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正岡貞雄のブログ一覧

2020年12月23日 イイね!

柚子湯に心も温まった師走の午前2時

柚子湯に心も温まった師走の午前2時〜「9年で花咲く」男たちからの贈り物〜

 妙に身体がホカホカして目が覚めた。時計を見ると午前2時。もちろん窓の外は真っ暗だ。どうしたのかな?
 おお、そうか! いまは夜が一年で最も長い「冬至」の真ッ只中だった。「冬至」には健康を願って、南瓜をいただき、柚子湯に浸かる。その古くからの慣わしを、家人が忠実に守ってくれて来た。

 12月21日の午後5時、いささか早めの夕餉の食卓には、さりげなく南瓜の煮物が盛られていた。南瓜は「ナンキン」とも呼ばれ「ン(運)気」を運ぶと重宝されて来た。メインはイベリコ豚のしゃぶしゃぶだった。箸を運ばせながらの会話‥‥‥。
「これから明るい時間が、一日、一日、長くなっていくのね」
「ああ、コロナ禍の方も一歩、一歩、抑えられていくといいね」
「柚子湯も用意してますよ」
「お、嬉しいね。桃、栗三年‥‥‥その続きは?」
「柿、八年」
「その続きは?」
「知らない」
「柚子は九年で花が咲く‥‥‥」
「へえ、そうなの。じゃあ柚子が実るのはもっともっと先ね」

 そんなやりとりがあって、午後9時過ぎには熱めに用意された「柚子湯」に浸かった。コロナ厄禍に揺さぶられ続けた2020年もあと10日か。なんともほどよいお湯加減に、気のせいか柚子の香りがさりげなく染み込んでいて、蕩然としてしまう。その蕩然とした気分が、午前2時に突然、復元されたのだ。なぜだろう?

 どうやら、柚子湯に浸かりながら「柚子は九年で花が咲く」の続きを己れに語りかけていて、その余韻を引きずったままベッドに入ったためらしい。
「柚子は九年で花が咲く」には続きがあった。「柚子の大馬鹿十八年」とも言われる。柚子は、九年をかけてやっと花を咲かせ、さらに同じ九年をかけてやっと実を稔らせる、その見事な「大馬鹿」ぶりを言い当てているのだ。
それで気がついた。わたしが請われて『みんカラ』ブログを始めたのが2011年6月15日。『ファストラン』と題して、おそらく3〜4歳ごろのわたしが故郷・北九州八幡の写真館で撮った、ブガッティもどきのブリキ製スポーツカーのステアリングに手を添えて姿を披露している。
よろしければ、こちらへどうぞ。

『ファーストラン』(クリック)


 それからなんと、九年半か。まだ花が咲き終わったとは言えないまでも、『つれづれなるままにクルマ一代』を通して多くのお仲間と触れ合うことができた。だからこのところ、発信回数の落ちて来たのを申し訳なく、己れに鞭を当てようとするのだが、もう一つ「弾(はじ」けてくる」ものがない。

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*『元気の出る対談』5人目のゲストはグレートサスケさん。

 そんな折、『釣りキチ三平』に矢口高雄さんの訃報が届けられた。11月20日に膵臓癌で逝かれていて、公けになったのは23日であった。1週間後、師走月の初日、やっとご焼香に伺える日が来て、自由ケ丘のお宅へ向かうことになった。
東京の北西郊外にある西武池袋線富士見台駅から、東横線自由ヶ丘駅には、近年、乗り換えなしに1時間足らず、一本で繋がれている。つまり西武秩父駅からでも、横浜元町・中華街駅までが、練馬駅からは東京メトロ副都心線をちょいと拝借して東急東横線に合流することで、2時間20分で移動できる時代となっていた。

 それならば車中、本が読める。しかし小説は駄目だ。夢中になって、何度も電車を乗り過ごした苦い記憶があるからだ。
何故だか、一度は読み終えているはずの葉室麟さんの随筆集『柚子は九年で』(文春文庫)を選び出していた。


