の「ベスモ同窓会」の全員集合。おお「ロッソF」さんも笑顔で。

 すぐに返信のメッセージが届いた。こちらからのコメントを読んで「驚きました。すごいタイミングですね」と。そして、近く時間を作って、彼の「ジュリア・スパイダー・ベローチェ」に試乗して欲しい、と。

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*おお!なんと向かって左のジュリエッタ ・スパイダーこそ、あのローマからの?
いや、これは夢だろう。でもボンネットのラインは間違いなく!右がロッソF氏の愛車。

 ロッソF氏愛車の正式名は「アルファロメオ ジュリア スパイダー ベローチェ。1965年式ジュリエッタ系(101)の最終バージョン」で、生産台数1061台のスペシャルモデルだという。

 これぞROSSO(赤)の奇跡か。イタリアの車は赤がよく似合う。それもそのはず、かつて国際自動車連盟によって1900年頃、国別に車両の塗装色が指定されたのが始まりで、イタリアが割り当てられたのが「赤」で、アルファロメオやマセラティが赤色のマシンを製造して参戦し、それが「ナショナルカラー」とされるようになった。フランスは「ブルー」、イギリスは「グリーン」。

 できるだけ早い機会にこの小柄な「ROSSO」スパイダーの味見試乗記をお届けしたい。実は他にも仕上げたいテーマもあって、結構、時間に追われる毎日である。 題して『それからの義経』。義経は生きていた。頼朝から逃れて、弁慶とともに北へ・・・。彼の北行伝説を偲んで、そのルートに残されている言い伝えが道案内風に点々と青森・竜飛岬まで繋がっていたのを、20年前にルポしているが、今はどうなのか。9,11の東北大震災によって、一部が壊滅したと聴くが・・・。


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(NHK連続ドラマ=「鎌倉殿の13人」から)

 NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』は三谷幸喜のシナリオが新鮮で、気に入っている。中でも「菅田義経」がいい。その彼はもう「回想」の肩書きでしか登場しない。でもその「菅田義経」が実は北へ・・・。6月の暑い盛りに、たとえ酒漬けで腐敗を防いで、と届けられた義経の首は身代わりのものだった、なんて声も聞こえてくる。大泉洋の頼朝が首桶を抱いて号泣するシーン、あれも印象的だった。





Posted at 2022/06/04 03:12:58 | コメント(3) | トラックバック(0) | 還暦+玄冬期の26歳 | 日記
2022年05月14日 イイね!

「新人ライター」渾身の第2球!!

「新人ライター」渾身の第2球!!〜サーブのあとはVOLVO122S、シムカ1000が登場〜

2月半ばの1本の電話から、眠ったような毎日に「喝」が入った。幻冬舎専務の石原正康さんからの「しばらくでした」という挨拶から始まった執筆依頼である。

われらの「風の仲間」の盟主・五木寛之さんのベストセラー作品『雨の日には車をみがいて』(角川書店刊)が33年ぶりに、往時、月刊カドカワの担当編集者だった見城誠、石原正康さんらが興した幻冬舎から改装復刊され、それの「後援活動」として、その作品に登場する9台の車たちの「素性」を紹介してくれ、というのである。

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*創業当時の幻冬舎、見城誠社長、石原専務と。多分、五木さんを迎えての同社主催の忘年会だったろうか。向かって左端に小生も。


「平成」が「令和」と移っていく時期に、頸椎の切開手術を受け、ひたすら近くの区営スポーツジムで30分間のランニングマシンで足腰を鍛え、30分間のストレッチ体操で股関節の衰えを復活させることに専念していた「1936年生まれ」に、果たして対応出来る注文だったろうか。
みんカラ《手術に踏み切った理由》(クリック)を参照あれ。


3月3日にその第1回=『ドライブ・マイ・カー』とサーブ』が公開され、つづけて3月24日に『ボルボ122S・アマゾンとの幻の再会』、5月10 日に第3回の『人生の苦さと喜び、たそがれ色のシムカ』がウェブマガジン『幻冬舎plus』(こちらをクリック)。から公開されたばかりだ。



 第1回の「サーブ」については、車雑誌関係の僚友・飯嶋洋治さんから感想をいただいた。

☆     ☆     ☆     ☆

今朝、白樺のエンブレムを読み直し、改めてあなたの記事を拝読いたしました。
白樺のエンブレム執筆のバックグラウンドが良くわかり興味深いものがありました。
五木さんから徳大寺さんへのメッセージや報告会のやりとりなど、雨の日には…をこれから読む人や、すでに読んでいる人にも奥行きを加える記事なのかなと思いました。
個人的には正あなたのサーブ900ターボのロングランのくだりを詳しく読んでみたいように思いました。

