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2011年10月21日

風に消された23歳・高橋徹の光と影

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 ベストカーガイド1984年の新年号。カラー2ページと活版4ページをあてて、その頃からすでに編集長だった勝股優君(現在は講談社ビーシー社長)が、「局長、思いっきり、好きなように書いてください」と、83年10月23日、富士スピードウェイの最終コーナーでスピン、風に舞いあげられて消えていった高橋徹のヒューマン・ストーリーの執筆を求めてきた。否も応もない。その前年から、黒沢元治さんのレース復帰をサポートするという名目で、鈴鹿サーキットでの「スーパーCIVIC」に入れあげていたのは事実である。その弱み(?)を勝股君に、うまく衝かれたわけだ。

「シリーズひとつの顔」という通しタイトルが用意されていた。祭りの夜の打ち上げ花火のようにあざやかな光と色を残して……。そのイメージは、いま考えてみれば、はなはだ通俗的で、赤面ものだが、サーキットという「生きた現場」には、編集者として、それだけの「宝石」が無尽蔵に埋め込まれていたのを伝えるいい機会だ。書き出しもすぐに決まった。キザにいこう。高橋徹君にはそれが似合っている、と決めつけて……。

「もしも――あの富士スピードウェイ最終コーナーの不運な惨劇がなかったなら」と書きはじめた。そう、トオルがルマンを走るはずだったのだ! いわゆる特ダネというやつで、マツダも本気で取り組んでいたし、そのアイディアの火元は、知る人ぞ知る。もう言っていいだろう。実は、このぼくだった。

だから、こう書けた。以下、ベストカーガイドの誌面をしばらく、忠実にひき写してみたい。

もしも──あの富士スピードウェイ最終コーナーの不運な惨劇さえなかったなら、高橋徹・23歳は、84年ルマン24時間耐久レースのドライバーとして、ミュルサンヌの長いストレートを晴れやかに駆け抜けていたかもしれない。
その可能性はひどく濃かった。そのことを、本人は知る暇もなく、祭りの夜の打ち上げ花火のように、鮮やかな光と色で周囲を楽しませながら、あっさりと消えていってしまった。

「ご存じのように、東洋工業はルマンに挑戦しています。83年は完走してクラス優勝もした。いまは片山・従野・寺田といったベテランドライバーが中心ですが、それに、若くって可能性のある高橋徹を加えてはどうか、という狙いでした。天性のドライブテクニックは、この1年で磨きがかかってきたし、あの甘いマスク、スターになる要素は充分ですよ。それになによりも、彼は広島の出身。力の入れ甲斐もある。で、社内で意見もまとまり、提示する条件面もふくめて交渉を開始しようかなという時に……気の毒な事故でした」

徹クンの死を悼みながら、東洋工業広報室・島崎文治主任は意外な事実を明かしてくれた。

10年前の石油危機以降、自動車メーカーのモータースポーツへのかかわりは、消極的の一語につきた。が、ここへきて間違いなく「雪解け」しはじめている。なかでもホンダに続いて東洋工業が本格的に取り組もうとしている。その一環が「高橋徹獲得作戦」だったわけである。トヨタも日産も、エンジン供給はしてもドライバーにまで目をむけてはいない。それだけに東洋工業の動きには新しさがあった。

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83年夏、トオル親衛隊に囲まれて(鈴鹿・白子海岸)

*夏の章/稼ぎは5ヵ月で100万。走って勝ってナンボの世界です
 
 本人は知る暇もなく、と前に書いた。厳密にいえば、高橋徹はぼんやりと予感していた。それは、鈴鹿耐久8時間オートバイレースのあった翌日、真夏の昼下がりであった。
サーキットの外で初めて高橋徹と会った。ハヤシレーシングの事務所で待ち合わせ、鈴鹿サーキットのレストラン「プラタナス」で昼食をとることにした。この夏はウインドサーフィンで足腰を鍛えているという。だから、真っ黒に陽焼けしていた。
ズバリ、訊く。
「収入は?」
「F2の賞金の20パーセントだけです」
「契約金なし?」
「はい。ステップアップして、名門のヒーローズレーシングで走らせてもらえるだけでハッピーです。勝ってなンぼ、すっきりしてて、ええですわ」