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 昼下がりの車中はゆったりと座席に腰を落とし、「葉室麟の世界」に浸ることができた。葉室さんは2001年、50歳になった時、「このままでいいのだろうか」と思い直して、若い頃に抱いた作家になる夢に挑むべく、西日本新聞社記者の職を離れた。出身は松本清張さんを生んだ北九州市小倉。つまりわたしと同郷。2006年、佐賀鍋島藩の支藩を舞台に「もののふ」の純心・純愛を問うた作品「いのちなりけり」で初めて直木賞の候補に選ばれる。わたしも親交のあった五味康祐さんの再来か、と注目したが、それからの直木賞受賞までの道のりは厳しかった。

 その辺の様子と心情を書き留めたエッセイが『柚子は九年で』に収められていた。何度も直木賞候補に推されながら、その度に決まった選考委員に強烈にダメを押される苦痛との闘い。その分、葉室さんの心がどんどん豊穣になっていく。文壇デビューから10年目。後に役所広司主演で映画化された『蜩ノ記』で第146回直木賞を受賞する。気がつけば柚子よりも花が咲くのは一年遅れた、と葉室さんは清々したその想いを‥‥‥共感しているうちに、自由ヶ丘駅に着いた。

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 東急東横線自由ヶ丘駅に降り立ったのは何年ぶりだろう。ロータリーのエンジェルとハートマークのイルミネーション。陽が落ちればさぞかしロマンチックな出迎えになってくれるだろうが、午後1時半ではお洒落なこの街も雑踏の中。歩いて10分あまり、狂いなく矢口高雄邸に到着する。(このくだりだけは12月1日の《何シテル?》欄に記述済み)。

 矢口夫人と次女のカオルさんにご挨拶を済ませてから、矢口さんの位牌と遺影に向きあった。遺影は矢口さんのお好みだった、シルエットのような横顔であった。ついつい見入ってしまう。

 2003年から2年半。月2回刊行『釣りキチ三平CLASSIC』の連載企画『矢口高雄の元気の出る対談』の構成作家を引き受けて以来、何度、この矢口邸にお邪魔したことか。

 その折々の思い出話に花が咲く。そんな中で、対談をお願いした28人の話題で盛り上がる。素晴らしき仲間たちばかりで、特に同じ秋田出身の藤あや子さん(角館町)と目黒雅叙園で待ち合わせた日などは、朝から緊張の連続で、まるで三平少年に変身したようで、と矢口夫人も笑う。

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 それにしても、とかねがね残念に思っていたことを伝えることにした。
 矢口さんの好きだった井上陽水をどうしても引っ張り出せなかったこと。スケジュールがどうしても調整できなかったなかにし礼、楽天の三木谷浩史社長、ファッションデザイナーの山本寛斎。このメンバーもくわえることができていたなら‥‥‥。

 矢口邸を辞す時、矢口夫人からそっと渡されたものがある。
『矢口高雄オリジナルカレンダー2021』

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 最後のカレンダーだな。大事にめくらせていただこう。そうか。柚子湯をいただいた夜のホカホカ感は、矢口邸弔問の前後の記憶の火照りだったのか。

 2020年も残すところ、あと8日か。年賀状の表書きはまだ手付かずだ。「次号更新まで」も、いくつか、そのままだ。年末恒例の『箱根ガンさん邸の餅つき大会』も残念ながらお流れとなってしまった。心を鎮めて、ジタバタしないで、行く年、来る年を待つとするか。

 そうだ。書き漏らしたことがある。直木賞作家・葉室麟さんは2017年12月23日、半年余の闘病の末、帰らぬ人となった。66歳だった。そうか。当稿UPのこの日が御命日に当たるのか。手元に葉室さん最後の長編歴史小説『星と龍』がある。

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「夢に生き、夢に死のうとも、“正義”だけは失わぬ。
 不世出の猛将かつ知将・楠木正成を描いた未完の傑作。(帯より)

 1行、1行、己れの夢と祈りを紡ぐようにして描き続けたこの葉室作品。じっくり取り組ませていただこう。
Posted at 2020/12/23 18:05:04 | コメント(2) | トラックバック(0) | 還暦+白秋期の24歳 | 日記
2020年12月01日 イイね!