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*試乗会で飯嶋氏と。

考えてみれば、あの小説が書かれた時代はバブルの初期で北欧のサーブやボルボは、BMWやアウディなどに比べると大分地味な感じがあったのを思い出しました。
五木さんは、そんな時代背景を敏感に察知して、あの小説を書いたのだということを再確認させられました。まさか当時はサーブが無くなるとかボルボが中国メーカー傘下になるとは想像できませんでした。

蛇足的な感じですが、五木さんはスポーツカー好きだけでなく、サーブ96やボルボアマゾン、シムカ1000など、けっこう大衆的というかカッコ良くない車への愛着も大きいようですね。私もあまりスマート過ぎるより、ちょっと不格好でもどこか惹かれることがあるクルマを好きになることが多いので、どこか共感できます。

さらに蛇足ですが、シムカ1000は、雨の日…のたそがれ色のシムカと、ユニコーンの旅に納められた、夜の世界と私の知る限りでは2度異なった設定で出てくるので、かなり思い入れがあったのでしょうか?
ユニコーン…ではプラハの春遠くなどを読むとウクライナ情勢なども重ね合わせてしまいます。

この辺も含めて、連載を興味深く拝読させていただきます。
ドライブ・マイ・カーはまだ未読、未視聴なのでこれを機に見てみたいと思います。                        飯嶋洋治


 この応援エールはジーンと心と体に、熱く滲みた。そのせいもあってか、各回の執筆に当たって、足取りも軽く、あちこち、取材に足を運んでいる。限られたスペースなので大胆にカットした話も多い。例えばアマゾン122Sのモデルとなった女優Kの話とか、シムカ1000の舞台となった「日本のカルチェラタン」駿河台界隈を、いま歩いてみてのレポートとか。

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*ニコライ堂
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*アテネフランセ

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*シムカ1000

 さらに付け加えれば、」第3回「たそがれ色のシムカ」の書き出しは、こんな話から始めてみたが、読み手にもっと軽い気持ちで入ってもらいたい、という想いから、あえてカットしたが、もったいないので、当欄で収録しておきたい。
☆     ☆     ☆     ☆
 世界の名車シリーズの手はじめとして『メルセデスの伝説』を1985年に刊行し、一息ついた五木寛之は、次にとりくむ幻の超高級乗用車イスパノスイザ(スイス人技師を招いてスペイン・バルセロナで創業)のエンジン音を、二玄社から出ている名車シリーズのLPで聴きながら、その華麗なサウンドに浸っていた。登場人物も、フランコ将軍、ムッソリーニ、ヒトラー、スターリン、久生十蘭、横光利一、ピカソ、その他もろもろの実在の人物が頭の中に渦巻いて、そのからまりあった糸をときほぐすことに熱中していた。

 当時、ベストーカーに5年間にわたって連載した『疾れ!逆ハンぐれん隊』を舞台に、折にふれ《I T S U K I’S V O I C E》というパーソナル・コラムを特設し、作者としての動静とか、その折々の車への想いを漏らしていた。
「その上に、《月刊カドカワ》という小説誌で、連作小説『雨の日には車をみがいて』というシリーズの連載がスタートした。第一話は〈たそがれ色のシムカ〉。
一九六〇年代のなかばに舞台を設定して主人公の車遍歴と恋の思い出を回想する物語である。ちょうどビートルズが武道館にやってきて、スパイダーズの《夕日が泣いている》が流行したエレキ・ブームの時代だ。
すでに二十年も昔のことだが、当時はまだいすゞの117クーペさえ市場には出ていなかったことをなつかしく思い出す」(1986年7月10日号所載)

残念ながら、いまだに《イスパノ・スイザの伝説》が書き上がった気配はない。しかし『雨の日……』の方は1988年夏に角川書店刊で単行本化され、さらに32年近くが経って、今度は幻冬舎からの改訂新装版が手元に届けられたわけだ。
  ――――――――――――――――――――――――――――
 それらを紹介していくつもりで「新人ライター 渾身の第2球」と大袈裟なタイトルを用意した。次回からはその辺を、じっくり掘ってみたいという「予告」と受けとっていただければ、ありがたいのだが・・・。
Posted at 2022/05/14 08:19:47 | コメント(1) | トラックバック(0) | 還暦+玄冬期の26歳 | 日記
スペシャルブログ 自動車評論家&著名人の本音

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1959年、講談社入社。週刊現代創刊メンバーのひとり。1974年、総合誌「月刊現代」編集長就任。1977年、当時の講談社の方針によりジョイント・ベンチャー開...
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