白い歯をみせる。なんと爽やかな雰囲気をもった、あどけない青年だろう。
すばやく計算してみた。F2にデビューして以来の戦績は、3月の鈴鹿2&4が2位で250万円、富士GC第1戦が6位で65万円、4月の富士F2は途中リタイア、5月になって、GC第2戦はリタイア、西日本F2が6位で60万円、そして29日の鈴鹿JPSは3位入賞で150万円、7月は鈴鹿ゴールデントロフィーでリタイア.となると獲得賞金総額は524万円で本人の手取りは105万円にすぎないじゃないか。

「5ヶ月間で100万円ちょっとか? レーシングドライバーって見た目は華やかだけどゼニにならない商売だね」
うなずきながら、高橋徹は薄く笑った。それでも、広島の工業高校を卒業しないままレーサーを志し、親から買ってもらった鴻ノ池スピードのFLマシンを鈴鹿にもちこんだ3年の苦しさにくらべると、いまの環境は夢のようだという。

アルバイトの連続だった。街頭にならぶコカコーラなどの、自動販売機に缶を入れ替える仕事のかたわら、新人登竜門である鈴鹿シルバーカップに挑む。FL550部門チャンプとなった。同じアルバイトをするならウチに来いよ、とハヤシレーシングが誘ってくれた。

「FL550をハヤシ712で走れるようになったうえに、FJ1600をハヤシ410Jの開発テストもかねて走らせてもらったんです。成績はソコソコやったけど、次の年にF3にステップアップできました。懐ろはいつもピーピーですわ。こないだも電話代が落とせんいうて、銀行から怒られました」
「走らないときは、アルバイトすればいいじゃないか?」
「いや、監督(注・田中弘氏)に怒られます。F2ドライバーはどんなに苦しくても、それだけに賭けろいうて。それにタイヤテストなんかで結構、忙しいことはいそがしいんです」
そんな雑談を交わしているとき、ふと、東洋工業関係者が高橋徹に強い関心を示しはじめたことに思いがいたった。
「実際に決まるまでには、いろいろ障害があるかもしれないが、もし東洋工業がワークスドライバーとして誘ってくれたら、どうする?」
「えっ! 東洋工業ですか? トヨタか日産が来てくれませんかね」

そのときだけは、ふてぶてしい素顔をみせた。その夜、鈴鹿のカラオケ・スナックで、高橋徹の友人を交えて飲むことになった。アルコールはほとんどやらない。それでいて、元気よくマイクを握った。よく透るやさしい声で、渡辺徹のヒットナンバー「約束」を歌ったあとで、本音をチラリ。
「ぼく、ファミリアに乗ってます。ええ脚をしたクルマです。東洋工業の人、いつ会いに来てくれるんやろ」

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星野にくらべてトオルの首が右へ傾き過ぎるのが、よくわかる

*萌える章/底辺の若者がF2を乗りこなした!

  高橋徹ほど、強運を背負ったレーサーはいない、とレース関係者は信じていた。82年末のF2ストーブリーグは例年になく派手な火の手をあげた。中嶋悟をうしなったⅠ&Ⅰの生沢徹はNo,2ドライバーに高橋徹をもってくるつもりだった。
「オーディションをやっても断然光っていたものね。どこがいいっていうより、ステアリングを握ったときのフィーリング、あれはタダモノじゃなかった」
と、今でも生沢徹は、高橋徹を思い出しては目を細める。
「ウチに任しといてくれれば、もっとじっくり育てたのに」