動画付き①親孝行ベスモ組vs,#16極悪シミちゃんPB号

動画付き①親孝行ベスモ組vs,#16極悪シミちゃんPB号〜メディア対抗筑波4耐第2回ガチンコバトル実録公開〜

最初の20秒は我慢して欲しい。何しろ本編集用に用意した私用のVTRテープを、あの新婚「えむしい34」君がやっと動画用に変換してくれた「作品」だ。実際には1991年3月号のベスモ本編に10分のコーナーとして仕上げたものだが、見方によってはまるで「親孝行辺須紋組ロードスター」チームのピットクルーになった気分でご覧いただける内容かもしれない。

 大井貴之、田部靖彦の両君の素顔まる見えだし、あの極悪シミちゃんもいい味を出してくれている。ピットウォークでは懐かしい勇者も登場。

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 まあ、いろいろと説明するより、実物をどうぞ。何しろ1時間37分の長尺。完走しなくて結構。ともかくチャレンジあれ。意外と‥‥‥。






Posted at 2020/12/01 21:13:09 | コメント(2) | トラックバック(0) | サーッキトに生きる | 日記
2020年11月29日 イイね!

追悼! 矢口高雄という『元気な星』との別れ

追悼! 矢口高雄という『元気な星』との別れ〜本物の「雪深い秋田の農家育ちの少年」ここにあり!〜
 
 11月26日朝の「矢口高雄さん死去 釣りキチ三平」(朝日新聞)の訃報は背後からガーンと不意打ちされた感じだった。まさかあれほどお元気だった矢口さんがこの20日、膵臓癌で逝かれていたとは!

 この2年ほど、ご無沙汰していた己れが迂闊だった。81歳だった。葬儀は親族で行った。秋田県の横手市増田漫画美術館によると、後日、「偲ぶ会」を予定している。

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 そして『朝日』は丁寧に故人の経歴や業績をフォローしてくれる。
ーー秋田県西成瀬村(現横手市増田町)に生まれた。増田高校を卒業後、地元の羽後銀行(現北都銀行)に12年間勤務したが、漫画家への夢をあきらめきれず、30歳で退職し単身上京。『週刊少年サンデー』(小学館)に掲載された「鮎」で漫画家としてプロデビューした。
 73年には「釣りキチ三平」「幻の怪蛇バチヘビ」を発表し、釣りブームやツチノコブームを巻き起こした。同作品は講談社出版文化賞(児童まんが部門)を受賞、76年には「マタギ」で日本漫画家協会大賞を受賞した。奥羽山脈に山間部で生まれ育った原体験を元に、自然と人間との関わりをテーマにした作品を描き続けた。

「朝日」の矢口さんへの哀悼の想いは、さらに翌27日の『天声人語』にバトンタッチされていた。

 まず、矢口さんの漫画家デビューまでの苦しい道のりを、改めてなぞったところで▶︎中学卒業時、東京のブラシ工場への集団就職が内定したが、恩師が両親を説得してくれて高校へ。卒業して地元の銀行に職を得る▶︎辞表を出して30歳の春。幼い娘が2人いた。周囲の反対を押し切って上京、多摩川に近い部屋を借りて(正岡註:目蒲線矢口渡駅。ペンネームの由来)描き始めたが、不安は尽きない。「妻子を養えるだろうか」「銀行に残ればよかった」。毛布にくるまって泣いたという▶︎訃報に接し、代表作『釣りキチ三平』を四十数年ぶりに読み直した。天衣無縫の少年が世界の川や海に挑む。さおのしなり、きらめく水面。どの絵にも心が通い、少しも古びていない‥‥‥こう「天声人語」氏は書き継いだ。
 そして転調する▶︎「どんどん道草を食おう」「寄り道をしよう」。講演ではそう語りかけた。自身、学校帰りに虫を採り、野の草や実をかじった経験が財産になったという。「すぐに漫画家にならず、銀行に勤めたのもよかった」とも語った▶︎「雪深い秋田の農家に生まれ」。永田町あたりでそんな名乗りを聞いたばかりだが、矢口さんも正真証明のその一人。ボツや挫折、不安をすべて肥やしにして、50年に及ぶ画業を豊かに結実させた。

