photo by Chikara Kitabatake
*300SEL 6.3が2台連なって疾る珍しいショット Photo by Kitabatake
1985年7月から連載を開始した五木寛之さんの『疾れ!逆ハンぐれん隊』を、電子書籍版で再生させるプロジェクトの紹介をつづけます。
第1部「深夜特走車No.1」に、リトル・マガジン風に解説や当時のエピソードをそえてみたらどうだろう、というぼくの新しい「仕事」。前回登場のメルセデスの怪物セダンをもう少し、彫りこんでみました。
「古くなったメルツェデスで心に残るクルマのひとつに300SEL6.3がある。
ごく短い期間、所有したことがある。真っ黒いボディにグレイのモケットという内装で、これが素晴らしい走りをした。
雨の日、ガソリンスタンドから少しスロットルを深めに踏んで出ようとすると半スピンしそうになってアワてることがあった」
こちらは五木寛之さんの文章ではない。徳大寺有恒さんが一度は書いてみたかったと前置きするほど、お気に入りクルマに贈った「恋文」である。題して『紳士の顔をしたモンスターが徘徊する時……』(「ベストカー」1986年8月10日号)。300SEL6.3がどんな怪物であったかを知る紹介リリースとしては、これ以上のものはないだろう。
*さりげないセダンながら、リアに輝くエンブレムがこのクルマの素性を主張する
「歴代のSクラスメルツェデスの中で、このW108が一番好きである。
このW108は1965年はじめ205Sとして登場し、これをベーシックに250SE、300SE、300SELとバリエーションがあった。それが1967年から280S、SEとなり1971年からいよいよV8エンジンの280SE/300SEL3.5となる。
しかし、1968年にダイムラーは6.3リッター、V8をこのSクラスに押しこんだ300SEL6.3を作っていた。それは1972年までに6,500台ほど作られたのである。このグロッサーの再来で、600のエンジンをそのままSクラスに搭載したモデルで、2,800回転というユルユル回っているときに、なんと51kgmを発生しているのだ。
とにかくこのエンジンをメルツェデスはどんな靴ベラを使ったかわからないが、W108のエンジンルームにすべりこませることに成功した。(中略)
*エンジンルームいっぱいに埋め込まれた6.3のV8パワーユニット
300SEL6.3と他のSクラスの外観上の差はヘッドライトにある。6.3のヘッドライトは当時アメリカ輸出用に使っていたデュアルランプで、6.3の強力な性能に見合う照明を得るための処置。それ以外は、トランクリッドにある6.3のエンブレムを見る以外、判別しがたい。もっとも、タイヤ/ホイールは明らかに異なる」
さて、ここからは徳さんの試乗記である。ベージュにペイントされた試乗車は1972年製、最後のシリーズであった。
――ヘッドライトは平らなシビエがつけられ、ロードホイールはアルミニューム(これが乗り心地に大いに貢献)、タイヤはミシュランXWXがつけられていた。(中略)エンジンはややラフで、少々調整を要す。トルクも“こんなものではない”と思わせるが、それでも、スタート時にはギュッとタイヤを鳴らすことを忘れない。
オートマチックは古いプラネタリ―ギアを持つD・Bタイプで4速。トップのギア比は今のクルマのように高くはないので、いつもサードで走るように感じる。
80km/hあたりからの一瞬の加速、そして一気に160km/hまで、それこそ息もつかせぬものだった。その加速は、いま流行りのターボとは違い、大排気量独特の“怒涛の加速”なのである。このクルマの最大のドラマである。
それにしても、相当な音である。インジェクションの唸り、V8のビートが高級車には似つかわしくないレベルでどんどん入ってくる。
乗り心地も硬い。このクルマのエアサスペンションだが、旧型スポーツカーのものに近い。
「こいつは男のクルマだ、とつくづく思う。フルオートマチックであり、肉体的には何のストレスもないのだが、こいつを飛ばした後は手強いスポーツカーを走らせたのと同じ疲労が残る。クルマを走らせるというのは、こういうことなのか」
だが、待てよ。たとえ300SEL6.3の実物とはいえ、これでは深夜の横羽線をドーンと250km/hオーバーで駆け抜けていく黒の怪物セダンとはほど遠いではないか。
その当然の疑問に、五木さんがその「理由」を丁寧に応えてくれている。
――ミハルの横顔。鼻の穴がふるえて、唇はかたく結ばれ、両脚は大きく開かれて、目はキラキラ光っている。〈キレイだ〉と、おれはおもった。
二五〇キロ・オーバーで見る女の横顔ほどチャーミングなものはない。
「どこまで行くのよ、ちくしょう!」
ミハルがおれの甘い想念(おもい)を破って叫ぶ。
二台の疾走車は、ぴったりくっついたまま、大井松田の上りのカーブをぜんぜんスピードをゆるめずにつっ走っていく。トンネル。ごう、と風圧がボディをゆすった。それでも前のクルマはペースをおとさない。おれは前方の6.3を観察した。まったくふつうのセダンだ。古い300SELのメルセデス・ベンツ。空力(エアロ)パーツもつけていないし、タイヤも意外とほそい。最近はやりのAMG(アーマーゲー)チューンなどとは、まったく縁のないノーマル車にみえる。しかし、300SEL6.3の最高速度は、はるかにこえたスピードだ。
ターボだな、と、おれはおもった。そうだ、6.3ターボにちがいない。ノーマルでも、6.3のトルクは五十一キロ以上あるときいている。五十一キロというトルクがどんなものか、けんとうもつかないが、おそらく乗用車史上最高最強の凄さだろう。(中略)そいつをさらにターボ化したら?
〈お化けベンツだ〉と、おれはおもった。
*これが怪物グロッサー770K
当稿執筆当時の五木さんは、頻繁にドイツを訪れていた。『メルセデスの伝説』という作品の取材のためで、6.3のルーツとでもいうべき〈770K・グロッサー〉が、そのターゲットであった。やがて発表され、大きな話題となったその作品と、「疾れ! 逆ハンぐれん隊」が、じつは表と裏の、親密な関係にあることに気づくことになる。
* * * * * *
さて、つぎの新しいエントリーは、再び『1974.06.02』の多重事故問題に「視線」をもどします。あのときのテレビ中継録画は本当にないのか。中部博さんは検証をつづけていました……。
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「疾れ!逆ハンぐれん隊」へようこそ | 日記
Posted at
2011/10/02 04:49:05