 しかし、高橋徹はヒーローズレーシングの田中弘監督に身柄を預けた。ところがヒーローズのエース星野一義が独立を宣言してしまった。
「あのときはあわてた。でも割り切って1年間我慢してこの新人を育てるしかない」
と、田中監督は腹をくくった。ところがその新人が公開練習でベストタイムを叩き出し、予選でも4番手の位置を握った。

 3月13日の鈴鹿F2第1戦は朝から雨、コースのいたるところに水溜まりと川をつくっていた。レースは30周から24周に短縮されたとはいえ、ルーキーには厳しすぎる条件だった。高橋徹のユニベックス・マーチ832が水煙で全く前方の見えない第1コーナーへ突進。
1周目は6位で帰ってきた。9周目、4位。12周目にリースをとらえ3位に浮上、なんと前を行くのはヒーローズの先輩、中嶋と星野である。その日本を代表する二人のレーサーのラインを盗める最大の機会がやってきたのだ。そして21周目、大波乱が起きた。2番手の星野の右リアタイヤからエアが漏れ、極端にスピードが落ちはじめたではないか。最終ラップ、ヘアピンで徹は星野をパスした。

「運も実力のうち。徹はポテンシャルがある。あとは本人の努力次第さ」(田中弘監督)
「こら、えらいこっちゃ。モータースポーツの底辺からF2をこなせる若いドライバーが生まれたわけやから」(ハヤシレーシング林将一オーナー)

 これだけのことをやってのけた高橋徹に「十年にひとり出るか出ないかの逸材だ!」
といった賛辞が寄せられたのも自然のなりゆきだったかもしれない。そんな中で、ぼくの知る限りでは黒沢元治だけは、厳しい目をむけていた。

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ガンさんのアドバイスを素直な笑顔で受け止めるトオル
「レースはそんなに甘いもんじゃない。たしかにエジェ・エルグ(3位)に追い上げられてもミスをおかさなかったのはたいしたものだが、1レースだけでは判斬できない。これから夏場にむかって体力を消粍するときに最後までコンスタントなタイムで持続できるかどうか。コックピットの中の暑さは殺人的だ。それとコーナーで徹は首を曲げすぎる。あれは横Gに耐えるだけの鍛練ができていない証拠。本人のために、周囲がチヤホヤせず、厳しく育てれば素晴らしいレーサーになると思うよ。クラッシュしたり、スピンしたりしながら、彼が何を掴むか、だ」

 こうして、若い、いまでいう「イケメン」のスター・ドライバーが誕生した。すると何が起こるか。つぎのアップまで、お待ちあれ。

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ブログ一覧 | 局長の仕事 | 日記
Posted at 2011/10/21 00:08:06

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この記事へのコメント

2011年10月22日 0:38
ヘッドホンステレオ、 今では当たり前の姿ですが、当時は最新流行、時代の先端でしたね。

高橋 徹  最終コーナーで舞い上がった姿は衝撃でした。ウイングカーの速さと怖さを知った瞬間でした。 あのまま経験を積みあげる事が出来たら、今のレース界は全く違った姿になっていたでしょうね。
コメントへの返答
2011年10月22日 1:05
アイルトン・セナと同じ年齢でしたね。

おっしゃるとおり、もっと大きな夢を見せてもらえたのは確かでしょう。


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「前日の4点リードを代打の本塁打攻勢で逆転負けした口惜しさと、朝11時からのパドレス戦に気を取られこの日は長嶋茂雄追悼デーで午後2時からの試合開始だったのを見逃した。折角の実況中継だったのに。ま、エースの村上が2安打のG完封、森下翔太のメモリアルアーチ先制。マジックは「24」に。」
何シテル?   08/17 07:44
1959年、講談社入社。週刊現代創刊メンバーのひとり。1974年、総合誌「月刊現代」編集長就任。1977年、当時の講談社の方針によりジョイント・ベンチャー開...
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