 この心に染みる矢口さんへの「贈る言葉」。身体中がポカポカして来た。そしてわたしも動いた。確か、折に触れ、矢口高雄さんからいただいた「色紙」を本棚や、陶器や食器類を並べたリビングの棚から、取り出すことにした。

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 おお、ありました。2004年は申(さる)年だったのだろう。猿が目を剥き口元はギュッと噛みしめ、生きて行くことへの『闘志』を伝える『不言』の文字が添えてあった。もう一枚は、わざわざわたしの姓名を書き記し、三平君が今にも竿を撓らせながら釣り針を海に放つ瞬間を捉えた、ダイナミックな筆遣いのものである。おお、そうだった。矢口さんと関わった濃縮な日々の記憶が蘇って来た。

 2003年の春、67歳になったわたしは「ベストモータリング」を発行する講談社の関連会社「2&4モータリング社」から解放されて、自由になったらぜひやってみるつもりだった「正岡一族 ルーツ探しの旅」に取り組み、四国・愛媛県の山間部に通い、さらに「源義経・北行伝説」の足跡をプリウスを駆って追い、青森県竜飛岬までに足を伸ばすなど、結構、賑やかな日々を楽しんでいた。。

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*正岡氏最後の主城・豊臣秀吉四国征伐により落城

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*平泉義経堂の義経像

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*津軽半島三厩の義経渡海伝承の碑とプリウス




 そこへ講談社時代、野球部で本来はサードを守るわたしが、ピンチの時だけリリーフで登板して投げる「魔球」シンカーを、苦もなく受けてくれた川鍋捷夫捕手がわたしを訪ねて来た。「ヤングマガジン」で「頭文字(イニシャル)D」を立ち上げ、そのころは「少年マガジン」の担当部長となっていた。

「今度、矢口高雄さんの『釣りキチ三平』平成版CLASSICを月2回刊で創刊するんだけど、そこで『元気の出る対談』というのをやりたいんだけど知恵を貸してくれないか」
「恐ろしく誘惑的な企画じゃないか。例えば、いまパリダカールラリーで一躍勇名を馳せた増岡浩君なんてどうだ!?」
「ああ、いいね、それ。じゃあその次にヤックンこと、薬丸裕英にしたいね」

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*矢口高雄HPより

 話はトントン進んで、早速、構成作家として自由が丘の矢口高雄邸で打ち合わせをすることになった。それから3年に近い日々を、通算28人のゲストを迎え、矢口さんと共有することになるのだが、さらにロシア領のカムチャッカにまで足をのばすことになるなど、思いも及ばない豊かな果実を持つ日々が訪れる‥‥‥。                         (この項、つづく)
Posted at 2020/11/29 21:03:26 | コメント(3) | トラックバック(0) | この人に逢いたい | 日記
2020年11月16日 イイね!

メディア対抗ロードスター《お目見え戰》の真実を追う

メディア対抗ロードスター《お目見え戰》の真実を追う〜お待たせしました。幻の動画をどうぞ!〜

 いそいそと夜の道を、集合場所のファミレスまで急いだ。どうしてこんなに、不具合続きの股関節から膝にかけての一の脚が、スッと伸びてくれるのだろう。

ここからは、11月2日更新の「ヤリス試乗記」の締めのくだりを引き継ぐとしよう。
‥‥‥10月最後の土曜日、ベストモータリング同窓会の若手幹事グループから呼び出しがかかった。なんでも「九郎田一馬」が念願のNB6C マツダロードスターSGリミテッド(5MT)=17年落ちを入手したこと。「えむしい34」君がなんともキュートな伴侶を射止めたことなどの報告会をやりたい、とのことだった。この呼び出しが契機となって、幾つもの眠ったままの「以下、次回更新まで」を解凍していく気になりはじめたのは、ありがたい。

