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2011年10月25日

事故直後の津々見友彦レポートを読む  「2度と思い出したくない!」


9月3日の『メディア対抗4時間耐久」に第1回から欠かさず出場の津々見友彦さん


 このブログをスタートさせたのが、6月15日。4歳の時のぼくの「ファーストラン」にはじまって、それから数えてみると、129日。その間、ブログをアップすること、56回。打率、0.4341か。多いのか、それとももっとテンポよくアップさせた方がよいのか。いろいろと悩んでおります。でもたくさんの「みんカラ友達」に恵まれ、励まされ、75歳の青春をたっぷりと愉しんでいるところです。

 悩んでいるといえば、例えば前回の「君のいないサーキットの秋深し! 風に消されたトオルは(Ⅱ)」などは、今にして思えば、2度に分けた方がよかったのかな、と反省しています。たとえば、誘惑の章、別れの章ときたら、その回は、「ヘアピンには、まず星野がきた。続いて高橋国光の赤と黒のマシン。徹がいない!」で止めておいて、すぐ次の日に、「赤旗が出た。レース中断だ。マーシャルカー、救急車、レッカー車が禍々しいサイレンを鳴らしながら最終コーナーへむかった。ぼくも駆けた。バドックの金網フェンスに沿って。」からはじめてもよかったな、とも。

恐らく、つづく「鎮魂の章」、2冊の著書や、彼の事故に巻き込まれて命を落とした観客の遺族が富士スピードウェイと徹の両親を相手に起こした民事訴訟と、その結末まで一気につき合わせてしまって、申し訳なかったとさえ考えています。率直な感想、ご意見をいただければ、おおいに、今後の参考にさせていただきます。どうぞよろしく、というところで、今回は津々見友彦さんの話から。

 津々見さんのことをマカオのモータースポーツファンは「チュンチュンキ」(この発音、違っていたかな?)と親しみをこめて、こう呼ぶ。マカオGPには早い時期から出場し、カウボーイ・ハットに、チャールス・ブロンソンばりの口髭をたくわえた風貌、いかにもテクニシャンらしい走り。マカオでの彼の人気は、嫉妬したくなるほど熱かった。

その津々見さんと、久しぶりに筑波サーキットでお会いした。当年70歳で、まだメディア対抗ユーノス耐久に出場していたのです。さっそく、この日の津々見さんのチーム・メートである桂伸一君(愛称、コボちゃん)も加わって、肩を組んでの記念撮影。津々見さんには、大昔、スペイン・バレンシアでのカペラ海外試乗会に招かれた際、一緒になる機会があって、タック・インの使い方を教わったことや、ベストカー創刊号で作家の村上龍さんをフォーミュラーカーに同乗させる企画が持ち上がり、FISCOで津々見さんに無理をきいてもらったことなど、数え上げたらキリがないほど縁のある人物。

 その人が『1974・06・02』の証言者の一人だという。中部さんの記述からも冷静で丁寧な対応と、筋の通った論理がうかがえ、いずれこちらから時間を頂戴するこころづもりをしているが、さすがにサーキットでその約束をとりつけるのも憚られた。

 そうやって、モタモタしているうちに、貴重な津々見さんの寄稿記事を発見した。
『投稿「テレビで事故を見た!」消えた記録映像をめぐって』で紹介した読者の声と同載の「AUTO SPORT」8月1日号に、強烈なアピール力をたたえた内容だった。

「2度と同じ”あやまち”は繰り返さない」というタイトルがつけられていた。
 以下、ともかく、この一文をよんでいただきたい。

ぼくのレース歴のなかで思い出したくないことがあるとすれば、6月2日に行なわれたGC第2戦である。もちろんレースにアクシデントはつきもの。そんなアクシデグントを乗り越えてわれわれは、ここまでやって来たのである。
 しかしわれわれは、貴重なわれわれの宝であるビッグ・ツーを一度に失ってしまった。風戸君はわれわれのカンバン男であった。あのノーブルなキャラクターは、多くの若いレース・ファンの心をとらえ、育てていたのである。そしてもうひとり、ベテラン鈴木誠一さん。この人はぼくの育ての親でもある。彼の存在はちょうどレース界の重鎮ともいうべきもので、まるでいぶし銀のような花やかではないが、鈍く力強く光る底力があった。彼の人生こそ、まさにモーターススポーツそのもので、次の彼の仕事は、この愛すべきスポーツをもっと力強く花咲かせることであったのである。将来、彼にどんなに、底辺の育成に貢献し、また安価なマシンを提供してくれたことかと思うと、思わず目の前がまっくらになってしまう。


