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2011年11月29日

炎上事故の現場見取図  ~事故から半年が経って③~

炎上事故の現場見取図  ~事故から半年が経って③~  引きつづき『特集記事』からの引用である。

 コース内にもどったときの北野車は、ノ-ズをやや右前方に向けていた。そしてその状態のまま、きわめて速い速度でスリップしながら、コースを進行方向右斜めに横断したのだ。北野車がスリップ状態でコ-スを横断した時間はひじょうに短かく、1~2秒間くらいであったと推定される。
 コントロール不能な状態でマシン群に突入した北野車とは、つぎの順序で各車と激突、または接触した。
 ①高原車=北野車がラフに落ちてスビード・ダウンしたので、黒沢車の右斜め直後についていた高原車は、北野車の前に出た。
 その直後、スリップしながらコースにもどった北野車の右前部と高原車の左後部が接触。このため高原車の右リヤ・アッパー・アームが折れ、左リヤ・タイヤがバ-ストした。
 高原選手:「北野選手がコース内に飛び込んできて、自分のマシンの後部に激突した。このためリヤ・サスペンションが破損し、その時点でコントロール不能となってス、ピンをはじめた。そのままバンク下までスピン、グリーンでマシンはとまった」
 ②風戸車=北野車は、高原車の右後方に後続していた風戸車と鈴木車のあいだに割ってはいる力夕チとなり、まず北野車の右前部と風戸車の左後部が部か接触。第6図はそのときの各車走行位置だ。


*炎上する鈴木車に懸命の消火器で救助活動をする都平選手(「レーシングオン」2008年9月号所載)

 ③鈴木車=風戸車の接触とほとんど同時に、北野車を避けようとして急制動しながらステアリングを左に切った直後の鈴木車と接触している可能性がある。そのばあいの接触部分は、北野車の右後部と鈴木車の左前部だと思われ。る。
 津々見選手:「北野選手が横向きになってマシン群のほうに突っ込んで行ったとき、鈴木選手のマシンがなにかに突き当たったようにテールが上がった。左前部に衝撃を受けたような感じだった」
 ④米山車=北野車と風戸車の衝突を目撃した米山車は、ステアリングを右に切り、ブレーキングして回避しようとした。その直後、コース右側を走っていた川口車の右後部と米山車の右前部が接触。間髪を入れず、北野車のノーズが米山車のテールと軽く接触した。前後部を破損した米山車は、フロント・カウルを飛ばして逃げるようにショート・カットヘ移動。ショート・カット入口のアウト側グリーンに停止した。
 米山選手:「右へ逃げるとき、北野選手がボクの左サイドにぶつかり、ノーズ・カウルが飛んだ」
 ⑤漆原車=米山車と接触した北野車は、ノーズを右前方に向けた横すべり状態で漆原車の前に現われた。漆原車は回避が間に合わず、北野車のテールと漆原車のフロントが激突。北野車の上に前半車身を乗り上げたまま2車はもつれ合って右前方にスリップし、ショート・カット入口のコース・アウト側でストップした。
 漆原選手:「左前方でだれかが接触した瞬間、ボクはブレーキをこきざみに踏みながらマシンを右へよせようとした。そこへ北野選手が横にコースの左から右へ流れてきた。北野選手のマシンに乗っかった格好のまま、100メートルぐらいすべったようだ。ぶつかった時には火はもう噴いていた」
北野選手:「漆原選手のマシンをのせたまま、50mもすべっただろうか。そのときにはすでにボクのマシンは火を噴いていた」
 
 こんなにも精密で、映像に劣らないリポート。往時の久保編集長の情熱がひしひしと伝わってくる。


*「AUTO SPORT」1974年8月15日号と1975年3月に発売された「AUTO SPORT YEAR'75」に掲載された事故発生後のマシンの位置関係を示す手書きの見取り図

――話を数秒ほど過去にもどそう。北野車と接触した風戸、鈴木車は、その直後にどのような軌跡を描いただろうか?
その前に、第7図の事故現場見取り図で、事故発生現場の様子を確認しておきたい。
事故発生地点は、スタート・ラインから約650m進んだショート・カット入口付近。7番ポストと8番ポストの中間地点より、やや7番ポスト寄りである。ここからシ・ヨート・カット入口を越えた、スタート・ラインから930mまでの約280mが事故現場となった。700~830m地点のコース・アウト側は、ちょうどガード・レールの切れ目になっており、サブ・スタンド観客席のコンクリート壁がむき出しになっている。