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 7年半前、黒澤元治さんがLEONチームを率いて参戦することが決まり、応援を兼ねて岡山へ行くことになった。それならば「ドラテク道場」として思い出深い中山サーキットで「ベストモータリング」のかつてのファン有志にも声をかけ、走行会をやろうか、と。

これが「ベスモ同窓会」の始まりで、その後、中山サーキットと東京のミーテイングイベントを交互に開催、それがわたしの体調の都合のせいで、3年前から滞っていた。

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それでも「ベスモ育ち」を大事にしている若者たちが、いまだに「局長」とわたしのことを大事にしてくれて、ことあるごとに集合し、情報交換を続けてくれる。

そんなわけだから、予約してあったファミレスの席に腰を落とすや、まず話は来年のスーパーG T開幕戦が岡山国際サーキットになるかどうか?の見通し会議となった。それがダメなら河口湖の富士カームにしましょうよ、などと盛り上がる。

 かといって、コロナ厄禍の終息までの道のりがまだ見えない。結論はどうしても「様子見」に落ち着かざるを得なかった。

 一段落したところで、持参した紙袋から古びたV T Rテープを取り出し、「えむしい34」君に手渡した。

「これ、巣籠もり断捨離で出てきた貴重なやつだ。みんカラで紹介したいので動画に変換してくれるかい?」
「いいですよ。あ、筑波のメディア4耐が始まるきっかけになったF I S C Oのレースでしたね」
 さすが、「えむしい34」君。かつてベスモ収録の「幻のセナ足」がどの号だったか、探しあぐねていた時、一発でとどけてくれた御仁である。

 ま、6月2日にアップした【幻の『プレス対抗MAZDAロードスター戦』in FISCO』(クリック)にその舞台裏が詳しいので、こちらからもう一度、ご訪問あれ。

 こうして虫のいいわたしの願いがやっと動画化されているので、ひとまず「観戦」願いたい。



「よっしゃ。もう一度、改めて15分テープを再生してみるか」と見栄を切った最後のくだりが、やっと現実になったわけであるが、この動画から遠い記憶がいかに怪しくなっていたか、思い知らされた。例えば‥‥‥。


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「みんカラ」のスペシャルブログ執筆陣仲間の吉田匠さんと、安川さんに貰った「1コーナー」の写真の話をする機会があって、あの時、トップグループを追って300Rをうまくこなしたのに、ダンロップコーナーの出口で一緒にクルリとやりましたね、と笑い合ったのを思い出す」

 と書き起こしているが、ダンロップコーナーの出口でくるりと回ったのはわたしだけで、トップグループ3台を追う吉田匠さんは、7周目の100R 進入でくるりとやっていたのがよくわかる。

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 このあと、やっと入手した『モーターファン別冊 ユーノスロードスターのすべて』の収録されている当該レースの2P記事と照合しながらのレポートをお届けしたい。   (次回更新まで)
  
■ 当動画は15分24秒で一旦完了し、10秒あまりの間隔を置くと「89年ミラージュCUP」戰の予選アタック第1コーナーの模様が収録されています。どうぞお立ち寄りを。ゼッケン12が小生。横島久君らミラージュ乗りのアタックぶり。昔のF I S C Oの第1コーナーも懐かしいですね。。




Posted at 2020/11/16 23:55:21 | コメント(2) | トラックバック(0) | サーキットに生きる | 日記
2020年11月02日 イイね!