プラクティス走行中にクラッシュしたため、ローラT212から急遽ローラT290のコクピットにすわる
「レーシングオン」2008年6月号所載より
 

さて、このふたりのアクシデントはまったくのもらい事故であった。前方を走る2台のマシンの接触。そしてアウトに飛びだしたマシンがスピンし、後続の群の中に突っ込んだのである。そして数台のマシンが入り乱れて飛び散り、不幸にもこのふたりのマシンはガードレ一ルに激突、もっともひどい結果となったのだった。
 われわれはこのさい謙虚に、ふたつの反省をせねばならない。そのひとつに、ドライバー自身のレースに対する受けとりかたである。

 いくら勝つためとはいえ、必要以上のヒートは許されないのだ。そこには暗黙のうちにある約束ごとが、マナーという言葉で存在するはずある。たとえば、バンクの入り口で、2台のマシンがまったく並進していたような時には、あきらかにアウト側のマシンに優先権があり、このばあいイン側のマシンは進路をゆずるというのが原則なのだ。
 なぜならばイン側のマシンはそのラインでは速度を落とさずに、バンクを通過することはできないからである。

 しかし逆にヘヤピン・コーナーではまったく反対になる。2台のマシンが並進してとび込んだばあい、イン側のマシンに優先権が与えられる。なぜならイン側のマシンがターンした時、わずかに鼻先を出すことになるからである。つまり先ほどのバンクの例では、すでに直線のアプローチで、アウト側を取った者のほうが、有利なポジションをすでにつかんでおり、この時点ですでにイン側のマシンは負けているわけだ。
ヘヤピンの例もそれで、アプローチで、イン側のほうがそれだけ勝っていることになる(いずれの例も並進しているばあいで、つまり頭はまったく同列にあるばあいをいう)。
もしこの原則を無視して、そのまま2台のマシンがラインをめいめい進んだとすると、
必然的に接触してしまうことになるだろう。接触するレースは最低といえる。なんらかのトラブルで、やむなく接触したのは別として、追い越しのテクニックに、接触させるなどとんでもない。
うまいドライバーは紙一重で接触をさける。だからこそ神技と呼ばれるわけで、接触させてしまうことなんか、免許取りたてのドライバーなら誰でもできる。レースはメンタルなテクニックで戦うべきもので、互いに心理的なかけ引きや、あっというまにスルリと抜きさるのが、ハイテクニックであろう。ドタドタとした重トラックのぶつかり合いじゃない。互いに相手をいたわって最後の一線は残してやるのが真のレーシング・ドライバー・スピリットだろう。

ぼくが予選の日の朝、横山コーナーで自分のオイルを踏んでスピン、ガードレールにクラッシュした時、すぐに止まって助けようとコクピットから出たふたりのドライバーがいた。僕はとても嬉しかった。同じレースにすべてをかけあっている者にしかわからぬ友情をひしひし感じ取ったからなのだ。そのふたりのドライバーとは黒沢選手と北野選手だったのである。

 さて、いっぽうマシンのほうも、安全対策をほどこすべきである。なんといっても、クラッシュするとすぐに火がつく。鈴木さんのマシンもコース上で、クラッシュしたとたん火を吹いてしまったのである。
 セーフティ・フューエル・バツグも、ボディ両サイドにあったんじゃたまらない。なにしろクラッシュするとまず、この側面が真っ先きにふっ飛んでしまい、ガソリンがキリ吹きみたいに吹き出し、一種のキャブレターになってしまう。あとは空気中の酸素を得て大爆発! つまりセーフティ・バッグなど、クソの役にも立たない。中野選手の事故も、ガードレールに激突したとたん、火につつまれてしまっている。もう絶対に火を出すべきではない。火さえ出さなければ、中野君も、風戸君も、そして誠さんもたすかっていたにちがいない。いや絶対に助かっていた。

 だからタンクの位置を、中央部に移動すべきなのだ。理想的なのはエンジンとシートとの間だが、手取り早くはコ・ドライバー・シートにタンクを置くことだろう。ここであればまず、99%、タンクが破裂することはなかろう。もし、ここまでシャシーのダメージがあるのなら、残念ながらドライバーはあきらめなければならないだろう。つまり、どちららにしてもだめな時だ。しかし過去の例で、ここまでダメージを受けたことをぼくは知らない。(中略:この後、消火器について提言している)
 
 とにかく、われわれはこのあやまちを2度とくりかえしてはならない。ふたり、いや3人の死をむだにしないためにも、安全で楽しいレースにするのがわれわれに課せられた使命であろう。
ブログ一覧 | 実録・汚された英雄 | 日記
Posted at 2011/10/25 02:08:58

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この記事へのコメント

2011年10月25日 2:52
局長のブログがスタートしてから、もう4ヶ月になりますか。多忙の中に身を置きながらも、質・量・回数ともに抜かりの無い熱い熱い文章の数々。その情熱には驚かされるばかりです。

ブログの“編集”方針に関しては……幾多の修羅場を経験して来られた局長以上に巧みな編集が施せる方なんて、そうはおられないかと存じますが(笑)