北野車と左後部を接触した風戸車は、そのショックでマシンの向きを左に変えた。そしてコントロールを失った状態のまま、200km/h以上のスピードでグリーンに突入し、その先にあったバンクにつづくガード・レールに正面から激突。ガード・レールの支柱を2本引き抜き、最初の支柱をノーズに食わえ込んだまま高さ2~3mの空中へ跳躍。シグナル燈に激突して押し倒し、サブ・スタンドのコンクリート壁をこすりながら(地上高2m、幅4mにわたって風戸車が残しか擦過傷がある)、空中を約30m飛んで落下した。落下したときの状況は前後逆向きになっており、マシンは大破・炎上。風戸選手はステアリング・シャフトとロ一ルバーでヘルメットをはさみ打ちされながら炎に包まれた。

 ところで不思議なことがある。風戸車のブラック・マーク(全制動をかけたときにタイヤがロックして、コース上に残ったタイヤ跡のこと)が、コース上にもグリーン上にも確認されていないのだ。北野車と接触したときすでに気を失っていたのだろうか?
 いっぽう、ステアリングを左に切った鈴木車は、フル・ブレーキング状態でコース左端に進行。死のブラック・マークをくっきりと残しながら、あたかも風戸車のあとを追うようにコース・アウト。グリーンでスピンしつつ風戸車がガード・レールと激突した同じ地点に突っ込んだ。ガード・レールは直前に、風戸車によって根こそぎめくり上げられており、鈴木車は、めくれ上がったガード・レールの下に前半分を潜り込ませ、3本目の支柱に激突してストップ。風戸車がなぎ倒したシグナルにぶち当たったのだろうか、シャシーは中央バルクヘッド付近で折損し、〝くの字"に折れ曲がった状態で瞬時に炎に包まれた。

できることなら、風戸、鈴木の両車が炎に包まれ、ふたりのドライバーが命を奪われてしまう地獄絵図のような惨劇には触れたくはなかった。が、このあとの事故処理をめぐってのさまざまな状況を検証しようとするなら、やっぱり、そこを避けて通るわけにはいかないようだ。

リポートはこのあと、フェンスを乗り越えて、立ち入り禁止区域のガード・レール内側にいたカメラマンが、風戸車にはねられ、骨折し、顔面に火傷を負って、ヘリコプターで病院に収容されたことまでフォローしている。
さらに、コンクリート壁に激突したショックで、火のついたガソリンが風戸車から大量にばら撒かれて、フェンス内側で見ていた4人の観客がガソリンをかぶって負傷している、と伝え、さらに事故から運よく免れたドライバーや、観客の目には、この間の様子がどのように映っていたかを証言させていた。

寺田選手:「ピットの終わりあたりにきたら前方に土煙が見え、すぐにブレーキングした。マシンの破片がバラバラと降って来て、どこをどう抜けたかハッキリ憶えていない。現場のすぐわきを通過したとき、左右で燃えていたようだが、ハッキリわからなかった」
長谷見選手は漆原車を抜いた直後、目の前でなにかがガンときたので、右に寄って現場を抜けた、といっている。


*鈴木車が炎に包まれる。上方が北野車と漆原車(「AUTO SPORT YEAR'75』所載)  

 負傷した観客のひとりが語っている。
「スタートして間もなく、2~3台のクルマがガンガンと音を立ててぶつかったかと思うと、ガーンという轟音がして爆発した。熱風が吹きつけ、うしろむきになってよけたが、観客がいっぱいで逃げる隙もなかった」

第2ヒートのスタート直後から、北野車がグリーンに弾きだされた瞬間をカメラで捉えた稲田兄弟のひとり、健二さんのコメント。
「オープニング・ラップを撮影しようとして金網にへばりついて狙っていたら、ファインダーに風戸車の後部が浮き上がったような状態でこちらに向かって来るのが見え、一瞬観客席に飛び込むのではないかと思って慌てて逃げた。土手を這い上がろうとしたら、すぐうしろにマシンが突っこんできたような気配を感じた途端、上から白いものがたくさん降りかかってきた。あとからわかったのだが、マシンにつんでいた消火液らしい。振り返ると、黄色いマシン(鈴木車)がすでにオレンジ色の炎に包まれていた」