久しぶりのNEW CAR試乗記

久しぶりのNEW CAR試乗記

ヤリスが眠っていた虫を‥‥



 まるまる5ヶ月の勝手な休息、どうぞお許しあれ。

 有難いことに「みんカラ仲間」「Face bookつながり」の知己から「どこかお悪いのか?」「何かあったのか?」などと、多くの励ましをかねた様子伺いを頂戴している。
まあ、コロナ、コロナで何をやってもモチベーションが昂まってこないこの半年。充電を兼ねた休息だと、己れに言い聞かせ、週3回のランニングマシン、ストレッチ体操は欠かさず通い続けているうちに、ランニングマシン(トレッドミル)にいたっては2分を5.5km/hの速度で歩き、続けて3分間、6.3〜6.8km/hのテンポで走り、それを5回やってクールダウン。近頃は無理なく完走できるようになったのが嬉しく、こうやって報告する気になった次第。体重も2kg近く減量できた。

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 そうした日々の中、しっかり一本だけ試乗記をまとめ上げているので、「みんカラ復帰」の挨拶がわりに紹介したい。わたしの所属する「RJC 自動車研究者ジャーナリスト会議」では年間活動のハイライトである2021年次カーオブザイヤーを、独自の工夫を凝らして催行すべく、各メーカー、インポーターの協力を得て、9月28日のVWの T-ROC、T-Crossを皮切りに、対象ニューカーたちの試乗機会を用意してくれていた。
 その中でわたしが試乗記執筆を担当したのが、TOYOTAヤリス。秘かに「今年はこれかな?」と興味満々。いそいそと試乗に赴いたのは、10月20日の朝であった。

ヤリスが眠っていた虫‥‥  

 新世紀に突入した2000(平成12)年から連れ添ってきたT O Y O T Aプログレ NC300 iRを、2018年 の暮れに断腸の想いで手放してしまった。その日から2年近く、S U VのR A V4以外のT O Y O T A車に全く触れることがなかった。
 それが2021年次R J Cカーオブザイヤーの選考対象車であるヤリスを試乗できる機会に恵まれ、久しぶりにT O Y O T A車の「いま」と対話することができた。

エンジンとモーターとの違いが感知できない
 ピックアップしたのは「ヤリス」「GRヤリス」「ヤリスクロス」の3タイプあるのうち、最量販モデルの「ヤリス」のハイブリッドGである。なんでもヤリスは2020年の4月、5月、7月、9月とランキング1位で、4-9月の上半期で販売台数(普通乗用車)でも1位だという。

 黄ばみ始めた神宮外苑銀杏並木の下で待ってくれていたヤリスGは、コンパクトカーらしく小ぶりながら引き締まったボディから、W R Cを戦い抜いた戦士のオーラを強く感じさせる。そのせいか赤を主調にした配色が似合っている。ルーフ、ドアミラー、フロントグリルを黒く染めた押しつがましい色合いまでが、妙に新鮮な魅力を感じたのはなぜだろう。ちなみに、このボディカラーをメーカーでは「コーラルクリスタルシャイン✖︎ブラック」と呼んでいる。

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 さて、試乗開始。説明員はいない。手探りでエンジンの始動を試みる。ブレーキペダルを踏み、スターターのプシュボタンを押してやり、ハイブリッドのシステムを起動した。次にゆっくりとシフトレバーをNにセットしてから、手動式のサイドブレーキを解除した。ありがたいことにT O Y O T A車は、どのタイプもスイッチなどの位置や使い勝手に差異がないように配慮されていて、初めての出会いでも、T O Y O T Aユーザーなら違和感なく対応できるようだ。

 ひとまず銀杏並木を絵画館へ向かって直進し、噴水にぶつかったところで左回りの外苑周回路にはいる。

 走り出して5分。首を傾げてしまった。このスタートして加速に入るまでの上品な挙動はなんだ。どこまでが電気モーターによる走りなのか、どこで1.5ℓ、3気筒のガソリンエンジンにバトンタッチされたのか、全く感知できない。まるではじめから6気筒3ℓエンジンを走らせてでもいるような快適で高品質な時間‥‥‥。