さて、津々見さんの寄稿は非常に簡潔かつ明快ですね。何ら奇をてらうことなく当たり前のことと言えば当たり前のことばかりが書かれているのですが、それが出来ないのが現実というもの。それだけに重く深い言葉の数々です。
コメントへの返答
2011年10月25日 7:03
そう、4か月です。
その4か月の意味するもの、大きいですねえ。

いろんなことが動きはじめました。それも「みんカラ」を出発点として。

ひょっとしたら、この国の「クルマ文化」に新しい火をつけることになるかもね。

目を、心を、カッと見開いて。

霧島君、前へ、。
2011年10月25日 7:39
当時わたくしは高校2年生でバイクやレーシングカートは乗り回して居たので、バイクやカートには興味有っても4輪は殆ど興味無い時代でした。
1年後に成ると大学進学後即クルマで遊んだり、フオーミュラー参加するぞと言う意気込みが有りましたが、当時は一番興味を失せていた時期です。
そう言うどうでも良い次期に廻りの大人(父、亡兄、その仲間)から聞いて居た話と正岡様の最近の検証とでは相当内容に開きが有ります。
と言っても、親父には聞けますが、兄貴は11年前に急死していますし、親戚や親父や兄貴の仲間の元プロドライバー諸氏に面と向かって聞けないのが現状です。
張り倒されたら怖い人たちばかりでしょう!!鶴とか狼とか、あの時代のあのレース参加してた方々の御顔は。。
今度一番のジェントルマンの髭神様/津々見さんに御尋ねしてみます。
大御神のN神様は当事者K氏に対しては相当肩を持って居られると感じました。
違うかもしれませんが。
確かに双方に確認しないと真理は未明です。
真実と真理は異なるのが世の真理ですから難しいですね。
コメントへの返答
2011年10月25日 8:36
おっしゃるとおりですね。だからこそ、もう一度、道筋を整理していこうと、取り組んだところです。

ずっと、ある種の見方が支配していましたが、もう一度検証し直したいことが、いろいろあるようです。
2011年10月25日 7:42
今日鶴神様と食事行くので御機嫌良ければ聞いてみます。
わたくしには昔からかなり甘いので喋るかもしれませんが、記事にすると大変な事が起きますね!!
コメントへの返答
2011年10月25日 8:38
よろしくお伝えください。多分、小生のこともごぞんじでしょうから。
2011年10月25日 9:12
こんにちは

いつも楽しみに、大変興味深く読ませて頂いております。

いつも感じるのは、自分はブログとしてではなく、「ドキュメンタリーの連載」「NHKスペシャル的な読み物」として読んでいる事です。

メディアに立ち位置を置く局長ならではの考察を、ますます期待しております。
m(_ _)m
コメントへの返答
2011年10月25日 19:40
ありがとうございます。

また励まされました。うんと、うんと伝えておきたいことがあります。まだ、そのほんのトバ口。

つい先日、ぼくの古い手帳の1974年6月2日(日)欄を開いてみました。なんと、鎌倉に作家の立原正秋氏を訪ねています。もちろんFISCOの出来事など、知る由もなし。翌3日は、プロゴルファーの杉本英世さんと、評論家・大森実さんの対談。そんな日々と、2011年の今と、どう繋がっているのでしょう?不思議と言えば、不思議です。
2011年10月26日 15:43
昨晩は宜しくお伝えしておきました。
正岡さまの後輩の方と近々にお目にかかるそうですよ。宜しくとの御伝言でした。
上記の件は正岡さまに近いお考えかと考察致しました。
時代で真実が真理に生まれ変わるのか??
我々読者は真実より真理を知りたいのです。
J456拝
コメントへの返答
2011年10月26日 20:28
伝言、ありがとうございます。

アイアンで刻むような、身の代に合ったレポートですが、一つ一つを噛みしめ、確かめながら、グリーンONをめざします。

また、様子をお伝えください。
2011年10月26日 23:33
津々見さんと言えば、廃刊になってしまいましたが「ザ・モーター」という雑誌にコラムを持っておられて、色々な内容の事を書かれておられました。本当に味の有る方ですね。
コメントへの返答
2011年10月27日 0:09
う~ん、懐かしすぎるメディアの名前がでてきましたね。今は亡き渡辺靖彰さんが主宰していた、と記憶しています。こちらも味のある方でした。

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「私より一つ年上の小山正明さん(剛球で鳴った村山実と並んで精密機械と呼ばれた虎のエース)の訃報を敵地DeNAとの実況中継で知らせれた。同世代の星がまた一つ堕ちた。ゲームは森下の一発が前夜の大山弾と同じ左翼応援団席に落ちたところで勝負あり! 近本がつなぎ中野拓夢が返した後の逆転劇。」
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1959年、講談社入社。週刊現代創刊メンバーのひとり。1974年、総合誌「月刊現代」編集長就任。1977年、当時の講談社の方針によりジョイント・ベンチャー開...
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