*折り重なるようにして炎上した北野車と漆原車(「レーシングオン」2008年5月号所載)

 コース上に舞い散る大小の破片、腹に響く衝撃音、事故の発生を知らせる場内アナウンスの絶叫、消防車や救急車のサイレン、けたたましく吹き鳴らされるポスト員のホイッスル、事故現場から立ち昇る3本の巨大な黒煙、総立ちの観客、われさきにと現場の駆けつける人の群れ――まさにあっという間の出来事だった。そして、あまりにも短い時間のあいだに、あまりにも多くのことが起こっていた。

「みんカラ」スペシャルブログ執筆陣の一人、20歳を迎える当時の伏木悦郎さんはお父上に、自分のレース活動を認めてもらうために、この日のFISCOの観客席で一緒にいて、この目を覆ってしまう事故を目撃したという。彼の人生もこの時に軌道修正を余儀なくされたに違いないが、このあっという間の出来事のもたらせたさまざまな影響を、もう少し掘り下げてみたい。
ブログ一覧 | 実録・汚された英雄 | 日記
Posted at 2011/11/29 03:16:31

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この記事へのコメント

2011年11月29日 16:19
ちょっとリアルに鳥肌が立ちます。

私が始めてFISCOに行った時は、もうバンクが封鎖されて何年も経ってからでした。
封鎖された30度バンクに徒歩で入った事もありますが、まともに立ってる事もできない斜面と、洗濯板のような路面に「こんな所を全開で走ってたなんて・・・」と思った記憶があります。

3~4年前まで自分もFISCOを走ったりしてたので、スピードの持つ破壊力の恐怖は感じていたのですが、クルマの進化により段々とドライバーの万が一の時への意識が薄らいでと言うか低下して行くのを見ていると、普通に市販車で500馬力越えの車に素人ドライバーが・・・という今の状況はちょっと怖いです。
コメントへの返答
2011年11月29日 17:52
どうしようか、迷った末に、炎上事故を取り上げることにしました。あのころとは、レーシングマシンの安全面への配慮も格段の差があるとはいえ、原因だけははっきりさせておく、その責務がレース関係者すべてにあります。それがなければ進歩はないでしょうから。

ボクも先日、30度バンクを歩いてみましたが、かつての矢田部テストコースのバンクとは、全くの別物で、にわか仕立てであったことが、よくわかりました。
2011年11月30日 0:21
誰が良い誰が悪い、という話は一切抜きにした状態で、当時のことを知る人の記憶を集め、それらを突き合わせながら記録として残すことは、非常に意義深いと思います。

また、今上陛下が自動車に造詣が深いことは有名ですが、この事故(とその後の問題)がなかったなら、自動車が主要産業である日本におけるモータースポーツに対する陛下の接し方、また、それによる国内でのクルマに対する見方(社会的地位)が今とは違っていたのではないでしょうか。
コメントへの返答
2011年11月30日 8:52
後段の指摘は、いままでその視点を持ち合わせなかったので、たいへん参考になります。有難うござます。

競馬や大相撲には「天皇賞」がもうけられているのに、モータースポーツにはそれがありません。これから調べてみますが、JAFグランプリは、対象として検討されたこともなかったのでしょうか。

これまでの一般新聞の扱いからみると、そのあたりで、残念ながら、社会的地位の見当もつきますが。

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「前日の4点リードを代打の本塁打攻勢で逆転負けした口惜しさと、朝11時からのパドレス戦に気を取られこの日は長嶋茂雄追悼デーで午後2時からの試合開始だったのを見逃した。折角の実況中継だったのに。ま、エースの村上が2安打のG完封、森下翔太のメモリアルアーチ先制。マジックは「24」に。」
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1959年、講談社入社。週刊現代創刊メンバーのひとり。1974年、総合誌「月刊現代」編集長就任。1977年、当時の講談社の方針によりジョイント・ベンチャー開...
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