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WRC戦士のオーラを強く感じさせる。そのせいか赤をメインにしたボディカラーもよく似合う。

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 トヨタの本気まざまざ。クロスやG Rにも試乗したい

 1周、1400メートルほどの周回路を2周半してから、国立競技場の脇でヤリスを停めた。近く世界中が熱狂するはずの新しい舞台をバックにして、この新しい魅力の塊を記念撮影しておきたかった。

 ここから市街地走行に入った。外苑西通りに滑り込み、そこから一気に大京町を抜ける坂道を駆け上がり、四谷4丁目を右折して20号線を一気に外濠の半蔵門を目指した。と、右側を伴走するヤリスG。同じカラーリング。ホイールだけはメーカーオプションがおごられている。


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 最近のトヨタにはデザインに凝っているモデルが多い。ヤリスのリアデザインもかなり複雑だ。R20 で遭遇して半蔵門までランデブーランしたヤリス仲間

 四谷3丁目、麹町を通過。ランデブーランが続く。ドライバー氏もこちらを意識している。こうしたケースはその車がヒットしている証拠で、気分もいい。やがて半蔵門にぶつかる。当方、そこを左折して次なる撮影ポイント、千鳥ヶ淵公園に向かうため、左折のウインカーを出し、左端車線に移る。その動きを確認したのだろう、ランデブーランの相棒はハザートランプを点滅させた後、ダッシュをしながら右折ラインへと進入していった。
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 定刻5分前、スタート地点の銀杏並木通りで次の会員試乗者にヤリスをバトンタッチしながら、心に決めたことがある。ヤリスには6速のM T車があって、これが絶品のお薦めマシンだという。加えてスポーツマインドを追求したG Rヤリス、S U Vタイプのヤリスクロスを順次、味見して行きたいな、と。T O Y O T Aの本気が窺えた。

 八十路半ばにして、またムズムズと蠢くものがある。

  ☆   ☆   ☆   ☆

 この試乗記は、R J C 自動車研究者ジャーナリスト会議のホームページ
 http://www.npo-rjc.jp(クリック)
に掲載されていて、同じ会員の中川和昌さんが「トヨタ ヤリス(2)」として、ヤリスの真髄を正確に見抜いたレポートで共演しているので、ぜひあわせてご一読いただきたい。

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 1999年にTOYOTAがコンパクトカーの世界戦略車として送り出したヤリス。日本仕様は「ヴィッツ」。その4代目にあたる新型車が、満を辞して国内でも「ヤリス」を襲名するまでの開発ストーリー‥‥いずれ、取り組んでみたいものだ。

 そんな想いを温めながら、10月最後の土曜日、ベストモータリング同窓会の若手幹事グループから呼び出しがかかった。なんでも「九郎田一馬」が念願のNB6C マツダロードスターSGリミテッド(5MT)=17年落ちを入手したこと。「えむしい34」 君がなんともキュートな伴侶を射止めたことなどの報告会をやりたい、とのことだった。

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 この呼び出しが契機となって、幾つもの眠ったままの「以下、次回更新まで」を解凍していく気になりはじめた。      (以下、次回更新まで)
 

Posted at 2020/11/02 20:04:30 | コメント(4) | トラックバック(0) | 還暦+白秋期の24歳 | 日記
スペシャルブログ 自動車評論家&著名人の本音

プロフィール

「「起きなさい」と呼ばれた気がして目が覚めた。慌ててベッドを離れて出窓を。まだ明けやらぬ西の空。満月がこちらを手招きしているではないか。残りの月か。明日から3月か。やり残しのことだらけ。よっしゃ、もう起きよう。まず林檎マークのPCをONに。ボオオ〜ンと返事が。Safariを開いた。」
何シテル?   02/28 19:19
1959年、講談社入社。週刊現代創刊メンバーのひとり。1974年、総合誌「月刊現代」編集長就任。1977年、当時の講談社の方針によりジョイント・ベンチャー開...
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